チャクリー王朝

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チャクリー王朝
ราชวงศ์จักรี

Emblem of the House of Chakri.svg


พระบรมมหาราชวังในยามค่ำคืน.jpg
バンコクの王宮
タイ王国の旗 タイ
主家 アユタヤ王朝
当主称号 タイの国王
当主敬称 陛下
創設 1782年4月6日
家祖 ラーマ1世(初代)
現当主 ラーマ10世(第10代)
民族 タイ人
分家 131家
タイ王室
Emblem of the House of Chakri.svg

ラーマ10世国王
スティダー王妃
シニーナ貴妃



チャクリー王朝(チャクリーおうちょう)は、1782年タイ仏暦2325年)、乱心をきたしたタークシン王を処刑したラーマ1世によって起こされたタイの現・王朝首都バンコクにあるためバンコク王朝、あるいは、王宮が運河とチャオプラヤー川に囲まれたラッタナーコーシン島にあることからラッタナーコーシン王朝ラタナコーシン王朝とも表記される)という別名がある。2020年現在まで続く王朝で、現在のラーマ10世を含めて、10代の歴王が名を連ねる。チャクリーとは、ラーマ1世の高貴な称号である。

歴史[編集]

トンブリー王朝アユタヤ王朝を占領したコンバウン朝に取って代わりタイを掌握すると各地に軍閥のような勢力が力を付けてきた。マハー・カサットスック公爵(後のラーマ1世)もそのような中の一人であった。トンブリー王・タークシンはその圧倒的なカリスマ性と軍事力で何とかタイ全国を維持していた。しかし、タークシン王は晩年、精神に異常をきたし、そのカリスマ性にかげりが見え始める。その中で、官吏のサン伯爵がタークシン王を寺に幽閉し、自分が摂政に就任。これはマハー・カサットスック公爵がカンボジアの遠征の途上であった。サンカブリー伯爵はついで王位をもねらったが、急報を受けて帰還したマハー・カサットスック公爵によって摂政から降ろされた。

チャクリー王朝のエンブレム。 スダルシャナヴィシュヌの力の象徴である円盤状の武器・チャクラム)の中にあるトリシューラシヴァが持つ三叉戟

ラーマ1世トンブリー王朝下でも破格の出世を遂げ、タイ史を通して滅多に与えられることのなかった公爵の位を受けた。そのカリスマ性はタークシンに負けず劣らずで、サンカブリー伯爵による反乱軍を制した後、官吏らに推挙され王位に就いたとされる。ここにチャクリー王朝は成立した。

この王朝の体制は絶対王政であるとされるが、実際に「王の威光」が及んでいる地域バンコクとその周辺地域のみであった。地方政治は中央に忠誠を誓う地方豪族・あるいは中央の派遣知事任ぜられ、その行政は実質野放し状態であった。

ラーマ2世ラーマ3世は詩人であり、ラーマ4世(モンクット王)は仏教改革者あるいは西洋に門戸を開いたという功績がある。この時代、王1人が何10人ものを持ち、何10人もの子供を持っていたため、王族の数が多くなり、権力は分散してしまった。中央政府では王侯貴族の権力が強大で、戦時中以外は王の権力が一般に弱かった。王の特権は文化の中心であることだけだった。特にこの時代、ブンナーク家が王族との婚姻により大きな力を付け、本来王が行うはずの王の承認まで口出しするようになった。

ラーマ5世(チュラーロンコーン大王)は王の力を強めるため、チャクリー改革を行った。この改革は近代政策をとった。西洋を手本に国内の交通通信を整え、中央政権支配の基礎を整えた。この時代、ラオスカンボジアと南部の一部をそれぞれフランスイギリス植民地となった。残った領土を死守するため、タイを中央集権国家にすることを決め、各地の王を廃止し、各県を中央政府の支配下に置いた。一方、中央にはびこっていたブンナーク家奴隷解放などの政策により財力を失い、官僚制導入によって、ほぼ行政的な意味での支配力を失った。ラーマ5世は自ら王 = 文武官吏の長となって、ほぼ完全な貴族政治から離れた絶対王政を実現した。

