ガーナ

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ガーナ共和国
Republic of Ghana
ガーナの国旗 Coat of arms of Ghana.svg
国旗 (国章)
国の標語:Freedom and Justice
(英語: 自由と正義)
国歌神よ、祖国ガーナを賛美したもう
ガーナの位置
公用語 英語
首都 アクラ
最大の都市 アクラ
政府
大統領 ナナ・アクフォ=アド
副大統領英語版 マハムドゥ・バウミア英語版
面積
総計 239,460km277位
水面積率 3.6%
人口
総計(2012年 25,500,000人(???位
人口密度 87人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 176兆6,031億[1]セディ
GDP (MER)
合計(2008年 161億[1]ドル(100位
GDP (PPP)
合計(2008年342億[1]ドル(71位
1人あたり 2,200[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスから
1957年3月6日
通貨 セディ (GHS (GH¢))
時間帯 UTC (0)(DST:なし)
ISO 3166-1 GH / GHA
ccTLD .gh
国際電話番号 233

ガーナ共和国(ガーナきょうわこく)、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はアクラ

脱植民地化が活発であった最中の1957年に、サハラ以南アフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパ宗主国から独立を達成した国家である。イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名をガーナに変更した。初代大統領ンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。かつてゴールド・コースト[要曖昧さ回避]と呼ばれた海岸を保有しており、ダイヤモンドを産出する。カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。

国名[編集]

正式名称は英語で、Republic of Ghana(リパブリク・オヴ・ガーナ)。通称、Ghana [ˈɡɑːnə] ( 音声ファイル) ガーナ)。

日本語の表記は、ガーナ共和国

植民地時代はイギリス領ゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際してかつて西アフリカに栄えたガーナ帝国から新国名を採用した。

歴史[編集]

紀元前後[編集]

この地域が注目されるのは、紀元前2000年紀のキンタンポ文化の出現からである。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林サヴァンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩猟採集によって暮らしていた。2世紀頃からハニ遺跡で製鉄がおこなわれたことがわかっている。

13-16世紀[編集]

1688年のエルミナ城。この城砦から多くの奴隷が南北アメリカ大陸に連行されていった。

13世紀から16世紀はベゴーをはじめ幾つかの町がサハラ交易の一端を担ったともおもわれるが、ボノ・マンソに見られるように地域的なものにとどまった町もあったと思われる。また、西方からアカン人英語版モシ人エウェ人ゲン人英語版: Mina-Gen peopleグベ人 - : Gebe people)が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。

15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナなどに城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。その後、金が産出することがわかると「黄金海岸英語版」と呼ばれるようになった。その後、ドイツ人デンマーク人イギリス人オランダ人が来航し、奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、1776年に独立したアメリカ合衆国においては、労働力として使われることとなった。

アシャンティ王国[編集]

アシャンティ王コフィ・カルカリ(位:1867-1874)の黄金のマスク

17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人英語版オセイ・トゥトゥ英語版アシャンティ王国を建設し、大いに繁栄した。王国は18世紀から19世紀初頭にかけて全盛期を迎え、海岸部のファンテや北部のダゴンバなどを支配下におさめて現在のガーナの版図の大部分を勢力下とした。しかし19世紀初頭にイギリスをはじめとする各国が奴隷貿易を禁止すると、アシャンティの主力輸出品は金となった。

イギリス植民地[編集]

