ヴェスレイ・スナイデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ヴェスレイ・スナイデル Football pictogram.svg
Wesley Sneijder '14-15.JPG
ガラタサライSKでのスナイデル (2014年)
名前
本名 ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル
Wesley Benjamin Sneijder
愛称 ウェズ
ラテン文字 Wesley Sneijder
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(32歳)
出身地 ユトレヒト
身長 170cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 ガラタサライSK
ポジション MF (OH / CH)
背番号 10
利き足 右足
ユース
1991-2002 オランダの旗 アヤックス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007 オランダの旗 アヤックス 126 (43)
2007-2009 スペインの旗 レアル・マドリード 52 (11)
2009-2013 イタリアの旗 インテル・ミラノ 76 (13)
2013- トルコの旗 ガラタサライ 96 (30)
代表歴2
2000-2001  オランダ U-17 6 (2)
2001-2002  オランダ U-19 8 (3)
2003  オランダ U-21 1 (0)
2003- オランダの旗 オランダ 123 (30)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月12日現在。
2. 2016年9月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデルWesley Benjamin Sneijder (オランダ語発音: [ˈʋɛs.li ˈsnɛi̯.dər] ( 聞く), 1984年6月9日 - )は、オランダユトレヒト出身のプロサッカー選手スュペル・リグガラタサライSK所属。オランダ代表。ポジションはミッドフィールダー

「ヴェスレイ」「ウェスレイ」「ウェズレイ」「スナイデル」の他、英語読みの「ウェスリー・スナイダー」とも表記される(実際はオランダでもヴェスリーと発音される)。

経歴[編集]

クラブ[編集]

生い立ち~アヤックス[編集]

ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄(ジェフレイ)、弟(ロドニー)と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。

2002-03シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。

2003-04シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-05、2005-06シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-07シーズン、クラブで背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し[要出典]、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を残した。

レアル・マドリード[編集]

2007年8月12日、同じスペインバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入。移籍金は2500万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23に決まった。2007-08シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアル戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げ、その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーグ2連覇に貢献した。2008-09シーズンは背番号10を与えられたが、負傷の影響、更にはリハビリや通院と称してオランダのテレビタレントの女性と不倫を重ねていたことが発覚[1]離婚慰謝料を求められ裁判沙汰になるなどして活躍できず結果を残すことは出来なかった[2]

インテル・ミラノ[編集]

本人は残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月28日、半ば追い出されるような形でイタリアインテルへ移籍した。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。シーズン終了後、UEFA最優秀MFに選出された。インテルでの3冠獲得と後述のワールドカップでの活躍から2010年のFIFAバロンドールの最有力候補と考えられていたが、2010年12月7日に発表された最終候補3人から外れ、物議を醸した[3][4]。結局、スナイデルはベストイレブンに選出されるにとどまった。その後は負傷や監督交代などの影響で不振に陥った[要出典]

ガラタサライ[編集]

2013年1月、ガラタサライSKへの移籍に合意。2015年10月3日には、ガラタサライとの契約を2018年6月末まで延長したことを発表した[5]。年俸は450万ユーロ(約6億円)で、2万ユーロ(約270万円)の出場ボーナスがつくと報道された。

2016年の冬の移籍期間で中国サッカー・スーパーリーグ江蘇蘇寧から年俸700万ユーロ(約9億円)のオファーが届いていた。ガラタサライに提示された移籍金は1600万ユーロ(約20億8000万円)だったが移籍は実現しなかった[6]

代表[編集]

オランダ代表で、ロッベン(左)とトレーニングするスナイデル

2003年4月30日ポルトガル戦で代表デビューを果たす。同年10月11日のUEFA EURO 2004予選モルドバ戦で代表初得点を記録すると、同年11月19日には同予選プレーオフスコットランド第2戦で1得点3アシストの活躍で同国をUEFA EURO 2004本戦出場に導き、自身も本大会のメンバーに選出された。予選終盤での活躍とは裏腹に本大会ではシステムが4-4-2から4-3-3へ変更され中盤の枚数が減り、フィリップ・コクーエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフといった百戦錬磨のベテランを揃えていたため、ベンチを暖める時間が多かった。同国は準々決勝で開催国ポルトガルに敗れ、ベスト4で大会を去った。

その後、新監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選フィンランド戦、アンドラ戦でゴールを挙げる活躍を見せ、同国の2006 FIFAワールドカップ出場に貢献。自身も本大会メンバーに選出された。かつてのアヤックスでのチームメイトラファエル・ファン・デル・ファールトと攻撃的MFのポジションを争い、死のグループと呼ばれたグループCを突破したが、ベスト16で敗退を喫した。

