総合格闘技

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総合格闘技(そうごうかくとうぎ、: mixed martial arts、略称:MMA)は、打撃パンチキック)、投げ技固技抑込技関節技絞め技)などの様々な技術を駆使して勝敗を競う格闘技である。

概要[編集]

総合格闘技はその名の通り、世界中のあらゆる格闘技武術の、さまざまな打撃技、組技、寝技で構成され、ルールによる攻撃手段の制約を最大限排除したうえで競い合う格闘技である[注 1]。打撃系格闘技の多くでは組技・寝技が、組技系格闘技の多くでは打撃がルールで禁止されているのに対し、総合格闘技ではその両方が認められていることから、実際の試合にあたっては様々な格闘技の技術が使用される。大まかにいえばボクシングムエタイ空手などの立った状態からパンチやキックなどの打撃を駆使して戦う「打撃系格闘技」と、レスリングブラジリアン柔術柔道など相手と組んだ状態で固め技や投げ技を繰り出して戦う「組技系格闘技」の両方の技術が必要とされる。

ルール[編集]

競技ルールは、ニュージャージー州アスレチック・コミッション制定の統一ルール(通称:ユニファイドルール)が、北米の他、ヨーロッパ、南米やアジアなど世界で広く標準採用されている。

この統一ルールは、黎明期には無数にあった競技ルールを、各州アスレチック・コミッションや総合格闘技プロモーションが協議を重ねて1つにまとめ、2000年9月にニュージャージー州アスレチック・コミッションがアメリカ合衆国で初めて総合格闘技を認可した際に制定されたもので、2009年7月30日にはボクシング・コミッション協会にて、総合格闘技の統一ルールとなることが承認された。

試合形式[編集]

試合時間はノンタイトル戦で原則5分3ラウンド、タイトルマッチで5分5ラウンド(インターバルはラウンド間に各1分)とされている。

試合着[編集]

オープンフィンガーグローブ(4~6オンス)、マウスピースジョックストラップの着用が義務付けられる他、上半身は、下半身には膝上以上のスパッツトランクスを着用して試合を行う。シューズや膝当て、道着、ロングスパッツの着用は認められない。

試合場[編集]

「ケージ」(金網かネットのフェンスで囲われた六角形以上または円形の試合場)か「リング」の使用が認められている。広さについては、ケージは、18フィート(5.48m)平方以上32フィート(9.75m)平方以内、リングは、ロープの内側で20フィート(6.09m)平方以上32フィート(9.75m)平方以内と規定されている[1]

勝敗・判定[編集]

試合の勝敗は以下で決着する

  • ノックアウト(KO)
  • テクニカルノックアウト(TKO:パンチ・キック等の打撃によりレフェリーが試合を止めるレフェリーストップ、医師が試合続行不可能と判断した場合のドクターストップ、コーナーストップ)
  • サブミッション(関節技絞め技、もしくは打撃によるタップアウト及び口頭によるギブアップ、レフェリーによる見込み一本、その他戦意喪失の表明)
  • 失格、試合放棄、ノーコンテスト
  • 規定時間内に決着がつかなかった場合のジャッジによる判定

判定は3人のジャッジがラウンドごとに採点を行い、優勢だった一方の選手に10ポイント、他方の選手に9ポイント以下を付け、各ラウンドのポイントの合計で勝敗を決するラウンドマスト制を採用している。ただし、僅差のラウンドの場合はジャッジが両選手に10ポイントを付けることもあるので、必ず勝敗がつくマストシステムではなく、引き分け裁定もありうる。

なお、判定の呼称にはユナニマス(Unanimous、3-0)、スプリット(Split、2-1)、マジョリティ(Majority、2-0)、ドロー(Draw、1-1, 1-0, 0-0)がある。

反則[編集]

