モーリタニア

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モーリタニア・イスラム共和国
الجمهورية الإسلامية الموريتانية
République Islamique de Mauritanie
モーリタニアの国旗 モーリタニアの国章
国旗 (国章)
国の標語:Honneur, Fraternité, Justice
(フランス語: 名誉、友愛、正義)
国歌モーリタニアの国歌
モーリタニアの位置
公用語 アラビア語
首都 ヌアクショット
最大の都市 ヌアクショット
政府
大統領 ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ
首相 ムーライ・ウルド・ムハンマド・ラグダフ
面積
総計 1,030,700km228位
水面積率 極僅か
人口
総計(2015年 4,067,564人(???位
人口密度 3.95人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 7,888億[1]ウギア
GDP (MER)
合計(2008年 31億[1]ドル(150位
GDP (PPP)
合計(2008年 62億[1]ドル(147位
1人あたり 2,051[1]ドル
独立
 - 日付
フランスから
1960年11月28日
通貨 ウギア (MRO)
時間帯 UTC (0)(DST:なし)
ISO 3166-1 MR / MRT
ccTLD .mr
国際電話番号 222

モーリタニア・イスラム共和国(モーリタニア・イスラムきょうわこく、アラビア語: الجمهورية الإسلامية الموريتانية‎)、通称モーリタニアは、アフリカ北西部に位置する共和制国家。 北西にモロッコサハラ・アラブ民主共和国)、北東にアルジェリア、東と南にマリ、南西にセネガルと国境を接し、西は大西洋に面する。 大西洋沖の西にはカーボベルデが存在する。 首都はヌアクショット2015年の人口は約406.8万人。

アフリカ世界アラブ世界の一員であり、アフリカ連合アラブ連盟に加盟している。アラブ・マグリブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。

国名[編集]

正式名称はアラビア語で、الجمهورية الإسلامية الموريتانيةアル・ジュムフーリーヤ・アル・イスラーミーヤ・アル・ムーリーターニーヤ[2]

フランス語表記は、République islamique de Mauritanieレピュブリク・イスラミク・ドゥ・モーリタニ

公式の英語表記は、Islamic Republic of Mauritaniaイスラミク・リパブリク・オヴ・モーラテイニア。通称、Mauritaniaモーラテイニア

日本語の表記は、モーリタニア・イスラーム共和国。通称、モーリタニア

国名はアフリカの地中海岸に位置したベルベル人の古代国家マウレータニア(現在のアルジェリアとモロッコ)からとられている。

歴史[編集]

ガーナ王国の領域と当時の交易路(11世紀

8世紀(4世紀との説もある)ころから、国土の南東部に残されたクンビ=サレー英語版を首都として、ガーナ王国が繁栄した。ガーナ王国は、セネガル川上流のバンブク周辺から産出されるサハラ砂漠岩塩から採取される、北方からの製品や衣服、装身具などの各種手工業製品の交易路を押さえ、その中継貿易の利で繁栄した。このようなサハラ越えの隊商交易の利を押さえようとしたムラービト朝1077年に滅ぼされるまでその繁栄は続いた。

世界遺産にもなっているシンゲッティ(シンキート)ワーダーンワッラータティシート隊商都市は、ガーナ王国と並行して発展し、ガーナが滅亡した11〜12世紀にも繁栄を続けた。シンゲッティは、モーリタニア北西部に位置し、古くからシンゲッティ王国の首都であったが、12世紀ごろになるとメッカの巡礼地の出発点となり、イスラム学者学生修道士などが集まる文化都市となった。シンゲッティ北東約100kmに位置するワーダーンは、マリ帝国で産出するや北西約200kmに位置するイジルの岩塩から採取される塩の取り引きのための中継地にあたるため、その交易の利で12世紀ころから数百年にわたって繁栄した。内陸部のティシートもムラービト朝ムワッヒド朝の外周都市としてやはりイジルの岩塩によって繁栄した。16世紀オウド=ベラ族に要塞都市に造り替えられた。その後、交易路が変わったために衰退した。

ガーナ王国滅亡後、500年以上にわたってベルベル人の支配が続き、黒人からなる地元勢力が抵抗したが、打倒にはいたらなかった。最後の大規模な抵抗は1644年から1674年にわたって行われた戦争であるが、これも地元勢力の敗北に終わった。

