西側諸国

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冷戦下(1975年)における3つの世界

西側諸国(にしがわしょこく、または西側[1]資本主義諸国[2]自由諸国[2]英語: Western Bloc〔ウェスタンブロック〕)とは、東西冷戦時代でのソビエト連邦東ヨーロッパを中心とする社会主義諸国(東側諸国)に対する、アメリカ合衆国西ヨーロッパなどの資本主義諸国を指す言葉[1]。その主要部分は北大西洋条約機構(NATO)であり[3][注釈 1]、西側諸国には他にも日本韓国オーストラリアなどが含まれる[4][注釈 2]

西側諸国は資本主義的で先進的で産業的であり[2]学術論文によれば、人権表現の自由を代表していて民主主義的であるとされている[3]。ここでいう西側は、ヨーロッパにおける資本主義陣営と共産主義陣営の大まかな境界が鉄のカーテンと呼ばれる西ドイツを境にしている事に由来するが、厳密にはヨーロッパ東部にも西側諸国は存在した(トルコギリシャ)。また他の地域では、属する陣営と地理上とで東西が反転することもあった。

西側諸国の多くはアメリカと単独・多国間の政治・軍事的保障条約を結んでいる。それらの機構として有名なものはNATO、米州機構(OAS)などがある。

東西冷戦後もロシア中華人民共和国などの権威主義国家陣営に対抗する民主主義国家陣営という概念において使用されるケースがある[5][6][7][8][9][10]

東欧の西側陣営[編集]

バルト海シュテッティンからアドリア海トリエステまでヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある。 — ウィンストン・チャーチル 1946年3月、ミズーリ州フルトンのウェストミンスター・カレッジにて

これを受けて、アメリカのハリー・S・トルーマン大統領トルーマン・ドクトリンを発表。イギリスに代わってギリシャに対して支援を行い、加えてトルコを資本主義陣営に留めることを宣言。両国に大量の資金援助を行い、東側陣営化するのを防いだ。

これらの国は1952年にNATOに加盟した。特にトルコは、現在でも中東にアメリカが軍事介入するときは在トルコの米軍基地が大きな役割を果たしており、欧州連合(EU)加盟を目指すなど、強固な「西側国家」である。

西欧・中欧[編集]

青色が西側陣営。
赤色はワルシャワ条約機構に参加する東側陣営である。
ユーゴスラビア(青緑)はワルシャワ条約機構には参加せず、アルバニア1968年にワルシャワ条約機構を脱退した。

NATOは1949年西欧北アメリカの13ヶ国が参加して出来た軍事同盟であり、各国は攻撃にさらされた場合共同で参戦する義務を負っている(集団的自衛権)。

1966年フランスド・ゴール主義の下でNATOの軍事機構を脱退し欧州連合軍最高司令部パリから移転を余儀なくされるなどの事件もあったが、EUなどもあわせて考えると基本的には蜜月といってよい関係にある。

西欧・中欧で東西の軍事機構に参加していない国は、アイルランドスイスオーストリアスウェーデンの中立宣言を行うなどで非同盟政策をとった国々。特に北欧諸国の政策を合わせてノルディックバランスと言う。ただしスウェーデンは、冷戦終結後、NATOとの協力関係にあったことが明らかとなっている(武装中立)。実態としては、同盟関係はなくともスウェーデンは西側寄りであったと言える。そして2022年にスウェーデンとフィンランドはNATOに加盟を申請した。

南北アメリカ大陸[編集]

南北アメリカ大陸の各国の多くは、既に第二次世界大戦末期に連合国として参戦しており、アメリカ軍に基地を提供するなどをしていた。

南米諸国の多くは戦後の1948年に結成また締結された米州機構(12月)と米州相互援助条約(4月)に参加して親米国家となり、西側に属してアメリカの「裏庭」と呼ばれた。親米政権が革命や総選挙で倒れる場合もあり、こうした時には“ドミノ理論”を唱えるアメリカの政治あるいは軍事的介入が行われることが多かった(ピッグス湾事件コントラ戦争チリ・クーデターグレナダ侵攻パナマ侵攻など)。

キューバではキューバ革命親米政権が倒れて共産主義体制が誕生し、1962年にはソ連がキューバに核ミサイル基地を建設しようとしてアメリカがこれを阻止するためにカリブ海でキューバの海上封鎖を行い、米ソの緊張状態が高まったキューバ危機が発生している。

21世紀に入り、メキシコ以南の中南米諸国はアメリカのこうした覇権主義に反発し、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体を結成している。

