マルタ騎士団
- エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会
- Sovrano Militare Ordine Ospedaliero di San Giovanni di Gerusalemme di Rhodi e di Malta
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(国旗) (国章) - 国の標語:Tuitio Fidei et Obsequium Pauperum(ラテン語)
(和訳例)「信仰と救貧の守護者」 - 国歌:Ave Crux Alba(ラテン語)
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公用語 イタリア語 首都 イタリア、ローマ・コンドッティ通り68(マルタ宮殿) 最大の都市 なし - 政府
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総長 マルコ・ルザゴ(暫定) 首相 アルブレヒト·フォン·ボーゼラガー男爵 - 面積
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総計 0.012km2(N/A位)[注記 1] 水面積率 不明 - 人口
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総計(2013年) 13500人(N/A位)[注記 2][1] 人口密度 N/A人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(xxxx年) xxx,xxxマルタ・スクード - GDP(MER)
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合計(xxxx年) xxx,xxxドル(???位) 1人あたり xxxドル - GDP(PPP)
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合計(xxxx年) xxx,xxxドル(???位) 1人あたり xxxドル - 主権実体[1]
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エルサレムに設立 1050年ごろ 教皇による承認 1113年2月15日 領土を失う 1798年6月12日 主権の承認 1822年12月14日 ローマに本部を移転 1834年
通貨 マルタ・スクード(???) 時間帯 UTC+1 (DST:不明) ISO 3166-1 不明 ccTLD なし 国際電話番号 なし -
領土を持たない「主権実体」
エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会(エルサレム、ロードスおよびマルタにおけるせいヨハネしゅけんぐんじびょういんきししゅうどうかい、伊: Sovrano Militare Ordine Ospedaliero di San Giovanni di Gerusalemme di Rhodi e di Malta)、通称マルタ騎士団(マルタきしだん)は、カトリックの騎士修道会である。現在は領土を有さないが、かつて領土を有していた経緯から今日でも国際法上の「主権実体」として認められている[2]。「領土なき国家」とも[3]。
創設から900年以上を経た今日でも110カ国と外交関係を持ち、世界120カ国で国際慈善団体として活動している[4]。
概説[編集]
11世紀、十字軍時代のパレスチナに発祥した聖ヨハネ騎士団が現在まで存続したものであり、ロドス島及びマルタ島における旧来の領土を喪失しているため国土を有さないが、主権実体として承認し外交関係を有する国が110カ国ある[4]。国際連合ならびに欧州連合にオブザーバーとしても参加している[5]。騎士団中央政府はイタリア・ローマ・コンドッティ通り68(マルタ宮殿)に置かれており、建物内はイタリア当局から治外法権が認められている。
現在世界120カ国で医療などの慈善活動を実施し、世界中に12の管区、48の国家支部、133の外交団、33のボランティア隊を展開する[6]。また全世界に13,500名の騎士、80,000名の無給ボランティア、42,000名の有給専門職を擁している[7]。
マルタ騎士団は国際法上認められた主権実体として、欧州連合に正式に認められたパスポート[8]、独自の通貨や切手を発行している。
歴史[編集]
マルタ騎士団は、1048年頃にアマルフィ商人により巡礼保護を目的としてエルサレムに設立された聖ヨハネ病院にその根源を持つとされる。第1回十字軍において聖ヨハネ病院は、福者ジェラルドのもと、多くの騎士により信仰や人種を問わず治療を行った。彼らは病院騎士(ナイト・ホスピタラー)と呼ばれた。
1113年、教皇パスカリス2世の教皇勅書により聖ヨハネ病院は正式に騎士修道会(聖ヨハネ騎士団)として認可された。十字軍勢力がパレスチナから追われた後はまずキプロス島、次いでロドス島を本拠とし、聖地巡礼をするキリスト教徒の守護者、ムスリム(イスラム教徒)に対する聖戦の実行者として活躍した。