  • 噛み付き
  • 眼球への攻撃
  • 口腔鼻腔等の開口部を引っ掛ける行為
  • 局部への攻撃
  • 指関節等の小さい関節への攻撃
  • を引っ張る行為
  • 口腔・鼻腔・耳腔等の開口部や、裂傷した部分に指を入れる行為
  • への打撃や喉を掴む行為
  • ひっかく、つねる等の行為
  • 故意に相手を骨折させる行為
  • 相手のをマットに突き立てるように投げ落とす攻撃
  • 試合場の外に相手を放り投げる行為
  • 相手の着衣やグローブを掴む行為
  • 相手につばを吐きかける行為
  • 相手の怪我の原因になるようなスポーツマンらしくない行為
  • 金網のフェンスを掴む行為(フェンスを掌で押す、蹴る行為は認められている)
  • 罵声を浴びせる行為
  • ブレイク中の相手への攻撃
  • レフェリーが対応している間の相手への攻撃
  • 終了のブザーが鳴った後の攻撃
  • レフェリーの指示を無視すること
  • 相手との接触を避け続けること、怪我のふりをすること、故意にマウスピースを落とすこと、などを含む臆病な行為
  • コーナーの人間による妨害及び干渉行為
  • 不正な優位性を得るために異物を使用すること
  • 頭突き
  • 脊椎や後頭部への打撃
  • を上から下に垂直に打ち下ろして肘の先端を当てる打撃(斜めに角度を付けて振り下ろす肘は反則にならない)
  • 試合を止めるためにコーナーがタオルを投入すること(部外者のタオル投入による試合妨害などを避けるため。コーナーが試合を止めたい時にはインスペクターに伝える[2]
  • グラウンド状態の相手の頭へのキック攻撃(サッカーボールキック、蹴り上げ)
  • グラウンド状態の相手の頭への膝攻撃(いわゆる4点ポジションの膝蹴り
  • グラウンド状態の相手を踏み付ける行為
  • 相手の顔や目に向けて指を伸ばす構え

反則が確認された場合には、レフェリーは1ポイント又は2ポイントの減点を課すことができる。また、反則によって選手が試合続行不能になった場合で、反則が選手の故意によるものであった場合には失格、故意でなかった場合にはノーコンテストにすることができる。

医療要件[編集]

  • 試合出場選手は、試合ライセンス取得前に健康診断を受ける。
  • 試合を管轄するアスレチック・コミッションは、計量を実施・管理する。また、選手とセコンドに向けたルールミーティングを実施・管理することができる。
  • 試合出場選手は試合直後に、アスレチック・コミッションが指定した医師の健康診断・検査を受けなければならない。
  • 試合後の健康診断・検査を拒否した試合出場選手は、無期限のライセンス停止処分を受ける。

禁止物質検査[編集]

  • 試合出場選手は、試合前または試合後に、尿検査もしくはアスレチック・コミッションが指定した医師が要求する検査を受けなければならない。検査を拒否した場合には試合失格と無期限のライセンス停止処分を受ける。
  • アスレチック・コミッションは、禁止物質検査を実施・管理し、試合前後の検査に加えて、必要と判断した時にいつでも追加の検査を実施することができる。

階級[編集]

ネバダ州アスレチック・コミッションおよびボクシング・コミッション協会が制定する全14階級の統一階級制区分[3]。なお、UFCでは階級の設置を8階級に留めているなど、プロモーションによって採用する階級の数に相違がある。

階級名称 体重
(lb/ポンド) (kg/キログラム)
スーパーヘビー級 265 lb超 120.2 kg超
ヘビー級 265 lb以下 120.2 kg以下
クルーザー級 225 lb以下 102.1 kg以下
ライトヘビー級 205 lb以下 93.0 kg以下
スーパーミドル級 195 lb以下 88.5 kg以下
ミドル級 185 lb以下 83.9 kg以下
スーパーウェルター級 175 lb以下 79.4 kg以下
ウェルター級 170 lb以下 77.1 kg以下
スーパーライト級 165 lb以下 74.8 kg以下
ライト級 155 lb以下 70.3 kg以下
フェザー級 145 lb以下 65.8 kg以下
バンタム級 135 lb以下 61.2 kg以下
フライ級 125 lb以下 56.7 kg以下
ストロー級 115 lb以下 52.2 kg以下

歴史[編集]

古代[編集]

既に古代には総合格闘技の原型のような格闘技が存在したことが確認されており、古代中国では、中国武術、ボクシング、レスリングが組み合わさった「擂台」、古代ギリシアでは、ボクシングとレスリングが組み合わさった「パンクラチオン」が存在した。

近世[編集]

19世紀半ばにはフランスで「サバット」が隆盛し、1852年にサバットとイギリスベアナックル・ボクシングとの対抗戦が開催された。このような試合は19世紀後半から20世紀半ばにかけても組まれ続け、1905年に柔道家との対戦、1957年にプロボクサーや空手家との対戦などが組まれた。

