岸孝之

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岸 孝之
東北楽天ゴールデンイーグルス #11
20140621 Takayuki Kishi pitcher of the Saitama Seibu Lions, at Yokohama Stadium.JPG
西武時代
(2014年6月21日 横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市太白区
生年月日 (1984-12-04) 1984年12月4日(32歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 希望入団枠
初出場 2007年3月30日
年俸 2億2500万円+出来高(2017年)
※2017年から4年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

社会人野球七十七銀行硬式野球部の初代監督[2]である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年となった1993年から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。その後仙台市立柳生中学校宮城県名取北高等学校へと進学。高校3年生となった2002年夏の宮城県大会では2回戦で敗退し、甲子園出場を経験することはなかった。高校3年夏の宮城県大会1回戦の多賀城高戦で、この高校の選手として東北学院大学・菅井徳雄監督の息子が出場していた。この試合を観戦していた菅井監督は、息子のチームをノーヒットに抑える相手チームの岸に注目。無名校の投手だった岸に、スポーツ推薦での東北学院大学への入学を頼み込んだという[要出典]

大学時代は、東北学院大学でエースとして活躍し、仙台六大学野球リーグでは強豪の東北福祉大学戦に完封を含む3連投をする活躍で敢闘賞を受賞、同大学の35連覇を阻止、東北学院大学の18年ぶりリーグ制覇に貢献した。最速152km/hのストレートスライダーを武器に2006年春には、リーグタイ記録となる19奪三振を2度マークするなどリーグ新記録の92奪三振を達成し、最優秀選手賞(MVP)に輝いた。日米大学野球選手権大会世界大学野球選手権大会の両大会においてエース級の活躍を見せ、2006年の日米野球ではアメリカを無失点に抑えるなど大学ナンバーワン右腕と称される。大学通算成績は、23勝11敗。ドラフト前には西武ライオンズと地元の東北楽天ゴールデンイーグルスが、さらにドラフト直前には大隣憲司の獲得を断念した読売ジャイアンツ希望枠での獲得を目指すが、最終的に当初から目を掛けてくれていること、尊敬する西口文也がいることを理由に西武を選択。2006年の大学生・社会人ドラフト会議希望入団枠での指名を経て、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で西武と契約した。背番号は11

西武時代[編集]

2007年は開幕直後から一軍先発ローテーションに定着。二度目の先発投手となった4月6日の対オリックス・バファローズ戦でプロ初勝利を挙げる。チームが低迷する中コンスタントに勝ち星を挙げ、チームの新人では松坂大輔以来となる二桁勝利(11勝)を記録。チーム2位の防御率3.40、奪三振数はチームトップの142を記録した。チームの10連敗を止めるなど3度の連敗ストッパーとして活躍した。ただ156.1イニングで与四球55と、同じく新人である田中将大東北楽天ゴールデンイーグルス)に次ぐリーグワースト2位の四球を与えた。シーズン終了時に田中と11勝7敗で並び、新人王争いが注目された。防御率は岸の方が上だったが、投球回数ならびに奪三振数で上回った田中が新人王に選出された。しかし、好成績を残したことが評価され、パ・リーグ特別表彰として「優秀新人賞」を受賞した[3]

2008年は初登板の3月26日に対北海道日本ハムファイターズ戦を完封勝利で飾るものの、シーズン序盤は打ち込まれるケースが続いた。シーズン中盤から調子を上げ、8月11日1950年からの球団通算4000勝目となる勝利を8回無失点で飾った。8月の月間成績は3勝0敗防御率1.32で、自身初となる月間MVP(8月)を受賞。その後も好調を保ち、前年を1勝上回る12勝、負け数も4と減らし、課題の四球も48と減って、リーグ優勝に貢献した。読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは11月5日の第4戦に先発し、登板前には「緊張して吐きそう」とマスコミに漏らしつつも、カーブを主体に三振の山を築く。結果的には147球を投げ、1981年の西本聖(巨人)以来2人目となる27年ぶりの毎回奪三振、2005年の渡辺俊介千葉ロッテマリーンズ)以来12人目となる3年ぶりの日本シリーズ初登板初完封(初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)という快記録を達成した。そして2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦では、4回裏1死1、3塁から先発の帆足和幸を東北学院大時代以来となる中2日でリリーフ登板。プロ入り後初のリリーフ登板であったが、9回までの5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となった。また、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立した(第4戦1〜9回、第6戦4〜6回)[4]。逆王手をかけた西武は11月9日の第7戦、3-2で勝利し日本一を達成。岸はこの活躍で日本シリーズMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した。上記の通り、巨人戦を得意とし、交流戦では8イニングを投げ防御率は1.13、日本シリーズに至っては14+2/3イニングを投げ無失点だった(日本シリーズを含む巨人戦防御率は0.40)。