ラーマ6世(ワチラーウット王)に至っては父王の作った絶対王権によりやりたい放題だった。チャクリー王朝史上初めての留学生であった。愛国精神を強調し、財政の続く限りスアパー団(青年自警団)などの愛国主義に満ちた無意味な浪費を続けたため、そのうち官僚の不信感が高まった。ラーマ5世の代まで王室中国の姓「鄭」を自称し、華人を優遇したため、華人が暴利を貪っていた。これに対し、ラーマ6世はこの華人優遇政策を一転、論文「東洋ユダヤ人」を著し、華人の批判を行った。一方で華人のタイへの同化を計り、属地主義を導入した。

ラーマ7世(プラチャーティポック王)も留学により、より新しい西洋教育を受けていた。このため、ラーマ5世、6世が「民主主義はタイの風土に合わない」と述べていたのと違い、民主主義には元来積極的であった。治世中にはラーマ6世の財政浪費が祟り、官僚の大幅リストラ(合理化)を行ったが、ラーマ6世時代から集積する官僚の鬱憤が次第に高まっていった。そのため、憲法を設置し本格的な民主主義を設置しようと、憲法を公募し、その草案に加筆した上で発表しようとしたが、発表直前に残存していた王族勢力の猛反対に遭い、憲法布告をあきらめた。これを見た官僚勢力は猛烈に怒り、官僚のプラディットマヌータム男爵は陸軍勢力の陸軍大佐パホンポンパユハセーナー伯爵、 陸軍少佐ピブーンソンクラーム男爵と共同で立憲革命を起こした。これにより、チャックリー王朝の絶対王政は崩壊した。

その後のチャクリー王朝の王は単なる傀儡として扱われた。ラーマ8世時にはその権威は完全に失墜し、戦時中には、日本友好象徴として祭り上げられた。その後ラーマ8世は戦後、謎の変死を遂げることとなった[1]

後継のラーマ9世には憲法の枠内での立憲君主として大きく国家元首としての地位の回復をした。即位してから20年続いた摂政時代には特に目立った行動はなかったものの、暗黒の5月事件1992年クーデター)の時には、当事者のスチンダー・クラープラユーンチャムロン・シームアンの調停役を行った。このときの様子はテレビで放映され、当事者2人が国王の前に泣きながらひざまずいている姿は、国民に「タイ国王ここにあり」と見せしめ、一部では政治介入に危惧する声はあるものの、国王の評価が非常に上がり国民に尊敬されるチャクリー史上初めての国王らしい王となった。[要出典]

2016年10月13日のラーマ9世崩御後、1ヶ月半ほどの空位を経て、12月1日にラーマ10世が即位した。 2020年代に入ると学生らの間に、それまでタブー視されてきた王室批判や王室改革を求めるデモ活動が見られるようになった[2]

歴代王[編集]

肖像 国王 在位の開始 戴冠式 在位の終了
1 Buddha Yodfa Chulaloke portrait.jpg プッタヨートファーチュラーローク
大王
(ラーマ1世)
1782年4月6日 1782年6月10日
(1回目)
1785年
(2回目)
1809年9月7日
(27年)
2 Buddha Loetla Nabhalai portrait.jpg プッタルートラーナパーライ
(ラーマ2世)
1809年9月7日 1809年9月17日 1824年7月21日
(14年)
3 Nangklao portrait.jpg チェーサダーボーディン
(ラーマ3世)
1824年7月21日 1824年8月1日 1851年4月2日
(26年)
4
Rama4 portrait (cropped).jpg
モンクット
大王
(ラーマ4世)
1851年4月2日 1851年5月15日 1868年10月1日
(17年)
5
King Chulalongkorn.jpg
チュラーロンコーン
大王
(ラーマ5世)
1868年10月1日 1868年11月11日
(1回目)
1873年11月16日
(2回目)
1910年10月23日
(42年)
6
King Vajiravudh.jpg
ワチラーウット
(ラーマ6世)
1910年10月23日 1910年11月11日
(1回目)
1911年11月28日
(2回目)
1925年11月26日
(15年)
7
Prajadhipok portrait.jpg
プラチャーティポック
(ラーマ7世)
1925年11月26日 1926年2月25日 1935年3月2日
(9年)
8 アーナンタマヒドン
(ラーマ8世)
1935年3月2日 1946年6月9日
(11年)
9
Portrait of King Bhumibol Adulyadej in Thai Government House.jpg
プーミポン・アドゥンヤデート
大王
(ラーマ9世)
1946年6月9日 1950年5月5日 2016年10月13日
(70年)
10
King Rama X official.png
ワチラーロンコーン
(ラーマ10世)
2016年10月13日
(5年)
2019年5月4日

