国歌

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国歌(こっか、: National anthem)は、そのを象徴するのこと。各国の法律によって規定されるもの、国民の共通意識によって認識されるもの、歴史的に国歌として扱われているものなどがあり、一様ではない。国歌は不変の存在ではなく、政治体制によって、時代によって、改定が行われることもある。


歴史[編集]

ヨーロッパにおいて最も古い国歌はオランダの国歌であり、スペインからの独立戦争(八十年戦争)の際、1568年から1572年に書かれた「ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ(ウィルヘルムス)」である。これは、国歌の旋律としては最古であるが、1815年にオランダ王国が成立した際には『ネーデルラントの血オランダ語版』が国歌に選ばれた。しかし「ウィルヘルムス」の人気が上回り、公式行事で使われることも多くなったため、1932年に正式に国歌に定められた。なお、曲名の「ウィルヘルムス」とは、オランダ独立の指導者オラニエ公ウィレムのことである。

ヨーロッパでは国歌に対する関心が19世紀に高まり、ナショナリズムの台頭とともに、各国が独立国家の象徴として国歌を採用した。ヨーロッパ諸国による植民地支配を乗り越えて成立した国々の多くもヨーロッパ式の国歌を採っている。

様式[編集]

多くの国歌は、行進曲賛美歌のスタイルを採っている。ラテンアメリカの国々は、オペラ風の作品を選ぶ傾向があり、一握りの国々はファンファーレの様式を採っている。各国の国歌の平均的な長さは演奏時間にして1分ほどであるが、南アメリカ諸国の国歌は長いものが多い。英語表記が national anthems であるように、直訳すれば「国賛歌」となる。 幾つかの国歌は有名な作曲家や詩人によって書かれている。

国歌の歌詞[編集]

政治体制の変化などによって国歌を改訂する際、メロディーはそのままで歌詞のみを一部、または全面的に改編することが見られる(詳細後述)。

公用語が複数ある国家では、国歌の歌詞も各言語のものが全て正式なものとして認められている場合が多い。その場合多数派の言語の歌詞を少数派の言語に訳すことが多いが、カナダの国歌フィンランドの国歌のように人口的には少数派の言語の歌詞が先に作られたものもある。場合によっては、南アフリカの国歌のように複数の公用語の歌詞を一曲にまとめた例(但し、この例においては独立的な2曲を一曲として国歌にしている)や、神よニュージーランドを守り給えのように、公的な場において複数言語の歌詞を一度に歌うことが慣習となっている例が存在する。

イギリスの国歌リヒテンシュタインの国歌や、フィンランドの国歌エストニアの国歌のように、同一のメロディーに別の歌詞(言語も異なる)が付けられている国歌も存在する。

ギリシャキプロスの国歌「自由への賛歌」や、トルコ北キプロス・トルコ共和国の国歌「独立行進曲」のように、複数の国が全く同一の曲(歌詞・言語・メロディーが全て同じ)を国歌とする例もある。

国歌の歌詞はおおむね、次の4種に分類される。

  1. 自国の自然風土を賛美する … 大韓民国など
  2. 神の栄光と国家の安寧を願う … インドなど
  3. 君主や君主国家を讃える … イギリス日本など
  4. 君主制への反逆や外的との抗争を歌う … アメリカフランス中華人民共和国など

国歌の改変・改訂[編集]

中華人民共和国の国歌(「義勇軍進行曲」)のように文化大革命で一度変更した歌詞を元に戻したり、ロシア連邦国歌のように他のメロディーに変更した後、再びソビエト連邦の国歌に新しい歌詞を付け直したりする例もある。

アメリカ合衆国の初代国歌は「コロンビア万歳」(ジョゼフ・ホプキンソン英語版作詞、フィリップ・フィリー英語版作曲)であった。2代国歌は「My Country, 'Tis of Thee(マイ・カントリー・ティズ・オブ・ジー)」であり、イギリス国歌と同じ旋律にサミュエル・フランシス・スミス英語版が曲をつけた。現行の国歌「星条旗」は3代目の国歌で、米英戦争中の1814年、アメリカ人弁護士フランシス・スコット・キーが、イギリス海軍の砲撃にさらされた米軍要塞にひるがえる星条旗から「マクヘンリー砦の守り」を作詞、曲はイギリス人作曲の流行歌「天国のアナクレオンへ」をあてた。1931年、正式に国歌に選定された。

フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、1792年ストラスブール市で工兵大尉ルージェ・ド・リールによって「ライン軍歌」として作詞作曲され、それをマルセイユからの義勇兵パリで広めたものである。1795年に国歌として制定されたが、ナポレオン・ボナパルトの第一帝政のときに「門出の歌」に変更され、1814年復古王政によって演奏中止となった。「ラ・マルセイエーズ」は七月革命後に復活したが、1852年から1870年のあいだは公共の場での歌唱が禁止された。1879年に国歌であることを再確認されたが、1992年には歌詞改変運動が起こっている。

ドイツの国歌「ドイツの歌」は、イギリス滞在中のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンがイギリスの人々が国歌を口ずさみ、国家への忠誠を心に深く抱く様を目撃して感銘を受け、また、時同じくして、祖国オーストリアがナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍の侵略に脅かされていたため、故郷の存続を他国から救い、人々にオーストリア人としての誇りを取り戻させ、励ますために「オーストリア国歌」制定を試み、作曲した「神よ、皇帝フランツを守り給え」(弦楽四重奏曲第77番 第2楽章)をもとにしている。これに詩をつけたのは、アウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン1841年のことである。ヴァイマル共和国時代に正式な国歌となったが、第二次世界大戦で敗北した後、一時、演奏禁止となり、1949年ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)成立時に3番のみを公式なものとして復活させた。

国歌の使用機会[編集]

国歌は多様な機会で使用される。休日や、祭りで演奏される場合や、オリンピックFIFAワールドカップなどのスポーツの国際大会や親善試合などでも試合の前や、金メダル受賞者に演奏される。幾つかの国では学校の始業前に毎日、愛国心の訓練のために演奏されたり、似た様に国旗に敬礼する。また他の国では演劇や映画の上演前に演奏される。多くのラジオテレビ局は放送開始と終了の時に国歌を流す。多くの場合1番 (stanza) のみ演奏される(ドイツは3番)。 ワールドゲームズにおいては、2001年に開催された第6回秋田大会から演奏されている。

国歌に準ずる曲[編集]

多くの国家は非公式な国歌も持っている(王室、文化圏、州、連邦州、など。例:ベルギー地域)。

国歌に次いでその国を象徴するような歌(曲)が「第二の国歌」と呼ばれることがある。ほとんどの場合法的に定められたものではない。「第二の国歌」として知られる曲として、イギリスの希望と栄光の国、アメリカ合衆国の星条旗よ永遠なれアメリカ・ザ・ビューティフル、イタリアのナブッコ、ロシアのカチューシャ、オーストリアの美しく青きドナウ、フィンランドのフィンランディアなどがある。

大きな統一体の場合、欧州連合 (EU) の歌として、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「歓喜の歌」をもつ。国際連合アフリカ連合も非公式な歌を持つ。2005年には、ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズグレートブリテン及び北アイルランド連合王国構成地域。イングランドウェールズスコットランドアイルランド北アイルランドアイルランド共和国)からなるラグビー連合)は "The Power of Four" を聖歌に定めた。

なお戦前の日本では、「海行かば」が第二国歌としての扱いを受けており様々な場面で唱和されていた[1]

国歌一覧[編集]

詳細は国歌の一覧を参照。

評価[編集]

作曲家團伊玖磨は晩年に、国歌の必要条件として、短い事エスニックである事好戦的でない事の3条件を挙げ、イギリス国歌ドイツ国歌君が代の3つが白眉であると評した。なお、君が代については同時に、「音楽として、歌曲としては変な曲だが国歌としては最適な曲である。」と書いていた[2]

脚注[編集]

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  1. ^ 堀 雅昭『戦争歌が映す近代』、葦書房、2001年、25-26頁
  2. ^ 團伊玖磨、「しっとりパイプのけむり」、p145、朝日新聞社、2000年、ISBN 4022574607

外部リンク[編集]