ソマリア

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ソマリア連邦共和国
Jamhuuriyadda Federaalka Soomaaliya
جمهورية الصومال الفدرالية
ソマリアの国旗 ソマリアの国章
国旗 (国章)
国の標語:なし
国歌祖国を賛美せよ
2012年7月31日までの国歌は目覚めよ、ソマリア
ソマリアの位置
公用語 ソマリ語¹アラビア語
首都 モガディシュ¹
最大の都市 モガディシュ
政府
大統領 ハッサン・シェイク・モハムド
首相 アブディウェリ・シェイハ・アフメド・モハメド
面積
総計 637,657km241位
水面積率 1.6%
人口
総計(2013年 10,251,568人(84位
人口密度 16人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxxソマリア・シリング
GDP(MER
合計(2008年 26億[1]ドル(???位
GDP(PPP
合計(2008年 55億[1]ドル(156位
1人あたり 600[1]ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
イギリスイタリアより
1960年7月1日²
通貨 ソマリア・シリングSOS
時間帯 UTC +3(DST:なし)
ISO 3166-1 SO / SOM
ccTLD .so
国際電話番号 252
データには原則としてソマリランドを含む。
注1 : 現在公式に認められた政府および憲法が存在しないため、公用語および首都はバーレ政権以前からもの。
注2 : ソマリア北部は、1960年6月26日にイギリスから独立し、ソマリア南部は、1960年7月1日にイタリアから独立し、同時に両者は合併してソマリア共和国となった。

ソマリア連邦共和国(ソマリアれんぽうきょうわこく)、通称ソマリアは、東アフリカアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家ジブチエチオピアケニアと国境を接し、インド洋アデン湾に面する。

1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続き、エチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が首都を制圧したものの、依然として内戦状態が続いている。現在の国土は暫定政権の南部と、1998年7月に自治宣言したプントランド(首都ガローウェ、暫定政権との連邦制に肯定的)の北東部、91年に独立宣言した旧英領のソマリランド共和国(首都ハルゲイサ、国際的に未承認、東部に分離の動き)の北部に大きく3分割されている。

国名[編集]

正式名称はソマリ語で「Jamhuuriyadda Federaalka Soomaaliya」。アラビア語で「جمهورية الصومال الفدرالية」、英語で「Federal Republic of Somalia」。日本語の表記は「ソマリア連邦共和国」。

ソマリアの公式国名を「ソマリア民主共和国Somali Democratic Republic)」とする場合が多かったが、これはモハメド・シアド・バーレ政権下で「ソマリア民主共和国憲法」が有効であった時期の国名である。1991年に同政権が崩壊し憲法が廃止され、その後の暫定政府は「ソマリア共和国Republic of Somalia)」を国名としていたが、全土を実効支配しておらず、公式国名とは見なされていなかった。2012年8月、暫定政権の統治終了を受けて公式国名がソマリア連邦共和国に改称された。

  • 1960年 - 1969年、ソマリア共和国
  • 1969年 - 1991年、ソマリア民主共和国
  • 1991年 - 2012年、ソマリア(公式国名無し)
  • 2012年 - 、ソマリア連邦共和国

歴史[編集]

プント国[編集]

ソマリ族の到来とソマリアのイスラム化[編集]

10~14世紀の間に、アラビア半島南部から遊牧民ソマリ族が移住してきた。彼らは早くからアラブペルシャと交易していた。

植民地時代[編集]

独立後[編集]

ソマリア内戦[編集]

国連PKO介入後[編集]

武装した民兵と車両(1992年または1993年)

東アフリカ大旱魃[編集]

ソマリア連邦共和国[編集]

政治[編集]

各勢力の勢力分布

バーレ政権時代の最盛期には社会主義の名の下強力な軍事独裁が敷かれ、治安は比較的安定していた。しかしながら政権末期には首都モガディシュを除くほぼすべての地域を掌握できておらず、「モガディシュ市長」または「モガディシオ市長」と綽名されることもあった。1992年に、バーレ大統領は国外追放された。追放後、ソマリアには中央政府が存在しない状態が続いている。

政権崩壊後は地方豪族による分割支配が進行し、互いの勢力を攻撃しあうなど紛争状態が続いている。

2000年に誕生した正統暫定政府はジブチ共和国の首都ジブチ市に設置されていたが、周辺7カ国で構成する政府間開発機構の仲介で2004年に新たな暫定連邦政府がケニアナイロビに発足し、2000年設立の暫定政府を継承した。国内統治を回復出来ず、その本拠地は南西部のバイドアに置かれている。