副王[編集]

チャクリー王朝には他のインドシナの上座部仏教国同様、副王(ウパラージャ英語版)の制度があった。以下にチャクリー王朝期における副王を挙げる。副王から国王になったのはラーマ2世ただ一人で、副王の周りには反国王派などのたまり場となることが多く弊害が多かった(たとえば、ワンナー事件タイ語版など)。そのためラーマ5世時を最後に任命されなくなった。同時に、西洋を真似て摂政王太子制度が導入された。

副王[編集]

肖像 副王 在位期間
1 Maha Sura Singhanat.jpg スラシンハナート英語版 1782年 1803年11月3日
2 King Buddha Loetla Nabhalai.jpg イッサラスントーン 1806年 1809年9月7日
3 Emblem of the House of Chakri.svg セーナーヌラック英語版 1809年9月7日 1817年7月16日
4
วัดไพชยนต์พลเสพย์ราชวรวิหาร อ.พระประแดง จ.สมุทรปราการ (17).jpg
サックディポンセープ英語版 1824年7月21日 1832年5月1日
5
King Pinklao.jpg
ピンクラオ英語版 1851年5月25日 1866年1月7日
6
Wichaichan.jpg
ウィチャイチャーン 1868年10月2日 1885年8月28日

副王代理[編集]

肖像 副王代理 在位期間
1 Anurak Devesh.jpg アヌラックテーウェート英語版 1785年 1806年12月20日

王太子[編集]

肖像 王太子 在位期間
1 Maha Vajirunhis.jpg ワチルンナヒット英語版 1886年1月14日 1894年1月4日
2 King Vajiravudh (Rama VI) of Siam.jpg ワチラーウット 1894年1月20日 1910年10月23日
3 King Rama X official (crop).png ワチラーロンコーン 1972年12月28日 2016年10月13日

摂政[編集]

