アイルランド共和国

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アイルランド共和国
Éire(アイルランド語)
Ireland(英語)
アイルランドの国旗 アイルランドの国章
国旗 国章
国の標語:Éire go deo
(アイルランド語: アイルランドよ、永遠に)
国歌兵士の歌
アイルランドの位置
公用語 アイルランド語英語
首都 ダブリン
最大の都市 ダブリン
政府
大統領 マイケル・D・ヒギンズ
首相 エンダ・ケニー
面積
総計 70,273km2120位
水面積率 2%
人口
総計(2013年 4,593,100人(119位
人口密度 65人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2011年 1,605億[1]ユーロ (€)
GDP(MER
合計(2011年 2,128億[1]ドル(42位
GDP(PPP
合計(2011年 1,752億[1]ドル(55位
1人あたり 39,312[1]ドル
独立 1922年12月6日アイルランド自由国
1937年12月29日アイルランド憲法の施行)
1949年4月18日イギリス連邦を離脱)
通貨 ユーロ (€)(EUR[2][3]
時間帯 UTC ±0(DST:+1)
ISO 3166-1 IE / IRL
ccTLD .ie
国際電話番号 353
  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2012年3月31日閲覧([1]
  2. ^ 1999年以前の通貨はアイルランド・ポンド
  3. ^ アイルランドのユーロ硬貨も参照。

アイルランド共和国(アイルランドきょうわこく、アイルランド語: Poblacht na hÉireann英語: Republic of Ireland)、またはアイルランドアイルランド語: Éire英語: Ireland)は、北大西洋アイルランド島に存在する立憲共和制国家である。

北東に英国北アイルランドと接する。首都はアイルランド島中東部の都市ダブリンナショナルカラー

独立時の経緯によりアイルランド島の北東部北アイルランド6州は英国を構成するが、アイルランド共和国は1998年のベルファスト合意以前は全島の領有権を主張していた。2005年の英「エコノミスト」誌の調査では最も住みやすい国に選出されている。

国名[編集]

正式名称は Éireアイルランド語: エァラ)であり、憲法は公式の英語名称について Ireland と定めている。国際連合ヨーロッパ連合においては Ireland として登録されているが、その一方で、「1948年アイルランド共和国法」 (The Republic of Ireland Act, 1948) は、憲法の規定を覆す効力は無いものの Republic of Ireland を公称とする旨を定めている。

日本語では「アイルランド」または「アイルランド共和国」の表記が使われており、日本政府は「アイルランド」を用いている。漢字では愛蘭土と当てられ、と略す。アイルランド語名に由来してエールと呼ぶこともある。

アイルランドの地図

歴史[編集]

新石器時代のドルメン

政治[編集]

政府庁舎

1949年以降は共和制を採用している。元首大統領で国民の直接選挙により選出される。大統領は基本的には名誉職であり、儀礼的な役割を主に務めるが、違憲立法審査の請求、首相による議会解散の拒否などの権限があり、国軍の最高司令官をつとめる。初代大統領は作家のダグラス・ハイドが就任した。1990年から2011年までメアリー・ロビンソンメアリー・マッカリースと2代続けて女性が大統領に選出されており、保守的傾向の強かったアイルランドの変化を象徴している。現在の大統領はマイケル・D・ヒギンズである。現在では北アイルランド問題が持ち上がっている。 アイルランドの議会(ウラクタス, Oireachtas)は二院制で上院がシャナズ・エアラン(Seanad Éireann)、下院はドイル・エアラン (Dáil Éireann) と呼ばれる。議会から選出された首相(ティーショク, Taoiseach)が行政府の長となる。

1973年にはEC(現在EU)に加盟している。

治安[編集]

ガーダ・カー

アイルランドの警察は1922年に創設された。アイルランドでは自国警察のことをガーダ(Garda、単数形Gardi)と呼ぶ。

統計上、欧州諸国の中で最も凶悪犯罪が少なく、治安のよい国とされてきた。一人当たりの被害件数で日本よりも少ない項目もある。しかし近年[いつ?]、悪化の傾向にある。

軍事[編集]

アイルランドは(en)(en)三軍を擁し、平時の兵力は8,500名。他に陸軍の予備役13,000名がある。安全保障については中立政策を採用しており、第二次世界大戦には参戦せず、北大西洋条約機構(NATO)にも加盟していない。

国際関係[編集]

イギリスとの関係[編集]