19世紀後半には、イギリスのレスリングやインド伝統レスリングのぺヘルワニーなど世界の様々なスタイルのレスリングが組み合わさった格闘技で、後世で総合格闘技に多大な影響を与える「キャッチレスリング」が登場。1880年代後半、キャッチレスリングを習得したキャッチレスラー達が、ヨーロッパ各地で開催されたトーナメント戦や、ミュージックホールなどで行われた挑戦者応募試合で戦った。アメリカ合衆国では、1887年にボクサーとキャッチレスラーが近代で初めて対戦し、当時のボクシング世界ヘビー級王者ジョン・L・サリバンとキャッチレスリング王者ウィリアム・マルドゥーンが試合を行った。1890年代後半には、後にボクシング世界ヘビー級王者になるボブ・フィッシモンズがキャッチレスリング欧州王者のアーネスト・ローバーと対戦。1901年9月には、フランク・スラビンとフランク・ゴッチが対戦した。

1899年にはロンドンで、日本で数年間武道を学んだエドワード・ウィリアム・バートン=ライトが、キャッチレスリング、柔道、ボクシング、サバット、柔術、フランス式棒術を組み合わせた「バーティツ」を開発。バーティツはアジアとヨーロッパの格闘技を融合させた最初の格闘技とされている。

1920年代初頭にソビエト連邦で、レスリング、柔道、打撃格闘技などの様々な格闘技を融合せた「サンボ」が開発された。

第一次世界大戦後、キャッチレスリングは、「シュート」と呼ばれる真剣勝負と、現在のプロレスに通じる「ショー」、2つの異なるジャンルに分かれて衰退していった。

1951年10月23日、ブラジルマラカナン・スタジアム柔道家木村政彦柔術家エリオ・グレイシーと対戦し、木村が腕がらみで勝利した。

1963年、キャッチレスラーで柔道家のジン・ラベールとプロボクサーのミロ・サベージが対戦。北米で初めてテレビ放送された異種格闘技スタイルの試合となった。

1960年代後半から1970年代初頭にかけて、複数の武術・格闘技を融合させるという概念が、ブルース・リーの創始した「截拳道」によって西洋に広まった。2004年にUFC代表ダナ・ホワイトはブルース・リーのことを「総合格闘技の父」と称えている。

1976年、日本でボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリプロレスラーアントニオ猪木が対戦し、15ラウンド引き分けとなった。

1988年、ムエタイチャンプア・ゲッソンリットがキックボクサーのリック・ルーファス対戦。チャンプアは初回にパンチで2度ダウンを喫するも、ローキックを当て続け、レフェリーストップにより逆転勝利を収めたが、この試合は、西洋のファンにローキックの有効性を知らしめた最初の試合とされている。

主な出来事[編集]

2000年以上前 – 擂台
パンクラチオン
19世紀後半 キャッチレスリング
1880年代後半 – 初期NHB
1899年 バーティツ
1920年代 – 初期バーリトゥード、グレイシーチャレンジ
1951年 木村政彦エリオ・グレイシー
1960年代–1970年代 ブルース・リー截拳道
1976年 アントニオ猪木対モハメド・アリ
1985年 修斗設立
1989年 – 修斗プロ第一戦開催
1993年 パンクラス設立
1993年 UFC設立
1997年–2007年 PRIDE・ UFC時代
2000年 ニュージャージー州アスレチック・コミッションが統一ルール(通称:ユニファイドルール)を制定
2001年 ズッファがUFCを買収
2005年 The Ultimate Fighter開始
2006年 – ズッファがWFAWECを買収
2006年 UFC 66で総合格闘技初となる PPV購買件数100万件達成
2007年 – ズッファがPRIDEを買収
2009年 Strikeforce: Carano vs. Cyborgでメジャープロモーションで初めて女子選手の試合をメインイベントにして開催
2011年 – WECがUFCと統合
2011年 – ズッファがStrikeforceを買収
2011年 FOXで放送されたUFC on FOX 1で視聴者数880万人到達
2012年 国際総合格闘技連盟(IMMAF)設立
2016年 WMG/WME-IMGがUFCを40億ドル(約4400億円)で買収

近代総合格闘技[編集]

今日の総合格闘技に大きな影響を与える「ブラジリアン柔術」「バーリトゥード」が始まる。

バーリトゥードは1920年代に始まり、後に「グレイシーチャレンジ」によって有名になった。グレイシーチャレンジはグレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦するもので、カーロス・グレイシーエリオ・グレイシーによって始められた。

1980年3月20日、アメリカ合衆国で初めてルール化された総合格闘技の大会「タフガイ」が、CVプロモーションによってペンシルバニア州ニューケンジントンで開催された。その後10大会を継続開催したが、全く無関係のボクシング大会「タフマンコンテスト」で死亡事故が起こったことも重なり、1983年にペンシルバニア州上院議会で総合格闘技を事実上禁止する法案が可決された。