UEFA EURO 2008では、グループリーグ第1戦のイタリア戦にて、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストが左サイドから上げたアーリークロスを、エリア右からディルク・カイトがヘディングでふわりとあげたボールを、完璧なタイミングで飛び出してきたイタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンが僅かに開けてしまったシュートコースに叩き込んだ。このゴールと1アシストの活躍で勝利に貢献。同国はベスト8で敗退したものの、大会を通じて非常に高いパフォーマンスを見せ、欧州サッカー連盟の選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。

2010FIFAワールドカップでのスナイデルとファン・デル・ファールト

2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグの日本戦で決勝点となるゴールを決め、ワールドカップ初ゴールを記録。決勝トーナメントでは準決勝まで3試合連続ゴールを決めた。前述の日本戦の他、グループリーグ第1戦のデンマーク戦、逆転の2ゴールを挙げた準々決勝ブラジル戦、勝ち越しゴールを挙げた準決勝ウルグアイ戦の4試合で大会選定のマンオブザマッチに選出される活躍を見せ、オランダの32年ぶりの決勝進出に貢献した。また、大会5ゴールでディエゴ・フォルラントーマス・ミュラーダビド・ビジャに並ぶ得点王(FWとして併用されない純粋なミッドフィールダーがW杯得点王に輝いたのは、スナイデルが初の快挙)となり、ブロンズブーツ賞シルバーボール賞を受賞した[7]

人物・エピソード[編集]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 国際大会 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
2002-03 アヤックス エールディヴィジ 18 17 4 3 1 3 0 - 23 5
2003-04 30 9 1 0 7 1 - 38 10
2004-05 30 7 3 1 7 0 1 1 41 9
2005-06 19 5 3 2 7 4 2 1 31 12
2006-07 10 30 18 4 1 9 1 4 2 47 22
クラブ通算 126 43 14 5 33 6 7 4 180 58
2007-08 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 23 30 9 2 0 5 0 1 0 38 9
2008-09 10 22 2 2 0 4 0 0 0 28 2
クラブ通算 52 11 4 0 9 0 1 0 66 11
2009-10 インテル セリエA 10 26 4 4 1 11 3 - 41 8
2010-11 25 4 2 0 9 3 3 0 39 7
2011-12 20 4 2 0 5 0 1 1 28 5
2012-13 5 1 0 0 3 1 - 8 2
クラブ通算 76 13 8 1 28 7 4 1 116 22
2012-13 ガラタサライ スュペル・リグ 10 12 3 - 4 1 - 16 4
2013-14 28 12 6 3 7 2 1 0 42 17
2014-15 31 10 6 3 6 1 1 0 44 14
2015-16 25 5 6 0 8 0 1 0 40 5
クラブ通算 96 30 18 6 25 4 3 0 142 40
キャリア通算 350 97 44 12 95 17 15 5 504 131

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

国際Aマッチ 123試合 30得点(2003年 - )


オランダ代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 3 2
2004 14 3
2005 3 0
2006 10 0
2007 11 3
2008 10 3
2009 7 1
2010 15 7
2011 7 4
2012 10 1
2013 6 2
2014 15 2
2015 9 1
2016 3 1
通算 123 30

ゴール[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

アヤックス・アムステルダム
レアル・マドリード
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ガラタサライSK

個人[編集]

  • アムステルダム年間最優秀若手選手賞:1回 (2003)
  • オランダ年間最優秀若手選手賞:1回 (2004)
  • アヤックス年間最優秀若手選手賞:1回 (2004)
  • アヤックス年間最優秀選手賞:1回 (2007)
  • UEFA欧州選手権 大会優秀選手:1回 (2008)
  • UEFA欧州選手権 大会ベストゴール:1回 (2008) (グループリーグ初戦、フランス戦)
  • UEFA最優秀MF:1回 (2010)
  • FIFAワールドカップ アディダス・シルバーボール賞:1回 (2010)
  • FIFAワールドカップ アディダス・ブロンズブーツ賞:1回 (2010)
  • FIFA年間ベストイレブン:1回 (2010)

脚注[編集]

  1. ^ 当時、その女性にはオランダ人歌手の恋人がいたが、スナイデルとの密会が破局の原因となった。
  2. ^ スナイデルのインテル移籍の真相!?最愛の女性をマドリッドに残し…… http://news.livedoor.com/article/detail/4415680/
  3. ^ スナイデル、バロンドール争いでトップ3に入れずLivedoorスポーツ 2010年12月6日
  4. ^ モラッティ、スナイデル落選に「愚かな決定」Livedoorスポーツ 2010年12月7日
  5. ^ ガラタサライがスナイデルと2018年まで契約延長…年俸は6億円soccerking 2015年10月4日
  6. ^ スナイデル、江蘇蘇寧から年俸9億オファーか…指揮官は退団否定もsoccerking 2016年2月8日
  7. ^ スポーツナビ (2010年7月12日). “大会MVPはウルグアイのフォルラン=W杯”. 2010年7月13日閲覧。
  8. ^ バロンドール、従来の選出法なら受賞者はスナイデルLivedoorスポーツ 2011年1月11日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]