カタール
- カタール国
- دولة قطر
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(国旗) 国章 - 国の標語:なし
- 国歌:平和への賛歌
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公用語 アラビア語 首都 ドーハ 最大の都市 ドーハ - 政府
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首長 タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー 首相 ハーリド・ビン・ハリーファ・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サーニー - 面積
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総計 11,427km2(164位) 水面積率 不明 - 人口
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総計(2022年) 2,508,182人(143位)[1] 人口密度 219.5人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 5294億3900万[2]カタール・リヤル (QR) - GDP(MER)
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合計(2020年) 1454億5000万[2]ドル(55位) 1人あたり 5万4184.966[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 2593億2600万[2]ドル(50位) 1人あたり 9万6607.483[2]ドル
独立
- 日付イギリスより 1971年9月3日 通貨 カタール・リヤル (QR)(QAR) 時間帯 UTC+3 (DST:なし) ISO 3166-1 QA / QAT ccTLD .qa 国際電話番号 974
カタール国(カタールこく,アラビア語: دولة قطر,[ˈqɑtˤɑr])、通称カタールは、中東・西アジアに位置する立憲君主制国家。首長はサーニー家。首都はドーハ[3]。アラビア半島東部のカタール半島のほぼ全域を領土とする半島の国で、面積は日本の秋田県と同程度の1万1,427km2。周囲をペルシア湾に面する。南はサウジアラビアと国境を接し、ペルシャ湾を挟んで北西はバーレーンに、北はイランに、東はアラブ首長国連邦(UAE)に向かい合う。国土の全域が砂漠気候にあり、年間降水量は約100ミリ。
1971年にイギリスの保護下から独立。1940年に発見された油田によって潤沢な資金を得て、労働力として外国人を移民させることにより、20世紀後半以降近代的に発展を遂げた。2019年現在も石油や天然ガスの関連産業が国内総生産の6割強を占める。人口は約285万人(2019年現在)であるが、このうちカタール人は1割強で、残り9割弱が南アジアや東南アジアからなどの外国人労働者である。男性労働者が大量に流入しているため、住民のうち4分の3が男性となっている。公用語はアラビア語であるが、アラビア語圏外からのディアスポラが多いことから共通語として英語が広く使われている[4]。
イスラム教を国教としており、外国人労働者含めムスリムが住民の多数派となっている。カタール人のうち約9割がスンナ派に属し、約1割がシーア派に属している。
国名[編集]
正式名称はアラビア語で دولة قطر (Dawlat Qaṭar ダウラトゥ・カタル) といい、通常は قطر (Qaṭar カタル) と称する。qatura (カトゥラ=「噴出する」)に由来する。
英語での公式国名は State of Qatar、通称 Qatar (英語発音: [ˈkɑːtɑːr] カーター、[ˈkætɑː] キャター)。世界の国と地域の中で、唯一“Q”で始まる英語国名である。国民・形容詞は Qatari。
日本語では「カタール国」「カタール」「カタル」と書かれる。漢字表記は華太瑠.