フランス植民地時代[編集]

20世紀初めにフランスによって植民地化され、フランス領西アフリカの一部となった。

1958年フランス共同体が発足すると、共同体内の一共和国となった。「アフリカの年」こと1960年11月28日に、アフリカ諸国の独立が進む中で独立を達成した。

独立後[編集]

1960年の独立の翌1961年憲法が制定された。フランス第五共和政と同様に、大統領の権限が強いものであった。初代大統領にはモーリタニア人民党モフタール・ウルド・ダッダが就任した。植民地時代の行政区画がそのまま国土の範囲に継承されたため、独立後の国民統合に課題を抱えている。1965年憲法改正では一党独裁社会主義政権の方針が規定された。ダッダ政権はモロッコと共に西サハラの領有権を主張し、1975年に南部を占領してポリサリオ戦線と対立した。しかし、ポリサリオ戦線との戦いによる負担は重く、和平を望んだ軍部のクーデターによって1978年7月にダッダは失脚した。翌1979年にポリサリオ戦線との和平協定が結ばれた。

1984年クーデターで政権を掌握したタヤ大統領は、1990年代初頭、1992年及び1997年大統領選挙で勝利を収めた。しかしその後、クーデター未遂等が発生した。

1989年モーリタニア・セネガル国境紛争英語版が勃発し、数万人に及ぶ両国国民が相互に両国国内から追放された。

2004年にはサバクトビバッタの大量発生 (2004年)英語版が発生している。

2005年8月にはタヤ大統領不在時に軍部が無血のクーデターにより政権を掌握した。その結果「正義と民主主義のための軍事評議会」が設置され、現在民主化プロセスを進展中。2006年6月25日には憲法改正国民投票が実施され、有効投票の約97%が改正を承認。政権交代の原則が公認される。11月から12月にかけて国民議会・地方議会、2007年1月に上院議会のそれぞれの議員選挙が行われた。2007年3月11日に大統領選挙第1回投票が行われ、3月25日に決選投票が行われた結果、スィディ・ムハンマド・ウルド・シェイク・アブダライ元水産相が新大統領に選出された。

2008年8月6日、軍事クーデターが発生し、アブダライ大統領、ワクフ首相、内相が軍に拘束されていると報道された[3][4]。また、クーデター実行部隊は同大統領らを拘束したムハンマド・ウルド・アブドゥルアズィーズ大統領警護隊長を議長とする「高等国家評議会」の樹立を宣言した[5]。このクーデターについて、欧米各国、アフリカ連合アラブ連盟は非難声明を出し、アブダッライ大統領を権力に復帰させるよう求めた。高等国家評議会は、2009年6月に民主化のための選挙を行うと表明。2008年12月には、拘束されていたアブダライ大統領をはじめとする旧政府要人が解放されたが、2009年1月には現政権支持派によるアブダライ批判デモが起こるなど、不安定な状態が続いている。

2009年6月実施予定の大統領選に出馬するため、アブドゥルアズィーズは2009年4月に軍政トップを辞任した。大統領選は予定通り6月に実施され、アブドゥルアズィーズが当選した。

政治[編集]

国際関係[編集]

外交面では非同盟を軸として穏健中立を貫くとともに、フランスを始めとする先進諸国との関係強化を進めている。アラブ・マグレブ連合(AMU)のメンバーとしてイスラム諸国との域内協力に積極姿勢を示す一方で、1999年10月にはイスラエルとの外交関係を樹立した。

モーリタニアはアラブ系民族であるムーア人が支配民族に位置し、アラビア語を公用語とするアラブ系国家として、アラブ連盟加盟国である。アラブ諸国内ではモロッコ及びリビアと外交的に対立し、チュニジアおよびイラクと友好関係を保っている。しかしその一方で、親米姿勢を取り、イスラエルを承認し、1999年にはイスラエルと外交関係を樹立した。しかし2008年に始まったイスラエルによるガザ侵攻に反発し、2009年にイスラエルとの外交関係を断絶し、再び反イスラエルに転じている。