オリバー・クロムウェル
1649年から1651年にかけての遠征によりアイルランドを占領した。

オリバー・クロムウェルの侵略以降、民族や領域としての自治が剥奪され、イギリスが最初に支配した植民地となった。プロテスタントによるカトリック教徒への迫害があり、また植民地政策で工業化は遅れた。土地政策はイングランドのアイルランド支配にとって重要でしばしば深刻な影響をあたえた。

経済基盤は弱く大規模地主による小作農を使役した商品作物栽培という典型的な植民地型農業であり、アイルランド人の2/3は農業に従事していた。さらに羊毛のための囲い込み政策が追い討ちをかけ、これは1800年代前半に相次いで発生したジャガイモ飢饉という惨事として現われ、市場において高く売買される農作物がイングランドに大量に移送される一方でアイルランドからは食物が枯渇し、不作に見舞われた小作農の大量餓死が発生し社会問題となった。1840年は800万人を数えた人口は1911年に440万人にまで減少し、アイルランド語を話す人口も激減した。

ジャガイモ飢饉はイングランドにとっても深刻な社会問題として衝撃をもって受け止められ、公共事業支援や食糧援助などが実施されたものの、貧困からくるアメリカへの移住など住民の離散を防ぐことは困難であった。イギリスで1840年代に沸騰していた鉄道バブルはこれにより崩壊した。マルクスは資本論の叙述でこの惨事について言及した。この時期に受けた困難はアメリカに移住したアイルランド人の原点となり、のちのアイルランド独立闘争のさいにしばしば言及された。また(帝国主義的植民地)経済システムが現実の災害をもたらした顕著な例として経済学や政治社会学でしばしば論じられた。

1919年1922年アイルランド独立戦争では休戦協定が結ばれ英愛条約が締結された。アイルランド自由国が成立して独立戦争は終結したが、イギリス連邦下である事にも不満を抱く者はアイルランド内戦を起こした。

このように歴史的にイギリス(イングランド)への植民地支配の恨みが強く、今でも一部の住民の間では反英感情が強い。例えば第二次世界大戦の際には全ての英連邦諸国は対日参戦していたのに対してアイルランドはイギリスのチャーチル首相の対日参戦要求を拒否し、大英帝国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズレパルスが日本軍に撃沈されたニュースを聞いて歓喜に満ちていた。また、元インド総督のルイス・マウントバッテンはアイルランド国内でボートに乗っている際にIRA暫定派によって仕掛けられた爆弾で暗殺されている。

しかし、ヨーロッパの経済大国であるイギリスはアイルランド共和国にとって無視できない存在であり、経済的および人的交流は古くから盛んである。イギリス領北アイルランドではアイルランド帰属を求めてテロ行為を繰り返す過激派IRA暫定派などナショナリストとユニオニストとの紛争が起こっていたが、和平プロセスが進んでいる。アイルランド共和国は一部日本で誤解されているようなテロ行為の舞台とはなっておらず、北アイルランド和平が現実に近づくにつれ、さまざまな分野での南北の交流が広がっている。

1997年トニー・ブレア首相が100万の餓死者・100万の移民を出した1845年から1849年のジャガイモ大飢饉について「今日それを反省してみるにつけ苦痛をもたらすものであった」と実質的に謝罪を行った。1998年には北アイルランド和平合意が成立した。殺し合いに嫌気がさした事、南の経済発展にあせりを感じた事が契機となる。しかし強硬派が納得せず失敗しさらに10年が経過する。2005年、イギリス在郷軍人会アイルランド支部主催の第1次大戦戦没者追悼行事にアイルランド大統領が出席。アイルランド人兵士の名誉回復と追悼を訴えた。彼らはアイルランド自治獲得促進の意志をもって参戦したのにそれまではイギリスへの協力者と非難されてきた。2007年2月、クローク・パーク競技場でのラグビー・シックス・ネイションズの試合、アイルランド対イングランド戦が平穏に行われる。イギリス国歌の演奏に当たりアイルランド側から一つのブーイングもなく、イギリスとアイルランドの歴史的和解の象徴となった。この競技場は1920年の独立戦争のときイギリス軍がゲーリックフットボール観戦中のアイルランド人を虐殺した場所で反英闘争の聖地であった。アイルランドは伝統的に反英感情が強いものの、世界共通語とされる英語を使用しており、英語留学先として人気がある。

アメリカ合衆国との関係[編集]

