石井義人

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石井 義人
公徳会 佐藤病院野球部 顧問
Giants ishi33.jpg
巨人時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県川口市
生年月日 (1978-07-12) 1978年7月12日(38歳)
身長
体重
178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手三塁手二塁手
プロ入り 1996年 ドラフト4位
初出場 1997年9月25日
最終出場 2014年8月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

石井 義人(いしい よしひと、1978年7月12日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手内野手、右投左打)・コーチ愛称は「ジャッキー[注 1]2017年より公徳会 佐藤病院野球部(軟式)の顧問を務めている(後述)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学生で前川バンビーズ、中学時代は越谷リトルシニアに在籍。浦和学院高等学校時代の1996年に第68回選抜高等学校野球大会第78回全国高等学校野球選手権大会に出場(ともに2回戦で敗退)。三浦貴は高校時代の同級生で、当時は三浦がエースを務め、石井が4番を打っていた。

1996年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから4位指名を受け入団。

横浜時代[編集]

1999年シーズンは5月にジュニア月間MVPを獲得したが、7月に右足の腫瘍を手術し、残りは治療に専念した。

2000年から一軍で活躍し始め、プロ初本塁打を放ち、規定打席には到達しないものの打率.328とブレイクした。中でも代打成績.444はリーグトップを記録し、一軍に定着するかに思われた。しかし、打球をお手玉したり足で蹴ったりするなど守備難が目立ち、当時の森祇晶監督が守備重視の手堅い野球を目指していたため、しだいに出場機会を失う。

2002年オフ、中嶋聡富岡久貴とのトレードで細見和史とともに西武ライオンズへ移籍した。

西武時代[編集]

2004年高木浩之の不調で、シーズン後半に二塁手として出場機会を増やし、規定打席不足ながら打率.304を記録した。2004年のパシフィック・リーグプレーオフ2ndステージ第5戦では、6回表1死満塁に代打で登場、このシーズンで得意にしていた新垣渚から左翼フェンス直撃の逆転適時二塁打を放ち、リーグ優勝に貢献した。

2005年は6番・二塁手でプロ9年目にして初の開幕スタメンを掴むと、高木浩之の離脱で二塁手の定位置を掴んだ。開幕から好調な打撃を発揮し、5月の月間MVPに輝いた他、交流戦では4割を打ち、交流戦首位打者にも輝く活躍を見せた。プロ入り初のオールスターゲーム出場も果たす。 8月27日、西口文也が9回まで無安打無四球を続けたものの、味方も無得点だったために延長へ突入し、10回表に安打を打たれて完全試合を逃した試合で、10回裏に福盛和男からサヨナラ適時打を放って西口に白星をつけたのが石井で、「今日はそれまで4タコだったから絶対に打とうと思った。西口さんが頑張っていたし、今日は守備のほうが緊張した」と語った。

前半戦を首位打者で折り返したが、後半戦はプレッシャーに苦しみ、本人曰く「打撃のことを考えると夜も眠れなく」なり、調子を落とした。しかし、初の規定打席到達で3割打者となり、打率はリーグ4位の.312、出塁率.391という好成績を残した。

2006年も9番・二塁手で開幕スタメン出場したが、5月に左足裏痛で降格し、片岡易之に二塁手のレギュラーを奪われる苦しいシーズンとなった。中島裕之の離脱で3番打者が不在になり、復帰した石井は8月1日から3番に抜擢され、中島の穴を埋めた。規定打席には到達しなかったものの、打率.312の好成績を残す。

2007年中村剛也が不振に陥ると三塁手で、片岡が離脱すると二塁手での起用が増えた。4月後半には1・2番打者が決まらず、高い出塁率を見込まれて石井が起用された(1番13試合、2番9試合)。打率は.250付近から上昇せず、守備でも6失策と精彩を欠いた。特に左投手からの打率は0割台だったため最後まで中村との併用が続き、レギュラー確保はならなかった。オフに結婚、挙式した。

2008年は中島が北京五輪のために離脱した際は、片岡が遊撃手に回って二塁を守り、クレイグ・ブラゼルが指名打者となり、石井が一塁手として起用されることも多かった。終盤はブラゼルの離脱もあって一塁手のレギュラーに定着した[注 2]。打率.278と3割に到達はしなかったものの、上昇傾向を見せた。2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズでは5試合中4試合にスタメン起用され、15打数8安打4打点と好成績を残した。日本シリーズでは第5戦で先制打と勝ち越し適時打を打つなど、通算で16打数4安打2打点の結果を残した他、アジアシリーズでは決勝戦の9回裏に四球で出塁後、佐藤友亮の左中間への安打で統一セブンイレブン・ライオンズの緩慢な守備を突き一塁から一気にホームインした[注 3]

2009年は規定打席には届かなかったが、退団したブラゼルに代わる5番・一塁手のレギュラーとして自己最多タイの125試合に出場した。粘り強い打撃で打率.300の好成績を残して打線の重要なつなぎ役となり、中村剛也との勝負を避けられない場面を増やし、中村の本塁打王獲得に貢献した。左投手には打率.136と弱かったが右投手には打率.310で、本塁打・打点は全て右投手から挙げた。一塁守備でも3失策と安定感を示した。