肖像 摂政 在位期間 注意
チュラーロンコーン国王 (ラーマ5世)
シースリヤウォン シースリヤウォン公爵英語版 1868年10月1日 1873年11月16日 国王成人するまで王務を代理
サオワパーポーンシー サオワパーポーンシー王妃 1897年4月7日 1897年12月16日 国王の第1ヨーロッパ視察中に王務を代理
ラーマ6世 ワチラーウット王太子 1907年3月27日 1907年11月17日 国王の第2ヨーロッパ視察中に王務を代理
ワチラーウット国王 (ラーマ6世)
ラーマ7世 スコータイ公
プラチャーティポック
サックディデート王子
1925年 1925年11月25日 国王の病気の間に任命された摂政
プラチャーティポック国王 (ラーマ7世)
ボリパット ナコーンサワン公
ボリパットスクッムパン王子英語版
1932年4月9日 1932年5月8日 国王の夏休み期間中は摂政に任命された
ナリッサラー ナリッサラーヌワッティウォン公
ジットジャラン王子
1934年1月12日 1935年3月2日 国王不在時の王務代理
アーナンタマヒドン国王 (ラーマ8世)
オスカルヌティット アヌワットチャートゥロン公
オスカルヌティット王子タイ語版
1935年3月2日 1935年8月12日 第1代主席の摂政、定位置で死去
アーティットティッパアーパー アーティットティッパアーパー王子英語版 1944年7月31日 第2代主席の摂政、辞任
ヨムマラート ヨムマラート侯爵タイ語版 1938年12月30日 定位置で死去
サイアムの摂政の旗 ウィッチャイェーンヨーティン侯爵タイ語版 1935年8月21日 1942年7月21日 定位置で死去
プリーディー プラディットマヌータム男爵 1941年12月16日 1945年12月20日 1945年に国王が帰還した唯一の摂政
プーミポン・アドゥンヤデート国王 (ラーマ9世)
タイの摂政の旗 スターマウィニトチャイ子爵タイ語版 1947年6月9日 1946年6月16日 演技摂政
タイの摂政の旗 ノンラーチャスワット伯爵タイ語版
タイの摂政の旗 サグアン・チュータテーミータイ語版
ランシット チャイナート公
ランシットプラユーラサック王子英語版
1946年6月16日 1947年11月7日 国王が彼の研究に戻ることにしたとき、二人の摂政評議会を任命
マーナワラーチャセーウィー マーナワラーチャセーウィー伯爵タイ語版
タイの枢密院バッジ 枢密院 1947年11月9日 1949年6月23日 1. チャイナート公ランシットプラユーラサック王子
2. ピッタヤラープルティヤーゴン公ターニーニワット王子
3. アディゾーンウドムサッグ公アロンゴット王子
4. マーナワラーチャセーウィー伯爵
5. アドゥンデートチャラット男爵
からなる
ランシット チャイナート公
ランシットプラユーラサック王子英語版
1949年6月23日 1950年3月24日 国王が戴冠式のために タイに戻ったときに摂政は終わった
1950年6月5日 1951年3月17日 国王が彼の研究に戻ることにしたとき、 定位置で死去
ターニーニワット ピッタヤラープルティヤーゴン公
ターニーニワット王子英語版
1951年3月12日 1952年12月19日 摂政は国王がタイに永住帰国 した後に終了
シリキット王妃 1956年10月22日 1956年11月5日 国王は修道士として定められた
シーナカリン シーナカリン王太后 1959年12月18日 1959年12月21日 国王と王妃によるベトナム共和国への州訪問
1960年2月9日 1960年2月16日 国王と王妃によるインドネシア共和国への州訪問
1960年3月2日 1960年3月5日 国王と王妃によるビルマ連邦への州訪問
1960年6月14日 1960年11月8日 国王と王妃によるアメリカ合衆国ヨーロッパ諸国への州訪問
1962年3月11日 1962年3月22日 国王と王妃によるパキスタン・イスラム共和国への州訪問
1962年6月20日 1962年6月27日 国王と王妃によるマラヤ連邦への州訪問
1962年8月17日 1962年9月13日 国王と王妃によるニュージーランドオーストラリア連邦への州訪問
ターニーニワット ピッタヤラープルティヤーゴン公
ターニーニワット王子英語版
1963年5月27日 1963年6月8日 国王と王妃による日本国中華民国への州訪問
1963年7月9日 1963年7月14日 国王と王妃によるフィリピン共和国への州訪問
シーナカリン シーナカリン王太后 1964年9月12日 1964年10月6日 国王と王妃によるコンスタンティン2世アンナ=マリア王女の結婚の際にギリシャ王国を訪問とオーストリア共和国への州訪問
1966年7月15日 1966年9月1日 国王と王妃による グレートブリテン及び北アイルランド連合王国への州訪問
1967年4月23日 1967年4月30日 国王と王妃によるイラン帝国への州訪問
1967年6月6日 1967年6月24日 国王と王妃によるアメリカ合衆国カナダへの州訪問
ワチラーロンコーン国王 (ラーマ10世)
プレーム プレーム・ティンスーラーノン大将 2016年10月13日 2016年12月1日 2016年10月13日ラーマ9世崩御したことに伴い、ワチラーロンコーン王太子が王位を継承するまでの間、憲法の規定に従って枢密院議長であるプレームが暫定摂政として国王の職務を一時的に代行した。その後、ワチラーロンコーン王太子が12月1日に「ラーマ10世」として即位の宣誓をしたため、暫定摂政を退任した。

王室の財産[編集]

王位継承順位 (2016年10月13日)
順位 継承資格者 タイ 爵位 分家 性別 生年月日/現年齢 現国王から見た続柄
1位 Dipangkorn Rasmijoti 2019.jpg ティパンコーンラッサミチョト ทีปังกรรัศมีโชติ マヒドン 男性 2005年4月29日 16歳 親等1/第7子(第1王子)
2位 Princess Bajrakitiyabha.jpg パッチャラキッティヤパー พัชรกิติยาภา ラーチャサリニーシリパット女公 マヒドン 女性 1978年12月7日 42歳 親等1/第1子(第1王女)
3位 Princess Sirivannavari Nariratana.jpg シリワンナワーリー สิริวัณณวรี マヒドン 女性 1978年12月7日 34歳 親等1/第6子(第2王女)
4位 2019-06-11 Maha Chakri Sirindhorn.jpg シリントーン สิรินธร テープラッタナラーチャスダー女公 マヒドン 女性 1955年4月2日 66歳 親等2/王妹/ラーマ9世第3子
5位 Princess Chulabhorn 2010-12-7 cropped1.jpg チュラポーン จุฬาภรณวลัยลักษณ์ スリーサワーンカワット女公 マヒドン 女性 1957年7月4日 64歳 親等2/王妹/ラーマ9世第4子