祖先の故郷ティペラリーでスピーチをするレーガン大統領(当時、1984年)

19世紀後半、イギリス植民地支配に苦しんだアイルランド人は、同じ英語圏の国へ移民を行わざるをえなかった。当時、同じくイギリス植民地であったカナダオーストラリアにおいては、やはり支配層から差別される立場であったため、植民地からの独立を果たしていたアメリカ合衆国にその多くが渡った。そのためアイルランド系アメリカ人は今日でも多い。シカゴからルイジアナに至るいわゆるバイブルベルトではアイルランド系移民によるカトリックの影響が強く、聖パトリックの祝日を盛大に祝う風習がある。人口の多いニューヨークでもアイルランド系住民の絶対数は少なく無く、上記祝日は盛大に祝われる。しかし開拓当時のアメリカ人からは、アイルランド人移民の貧しい生活や異様と取れる風習、イギリスで被征服民として低くみられていた事、カトリック教徒であった事などにより、忌避感を持たれる。アイルランド人は人種的に見て「白人」に含まれるが、「アメリカ市民」には相応わしくないとされて、以降、偏見の目と差別に苦しめられた。しかし後にはその社会地位は向上し、大統領となったジョン・F・ケネディ、そしてロナルド・レーガンは、祖先の故地アイルランドへ訪問、暖かく歓迎された。

アイルランドは経済面でアメリカ依存が強い。一方で1990年代の「アイルランドの奇跡」といわれる経済成長の背景には、国内総生産の7%程に相当するEUからの援助金も無視できない。アメリカ、EUからの投資は特に教育制度と公共設備にあてられアイルランドの経済能力を強化したが、しかしより重要なのは、EU諸国間では比較的低い法人税と安い賃金にある。それに惹かれ外国企業、とりわけアメリカの多国籍企業は生産基地とヨーロッパ事業本部をアイルランドに立地した。アイルランドの国語が英語であることもアメリカ企業にとって重要で、また、アメリカ本部とアイルランド支部との時差を利用した仕事分担の恩恵もある。エレクトロニクス、製薬のようなハイテク産業や、金融サービスなどにおける外国投資はアイルランド経済の原動力となっているが、その内訳の80%はアメリカによるもので、アイルランドで活躍しているアメリカ企業は600社、その従業員は10万人規模に及ぶ。アメリカからみてアイルランドはヨーロッパ市場を狙う前進基地であるが、一方でアイルランドでの収益率は、他のヨーロッパの国よりも2~3割ほど高い。

アイルランド人は植民地支配の経緯によりイギリスに対し伝統的に敵対的であるが、イギリス植民地から独立して多くのアイルランド系住民を受け入れたアメリカに対しては好意的であり、旧宗主国が残した英語を駆使して世界一の経済大国となったアメリカと活発な取引を行っている。これは同じくイギリスの植民地支配を受けたインドと同様の傾向である。

行政区画[編集]

アイルランドの行政区画

アイルランド島は歴史的な慣習から自治権のないコノートマンスターレンスターアルスターの4つの地方に大別される。これらは32の州 (county) で構成されるが、この内のアーマー、アントリム、ダウン、ティロン、デリー、ファーマナの6州がイギリスの統治下にある北アイルランドに属している。

主要都市[編集]

2006年におけるアイルランドの5大都市は次の通り。

都市 人口
1 ダブリン ダブリン州 104万5769
2 コーク コーク州 19万0384
3 リムリック リムリック州 9万0757
4 ゴールウェイ ゴールウェイ州 7万2414
5 ウォーターフォード ウォーターフォード州 4万9240

地理[編集]

アイルランド島の衛星写真

アイルランド島の南側、約6分の5がアイルランド共和国、残りは北アイルランド英国領である。面積は70,282km2(北アイルランドを加えると84,421km2。北海道よりもやや広い)、南北に約500km、東西に約300kmある。

大西洋の北東部にあり、東のアイリッシュ海グレートブリテン島と隔てられている。

西部は山地、丘陵、断崖の風景が広がる。中央部は氷河によって堆積した粘土を含む低地で、沼地が多く存在する。南西部の山岳地帯に最高地点(標高1038m)がある。北東部に玄武岩台地があるほかはほとんどの地域が花崗岩に覆われている。