2010年のシーズン当初は、相手の利き腕に合わせて平尾博嗣との併用が続き、6月に一塁手ホセ・フェルナンデスが加入すると先発出場が激減。対右投手相手での「代打の切り札」となり.293の打率を残す。また、対戦数は11打数と少なかったが、苦手の左投手相手にも.273の打率を残した。オフの契約更改では保留を繰り返したが、3度目の交渉で初回提示から上積みなしの現状維持でサインした[3]

2011年は出場機会を増やすために外野手にも挑戦したが、若手起用のチーム方針や自身の打撃不振もあり12試合の出場に留まった。10月9日に戦力外通告を受け[4]、11月24日に12球団合同トライアウトを受験。12月6日読売ジャイアンツへの入団が決定した[5]

巨人時代[編集]

2012年4月20日に一軍登録されると、4月26日に移籍後初安打となる二塁打を記録。5月2日に登録を抹消されたが、再昇格後の5月23日に古巣の西武相手に代打スクイズを決め移籍後初打点を記録した。主に対右投手の代打として起用され、代打打率.405(37打数15安打)、得点圏打率.444を記録するなど代打の切り札として無類の勝負強さを発揮し、チームの優勝に大きく貢献した[6]。中日とのCSファイナルステージ第5戦では9回裏1死満塁のチャンスで代打(谷佳知)の代打で登場。抑えの山井大介からサヨナラヒットを放ち、同シリーズのMVPに選ばれた[7]

2013年は、開幕一軍こそ果たすも、その後は不振や中井大介などの台頭で二軍に降格。結局その年は前年のような結果を残す事が出来なかった。

翌年の2014年もわずか7試合の出場にとどまった。10月25日に球団から戦力外通告を受け[8]、10月27日に現役引退を発表[9]

現役引退後[編集]

2015年2016年は独立リーグのルートインBCリーグへの新規参入球団・武蔵ヒートベアーズの打撃コーチを務め[10]2017年より山形県南陽市にある公徳会 佐藤病院の社員として勤務する傍ら、同社野球部(軟式)の顧問を務め、部員への指導も行っている[11]

プレースタイル[編集]

打撃[編集]

オープンスタンスの構えから、広角に打ち分けるバットコントロールが特長[12]

打撃の天才」とも称される天性のバッティングセンスは高校時代より注目されており、高校日本代表の一員として渡米した際にはシアトル・マリナーズのスカウトの関心を惹いた[13]

谷沢健一には「バットテニスラケットのように使える選手」と評された。文化放送ライオンズナイターでは斉藤一美に「赤いバットのテクニシャン」「麗しの広角打法」と呼ばれた。2005年にはインボイスSEIBUドームで「俺たちの首位打者」とアナウンスされていた(なお、その年の首位打者は和田一浩)。

バントは、自他共に苦手と認めている[14]

守備[編集]

2012年から在籍した巨人では代打での途中出場が主だったが、そのまま一塁手に入ることも多かった。5月28日の日本ハム戦では4年ぶりに二塁手を務めている[15]。6月11日の西武戦では4回から二塁を守ったが、不安定な守備のために5回途中でベンチに下げられた。

横浜時代は三塁手として出場することが多かったが、守備力の低さが一軍定着を阻んでいた。西武に移籍後の2004年に二塁手コンバートされ、片岡易之平尾博嗣らと共にレギュラー候補として期待された。しかし、失策が多く守備範囲も狭かったため、二塁手として起用される機会はしだいに減少し[注 4]、2009年シーズン以降は専ら守備の負担の少ない一塁手もしくは指名打者としての起用が増えた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 横浜 10 18 17 2 4 1 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .235 .235 .294 .529
2000 41 61 58 6 19 3 0 1 25 6 1 0 0 0 3 0 0 9 3 .328 .361 .431 .792
2001 53 81 67 7 19 5 0 0 24 8 0 0 0 1 13 0 0 16 2 .284 .395 .358 .753
2002 22 23 20 2 5 1 0 0 6 1 0 0 1 0 2 0 0 7 0 .250 .318 .300 .618
2003 西武 8 12 12 0 5 2 0 0 7 2 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .417 .417 .583 1.000
2004 58 169 138 22 42 9 0 2 57 16 1 1 1 0 30 1 0 24 4 .304 .429 .413 .842
2005 125 471 414 48 129 25 3 6 178 38 7 5 1 1 51 3 4 74 9 .312 .391 .430 .821
2006 67 213 186 32 58 10 0 3 77 16 3 0 2 1 23 1 1 35 1 .312 .389 .414 .803
2007 92 296 260 26 66 14 0 2 86 17 7 0 4 3 29 0 0 53 2 .254 .325 .331 .656
2008 108 335 306 31 85 21 1 4 120 29 0 1 0 4 25 2 0 53 2 .278 .328 .392 .721
2009 125 422 383 48 115 17 3 6 156 39 3 2 5 4 30 1 3 73 7 .300 .352 .407 .760
2010 98 261 222 28 65 8 0 6 91 22 0 0 2 5 31 4 1 35 5 .293 .375 .410 .784
2011 12 20 19 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .105 .150 .105 .255
2012 巨人 51 64 54 4 17 2 0 0 19 14 0 0 1 2 7 0 0 9 0 .315 .381 .352 .745
2013 62 70 64 1 13 0 0 0 13 2 0 0 0 0 6 1 0 18 0 .203 .271 .203 .475
2014 7 6 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 1 0 0 3 0 .250 .333 .250 .583
通算:16年 939 2522 2224 257 645 118 7 30 867 212 22 9 18 19 252 13 9 421 35 .290 .362 .390 .754