19世紀初頭には、この地域の海岸部にはケープコーストを拠点とするイギリスとエルミナを拠点とするオランダ、そしてデンマークの3つのヨーロッパ勢力が勢力を持っていた。このうち有力なのはイギリスであったが、奴隷貿易の禁止と海岸部のファンテ人の支配権をめぐってアシャンティとの関係が悪化し、1824年には第一次イギリス・アシャンティ戦争が勃発した。この戦争によってイギリスは沿岸部の支配権を確立し、1850年にはデンマークの砦を買収してさらに支配を固めた[2]が、このころから再びアシャンティとの関係が悪化した。アシャンティはオランダ人と協力することでイギリスと対抗していたが、1872年にオランダがエルミナをはじめとするこの地方のすべての拠点をイギリスに売却し撤退したため交易ルートが途絶し、経済的に打撃をこうむった。このため同年第二次イギリス・アシャンティ戦争が勃発したが、イギリスは勝利を重ね1874年にはアシャンティの首都クマシに入城して講和が締結された。この戦いの後イギリスは沿岸部の開発を進め、一方アシャンティは権威の失墜により勢力は大幅に縮小した[3]。アフリカ分割が激化した1896年、イギリスは3たびアシャンティに侵攻し、国王プレンペー2世を捕らえセイシェルへと流罪にした。この時点でアシャンティはイギリスの保護下に置かれたのだが、1900年にホジソン総督がアシャンティのレガリアである「黄金の床几」を要求したことで全土に及ぶ大反乱が勃発した[4]黄金の床几戦争である。この戦争でアシャンティは完全に滅亡し、イギリス領ゴールド・コーストは従来の沿岸部に加えアシャンティや北部などを編入した。

英領ゴールド・コーストにおいては、従来の金や木材に加え、1879年テテ・クワシによって持ち込まれたカカオ豆の栽培が急速に普及し、1911年には世界最大の生産国となった[5]。こうした産品の輸出でゴールド・コースト経済は繁栄し、鉄道の敷設や学校の建設などが行われた。

イギリスは第二次世界大戦に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退しており、これを受けて民族主義の気運が高まった。1947年には独立を目的とした「連合ゴールドコースト会議」が設立され、クワメ・ンクルマ1949年には会議人民党英語版を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、1951年の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となった。

独立以降[編集]

独立の父クワメ・ンクルマ汎アフリカ主義構想に基づいてアフリカ合衆国の建国を目指したが、1966年に失脚した

1956年にはンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に東隣のイギリス領トーゴランドと合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナはイギリス国王立憲君主に頂く英連邦王国であったが、1960年に共和制へ移行し、ンクルマが初代大統領となった。ンクルマは汎アフリカ主義を掲げ、冷戦下において社会主義圏(東側諸国)やギニアとの友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き1966年にクーデターで失脚した。政権を掌握した国家解放評議会はンクルマの政策から脱し、1969年には選挙を実施した。同選挙でコフィ・ブシアが首相に選ばれ民政に移管したが、反ンクルマ政策によるアカン人英語版中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年にはイグナティウス・アチャンポン将軍がクーデターを起こし、政権を握った。しかし、国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。

1979年に軍事クーデターを起こしたジェリー・ローリングス空軍大尉が政権を掌握し、民政移管期間を挟んで1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建のためにIMF世界銀行構造調整計画を受け入れ、所得格差の拡大と共に、ガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは複数政党制を認めた1992年の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。これを受けて、政治をボイコットしてきた野党も国政に参加を表明し、国情は安定を迎えた。ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した新愛国党ジョン・アジェクム・クフォーが大統領に就任した。

近年[編集]

政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになったことから、現在は西アフリカにおける数少ない議会制民主主義国として知られるようになった。2009年の選挙では国民民主会議が勝利し、ジョン・アッタ・ミルズが大統領に就任した[6]。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領のジョン・ドラマニ・マハマが大統領に昇格した[7]。2016年の選挙では新愛国党が政権を奪回し、ナナ・アクフォ=アドが大統領の座に就いた[8]

政治[編集]

ガーナの最高裁判所

ガーナは国家体制として共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1992年4月28日に制定されたもの。

行政[編集]

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は4年。3選は禁止。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領により任命されるが、国民議会の承認が必要。首相職はかつて存在したが、現行憲法下では存在しない。

立法[編集]

