菅野智之

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菅野 智之
読売ジャイアンツ #19
Giants suganotomoyuki19.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県相模原市南区
生年月日 (1989-10-11) 1989年10月11日(27歳)
身長
体重
186 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト1位
初出場 2013年3月30日
年俸 2億3,000万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
プレミア12 2015年

菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、神奈川県相模原市南区出身のプロ野球選手投手)。読売ジャイアンツ所属。

母方の祖父は、元東海大相模高校野球部監督の原貢。伯父(母親の兄)は前読売ジャイアンツ監督の原辰徳

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

神奈川県相模原市南区出身。小学校に上がる直前の1995年10月8日に伯父・原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで本格的に野球を始める[注釈 1]。軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から投手を務めた。新町中学時代は3年夏に県大会優勝。関東大会でもベスト8に進出した。

東海大相模高校進学後は2年秋から主戦として活躍。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、甲子園出場は一度も果たせなかった[注釈 2]。3年生夏の神奈川大会準決勝の横浜高校戦では打者として珍しい「振り逃げ3ラン」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で桐光学園に8-10で敗退した。高校時代の野球部の同学年に、広島の田中広輔、1学年後輩には大田泰示がいる。

大学は東海大学へ進学し硬式野球部へ入部。1年秋から主戦を任され、2年春から4季連続で首都大学リーグの優秀投手を受賞。2年時には第37回日米大学野球選手権大会日本代表第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にも出場。3年春の第59回全日本大学野球選手権大会では準々決勝の同志社大学戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成し、準決勝の慶應大学戦では最速155km/hを記録し4安打17奪三振の好投で完封勝利を挙げたが、決勝で敗退。夏の第5回世界大学野球選手権大会では予選リーグのキューバ戦のアルフレド・デスパイネに対しての打席で自己最速となる157km/hを記録。4年秋にはリーグ新記録の通算14完封を記録しチームのリーグ優勝に貢献。最高殊勲選手と最優秀投手、ベストナイン、特別功労賞を受賞した。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。大学時代の野球部の1学年先輩には伊志嶺翔大が、1学年後輩には坂口真規伏見寅威がいる。特に捕手である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。

ドラフト会議を巡る経緯[編集]

2011年のドラフト会議では野村祐輔明大)、藤岡貴裕東洋大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目を集めた[3]。伯父の原辰徳が監督を務める読売ジャイアンツの単独指名が濃厚と噂されていた[4]が、北海道日本ハムファイターズも1位指名し、抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得した。ドラフト後には祖父の原貢が日本ハムの事前挨拶なしでの指名を「人権蹂躙」などと非難する発言を行った[5]

11月7日には日本ハムの指名挨拶に同席し、進路については「目先のことだけではなく、その先の野球人生を考えた上で判断したい」とコメント[6]したが、21日には日本ハム入団を拒否する意向を表明[7]社会人野球や国内独立リーグ、海外のプロリーグ等に進んだ場合は2年間指名されることができないため、プロ・アマのいずれの球団にも属さず、浪人することを選択[8]。東海大の卒業延期制度を利用し大学に残り[9]、大学の練習施設を使用して自主練習をしながら翌年以降のドラフト指名を待つことになった[7]。入団拒否の理由としては「日本ハムさんからいろいろなお話を聞いて光栄に思いました。しかし、それ以上に、自分が小さいころからの夢、そういうものがそれ以上に強かったということです」と述べ[10]、決め手になったという『小さいころからの夢』については「(言葉にするのは)難しいところですが、どうですかね……。分かってください」と語った[11]

これに対し日本ハムは「この程度で諦めるなら最初から指名しなかった。交渉期限のギリギリまで説得を続けたい」としたが[12]、交渉期限最終日の2012年3月31日に菅野の獲得断念を発表[13]。その後、一時は2012年のドラフトでの再指名の可能性を公言したが[注釈 3][14]、後にその方針を変え、日本ハムGM山田正雄が「うちとしては(1位は)その年の一番力がある選手。1年間のブランクがあることを考えたら(菅野が)一番力のある投手じゃないと思います」との理由で指名を回避するとコメントした[注釈 4][15]。同時にこの年のドラフトで意中の球団以外が交渉権を獲得した場合について、東海大監督の横井人輝が「アメリカに行くであろうと思う。野球留学も含めて、本人もいろいろ興味があるみたい」と発言し[16]、本人も「また去年と同じことが起こるのだとしたら……。何というんですかね……日本で野球をやりたくないかもしれませんね」と発言したことや横浜DeNAベイスターズの調査書の受け取りを拒否したこともあり[17][18]横浜DeNAベイスターズGMの高田繁や監督の中畑清東北楽天ゴールデンイーグルス監督の星野仙一から批判された[19][20]

東海大に引き続き在学しての浪人であったが、浪人中は大学野球の規定により対外試合に出場できなかったため、東海大野球部を練習拠点とし、投げ込みやチームメイト相手の紅白戦やシート打撃に登板して実戦感覚から遠ざかることを防いだ。ただし、紅白戦やシート打撃での登板は実戦における緊張感や重圧という点とは遠いため、ブランクが懸念された[21]。また、大学野球だけでなく、高校野球や日本プロ野球やメジャーリーグなどを積極的に観戦をし、野球選手としてプラスになったと語っている。

