中村稔 (投手)

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中村 稔
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県伊勢市
生年月日 1938年9月28日(78歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1957年
初出場 1957年6月19日
最終出場 1969年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

中村 稔(なかむら みのる、1938年9月28日 - )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手投手)・コーチ解説者評論家

来歴[編集]

中村自身は三重県出身で戦前の東京巨人軍のエースだった沢村栄治とは親戚であったという[1]宇治山田商工では2年生の時、1955年秋季中部地区大会に進むが、1回戦で太田勝のいた豊川高に敗退。翌1956年夏も三岐大会1回戦で岐阜高に敗れ、甲子園出場はならなかった。

卒業後、1957年読売ジャイアンツへ入団。新人から4年間はわずか3勝を挙げたのみであったが、5年目の1961年に参加したベロビーチキャンプドン・ドライスデールから直接指導を受けてチェンジアップを習得[2]、この年に17勝10敗・防御率2.13(リーグ6位)をマークしてチームの勝ち頭となり、川上哲治の監督としての初の優勝に貢献する。1962年7月10日ナゴヤ球場での中日との試合後、翌日は先発投手を務める予定であったにもかかわらず、宿舎で禁じられていたビールを同室の堀内庄伊藤芳明と飲んでいたところをヘッドコーチの別所毅彦に見つかり叱責を受ける。この一件を週刊誌が「殴打事件」と報道したことから問題が大きくなったため、球団側が別所に謹慎処分を科すとともに二軍コーチへの降格を命じるが、別所は命令の受け入れを拒み、退団している[3]。この年、中村は9勝12敗・防御率2.28(リーグ9位)とやや成績を落とした。その後は肩を痛めて年々成績を落とし、1964年は春先に交通事故を起こしたこともあり[1]、勝ち星を挙げられずに終わる。しかし、翌1965年に復活して20勝4敗防御率2.21(セ・リーグ5位)を記録、城之内邦雄(21勝)・宮田征典(20勝)とともに1チーム内で3人が20勝投手となり、V9の初年度の優勝に貢献した。その後は再び年々成績を落とし、0勝に終わった1969年限りで現役を引退した。

引退後も巨人に残り1970年から二軍投手コーチを務めたが、1977年に解任された[4]1978年から1980年まで日本テレビの野球解説者、1981年から1983年まで巨人一軍投手コーチ、1984年から1988年までラジオ日本評論家、1989年から1992年まで再び巨人一軍投手コーチ、1993年から1996年まで再びラジオ日本評論家を務めた。

藤田元司から手腕を信頼されており、その後も藤田が監督を務めた際は、必ず投手コーチに中村を起用していた。江川卓のプロ初登板試合を解説した。1997年に監督の近藤昭仁の招聘され、千葉ロッテマリーンズ一軍投手コーチに就任。投手陣の整備に従事し、チーム防御率の改善に貢献したが、1998年シーズン途中(6月30日)に記録的連敗の責任を問われ、コーチを解任された。2002年から2003年頃にかけてJスカイスポーツ解説者として活動していた。

選手としての特徴[編集]

直球のスピードはそれほどでもなかったが、シンカー気味のシュートと大きく曲がるカーブを操り、思い切りの良いピッチングをした[5]

人物[編集]

向こうっ気が強く、何に対してもへこたれない性格であった。麻雀の腕もあり、中村を探す際は麻雀の音を頼りに探せば必ず見つけることができたという。[5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1957 巨人 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 6 1.0 2 0 0 0 0 3 1 0 2 2 18.00 2.00
1958 7 3 0 0 0 1 1 -- -- .500 57 13.1 13 0 8 0 0 6 0 0 4 2 1.29 1.58
1959 7 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 72 17.1 15 2 7 0 1 10 0 0 6 5 2.50 1.27
1960 35 5 0 0 0 2 4 -- -- .333 264 61.0 69 5 16 0 1 38 1 0 36 35 5.16 1.39
1961 63 24 5 3 0 17 10 -- -- .630 975 241.0 202 13 63 8 9 142 5 1 69 57 2.13 1.10
1962 52 16 6 2 1 9 12 -- -- .429 819 212.1 150 14 54 4 7 133 0 0 59 54 2.28 0.96
1963 30 10 2 1 0 3 4 -- -- .429 400 101.0 82 6 21 0 4 35 2 1 42 35 3.12 1.02
1964 9 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 89 18.0 27 5 6 0 1 4 0 0 18 11 5.50 1.83
1965 45 29 9 3 5 20 4 -- -- .833 843 220.1 179 20 41 4 3 95 4 0 61 54 2.21 1.00
1966 32 26 8 2 2 11 7 -- -- .611 701 177.0 150 15 36 4 3 85 0 1 62 52 2.64 1.05
1967 33 9 0 0 0 4 8 -- -- .333 362 88.1 81 16 18 3 3 56 1 0 45 39 3.99 1.12
1968 25 3 1 1 0 5 3 -- -- .625 287 69.1 68 8 12 0 2 32 1 0 30 26 3.39 1.15
1969 13 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 90 22.2 20 5 4 0 1 10 0 0 9 9 3.52 1.06
通算:13年 352 128 31 12 8 72 53 -- -- .576 4965 1242.2 1058 109 286 23 35 649 15 3 443 381 2.76 1.08
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 23 (1957年)
  • 26 (1958年 - 1969年)
  • 80 (1970年 - 1977年、1997年 - 1998年)
  • 76 (1981年 - 1983年、1989年 - 1992年)

関連情報[編集]

著書[編集]

  • おもしろ!ザ・ジャイアンツ - ベップ出版、1984年1月発売、書籍コード:ISBN 4893513311

解説者としての出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『川上哲治元監督を悼む』日刊ゲンダイ 2013年10月31日発行 35面での中村稔本人による寄稿より。
  2. ^ 『ジャイアンツ栄光の70年』54頁
  3. ^ 『巨人軍 陰のベストナイン』137頁
  4. ^ 石塚紀久雄著、完全版 長嶋茂雄大事典、1993年、P22,PHP研究所
  5. ^ a b 『巨人軍の男たち』202ページ

参考文献[編集]

関連項目[編集]