1993年、「UFC」が設立。The Ultimate Fighterシーズン1をきっかけに人気を博し、2006年にはPPVの年間販売件数でボクシングを上回った。

1997年、「PRIDE」が設立。

2007年、UFCがPRIDEを買収し統合。

名称[編集]

英語では「混合格闘技」を意味するMixed Martial Arts(ミクスド・マーシャル・アーツ)と呼ばれている。実際にこの名称を生み出したのは誰なのか諸説あるが、最初にこの言葉が公に用いられたのは、テレビ評論家のハワード・ローゼンバーグがUFC 1のレビュー記事をロサンゼルス・タイムズで執筆した時とされており[4]、総合格闘技サイトnewfullcontact.comがその言葉を引用したことで広まったとされている。

プロモーションで最初に使用したのは1995年9月のBattlecade Extreme Fightingとされており、UFCではUltimate FightingおよびNo Holds Barred(NHB)と呼ばれていたが、世論からの批判が高まったことで、UFC 17のルールミーティングで、UFCコミッショナーのジェフ・ブラトニックとレフェリーのジョン・マッカーシーが、略称であるMMAの使用を提案したとされている[5]

ルール変遷[編集]

1996年8月23日、近代になって初めて州アスレチック・コミッションに認可された総合格闘技の大会がミシシッピ州ビロクシで開催される。ルールは既に認可されていたキックボクシングのルールに、テイクダウンと寝技を認めるルールと、ラウンド廃止が追加され、レフェリーに寝技で膠着した場合に選手を立たせてから再開させる権限が与えられて行われた。

1997年3月、アイオワ州アスレチック・コミッションが、既存のシュートファイティングルールに、3分5ラウンドのラウンド制、シュートファイティンググローブ装着の義務、階級の規定などと、禁止行為の指定(下腹部への攻撃、頭突き、噛みつき、目突き、頭髪を掴む、グランド状態の相手への肘攻撃、後頭部への拳での攻撃、ケイジやロープを掴む等)を加えたルールを策定した上で、総合格闘技を事実上認可し、1997年3月28日にExtreme Fighting 4が開催された。

2000年9月30日、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが、総合格闘技を認可。総合格闘技の包括的なルールを策定するために、実際に大会を見て情報収集することを認可の事由とした。

2001年4月3日、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが、総合格闘技の統一ルールを策定する会議を開催。会議に出席した、他州のアスレチック・コミッションや総合格闘技関係者により統一ルールが合意された。

ニュージャージー州アスレチック・コミッションの制定したルールが、北米において事実上の統一ルールとなっていたが、2009年7月30日にボクシング・コミッション協会によって正式に「総合格闘技の統一ルール」として承認された。

女子総合格闘技[編集]

日本では、女性による総合格闘技は女子プロレスや男子総合格闘技の中で行われてきたが、1995年に史上初となる女子限定の総合格闘技イベント「L-1」が女子プロレス団体「LLPW」主催で開かれ、同団体エースの神取忍らが出場した。

1997年3月28日、アメリカ合衆国で公式記録として残っている最初の女子総合格闘技の試合がIFC 4で行われた。これに続いて1997年9月5日にルイジアナ州アスレチック・コミッションに認可された女子選手4人参加のトーナメントが開催された。

2001年、日本で女子総合格闘技団体「SMACK GIRL」が設立された。

2009年8月15日、アメリカ合衆国でStrikeforceがメジャープロモーションで初めて女子選手の試合をメインイベントにした大会を開催。クリスチャン・サイボーグジーナ・カラーノがメインイベントで対戦した。

2012年4月28日、アメリカ合衆国で女子総合格闘技団体「Invicta FC」が設立された。

2013年2月23日、UFCが女子部門を設立し、UFC 157ロンダ・ラウジーがメインイベントを務めた。ラウジーは女子格闘家で初のPPV販売件数100万件を達成、さらにESPY賞を2014年と2015年に2年連続で受賞するなど総合格闘技の枠を超えたスター選手となった。

ルール[編集]

黎明期の女子総合格闘技では、安全上の理由から、顔面へのパウンド禁止やグラウンドに時間制限がかけられたり、短いラウンド数や試合時間で試合が行われる事があった。

アマチュア総合格闘技[編集]