分家[編集]

太上王家[編集]

トンディー太上王
タイ 家祖
1 ナリンタラーングン นรินทรางกูร トンチーン王子
ナリンロンナレート公
2 テープハッサディン เทพหัสดิน ターン王子
テープハリラック公
3 モントリーグン มนตรีกุล チュイ王子
ピタックモントリー公
4 イサラーングン อิศรางกูร ゲート王子
イサラーヌラック公
5 ナリンタラグン นรินทรกุล グ王女
ナリンタラテーウィー女公
6 チェーサダーングン เจษฎางกูร ラー王子
チャクチェサダー公

国王家[編集]

ラーマ1世国王
タイ 家祖
1 インタラーングン อินทรางกูร タップティッム王子
インタラピピット公
2 タップパグン ทัพพะกุล タップ王子
チットパックディー公
3 スリヤグン สุริยกุล スリヤー王子
ラームイサレット公
4 チャタグン ฉัตรกุล チャト王子
スリンタララック公
5 プンブン พึ่งบุญ ガイソーン様
6 ダーラーゴン ดารากร ダーラーゴン王子
スリーステップ公
7 ドゥアンチャク ดวงจักร ドゥアンチャク王子
ナロンハリラック公
8 スタット สุทัศน์ スタット王子
ガイソーンウィシット公
ラーマ2世国王
タイ 家祖
1 マーラーグン มาลากุล マハーマーラー王子
バムラープポラパック公
2 アーポーングン อาภรณ์กุล アーポーン王子
3 グルアイマイ กล้วยไม้ グルアイマイ王子
スントーンティボディー公
4 グスマー กุสุมา グスマー王子
セッブスントーン公
5 デーチャーティウォン เดชาติวงศ์ マン王子
デーチャーディソーン公
6 ハノムワン พนมวัน ハノムワン王子
ピピットポックプーベン公
7 グンチョン กุญชร グンチョン王子
ピタックテーウェト公
8 レーヌナン เรณุนันทน์ れーヌー王子
9 ニヤミット นิยมิศร ニアム王子
10 ティンナゴン ทินกร ティンナゴン王子
プワネットナリンタラリット公
11 パイトゥン ไพฑูรย์ パイトゥン王子
サニットナレーン公
12 マハーグン มหากุล トー王子
マヒッサワリンタラーマレート公
13 ワッチャリーウォン วัชรีวงศ์ ガラーン王子
テーウェトワッチャリン公
14 チュムセーン ชุมแสง チュムセーン王子
サップパシンプリーチャー公
15 サニットウォン สนิทวงศ์ ヌウム王子
ウォンサーティラートサニット公
16 モラゴット มรกฏ モラゴット王子
サティトサターポン公
17 ニンララット นิลรัตน์ ニンララット王子
アロンゴットキットプリーチャー公
18 アルンウォン อรุณวงศ์ アルンウォン王子
ウォーラサックダーピサーン公
19 ガピットター กปิตถา ガピットター王子
プバンボーリーラック公
20 プラーモート ปราโมช プラーモート王子
ウォーラチャクタラーヌパップ公
ラーマ3世国王
タイ 家祖
1 シリウォン ศิริวงศ์ シリウォン王子
マタヤーピタック公
2 ゴーメン โกเมน ゴーメン王子
チェターティベン公
3 カネーチョン คเนจร ゴーメン王子
アマレンタラバディン公
4 ゴンロット งอนรถ ゴンロット王子
5 ラダーワン ลดาวัลย์ ラダーワン王子
プミンタラパックディー公
6 チュムサーイ ชุมสาย チュムサーイ王子
ラッチャシハウィグロッム公
7 ピヤーゴン ปิยากร ピアック王子
8 ウライポン อุไรพงศ์ ウライ王子
アトゥンラヤラックサナソッムバット公
9 アンノップ อรรณพ アンノップ王子
ウドッムラッタナラースリー公
10 ラムヨーン ลำยอง ラムヨーン王子
11 スバン สุบรรณ スバン王子
プワナイナルベンタラピバーン公
12 シンハラー สิงหรา シンハラー王子
ボディンタラハイサーンソーポン公
13 チョムプーネット ชมพูนุช チョムプーネット王子
チャルンポンプンサワット公
ラーマ4世国王
タイ 家祖
1 チャガパン จักรพันธุ์ チャートゥロンラッサミー王子
チャガパットディポン公
2 パーヌパン ภาณุพันธุ์ パヌランスリーサワーンウォン王子
パヌパントゥウォンウォラデット公
