アゼルバイジャン
- アゼルバイジャン共和国
- Azərbaycan Respublikası
-
(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:Azərbaycan Respublikasının Dövlət Himni(アゼルバイジャン語)
アゼルバイジャン共和国国歌 -
公用語 アゼルバイジャン語 首都 バクー 最大の都市 バクー 独立
宣言ソビエト連邦より 1991年8月30日 通貨 アゼルバイジャン・マナト (AZM) 時間帯 UTC +4(DST:なし) ISO 3166-1 AZ / AZE ccTLD .az 国際電話番号 994 - 事実上独立状態にあるナゴルノ・カラバフ共和国を除いた数値は、面積75,100km2、人口9,44,100人(2015年[3])。
アゼルバイジャン共和国(アゼルバイジャンきょうわこく、アゼルバイジャン語: Azərbaycan Respublikası)、通称アゼルバイジャン は、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。北はロシア、北西はジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。
目次
国名[編集]
正式名称はアゼルバイジャン語で、Azərbaycan Respublikası [ɑzæɾbɑjdʒɑn ɾespblikɑsɯ]。カタカナの大まかな発音は、「アゼルバイヂャン・レスプブリカス」。
日本語の表記はアゼルバイジャン共和国、通称アゼルバイジャン。英語表記ではRepublic of Azerbaijan。
その語源はアケメネス朝ペルシアのメディア総督(サトラップ)のアトロパテスに由来する説と[4]、ペルシャ語で火を意味する「Azar」と土地を意味する単語に由来する説がある[5]。
歴史[編集]
紀元前後には、アゼルバイジャン人の祖先と見られるアルバニア人の国家(カフカス・アルバニア王国)が作られていた。
歴史的には、イランの東アーザルバーイジャーン州、西アーザルバーイジャーン州とともにイラン高原を支配する政権の統治下にあることが多かった。もともとはイラン系の人々が住んでおり、南のイラン高原側と同じくゾロアスター教の拝火壇などの宗教施設が多数建立されていた。
7世紀にアラブの支配下に入ったのちも住民はゾロアスター教徒が多く、シーア派の信徒たちも含めてイスラム教への改宗は緩やかだったようである。イスラム時代以降この地域は、バクーより北側の地域をシルヴァーン地方、バクー周辺をグシュタースフィー地方、アラス川北岸の内陸部をアッラーン地方、クラ川とアラス川が合流する低地一帯をムーガーン地方と呼んでいた。
セルジューク朝の時代にオグズ・テュルク系遊牧民(テュルクメン)が進出してテュルク化・イスラム化が進んだ。特にイルハン朝時代は、ムーガーン地方周辺が南方のバグダードと並んでイルハン朝君主たちの冬営地に定められた地域でもあった。またイルハン朝滅亡後はカラコユンル朝やジョチ・ウルス系の諸政権の支配が及ばなかった集団の出入が激しく、これらテュルク・モンゴル系の遊牧勢力の浸透によって、これらの地域の住民のテュルク化・イスラム化はさらに進展した。一時ティムール朝の支配下にあったものの、イルハン朝滅亡後はこれらの地域を統括できる政治勢力は久しく現れなかった。
17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていった。アラス川以北の現アゼルバイジャン共和国領は、元来イラン高原に属しウルーミーエ湖周辺のタブリーズやマラーゲを中心とするアーザルバーイジャーン地方とは別個の地域であって、アゼルバイジャンとは呼ばれていなかったが、南の東西アーザルバーイジャーン州との民族的共通性から次第にアゼルバイジャンという地名で呼ばれるようになった。アルダビール州からカスピ海沿岸部にかけてはタリシュ人のタリシュ・ハン国(1747年-1813年)が自治していた。
1804年に始まった第一次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・ ゴレスターン条約(1813年)でアゼルバイジャンの大部分がロシア帝国領に編入された。1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマーンチャーイ条約(1828年)で、ガージャール朝ペルシアのアラス川北岸地域もロシア帝国に割譲された。
やがてロシアの統治下でアゼリー人の民族意識が高まった。 1918年、この地域のアゼリー人民族主義者たちは十月革命後の混乱を縫ってアゼルバイジャン民主共和国を打ち立てることに成功したが、イギリス軍によって占領され、これに反応した赤軍がバクーに侵攻、ソビエト政権が成立した。1922年末、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の一部となり、同連邦の解体にともない1936年よりアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として直接にソビエト連邦を構成する共和国の一つになった。
1989年10月5日、共和国主権宣言。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年8月30日、共和国独立宣言。