国際総合格闘技連盟(IMMAF)が総合格闘技のアマチュア組織を統括し、世界選手権などのアマチュア国際大会を開催している。

2012年2月29日、国際総合格闘技連盟(IMMAF)が創設される。

2014年6月30日から7月6日の期間でアマチュア総合格闘技世界選手権を初開催。

2018年4月11日、世界総合格闘技協会(WMMAA)との合併を発表。

世界の総合格闘技[編集]

オーストラリア[編集]

オーストラリアで総合格闘技は全ての州・準州で認可されている。競技としては認可されていたものの、ケイジの使用が禁止されていた州もあったが、ビクトリア州で2015年に、西オーストラリア州で2017年に使用が許可さたことで全ての州でケイジの使用が解禁された。

バーレーン[編集]

バーレーン総合格闘技連盟(BNMMAF)が設立されており、2017年には首都マナーマIMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権が開催された。中東最大の総合格闘技プロモーション「Brave Combat Federation」が存在する。

ブラジル[編集]

ブラジル総合格闘技アスレチック・コミッション(CABMMA)が設立されている。CABMMAはUFC on FX 7から正式に管轄を開始した。

ブルガリア[編集]

ブルガリア総合格闘技連盟(BFforMMA)が設立されており、元UFC選手のスタニスラブ・ネドコフが代表を務めている。

カナダ[編集]

カナダでは2013年6月5日に各州に総合格闘技を管轄するためのアスレチック・コミッションを設置する権限が与えられる法案が成立した。 それ以前は正式には認可されておらず、一部の州では認可されていたボクシングを拡大解釈し、混合ボクシング(Mixed Boxing)と分類するなどして開催していた。

中国[編集]

中華人民共和国で総合格闘技は国家体育総局の武術スポーツ管理センターによって認可されている。

フランス[編集]

フランスで総合格闘技は2020年1月1日に正式に認可された。認可以前には、総合格闘技のフルコンタクトの試合は禁止されていたため、フランスで行われる総合格闘技の試合は、グラウンドでの打撃攻撃が認められていなかった。

フランス総合格闘技コミッション(CFMMA)が設立されている。

ノルウェー[編集]

ノルウェーは完全な総合格闘技は禁止されている。ノルウェーでは1981年以降、ノックアウトを伴う全てのスポーツが禁止となっているが、2014年にボクシングは解禁された。総合格闘技は、レガース着用の義務や、肘打ち禁止などの打撃攻撃が規制された「Merkekamper」として政府から認可を受け行われている。

ノルウェー総合格闘技連盟(NMMAF)が設立されている。

スウェーデン[編集]

スウェーデンで総合格闘技は認可されており、スウェーデン総合格闘技連盟(SMMAF)が設立されている。

タイ[編集]

2012年にタイ・スポーツ公社(SAT)が、タイ国内で総合格闘技の試合を行うことを禁止した。保守的なムエタイ関係者や政府の高官らが慎重な姿勢を示し、一部では、タイの文化である国技ムエタイを守るために総合格闘技を禁止するべきという反発の声が出ていた。

2016年5月27日、タイ観光・スポーツ省の支援を受けてONE Championshipバンコクで大会を開催し、総合格闘技が解禁された[6]

アメリカ合衆国 [編集]

アメリカ合衆国で総合格闘技は州のアスレチック・コミッションにより管轄されている。2011年3月24日にウェストバージニア州、2012年3月8日にワイオミング州、2012年5月4日にバーモント州、2013年10月1日にコネチカット州、2016年4月14日にニューヨーク州で認可され、総合格闘技が全米で解禁となった。

ベトナム[編集]

2020年2月20日に総務次官が総合格闘技合法化法案に署名。ベトナム総合格闘技連盟(VNMMAF)が設立されている。

日本における総合格闘技[編集]

打撃技、投げ技、寝技の技術体系を総合的に網羅した武道は日本拳法など日本にも古くから存在した。

1976年、新日本プロレスアントニオ猪木プロレスのリングにおいて「異種格闘技戦」をモハメド・アリ(ボクシング)、ウィリー・ウィリアムス(空手)、ウィレム・ルスカ(柔道)らを相手に行った。

1984年4月、新日本プロレスから離脱した前田日明藤原喜明高田延彦プロレスラーによって第1次UWFが興された。佐山聡(初代タイガーマスク)が加入後、自身が当時考案していた新格闘技(後のシューティング)という現在の総合格闘技ルールの基礎となる理論と概念を持ち込んだ。

猪木の異種格闘技戦もUWFも結局「プロレス」の域を出ることは無かったものの、これが日本の総合格闘技の萌芽となったと言われている(しかし、今日のこれと無関係な世界的総合格闘技の隆盛からむしろ「障害」・「迂路」となったとする意見もある)。