立法府一院制国民議会。定数は230議席で、議員は小選挙区制に基づき国民の直接選挙によって選出される。議員の任期は4年である。

ガーナは1992年に現行憲法が施行されて以降、複数政党制が認められており、実質的には二大政党制が機能している。1つは自由民主主義を掲げる中道右派新愛国党 (NPP)、もう1つは社会民主主義を掲げる中道左派国民民主会議 (NDC) である。その他の勢力は二大政党ほどの影響力は持っていないが、比較的有力なものに人民国家会議 (PNC) がある。かつてクワメ・ンクルマ初代大統領のもとで権勢を振るった会議人民党 (CPP) は現在も存続しているが、勢力は弱体化している。

司法[編集]

司法府の最高機関は最高裁判所であり、その下に高等裁判所、巡回裁判所、地方裁判所が置かれている。

国際関係[編集]

西アフリカ諸国経済共同体の主導的な立場にある国の一つである。アフリカの周辺諸国のみならず、旧宗主国のイギリスをはじめとした欧米諸国とも友好関係を保っている。

日本との関係では、野口英世がイギリスの植民地下のガーナで黄熱病の研究中に死去しているなど、古くから関係があり、英世の故郷である福島県福島県立医科大学が医師を派遣するなど関係も深い。日本の援助で、1979年にガーナ大学に研究所が設立された。また2006年には、千葉県浦安市等から自転車等の無償援助を受けている。2009年の国際交流基金による日本語教育機関調査では、ガーナにおける日本語学習者の数は906人であり、サハラ以南では、中央アフリカ、マダガスカル、ケニアに継ぐ第4位である。2017年7月現在の在留日本人数は358人()[9]、 2016年12月末現在在日ガーナ人数は2,129人(2016年12月末現在)[9]である。

日本のガーナからの輸入品の大半はカカオであり、2013年にはガーナからの輸入の76.7%を占めていた[10]。大手菓子メーカーロッテの商品「ガーナチョコレート」により、日本においてはガーナがカカオ豆の産出地であることが知られている。

地方行政区分[編集]

ガーナの州

ガーナは10の州 (region) から構成されている[11]

主要都市[編集]

最大都市は南部海岸にある首都のアクラである。第二都市であるクマシは旧アシャンティ王国の首都であり、英領となったあともカカオなどこの地域の物産の集散地として栄えた。南部海岸にあるセコンディ・タコラディも植民地時代からの都市であり、深水港を持つ。北部の中心都市はタマレである。

地理[編集]

ガーナの地図
ガーナの標高図

ギニア湾に面しており、ヴォルタ川流域の低地が国土の大半を占めるため、最高標高点は885mに過ぎない。ヴォルタ川水系の面積は国土面積の67%を占める。特に1965年にヴォルタ川をせき止めて作ったアコソンボダムが有名。自然湖としてボスムトゥイ湖が存在する。

気候的には全土が熱帯に属する。西部州やアシャンティ州をはじめとする南東部は熱帯モンスーン気候(Am)に属し、多量の降雨に恵まれて熱帯雨林が広がっている。ガーナ経済を支えるカカオは主にこの地域で栽培される。海岸部でも首都アクラを中心とする西部は降水量が少なく、サバナ気候(Aw)に属する。中部から北部にかけてもサバナ気候に属し、サバンナが広がる。北に行くほど降水量は少なくなり、乾燥の度合いが強くなるが、少ない地域でも1000㎜前後の降水量はある[12]

経済[編集]

首都アクラのダウンタウン
左テマ港、右タコラディ港
クマシ

2013年のガーナのGDPは約442億ドルであり[13]長崎県とほぼ同じ経済規模である[14]。同年の一人当たりのGDPは1,729ドルであり、世界平均の2割程で世界的に下位に位置するが、近年は原油の商業生産が始まったことにより経済成長も著しい。

経済は農業・鉱業等などの一次産業に依存し、特にカカオは世界有数の産出量を誇る。独立直後から債務超過に悩んでいたが、1983年以降、構造調整を実施して経済の再建に取り組んだ結果、1980年代後半から平均5%のGDP成長率を達成しアフリカにおける構造調整の優等生として評価されてきた。

