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ナヒチェヴァン自治共和国

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ナヒチェヴァン自治共和国
Naxçıvan Muxtar Respublikası
アゼルバイジャンの国旗
国旗
アゼルバイジャンの国章
国章
国歌:Azərbaycan Respublikasının Dövlət Himni(アゼルバイジャン語)
アゼルバイジャン共和国国歌
経済地区アゼルバイジャン語版 ナヒチェヴァン経済地区アゼルバイジャン語版
首都
最大の都市
ナヒチェヴァン市
面積 5,500 km2
人口
- 2015年推計
- 2009年国勢調査
[1]
439,800人
398,300人
標準時 UTC+4
ISO 3166-2:AZ AZ-NX
設置
- ナヒチェヴァンASSR
- アゼルバイジャン国内の自治共和国として
(政府承認日)
[2]
- 1924年2月9日
- 1990年11月17日
1995年11月12日

ナヒチェヴァン自治共和国(ナヒチェヴァンじちきょうわこく、アゼルバイジャン語: Naxçıvan Muxtar Respublikası)は、アゼルバイジャン飛地である自治共和国。過去に、王国、帝国、イスラム教国、汗国などになった経緯から名前は何度も変更されている(Nakshijahan、Nuhchikhan(ノアが降りた場所)、Nesheva、Nakhijevanなど)。

1991年までは、ナヒチェヴァン自治ソビエト社会主義共和国としてアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の一部であった。

国土面積が5,500 km²に及ぶこの地域はアルメニア (221km) 、トルコ (9km) 、イラン (179km) と国境が接している。首都はナヒチェヴァン市である。

歴史

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ナヒチェヴァン市は、ナクスアナ (Naksuana) という名前でプトレマイオス天動説の中で最初に言及された[3]古代ギリシャ語で「甘水の土地」の意)。

ナヒチェヴァンで見つかった最も古いアーティファクト新石器時代に遡る。

この地域は紀元前8世紀から紀元前7世紀の間、マンナエウラルトゥ およびメディアに属し、紀元前6世紀にはアケメネス朝に属した。そしてその後、大アルメニア王国の一部になった。5世紀にはサーサーン朝ペルシア623年には東ローマ帝国7世紀半ばにアラブ人に征服され、11世紀に、セルジューク朝の管理下になった。

12世紀、セルジューク朝のスルターン・マスウードによって兄弟スライマーン・シャーアタベクとなったシャムスッディーン・イルデニズ英語版は、1136年に現在のクラ川流域であるアッラーン地方とイラン高原のアーザルバーイジャーンの両地方をイクターとして分封され、以降ナヒチェヴァン市は四代89年に渡ってアゼルバイジャンのアタベク政権イルデニズ朝の中心地として、アーザルバーイジャーン地方の州都タブリーズマラーゲと並び発展した[4]。モミネ・ハトゥン(イルデニズ朝の当主でシャムスッディーン・イルデニズの長男、大アタベクのジャハーン・パフラヴァーンの妻)の壮大な12世紀の霊廟は、現代のナヒチェヴァンの主な魅力である。イルデニズ朝の宮廷では文芸運動が活発化し、『ライラとマジュヌーン』などペルシア語文芸の巨匠として有名なニザーミー・ギャンジャビーらが同王朝の庇護のもと活躍している。

13 - 14世紀、この領域はモンゴル帝国によって征服されてイルハン朝の領土となり、さらにティムールによって侵略され、15世紀には、黒羊朝白羊朝の一部になった。

16世紀テュルク諸語を使うイスラム王朝サファヴィー朝に管理された。14世紀から18世紀にかけては、この地理的位置のためにペルシアオスマン帝国の間の戦争が絶えなかった。1604年、サファヴィー朝のアッバース1世はナヒチェヴァンとその周辺地域に焦土作戦を決心し、民族性または宗教にかかわらずほとんどの地元住民に対して家を捨てペルシアへ移動する事を強要した[5]。ほとんどの居住者が、もとのジュルファ(略奪され焼かれたアルメニアの町)の出身だったので、エスファハーン近隣の新ジュルファ英語版と命名された町に住み着いた。

ナヒチェヴァン・ハン国英語版は、ペルシアの統治者であったナーディル・シャー1747年の死後に出現した。しかし、2つのロシア・ペルシア戦争第一次ロシア・ペルシア戦争第二次ロシア・ペルシア戦争)を経て、1828年トルコマンチャーイ条約 (Turkmanchai Treaty) でロシアの所有(en:Armenian Oblast)となり、ナヒチェヴァン・ハン国は消滅した。その後エリヴァン・ハン国英語版の領域と融合され新しいアルメニアの地域の一部となり、1849年にロシア帝国のエリヴァニ県ロシア語版英語版と改名された。ナヒチェヴァンは、ロシア帝国のエリヴァニ県のナヒチェヴァニ郡となった。

1917年二月革命後は、ロシア臨時政府ザカフカース特別委員会英語版の権力下にあった(ザカフカース民主連邦共和国参照)。1918年ミュサヴァト党は、アゼルバイジャン民主共和国の独立を宣言した。1918年後期、英国の軍隊によってナヒチェヴァンは占領されたが、1920年赤軍に占められた後、7月28日アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国が宣言され、その支配下になった。