3 チトラポン จิตรพงศ์ ジットジャラン王子
ナリッサラーヌワッティウォン公
4 ノッパウォン นพวงศ์ ノッパウォン王子
マへスワンシワウィラート公
5 スプラディト สุประดิษฐ์ スプラディト王子
ウィサヌナートニパトン公
6 キサダーゴン กฤดากร キサダーピニハーン王子
ナレートウォラリット公
7 カッカナーン คัคณางค์ カッカナーンカユコン王子
ピチットプリーチャーゴン公
8 スックサワット ศุขสวัสดิ スックサワットディー王子
アディソーンウドッムデート公
9 タウィーウォン ทวีวงศ์ タウィータワンヤラップ王子
プタレートタムロンサック公
10 トンヤイ ทองใหญ่ トンゴンゴーンヤイ王子
プラチャクシンラパーゴッム公
11 ガセームサン เกษมสันต์ ガセームサンソーパーク王子
ポッムワラヌラック公
12 ガマラート กมลาศน์ ガマラートルーサン王子
ラチャサックサモソン公
13 ガセームスリー เกษมศรี ガセームスリースパヨック王子
ティワゴンウォンプラワット公
14 スリータワット ศรีธวัช スリーシットティトンチャイ王子
シリタットチャサンガート公
15 トンテーム ทองแถม トンテームタワンヤウォン王子
サッパサートスパキット公
16 チュムポン ชุมพล チュムポンソッムポート王子
サッパシットティプラソン公
17 テーワグン เทวกุล テーワンウタイウォン王子
テーワウォンワローパガーン公
18 サワットディグン สวัสดิกุล サワットディプラワット王子
ソマタアモンパン公
19 チャンタラタット จันทรทัต チャンタラタットチュターターン王子
ウィウィトワンナプリーチャー公
20 チャヤーングン ชยางกูร チャイヤーヌシット王子
ポンサーディソンマヒッブ公
21 ウォラワン วรวรรณ ワラワナーコーン王子
ナラーティッププラパンポン公
22 ディサグン ดิศกุล ディッサワラグマーン王子
ダムロンラーチャーヌパープ公
23 ソーパーン โสภางค์ スリーサオワパーン王子
24 ソーナグン โสณกุล ソーナバンディト王子
ピタヤラーブプルティタダー公
25 ワッタナウォン วัฒนวงศ์ ワッタナーヌウォン王子
マルポンシリパット公
26 サワットディワット สวัสดิวัตน์ サワットディソーポン王子
サワットディワッダナウィシット公
27 チャイヤン ไชยันต์ チャイヤンタモンコン王子
マヒソーンラチャハルタイ公
ラーマ5世国王
タイ 家祖
1 キティヤーゴン กิติยากร キティヤーゴンウォララック王子
チャンタブリー公
2 ラピーパット รพีพัฒน์ ラピーパッタナサック王子
ラーチャブリー公
3 プラウィト ประวิตร プラウィトワッタノドッム王子
プラーチーン公
4 チラプラワット จิรประวัติ チラプラワットウォラデート王子
ナコーンチャイシー公
5 アーパーゴン อาภากร アーパーゴンキアッティウォン王子
チュムポーン公
6 ボリパット บริพัตร ボリパットスクッムパン王子
ナコーンサワン公
7 チャトチャイ ฉัตรชัย ブラチャトチャイヤーゴン王子
カムペーンペット公
7.1 ブラチャト บุรฉัตร プレームブラチャト王子
8 ペンパット เพ็ญพัฒน์ ペンパッタナポン王子
ピチャイ公
9 チャカポン จักรพงษ์ チャカポンプーワナート王子
ピッサヌローク公
10 ユコン ยุคล ユコンティカッムポン王子
ロッブリー公
11 ウティチャイ วุฒิชัย ウティチャイチャルムラープ王子
シンハ公
12 スリヨン สุริยง スリヨンプラユラポン王子
チャイヤー公
13 ランシット รังสิต ランシットプラユーラサック王子
チャイナート公
14 マヒドン มหิดล マヒドンアドゥンラデート太上王
15 チュタートゥト จุฑาธุช チュタートゥトタラディロック王子
ペッチャブーン公
ラーマ7世国王
タイ 家祖
1 サックディデート・パヌパン ศักดิเดช ภาณุพันธุ์ チラサックスプラパート王子
ラーマ9世国王
タイ 家祖
1 ウィワッチャラウォン วิวัชรวงศ์ ワチラーロンコーン国王
1.1 ワチラーロンコーン วชิราลงกรณ์ ワチラーロンコーン国王