1984年、UWFを脱退した佐山聡が「修斗」(当初は「シューティング」と呼ばれた)を創設。

1988年5月、第2次UWF(新生UWF)が設立され、一大ムーブメントを起こした。第2次UWFには後にパンクラスを立ち上げる船木誠勝が参加している。

1993年、「パンクラス」が設立された。

1993年11月12日、「UFC」の第1回大会UFC 1が開催され、グレイシー一族の一人、ホイス・グレイシーが小兵ながらも巧みなブラジリアン柔術で様々な分野の格闘家を破り優勝。この出来事はいわゆる「グレイシーショック」として日本にも伝播することになる。初期のUFCにはジェラルド・ゴルドーケン・シャムロック、大道塾の市原海樹らが参戦。これら日本でもトップクラスの実力者と見なされてきた者たちがホイス・グレイシーに実力差を見せつけられて負けたことも大きな衝撃だった。

1994年、「VALE TUDO JAPAN OPEN 1994」が開催され、ホイスの兄でありグレイシー一族最強とされていたヒクソン・グレイシーが参戦。空手格斗術慧舟会の西良典らを破りトーナメント優勝。その翌年開催の「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」にもヒクソンは参戦し、リングス山本宜久、修斗の中井祐樹らに勝利して二連覇を果たした。

1997年、「PRIDE」が設立。桜庭和志らが活躍し、一大ムーブメントを起こした。2003年の大晦日では同時間帯に3つの格闘技興行K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!PRIDE SPECIAL 男祭り 2003INOKI BOM-BA-YE 2003 が開催され、それぞれTBSフジテレビ日本テレビの地上波テレビ3局で中継放送された。

試合スタイル変遷[編集]

様々な格闘技の選手がそれぞれの格闘技の技術で試合に臨んでいた1990年代初頭は、既に総合格闘技での戦い方を確立していたホイス・グレイシーヒクソン・グレイシーに代表されるブラジリアン柔術が、ボクシングやキックボクシング、武術、柔道、空手など、総合格闘技においての寝技や関節技、ポジショニングの対応方法を殆ど知らない他格闘技を相手に独り勝ちの状態だった。

1990年代前半よりむしろ後半からは、レスリング出身者が元々持っていたテイクダウンとグラウンドレスリング技術を総合格闘技用に対応させ、さらに総合格闘技で定石となる戦術のグラウンド&パウンドを開発すると、マーク・コールマンドン・フライダン・スバーンランディ・クートゥアといったレスリング出身の選手が優位を占めるようになっていく。PRIDEでは、桜庭和志グレイシー一族に4連勝。ビクトー・ベウフォートら打撃の強豪も圧倒し、世界から注目された。

2000年代に入ると、レスリングや柔術などのテイクダウンと寝技に対応した、打撃を主体とするスタイルのヴァンダレイ・シウバミルコ・クロコップなどの選手が活躍するようになる。PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルもベースにあるのは、投げ技と関節技が特徴のサンボだが、スタンドのパンチと、グラウンド状態での強烈なパウンドを得意とした。

今日の総合格闘技では、それぞれの技術の習得に差はあっても、打撃技、組技、寝技を全て出来なければ勝つのは難しくなっている。

各競技の総合格闘技での実績[編集]

ブラジリアン柔術[編集]

ホイス・グレイシーが、UFC 1UFC 2UFC 4と初期UFCを3度制覇。ホイスの兄ヒクソン・グレイシーVTJ94VTJ95を2連覇し、総合格闘技でのブラジリアン柔術(以下、柔術)の高い適性を示した。小柄なホイスやヒクソンがヘビー級選手を次々に絞め技や関節技で仕留める様は、総合格闘技において打撃主体の立ち技よりも寝技を主体とした柔術のほうが有用性が高いことを示し、「グレイシーショック」と呼ばれる強いインパクトを格闘技界に与えた。