温暖なメキシコ湾流と、大西洋から吹く偏西風の影響で気候は安定した西岸海洋性気候となっており夏は涼しく、冬は緯度の高い割に寒くない。また、地域による気候の差もほとんどない。平均気温は、もっとも寒い1月と2月で4~7℃程度、もっとも暖かい7月と8月では14~17℃程度である。最低気温が-10℃より下がることや、最高気温が30℃を超えることはほとんどない。

年間の降水量は、平野では1000mm程度である。山岳部ではさらに多く2000mmを超えることもある。月ごとの降水量はほとんど変わらない。

経済[編集]

ダブリンを走るルアス

アイルランド経済は他のヨーロッパ諸国と比べ小規模であり国際貿易に大きく依存している。かつては西欧でも長きにわたりポルトガルなどと並び最貧国のひとつに数えられたが、1990年代に入ってからEUの統合とアメリカを中心とした外資からの投資などにより急成長を遂げた。1995年から2000年の経済成長率は10%前後であり、世界において最も経済成長を遂げた国のひとつとなった。以前に経済の中心をなしていた農業は産業の工業化により重要度が低下した。現在では工業はGDPの46%、輸出額の80%、雇用の29%を担っている。近年のアイルランド経済の力強い成長は外資企業・多国籍企業や輸出が寄与するところが大きいが、国内における個人消費および建設、設備投資による影響も見逃せない。好調な経済に伴いここ数年のインフレ率は4%から5%で推移していたが、2005年度には2.3%に低下した。アイルランド国民の関心を集めている住居価格は2005年2月で251,281ユーロだった。失業率は低水準を維持しており収入も順調に増加している。世界の主要都市における調査によると、アイルランドの首都ダブリンは22番目に物価の高い都市であり、2003年度の調査から2位上昇している。アイルランドはEUの中でルクセンブルクに次いで人口あたりGDPが大きい国であり、これは世界においても4位に位置している。

ただ、OECDの調査によると他の欧州諸国と比べても貧困率が高い傾向があり、今後の経済成長に期待するべきである。2007年度より、経済の急激な落ち込みが始まり、特に不動産価格の急激な下落が記録されている。同年より起きた世界的なサブプライム問題によって多くの銀行・証券会社などが巨額な損失を発表しており、また2008年には経済が2.5%程度縮小(見込み)、失業率が前年の5%から10.4%に上昇するなどユーロ圏でも特に深刻な不況に陥っている[1]

農業[編集]

国土の16%が農地、47.7%が牧場並びに牧草地として利用されている。農業従事者は16万人であり、生産年齢人口(国民の67.5%)のうち、5.7%を占める(以上2003年時点の統計値)。アイルランド経済は貿易依存度が高く、同時に農業、特に牧畜業に依存している。しかし、貿易(輸出品目)の上位には農業生産物が登場せず、国内消費を満たす生産水準に留まっている。

主要穀物では、オオムギ(116万トン、以下2004年の統計値)、次いでコムギ(85万トン)、第三位に馬鈴薯(50万トン)が並ぶ。野菜類ではテンサイ(砂糖大根、150万トン)が飛び抜けており、次いでキャベツ(5万トン)の栽培が盛ん。畜産ではウシ(704万頭)が中核となり、次いで(485万頭)、ニワトリ(1280万羽)である。このため、畜産品である牛乳の生産(550万トン)は世界シェアの1.1%に達する。

鉱業[編集]

アイルランドの鉱業は亜鉛を中核とする。2003年時点で鉛鉱の生産は5万トンで世界シェア9位、亜鉛鉱は25万トンで同8位である。ミース州ナヴァンに位置するタラ (Tara) 鉱山はヨーロッパ最大の鉛・亜鉛鉱山。他にキルケニー州とティペラリー州にも鉱山が点在する。いずれも海水を起源とする層間水が石灰岩層にトラップされて形成されたアルパイン型鉱床の代表例である。これ以外の金属資源としては銀もわずかに産出する。天然ガスを生産しているが、消費量の数%をまかなうに過ぎない。無煙炭はほぼ枯渇している。

交通[編集]

国民[編集]

20世紀における人口変化

ケルト系のアイルランド人が大多数を占める。

言語[編集]