1991年12月21日、独立国家共同体 (CIS) に参加。同年12月25日付でソ連邦は解体・消滅。これによりアゼルバイジャンは晴れて独立国家となった。
政治[編集]

1993年以来、元アゼルバイジャン共産党書記長のヘイダル・アリエフが大統領として政権を掌握し、強権的な政治を引いてきた。2003年にアリエフは健康不安から引退を余儀なくされたが長男のイルハム・アリエフが後継者に指名されて大統領選挙に勝利し、権力の世襲委譲が果たされた。
大統領は、直接選挙で選出され、任期は5年。政府閣僚は、大統領が任命する。
大統領附属機関としてアゼルバイジャン共和国大統領附属安全保障会議がある。
立法府の名称は、国民議会(ミリー・メジリス)で、一院制で任期5年、議席数は125議席。
複数の政党が存在するが、事実上はイルハム・アリエフが党首である「新アゼルバイジャン党」による一党独裁制である。
なお、脱ロシア志向のウクライナなどと1997年にGUAMを結成し、創立時より参加を続けている。
2016年、国民投票により大統領の任期が5年から7年に延長されたほか、大統領就任に必要な年齢制限を撤廃、副大統領職の新設などの制度改正が行われた。2017年、新設された副大統領職にイルハム・アリエフ大統領の妻、メフリバン・アリエヴァが任命されている[6]。
軍事[編集]
陸軍、海軍、空軍の三軍がある。このほか、アゼルバイジャン沿岸警備隊や国境警備隊を有する。海軍や沿岸警備隊はカスピ海に展開している。
地方行政区分[編集]
アゼルバイジャンの地方行政区画は、59の県 (rayon)、県と同レベルの11市 (sahar)、および1つの自治共和国 (muxtar respublika) で構成される。
- ナヒチェヴァン自治共和国 (Naxçivan Muxtar Respublikası)
- ナゴルノ・カラバフ (Dağlıq-Qarabağ) - 事実上、独立状態
地理[編集]
カスピ海の西岸に位置し、北はロシア、南はイランに挟まれる。北緯38度〜42度、東経44度〜55度。南北400km、東西500kmに及ぶ。地形上、カスピ海・大コーカサス山脈・中央平原に3区分できる。すべての河川がカスピ海に注ぎ、最長はKur川の1515kmである。最高地点はバザルドュズ山 (海抜4466m) である。南にアゼルバイジャンの飛地である自治共和国ナヒチェヴァン自治共和国がある。領土内にアゼリー人居住地に囲まれているもののアルメニア人人口の多いナゴルノ・カラバフ地方がある。
紛争[編集]
ナゴルノ・カラバフ地方ではアルメニア人の人口が多く、同地域のアルメニアへの帰属変更を掲げたことでアゼルバイジャンと分裂状態となり、ソビエト解体から1994年に停戦合意をするまで紛争地域となっていた。停戦合意後も2014年に衝突が起き不安定な状態を抱えていたが、2016年4月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州でアゼルバイジャンとアルメニア軍による軍事衝突が発生している[7][8]。戦闘は翌3日も続き、双方で兵士が死亡している[7]。この戦闘でアゼルバイジャンは初めて勝利し「八つの丘を含む200ヘクタール」を奪還した。[9]
経済[編集]
IMFの統計によると、2015年のアゼルバイジャンのGDPは540億ドルである。一人当たりのGDPは5,739ドル[2]。通貨マナトが対米ドルで急落しており[10]、年を追うごとに数値は低くなっている。
欧米の直接投資と原油高に伴う多額の収入が国内の経済を急速な勢いで成長させているが、一方で激しいインフレと失業率に悩まされている。また、環境汚染も深刻である。
国内の労働市場は経済状況に比べれば不安定でIDP(国内避難民)も多く抱える同国の国民生活は決して経済成長率を反映しているとは受け取れない。
世界銀行のDoing Businessレポート2019によると、アゼルバイジャンの「ビジネス環境ランキング」順位は57から25に向上した[11][12][13][14]。
エネルギー[編集]
バクー油田など豊富な天然資源があり、ソ連崩壊やアルメニアとの紛争で落ち込んだ経済を支えている。天然資源の存在は第二次世界大戦やチェチェン問題とアゼルバイジャンの関係とも大きくかかわっている。
2006年にはアゼルバイジャンの首都バクー、ジョージアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインが開通した。同パイプラインはBPなどの日欧米企業が出資、輸送能力日量100万バレルの原油パイプラインである。これはロシアに対抗する欧州向け原油輸出パイプラインとして期待され、カザフスタン原油の輸出も計画されている。カスピ海では油田のほかにガス田も生産を始めている。
農業[編集]
2007年時点のアゼルバイジャンの国土の約54.9パーセントは農地となっている [15]。
観光[編集]
1990年代のソビエト連邦の崩壊とナゴルノ・カラバフ戦争によって、観光産業とアゼルバイジャンの観光地としてのイメージは低下した[16]。
2000年代以降は政府が観光を重視しており、世界経済フォーラムのTravel and Tourism Competitiveness Report 2015によると、アゼルバイジャンは世界で84位につけている[17]。また、世界旅行観光評議会の報告によると、アゼルバイジャンは2010年から2016年の間で観光客が最も伸びている上位10カ国のうちの1つとなり[18]、2017年の指標では旅行と観光の経済が最も急速に発展している国の中で第1位(46.1%)である[19]。
