母の日


母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日。アメリカでは以下のアン・ジャービスへの教会での追悼にさかのぼり、毎年5月の第2日曜日に祝い、日本もそれに倣っているが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは毎年5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは毎年5月の最後の日曜日に当たる。
起源[編集]
アイルランドとイギリス[編集]
「マザリングサンデイ」は移動祝日で、キリスト教暦のレント(四旬節)期間の第4日曜日(復活祭の3週間前)に祝われる。17世紀に始まったとされ、奉公中の子供が教会で母親と面会するなどの行事が行われる。
アメリカ[編集]
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]。
アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた[2]。
オーストラリア[編集]
オーストラリアでは、母の日は5月の第2日曜日に祝われる。 母の日に贈りものを贈る習慣は1924年、シドニーのLeichhardtに住むジャネット・ヘイデン(Mrs Janet Heyden)によってはじめられた[3]。
彼女はニューイントン(Newington, Victoria)の州立女性老人ホームを訪ねた際に多くの孤独で"忘れられた母"たちに出会い、その女性たちをよろこばせるために地元の学校や企業の協力をとりつけ、贈り物を贈ることにした。それから毎年、彼女は贈り物の習慣の規模を少しずつ大きくして、地元企業や市長にも協力を取り付けた。以来、母の日の贈り物の習慣は商業化されていった。
伝統的に母の日にはクリサンセマム(菊の花)を贈る習慣になってる。その理由は、ちょうど母の日の季節(オーストラリアでは秋)に花を咲かせ見頃になるため、 また、クリサンセマム(chrysanthemum, キク属)が一般的に語尾部をとって通称 "mum"(マム)と呼ばれ、ちょうど "mum"(おかあさん)とかさなるため[要出典]。 近年では、母の日に男性は(上着ジャケットの)折り襟にキクの生花を挿してピンで留めたり、菊花を模した襟章(lapel pin)をつける場合もある[要出典]。
日本[編集]

大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成された。その際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」とした[1][4]が、普及しなかった。
1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された[5]。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。
母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的である。母親が健在の場合は赤いカーネーションを贈り、母親が鬼籍に入っている場合は白いカーネーションを贈ることが一般的である。
なお、5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっている。
世界の「母の日」の日付[編集]
- 2月第2日曜日 -
ノルウェー
- ユダヤ暦 Shevat 30日(通例2月)-
イスラエル(Shevat=ユダヤ暦の第11月)
- 3月3日(上巳) -
ジョージア
- 3月8日 -
ラオス、
ボスニア・ヘルツェゴビナ、
セルビア、
スロベニア、
北マケドニア、
アルバニア、
ブルガリア、
ベトナム
- 四旬節の第4日曜日 Mothering Sunday -
イギリス、
アイルランド
- 3月21日(春分) -
バーレーン、
エジプト、
レバノン、
シリア、
パレスチナ、
ヨルダン、
クウェート、
アラブ首長国連邦、
イエメン、
オマーン、
サウジアラビア、
カタール、
リビア、
モロッコ
- 4月7日 -
アルメニア
- 5月第1日曜日 -
ハンガリー、
リトアニア、
ポルトガル、
スペイン、
ルーマニア、
南アフリカ共和国
- 5月8日 -
韓国 両親の日、
アルバニア 両親の日
- 5月第2日曜日 -
日本、
アメリカ合衆国、
オーストリア、
カナダ、
香港、
台湾、
オーストラリア、
オランダ、
ドイツ、
イタリア、
南アフリカ共和国、
シンガポール、
ニュージーランド、
ペルー、
フィリピン、
ベルギー、
ブラジル、
チリ、
コロンビア、
キューバ、
デンマーク、
エクアドル、
プエルトリコ、
スイス、
チェコ、
リヒテンシュタイン、
ウルグアイ、
中国、
ウクライナ、
マレーシア、
ボツワナ
- 5月10日 -
メキシコ、
エルサルバドル、
グアテマラ
- 5月15日 -
パラグアイ
- 5月26日 -
ポーランド
- 5月30日 -
ニカラグア
- 5月最終日曜日 -
アルジェリア、
フランス、
ハイチ、
スウェーデン、
チュニジア、
ドミニカ共和国
- 8月12日 -
タイ(シリキット王妃誕生日)
- 8月15日 -
コスタリカ
- 10月第3日曜日 -
アルゼンチン
- 11月16日 -
北朝鮮
- 11月最終日曜日 -
ロシア
- 12月22日 -
インドネシア
ヨーロッパ諸語での「母の日」の呼称[編集]
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インド・ヨーロッパ語族[編集]
ゲルマン語派[編集]
- ノルウェー語: Morsdag
- デンマーク語: Mors dag
- スウェーデン語: Mors dag(同上)
- ドイツ語: (Der) Muttertag
- オランダ語: Moederdag
- 英語: Mother's Day
ロマンス諸語[編集]
- スペイン語: Día de la Madre
- ポルトガル語: (O) Dia das Mães
- フランス語: (La) Fête des mères
- イタリア語: (La) Festa della mamma
- ルーマニア語: Ziua mamelor
スラヴ語派[編集]
- ロシア語: День матери(den' materi)
- ウクライナ語: День матері(den' materi)
- ベラルーシ語: Дзень маці(dzjen' maci)
- ブルガリア語: Ден на майката(den na maikata)
- ポーランド語: Dzień Matki
- チェコ語: Den matek
バルト語派[編集]
- リトアニア語: Motinos diena
ウラル語族[編集]
バスク語族[編集]
- バスク語: Amaren Eguna
アジア諸語での「母の日」の呼称[編集]
- 朝鮮語: 어머니날 (Eomeoninal)
- 繁体字中国語: 母親節 注音符号:ㄇㄨˇ ㄑㄧㄣ ㄐㄧㄝˊ 台湾語:白話字: Bú-chhin-chiat 台羅: Bú-tshin-tsiat
- 簡体字中国語: 母亲节 (Mǔqīnjié)
脚注[編集]
- ^ a b 新谷尚紀『12ヶ月のしきたり:知れば納得!暮らしを楽しむ』65ページ、PHP研究所、2007年、ISBN 9784569696157
- ^ 「年中行事事典」p658 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ Sources for Janet Heyden:
- “Near and Far”. The Sydney Morning Herald (1927年5月2日). 2010年10月20日閲覧。
- “A Gift for Mother”. The Sun Herald (1954年5月9日). 2010年10月20日閲覧。
- ^ 久能靖『日本の皇室』29ページ、PHP研究所、2008年、ISBN 9784569703107
- ^ 歴史雑学探偵団『発見!意外に知らない昭和史:誰かに話したくなるあの日の出来事194』64および65ページ、東京書店、2007年、ISBN 9784885740510