1991年8月30日、アゼルバイジャン共和国の独立宣言後は、その国の一部としてナヒチェヴァン自治共和国として現在に至る。

2025年8月8日、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領とアルメニアニコル・パシニャン首相がアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領の仲介のもと和平に向けた合意文書に署名した。この合意の中にアゼルバイジャン本土とナヒチェヴァン自治共和国を結ぶ「国際的な平和と繁栄のトランプ回廊」を設置することが盛り込まれた[6][7]

2026年イスラエルとアメリカ合衆国によるイラン攻撃が始ると、イランの反撃は攻撃に参加していないアゼルバイジャンにも及び、同年3月5日にはナヒチェヴァン自治共和国の空港や学校にドローン攻撃が加えられた[8]

地方行政区分

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ナヒチェヴァンの行政区分

ナヒチェヴァンは首都のナヒチェヴァン市と7つのラヨンの計8つの行政区画がある。

  1. バベク県アゼルバイジャン語版英語版(ババク県)
  2. ジュルファ県英語版
  3. ­キャンギャルリ県英語版
  4. ナヒチェヴァン市
  5. オルドゥバド県英語版
  6. サダラク県英語版:(アルメニアの中の飛地カルキ英語版を含む)
  7. シャフブズ県英語版
  8. シャルル県

地理

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ナヒチェヴァンは、アルメニアによってアゼルバイジャンの主要地域から離れた飛地にある、半不毛の地域である。

イランとの境界にはアラス川(Araz)があり、その反対側の山脈によってアルメニアと境界を構成する。非常に乾燥した山地であり、多くの塩埋蔵を含んでいる。

地域の主要産業は、塩、モリブデン等の採鉱、綿産業、絹糸紡績、果物瓶詰製造業、精肉業、タバコ製造、穀物、菜園の製作、より乾燥した地方では牧羊も行っている。

住民・民族分布

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アゼルバイジャン人の分布(水色)。アゼルバイジャン共和国から、ナヒチェヴァンに隣接するイラン北西部にかけて広範囲に居住していることがわかる

2018年時点で人口は452,831人。人口の99.6%はアゼルバイジャン人である。残る少数民族はクルド人ロシア人などである。

かつてはアルメニア人が人口の3~4割程度を占めており、1916年には人口136,859人のうち、59.3%がアゼルバイジャン人、39.6%がアルメニア人であった。1979年にはその割合はアゼルバイジャン人93.8%、アルメニア人2.9%に変わりアルメニア人は圧倒的な少数派となった。そして、1988年のナゴルノ・カラバフ戦争によってアルメニア人はこの地域から完全に追放されて統計用上では存在しないことになっている。

有名な出身者

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教育

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自治共和国の象徴

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かつてナヒチェヴァン自治ソビエト社会主義共和国だった時代では独自の旗と国章が使用されていたが、1995年11月12日に採択されたナヒチェヴァン自治共和国憲法では「ナヒチェヴァン自治共和国の国の象徴(国旗、国章、国歌)はアゼルバイジャンのものを使用する(第10条)[9]」と定められている。憲法制定前では、非公式の旗も使われていた[10]

名所

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モミネ・ハトゥン廟英語版
ジュルファにあるアルメニア人ハチカル(十字石)

ナヒチェヴァンは史跡の宝庫としても注目されており、歴史的にも希少な建築物が遺されていることから多くの観光客がこれらを目的に訪れる。

その中でもナヒチェヴァン・ハン宮殿アゼルバイジャン語版英語版モミネ・ハトゥン廟英語版en:Yusif ibn Kuseyir Mausoleumen:Garabaghlar Mausoleumは史跡の代表的なものとして今も関心が寄せられている。

論争

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脚注

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  1. Azerbaijan/Economic Regions & Republics”. 2017年1月31日閲覧。
  2. Azerbaijan.html#Nakhichevan”. 2017年1月31日閲覧。
  3. Encyclopedia of Brokgauz and Efron, "Nakhichevan"[リンク切れ] "NAKHICHEVAN", Volume V19, Page 156 of the 1911 Encyclopedia Britannica
  4. Encyclopedia Iranica, "Atabakan-e Adarbayjan" Archived 2007年10月6日, at the Wayback Machine., Saljuq rulers of Azerbaijan, 12th–13th, Luther, K. pp. 890-894.
  5. Encyclopedia Iranica. Kangarlu. Archived 2007年10月6日, at the Wayback Machine.
  6. “アゼルバイジャンとアルメニア、和平に関する合意文書に署名 トランプ氏が仲介”. BBC. 2025年8月9日. 2026年7月3日閲覧.
  7. “イラン、「トランプ回廊」を警戒 ロシアも懸念”. ロイター. 2025年8月11日. 2026年7月3日閲覧.
  8. イランが攻撃否定 隣国アゼルバイジャンに無人機、爆風などで4人負傷”. 産経新聞 (2026年3月5日). 2026年3月8日閲覧。
  9. The Constitution of Nakhchivan Autonomous Republic
  10. Nakhichevan (Autonomous Republic, Azerbaijan)”. Flags of the World (2013年6月11日). 2017年1月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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