マリ共和国

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座標: 北緯17度 西経4度 / 北緯17度 西経4度 / 17; -4

マリ共和国
République du Mali
マリの国旗 Coat of arms of Mali.svg
国旗 (国章)
国の標語:Un Peuple, Un But, Une Foi
(フランス語: 1つの国民、1つの目標、1つの信念)
国歌アフリカのため、そして君、マリのため
マリの位置
公用語 フランス語[1]
首都 バマコ
最大の都市 バマコ
政府
大統領 イブラヒム・ケイタ
首相 スメイロ・ブベイエ・メイガ英語版
面積
総計 1,240,000km223位
水面積率 1.6%
人口
総計(2012年 16,300,000人(???位
人口密度 10人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 3兆9,144億[2]CFAフラン
GDP (MER)
合計(2008年 87億[2]ドル(121位
GDP (PPP)
合計(2008年105億3,000万[2]ドル(150位
1人あたり 1,126[2]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年9月22日
通貨 CFAフラン (XOF)
時間帯 UTC +0(DST:なし)
ISO 3166-1 ML / MLI
ccTLD .ml
国際電話番号 223
マリの地図

マリ共和国(マリきょうわこく)、通称マリは、西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソコートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。首都バマコ

国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸に農耕地が広がる。南部はやや降水量の多いサバンナ地帯である。

国名[編集]

正式名称は、République du Mali(レピュブリク・デュ・マリ)。通称、Mali。

公式の英語表記は、Republic of Mali(リパブリク・オヴ・マーリ)。通称、Mali

日本語の表記は、マリ共和国。通称、マリ漢字表記は、馬里

植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていたが、独立時に現在の国名となった。マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの銅像がある。

歴史[編集]

古代[編集]

現在のマリの領域における最古の国家は、7世紀に興りマリ西部を領したソニンケ族ガーナ王国と、東部のガオに起こったガオ王国とされている。とくにガーナ王国は、北アフリカアラブ人からを輸入し象牙を輸出するサハラ交易(いわゆる塩金交易)によって8世紀に絶頂期を迎えた。しかしガーナ王国はサヘルの乾燥化によって勢力を減退させ、1076年ベルベル人ムラービト朝に攻撃され小国へと転落した。

ガーナ王国の衰退後、マリ西部はスス族英語版の興した反イスラムのスス王国英語版が覇権を握った。

マリ帝国とソンガイ帝国[編集]

13世紀に入るとニジェール川上流部にいたマンディンカ族スンジャタ・ケイタマリ帝国を興し、1235年キリナの戦い英語版でスス王国を滅ぼしてこの地域の覇権を握った。マリ帝国はニジェール川中流域へと勢力を拡大し、ジェンネトンブクトゥといった交易都市が繁栄した[3]。マリ帝国はマンサ・ムーサ王の時代に最盛期を迎え、豪華なメッカ巡礼の様子は後世まで語り継がれたが、14世紀末から衰退に向かい、やがて15世紀後半にはマリ東端のガオに都を置いたソンガイ族ソンガイ帝国がこの地域の覇者となった。ソンガイ帝国はソンニ・アリ(-1492年)やアスキア・ムハンマド1世1493年 - 1528年)といった優れた統治者のもとで大いに繁栄した。

サアド朝モロッコ支配期[編集]

16世紀末になるとソンガイ帝国は王位継承争いで大きく国力を落とし、それをついてサハラ砂漠中央部のテガーザ英語版岩塩をめぐって対立していたサアド朝モロッコが砂漠を越えて侵攻を行った。ソンガイ帝国は1591年トンディビの戦い英語版に敗れ、1592年には滅亡した。ソンガイに代わって新たにニジェール川中流域を治めることになったサアド朝は、しかしこの地域を統治し続けることに失敗した。英主アフマド・マンスール・ザハビー1603年に死去するとサアド朝内部では内紛が続き、サハラを越えてニジェール川中流部に勢力を保ち続けることが不可能になったのである。1612年にこの地方のモロッコ人たちはサアド朝から独立し、以後土着化しながら1833年まで統治を続ける[4]ものの、その勢力は微弱なものだった。

小国乱立期[編集]

ソンガイ帝国崩壊後、17世紀にはこの地域ではen:Kaarta1753年-1854年)、en:Kénédougou Kingdom1650年-1898年)など、多くの小王国が乱立したが、その中でもセグーバンバラ族によるバンバラ王国英語版1712年1861年)が勢力を拡大し、18世紀後半にはニジェール川中流域を支配した。