スペイン旧スペイン領サハラを放棄すると、モロッコ同様に領土権を主張し、南部を占領した。しかしポリサリオ戦線の抵抗に遭い、1979年4月に和平協定を結んで領有権を放棄している。

1989年に南隣のセネガルとの間でモーリタニア・セネガル国境紛争英語版が勃発した。

日本との関係[編集]

  • 在留日本人数 - 17名(2013年速報値)[6]
  • 在日モーリタニア人数 - 20名(2013年)[7]
  • 中村正明 - 2015年現在、日本の輸入タコのシェア1位はモーリタニアで、彼は1978年に国際協力事業団(現JICA)から派遣され7年間漁業指導を行った。その功績が認められ、2010年に大統領から国家功労賞を授与された。

地方行政区分[編集]

モーリタニアの地方行政区分

モーリタニアは12の州と首都ヌアクショットに分かれている。

  1. アドラル州 (Adrar)
  2. アサバ州 (Assaba)
  3. ブラクナ州(Brakna)
  4. ダフレト・ヌアジブ州 (Dakhlet Nouadhibou)
  5. ゴルゴル州 (Gorgol)
  6. ギディマカ州 (Guidimaka)
  7. ホズ・エッシャルギ州 (Hodh Ech Chargui)
  8. ホズ・エルガルビ州 (Hodh El Gharbi)
  9. インシリ州 (Inchiri)
  10. ヌアクショット (Nouakchott)
  11. タガント州 (Tagant)
  12. ティリス・ゼムール州 (Tiris Zemmour)
  13. トラルザ州 (Trarza)

主要都市[編集]

主要な都市はヌアクショット(首都)、ヌアディブロッソがある。

地理[編集]

モーリタニアの地図
地形図
シンゲッティのあるアドラール高原

アフリカ大陸の西側に位置するモーリタニアは、おおむね平坦で日本の約3倍の国土面積を持つ。全土がサハラ砂漠に位置するため、国土の90%以上が砂漠であり、中央部にリシャット構造と呼ばれる同心円状の特徴的な地形がある。南部のセネガル国境を成すセネガル川流域や点在するオアシスが僅かに乾燥を免れた地域となっている。大西洋岸とセネガル川流域には平野が広がり、内陸部は高原となっている。国内最高峰は北部のズエラート付近にあるケディエ・エジュ・ジル英語版山(915m)で、全山が磁鉄鉱からなるためコンパスを狂わすと言われる。

近年サハラ砂漠の砂漠化の拡大が問題となっている。

ケッペンの気候区分によれば、全土が砂漠気候であるが、南部のサヘルステップ気候になる。冬にハルマッタンと呼ばれる北東の風が吹き出す。低緯度地域ではあるが、沿岸部は寒流であるカナリア海流の影響により、温暖な気候となっている。首都ヌアクショットの年間降水量は100mmを越えない。

サバクトビバッタの大発生[編集]

サバクトビバッタの大量発生 (2004年)英語版の被害を受けた。

経済[編集]

独立以前は牧畜や南部の農業等しか産業が存在しなかった。1960年の独立以降、天然資源(鉱業、農業、漁業、牧畜)の開発と有効利用を中心に経済・社会の発展が図られ、特に漁業と鉱業の発展は著しかった。1980年代に入ると中小規模の産業も生まれ、今日のグローバル化の厳しい競争環境の中で生き延びている。外貨収入は水産物(タコ及びイカ)及び鉄鉱石の輸出に依存してきたが、2006年2月からChinguetti海上油田の生産を開始し、他の油田も開発途上で、モーリタニアの経済・社会発展は強化されつつある。収入源となる新しい経済部門を得たことは、今後、経済の再活性化、多様化につながると見られている。

日本が輸入するマダコの主要輸入先の一国である。特にタコは日本で食べられているタコの3割(他、日本30% 中国11% モロッコ10% その他19%〜財務省 貿易統計【2012年】)を占めている。日本への輸出額は年間、約170億円にもなる。だが、元々砂漠の遊牧民でラクダや牛を食料源としてきたモーリタニアの人々は、近年になって魚介類も食べ始めたものの、タコだけは見た目への嫌悪感から食べられず、未だにタコを食べる習慣が無いとのこと[8]