歴史[編集]
カタールでは、紀元前3000年から紀元前2000年ごろの遺物が見つかっている。また、ペルシア湾での真珠採取の産地として古代から知られてきた。
- オスマン帝国の進出
1825年にカタール王家サーニー家(Āl-Thānī)の創始者サーニー・ビン・ムハンマドがビダウ(البدع al-Bida‘、現在のドーハ)を治めるカタールのハーキムに選ばれた。バーレーンのハリーファ家(Āl-Khalīfa)が1868年まで北カタールを治めていた。その年、カタール貴族の依頼によりイギリスの仲介でバーレーンの主張を取り下げさせたが、オスマン帝国がカタールを占領した。
- 帝国の撤退と英国の支配
第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国が撤退したあとはイギリスの実効支配の下、3代目カタール首長(アミール)・アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーをシェイクとした自治権を認めた。イギリスとカタール間の1916年の条約は、イギリスとその他のペルシャ湾諸国の条約と同じく、イギリスの承認なく自国領の変更は認めず、諸外国との外交関係も一切認めないというものだった。その代わりイギリスは海上からの侵攻に対しては保護を与え、陸上からの攻撃に対しては支援を与えるという内容だった。
1934年の条約はさらにイギリスからの保護を強化したものだった。赤線協定に基づいてアングロ・イラニアン石油会社(AIOC)からイラク石油会社(IPC)に石油利権が譲渡されると、1935年に英蘭仏米の共同国益会社「Petroleum Development (Qatar) Ltd[注 1](PDQ)」に対し、カタールでの75年間の石油掘削権を承認。1940年には高品質の石油が、カタール半島西岸で発見された。第二次世界大戦のため1949年まで石油輸出は行われなかった。
- オイルマネーによる繁栄
4代目首長であるアリー・ビン・アブドゥッラー・アール=サーニーのもとで、1950年代から1960年代にかけて、この石油がカタールに繁栄と社会進化をもたらし、近代化の始まりとなった。
独立[編集]
1960年に5代目首長アフマドが就任。1968年に発表されたイギリスのスエズ運河以東撤退宣言に伴い、イギリスの保護領トルーシャル・オマーン (Trucial Oman : 休戦オマーン。トルーシャル・コーストTrucial Coast : 休戦海岸とも。のちにアラブ首長国連邦(UAE)となる勢力)は、1971年の独立を目指してアラブ首長国連邦(Federation of Arab Emirates : FAE)を結成した。当時は首長国が単独で独立国家となるのは難しいと考えており、カタールやバーレーンもその一員としてFAEに含まれていたが、すでにカタールとバーレーンは石油生産の好調で単独独立が可能な状態になっていた。他首長国との利権問題もあってカタールとバーレーンは近隣国のサウジアラビアやアラブ首長国連邦の一部になることを断り、カタールは1971年9月3日に単独で独立した。同年9月11日にアラブ連盟に、21日に国際連合に加盟した。
湾岸戦争[編集]
1972年、父であるアフマド首長の外遊中に、ハリーファが無血クーデターを起こして政権を奪取(6代目首長)。1988年にはソビエト連邦および中華人民共和国とそれぞれ外交関係を結んだ。OPEC(石油輸出国機構)の初期からの加盟国であるが、天然ガスの生産に注力することを理由として[5]、2019年1月1日をもって脱退した[6]。また、湾岸協力会議の原加盟国である。1990年の湾岸戦争では、反イラクの立場をとった。
無血クーデター[編集]
1995年に首長であるハマドが、父であるハリーファの外遊中に無血クーデターを起こして政権を奪取(7代目首長)。ハマドは、政権を奪取して以降、天然資源のみに頼った経済体制を危惧して、観光産業の育成などに着手している。かつてはハリーファの閉鎖的な政策の影響で宿泊施設すらほとんどなく、「世界一退屈な都市」とまで言われた首都ドーハにもさまざまな娯楽施設などが建設され、賑わいを見せている。また、衛星テレビ局アルジャジーラも、彼のポケットマネー(1億5,000万USドル)で設立された。1996年から湾岸諸国の中で唯一イスラエルの通商代表部が置かれていたが、2009年に閉鎖された[7]。
タミム首長[編集]
2013年6月25日、ハマドが四男のタミーム・ビン・ハマド・アール=サーニーに譲位し、タミームが首長となる。
政治[編集]
元首[編集]