19世紀に入ると、この地域ではフラニ族によって数度のジハードが行われ、イスラーム国家が成立した。1820年にはマシーナ王国英語版が成立して内陸デルタを支配下に置いた。19世紀半ばには内陸デルタではエルハジ・ウマール英語版トゥクロール帝国英語版1848年1890年)を建国してバンバラ王国やマシーナ王国を滅ぼし、ニジェール川上流域ではサモリ・トゥーレワスルー英語版地方にサモリ帝国英語版1878年1898年)を建国したが、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割を抑えることは出来ず、いずれの国もフランスによって滅ぼされた(マンディンゴ戦争英語版)。

フランス植民地期[編集]

すでに自国領としていたセネガルからセネガル川をさかのぼって侵攻してきたフランスは1880年カイに首都を置くオー・セネガル植民地を成立させ、1890年にはこの植民地はフランス領スーダンと改称された。1904年には首都はバマコへと移転した。フランス植民地期には綿花の栽培が推進され、また内陸デルタでは水田開発が行われた。第二次世界大戦後、植民地独立の動きが広がる中でマリでも独立への動きがはじまり、1958年にはフランスの自治国スーダンとなった。

独立[編集]

1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立[5]。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱したため、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。

初代大統領のモディボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進されたが徐々に行き詰まり、1968年ムーサ・トラオレのクーデタが発生し、長い軍事独裁体制の時期に入った[6]1974年には東部のAgacher地区で、オートボルタとの間にen:Agacher Strip War(The First War、11月25日 - 12月中旬)と呼ばれる小規模な軍事衝突が起きた。 1979年に単一政党マリ人民民主同盟が結成され、トラオレが大統領に選出されて形式上は民政移管が行われたものの、一党独裁体制はそのまま継続していた。1985年にはふたたびAgacher地区で、ブルキナファソとの間にen:Agacher Strip War(Christmas War、12月14日 - 12月30日)が起きた。

1991年にクーデターが起こり、実権を握ったアマドゥ・トゥマニ・トゥーレのもとで暫定政府が発足。トゥーレ暫定政権は民主化を進め、翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われてアルファ・ウマル・コナレが就任した[7]。このころ、マリ北部とニジェールで、トゥアレグ族en:Popular Movement for the Liberation of Azawad(MPLA)とen:Hassaniya Arabicen:Arab Islamic Front of Azawad(FIAA)が過激な分離闘争(トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)英語版)を繰り返してきたが、1996年に武装解除が行われた。

コナレ政権は民主的な政権運営を行い、言論の自由や複数政党制をよく維持した。2002年には任期満了で退任したコナレに代わり、軍を退役していたアマドゥ・トゥマニ・トゥーレが大統領に就任したが、トゥーレ政権でもマリの民主制はよく維持され、アフリカでもっとも民主的な政府のひとつに数えられるようになった[8]

一方で2004年en:2004 locust outbreak2006年イブラヒム・アグ・バハンガフランス語版が反政府武装組織「5月23日同盟英語版」(ADC)を結成し、マリ北部において再び武装闘争を展開(トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)英語版)。2011年リビア内戦に参加することによりさらに戦闘能力や武器を強化した。

マリ北部紛争[編集]

2012年1月、トゥアレグ族は新たに独立を求め、トゥアレグ抵抗運動 (2012年)英語版で蜂起し、マリの北部各州(アザワド)を制圧した。戦いの中で政府軍内部からは武器が足りないなどといった不満が噴出し、同年3月にマリ軍事クーデターがおきてトゥーレ政権が打倒される事態となった[9]。さらに4月6日にはトゥアレグ族の反政府武装組織「アザワド解放民族運動英語版」(MNLA, タマシェク語: ⵜⴰⵏⴾⵔⴰ ⵏ ⵜⵓⵎⴰⵙⵜ ⴹ ⴰⵙⵍⴰⵍⵓ ⵏ ⴰⵣⴰⵓⴷ)とサラフィー・ジハード主義組織「アンサル・ディーン」が北部三州(アザワド)を制圧し、一方的にアザワド独立宣言を発表した[10]。5月にはアザワドを制圧中の国際テロ組織アルカーイダ系武装組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ」(AQIM)がトンブクトゥの聖墓を破壊したと発表した[11]。その後、アンサル・ディーンと対立したMNLAは攻撃を受け、アザワド内の拠点を全て失い、アザワドは事実上崩壊[12]。現在、マリ北部はアンサール・アッ=ディーンの支配下にある[13]。 2013年1月、フランスが軍事介入を開始(セルヴァル作戦)し、政府軍とともにアンサル・ディーンやイスラム・マグレブ諸国のアルカイダなど、イスラム系反政府勢力に対して攻勢をかけた[14]。また、マリ政府側では2013年8月に大統領選挙が行われ、9月にイブラヒム・ブバカール・ケイタ大統領が就任して民主制が復活した。

政治[編集]

