8世紀

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千年紀: 1千年紀
世紀: 7世紀 - 8世紀 - 9世紀
十年紀: 700年代 710年代 720年代 730年代 740年代
750年代 760年代 770年代 780年代 790年代
イスラム帝国の拡大。
ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。
エローラ石窟群の第16窟カイラサナータ寺院。8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教シヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた。
ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝時代に造営された。
唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。
大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。
唐三彩駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。
東大寺法華堂執金剛神。日本では平城遷都が行われ国際色の豊かな天平文化が花開いた。
平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。
タリム盆地高昌故城出土の細密画「マニ教経典断簡」。ウイグルではマニ教が国教化された。
ケルズの書』。『ダロウの書』『リンディスファーンの福音書』とともに三大ケルト装飾写本の一つとされ、「世界で最も美しい本」とも称される。
アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。

8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。この項目では、国際的な視点に基づいた8世紀について記載する。

できごと[編集]


700年代[編集]

710年代[編集]

720年代[編集]

730年代[編集]

740年代[編集]

750年代[編集]

760年代[編集]

770年代[編集]

780年代[編集]

790年代[編集]

800年代[編集]

伝説・フィクションのできごと[編集]

  • 712年以降 - 唐の玄宗皇帝がの高熱にうなされていると、夢の中に鍾馗が現れ、玄宗への恩義に報いるべく、瘧の原因となっている子鬼どもを退治していく(「鍾馗」伝説)。
  • 756年以降 - 唐の玄宗皇帝は馬嵬で殺された楊貴妃を想い、方士に命じその魂魄の行方を探させる。各地を遍歴して蓬莱宮に至った方士は楊貴妃に巡り会い、玄宗への形見と誓いの言葉を託される(白居易長恨歌」)。
  • 773年 - 藤原豊成の娘中将姫長谷観音の導きにより一夜で蓮糸を用いて曼荼羅を織り上げる(「當麻曼荼羅」伝説・折口信夫死者の書』ほか)。

人物[編集]

東アジア[編集]