2006年6月、イスラーム法学者(ウラマー)たちで運営する司法組織・イスラム法廷連合(のちイスラム法廷会議・UIC)が首都モガディシュを制圧、南部一帯を支配。イスラーム主義的な統治を開始すると同時に、付属の警察部隊がバイドア暫定政府に対し攻勢をかけている。

国際連合安全保障理事会は、2006年7月13日、議長声明で無政府状態が続いているソマリアに国連平和維持軍の派遣を検討する意向を表明した。12月6日に派遣は決定されたが、その実働前に暫定政府軍がエチオピア軍の支援の下でイスラム法廷会議に攻勢をかけ、モガディシュを奪取した。その後もイスラム法廷会議は南部へと敗走を続けた。2007年1月1日、暫定政府軍はイスラム法廷会議の最後の拠点だったキスマヨを制圧し、暫定政府軍は、ソマリランドを除くソマリアのほぼ全土を制圧したことになった。

暫定政府は2007年7月に国民和解会議を開催して国内の各勢力の和解に乗り出す。 2008年12月29日、暫定政府内の対立からユスフ大統領が辞任する。2009年1月31日、ジブチにおいて開催されたソマリア国会で大統領選挙がおこなわれ、イスラーム法廷会議の流れをくむソマリア再解放連盟英語版(ARS)の指導者で穏健派のシェイフ・シャリーフ・シェイフ・アフマドが新大統領に選出された。アフメド新大統領は2月20日にはオマル・アブディラシッド・アリー・シェルマルケを首相に任命し、新政権を発足させた。

2009年4月18日、暫定議会は全会一致でイスラム法の導入を決定した。

2009年6月18日、反政府軍への掃討作戦を指揮していたオマル・ハシ・アデン国家安全保障相が自爆テロにより暗殺される。さらに同月22日、暫定政府軍に対して攻勢を強めるイスラム急進派アッシャバーブの部隊に大統領官邸が包囲される事態となり、アフマド大統領はソマリア全土に非常事態を宣言するとともに、ケニアやエチオピアなど周辺国に対して軍事介入を求めた。

2010年9月21日、暫定政府のシェルマルケ首相は、治安対策の失敗の責任をとり辞任した。背後にはイスラム強硬派(アルシャバブなど)武装勢力の攻勢が強なるなかで、政府運営を巡るアハメド暫定大統領との確執があると推測されている。こうしたなか人口約800万人の40%以上に当たる約320万人が人道援助に依拠し、約140万人が国内避難民、約59万人が近隣諸国に難民として生活している。[4][5]

2012年8月20日に暫定政府は予定していた統治期間を終了。9月10日に大統領選挙を実施し、ハッサン・シェイク・モハムドが選出された[2]

世界汚職国家ランキングではソマリアと北朝鮮とアフガニスタンが最悪という評価を受けている[6]

海賊行為の多発[編集]

海賊の小型艇

以前からソマリランドとプントランドが面するアデン湾海賊行為の多発海域である。国際商業会議所(ICC)国際海事局(IMB)の調査によれば2001年インド洋側でも海賊による襲撃が報告されるようになり、2005年にいたって多発し、インドネシア周辺海域に次いで海賊行為が多い海域として急浮上した。以来2007年まで上位5海域に位置づけられ、沿岸から最遠で390海里まで達するソマリア拠点の海賊によってアデン湾も含むソマリア周辺海域は船舶航行にとって非常に危険なものとなっている。

人権[編集]

ソマリアはイスラムを基礎とする国家であり、サウジ・イエメン・イラン・アフガニスタンなどと同様ブラジャーを着用した女性に対し公開鞭打ちが執行されていた。強盗犯に断手刑を執行した事例もある。 9歳くらいでも婚約が認められる。

地方行政区分[編集]

ソマリアの地図

主要都市[編集]

首都モガディシュバナディール州の州都でもある。他の主要都市ハルゲイサベルベラキスマヨマルカなどがあるが、一部の都市はソマリランドの統治下にある。

地理[編集]

ジュバ川

沿岸部は高温多湿だが、内陸は砂漠である。アデン湾に沿って、グバンと呼ばれる幅2~12kmの海岸平野がある。北部に最高地点のシンビリス山(標高2416m)がある。降雨量は極めて少なく、エチオピア高原からインド洋沿岸のキスマユへ流れるジュバ川、同じくモガディシュへ至るシェベリ川以外に四季を通して水の流れる川はない。