交通[編集]
シルクロードや南北輸送回廊などの主要な国際交通動脈の交差点にあるアゼルバイジャンの地理的要因は、国家経済にとって交通が戦略的に重要であることを示している[20]。
2010年時点で、広域鉄道と電化鉄道がそれぞれ延べ2,918 km(1,813 mi)と1,278 km(794 mi)あり、35の空港と1のヘリポートがある[21]。
アゼルバイジャンのフラッグキャリアは首都バクーにある国際空港ヘイダル・アリエフ国際空港を拠点ハブとするアゼルバイジャン航空である。
科学技術[編集]
21世紀には、Elchin Khalilovらの基本的な研究に触発された数多くの著名なアゼルバイジャンの地球力学とジオテクトニクスの科学者が、共和党の地震動の中心地の大部分を占める何百もの地震予知ステーションと耐震建物を設計した[22]。泥火山の活動を監視することで地震予知を試みている[23]。
国民[編集]
民族[編集]
住民は、民族的にはテュルク系のアゼルバイジャン人(アゼリー人)が人口の91.6%を占め、圧倒的に多い。アゼリー人の外、レズギン人(2.0%)、ロシア人(1.3%)[24]、アルメニア人、タート人、山岳ユダヤ人が居住している。また、ソ連時代の名残りから人名はロシア語風の姓が多く見受けられる。
言語[編集]
国語は、アゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用される。タート語、ユダヤ・タート語。
宗教[編集]
宗教的にはアゼリー人を含めたムスリム(イスラム教徒)が95%(シーア派85%、スンニー派15%)と圧倒的に優勢で、キリスト教正教会、ユダヤ教会、キリスト教アルメニア教会が少数派として存在する。
教育[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
婚姻[編集]
結婚する者はそれまでの姓をそのまま用いる権利を持つ(夫婦別姓)。どちらかの姓に統一することも、複合姓とすることも可能である[25]。
文化[編集]
音楽[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
文学[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
食文化[編集]
アゼルバイジャンはワインの有名な産地であり、コーカサス有数の上質なワインで知られる。ロシア国内ではジョージア産のワインはよく見かけるが、アゼルバイジャン産のワインを見つけることはあまりできない。しかし、コストやクオリティなどを考えればロシアで人気のグルジアワインに劣らないだけではなく、フランスワインよりも一部の人々には好まれている。庶民が好んで飲むイワノフカは低価格で飲みやすくおいしいとされる[26]。また世界遺産に登録されている乙女の塔の名をとったワインもある。
映画[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
スポーツ[編集]
国家としてサッカーリーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードのスポンサーになるなど政府はスポーツを重視している。オリンピックのアゼルバイジャン選手団はレスリングで23個のメダルをとっているほか、1996年以来、オリンピックで7つの金、25の銀そして43の銅メダルを獲得している[27]。伝統的なスポーツであるレスリングは、アゼルバイジャンの国民スポーツと見なされている[28]。そのほかアゼルバイジャンの伝統的なものとしてバックギャモン、チョフガン(カラバフ馬の背に乗って行う伝統的な馬術遊戯)、およびズールハーネがある[28]。
2010年代以降、政府は国際大会の誘致に熱心であり、2015年ヨーロッパ競技大会が開催され[29]、2017年にイスラム連帯大会(Islamic Solidarity Games)が行われた[30]。
アゼルバイジャンは世界でもチェスが盛んな国の一つとして知られており[31]、ヨーロッパ大会での女性銅メダリストも排出している[32][33]。 2016年の第42回チェス・オリンピアードは首都バクーで開催された[34]。
バレーボールは国内で人気のスポーツのうちの1つであり、2014年のCEV女子チャレンジカップ(CEV Women's Challenge Cup)では優勝している[35][36]。そのほかフットサルや体操に人気がある[37]。
1992年にプロサッカーとしてアゼルバイジャン・プレミアリーグが創設されて以来、サッカーの人気が高まっている[38]。 同リーグはUEFAに加盟しており、カラバフFK、ガバラFK、ネフチ・バクーといったチームがUEFAチャンピオンズリーグとUEFAヨーロッパリーグに繰り返し参加してきた[39][40]。2019年のヨーロッパリーグの決勝戦はバクー・オリンピックスタジアムでの開催[41]、2020年のUEFA EURO 2020のグループステージ、準々決勝の開催が誘致された[42]。
その他にも17歳未満の欧州選手権、FIFA U-17女子ワールドカップ2012、2010年欧州レスリング選手権、第25回欧州新体操選手権、2018年世界柔道選手権などの国際スポーツ大会が続々と開催されている[43][44]。