2005年9月に「採掘産業の透明性イニシアティヴ(ITIE)」に参加し、「石油収入国家基金」を法により設立し、石油から得た収入を全額基金に振り込むことを決定した。基金は国外の銀行に設けられ、国際監査を受ける。政府は、モーリタニア石油資源管理に大きな特権を有する国営石油会社「モーリタニア炭化水素公社 Société Mauritanienne des Hydrocarbures(SMH)」も設立した。

OECDの最新報告によると、モーリタニアの2006年の成長率は26.9%となると予想されている。

交通[編集]

道を行き交うシャレット(ヌアクショット

道路[編集]

道路は右側通行である。交通ルールを守らないドライバーが多く、道路上を動物が歩き回るなど条件は悪い[9]ロバに台車を引かせる『シャレット』が多数公道を走行しているが、遅いため渋滞の原因になっている[9]

交通機関として目的地まで向かうタクシーと、決まったルートをピックアップトラックなどで巡回する乗り合いタクシーが存在する。乗り合いタクシーは安価だが限界まで人を詰め込むという[9]

鉄道[編集]

モーリタニア鉄道貨物列車は一本の車両につき車両数230両、長さは約3kmもあり世界一の長さを誇る。主に鉄鉱石を運搬しており、ズエラットからヌアディブは約650kmで15時間から20時間を要する[10]

国民[編集]

民族[編集]

国民の40%がムーア人アラブ人ベルベル人の混血)と黒人の混血、あとの30%ずつがムーア人と黒人である[11]。黒人諸民族は、人口の7%を占めるウォロフ人のほか、トゥクロール人en:Haratinセレール族ソニンケ族プル人などが居住する。多年のムーア人支配の影響で、社会の上層部はムーア人が占める。アラブ人には遊牧生活を営むベドウィンも存在する。

言語[編集]

アラビア語公用語とする。モーリタニアで話されているアラビア語は「ハッサーニーヤ」と呼ばれ、黒人言語やベルベル語フランス語の影響を受けている。支配層のムーア人は人種的にはベルベル人の要素が強いが、文化的には長い間のイスラームの影響によりアラブ化しており、ベルベル語を保っているものは少数である。高等教育を受けた、商業関係者、政府役人、教育関係者の間では多くフランス語が用いられており、ドライバーや警備員など外国人を相手にする者にも広く通じる[9]英語は入国審査官や研究者などごく一部の者にしか使われない[9]。その他、ウォロフ語なども使われている。

教育[編集]

モーリタニアの学童

6歳から12歳までの初等教育が無償の義務教育期間となっており、その後6年間の総合中等教育を経て高等教育を行う。2003年の15歳以上の人口の識字率は51.2%である[12]

文化[編集]

宗教[編集]

スンニ派イスラーム国教とし、1991年憲法改正でイスラーム法(シャリーア)が正式に採用された。イスラム教徒の比率は99.1%であり、非イスラム教徒はほぼ外国人である。

イスラム教国であるが、イスラム教徒でなければ国内での飲酒は容認されており、外国人は少量の種類を持ち込める[9]。ただし持ち込み時に税関に賄賂を渡さないと空港内で没収されるという[9]。また繁華街では出稼ぎの中国人を相手にする中華料理店が存在しており[9]青島ビールが容易に入手できる[9]など適用は緩やかである。

食文化[編集]

肉は伝統的にヤギラクダ、鶏が食されるが、イスラム教国であるため豚肉は流通していない[9]。野菜も手に入るがほぼ輸入品であるため品質は悪い[9]クスクスなどの味付けにはトマトピューレが多く使われてる[9]セネガル料理チェブジェンもよく食されており、パック入りの状態で販売されている[9]

沿岸部では魚も食されるがタコやイカは気味悪がられているため、日本の協力により蛸壺を使う日本式のタコ漁が盛んになっても食べる習慣は無く[9]、全て輸出に回されるため首都ですら流通していない[9]。このため英語やフランス語が話せてもOctopus/Pieuvreという単語を知らずイカとタコの区別が曖昧な者もいる[9]