巨人時代[編集]

2012年10月25日に開催されたドラフト会議では、当初はDeNAや楽天も指名の可能性を公言していたものの、巨人の単独1位指名となり、かねてより熱望していた巨人との交渉権を獲得した。ドラフト会議後には伯父であり巨人の監督である原辰徳が東海大を訪れ、背番号19」とネームの入った巨人のユニフォームに袖を通した[22]。11月21日に仮契約を締結[23]。23日に開催されたファン感謝デーで入団発表された[24]

2013年3月30日の対広島東洋カープ戦(東京ドーム)でプロ入り初登板で先発し、7回を投げ5安打9奪三振1失点の内容で、試合は12回1対1に引き分けに終わった[25]。同年4月6日の対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で8回を6安打4失点でプロ入り初勝利を挙げた [26]。オールスターゲームには監督推薦で出場[27]、第2戦(神宮)で先発登板し2回2安打1失点[28]。ヤクルトの小川泰弘、阪神の藤浪晋太郎との新人王を争い[29]、この年は13勝を挙げた。広島とのクライマックスシリーズファイナルステージ(東京ドーム)では第2戦に先発登板し9回3安打11奪三振の内容で、セ・リーグのCSでは史上初の完投、完封勝利を挙げた[30]。楽天との日本シリーズでは、第2戦と第6戦に先発登板し、いずれも今季シーズン公式戦から無敗の田中将大と投げ合い、第2戦では5回を投げ2失点で敗戦投手となり楽天に球団シリーズ史上初勝利を献上したが[31]、第6戦では7回2失点で勝利投手となり、田中にこの年シーズン公式戦とポストシーズンを通じて唯一の黒星をつけた[32]

2014年3月28日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)で自身初の開幕投手を務め、7回を投げ、被安打8、4失点(自責点は0)ながらも打線の援護に助けられ、シーズン初勝利を挙げた。入団2年目までの投手が開幕戦で勝利を挙げたのは巨人では1960年伊藤芳明以来54年振りである。さらに4月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)に先発し、9回を投げ7安打4失点で完投勝利を挙げ、球団史上4人目となる「4月中でのリーグ全球団勝利」を達成した。ドラフト制度以降では球団史上初[33]。この活躍が評価され、同年3、4月の月間MVPを受賞した。最終的には12勝5敗、防御率2.33で最優秀防御率を獲得し、チームのリーグ3連覇に貢献したが、シーズン終盤、右手中指炎症と右肘靭帯損傷の影響でポストシーズンの登板は叶わなかった。その結果、自身の不在は大きく響き、チームはCS史上初の4連敗で敗退した。それでもリーグ優勝に貢献したことが評価され、セ・リーグMVPを獲得した[34]

2015年3月28日の対横浜DeNAベイスターズ戦(東京ドーム)で前年に続いての開幕投手を務め、7回を投げ、5奪三振、1失点でシーズン初勝利を挙げた。5月19日の対阪神戦(甲子園)で入団3年目にして初完封勝利を記録した。シーズンは最終的に10勝11敗、防御率1.91で入団から3年連続二桁勝利をマークしたが、好投しても打線の援護に恵まれなかったことが多く、初めて負け越しとなった。10月9日には第1回WBSCプレミア12の最終ロースター28名に選出された[35]11月21日メキシコ戦との3位決定戦において、2番手でリリーフ登板し、プロ入り後自身最速となる155km/hを計測した[36]

2016年は開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された[37]3月5日の第1戦に先発登板し、勝利投手となっている[38]3月25日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で3年連続開幕投手を務め、7回無失点の好投で1993年から1996年にかけての斎藤雅樹(現・2軍監督)以来となる3年連続開幕先発勝利投手となった。4月6日の対阪神戦(東京ドーム)では自身初となる無四球および東京ドームでの完封勝利を挙げ、同年4月13日の対ヤクルト戦(神宮球場)で2試合連続完封勝利を挙げるとともに、これまで1度も勝てなかった神宮球場での初勝利を記録した。4月は4試合33イニングを自責点0、月間防御率0.00をマークし月間MVPに選出された。[39]5月13日ヤクルト戦で33イニングぶりに四球を出すものの球団史上4人目となる3試合連続2桁奪三振を記録。[40]6月は3試合連続で最小失点に抑え続けるものの勝ちがつかず4試合目のDeNA戦で3回途中9失点で降板。最終登板を5回2失点で降板した段階で防御率が2点台に突入したものの、防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。味方の援護が無く勝利数が伸びない傾向は相変わらずで9勝6敗だった。CSファーストステージの対DeNA戦は体調不良で登板回避したが、チームは1勝2敗で敗退した。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[41]が、チームには帯同するものの出場登録を抹消された[42]

選手としての特徴[編集]