モータースポーツにおいても、2016年、バクー市街地コースでF1ヨーロッパグランプリを開催[45]。2017年からはアゼルバイジャングランプリと名称を変更して開催される[46]。
世界遺産[編集]
アゼルバイジャン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件存在する。2000年に登録された「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」、2007年に登録された「ゴブスタンの岩絵の文化的景観」、2019年に第43回世界遺産委員会を誘致した際に登録された「シャキの歴史地区とハーンの宮殿」になる。
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | ||
3月8日 | 国際婦人デー | ||
3月21日前後 | 春分の日 | Novruz Bayram | 移動祝日。アゼルバイジャンでは新年を祝う日。 |
5月9日 | 勝利の日 | 第二次世界大戦の退役軍人を祝う日。 | |
5月28日 | 共和国記念日 | 1918年の共和国独立を祝う日。 | |
6月15日 | 国家救済の日 | アリエフ大統領が共和国の指導者となった日(1993年)。 | |
10月18日 | 独立記念日 | ||
11月12日 | 憲法記念日 | 共和国憲法が採択された日(1991年)。 | |
11月17日 | 復興記念日 | ||
12月31日 | 全アゼルバイジャン人連帯の日 | ||
イスラム暦による | ラマダーン | ||
イスラム暦による | 断食明け大祭 | ||
イスラム暦による | 犠牲祭 | ||
イスラム暦による | イスラムの新年 |
著名な出身者[編集]
音楽[編集]
- アイセル・テイムルザデ - R&B歌手
- ウゼイル・ハジベヨフ - 作曲家。同国の国歌を作曲したことで知られる。
- エミン・アガラロフ - 国内で人気のポップシンガー[47]、アリエフ大統領の娘と結婚していたことがある[48]。不動産業の資産家であるアラス・アガラロフの息子[49]。
- エルダル・ガスモフ - 歌手。曽祖父に俳優のアッバス・ミルザ・シャリフザデ(Abbas Mirza Sharifzadeh)、曾祖母に女優のマルズィイヤ・ダヴドヴァ(Marziyya Davudova)を持つ。
- カラ・カラーエフ - 作曲家。弟子(教え子)に同国の作曲家でピアニストのフランギス・アリ=ザデーがいる。
- サビナ・ババイェヴァ - 歌手
- サフラ・アリザデ - 歌手
- サミル・ジャヴァドザデ - 歌手
- ディララ・カズモヴァ - 歌手 兼 女優
- ニガル・ジャマル - 歌手
- ヴァギフ・ムスタファ・ザデ - ジャズピアニストであり作曲家。ジャズに同国の民族音楽であるムガムを融合させて新しいカテゴリーを創ったことで知られる。娘にピアニストで作曲家のアジザ・ムスタファ・ザデ、クラシカルピアニストのララ・ムスタファ・ザデがいる。
- ファラドシュ・カラーエフ - 作曲家。カラ・カラーエフとは親子関係にある。
- ファリド・マンマドフ - 歌手
美術[編集]
- サキット・ママドブ - アゼルバイジャン共和国名誉アーティスト、ユネスコ芸術家協会会員。
文学[編集]
スポーツ[編集]
- アイシャン・アブドゥラジモワ - バレーボール選手
- エルマール・ガシモフ - 柔道選手
- エルヌル・ママドリ - 柔道家。2014年引退。
- エレーナ・パルホメンコ - バレーボール選手
- オクサナ・パルホメンコ - バレーボール選手
- オクサナ・キセリョワ - バレーボール選手
- ナターワン・ガシモワ - バレーボール選手
- ヴァギフ・ジャヴァドフ - サッカー選手
- トフィック・ムサエフ - 総合格闘技RIZIN選手
学問[編集]
- アッバースグリー・バキハノフ(Abbasqulu ağa Bakıxanov)- 科学者。生涯を地理・歴史・自然科学の知識普及に努めている。作家でもあり、多くの著書を遺している。
- メソード・エフェンディエフ - 科学者。ザカタラ出身。
- レフ・ランダウ - 理論物理学者。ユダヤ人の母の元に生まれた。バクー出身。
- ロトフィ・ザデー - 数学者であり科学者。ファジィ集合の提唱者として知られている。また 電気工学や計算機科学に長け、人工知能学者でもある。
ジャーナリズム[編集]
- ハサン・ベイ・ザルバディ(Hasan bey Zardabi) - 19世紀のジャーナリスト。R&B歌手であるアイセル・テイムルザデの先祖に当たる。
政府関係者[編集]
- エルダル・マフムドフ - 同国の政治家で内務省出身。
- ガルリ・カスパロフ - 政治家。ユダヤ人の父、アルメニア人の母を持つ。元チェス選手。
- スルタン・メジド・エフェンディエフ - アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国政治家でヒンメト創設者の一人。元は医師であった。
- ラミル・サファロフ - アゼルバイジャン陸軍少佐
脚注[編集]
- ^ “The World Factbook - Azerbaijan” (英語). CIA (2017年1月12日). 2016年1月19日閲覧。