1522年、オスマン帝国のスレイマン1世によりロドス島は陥落。騎士団は拠点をマルタ島に移し、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。騎士団は宮殿や教会、新しい防衛砦や庭園を建設するとともに、当時の西洋世界で最大規模であった大病院と、解剖学、外科学の学院を設立、マルタ島を大きく変貌させた。1565年のオスマン帝国の大包囲戦において、総長ジャン・ド・ヴァレットに率いられた騎士団は大攻囲戦から島を守り抜いた。このマルタ包囲戦は騎士団員の8割が戦死する壮絶な戦いであったが、オスマン帝国に16世紀最初の敗北を与えることに成功し、歴史的にも意味のある戦いとなった。その後も騎士団は軍事集団として、レパントの海戦などの異教徒との戦いにおいて歴史的に重要な役割を果たした。
1798年、ナポレオン・ボナパルトに侵攻されたマルタ騎士団は、キリスト教徒に対し武器を取ることを禁じる掟によりマルタ島を離れることを余儀なくされ、総長はオーストリア領トリエステへと逃れた。領土を失ったマルタ騎士団はその後もマルタ島への復帰を国際社会に働きかけたものの、遂にその悲願が叶うことはなかった[9]。1822年、ヴェローナ会議において領土喪失後もマルタ騎士団が国家主権を維持していることが承認され、国際法上の「主権実体」としての地位を確立した。
1834年、マルタ騎士団はその本拠地をローマへと移すことを決定する。以降、マルタ騎士団は軍事的任務から離れ[10]、国際慈善活動に注力するようになる。
対外関係[編集]
マルタ騎士団は国際連合加盟国の110か国と外交関係を持ち、在外公館を設置している[4]。また、5か国と公的な関係を、パレスチナと特命全権大使レベルの関係をそれぞれ有している[11]。
カトリック教会や正教会の信徒が多数を占める国々が多い。その中で主要国はイタリア、ロシア、スペインがある。故地のマルタ共和国とも1998年に条約を締結し、マルタ国内にある聖アンジェロ砦の一部に治外法権が認められている。一方で、もう一つの故地であるロドス島を領有するギリシャや、プロテスタントが主流の国の多くは承認していない。騎士団発足の地にあるイスラエルとは国交がない一方、イスラエルと領土主張が重複するパレスチナ国(パレスチナ自治政府)との国交がある。
国際連合では総会オブザーバーの待遇を受けるが、バチカン市国とパレスチナ国のような非加盟の国家としての扱いではなく、「政府間組織以外の実体」として、国際赤十字や国際オリンピック委員会などの非政府の国際団体と同じオブザーバーの扱いとなっている[5]。
アマチュア無線の世界では、マルタ騎士団は国籍符号「1A」を用いており、たとえばクラブ局(局名:1A0KM)が存在している。この「1A」は、国際電気通信連合 (ITU) がマルタ騎士団に割り当てたものではなく、アマチュア無線のみの独自の規定である。同様な例は、一部の領有権紛争対象地などの"帰属地未定区域"にも見受けられる。
統治機構[編集]
マルタ騎士団の元首は総長 (Gran Maestro) であり、国務評議会で選挙される。任期は終身。総長は大公 (Principe) の称号をおび、また伝統的に騎士修道会の総長としてローマ教皇から枢機卿に親任される[12]。
マルタ騎士団は、憲法としてマルタ騎士団憲章(Carta Costituzionale)を有する[13]。現行憲章は37条から成り、騎士団は、憲章に基づき三権分立を担保した中央政府(Grand Magistry)を備える。中央政府は以下の会議体により構成される。
- 大評議会 (Capitolo Generale)
- 主権評議会 (Sovrano Consiglio)
- 政務評議会 (Consiglio del Governo)
- 監事会 (Camera dei Conti)
- 司法評議会 (Consulta Giuridica)
行政権は、総長ならびに以下の4名の総監に加え、騎士代表6名の計11名から成る主権評議会が有する。総長を除いた主権評議会議員は、5年に一度大評議会によって選出される。
- 宗務総監 (Gran Commendatore) は、信仰と宗教に関する事項をつかさどる。
- 外務総監 (Gran Cancelliere) は、外交に関する事項をつかさどる。
- 医務総監 (Grande Ospedaliere) は、保健衛生、民生及び人道援助に関する事項をつかさどる。
- 財務総監 (Ricevitore del Comun Tesoro) は、財政及び予算に関する事項をつかさどる。
立法権は、各国騎士団支部の代表者60名程度により構成される大評議会が担う。大評議会は5年に1度、主権評議会、政務評議会、幹事会議員を選出する[14]。
司法権は、司法評議会が有する。判事は総長により任命される。上級裁判所ならびに下級裁判所を備え、裁判は全242条から成るマルタ騎士団法に依って行われ、マルタ騎士団法が規定しない事項についてはバチカン市国の法並びに判例に準拠する[15]。
この中央政府の下、世界各地に12の管区ならびに48の国家支部が置かれ、全世界の騎士団員を統治する。外交は、総長、外務総監の下、世界に133存在する在外公館、外交団が担う。