経済[編集]

内戦で経済は壊滅、崩壊状態である。世界最貧国の一つで、平和基金会が発表した失敗国家ランキングでは3年連続で第1位に位置しており、イギリス情報誌のエコノミスト 治安ランキングワースト10では第2位。(2008年)また、内戦で大量の難民が発生しており、各国からの援助が頼りの状態である。主要輸出品はバナナ、家畜、皮革。主要輸入品は原油、石油製品、食料品、機械類など。地下に石油ボーキサイトなどを含有する地層が存在するが、未開発である。

通貨はソマリア・シリング(SOS)。アメリカの評論誌『Foreign Policy』によれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ。為替レートは1ドル=1387.77ソマリアシリング[7]。現在国内ではドルユーロサウジアラビア・リヤルなどが主に流通している。

主産業は、バナナを中心とする農業ラクダ(飼育数世界1位)・ヤギなどの畜産業。畜産業の経済に占める比率はGDPの40%、輸出収入の65%に達する。農産品の加工を軸とした小規模な軽工業はGDPの10%に達する。

皮肉なことに、最近では1隻あたり100万ドルといわれる海賊業も主要な外貨獲得源になっている[8]

通信とメディア[編集]

モガディシュのHormuudテレコム英語版

ソマリアでは、多数の私営新聞ラジオテレビ局がこの十年間で急速に発達し(モガディシュでは2つのテレビ局が熾烈な競争を行っている)、私営ラジオ局や新聞と共にほぼ全ての主要都市に存在する。大きなメディア企業としてはShabelle Media NetworkRadio Gaalkacyoガローウェ・オンライン傘下のRadio Garoweなどの名が挙げられる。

ソマリアにおけるインターネットの利用は、2000年から2007年までの間に44,900%増加し、アフリカで最も高い成長を記録した[9]。ソマリの情報技術会社は、近年500,000人以上のインターネット利用者を市場として競っている。22のインターネットサービスプロバイダが設立されており、年平均15.6%で成長する234のネットカフェが存在する。衛星サービスによるインターネットも、また、特にダイアルアップワイヤレスインターネットサービスが存在しない遠隔地や都市に存在している。国際連合やNGO、特に送金を行う金融機関、ネットカフェが主な顧客である。近年ではヨーロッパやアジアのテレポートと結ばれている300以上の衛星ターミナルが国内各地で利用可能である。この種のサービスは年平均10-15%の安定成長を見せている。

ソマリアはアフリカ大陸で最も整備された遠距離通信システムが存在し、Golis Telecom Group、Hormuud Telecom, SomafoneNationlinkNetcoTelecomSomali Telecom Groupのような複数の企業が明晰なサービスを提供しており、国際長距離電話も、月額約10USドルである。ソマリアのダイアルアップインターネット回線はアフリカで最も急速に成長しており、地上回線が年平均12.5%以上の成長を遂げ、略奪による深刻な衰退と、銅線ケーブルのコストが国際市場での高騰を経験しているアフリカの角、及び東アフリカ地域との他の諸国と比較しても大きな発達を遂げた。地上回線の設置に必要な待機期間は、隣国のケニアでは年単位で長期間待たされる一方、ソマリアでは3日間である。ただし、これらは群雄割拠の状態により、通信事業に関する免許といった中央政府による許認可が事実上存在しないことが大きい。

軍事[編集]

暫定政府の総兵力は5,000人。2002年の国防予算は1,500万米ドル。国内の武装勢力がそれぞれ兵員を保持。

交通[編集]

鉄道[編集]

2013年現在、国内に鉄道の存在は確認されていない。植民地時代にはモガディシオ・ヴィラブルッチ鉄道が存在したが独立前に廃線となっている。その後バーレー政権時代に鉄道再建が計画されたがこれは内戦で実現しなかった。

航空[編集]

現在、ソマリアにはダーロ航空ジュッバ航空の2つの航空会社が存在すると言われている。また1991年のソマリア内戦により運航停止となったフラッグキャリアのソマリ航空も2012年より運行再開の準備が始まり、2013年12月に機材導入予定である。

国民[編集]

2002年のCIAによるソマリア全土の人口密度

民族[編集]