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 外野




























1997 - - 6 2 2 1 1 .800 -
2000 - - 11 4 19 0 0 1.000 -
2001 - - 19 6 22 4 2 .875 -
2002 - - 2 0 0 0 0 - 1 0 0 0 0 -
2003 - - 5 1 5 0 0 1.000 -
2004 - 37 63 75 5 10 .965 7 3 6 0 0 1.000 -
2005 - 76 111 173 3 29 .990 39 19 49 3 5 .958 -
2006 - 13 16 19 0 7 1.000 32 21 44 6 1 .915 -
2007 - 29 49 53 2 7 .981 56 39 82 4 7 .968 -
2008 35 238 12 2 16 .992 16 23 39 2 10 .969 5 3 7 0 0 1.000 -
2009 102 802 56 3 69 .997 - 12 4 7 0 0 1.000 -
2010 73 473 25 3 33 .994 - 11 9 15 0 0 1.000 -
2011 3 8 1 0 1 1.000 - - 3 2 0 0 0 1.000
2012 20 55 2 0 6 1.000 3 0 0 1 0 .000 - -
2013 12 25 2 2 1 .931 1 0 0 0 0 ---- - -
通算 245 1601 98 10 116 .994 175 262 359 13 63 .979 205 111 258 18 16 .953 4 2 0 0 0 1.000

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 53 (1997年 - 2002年)
  • 40 (2003年)
  • 32 (2004年 - 2007年)
  • 5 (2008年 - 2011年)
  • 33 (2012年 - 2014年)
  • 88 (2015年 - )

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 西武移籍時にO脚が車を持ち上げるジャッキに似ていることから、呼んで欲しいとアピール。[1]
  2. ^ 週刊ベースボールによると、石井は4月に渡辺久信から呼び出されて、一塁を守るよう言われたが、石井自身は横浜時代にファームで数試合守っただけで一軍では経験がなく、ファーストミットも借り物で、ほとんどぶっつけ本番だったと後で語っている。
  3. ^ この走塁は、1987年の日本シリーズ辻発彦ウォーレン・クロマティの緩慢な守備を突き、一塁から単打で生還した「伝説の走塁」になぞらえられた。[2]
  4. ^ 2007年シーズン以降は片岡が正二塁手として定着した。正遊撃手の中島裕之の戦線離脱によって片岡が遊撃手に回る場合、もしくは片岡が戦線離脱した場合は、石井が二塁手を務めることもあった。

出典[編集]

  1. ^ 【ジャイアンツ日記】石井 - スポーツ報知(2014年8月7日)
  2. ^ 石井義“伝説の走塁”で西武アジア一”. スポニチ Sponichi Annex 野球 (2008年11月17日). 2017年5月22日閲覧。
  3. ^ 【西武】石井義折れた!現状維持サイン - 日刊スポーツ(2010年12月22日)
  4. ^ 西武 G・G・佐藤ら6選手に戦力外通告 - スポーツニッポン 2013年5月25日閲覧
  5. ^ 巨人 戦力外の楽天・中谷&西武・石井を獲得 - スポーツニッポン 2011年12月6日閲覧
  6. ^ 代打率4割超…巨人に神様!石井様/CS - 日刊スポーツ(2012年10月22日)
  7. ^ 【巨人】石井MVP「やったぜ〜」/CS - 日刊スポーツ(2012年10月22日)。
  8. ^ 石井選手ら4選手に戦力外通告 - Yomiuri Giants Official Web Site 2014年10月25日
  9. ^ 巨人石井が現役引退「感謝」 - 日刊スポーツ(2014年10月27日)
  10. ^ 武蔵ヒートベアーズ 打撃コーチ就任のお知らせ - 東京新聞(2014年11月29日)
  11. ^ 石井義人氏 BCから軟式へ指導者として新たな挑戦 いつかはNPBで”. スポニチ Sponichi Annex 野球 (2017年2月23日). 2017年5月22日閲覧。
  12. ^ 石井義人、中谷仁、小林高也の3選手と契約 - 読売ジャイアンツ オフィシャルウェブサイト(2011年12月6日)
  13. ^ 【11月26日】2002年(平14) 打撃の天才・石井義人、道が拓けたトレード - スポーツニッポン
  14. ^ 石井16年目の初スクイズ!無警戒の古巣相手に意表突く”. スポーツニッポン (2012年5月24日). 2012年6月2日閲覧。
  15. ^ 【巨人】石井4年ぶり二塁守備 - 日刊スポーツ(2012年5月28日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]