カタールはサーニー家( آل ثاني , Āl-Thānī)による首長制(君主制の一種)である。現行憲法は2003年4月29日に承認されたもので、三権分立の立場を取り、民主主義や女性参政権の保障などを謳っている。しかし、実際はサーニー家に実権が集中している状況である。
立法[編集]
議会としては45議席の「諮問評議会」が置かれており、閣僚への質問権や予算案承認のための投票権などを持つ。45議席のうち30議席は直接選挙、15議席は首長による任命制。
公選制は2003年の憲法改正で導入が決まったものの、その後選挙は実施されなかった。2011年、アラブの春が波及し国内でも民主化運動が行われるようになると、政府は選挙の実施を表明した[8]。しかし当初2013年に予定されていた選挙は再三にわたり延期され、国内外から批判の声が高まった。2021年10月2日に同国初となる顧問評議会選挙が実施された[9]。
行政[編集]
司法[編集]
司法権は上級刑事裁判所、下級刑事裁判所、民事・商事裁判所、労働裁判所、高等裁判所の5裁判所が行使する。死刑制度が存在する。
有力部族[編集]
- サーニー家
- 昔からのカタール土着の部族。1868年のカタール独立以来、首長のポストを独占している。2002年の内閣閣僚はサーニー家が6割を占めていた[10]が、2013年6月にタミーム・ビン・ハマド・アール=サーニーが首長となって新たに任命した20人の閣僚の内、サーニー家は首相を含め3人であった[11]。
- アティーヤ家
- カタールの有力家族のひとつ[10]。アブドゥッラー・ビン・ハマド・アル=アティーヤ (Abdullah Bin Hamad Al-Attiyah) が国副首相兼エネルギー・工業大臣として2007年11月に来日した[12]。
- ミスナド家
- 前首長ハマドの母や、ハマドの第二夫人で現首長タミームの母モーザ皇太后 (Sheikha Mozah Bint Nasser Al-Missned) を輩出する[13]。
- カマル家
- 2002年当時の財務相 Yusif Husayn al-Kamal を出している[10]。
対外関係・安全保障[編集]
日本との関係[編集]
外交[編集]
湾岸協力会議(GCC)の加盟国。小国であるが、豊かな石油・天然ガス収入を背景に、アラブの春では中東各国に活発に介入した。
2012年、ターリバーンの対外連絡事務所を設置[14]、ターリバーンとアメリカ両国とのパイプを持つ国となった。2020年、アフガニスタンからアメリカ軍が撤退する交渉ではカタールが会談場所となり、2021年にアメリカ軍が撤退してターリバーンが再びアフガニスタンを制圧した後は、欧州各国とターリバーンの対話の窓口としての役割を果たした[15]。同年、ターリバーンに対しては、アメリカ軍撤退後に空白となったカーブル国際空港の航空管制支援や物資の供給なども行っている[16]。
2014年、サウジアラビア、バーレーン、UAEの3か国が内政干渉を理由に駐カタール大使を召還。周辺諸国との軋轢が表面化した[17]。さらに2017年6月、ムスリム同胞団への支援やイラン・トルコとの接近に対して、一部のイスラム諸国(サウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプト、イエメン、モルディブ、モーリタニアなど)がカタールとの国交断絶を表明した(2017年カタール外交危機)[18]。しばらくの間、イスラム諸国との関係悪化は続いたが、2021年1月4日、カタールとサウジアラビア間で国交回復に向けた合意が実現した[19]。翌5日にはサウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプトの4カ国との国交を完全に回復させることで合意した[20]。一方、この危機以降、カタールとトルコの関係が非常に深くなっており、国内にトルコ軍が一時駐留していた[21][22]。
軍事[編集]
カタール固有の軍事力は、軍事予算はGNP比4.2%(1993)、総兵力1万1,800人である。
アメリカ中央軍が駐留し、首都ドーハ近郊に司令部のひとつであるアッサイリヤ基地がある。アメリカ中央軍は中東を責任地域とするが、司令部のある米国本土のフロリダ州タンパが遠すぎるため、イラク戦争直前の2003年に第2の司令部として設置された。イラクやアフガニスタンに展開したアメリカ軍部隊はここから指揮される。
2016年、カタールをかつて支配していたトルコに軍事基地を提供する協定を結んだ[23]。
2017年6月には米海軍と、同じく8月には米軍パラシュート部隊との合同軍事演習を行った[24]。一方で同年11月からは2017年カタール外交危機での孤立に伴って上海協力機構に加盟申請し(のちにトルコと同じ対話パートナーとしての参加が認められた[25][26][27])、翌12月にはカタール建国記念の軍事パレードで中国人民解放軍による訓練で従来の英国式から中国式のガチョウ足行進に改め[28]、中国製弾道ミサイルのBP-12Aを披露し[29]、中国への接近が目立った。