2000年代に入るとカカオの国際価格の低迷、主要輸入品である原油価格の高騰などにより経済は低迷。2001年3月、拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ適用による債務救済申請を行う政策転換を行い、経済再建へ向けた努力を行っている。その結果、マクロ経済状況は改善、安定してきている。

鉱工業[編集]

ガーナ最大の輸出品はであり、2013年度には総輸出額の42.6%を占めた[15]。金は古くからこの地域の特産品であり、アシャンティ王国の隆盛を支えた。植民地時代の黄金海岸(ゴールド・コースト)の名もこれに由来している。かつては原油の純輸入国であったが、2007年6月から沖合で油田がいくつか発見され[16]、2010年の操業以降ガーナは原油の輸出国へと転じた。2013年には原油輸出は総輸出額の23.8%を占め、ガーナ第2の輸出品となっている[17]

電力アコソンボダムによる大規模な水力発電が行われており、総発電量のうち水力の割合は6割強を占める。この電力はトーゴやベナン、コートジボワールに輸出されており[18]、テマ市ではこの電力によるアルミニウム精錬も行われている。しかし水力発電は旱魃に弱く、また近年の経済成長と送電網の不備により電力不足がたびたび生じている[19]

近年、金やダイヤモンドなどの詐欺事件が多発し、対策として高価値鉱物マーケティング公社(PMMC)という公的機関も設立されているが、公的機関の書類自体も偽造されている場合があるので注意が必要である[20]。2000年代後半には金の価格が高騰し、関連産業も賑わいを見せるようになったが、次第に中国人が流入。2013年には3万人とも5万人とも推定される労働者(鉱夫)が違法労働を行うようになり、当局に検挙される事例が増えている[21]

農林業[編集]

カカオは1879年にテテ・クワシによって導入されたのち栽培が順調に拡大し、1911年にはガーナは世界最大の生産国となった。その後も植民地期を通じてカカオはガーナ最大の産業であり続け、1960年代中盤までその地位は揺らがなかった。しかし独立後のカカオ政策の混乱と価格低落によって生産量は急減し、コートジボワールに生産量1位の座を明け渡すこととなった。その後生産量は回復し、2013年度には生産世界第2位、ガーナ総輸出額の10.9%を占めた[22]

農林産品としてはこのほか、カシューナッツ木材の輸出もある。自給用作物としては、キャッサバヤムイモタロイモの生産が世界10位以内となっている[23]

交通[編集]

クマシの鉄道駅

コトカ国際空港は同国におけるハブ空港であり、国内線のみならずアフリカの近辺国や欧米との航空路線も多く運航されている。鉄道は1903年の開通後、アクラ、クマシ、セコンディ・タコラディの3都市を互いに結ぶ路線網を維持しているが貨物主体であり、2011年現在、旅客列車はアクラ近郊の2路線(テマ等)のみの運転となっている[24]。一般の旅客輸送はトロトロ(ワゴンタイプのミニバス)や大型の都市間バスなどが主体となっている[25]

国民[編集]

民族[編集]

2000年のセンサスによれば、アカン人英語版ファンティ人英語版en:Akyemアシャンティ人英語版en:Kwahuen:Akuapem peopleen:Nzema peopleBonoen:Akwamuen:Ahanta people、その他)が45.3%、モシダゴンバ人英語版が15.2%、エウェ人が11.7%、ガー人英語版が4%、グルマ人が3.6%、グルシ人英語版が2.6%、マンデ英語版ブサンガ人が1%、その他の民族が1.4%、ヨーロッパ人アラブ人などその他が7.8%となっている[26]ガーナの中国人英語版

言語[編集]

公用語英語であり、その他にアカン語ダバニ語エウェ語ガー語などが使われる。

政府公認言語として、トウィ語アクアペム方言(Akuapem Twi)、トウィ語アサンテ方言(Asante Twi)、エウェ語(Ewe)、ダガリ語(Dagaare)、ダバニ語(Dagbani)、アダングメ語(ダンメ語)(Dangme)、ガ語(Ga)、ゴンジャ語(Gonja)、カセム語(Kasem)、ファンティ語(Mfantse)、ンゼマ語(Nzema)がある。