副王家[編集]

スラシンハナート副王
タイ 家祖
1 アスニー อสุนี アスニー王子
セーニーテップ公
2 サンカタット สังขทัต サンカタット王子
ナラヌシット公
3 パッタマシン ปัทมสิงห์ ブアン王子
4 ニーラシン นีรสิงห์ ネン王子
セーナーヌラック副王
タイ 家祖
1 イサラセーナー อิศรเสนา ポンイサレート王子
ガサットスリーサックディデート公
2 バンヨンガセーナー บรรยงกะเสนา プラヨン王子
ティべートボウォン公
3 パヤックカセーナー พยัคฆเสนา スアン王子
4 プッマリン ภุมรินทร プッマリン王子
5 ランシセーナー รังสิเสนา ヤイ王子
6 サハーウット สหาวุธ チュムセーン王子
7 ユカントーン ยุคันธร ユカントーン王子
アナンタカーンリット公
8 シーサン สีสังข์ シーサン王子
9 ラチャニーゴン รัชนีกร ラチャニーゴン王子
10 ローンソン รองทรง ローンソン王子
シットティスクッムガーン公
サックディポンセープ副王
タイ 家祖
1 アヌチャサック อนุชศักดิ์ ヌット王子
2 ガムプー กำภู ガムプー王子
3 ゲーサラー เกสรา ゲーサラー王子
アーヌパープピサーンサック公
4 イサラサック อิศรศักดิ์ イサラーポン王子
5 ナンティサック นันทิศักดิ์ ルアンカノーン王子
ピンクラオ二王
タイ 家祖
1 ナワラット นวรัตน ナオワラット王子
サティトタムロンサワット公
2 スターロッス สุธารส スターロッス王子
3 トーサニー โตษะณีย์ トーシニー王子
4 ウォララット วรรัตน์ ウォララット王子
ピサーンボウォンサック公
5 パーヌマート ภาณุมาศ パーヌマート王子
6 ハッサディン หัสดินทร์ ハッサディン王子
ボリラックナリンタラリット公
7 ナンタワン นันทวัน ナンタワン王子
8 ユコンタラーノン ยุคนธรานนท์ ユコントーン王子
9 チャルンロート จรูญโรจน์ チャルンロートルアンスリー王子
チャラッスポーンパティパーン公
10 プロムメート พรหมเมศ プロムメート王子
11 サーイサナン สายสนั่น サーイサナン王子
ウィチャイチャーン副王
タイ 家祖
1 ウィライウォン วิไลยวงศ์ ウィライウォラウィラース王子
2 ガーンチャナウィチャイ กาญจนวิชัย ガーンチャノパースラッサミー王子
チャンチャイボウォンヨット公
3 ラッチャニー รัชนี ラッチャニーチェムチャラット王子
ピッタヤーロンゴン公
4 ガンラヤーナウォン กัลยาณวงศ์ ガンラヤーナプラワット王子
ガウィスポットプリーチャー公
5 スタッサニー สุทัศนีย์ スタッサナニパトーン王子
6 ウォラウット วรวุฒิ ウォラウットアーポーン王子
7 ルットチャウィチャイ รุจจวิชัย ルチャーウォラチャウィー王子
8 ウィスットティ วิสุทธิ ボウォンウィスット王子

副王代理家[編集]

アヌラックテーウェート副王代理
タイ 家祖
1 パーラガウォン ปาลกะวงศ์ パーン王子
ナラテーウェート公
2 セーニーウォン เสนีย์วงศ์ デーン王子
セーニーボリラック公

王朝旗[編集]

王室旗[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ これに関して、あくまでも暗殺説を唱える人は、日本との友好的な印象が敗戦後にはマイナスに作用したため殺されたと主張する人もいる(この記述はタイでは違法
  2. ^ 王室との闘いは「最悪の事態に備えよ」 不敬罪で逮捕された活動家ら タイ”. AFP (2020年10月6日). 2020年11月14日閲覧。

参考文献[編集]

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関連項目[編集]