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  • 張柬之625年 - 706年) - 唐の政治家・張易之と張昌宗の兄弟を斬り則天武后を退位させる・中宗の復位を実現
  • 韋后(? - 710年) - 唐の皇帝中宗の皇后・「武韋の禍」の一人・娘の安楽公主とともに中宗を殺害し帝位を窺う
  • 太平公主665年? - 713年) - 唐の皇帝高宗の娘・母は則天武后・韋后排斥の中心人物・後に甥の李隆基と対立し滅ぼされる
  • 張説667年 - 730年) - 唐の政治家・宰相・李隆基に挙兵を決断させた功で有名・詩人として『張説之文集』がある
  • 玄宗(李隆基)(685年 - 762年) - 唐の第6代皇帝(在位712年 - 756年)・その治世前半が「開元の治」
  • 姚崇650年 - 721年) - 唐の政治家・宰相・宋璟とともに「姚宋」と呼ばれ「開元の治」を指導
  • 宋璟663年 - 737年) - 唐の政治家・宰相・姚崇とともに「姚宋」と呼ばれ「開元の治」を指導
  • 張九齢678年 - 740年) - 唐の政治家・宰相・李林甫と対立し辞職・「開元最後の賢相」と呼ばれる
  • 李林甫(? - 752年) - 唐の政治家・宰相・張九齢らを失脚させ天宝年間の政局を握る・府兵制崩壊に伴い異民族節度使を登用
  • 高力士684年 - 762年) - 唐の宦官・韋后討伐から安史の乱まで玄宗の腹心として仕える・李輔国に失脚させられる
  • 郭子儀697年 - 781年) - 唐の軍人・安史の乱を平定・後には吐蕃やウイグルの反乱も鎮圧する
  • 高仙芝(? - 755年)- 唐の高句麗軍人・タラス河畔の戦いで敗北・安史の乱の渦中で処刑される
  • 李輔国704年 - 762年) - 唐の宦官・玄宗に代わり粛宗を擁立・粛宗の皇后を殺害させるなど専権を極める
  • 楊国忠(? - 756年) - 唐の宰相・楊貴妃の親族として出世・安史の乱で長安を捨て四川に逃亡するが殺害される
  • 楊貴妃719年 - 756年) - 唐の玄宗の寵妃・安史の乱の原因とされ楊国忠に続き馬嵬で殺される
  • 安禄山705年? - 757年) - 唐の安史の乱の指導者・もとは節度使・大燕皇帝を自称(在位756年 - 757年)・実子安慶緒に殺される
  • 史思明703年 - 761年) - 唐の安史の乱の指導者・もとは安禄山の部下・大燕皇帝を自称(在位759年 - 761年)・実子史朝義に殺される
  • 魚朝恩(721年 - 770年) - 唐の宦官・神策軍を従え代宗の宮廷で専権を振るうが元載の命で処刑される
  • 楊炎727年 - 781年) - 唐の政治家・皇帝徳宗に仕え均田制/租庸調制に代わる両税法を創設・のちに失脚し処刑される
  • 第五琦729年 - 799年) - 唐の政治家・塩法による塩の専売制を導入し財政再建に尽力・乾元重宝銭の鋳造で物価高騰を招く
  • 杜佑735年 - 812年) - 唐の官僚・歴史家として法令制度の通史『通典』をまとめる・杜牧は孫
  • 司馬承禎643年 - 735年) - 唐の道士・「道先仏後」の唐にあって玄宗の信任を得る・著作に『坐忘論』『天隠子』がある
  • 李思訓651年 - 718年) - 唐の画家・皇族であり官僚として玄宗に仕える・「北画の祖」とされる
  • 呉道玄(生没年不詳) - 唐の画家・玄宗に仕えて山水画の画法に変革をもたらし「画聖」と呼ばれる
  • 張萱(生没年不詳) - 唐の画家・宮廷で活躍し「虢国夫人游春図」「搗練図」(いずれも後世の模作)が残る
  • 呉競(670年 - 749年) - 唐の歴史家・唐の太宗とその臣下の言行を記録した『貞観政要』を編纂
  • 李瀚(生没年不詳) - 唐の文筆家・上古から六朝までの逸話を選び初学者用に編纂した『蒙求』で知られる
  • 鑑真688年 - 763年) - 唐の僧侶・日本に渡り律宗を伝える・奈良の唐招提寺の開基となる
  • 孟浩然689年 - 740年) - 唐の詩人・代表作に「春暁」がある・官人にはなれず在野で活躍
  • 王維701年 - 761年) - 唐の詩人で「詩仏」と称される・画家として「南画の祖」とされる
  • 李白701年 - 762年)- 唐の詩人で「詩仙」と称される・代表作に「早發白帝城」がある
  • 顔真卿709年 - 785年) - 唐の書家・「争座位帖」や「祭姪文稿」がある・安史の乱でも活躍し忠臣とされる
  • 杜甫712年 - 770年) - 唐の詩人で「詩聖」と称される・代表作に「春望」がある
  • 張旭(生没年不詳) - 唐の書家・狂草という奔放な書体で有名・「自言帖」や「郎官石柱記」がある
  • 懐素725年 - 785年) - 唐の書家・僧侶・張旭の狂草の影響を受ける・「草書千字文」が有名
  • 陸羽733年 - 804年) - 唐の文筆家・にまつわる知識をまとめた『茶経』を残す
  • 沈既済750年 - 800年頃) - 唐の歴史家・小説家・歴史書『建中実録』や伝奇小説「枕中記」「任氏伝」がある。

渤海[編集]

日本[編集]

南アジア・チベット・東南アジア[編集]

イスラム世界[編集]

ウマイヤ朝[編集]

後ウマイヤ朝[編集]

アッバース朝[編集]

思想家・学者[編集]

中央アジア[編集]

キリスト教世界[編集]

フランク王国[編集]

イタリア[編集]

東ローマ帝国と東方正教圏[編集]

イベリア半島[編集]

イングランド[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

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関連項目[編集]