第1公用語アイルランド語、第2公用語は英語アイルランド英語)と規定されている。しかしゲールタハト地方などの一部を除くほとんどの地域では英語が使われている。アイルランド固有の言語であるアイルランド語は長年のイギリス支配により英語にとって変わられ、衰退してしまったが、近年は政府による積極的なアイルランド語復興政策が実行されている。政府による文書などもアイルランド語と英語の2言語で発行され、2007年にはアイルランド語はEU公用語に追加された。テレビやラジオなどでもアイルランド語による放送がある。義務教育ではアイルランド語が必修であり、公務員試験でもアイルランド語の試験が課せられる。アイルランド語復興政策の影響で、2006年センサスによると国民の39%がアイルランド語を十分に話すことができるようになった。しかしながら、ゲールタハト地方などを除くとアイルランド語は日常会話ではあまり話されていないのが現状である。 2006年にはおよそ、7万人程度がアイルランド語を日常的に用いているという統計がある。

宗教[編集]

アイルランド共和国は国家として宗教に中立な立場を取っている。国民の約86.8%がローマ・カトリック教徒である(2006年)。アイルランドの守護聖人は聖パトリック聖ブリジット。カトリック以外ではアイルランド国教会長老派教会メソジストと続く。近年イスラム教の増加もあり1996年にはダブリンのクロンスキーにモスクが出来た。

教育[編集]

1845年創立のアイルランド国立大学のCorkカレッジ

アイルランドにおける教育システムは他の西ヨーロッパ諸国の例と大きな違いはない。各段階の公立、私立学校双方の授業、運営にカトリック教会が関与する点が特徴である。詳しくはアイルランドの教育を参照のこと。

トリニティ・カレッジ物理学者アーネスト・ウォルトンは1951年にノーベル物理学賞を受賞している。

文化[編集]

古くはケルト人による文化が栄えローマ時代の書物などにその一端が記されている。6世紀以後には『ケルズの書』に代表されるようなカトリック信仰に基づくキリスト教文化が広まった。

食文化[編集]

牧畜業が盛んなため、乳製品や肉、その加工食品が多く食されている。ジャガイモは多くの食事に添えられている。島国にもかかわらず魚の料理は少ないが、スモークサーモンは人気が高い。西部に行くと魚介類の料理が増える。近年の経済発展と共に海外の食文化も取り入れられ、伝統料理と組み合わせた多くの創作料理で外食産業を賑わせている。紅茶の消費量は世界一である。ビールのスタウトが多く作られている。

文学[編集]

現在の文字が導入される以前は、ケルト神話として残る神話・英雄伝説を扱う口承文学が栄えた。その後のアイルランドの文学にはアイルランド語で書かれたものと、英語で書かれたアングロ・アイリッシュ文学がある。イギリスの植民地時代、連合王国時代にはアイルランド出身の小説家により多くの優れた小説が英語で執筆された。この中には、『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフト、『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』のオスカー・ワイルドなどがいる。ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』などの著作で20世紀の欧米文学に大きな影響を与えた。

アイルランド出身のノーベル文学賞の受賞者として、W・B・イェーツ(1923年)、ジョージ・バーナード・ショー(1925年)、サミュエル・ベケット(1969年)、詩人のシェイマス・ヒーニー(1995年)がいる。

音楽[編集]

アイルランドの伝統音楽はダンスの舞曲、無伴奏の叙事詩歌や抒情詩歌、移民の歌、反戦歌などがある。

近年ではポピュラー音楽の分野において多くのアーティストが世界的な成功を収めている。また、多くの英国のロックバンドや、ハリウッドの戦前の監督や俳優の多くをアイリッシュ系移民英語版が占めていた。近年のポピュラー音楽のアーティストの中ではヴァン・モリソンロリー・ギャラガーゲイリー・ムーアシン・リジィ及びフィル・ライノットメアリー・ブラックシネイド・オコナーU2クランベリーズマイ・ブラッディ・ヴァレンタインエンヤウエストライフケルティック・ウーマンボーイゾーンザ・コアーズなどが世界的に有名である。また、ノーベル平和賞候補者にも選ばれた元ブームタウン・ラッツボブ・ゲルドフもアイルランド出身である。

美術[編集]

渦巻・組紐・動物文様などが組み合わされたケルト美術英語版はキリスト教と融合し『ケルズの書』、『ダロウの書』などの装飾写本を生み出した。また、ケルティック・クロスなどのキリスト教装飾もある。

芸能[編集]

演劇はアベイ座を中心とする文芸復興運動で、現代のアイルランド人のアイデンティティ形成に大きな役割を果たした。

伝統的なアイリッシュ・ダンスを現代風にアレンジをした「リバーダンス」の公演の世界的大成功によって、アイルランド文化への再認識も進み、現在ではケルト音楽という懐古趣味的なポピュラー音楽が1つのジャンルとして人気を博すようになった。

