シリキット

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シリキット
สิริกิติ์
Queen Sirikit In Russia 2007.jpg
2007年
全名 ソムデットプラナーンチャーオ・シリキット・プラボロムラーチニーナート
出生 (1932-08-12) 1932年8月12日(85歳)
タイ王国 バンコク
配偶者 ラーマ9世
子女 ウボンラット
ワチラーロンコーン
シリントーン
チュラポーン
父親 チャンタブリースラナート (ナッカットモンコン・キティヤーコーン)
母親 MLブア・ サニットウォン
サイン Queen Sirikit Signature.svg
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タイ王室
Emblem of the House of Chakri.svg

ラーマ10世


シリキット王妃


シリキット(Sirikit:1932年8月12日 - )はタイ王国国王ラーマ9世の王妃。

駐仏陸軍大将・チャンタブリースラマート王子の娘。ラーマ9世と同じく、ラーマ5世を祖父とする。ウボンラット王女・ワチラーロンコーン現国王・シリントーン王女ら一男三女の母。

経歴[編集]

幼少期[編集]

1932年8月12日、バンコクで誕生。4歳になった1936年、クイーンズスクールの幼稚園に通った。当時、タイの政治情勢は立憲革命によって立憲君主制への移行を終えていた。しかし、世界情勢の激変に伴い、バンコクは何度か空襲を受けた。イギリスにある、グレード2から高校までのクラスがあるFrancis Xavier Convent Schoolに入学したシリキットはピアノレッスンを始めた。第二次世界大戦後の1946年、シリキットは13歳でグレード3を卒業した。

留学中のシリキットは英語とフランス語を学び、教師とのピアノレッスンも続けてきた。まもなく、父親は公務でフランスに移住し、パリにある有名な音楽学校でシリキットの勉強を続けようとしていた。

タイ王妃へ[編集]

フランス留学中のシリキットは、学業のために滞在していたプミポン国王と出会う。音楽と芸術に興味があった国王の頼みでピアノ演奏を行った。

結婚当時の夫妻(1950年)
戴冠式でのシリキット

1949年7月19日、プーミポン国王との婚約が発表された。1950年に結婚した。モムラーチャウォン・シリキット・キティヤーコーン (มรว. สิริกิติ์ กิติยากร) が以前の正式名称であったが、1954年プーミポン王が仏教界に出家して一時的に公務を除いたので摂政となり、ソムデットプラナーンチャーオ・シリキット・プラボロムラーチニーナート (Th-Queen Sirikit.ogg สมเด็จพระนางเจ้า สิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ[ヘルプ/ファイル]) が正式名称となった。今でもその呼称が正式名称として使われている。

なお一部日本語メディアに使われる「シリキ」という表記は原語の สิริกิติ์ติ์ の文字に無音化記号が使われているためであるが、この場合は発音するので「シリキット」の表記が正しい。

〈歴代の呼称〉

  • シリキット・キティヤコーン
    (1932年8月12日〜1950年4月28日)
  • シリキット妃
    (1950年4月28日〜1950年5月5日)
  • シリキット王妃
    (1950年5月5日〜1956年12月5日)
  • シリキット(摂政)王妃
    (1956年12月5日〜2016年10月13日)
  • シリキット王太后
    (2016年10月13日〜現在)

1954年以来タイ赤十字の総裁も務める。

誕生日である8月12日は国内で祝日に指定されており、また、タイにおける「母の日」でもある。

日本とも関係が深く、1963年5月にプミポン国王と共に日本を公式訪問した。この訪問とは別に、1981年5月と1993年4月、1997年9月に日本を非公式訪問している。

また、2011年の東日本大地震のときには国王とともに2600万円の寄付をした。王妃の孫にあたるプム・ジェンセンは、2004年のスマトラ島沖地震で亡くなっており、その際、日本が復興支援に力を尽くした恩返しという意味合いのもとで寄付した。

以下の記念紙幣で肖像が使用されている。

  • 1992年 - 1000バーツ(生誕60周年)
  • 2000年 - 50バーツ・50万バーツ(結婚50周年)
  • 2004年 - 100バーツ(生誕72周年)
  • 2012年 - 80バーツ(生誕80周年)
  • 2016年 - 500バーツ(生誕84周年)

王妃の健康状態について[編集]

  • 近年は入院状態が続いており、国民の前に姿を見せる事はほとんどない。

2012年に入り体調を崩すようになり、同年7月21日の夜明け、王妃が宮殿内で運動していたところ、急に体調が悪くなりシリラート病院で検査を受けた。医師から虚血性脳卒中を起こしていると宣告され、今後の公務をやめるよう指示がでた。3週間後の王妃80歳の誕生日式典には姿を現さなかった。また、同年12月5日のプミポン国王85才の誕生日に王室全員が国王を囲んで宮殿からのバルコニーに姿を見せた際、王妃の姿はなかった。その時点で王妃は認知症も発症しており、公の場への露出を控えたと指摘されている。

  • 2013年2月13日、王妃の健康状態が国民に公表され、「王妃は体調を崩し、病院で治療を受けており、公務に復帰するまでまだ時間がかかる」と声明が出された。
  • 2014年には白内障の手術を受けた。
  • 2015年5月からバンコクのタイ国立シリラート病院に入院した。その後プミポン国王と共に退院した際、王妃が通る道は人で埋め尽くされた。久しぶりに国民に姿を見せたが、明らかに王妃は、健康状態が悪い事を国民の目に触れた[1][2]

2016年4月16日、熊本地震が起きた際、国王と王妃は天皇陛下宛てに「陛下と日本の人々に心からお悔やみを申し上げたい」と記した書簡を送った。

  • 2016年7月、王妃は肺炎と血液感染でバンコクの国立チュラロンコン病院に搬送され、治療を受けた[2]
  • 2016年10月13日、プミポン国王が死去。認知症が進んでいる王妃には国王が亡くなった事も認知できてないと言う。

今上天皇はプミポン国王崩御に対して、シリキット王妃とタイ政府に弔電を送った。

2016年11月29日、王室当局は肺炎で入院していた王妃が退院し、宮殿に戻ったと発表された。

2017年3月、今上天皇は、ベトナム訪問の帰途、タイに立ち寄り、プミポン国王の遺体安置所を訪問した。このとき、シリキット王妃とは、対面していない。

85歳の誕生日を迎えた2017年8月12日に公開された写真には、白髪で、かなりの高齢になった現在の王妃の姿が写っていた[3]

2017年10月26日から行われたプミポン国王の葬儀には出席していない。

  • タイでは不敬罪があり、王妃が認知症になった事は厳密に伏せられている。王室は国民に、体調不良という事で理解を求めている。

注釈[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ a b タイ首相府で王妃誕生日祝賀レセプション、2王女臨席 Necos ( Thailand ) Co., Ltd. 2016年8月10日
  3. ^ [2]

関連項目[編集]

先代:
ラムパイパンニー
タイの后妃
1950年 - 2016年
次代:
(空位)