7世紀

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千年紀: 1千年紀
世紀: 6世紀 - 7世紀 - 8世紀
十年紀: 600年代 610年代 620年代 630年代 640年代
650年代 660年代 670年代 680年代 690年代
イスラム教の誕生。画像は天使ジブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。
聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム
岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。
玄奘三蔵。困難多い求法の旅の果てにインドに到達しヴァルダナ朝ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。
ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院遺跡。
シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。
天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。
吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。
洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。
パレンケの遺跡。この遺跡はマヤ文明の古典期を代表するもので、とりわけパカル王の墓所があった「碑文の神殿」は有名である。画像はパカル王の遺体に被せられていた翡翠仮面
ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵。
西ゴート王国の安定。7世紀のイベリア半島は「西ゴート・ルネサンス」または「イシドールス・ルネサンス」の時代とも呼ばれ、レケスウィント王のもとでは「西ゴート法典」の整備や、トレド教会会議の開催などの取り組みがなされた。画像は「グアラサールの宝物」の一つであるレケスウィント王の宝冠。

7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀

できごと[編集]

600年代[編集]

610年代[編集]

620年代[編集]

630年代[編集]

  • 630年
    • ムハンマドがメッカを征服。周辺各国にイスラム教への入信を呼びかける(遣使の年)。
    • 東ローマ皇帝ヘラクレイオスがエルサレムに入城。
      • サーサーン朝から返還された「真の十字架」を奉献する聖墳墓教会を再建。
    • 唐軍により頡利可汗が捕えられ東突厥が滅亡。
      • 唐の太宗は西域諸国から「天可汗」に推戴される。
    • 第1回遣唐使として犬上御田鍬が派遣される。
  • 632年 - ムハンマドが死去。
    • アブー・バクルが後継のイスラム指導者である初代カリフに選ばれる。リッダ(背教)の戦いが起こる( - 633年)。
  • 634年 - アブー・バクル死去により第2代カリフにウマルが選ばれる。
  • 634年頃 - チャールキヤ朝のプラシーケン2世がナルマダー川の戦いでハルシャ・ヴァルダナの軍を破り南インドの独立を維持する。
  • 635年以前 - クブラト・ハンにより黒海北岸のタマン半島のファナゴリアを中心とする大ブルガリアが成立する。
  • 635年 - ティカルの王子バラフ・チャン・カウィールがドス・ピラスの支配者になる。
  • 636年 - ヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗。
    • 東ローマ帝国はサーサーン朝から奪回したシリアの領土を再び失う。
  • 637年
    • カディシーヤの戦いで、サーサーン朝がイスラム軍に敗れ、都のクテシフォンを占領される。
    • 「貞観律令」が施行される。
  • 638年
    • 東ローマ皇帝ヘラクレイオスが「エクテシス」を発布。
    • カリフのウマルにより派遣されたウトバ・イブン・ガズワーンがイスラム最初のミスル(軍営都市)バスラを建設する。
  • 639年 - 舒明天皇の命で百済大寺(吉備池廃寺)が建立される(天皇の命による日本初の官寺)。

640年代[編集]

650年代[編集]

  • 650年頃 - スマトラ島シュリービジャヤ王国が成立。
  • 651年
    • オクサス川の戦いでサーサーン朝ペルシアが滅亡。皇子ペーローズ3世は唐に亡命する。
    • イスラム帝国カリフのウスマーンの命令で『クルアーン(コーラン)』正典が編纂される(ウスマーン版)。
    • 「永徽律令」が施行される。
  • 652年
    • 唐律疏義(永徽律疏)」が編纂され、漢代からの「春秋決獄」が廃止される。
    • 玄奘三蔵がインドから招来した経典や仏像を保存するため長安近郊の大慈恩寺大雁塔が建てられる。
  • 653年
  • 654年 - 西ゴート王レケスウィントが属人法を廃止し「西ゴート法典(リベル法典・裁判法典)」を公布する。
  • 655年
    • 皇帝コンスタンス2世率いる東ローマ帝国軍が小アジアのリュキアの海戦(帆柱の戦い)でイスラム帝国軍に惨敗。
    • 唐の高宗の皇后王氏が廃され、武照が皇后に冊立される。
    • 皇極天皇が重祚し、第37代斉明天皇となる。
  • 656年 - ウスマーンが暗殺され、アリーが第4代カリフに選出される。
    • この選出をめぐりイスラム帝国で第一次内乱が勃発( - 661年)。ラクダの戦いでアーイシャがアリーに敗北。
  • 657年
  • 658年
    • 有間皇子が謀反の疑いで処刑される。
    • 阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討ち、粛慎を平定する( - 660年)。
    • 東ローマ皇帝コンスタンス2世がバルカン半島南部のスラブ人を制圧。
      • この時のスラブ人は小アジアに入植させられ、帝国防衛のためのテマ制(軍管区制)の原型が形成される。

660年代[編集]

670年代[編集]

  • 670年
  • 671年
  • 672年 - 天智天皇死去。大友皇子が近江宮の首班となる(第39代弘文天皇)。
  • 673年 - ウマイヤ朝海軍がキュジコス半島を前線基地として確保。
    • ここから東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを678年まで継続して包囲。東ローマ軍はギリシア火でこれを撃退
  • 676年 - 新羅が朝鮮半島を統一。

680年代[編集]

690年代[編集]

フィクションのできごと[編集]

時代の動向[編集]

東アジア[編集]

大陸[編集]

朝鮮半島[編集]

日本[編集]

日本では飛鳥時代古墳時代終末期)にあたる。

西アジア[編集]

南アジア[編集]

東南アジア[編集]

ヨーロッパ[編集]

人物[編集]

イスラム世界[編集]

キリスト教世界[編集]

フランク王国[編集]

ローマ教皇[編集]

イングランド・アイルランド[編集]

西ゴート王国[編集]

ブルガリア[編集]

東ローマ帝国[編集]

イラン[編集]

インド・チベット[編集]

東アジア[編集]

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  • 煬帝(楊広)(569年 - 618年) - 隋王朝第2代皇帝(在位604年 - 618年)・高句麗遠征に失敗し殺害される
  • 陸法言(生没年不詳) - 隋の音韻学者・漢字発音の標準を定め『切韻』5巻を編纂・これは現存最古の韻書科挙にも影響
  • 竇建徳573年 - 621年) - 隋末唐初に割拠した群雄・高句麗遠征軍から逃れて河北で自立・宇文化及を倒すが李世民に敗北
  • 李密582年 - 618年) - 隋末唐初に割拠した群雄・楊玄感の反乱に続いて挙兵し河南で自立・王世充に敗北する
  • 王世充(? - 621年) - 隋末唐初に割拠した群雄・洛陽にて恭帝侗を擁立・さらに自ら皇帝を名乗るが李淵に敗北

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渤海[編集]

  • 大祚栄(? - 719年) - 渤海の初代国王(在位698年 - 719年)。東牟山に都城を築き独立・後に唐の冊封を受ける。

朝鮮[編集]

日本[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

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  1. ^ ただし、日本成立以前の倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。

関連項目[編集]