国民[編集]
民族[編集]
人口は2019年の推定で284万6,092人。2013年の調査では、全人口180万人のうち、カタール国籍はわずか13%の27万8,000人にすぎず、87%にあたる150万人が外国人労働者である。そのうち、インド人が54万5,000人と最大の勢力となっている。次いで、フィリピン人、ネパール人、パキスタン人、スリランカ人、バングラデシュ人などが多く、南アジア諸国からの労働者がほとんどを占めている。
カタール人は、おもにアラビア半島の遊牧民のベドウィン、イラン・パキスタン・アフガニスタンを祖先に持つ Hadar、スーダンとソマリアを中心とした東アフリカからの奴隷の子孫の Abd の3つの祖先に分かれる。
言語[編集]
公用語はアラビア語である。日常会話は湾岸方言となる。インドやパキスタンなどの外国人労働者が大半を占めていることと、イギリスの植民地であったことから、英語も政界・財界などで広く理解されている。その他、ヒンディー語、ウルドゥー語、マラヤーラム語、タミール語、ネパール語やタガログ語なども話されている。
宗教[編集]
2010年の調査では外国籍を含めた全人口に占める割合をみると67.7%がイスラム教、13.8%がキリスト教、13.8%がヒンドゥー教、3.1%が仏教を信仰している。しかし、カタール国籍保持者の95%はイスラム教であり、大半がスンナ派のワッハーブ派である他、シーア派が人口の5 - 15%を占めており、イスラム教を国教としている。
地理[編集]
カタール半島は、サウジアラビア側から160キロ突き出ている。国内の大部分は不毛な砂漠であり、もっとも高い地点で海抜103メートルである。この砂漠の地下にドゥハーン油田が存在し、一方世界最大級のノースガス田はカタール半島北東からイラン方向の海底に広がる。カタール半島の付け根付近にあるホール・アル=ウデイド(Kawhr al Udayd)は、静かな内海であることから別名を「インランド・シー」(英: Inland Sea)とも呼ぶ。
陸上の国境は現在はサウジアラビアとの国境のみであるが、かつてはアラブ首長国連邦(UAE)とも国境を接していた。1974年のジッダ条約により、サウジアラビアにペルシャ湾への出口となるUAE領土が割譲され、カタールとUAEとの間の陸上国境はなくなった(詳細はサウジアラビア=アラブ首長国連邦国境を参照)。
地方行政区分[編集]
都市[編集]

- 首都ドーハ - 国内で最大の都市であり、国民の半分以上がドーハに住んでいる。
- アル・ワクラ (Al Wakrah) - ドーハの南約20キロ。
- アル・ホール (Alkhor) - ドーハの北57キロ。古い街区がある。
- ウンム・サラール・ムハンマド (Umm Salal Muhammad) - ドーハの北約20キロ。19世紀に建てられた3階建ての長方形の塔「バルザーン塔」がある。
- ラアス・ラファーン (Ras Laffan) - 工業都市。日本では「ラス・ラファン」と表記される。
- アッ=シャマール - 最北部の都市。
- ウンム・サイード (Umm Sa'id) - 工業都市。石油製品輸出港。
- ドゥハーン (Dukhan) - 西岸の都市。
- シャハーニーヤ (Shahaniya) - ラクダレース開催地として知られる。Al Jumaliyah。
- アッ=ラヤーン
経済[編集]
2015年の国内総生産(GDP)は約1,920億ドル(約21兆円)であり[30]、日本の埼玉県よりやや大きい経済規模である[31]。人口は埼玉県の3分の1弱で、同年の一人当たりGDPは7万8,829ドルで世界第5位[30]、一人当たり国民総所得(GNI)は8万5,430ドルで世界第2位である[32]。一時は一人当たりGDPで世界一を誇ったことから「世界でもっとも裕福な国」と呼ばれた[33]。
1940年代の石油発見以前の産業は漁業と真珠取りだけであった。1920年代から日本の養殖真珠が世界に出回るとカタールの天然真珠は衰退した。石油と天然ガスに依存する経済体制で、輸出の大半が石油・天然ガスおよびその関連製品で占められている。インド、パキスタン、イランなどからの外国人労働者がカタール国籍を持つ総人口より多く、外国人労働者に労働力を大きく依存している。
豊富なオイルマネーにより国民は所得税がかからない。さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものとなる。