東アジア[編集]

日本と中華民国台湾)、大韓民国(韓国)が西側諸国である。中華民国は1972年ニクソン訪中を契機としてアメリカが中華人民共和国を承認した後(すなわち米台断交後)も「反共の砦」として軍事援助を受けていたため、西側諸国に含まれると考えられる。また、フィリピン東南アジア諸国連合(ASEAN)の原加盟国であるが、アメリカの植民地だった経緯から、親米的な外交政策をとっていた。また南ベトナムにはベトナム共和国、カンボジアにはクメール共和国の親米政権が誕生したが、いずれも現地住民の反感を買って共産化。ベトナムは南ベトナム共和国を経てベトナム社会主義共和国として南北統一、カンボジアはクメール・ルージュの反乱により民主カンプチアが建国された。

東アジアにおける仮想敵国はソ連、中国、北朝鮮北ベトナムであったが、それぞれの役割と仮想敵国が全く違う関係上、日米米韓米華米比といった二国間条約による同盟関係を基本としていたことが特徴だった。

冷戦後の西側諸国[編集]

NATO加盟国の拡大
欧州連合の変遷
  欧州諸共同体(1957年 - 1993年)
  欧州連合(1993年 - )

ソ連が崩壊した後、東欧諸国は新たな安全保障を得るためにNATOに接近した。1999年チェコハンガリーポーランドの旧東側諸国の旧ソ連構成国以外の国々が、2004年に旧東欧諸国のスロバキアブルガリアルーマニアと、エストニアラトビアリトアニアバルト三国、旧ユーゴスラビアスロベニアが、2009年に旧ユーゴスラビアのクロアチアと旧社会主義国家のアルバニアが、2017年に旧ユーゴスラビアのモンテネグロが、2020年に旧ユーゴスラビアの北マケドニアがそれぞれNATOに加盟した。

また上記NATO加盟国のうち、2004年にチェコ・スロバキア・ハンガリー・ポーランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・スロベニアが、2007年にブルガリア・ルーマニアが、2013年にクロアチアがEUに加盟しており、アルバニア・モンテネグロ・北マケドニア・トルコはEUの加盟候補国である(ただし東欧以外の地域ではEUとNATO加盟国には差がある)。これらは新たな枠組みにおける西側諸国と言える。

中南米では、米州機構が空洞化しベネズエラウゴ・チャベス政権を筆頭に南米で次々と左派政権が誕生しアメリカ型の機会平等結果不平等の資本主義から脱する動きを見せるなど、対米感情の悪化が目立つ。また、南米諸国独自の経済圏の構成、さらにはEU型の国家連合の構築などの独自の政策が打ち出されている。

パレスチナを国家承認している国(簡単にはNATO及びANZUS諸国、アメリカと二国間軍事条約を結んでいる国とイスラエル以外の全て)

更に、中東・アラビアでは、冷戦時代の君主制イスラーム国家の「反ソの為の親米」といった構造が崩れ、これらの国との協力関係が薄れたため、不安定化が進んでいる。また、西側諸国は常にイスラエルと親密な関係を持ち、パレスチナ自治政府とは距離を置いている国が多い。東側諸国時代に既に承認している旧東欧諸国を除くと、パレスチナ国家承認を行っている欧米西側諸国はマルタ1988年)、アイスランド2011年)、スウェーデン(2014年)、バチカン市国2015年)だけとなっている。チェコは旧チェコスロバキア時代にパレスチナを承認したものの、2012年の国連総会における「オブザーバー国家」への格上げ決議に反対するなどその関係は悪化し、むしろイスラエルと親密な関係にある。

ブッシュ政権末期では、チェコにアメリカが大陸間弾道ミサイル(ICBM)に対する早期警戒レーダーサイトを、ポーランドに迎撃ミサイル基地を建設をする計画を進めており、事実上ロシア仮想敵国としていることからロシアの強硬な反発を受けている(アメリカは、イランの脅威に対抗するためであって、ロシアを対象とはしていないと説明している)。ロシアは代替案としてアゼルバイジャンのレーダーサイトの共同利用を申し出たが、アメリカはそれを拒否した[11]。さらにその後もアメリカは政権交代から難航しているポーランドとの交渉の他に、リトアニアにも接触を図るなどしている[12]。しかし、続くオバマ政権は2009年9月17日、東欧MD配備計画を白紙に戻すことを発表した[13]。09年12月に失効するSTART-Iに代わる米露新核軍縮条約の交渉進展および対イラン制裁の足並みをそろえるためと目されており、実際にロシアは9月23日の首脳会談で対米協調アピールとも取れる発言を行った。[14]