2009年WBC日本代表の第一次メンバー候補35人に選ばれたが、最終メンバー28人の候補から漏れた。シーズン開幕後は5月25日の対広島東洋カープ戦で黒星を喫するまで開幕6連勝、自身の連勝も2年越しで12連勝を記録した。4月の月間成績は4試合4勝0敗を記録した。7月20日の対オリックス戦で10勝目を挙げ、チームでは松坂大輔以来となる入団から3年連続での二桁勝利となった。この試合で対オリックス戦8連勝を記録し、2年連続でオリックスから最も多くの勝ち星を挙げた。前半戦を10勝1敗とリーグ最高勝率で折り返し、初めてオールスターゲームに選出された。8月22日の対ロッテ戦で自己最多に並ぶ12勝目を挙げたが、それ以降は好投しても打線の援護が無く5試合連続で勝ちに見放された。9月26日の対楽天戦で、4点リードの5回表に、フェルナンド・セギノールトッド・リンデン中谷仁に楽天球団史上初となる三者連続本塁打を浴びた。シーズン最終戦10月1日の対ロッテ戦で、ペナントレースでは初の救援登板で7回途中から9回まで無失点で投げ切り、9回裏にチームがサヨナラ勝ちして初の救援勝利を手にし、自己最多を更新する13勝目を挙げた。一方で被本塁打が急激に増加し、前年はリーグで最も少ない被本塁打12だったが、この年はリーグで最も多い被本塁打25を記録した。

2010年3月30日、西武ドームでのソフトバンク戦

2010年は開幕3戦目で登板し敗れたものの、その次の登板から5月24日の対広島戦で黒星を喫するまで7連勝、同日までナイトゲーム13連勝を記録した。しかし、6月29日の対日本ハム戦で黒星を喫したと同時に本人曰く「開幕からずっと違和感があった」肩の炎症の悪化から一軍登録を抹消、そこから約3ヶ月の二軍生活を経て、9月20日の対福岡ソフトバンクホークス戦で中継ぎとして復帰するも敗戦を喫した。その後の9月25日の対楽天戦ではプロ入り初セーブを挙げ、チームの公式戦最終戦の9月29日に3ヶ月ぶりの先発登板、10勝目を挙げた。プロ入りから4年連続での2桁勝利は球団では池永正明以来42年ぶり。6月22日の対楽天戦で勝利し、地元のクリネックススタジアム宮城初勝利をあげた[5]

2011年は故障により出遅れ8勝止まり。プロ入り以来続いていた2桁勝利も4年で途切れた。

2012年は開幕から好調で、スタートダッシュに失敗したチームの中で、安定して勝ち星を積み重ね、涌井秀章が抑えに回って以降は、牧田和久と共にローテーションを支えた。結果として、2年ぶりの二桁勝利を記録したものの、夏場以降は首位争いを繰り広げたチームの中で、他球団のエース格との対戦が増え勝ち星が伸びず、2年連続で負け越した。

2013年は初の開幕投手を務めたが、前半戦は不振にあえぐ。しかし中盤以降は復調し、連勝で勝利を重ね安定した成績を残す。最終的に2年連続2桁勝利を達成。Aクラス入りに貢献。12月10日の契約更改で過去7年間で2桁勝利が6度という安定感が高く評価され、3年総額で最高12億円となる大型契約を結んだ[6]

2014年も2年連続2度目の開幕投手を務めた。5月2日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で1四球8奪三振の内容で史上78人目、89度目のノーヒットノーラン(準完全試合)を達成[7]。5月はパ・リーグ月間MVP投手部門を受賞した(5試合に登板し4勝0敗、防御率2・35)。ノーヒットノーランを達成した月に月間MVP受賞は1990年4月の日本ハム・柴田保光以来24年ぶり。自身は2008年8月以来6年ぶりとなったが、これはパ・リーグ投手部門で最長ブランクとなった[8]。7月18日、西武ドームで行われたオールスターゲーム第1戦ではオールスター初の先発を務めた。2回表に全セのブラッド・エルドレッドキラ・カアイフエウラディミール・バレンティンを自身プロ最速を更新する150km/hをマークして3者連続空振り三振に仕留めるなど、2回を投げて無安打無失点の完全投球で敢闘選手賞を獲得した[9]。6月に右肩違和感、8月には右肘の張りによって一軍登録を抹消されたものの、それぞれ短期間で一軍に復帰し、最終的に自己最多タイの13勝(4敗)、勝率.765で自身初のタイトルとなる最高勝率を獲得した。オフの10月9日日米野球2014の日本代表に選出された事が発表された[10]が、10月24日に右脇腹の違和感により辞退した[11][12]