2004年、ドーハに科学技術パークを開き、世界中から技術関連企業を呼んだ。現在、油価は低下したものの炭化水素はカタールの背骨であり続けるが、政府は知識集約型の民間投資も促進しようとしている。カタール金融センター(QFC)は湾岸諸国を巻き込んだ投資に今後10年間で1兆ドルを供給することを発表している。
農業[編集]
カタールの年降水量は40ミリ前後であるため、降雨に頼った農業は不可能である。しかしながら、灌漑などを利用した農業が営まれており、農地面積は国土の0.7%(80平方キロメートル、1994年)に達する。牧場は同4.5%(500平方キロメートル)である。農業従事者の人口に占める割合は0.5%。
主要穀物では大麦(5,000トン、2002年)、トウモロコシ(1,000トン)を栽培する。野菜ではトマト(1.1万トン)、次いでキャベツ(2,000トン)の生産が盛ん。畜産業では、ニワトリ(400万羽)とヒツジ(20万頭)が最大。次いでヤギ(18万頭)、ラクダ(5万頭)など。
漁業は盛んではないが、約7,000トンの水揚高が記録されている。
原油の埋蔵量は252億バレル、天然ガスは880立方フィートで、ロシアとイランに次いで世界第3位(シェア12.9%)。産出量は原油日量192万バレル(シェア2.1%)なのに対し、天然ガスは日量1,780億立方フィートでシェア4.8%である(数字は2017年、BP統計調べ)。日本の天然ガス輸入先としてはマレーシア、インドネシア、オーストラリアに次いでカタールが第4位にあたる[34]。輸出に占める鉱業の割合は非常に高く、2002年時点で天然ガス42.6%、原油35.0%に達する。2008年までの油価高騰により石油ガスがGDPの50%、輸出の85%、政府収入の70%を占めるようになった。カタールの天然ガス輸出先は第1位が日本で全体の約21%、第2位が韓国で約18%、第3位がインドで約15%となっている(JOGMEC調べ)。
国営エネルギー会社カタール・ペトロリアム(QP)を有し、ノースガス田開発などを手がけている[35]。
工業[編集]
工業は発達しておらず、食肉加工、窒素肥料の製造、セメント製造などが小規模に営まれている段階である。もっとも規模が大きいのが石油化学工業、次に製鉄である。輸出に占める工業製品の割合は2002年の段階で石油製品6.7%、プラスチック3.1%、鉄鋼2.8%である。
情報通信[編集]
しばしば「中東のCNN」と形容されるアルジャジーラの本社がドーハに置かれている。開局時はアラビア語のニュースTVでスタートしたが、現在いくつものチャンネルを有する。アラビア語と英語の新聞がいくつかあり、英字ビジネス月刊誌は『Qatar Today』が唯一で、他にアラビア語のビジネス誌、女性誌、ファッション誌が同じ出版社から出ている。
観光[編集]
ドバイ首長国首都ドバイにもあるパーム・ツリー・アイランドがドーハ湾に作られ、リゾート地になっている。また、南部のホール・アル・ウデイドのラグーンや砂丘ツアーがある。
文化[編集]
第15回アジア競技大会が首都ドーハで開催された。期間は、2006年12月1日から15日まで。アラブ圏では初のアジア大会で、エジプト以東の中東地域を含むアジア地域の45の国と地域が参加する。
潤沢な石油・天然ガス収入で医療・教育が無償で、社会保障制度も完備している。
食文化[編集]
音楽[編集]
芸術[編集]
世界遺産[編集]
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
2月12日 | 国民スポーツの日 | اليوم الرياضي للدولة | |
12月18日 | 独立記念日 (カタール国ナショナルデー) |
اليوم الوطني لدولة قطر | |
シャウワール月1日から | ラマダーン明け祭 (イード・アル=フィトル) |
イスラム暦による移動祝日 | |
ズー・アル=ヒッジャ月10日から | 犠牲祭 (イード・アル=アドハー) |
イスラム暦による移動祝日 |
独立記念日は2006年までは9月3日であったが、2007年より変更された。
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
カタール国内でも他の中東諸国同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1963年に創設し2008年にプロ化した『カタール・スターズリーグ』は、オイルマネーで数多くの有名選手を獲得し世界中から注目を集めている。2000年代にはバティストゥータやペップ・グアルディオラ、フェルナンド・イエロなど、2010年代にはラウル・ゴンサレスやシャビ、スナイデルやサミュエル・エトーなど、2020年代にはハメス・ロドリゲスやマイケル・オルンガなどがカタールのクラブに移籍している。