- ^ a b c d e “World Economic Outlook Database, October 2016” (英語). IMF (2016年10月). 2017年1月19日閲覧。
- ^ 割合だと面積13%・人口1.5%。https://citypopulation.de/Azerbaijan.html
- ^ “アゼルバイジャン”. 東京都立図書館. 2019年5月28日閲覧。
- ^ “[https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/01/aed2fcbf2150368f/20170061.pdf 南コーカサス諸国産業・ 投資概況] (PDF)”. ジェトロ・イスタンブール事務所 (2017年8月). 2019年5月29日閲覧。
- ^ アゼルバイジャン大統領、妻を副大統領に-一族支配強化 CNN(2017年2月25日)2017年2月25日閲覧
- ^ a b アゼルバイジャン領で武力衝突、兵士30人死亡[リンク切れ] 読売新聞 2016年4月3日
- ^ アゼルバイジャン領ナゴルノ・カラバフ自治州での紛争の再開 iran Japanese Radio 2016年4月3日
- ^ 望郷の念強める難民=ナゴルノカラバフ紛争から25年-アゼルバイジャン
- ^ http://www.xe.com/ja/currencycharts/?from=AZN&to=USD&view=5Y
- ^ World Bank (2018). Doing Business 2019. World Bank Publications. pp. 5, 11, 13. ISBN 1464813264 .
- ^ “Doing Business 2019: A Year of Record Reforms, Rising Influence” (英語). World Bank. 2018年11月2日閲覧。
- ^ RICHARD HIAULT. “Vie des affaires : la France perd encore du terrain - Les Echos” (フランス語). www.lesechos.fr. 2018年11月2日閲覧。
- ^ World Bank (2017). Doing Business 2018. World Bank Publications. pp. 4. ISBN 1464811474 .
- ^ “Geographical data”. The State Statistical Committee of the Republic of Azerbaijan. 2007年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月26日閲覧。
- ^ “Rapid Tourism Assessment for the Azerbaijan Tourism Sector Development Program – Organization for Security and Cooperation in Europe (OSCE)”. 2013年9月9日閲覧。
- ^ Crotti, Robert and Misrahi, Tiffany(2015) Chapter 1.1 "The Travel & Tourism Competitiveness Index 2015: T&T as a Resilient Contribution to National Development" in The Travel & Tourism Competitiveness Index 2015. World Economic Forum
- ^ “Research (PDF)”. www.wttc.org (2017年). 2017年12月閲覧。[リンク切れ]
- ^ Hope, Katie (2017年7月19日). “Where's hot? This summer's most popular holiday spots”. 2019年5月28日閲覧。
- ^ Ziyadov, Taleh. “The New Silk Roads”. Central Asia-Caucasus Institute Silk Road Studies Program. 2013年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月28日閲覧。
- ^ “Azerbaijan”. World Factbook. CIA (2009年). 2009年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月4日閲覧。
- ^ (ロシア語). BlackSea News. http://www.blackseanews.net/read/14548+2011年3月29日閲覧。
- ^ “Geologist: Intensification of mud volcanoes in Azerbaijan is precursor of earthquakes (PHOTO)” (2010年4月26日). 2019年5月28日閲覧。
- ^ “アゼルバイジャン基礎データ”. 外務省. 2019年2月16日閲覧。
- ^ Family Code Of Azerbaijan Republic, Azerbaijan Gender Information Center.