また、ロシアは中国との関係を深めつつあり、旧来の独立国家共同体(CIS)に加え2002年に新たに上海協力機構(SCO)を創設している。後に、イランとも関係を強化した。

冷戦後、対共産主義というイデオロギー対立から開放された西側諸国は、「独裁国家が革命によって共産主義化してしまうくらいならば独裁的なままでも西側と友好関係にあったほうがよい」という冷戦期の理論を放棄し、アメリカが主導となって独裁的な国家への圧力を強めていった。

これらの行動は少なくともコソボ紛争に対するユーゴ空爆アメリカ同時多発テロ事件に対するアフガニスタン侵攻などの「敵」がはっきりしていた範囲では西側諸国(と国連)に大きな反対のない中で行う事が出来た。

しかし、その後の悪の枢軸発言対テロ戦争から始まるイラク戦争などにおいてはアメリカの性急さも相まって足並みが乱れ、アメリカと特に親密な国家がアメリカを支援しているが、当の政府が国民の支持が得られず撤退するなど状況は流動的になっている。

このように近年自由主義陣営に乱れが目立つのは、アメリカが西側諸国の足並みをそろえることを怠ったのみならず、21世紀に入り各国が経済発展と資源枯渇への懸念などから資源の確保に余念がなくなったことも大きい。イラク戦争がしばしばアメリカがイラクに眠る石油利権を確保したいがために起こしたと言われるように、各国もまたさまざまな方法で特に化石燃料の確保に全力を注いでおり、独裁政権を支持する代わりにその国の資源を確保する方法は、最も簡単なものの一つである。このような政策をとる国が表れると、制裁などの足並みがそろわず、独裁政権を倒し民主化を進めるのは困難を極める。

西側諸国の足並みの乱れではないが、ミャンマーの非民主的な軍事政権への国連の非難決議が大幅に弱い文言となった原因の一つにも、ミャンマーが産油国であるために、中国がその石油を目当てに資源外交を行って独裁政権を経済的にも国際政治的にも支援している事が挙げられる。

冷戦体制時の西側諸国一覧[編集]

西ヨーロッパ
南ヨーロッパ
北ヨーロッパ
北アメリカ
中央アメリカ
南アメリカ

米国支援下の軍事政権が多く、「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれた。

東アジア
東南アジア
西アジア
オセアニア
アフリカ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 出典原文の和訳:
    アメリカ合衆国(US)とソビエト連邦という二つの戦勝国超大国として台頭して、グローバルな政治的競技場の指導層となった。〔中略〕西側諸国は資本主義、民主主義、人権表現の自由を代表した。西側諸国の主要な組織は、1949年4月4日に設立され、12ヵ国の創設者でできているNATOだった。
    出典原文:
    Two victorious nations, the United States of America (US) and Soviet Union, emerged as super powers and became the leaders of the global political arena. [...] the Western Bloc represented capitalism, democracy, human rights, freedom of expression. The major organization of the Western Bloc was NATO, established on April 4,1949, with twelve founding members[3].
  2. ^ 出典原文の和訳:
    片方は、合衆国と同盟している産業化された資本主義諸国で、西側諸国と呼ばれており、自らを「自由世界」または「西側世界」と好んで呼んでいる。〔中略〕
    第一世界という用語は、一般的にNATOおよびアメリカと同盟している先進的で、資本主義的で、産業的な諸国を指している。この諸国は、第二次世界大戦後にアメリカ合衆国と同盟したのであり、多かれ少なかれ共通の政治的で経済的な利益を持っていた。この諸国に含まれていたのは、北アメリカや西ヨーロッパ諸国、日本、韓国、オーストラリアである。
    出典原文:
    On one side were the industrialized capitalist nations aligned with the USA, called the Western Bloc, which likes to call itself the "Free World" or the "Western world."[2] [...]
    The term First World refers to the developed, capitalist, industrial countries, generally aligned with NATO and the USA. The bloc of countries aligned with the United States after World War II, which had more or less common political and economic interests, this included the countries of North America and Western Europe, Japan, South Korea, and Australia[4].

出典[編集]

参考文献[編集]

  • Altınörs, Mehmet Nur (December 2020). “Bilateral and International Relations of Turkey and Iran during 1945-1990”. Journal of International Relations 8 (2): 7-12. doi:10.15640/jirfp.v8n2a1. 

関連項目[編集]