ソマリアはおよそ9,832,017人の人口を有し、85%がソマリ人ハウィエイサックダロッドラハンウェインディル英語版イッサ族)である[10]。1990年代初頭の内戦により、ディアスポラソマリ人ディアスポラ(en))の数が著しく増大することとなった。この際は国内でも最も教育水準の高いソマリ人が大挙中東ヨーロッパ北アメリカなどに逃れた。

ソマリアの都市化に関して信頼性の高い統計情報は殆ど存在しない。しかしながら、荒い推計によればソマリアの都市化率は年間5%~8%と看做すことができ、多くの町が急速に都市に成長している。現在のところ人口の34%が町や都市に居住しており、この割合は急速に増加している[11]

言語[編集]

ソマリ語はソマリ人の国語であり、少数のマイノリティとも同様に、ほぼ全てのソマリ人によって事実上全土で使用される。少数派言語は存在し、ソマリア中南部でラハンウェイン氏族によって話されるAf-Maayが挙げられる。様々なスワヒリ語Barawe)もまた沿岸部一帯でアラブ人によって話され、バントゥー語(Jareer)もまた話される。

多くのソマリ人はアラブのメディアや、宗教教育の遠大な影響によるアラブ世界との緊密な結びつきのため、アラビア語を話す。英語も旧植民地イギリス領ソマリランドであった現ソマリランドで広く用いられ、教えられている。イタリア語はかつて主要言語だったが、現在では内戦と教育の欠如により、流暢に話せるのは老人世代に限られる。

宗教[編集]

イスラム教国教であり、国民の95%がムスリムである。ムスリムのうち98%はスンナ派である。その他の宗教が5%である。

キリスト教の影響は1970年代に教会運営の学校が閉鎖され、宣教師が帰国すると著しく減少した。国には1989年から一人のカトリック大聖堂の大司教もおらず、モガディシュの大聖堂は内戦中の1992年1月から2月にかけて深刻な打撃を受けた。

ソマリアの憲法はイスラーム以外の宗教の普及と伝達を妨げている。この措置は多くがキリスト教徒(特にアムハラ人とその他のエチオピア人)か土着の信仰を奉ずる近隣のアフリカ諸国から、ソマリアとの距離を広げている。

教育[編集]


1991年の中央政府の崩壊により、教育システムは私営となっている。初等学校は、内戦前600校だったものが2005年には1,172校に達し、2005年までの三年間で初等学校の入学者は28%増加した[12]。2006年には、北東部のプントランド自治地域はソマリランド地域に続いてソマリアで二番目に無償の初等教育を導入した地域となり、今や教員は給与をプントランド政府から受け取っている[13]ベナディール大学ソマリア国立大学モガディシオ大学キスマヨ大学ゲド大学など、ソマリアの八つの大学の内の機能している五つがソマリア南部に存在し、高等教育を提供している。

2001年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は37.8%(男性:49.7% 女性:25.8%)である[14]

保健[編集]

ソマリアはアフリカ全土で最もHIV感染率の低い国家の一つである。これはソマリ社会のムスリムの性質と、ソマリ人のイスラーム的モラルの固守によると考えられている[15]。1987年(観測初年度)に推定されたソマリアのHIV感染率は成人の1%だったが[15]、2007年になされた推定では内戦にもかかわらず、成人人口の0.5%に過ぎない[14]

一方、政府がまともに機能していない以上、当然のことながら医療制度は崩壊状態にあり、ほとんどの国民はまともな医療を受けられない状態にある。長年に渡り国境なき医師団が活動していたが、職員の殺害・誘拐が相次いでいる。ソマリア国内の各勢力が、保護どころか積極的に医師団を攻撃対象にしてきたことも重なり、2013年、国境なき医師団はソマリアからの撤退を決定、22年間の活動に幕を下ろした[16]

文化[編集]

女子割礼が現在でも行われている[17]

料理[編集]

多種多様なソマリア料理

ソマリア料理は地域ごとに様々な変化があり、多様な調理法を包括する。ソマリ料理を結びつける一つの作法はハラールの存在である。それゆえ、豚肉料理や、アルコールは出されておらず、勝手に死んだものは食べられず、血は含まれない。ソマリ人は夕食を午後六時以降に食べる。ラマダーンの間は、タラウィーの祈りの後の、時に夜の11時以降に夕食が出される。Cambuuloはソマリアの最もポピュラーな料理のひとつであり、国中を通して夕食として享受されている。料理は良く料理された小豆と、バターと砂糖が混ぜられる。digirと呼ばれる豆は、レンジの上に弱火で五時間以上放置され、大変美味である。Barriss)とbastoパスタ)は一般的な食材だが、季節によって独特のフレーヴァーと多くのスパイスが加えられる。