- ^ “飲み物・スイーツ”. DTACアゼルバイジャン観光情報局. 2019年5月28日閲覧。
- ^ “Rio 2016 alternative medal table: How countries rank when we adjust for population and GDP”. www.telegraph.co.uk. www.telegraph.co.uk. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ a b “Azerbaijan National Sport Association”. www.mys.gov.az. www.mys.gov.az. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Silence over European Games in Azerbaijan is a grim indication of future”. www.theguardian.com. www.theguardian.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Baku 2017: The Islamic Solidarity Games”. www.theatlantic.com. www.theatlantic.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Fast-improving Azerbaijan making all the right moves”. www.fifa.com. 27 oktyabr 2017閲覧。
- ^ “Азербайджан в третий раз выигрывает ЕВРО”. Azerisport.com. 6 noyabr 2017閲覧。
- ^ “Powerful US Teams Head to Olympiad in Baku”. www.chess.com. www.chess.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “U.S. Chess Team Wins Olympic Gold in Baku”. www.huffingtonpost.com. www.huffingtonpost.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Azerrail routs Lokomotiv once more to make it to Playoffs 6”. www.cev.lu. www.cev.lu. 19 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。19 iyun 2017閲覧。
- ^ “Azerbaijan's Azerrail wins Challenge Cup”. news.az. news.az. 19 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。19 iyun 2017閲覧。
- ^ “Emotions run high for Azerbaijan's Huseynli”. www.fifa.com. www.fifa.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Mammadov’s bid for UEFA’s exco brings a fresh view from an emerging world”. www.insideworldfootball.com. www.insideworldfootball.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Europa League return is a step on the road to recovery but a trip into the unknown for Rangers”. www.heraldscotland.com. www.heraldscotland.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Europa League: Tottenham leave three behind as they prepare for Qarabag”. www.theguardian.com. www.theguardian.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Baku to host 2019 UEFA Europa League final”. UEFA. 20 sentyabr 2017閲覧。
- ^ “Baku reveals UEFA EURO 2020 host city logo”. www.uefa.com. UEFA. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “Azerbaijan: Baku Looks Forward to Hosting Euro Games”. www.eurasianet.org. www.eurasianet.org. 19 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。19 iyun 2017閲覧。
- ^ “Azerbaijan and the sporting map: from F1 venue to Euro 2020 host”. www.theguardian.com. www.theguardian.com. 19 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。19 iyun 2017閲覧。
- ^ “Baku as tight as it looks - Ricciardo”. en.f1i.com. en.f1i.com. 18 iyun 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。18 iyun 2017閲覧。
- ^ “バクー、F1アゼルバイジャンGPへの名称変更の理由を説明”. F1-Gate.com (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
- ^ “トランプ米大統領とつながる人気歌手 情報提供持ちかけ?”. BBC (2017年7月24日). 2019年5月28日閲覧。
- ^ “トランプ氏長男のメール、モスクワのミスコン共同主催者関与が浮上”. Bloomberg (2017年7月15日). 2019年5月28日閲覧。
- ^ “トランプ・ロシア疑惑で急浮上、大富豪アガラロフ親子とは”. Forbes Japan (2017年7月14日). 2019年5月29日閲覧。
関連項目[編集]
- アゼルバイジャン関係記事の一覧
- アゼルバイジャン人の一覧
- 小松空港-独立後に設立されたアゼルバイジャンの貨物航空会社がB747-8F型機で定期乗り入れ中である日本の空港。
外部リンク[編集]
- アゼルバイジャン大統領府 (アゼルバイジャン語)(英語)
- 日本外務省 - アゼルバイジャン (日本語)
- 在アゼルバイジャン日本国大使館 (日本語)
- 駐日アゼルバイジャン共和国大使館 (日本語)
- アゼルバイジャン観光局 (英語)
|
|
|