テイクダウン技術やポジションキープ技術ではレスリングのほうが優れていたが、柔術は不利なポジションからでも関節技や絞め技を極めるまでもっていける多彩な技術を持っており、ホイスはダン・スバーンに、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラはマーク・コールマンに下からの三角絞めで勝利している。他競技がこれを攻略するのは困難を極めたが、ケン・シャムロックはガードポジション内でスイープや絞め、関節技を警戒し、最小限の動きで頭突きをくわえ続けると言う戦術でホイスと引き分けている。また、桜庭和志ホイラー・グレイシー戦で、徹底的にグラウンドを拒否し、猪木アリ状態から相手の脚を蹴り続けたり、スタンドでも距離を取ってローキックを蹴り続ける戦術でダメージを与えて勝利している。エメリヤーエンコ・ヒョードルは下からの三角絞めや腕ひしぎ十字固めを警戒しつつ、ガードポジション内から強烈なパウンドを打ち込むという戦術でホドリゴ・ノゲイラに勝利している。このように柔術攻略も進んだため、初期UFCのように柔術家の独擅場と言うわけには行かなくなったが、ホリオン・グレイシーが「我々もいつか敗れるときが来るだろう。しかし、我々を敗るのは我々の技術だ」と述べていたように、今日の総合格闘技においても柔術は必要不可欠でレスリングとボクシングに並んで非常に重要な技術となっている。

柔術出身選手の主な戦績としては、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが初代PRIDEヘビー級王座、UFC世界ヘビー級暫定王者を獲得。ファブリシオ・ヴェウドゥムがUFC世界ヘビー級王座を獲得、ヒョードルに腕ひしぎ三角固めで勝利している。

レスリング[編集]

グレイシー撤退以後、UFCでは、ダン・スバーン、マーク・コールマン、ドン・フライらが活躍し、レスリング選手黄金期を築き上げた。レスリングにはルール上、関節技・打撃技はないが、テイクダウン技術とポジションキープ技術は圧倒的で、他競技の対戦相手の上をとって動きを制し、そこからパウンドや頭突きなどで勝利を収めた。しかし、他競技の選手がタックルの切り方やテイクダウンされてからの立ち方を覚えるなど、テイクダウンの対策が普及すると、レスリング系の選手がテイクダウンを奪うのが難しくなった。ランディ・クートゥアは、グレコローマンレスリングの技術を応用して相手を金網に押し込んで動きを制し、近距離からショートアッパーやショートフックを打ち込む戦術を得意にした。

柔道[編集]

総合格闘技の普及と発展に大きな影響を与えたグレイシー柔術は、講道館柔道の前田光世がブラジルに伝えた技術が源流となっている。柔道家の木村政彦は、1951年10月23日にブラジルでエリオ・グレイシーに勝利しており、柔道はUFC以前に唯一グレイシー柔術に勝利を収めた格闘技として評価を高めた。吉田秀彦Dynamite!のジャケットルールマッチでホイス・グレイシーに袖車絞めで勝利し、総合ルールでもドン・フライ田村潔司といった強豪に勝利し、ヴァンダレイ・シウバとも善戦して評価を高めた。一方、柔道金メダリスト石井慧がキックボクサーのジェロム・レ・バンナを極め切れなかったように、総合格闘技において柔道家は必ずしも関節技や絞め技が得意というわけではない。また、瀧本誠田村潔司に、吉田秀彦はミルコ・クロコップにローキックで攻められて対応できず、ローキックの対処に弱さも見られた。その一方、日本の主要団体の中量・重量級王者に柔道出身者が多く、世界最高のMMA団体UFCでアジア人史上最高の戦績を残した岡見勇信やUFC女子世界バンタム級初代王者ロンダ・ラウジーも柔道出身。

サンボ[編集]

サンボは着衣格闘技だが、投げ技、テイクダウン、グラップリング、関節技のバランスのとれた技術体系を持っており、サンボ選手のエメリヤーエンコ・ヒョードルは、PRIDEヘビー級王座を獲得し、高阪剛戦の偶発性の肘打ちによる流血レフェリーストップ以降、ファブリシオ・ヴェウドゥム戦まで10年間負けなしという驚異的な成績で、人類最強の男と呼ばれた。ハビブ・ヌルマゴメドフはUFC世界ライト級王座を獲得。オレッグ・タクタロフは、UFC 6で優勝、Ultimate Ultimate 1995で準優勝した。

ボクシング[編集]

アート・ジマーソンがUFC 1に参戦しているが、ホイス・グレイシーに敗れている。アート・ジマーソンは工夫し、左手のみにグローブを付け、右手は素手のまま登場したが、テイクダウンされたら対処することができず、技を極められていないのにタップしている。元WBF世界クルーザー級王者の西島洋介は、総合格闘技では1勝もできなかった。バタービーンは、ジェームス・トンプソンズールに勝利している。ボクシングの技術は立った状態でのパンチとパンチに対する防御技術、リング上での位置取りに突出しているために、その他の局面で対処ができず、蹴りやテイクダウンに対する耐性が低かった。