2015年は怪我に悩まされ、開幕投手を外された。9月10日には第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された[13]が、10月9日に発表された最終メンバーからは外れた[14]

2016年には、8月16日の対ソフトバンク戦でNPB史上134人目の一軍公式戦通算100勝[15]、9月14日の対ロッテ戦で175人目の通算1500投球回数を達成した[注 1][16]

FA宣言→楽天移籍へ[編集]

2015年のシーズン中に海外フリーエージェント(FA)権を取得。2016年シーズンで西武との3年契約を満了したことから、シーズン中から球団と水面下で残留交渉を重ねた。しかし、交渉は難航。岸も、交渉を進めるにつれて、自分にとっての「チーム愛」が「球団愛」が違うことを徐々に強く感じるようになったという。その結果、「必要とされる環境に身を置きたい。他球団は自分をどう評価してくれるのだろうか」と感じた[17]ことから、シーズン終了後の11月2日に海外FA権の行使を表明した[18]。11月10日付で、NPBからFA宣言選手として公示。

長くチームの投手陣の中心を務めたことなどから、FA宣言後も、球団はいわゆる「宣言残留」を認める方針だったが[18]、公示の翌日(11月11日)に、楽天が岸との入団交渉を開始。「もう一度このスタジアムで日本一となり、梨田昌孝監督を胴上げするために、お前が必要なんだ」(星野仙一の言葉。楽天の球団副会長)と、4年契約・年俸総額16億円という条件を岸に提示して、最大限の誠意を示した[19]。岸自身も「生まれも育ちも野球を始めた原点も仙台なので、そこ(仙台に本拠地がある楽天)でプレーができるかも知れない」という感触を得たことから、11月17日には、西武時代の一軍監督であった渡辺久信シニアディレクターに対して退団の意思を伝えた[20]。この星野の熱いメッセージに心を強く揺さぶられたことが、FA権行使における去就決定における大きな後押しになったことを、FA移籍決定直後のインタビューで述べている[21]

先述のように、岸は「高校生の頃から自分を見てくれていたことに恩義を感じた」ことから、西武に逆指名入団した経緯を持つが、FA権の行使(及び西武からの退団、楽天への移籍)を決心するようになった理由として、FA移籍決定直後のインタビューにおいて「野球人生の終わりが遠くないことを意識するようになり、そう考えたとき、自分の地元に球団がある意味を考えるようになった(本人曰く、「仙台は野球を始めた原点」「いつかは故郷でプレーしたいと奥底ではずっと抱き続けていた」とのことである)。支えてくれた方々に、成長した姿を直接見せることで恩返しができればと思ったこと、及び、僕が投げて勝つことで、見ている皆さんに笑顔になって欲しい、それが東北のために自分ができることと思うようになった。」という趣旨のことを述べている[21]。しかしそれ以外の理由として、「長年にわたり球団に要望し続けてきた、西武ドームのマウンド改修が叶わなかったこと(西武ドームのマウンドは、低くて柔らかい特質があるという)」などのことも、楽天への入団発表後に明らかにされている(実際、岸は周囲の複数の人間に対して、「マウンドの問題は大きい。どれだけ選手の声に耳を傾けてくれるかという意味で」と漏らしていたという)[17]。11月23日の西武のファン感謝イベントにて、ファンに対する感謝のスピーチをした際は、場内は温かい拍手や歓声に包まれた[17][22]。このときの心境として、「参加していいものなのかすごく悩みましたが、支えて下さったファンの皆様に挨拶もせずにいなくなるのは嫌でした」と述べており、偽らざるありのままの気持ちを自分なりに伝えられてほっとしたという(尤も、このとき、目は赤く潤んでいたとのことである)[17]