また、マルタ騎士団は国際NGOマルティザー・インターナショナル、ならびにイタリア陸軍の補佐組織であるマルタ騎士団軍医部隊の上位組織であり、これら組織に対する指揮監督権を有する。さらに、マルタ騎士団により設立されたボランティア組織が世界に33存在し、これらボランティア組織については各国支部が監督する。
団員[編集]
マルタ騎士団の活動には全世界で13,500名の騎士、80,000名の無給ボランティア、42,000名の有給専門職が携わっている。加えて、若干名の騎士団付司祭が在籍する。これら関係者のうち、騎士のみがマルタ騎士団員と呼ばれる。有給専門職は、その殆どが医師または医療従事者である[7]。マルタ騎士団パスポートは外交または公用に携わる者(大使、公使など)のみに発行され、騎士団員のうち2016年時点でマルタ騎士団パスポートを所有する人数は約500名である[16]。
マルタ騎士団員は、貧者・病者に対する長年の顕著なボランティアによる功績を有し、法曹界、学界、医療界などのコミュニティにおいて指導者と目される敬虔なカトリック教徒から選抜される[17]。騎士候補に選抜された者は、洗礼を受けたカトリック教徒である証明として司祭からの推薦状を得た上、1年間の修練準備期間を経なければならない。マルタ騎士団騎士への叙任はカトリック教会における最上級の栄誉の一つであり、騎士には叙任と同時にマルタ騎士団総長により騎士団員章である聖ヨハネ騎士勲章が授与される[2]。
マルタ騎士団騎士には三階級が存在し、原則として全ての騎士は始め第三階級に叙任された後、マルタ騎士団内における功績に応じ上位の階級に昇叙する。
第一階級(最上級騎士)[編集]
第二階級(上級騎士)[編集]
- ナイト・イン・オヴィディエンス(忠誠の騎士)
第三階級[編集]
- ナイト・オブ・オナー・アンド・デヴォーション(名誉と献身の騎士) 曽々祖父母16名全員が貴族家系であることを証明出来る者はこの種別に叙任される[2]。
- ナイト・オブ・グレース・アンド・デヴォーション(慈愛と献身の騎士) 曽祖父母8名全員が貴族家系であることを証明出来る者はこの種別に叙任される[2]。
- ナイト・オブ・マジストラル・グレース(主の恩寵の騎士)
マルタ功労十字勲章[編集]
マルタ騎士団は貧者・病者に対し顕著な功績のある者にマルタ功労十字勲章(Order pro Merito Melitensi)を授与している。受勲者はカトリック教徒やマルタ騎士団員に限られないが、マルタ功労十字勲章の受勲者はマルタ騎士団員とは見なされない[18]。
詐欺[編集]
マルタ騎士団の名を騙り、被害者の名誉欲を煽って高額な入団金などを得る詐欺団体が存在し、日本人を含め世界に多くの被害者が存在する[19]。入団者には豪華な"叙任式"と共に豪華な偽の騎士証明書・勲章が授与され、自らが騙されて偽の騎士団に入団したことに気が付かない被害者も多い[20]。一例としてオーストラリア政府は、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の名を騙る73の詐欺組織を列記して注意喚起をしており[21][22]、イタリアではマルタ騎士団を名乗る詐欺団が実際に摘発されている[23]。こうした偽騎士団詐欺は、被害者に金銭的な被害をもたらすのみならず、イタリアやドイツは騎士でない者が騎士号を名乗ることを刑法で禁じており被害者自身も罰せられる危険がある[24]。
日本では、偽騎士団員がマルタ騎士団を名乗り、また偽勲章を佩用することは、軽犯罪法第一条十五「位階勲等…外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、…勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者」[25]により拘留又は科料の刑罰に処される可能性がある。
過去には日本でも「マルタ騎士団」を騙る人間による同様の詐欺被害があり、被害者には日本人も含まれている[26][27]。マルタ騎士団中央政府は「洗礼を受けたカトリック教徒でない者を騎士に叙任することは、例外なく行っていません。」「全て騎士候補には騎士団付司祭の指導のもとでの12ヶ月間の修練が義務付けられており、これを免除して叙任を行うことはありません。」「マルタ騎士団を名乗る団体からアプローチを受けた場合はまず警戒し、最寄りの国家支部または大使館に問い合わせて下さい。」と注意喚起をしている[28]。
関係者[編集]
- カール1世(オーストリア皇帝、マルタ騎士団員)
- フランツ・ヨーゼフ1世(オーストリア皇帝、ハンガリー国王、マルタ騎士団員)
- ヴェンツェル・フォン・エスターライヒ(神聖ローマ帝国皇子、1577年カスティーリャ王国のマルタ騎士団会長)
- アルベール1世(ベルギー国王、マルタ騎士団員)
- ファン・カルロス1世(スペイン王、マルタ騎士団員)
- ペドロ2世(ブラジル皇帝、マルタ騎士団員)
- パーヴェル1世(ロシア帝国皇帝、マルタ騎士団総長)
- ピエール・アンドレ・ド・シュフラン(フランス王国海軍提督、マルタ騎士団員)
- ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(画家、マルタ騎士団員)
脚注[編集]