植民地時代の名残で都市部ではフランス風のパンを焼くパン屋があり、スパゲッティもよく食べられる[9]。また茶を飲む習慣も広まったが、茶は砂糖とミントを入れて沸騰させ濃いめにし小さなグラスで3回に分けて飲むというスタイルである[9]。なお紅茶ではなく中国茶が多く飲まれている[9]。また日本からの支援物資であるコメも流通しており[9]、チェブジェンにも使われている。

世界遺産[編集]

モーリタニアには、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件ある。

祝祭日[編集]

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
11月28日 独立記念日 LISTIKLAL

治安[編集]

アフリカ諸国の中では比較的良いという[9]

社会問題[編集]

賄賂[編集]

外国人に対しては郵便局で荷物の受け取る際にも金銭を要求するなど、行政組織の腐敗も根強く残っている[9]

人種差別[編集]

ベルベル人アラブ人混血である、イスラム教徒のムーア人(モール人)が社会の上層を占める。ムーア人と黒人が対立する構図は、独立後も続いている。

奴隷制[編集]

独立後も奴隷制が続いていたが、1980年に公式には奴隷制が廃止された(公式には世界奴隷制消滅宣言)。ただし、その後も実態として虐待を伴う奴隷制は続き、若干の賃金が与えられているだけとの指摘もある。2003年には再び人身売買を禁止する法律が公布された。

ガヴァージュ[編集]

少女を強制的に肥満化させる風習があり、「ガヴァージュgavage[13]」または「ルブル」と呼ばれる。農耕に向かないサハラ砂漠が広がるモーリタニアとその周辺では伝統的に、太った女性は豊かな家庭の象徴とみなされ、男性からも好まれた。

このため各家庭では娘を美しくして良い結婚をさせるため、少女時代に強制的に太らせるようになった。砂糖を加えたラクダの乳や雑穀クスクスなどを大量に飲み食いさせ、拒否すれば木の万力つま先や手の指を挟む罰を与えることもあった。さらに運動を制限し、食欲を増進する薬を使う場合もあった。

モーリタニア政府の2011年時点の調査によると、10歳までに太るような生活を強いられた経験を持つモーリタニア人女性は約6割だった。ルブルで死亡した少女もいるうえ、肥満は心臓疾患、糖尿病、関節炎など健康被害をもたらす。このため政府の社会問題・子供・家庭省はルブル撲滅を国民に訴えており、以前より減っている[14]

砂漠化[編集]

国土の砂漠化が著しく、首都ヌアクショット周辺の住宅地も砂漠に飲み込まれ、放棄されている。

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ ラテン文字翻字:Al-Jumhuriya al-Islamiya al-Muritaniya
  3. ^ BBC World,Breaking News
  4. ^ http://www.cnn.co.jp/world/CNN200808060035.html
  5. ^ “モーリタニアでクーデター 軍が大統領ら拘束”. 47NEWS. 共同通信. (2008年8月6日). http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008080601000915.html 2011年2月19日閲覧。 
  6. ^ 外務省 モーリタニア基礎データ
  7. ^ 外務省 モーリタニア基礎データ
  8. ^ テレビ東京『ありえへん世界』〜99%行かない国!?世界の秘境SP〜 6月6日午後6:30〜8:54 「西アフリカ・サハラ砂漠の国『モーリタニア』こんな所にも日本が!〜日本人が食べているタコの3割は"モーリタニア産"!?〜」番組内の説明より抜粋。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 前野浩太郎 (著) バッタを倒しにアフリカへ 光文社新書 2017年
  10. ^ テレビ東京『ありえへん世界』〜99%行かない国!?世界の秘境SP〜 6月6日午後6:30〜8:54 「西アフリカ・サハラ砂漠の国『モーリタニア』〜230両…約3km "世界一長い電車"」番組内の説明より抜粋。
  11. ^ CIA - The World Factbook
  12. ^ cia.gov
  13. ^ 日本語では通常、gavageを「経管栄養」と訳出するが、ここでのgavageとは全く違う目的の行為である。この場合のgavageガチョウやカモへの強制給餌フランス語版に近い行為を人間に対して行なうもので、場合によっては嘔吐等によって窒息死することがある。
  14. ^ 【世界深層in-depth】アフリカ・モーリタニア/ぽっちゃり女性モテモテの陰で/無理やり飲食 死者も『読売新聞』朝刊2017年9月14日

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府

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