田中貴也

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田中 貴也
読売ジャイアンツ #69
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府南丹市
生年月日 (1992-08-27) 1992年8月27日(26歳)
身長
体重
178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 2014年 育成選手ドラフト3位
初出場 2018年9月1日
年俸 540万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 貴也(たなか たかや、1992年8月27日 - )は、京都府南丹市出身のプロ野球選手捕手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

京都・園部中学校時代に甲子園での大嶺祐太らの活躍に触発され、伊志嶺吉盛監督の指導を受けるため沖縄県石垣市八重山商工に進学。初めての寮生活や伊志嶺監督の厳しい指導で「もう毎日辞めたかったです」と当時を振り返っている。2年時は1学年先輩の大嶺翔太とバッテリーを組み夏の県大会では唯一2年でベンチ入りしたが、エンドランで空振りするなど自身のミスもあり準決勝で興南に4-5で敗退。監督から全部員と父兄がいる中で「おまえのせいで負けたんだ。おまえのせいで3年の高校野球が終わったんだ」と厳しく叱責され、それを見ていた母が自ら寮母となり京都から石垣島へ移り住むことを決意。ちょうど当時の寮母が辞めるタイミングだったこともあり、監督の自宅を改装して作られた寮に引っ越し寝食を共にした[2]

3年夏は県大会3回戦でのちにチームメートとなる宮国椋丞を擁する糸満高校に敗れた。甲子園出場はなし[3]

石垣島まで直々に訪れた山梨学院大学硬式野球部の高橋一三監督と伊藤彰コーチから勧誘され山梨学院大学に進学し、1年春の開幕戦からリーグ戦に出場。主将となった4年春にはチームを創部以来初の全国大会(第63回全日本大学野球選手権大会)出場に導いた。4年春・秋にベストナインを獲得。1年上に高梨裕稔北海道日本ハムファイターズ)がいる。

2014年の育成ドラフト3位で読売ジャイアンツに指名され入団した。背番号は005

プロ入り後[編集]

2017年、WBCでチームを離れた小林誠司に代わって、育成選手ながらプロ入り初の一軍のキャンプに参加した[4]。オープン戦には6試合に出場[5]、イースタンリーグ公式戦には7月31日までに二軍の捕手陣では最高の40試合に出場し、打率.253を記録した。これが評価され登録期限日の7月31日に支配下登録を勝ち取り、背番号を63に変更した[6]11月25日から台湾で開催されるアジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBイースタン選抜に選出される[7]。オフには、ドラフト5位で指名された田中俊太が背番号63を着用することになったため、自身の背番号は69に変更となった。

2018年8月31日に初めて一軍に登録され、翌9月1日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で延長12回表に中川皓太の代打として一軍初出場。ただし、相手投手が右の木下雄介から左の岩瀬仁紀に変わったことで打席に立つ前に代打の代打として吉川大幾が送られたため、守備も打撃も行わない珍しい初出場となった[8]。その後は出場機会がなく、9月11日に登録抹消された。二軍では64試合に出場し打率.308を記録。ファーム日本選手権・阪神戦でも先発マスクを任されたが4-8で敗れた[9]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2018 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .--- .--- .---
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .--- .--- .---
  • 2018年度シーズン終了時

記録[編集]

初記録

背番号[編集]

  • 005 (2015年 - 2017年7月30日)
  • 63 (2017年7月31日 - 同年終了)
  • 69 (2018年 - )

登場曲[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]