- ^ a b “Sovereign Military Order of Malta”. World Statesmen.org. 2020年6月25日閲覧。
- ^ a b c d e Guy Stair Sainty (1991). The Orders of Saint John. The American Society of The Most Venerable Order of the Hospital of Saint John in Jerusalem
- ^ “Pope Francis to receive Knights of Malta grand master Thursday”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ a b c “Bilateral relations”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ a b “Multilateral relations”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ “National Institutions”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ a b “Humanitarian & Medical Works”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ “XOM - Sovereign Military Order of Malta • ORDRE SOUVERAIN MILITAIRE DE MALTE •”. European Union. 2020年8月28日閲覧。
- ^ 2001年、マルタ騎士団はマルタ共和国政府より99年間の期限で聖アンジェロ砦の租借権を獲得した。これにより、マルタ騎士団は約200年ぶりにマルタ島における領土を一部回復した。
- ^ 今日ではイタリア陸軍の補佐組織であるマルタ騎士団軍部隊のみが武装を保っている。
- ^ Bilateral relations Order of Malta
- ^ なお、枢機卿のほとんどが聖職者である現代では、あくまで名誉的なものである。
- ^ Carta Costituzionale e Codice. Capitolo Generale Straordinario. (1961)
- ^ “The Chapter General of the Sovereign Order of Malta has been held in Rome”. Permanent Observer Mission of the Sovereign Order of Malta to the United Nations. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “Magistral Courts”. Order of Malta. 2020年9月10日閲覧。
- ^ “The Order of Malta clarifies press reported figure on passports issued: currently 500 passports in circulation”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ “Membership in the American Association”. 2020年8月28日閲覧。
- ^ “Order Pro Merito Melitensi”. 2020年8月29日閲覧。
- ^ Peter Bander van Duren (1995). Orders of Knighthood and of Merit, The Pontifical, Religious and Secularised Catholic-founded Orders and their relationship to the Apostolic See. Colin Smythe
- ^ “坂本鉄男 イタリア便り 「騎士団」詐欺”. 日伊協会. 2020年2月14日閲覧。
- ^ “LIST OF SELF STYLED OR FALSE ORDERS OF ST JOHN”. オーストラリア政府. 2018年7月22日閲覧。
- ^ “The Australian government's list of self-styled "orders"”. 2022年3月19日閲覧。
- ^ “騎士団と名乗る詐欺団を逮捕 伊”. 2013年11月17日閲覧。
- ^ イタリア刑法498条(Articolo 498 Codice penale)、ドイツ刑法132条a(§ 132a StGB)。
- ^ “軽犯罪法”. 2022年4月27日閲覧。
- ^ “Honours”. 2020年2月14日閲覧。
- ^ “イタリアの団体が日本人表彰 マルタ騎士団とは無関係”. 2022年3月11日閲覧。
- ^ “Mimic Orders”. Order of Malta. 2022年3月11日閲覧。