ちなみに、西武との3年契約最終年であった2016年シーズン時点での岸の年俸は、2億2,500万円と推定されている。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がAクラス(同年に西武と契約していた日本人選手の年俸で上位3位以内)に該当するため、楽天球団には西武球団からの要求に基づく人的(または金銭)補償の義務が生じた。これに対して、西武球団は同年12月15日に、金銭での補償を求めたことを発表。前述した規定の下で、先の年俸の80%に相当する額の補償金(推定1億8,000万円)が楽天球団から支払われることになった[23]

楽天時代[編集]

2016年11月18日に、楽天が岸との契約で合意したことを正式に発表した[24]。契約期間は4年で、契約期間の年俸総額は推定16億円。西武時代と同じ背番号11を着用することも決まった[25]ため、2011年の楽天入団以来背番号11を着用していた塩見貴洋は、背番号を17に変更した。

選手としての特徴[編集]

オーバースローから投げる平均球速約142km/h[26]、最速152km/h(プロ入り後の最速は150km/h[27])のストレートに、110km/h台ほどで縦方向に大きく曲がるカーブチェンジアップスライダーの4種類[28]を武器とした、緩急を生かした幅の広い投球が持ち味。

大学時代はスライダーを得意としていたが、プロに入ってスピードを求めた結果、自信のない球種となってしまったという[28]。一般的にはカーブを称賛されることが多いが、イチローにはストレートに着目された。曰く、「スピードガンだけだと130後半そこそこなのに、みんながファウルだったり空振りだったりしている。多分、手から離れた時と実際に自分のところにきた時とでイメージが変わっているんだと思う」「真っ直ぐでカウントを奪えるピッチャーってのはなかなかいない」[29]

50メートル走6.0秒の俊足を備え、試合前練習では遊撃の守備にも就くなど野手としての能力にも優れる[30]

人物[編集]

自他共に認める、真面目で誠実な性格の持ち主であり、西武時代は投手、野手を問わず、多くの選手から慕われていたという。実際、西武時代のチームメイトである菊池雄星は、「あんなに優しい人はいない。本気で他人の立場になってくれる」と述べている[17]

その一方で、かなりの口下手でもあり、「思ったことを言葉にすることがとても苦手」であるという。そのため、2016年のFA権行使を控えた、西武との残留交渉は、普段のピッチングよりも心身共に負担を極めることとなり、結果として納得できる交渉が叶わずに難航して、「『チーム愛』と『球団愛』は別物」と感じるようになり、それが「FA権行使→西武からの退団(楽天への移籍)」の大きな要因となってしまった[17]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2007 西武 24 24 2 2 1 11 7 0 0 .611 650 156.1 131 16 55 1 8 142 2 0 62 59 3.40 1.19
2008 26 26 4 2 0 12 4 0 0 .750 695 168.1 151 12 48 0 5 138 4 0 65 64 3.42 1.18
2009 26 25 2 1 0 13 5 0 0 .722 755 179.2 168 25 53 2 5 138 3 1 73 65 3.26 1.23
2010 19 16 3 2 3 10 6 1 0 .625 460 113.2 100 9 26 1 5 110 3 0 41 41 3.25 1.11
2011 21 21 3 0 1 8 9 0 0 .471 564 135.0 131 12 39 1 3 106 1 0 65 57 3.80 1.26
2012 26 26 4 1 1 11 12 0 0 .478 729 187.2 141 9 40 0 4 150 3 0 52 51 2.45 0.96
2013 26 26 3 2 1 11 5 0 0 .688 716 178.1 155 17 31 1 6 138 6 0 63 61 3.08 1.04
2014 23 22 5 4 1 13 4 0 0 .765 630 161.1 126 16 36 0 2 126 0 0 48 45 2.51 1.00
2015 16 16 5 0 0 5 6 0 0 .455 434 110.1 75 6 25 0 5 91 0 0 40 37 3.02 0.91
2016 19 19 2 1 0 9 7 0 0 .563 541 130.1 123 8 36 0 1 104 0 0 42 36 2.49 1.22
NPB:10年 226 221 33 15 8 103 65 1 0 .613 6174 1521.0 1301 130 389 6 44 1243 22 1 551 516 3.05 1.11
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