ボクシング単体では総合格闘技への対応は難しいが、パンチはキックよりも隙が少なくフットワークによる位置取り技術もあることからタックルに対応しやすいという利点がある。ほぼ密着状態から拳が届く限界まで様々な位置に対応した打撃とその防御技術(ボクシングの技術)、これらのトレーニング方法が充実していることから、レスリングと同じく応用性が高くメインとなる攻撃方法としては広く使われている。

立ち技格闘技[編集]

キックはパンチよりもリーチ・威力において有利だが、キックは隙が大きくなるため、初期は柔術家やレスリング選手にテイクダウンされてしまい実力を充分発揮できなかった。しかしテイクダウン対策を習得すると、総合格闘技で結果を出し始めた。モーリス・スミスはマーク・コールマンを破り、UFC世界ヘビー級王座を獲得。イゴール・ボブチャンチンは『PRIDE GP 2000』で準優勝。ヴァンダレイ・シウバはPRIDEミドル級王座を獲得。ミルコ・クロコップはPRIDE 無差別級グランプリ 2006で優勝している。マーク・ハントは40歳を過ぎてもなお一線級の舞台で活躍を続け結果を残した。ミルコはむしろ「寝技の選手が打撃を練習するよりも、立ち技の選手がタックル切りを覚えるほうが10倍簡単だ」と述べ、立ち技格闘技の選手が総合格闘技に転向した際の優位を指摘している。

伝統派空手[編集]

競技特性として遠い間合い、先手をとる技術、打撃を捌く技により、打撃をもらいにくく打撃を当てやすい。また、間合いが遠いためタックルをもらいにくい。一方で寝技が無いため対抗するにはレスリングなどの技術を習得する必要がある。伝統派空手出身選手が打投極をある程度できれば、リーチと防御力により、スタンドでのかなりの優位性を発揮する。出身選手として元UFC王者のリョート・マチダ、UFCフライ級3位に上り詰めRIZINバンタム級GPで優勝した堀口恭司などがいる。

プロレス[編集]

総合格闘技で実績を残したプロレスラーは桜庭和志藤田和之ジョシュ・バーネットブロック・レスナーなど多数存在する。しかし、髙田延彦永田裕志高山善廣ケンドー・カシン獣神サンダー・ライガーなどメジャーなプロレスラーの多くが総合では結果を残せなかった。プロレスラーとしては比較的マイナーであった桜庭和志や藤田和之、美濃輪育久(ミノワマン)、ジョシュ・バーネット、ダン・スバーンが総合で結果を残したのは、プロレスの技術と言うよりもレスリングやキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの技術によるものである。トップレスラーとしてプロレス団体WWEで活躍した後に総合へ転向し結果を残したブロック・レスナーも、元々はNCAA全米学生王座を獲得するほどの高いレスリング技術を下地として持っていた。

日本の女子総合格闘技は女子プロレス界が中心となって築き上げた歴史があり、元全日本女子プロレス高橋洋子は日本初の女子総合格闘家としてスマックガール無差別級王座も獲得した。

相撲[編集]

日本書紀の記述によれば、古代の相撲は投げ技や関節技の他にも蹴り技やダウンした相手を踏みつけるなど「打投極」がある総合格闘技だったとされる。

UFC 1ではテイラ・トゥリジェラルド・ゴルドーに敗北し、エマニュエル・ヤーブローも、UFC 3でキース・ハックニーに、PRIDE.3高瀬大樹で敗れている。また、元横綱の曙太郎も総合ルールでは1勝も上げられなかった。力士は体格と筋肉量では圧倒的だが、致命的にスタミナとフットワークがなく、打撃でも寝技でも決め技に欠けていた。また、テイクダウン耐性が高いと思われていたが、引き込まれたり、つんのめったりして、試合では簡単に倒れた。

総合格闘技をテーマにした作品[編集]

映画
ドラマ
漫画
小説
  • VTJ前夜の中井祐樹増田俊也) - 中井祐樹を題材にしたノンフィクション小説。後に一丸の作画で『七帝柔道記外伝』のタイトルでコミカライズ化された。
  • 金網ガール: Cage Girl(稲垣收)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 目突きや噛みつき・頭突き等の特に危険な攻撃は禁止することが多い。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • eFight - 日本の格闘技情報サイト
  • BoutReview - 日本の格闘技情報サイト
  • MMAFighting (英語) - アメリカ合衆国の格闘技情報サイト
  • SHERDOG (英語) - 総合格闘家の大規模データベース
  • TAPOLOGY (英語) - 総合格闘家のデータベース