イギリスアメリカなどで音楽・映画演劇などの分野におけるアイルランド系移民の文化的貢献度は高い。

映画[編集]

世界遺産[編集]

アイルランド国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。ニューグレンジを含むボイン渓谷の遺跡群と、絶海の孤島にある修道院スケリッグ・マイケル」である。

祝祭日[編集]

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
3月17日 聖パトリックの日 (英) St. Patrick's Day

() Lá ’le Pádraig または Lá Fhéile Pádraig

移動祝祭日 イースター・マンデー Easter Monday イースターの日曜日の次の日
移動祝祭日 (5月の最初の月曜日) Bank Holiday
移動祝祭日 (6月の最初の月曜日) Bank Holiday かつては聖霊降臨祭として祝っていた
移動祝祭日 (8月の最初の月曜日) Bank Holiday
移動祝祭日 ハロウィーン Halloween 10月の最後の月曜日
12月25日 クリスマス Christmas
12月26日 聖スティーブンの日 (英) St. Stephen's Day

(愛) Lá Fhéile Stiofán または Lá an Dreoilín

スポーツ[編集]

ゲーリックフットボールハーリングといった伝統的なゲーリック・ゲームズが人気が高い。その他にサッカーラグビーも人気が高い。サッカーは多くのアイルランド選手が海外のクラブチームでプレーをし、ラグビーはシックス・ネイションズの強豪国である。

国技[編集]

ゲーリックフットボールやハーリングなどのゲーリック・ゲームズは教育現場でも取り入れられ、広く普及している。州によるゲーリックフットボールとハーリングの対抗戦は人気があり、州毎の連帯感を演出している。優勝クラブを決定するオールアイルランド・ファイナルは毎年大変な盛り上がりを見せる。ゲーリック・ゲームズはアマチュアスポーツであり、州代表の選手も全て職業を持っている。

サッカー[編集]

サッカーは近年のワールドカップでの活躍もあり人気が高くなった。アイルランド人選手が数多く活躍するイングランドのプレミアリーグは多くの国民がテレビ観戦している。ロイ・キーンマンチェスター・ユナイテッドで長年主将を務め人気の高い選手だった。他の代表選手も、イングランドやスコットランドのチームで活躍している。

ラグビー[編集]

ラグビーアイルランド代表はアイルランド共和国と北アイルランドとの合同チームとなっている。アイリッシュ海の両側の国で作ったラグビーのドリームチームのブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズで主将を務めたのはブライアン・オドリスコルだった。

競馬[編集]

アイリッシュダービーに代表されるアイルランドの競馬も盛んである。年間の競走数は平地が850、障害が1350となっており、世界で唯一平地より障害競走の方が多い国である。合計の競走数2200はヨーロッパでは8位に過ぎないが、馬券売り上げは10倍もの競走数を誇るイタリアより多く、30億ユーロでヨーロッパ3位である。

サラブレッド生産規模は世界第3位の年間12000頭で、世界の10%にも上り、イギリスやフランスの競馬を影から支えている。

ゴルフ[編集]

アイルランドのゴルフコース

各地に多くのゴルフコースがあり庶民的なスポーツとして人気がある。国際的コースも多く2006年のライダーカップはアイルランドで行われた。

著名な出身者[編集]

日本での評価[編集]

  • アイルランドのことを西部邁(評論家)はこう評価している。「宗教における信仰や道徳における価値などを精神のエネルギー源として、武力そのものにおいては弱者であるにもかかわらず、巧みな戦略や戦術を、さらには外交や交易を繰り出して、強国を倒したり窮地に追い込んでいった国がある。その最もわかりやすい例は、[…]千年間の圧制に抗しつづけたアイルランドということになろうか。」[2]

脚注[編集]

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  1. ^ アイルランド経済:宴は完全に終わった 英エコノミスト誌 (The Economist) 2009年3月21日号 - JBpress2009年03月25日2009年5月21日閲覧。英語版のオリジナル記事はIreland's economy The party is definitely over | Mar 19th 2009 | DUBLIN From The Economist print edition - Economist.com2009年5月21日閲覧。
  2. ^ 西部邁「流言流行への一撃㊼ 国連重視と国連軽視は同じ穴の狢」、『VERDAD』2003年6月号、ベストブック、 45頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光その他