宗教[編集]

2000年のセンサスによれば、国民の68.8%がキリスト教徒である。そのうちの24.1%がペンテコステ派、18.6%がプロテスタント、15.1%がカトリック、その他のキリスト教が11.5%である。イスラームは国民の15.9%を擁し、伝統宗教が8.5%、その他の宗教が0.7%、無宗教が6.1%となる[26]

教育[編集]

2年間の就学前教育と6年間の初等教育義務教育であり、初等教育の後に3年間の前期中等教育と4年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開ける。初等教育から学校教育における教授言語は英語であり、ガーナの公立学校では小学校一年生から英語で授業が行われる。2000年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は57.9%(男性:66.4% 女性:49.8%)である[26]。2005年にはGDPの5.4%が教育費に支出された[26]

主な高等教育機関としてはガーナ大学(1948)、クマシ大学ケープ・コースト大学などの名が挙げられる。

保健[編集]

ガーナはユニバーサルヘルスケアが実現され、政府所管の国民健康保険(NHIS)にて実現されている[27]。医療は様々なものが提供され、1200万人が国民健康保険に加入している[28]。都市部は病院、診療所、薬局とも十分に整備され、国内には200以上の病院が存在し医療観光の受入国になっている[29]

2013年の平均寿命は、男性66歳、女性67歳[30]乳児死亡率は1000出生あたり39[31]。 2010年では、人口10万あたり医師は15人、看護師93人[32]であり、GDPの5.2%が保健支出であった[33]。ガーナ市民はプライマリヘルスケアにアクセスする権利がある[34]。ガーナの医療制度アフリカ諸国において最も成功したものであるとビル&メリンダ・ゲイツ財団は評している[34]。2012年では、15-49歳成人のHIV罹患率は1.40%であった[35]

文化[編集]

食文化[編集]

ガーナの食事は主食にシチューを付け合わせるのが基本であるが、主食の種類は数多い。ヤムイモキャッサバプランテンバナナモロコシトウモロコシトウジンビエなどが主食として食されるほか、都市化の進展に伴いの消費も伸びている。食べ方としてはイモ類やバナナはそのまま、キャッサバや穀物は一度製粉してから練粥にして食べる。また、イモ類やバナナを杵と臼でついて餅状にしたフフも広く食べられている[36][37]

音楽[編集]

ガーナの鼓手

1920年代にリベリアシエラ・レオネで生まれたパームワイン・ミュージックを発展する形でハイライフが生まれた。ハイライフは最初期に成立したアフリカのポピュラー音楽であり、近隣のナイジェリアシエラ・レオネなど英語圏に拡大した他、ベルギー領コンゴにも波及してフランコやパパ・ウェンバらに影響を与え、キューバ音楽と共にリンガラ・ポップス(ルンバ・ロック)成立に大きな影響を与えた。

1990年代にはハイライフ、アフロ=レゲエ、ダンスホール、ヒップ・ホップなどの影響を受けた若者によって新たなジャンルが創造された。この新たなハイブリッド音楽はヒップライフと呼ばれている。R&B/ソウルの歌手ライアン・ベンソンやハイライフ歌手のコージョ・アントウィ、ラッパーのティンチー・ストライダーなどのガーナのミュージシャンは国際的な成功を収めている。

世界遺産[編集]

ガーナ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

ガーナ代表アフリカネイションズカップに1963年、1965年、1978年、1982年と4度に渡って優勝しているが、ワールドカップ予選ではことごとく敗退してきた。しかし、2006 FIFAワールドカップ予選では見事勝ち抜き、本大会への出場が決まった。本大会では強豪チェコを破るなどの活躍を見せ、決勝トーナメントへ進んだが、決勝トーナメント1回戦でブラジルに3-0で敗れた。2010 FIFAワールドカップではアフリカ勢で唯一グループリーグを突破し、1990年のカメルーン、2002年のセネガルに続きアフリカ勢3カ国目、自国初となるベスト8進出も果たした。