スリークォーターから投じる平均球速約144km/h[43]、最速157km/h(プロ入り後の最速は155km/h[44])のクセのある速球フォーシームツーシームワンシーム[17])と切れ味鋭いカットボールを武器にし、縦横2種類のスライダー、球速の異なる2種類のカーブフォーク[45]シュートと多彩な変化球を持ち球とする[46]。グラウンドボールの割合が55%程度と高く、グラウンドボールピッチャーである[47]東海大監督の横井人輝は「指先の感覚が今まで見てきたどの投手よりも優れている」と評しており[2]、菅野自身も「覚えようと思って覚えられなかった球種はない」と述べ[48]、シュートは雑誌で涌井秀章の握りを見てすぐに使えるようになったという[2][49][50]。一方で、元巨人監督の原辰徳からは、小技に頼らず「もう少し、力投派、速球派という部分でマウンドに上がるべき」と課題を指摘されている[51]

巨人に入団した当初から制球力を高く評価されており[52]、自らも「試合でボールがコントロールできずに困ったことはほとんどない」と豪語する[2]。制球力を示す与四球率K/BB はどちらもリーグ1位で、それぞれ1.97、4.19と高い水準である。浪人中の2012年にはMLBのテレビ中継に没頭し、グレッグ・マダックスの「27球で27個のアウトを取る」という考えが理想になったという[17]。また、ロイ・ハラデイの投球を見て「ピッチングはやっぱりコントロール」と再認識したといい、浪人中はボール1個分の出し入れができる制球力を目指して練習してきたという[17][53]

俊敏な牽制フィールディングも備える[50]。持論は「投手は投げるだけじゃない」で、打撃にもこだわりがある[54]

人物[編集]

「原貢の孫、原辰徳の甥」という立場については「いやなことのほうが多かった」と言い、「そこは自分の中のモチベーションでもある。『菅野智之』として認められることを、ずっと目標にしています」と語っている[2][50][55]。高校3年時には周囲からプロ入りも勧められていたが「原監督の甥だからプロに行けたと思われるのがイヤだったんです。大学で文句なしの実力をつけてプロに行きたい」として進学を選んだという[2][55]。伯父のもとでプレーすることについては、2011年のドラフト会議後に「小さい頃には一緒にできたらいいなというくらいしか思ってなかったのが、大学にいってある程度実績を残せるようになって、それが夢ではなく現実となるように自分の中で思い描いていたのはある」と語った[56]

趣味はゴルフで、大学4年時にはベストスコア100を記録した[57]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2013 巨人 27 26 1 0 0 13 6 0 0 .684 729 176.0 166 10 37 0 5 155 2 0 70 61 3.12 1.15
2014 23 23 3 0 1 12 5 0 0 .706 640 158.2 138 12 36 3 2 122 6 0 50 41 2.33 1.10
2015 25 25 6 2 0 10 11 0 0 .476 710 179.0 148 10 41 4 7 126 3 0 46 38 1.91 1.06
2016 26 26 5 2 3 9 6 0 0 .600 726 183.1 156 12 26 0 4 189 1 0 46 41 2.01 0.99
通算:4年 101 100 15 4 4 44 28 0 0 .611 2805 697.0 608 44 140 7 18 592 12 0 212 181 2.34 1.07
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2013年5月4日、対広島東洋カープ8回戦(東京ドーム)、2回裏に中崎翔太から右前適時打[要出典]
その他の記録
  • セ・リーグクライマックスシリーズ完投・完封勝利:2013年10月17日、対広島東洋カープ戦(東京ドーム)ファイナルステージ第2戦、9回3安打11奪三振 ※セ・リーグCS史上初[58]
  • オールスターゲーム出場:4回 (2013年 - 2016年)

背番号[編集]

  • 19 (2013年 - )

登場曲[編集]

  • 「Separate Ways (Worlds Apart)」Journey(2013年3月 - 4月)
  • HEROESGReeeeN(2013年5月 - 10月)
  • 「エール」+Plus(2014年)
  • 「IT'S UP TO YOU!」矢沢永吉(2015年 - )
  • 「Heaven Knows (Remixes) [feat. Tash & Pitbull]」Davis Redfield(2015年)
  • 「A Prayer (feat. Flo Rida & Shawn Lewis)」A-Roma(2016年)
  • NIPPON椎名林檎(2016年、打席時)

代表歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし本人は後のインタビューで「(当時は)幼稚園児だったので具体的には覚えていない。それがきっかけというのは少し“作り”が入っているかもしれない。しかし、引退式を見たことは覚えている。ああいう人になりたいなと思った」と語っている[2]
  2. ^ 尚、在籍時にチームは甲子園出場(2006年の選抜)はしているが、その時はベンチ入りできなかった。
  3. ^ 日本の野球協約では「一度入団拒否をされた選手を再指名するには本人の同意が必要」だとされているのだが、「進学その他の事由により、その選手が再び就学した場合はそれに該当しない」との記述もあり、浪人して東海大に籍を置き続けている菅野は「再就学」に相当するので、本人の同意が無くとも再指名が可能だと日本ハム側は主張していた。
  4. ^ 日本ハムは2012年のドラフトで、メジャー志望を公言していた大谷翔平を1位で“強行”指名し、説得に成功、入団にこぎつけている。

出典[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]