投手












2007 24 6 30 0 1 1.000
2008 26 6 20 2 0 .929
2009 26 7 37 1 1 .978
2010 19 5 17 0 0 1.000
2011 21 10 28 1 3 .974
2012 26 7 41 0 3 1.000
2013 26 15 34 1 1 .980
2014 23 13 25 0 3 1.000
2015 16 5 19 1 1 .960
2016 19 13 21 1 1 .971
通算 226 87 272 7 14 .981
  • 2016年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
野手記録
節目の記録
その他の記録
日本シリーズに関する記録
  • 日本シリーズ初登板初完封:2008年11月5日、対巨人戦
  • 日本シリーズ12イニング連続奪三振:2008年11月5日1~9イニングから、11月9日4~6イニングまで 計12イニング (初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)

背番号[編集]

  • 11 (2007年 - )

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 西武では2004年の西口文也以来。

出典[編集]

  1. ^ 【楽天】岸アラカルト「年俸4年16億円」「背番11」「地元・宮城生まれ」”. スポーツ報知. 2016年12月22日閲覧。
  2. ^ 西武・岸の父孝一さん、TV観戦で驚き「まさか」(サンケイスポーツ 2014年5月3日)
  3. ^ 2007年度 表彰選手(パシフィック・リーグ)
  4. ^ 西武岸、新記録だ12イニング連続K(『日刊スポーツ』2008年11月9日)
  5. ^ 西武:岸、宮城でやっと勝てた(毎日新聞)
  6. ^ 3年12億円の岸 生涯西武宣言「ずっといたい」 スポーツニッポン 2013年12月11日
  7. ^ 岸 ノーヒットノーラン達成!史上78人目 西武では渡辺久以来18年ぶりスポーツニッポン2014年5月2日配信
  8. ^ 西武・岸がノーヒッター24年ぶり月間MVP (サンケイスポーツ 2014年6月6日)
  9. ^ 西武岸2回完全 奪三振ショーで100万円 (日刊スポーツ 2014年7月19日)
  10. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
  11. ^ 侍ジャパントップチーム、出場選手変更のお知らせ 侍ジャパン公式サイト (2014年10月24日) 2015年3月26日閲覧
  12. ^ 西武・岸 右脇腹違和感で日米野球辞退 阪神・岩田が出場へスポニチ、2014年10月25日
  13. ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧
  14. ^ 【プレミア12】「プレミア12」侍ジャパン28人が発表 1次登録から招集が見送られた選手は?”. Full-Count (2015年10月9日). 2016年11月13日閲覧。
  15. ^ 岸投手海外FA権行使についてのお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ (2016年11月2日). 2016年11月13日閲覧。
  16. ^ 岸投手 通算1,500投球回達成!”. 埼玉西武ライオンズ (2016年9月14日). 2016年11月13日閲覧。
  17. ^ a b c d e f 『週刊ベースボール』2016年12月26日号、84頁~87頁。
  18. ^ a b 西武の岸、FA権行使を表明 残留も視野”. 日本経済新聞 (2016年11月2日). 2016年12月6日閲覧。
  19. ^ 楽天 FA西武・岸に4年総額20億円提示へ 11日即日アタックスポニチアネックス 2016年11月11日掲載。
  20. ^ <岸FA>西武に退団伝達「原点は仙台」”. 河北新報 (2016年11月17日). 2016年12月6日閲覧。
  21. ^ a b 『週刊ベースボール』2017年1月2日号、3頁~7頁(FA移籍決定直後の、岸に対するインタビューページ)。
  22. ^ ファン感で別れ…楽天移籍の岸 自ら申し出てスピーチ「本当にお世話に」”. スポーツニッポン. 2016年11月26日閲覧。
  23. ^ 西武 岸のFA補償は金銭に、球団本部長「ニーズに合う選手いなかった」”. スポーツニッポン. 2016年12月15日閲覧。
  24. ^ 岸孝之選手の契約合意に関して東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト 2016年11月18日配信。
  25. ^ 【楽天】岸アラカルト「年俸4年16億円」「背番11」「地元・宮城生まれ」”. スポーツ報知. 2016年12月22日閲覧。
  26. ^ 1.02 - Essence of Baseball | DELTA Inc.
  27. ^ “【球宴】岸、自己最速150キロ!エルド、キラ、バレを3連続K”. スポーツ報知. (2014年7月19日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20140719-OHT1T50027.html 2014年7月19日閲覧。 
  28. ^ a b 週刊ベースボール 2010年6月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-6/14、14-17項。
  29. ^ 2008年、テレビ番組「J-SPO」(TBS、同年12月21日付放送分)でのインタビューより参考リンク(livedoorスポーツ)
  30. ^ 投げて打って、走ってもスゴイ岸「全体的に普通でした」スポニチ、2012年6月12日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]