カタールリーグと日本人サッカー選手との関係では、2019年2月3日に中島翔哉がアル・ドゥハイルSCへ移籍した際の移籍金は『3500万ユーロ(約43億7500万円)』にものぼり、2001年に中田英寿がセリエAのパルマへ移籍した際の「約32億円」を大幅に上回る、日本人史上最高額となった[36]。また、2020年9月21日には小林祐希がアル・ホールSCへ移籍している[37]。
さらに国際大会の招致にも力を入れており、AFCアジアカップは1988年大会と2011年大会がカタールで開催された。また、アラブ首長国連邦で行われた2019年大会では、決勝で日本代表に3-1で勝利し悲願の初優勝を果たしている。そしてワールドカップにおいても、カタールで『2022 FIFAワールドカップ』の開催が決定し、2022年11月20日から12月18日にかけて行われる予定となっており、国内ではサッカー熱の高騰が続いている。
その他の競技[編集]
カタールのスポーツは、陸上競技や球技、競馬や水泳など幅広く展開されており、中でもクリケットはサッカーの次に人気のスポーツとなっている。クリケットが最も人気の地域である南アジア出身の外国人労働者が、カタールの人口の多くを占めていることも要因の一つである。また、古くから存在するものとはしてはキャメルレーシングと呼ばれるラクダのレースがあり、国内にはキャメルレーシング用の競技場が都市の一つであるアル・シャハニアに設けられている。
自転車ロードレースでは2002年から開催されている「ツアー・オブ・カタール」があり、ツール・ド・フランスを主催するASOが同様に主催しており、毎年多くのトップ選手がシーズン序盤の調整を兼ねて出場するハイレベルなステージレースとなっている。2004年にはドーハの北にあるアッ=ザアーインに「ロサイル・インターナショナル・サーキット」が完成し、MotoGPが毎年開催されている。
競馬は純血アラブとサラブレッドによるレースが行われている。2012年から始まった「カタール見習い騎手招待レース」には日本人騎手も招待されている(第1回:国分優作[38]、第2回:嶋田純次[39])。 さらに近年ではバスケットボールも力をつけており、2006年には世界選手権に初出場した。また、陸上競技においても21世紀以降アジア競技大会などの国際大会で、優勝者や上位入賞者を輩出している。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ “Qatar” (英語). ザ・ワールド・ファクトブック. 2022年8月14日閲覧。
- ^ a b c d e [1] 2021年10月13日閲覧。
- ^ “カタールの概要”. 在カタール日本国大使館 (2017年8月16日). 2018年1月7日閲覧。
- ^ 但しカタール人の英語能力指数は46.79 (2019年)ととても低い評価となっている
- ^ “カタール、OPECを来年1月1日付で脱退-エネルギー相”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2018年12月3日) 2018年12月3日閲覧。
- ^ “Member Countries”. 石油輸出国機構. 2019年10月20日閲覧。
- ^ カタール基礎データ | 外務省
- ^ “カタール、評議会選挙を実施へ”. 日本経済新聞 (2011年3月1日). 2021年10月3日閲覧。
- ^ “カタール初の国政選挙、女性当選者ゼロ”. AFP通信 (2021年10月3日). 2021年10月3日閲覧。
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- ^ 「カタールQP、ガス田開発加速」『日経産業新聞』2020年1月10日(グローバル面)
- ^ 中島翔哉、カタール1部に移籍 移籍金43億は日本選手最高日本経済新聞 2019年2月4日
- ^ 小林祐希がカタール挑戦! ベルギー1部ベフェレンがアルホール移籍を発表 ゲキサカ 2020年9月22日付
- ^ “「カタール見習騎手招待レース」国分 優作騎手の騎乗結果”. 日本中央競馬会 (2012年3月2日). 2013年2月26日閲覧。
- ^ “嶋田 純次騎手がカタール見習騎手招待レースに参加”. 日本中央競馬会 (2013年2月15日). 2013年2月26日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- その他
- JCCME - カタール
- 『カタール』 - コトバンク