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藤本修二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤本 修二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県今治市
生年月日 (1964-07-22) 1964年7月22日(60歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト5位
初出場 1984年4月21日
最終出場 1994年8月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤本 修二(ふじもと しゅうじ、1964年7月22日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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今治西高では1981年、2年生の時にエースとして、小学校から同期の武田康とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。準々決勝に進出するが、この大会に優勝した報徳学園高金村義明投手に抑えられ、1-3で敗退。1年上のチームメートに渡辺弘投手がいた。翌年夏は県予選決勝に進出するが川之江高に敗れ、甲子園出場を逸する。

1982年プロ野球ドラフト会議南海ホークスから5位指名を受け入団。

1984年から1988年に7勝、8勝、10勝、15勝、10勝を挙げ先発ローテーションの一角を守った。

1987年は15勝を挙げ、両山内と呼ばれた山内孝徳山内和宏とともに、南海がこの年シーズン終盤まで久々に優勝を争う原動力となった。

1988年シーズン終了後に、球団が大阪市から福岡市へ本拠地を移転[1]してからは、右大腿内転筋の故障などでほとんど働けなかった。南海時代指導を受けた河村英文によると、1990年に監督に就任した田淵幸一に心技両面で翻弄され尽くし、半ばノイローゼのようになった時期があったという[2]

1990年オフに5対4の大型トレードで阪神タイガースへ移籍した(藤本修二、西川佳明吉田博之右田雅彦近田豊年池田親興大野久岩切英司渡真利克則)。

1992年オフに戦力外となり、西武ライオンズにテスト入団。西武では主に中継ぎとして活躍した。

1995年限りで引退。

引退後は阪神の打撃投手、チーム・スタッフ(一軍用具担当)を務め[3]2021年現在は選手寮の寮長を務める[4][5]

南海時代のキャンプ中、宿舎近くの公園にいた猫に餌をあげようとしたところ指を噛まれてしまい、1週間投球練習ができなくなった。このことから「ニャンコ」の愛称がついた[3]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1984 南海
ダイエー
31 20 5 0 0 7 6 0 -- .538 714 162.0 152 20 90 0 5 82 2 0 95 85 4.72 1.49
1985 37 31 9 3 0 8 17 0 -- .320 877 196.1 215 23 83 1 6 81 6 0 129 118 5.41 1.52
1986 31 22 8 1 0 10 12 1 -- .455 679 159.2 154 12 52 5 4 80 3 0 78 67 3.78 1.29
1987 31 29 16 4 5 15 8 2 -- .652 908 217.0 203 17 60 6 5 126 3 0 87 76 3.15 1.21
1988 30 26 8 2 1 10 15 1 -- .400 734 169.1 178 18 65 5 5 115 6 0 94 81 4.31 1.44
1989 4 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 52 11.2 12 1 4 1 0 6 0 1 10 9 6.94 1.37
1990 15 11 1 0 0 1 7 0 -- .125 299 62.0 85 18 36 2 1 24 2 1 65 65 9.44 1.95
1991 阪神 30 4 0 0 0 0 5 2 -- .000 282 59.2 68 8 35 2 2 43 0 0 50 46 6.94 1.73
1993 西武 27 2 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 195 48.0 45 4 13 0 1 26 0 0 20 14 2.63 1.21
1994 4 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 26 5.2 8 0 2 1 0 5 0 0 0 0 0.00 1.76
通算:10年 240 147 47 10 6 53 71 6 -- .427 4766 1091.1 1120 121 440 23 29 588 22 2 628 561 4.63 1.43
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

表彰

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記録

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背番号

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  • 50 (1983年 - 1984年)
  • 20 (1985年 - 1990年)
  • 26 (1991年 - 1992年)
  • 13 (1993年)
  • 15 (1994年 - 1995年)
  • 103 (1996年 - 2001年)

脚注

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  1. ^ この時に球団名も「福岡ダイエーホークス」へ改称している。
  2. ^ 河村英文著、これでいいのかダイエー野球、1991年、葦書房、P88-89。
  3. ^ a b 【4月21日】1984年(昭59) もう“ニャンコ”なんて言わせない!?藤本修二、初登板初勝利”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 2020年2月29日閲覧。
  4. ^ 【篠塚和典】中西清起を苦しめた巨人屈指の巧打者‼︎【池田親興】 - YouTube
  5. ^ プロ野球の寮長ってどんな人?12球団寮長まとめ | 野球場へ行こう!

関連項目

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外部リンク

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