文学[編集]

ヌルディン・ファーラーNuruddin Farah)。1998年にアフリカ人として二人目にNeustadt International Prize for Literatureを受賞した。

ソマリアは多くの文学作品を、前世紀のソマリアの知識人によるイスラーム詩やハディースを通して生み出してきた。現代も口承詩が盛んであり、「詩人の国」とも称される[18]

1973年のラテン文字の採用後には数年間で多くのソマリ人作家が本を出版し、それらは広範な成功を達成した。ヌルディン・ファーラーNuruddin Farah)はそのような人物の内の一人である。『むきだしの針』(1976)や、From a Crooked RibLinksのような小説は重要な文学的偉業だとみなされ、それらは彼の1998年Neustadt International Prize for Literatureの受賞作品となった。その他の現代の文学者には、アリ・ジマール・アハメッドの名が挙げられる。

音楽[編集]

ソマリアはほぼ全く単一のエスニック・グループ(ソマリ人)で構成されている数少ないアフリカの国家である栄誉を保つ。伝統的なWaaberiや、Horseedのようなバンドは国外にも少数の支持者を得ている。その他にMaryam Mursalはソマリの伝統的な音楽をロックボサノヴァヒップ・ホップジャズの影響を受けて融合させた。ほとんどのソマリ音楽は愛情志向である。

大規模なソマリ人のコミュニティが存在するトロントは、不安定なモガディシュからソマリ音楽産業の中心と成り代わっており、ソマリ人のコミュニティはまたロンドンミネアポリスコロンバスにも存在する。ソマリ人離散から生まれたポピュラー音楽家の一人に、トロント出身のラッパー、K'Naanがおり、彼の歌は内戦勃発以降のソマリアの生活の苦闘を語りかけている

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c CIA World Factbook 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ a b “ソマリア大統領にモハムド氏選出、21年ぶりの安定政府樹立へ”. CNN.co.jp (CNN). (2012年9月11日). http://www.cnn.co.jp/world/35021599.html 2012年9月11日閲覧。 
  3. ^ IMF IMF Recognizes the Federal Government of Somalia After 22-year Interval” (2013年4月12日). 2013年4月29日閲覧。
  4. ^ ソマリア首相辞任、暫定大統領と対立 The Sekai Nippo 2010/9/21
  5. ^ ソマリア首相が辞任 数カ月前から大統領と対立 MNS:産経ニュース 2010.9.22
  6. ^ 世界汚職国家ランキング、北朝鮮とソマリアが今年も最悪CNN.co.jp 2012年12月7日
  7. ^ Foreign Policy:The List: The World’s Worst Currencies、GIGAZINE 2007年6月19日 世界で最も価値の低い通貨トップ5
  8. ^ WIRED.jp
  9. ^ Internet Usage Statistics for Africa”. Internetworldstats.com (2008年12月31日). 2009年2月25日閲覧。
  10. ^ Somalia”. World Factbook. Central Intelligence Agency (2009年5月14日). 2009年5月31日閲覧。
  11. ^ An Urban Development Programme for the European Commission in Somalia
  12. ^ Ihebuzor, Noel (2005 01 31). “EC and UNICEF join hands to support education in Somalia”. United Nations Children's Fund (UNICEF). 2007年2月9日閲覧。
  13. ^ Staff writer, Staff writer (2006 04 06). “Puntland (Somalia) to introduce free primary schools”. Afrol News. 2007年2月9日閲覧。
  14. ^ a b https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/so.html 2009年11月14日閲覧。
  15. ^ a b Religious and cultural traits in HIV/AIDS epidemics in sub-Saharan Africa
  16. ^ エリック・ウアネス国境なき医師団日本事務局長 (2013年9月6日). “ソマリアから撤退する理由”. ハフィントン・ポスト. http://www.huffingtonpost.jp/eric-ouannes/post_5580_b_3877743.html 2013年9月7日閲覧。 
  17. ^ 黒柳徹子のレポートに詳しい。www.inv.co.jp
  18. ^ 小林信次郎「アフリカ文学 黒人作家を中心として」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店、2002/12

参考文献[編集]

  • 岡倉登志:編『ハンドブック現代アフリカ』明石書店、2002/12
    • 小林信次郎「アフリカ文学 黒人作家を中心として」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店、2002/12

関連項目[編集]

外部リンク[編集]