ガーナサッカー協会(Ghana Football Association)は、CAF(アフリカサッカー連盟)の主催するアフリカネイションズカップを、1963年、1978年、2008年に単独開催し、2000年にはナイジェリアと共同開催した。2008年に開催されたアフリカネイションズカップでは、ガーナ代表は3位であった。

ボクシング[編集]

元世界チャンピオンのアイク・クォーティWBAウェルター級)やジョシュア・クロッティIBFウェルター級)など、単なる一王者ではなく、世界水準でも評価の高い好選手を輩出している。またアズマー・ネルソンは、ガーナのみならずアフリカボクシング界全体の象徴になるまでの評価を得た選手である。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.33, アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
  3. ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.42-43 アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
  4. ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.45-46 アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
  5. ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.58, アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
  6. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2554145?cx_part=search 「ガーナ大統領選決選投票、野党ミルズ氏が当選」AFPBB 2009年1月3日 2018年10月30日閲覧
  7. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2891428 「ガーナのミルズ大統領が急死、後任に副大統領が昇格」AFPBB 2012年7月25日 2018年10月30日閲覧
  8. ^ https://www.sankei.com/world/news/161210/wor1612100034-n1.html 「ガーナ大統領選 野党候補の元外相が当選」産経ニュース 2016.12.10 2018年10月30日閲覧
  9. ^ a b 外務省 ガーナ基礎データ
  10. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
  11. ^ 州の読みはhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/ghana/pdfs/sect03_01_0707.pdf を参照した。
  12. ^ 「ガーナを知るための47章」p60-61 高根務・山田肖子編著 明石書店 2011年8月10日初版第1刷
  13. ^ IMFによるGDP
  14. ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
  15. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
  16. ^ 「ガーナを知るための47章」p85 高根務・山田肖子編著 明石書店 2011年8月10日初版第1刷
  17. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
  18. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p94、朝倉書店 ISBN 4254166621
  19. ^ https://www.jetro.go.jp/ext_images/theme/bop/precedents/pdf/lifestyle_electricity_gh.pdf 「電力事情 - ジェトロ」JETRO 2013年 2018年10月31日閲覧
  20. ^ [2]
  21. ^ “ガーナで中国人大量逮捕 身勝手すぎる理由とは?”. livedoor News (NewSphere). (2013年6月13日). http://news.livedoor.com/article/detail/7754817/ 2014年2月6日閲覧。 [リンク切れ]
  22. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
  23. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
  24. ^ 「ガーナを知るための47章」p146 高根務・山田肖子編著 明石書店 2011年8月10日初版第1刷
  25. ^ 「ガーナを知るための47章」p148 高根務・山田肖子編著 明石書店 2011年8月10日初版第1刷
  26. ^ a b c d CIA World Factbook2009年11月26日閲覧。
  27. ^ National Health Insurance Scheme (NHIS)”. nhis.gov.gh. 2014年5月10日閲覧。
  28. ^ Ghana: National Health Insurance Scheme (NHIS)”. jointlearningnetwork.org. 2014年5月10日閲覧。
  29. ^ Medical tourism is emerging market for Ghana”. eturbonews.com (2009年8月5日). 2014年5月10日閲覧。
  30. ^ Field Listing :: Life expectancy at birth. Retrieved 24 June 2013.
  31. ^ Field Listing :: Infant mortality rate.cia.gov. Retrieved 24 June 2013.
  32. ^ Afro.who.int”. Afro.who.int. 2014年5月10日閲覧。
  33. ^ Field Listing :: Health expenditures. Retrieved 24 June 2013.
  34. ^ a b These are the countries where I'm the least known" – Bill Gates visits Ghana”. thejournal.ie. 2014年5月10日閲覧。
  35. ^ Library publications”. 2015年2月5日閲覧。
  36. ^ 「ガーナを知るための47章」p151-152 高根務・山田肖子編著 明石書店 2011年8月10日初版第1刷
  37. ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.162-168 アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]