マリは共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1992年1月12日に制定されたもの。

元首[編集]

国家元首である大統領(Président de la République du Mali)は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている[15]

行政[編集]

首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会(Conseil des Ministres)のメンバーは、首相が任命する。

立法[編集]

議会は一院制で、正式名称は国民議会(Assemblée Nationale)。憲法によると、国家唯一の立法機関とされている。定数147議席。国民議会議員は、マリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。

マリは実質的に複数政党制が機能する、アフリカでは数少ない国家である。宗教民族を基盤とした政党地域政党性別による差別を主張する政党は禁止。主要政党としては、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権の打倒後に政権の座に就いたマリ民主同盟(ADEMA)が最大のものとして挙げられる。他の有力政党にはマリ連合があり、民主化主導全国会議(CNID)、愛国復興運動(MPR)という小政党と共に選挙同盟希望2002を形成している。国民議会内の勢力は以下の通り。

  • 希望2002 - 66議席
  • マリ民主同盟 - 51議席
  • その他の諸政党 - 30議席。

司法[編集]

最高司法機関は最高裁判所(Cour suprême)である。

軍事[編集]

地方行政区分[編集]

マリの地方行政化区画

以下の8州とバマコ特別区に分かれている。

主要都市[編集]

最大都市は首都のバマコである。バマコは国土の南西部のサバンナ地帯に位置し、ニジェール川に面する。マリの経済の重心は国土南部のサバンナ地帯にあり、バマコをはじめシカソセグーといった都市も南部で重要な位置を占めている。シカソは南部の農業地帯の中心都市であり、またバマコからコートジボワールの港湾都市アビジャンへと向かうマリ最大の貿易ルート上に位置するため、綿花などの集散地としても栄えている。

一方国土の軸となっているニジェール川沿いにも、西端のバマコから東にセグー、モプティトンブクトゥガオといった都市が連なる。セグーは18世紀からバンバラ帝国とトゥクロール帝国が相次いで首都を置き、植民地化された後もマラカラ・ダムからの灌漑によって豊かな農耕地帯の中心となっている。モプティはニジェール川と支流のバニ川との合流地点にフランスによって建設された町であり、ニジェール内陸デルタの中心都市となっている。トンブクトゥはニジェール川がもっとも北に湾曲した部分に存在する砂漠の都市であり、マリ帝国からソンガイ帝国時代には大繁栄したものの、交易ルートの変化や周囲の砂漠化によって現代では小都市に過ぎなくなっている。マリ最東端の都市であるガオも砂漠気候に属するが、ニジェール川本流沿いに位置するため豊かな水に恵まれ、マリ北部最大の都市となっている。

地理[編集]

マリのケッペン気候図。赤が砂漠気候、オレンジがステップ気候、水色がサバナ気候である
オンボリ山
地形図

マリは内陸国で、地理的には3区分される。北部のサハラ帯、中部のサヘル帯、南部のスーダン帯である。国の65%が砂漠(サハラ砂漠)と半砂漠であり、南部の低地サバナから北東部丘陵で標高1000メートルに達するものの、一部の山地を除けは全般的に平坦な地形をしている。最高地点は中部のブルキナファソ国境に近いオンボリ山英語版(1153メートル)。

ケッペンの気候区分によれば気候は北部が砂漠気候、南西部は亜熱帯気候である。北部は全域がサハラ砂漠となっており、人口は希薄。国土のほぼ中央部を西から東に流れるニジェール川はマリの国土の軸となっており、古代よりこの中流域にはいくつもの大帝国が興亡を繰り返し、現代でも食料・飲み水・農業・輸送などあらゆる面で国民生活を支えている。なかでもモプティ周辺に広がるニジェール内陸デルタは非常に豊かな氾濫原である。南部はサバンナ地帯となっており、マリで最も降水量が多く人口も多い。

クリコロまでは、隣国セネガルからの鉄道、ダカール・ニジェール鉄道が敷設されている。このダカール・ニジェール鉄道はクリコロでニジェール川水運と接続し、かつてはマリの大動脈となっていた。ニジェール川は増水期にはクリコロからガオまでの約2000㎞で大型船舶が運航可能であり、インフラの乏しいマリの北部・東部の重要な輸送手段となっているが、渇水期には航行が不可能となるため1年の半分しか使用することができない。

経済[編集]

綿花の加工

マリは生産人口の80%が第一次産業に従事しており、農業および牧畜が主要産業となっている[16]。マリ最大の輸出品はであり、2012年度には輸出総額の75%、総生産の25%を占めている。これに次ぐ主力産品は、植民地時代からマリ経済の主力であった綿花であり、2012年度には輸出総額の15%、総生産の15%を占めている[17]。綿花栽培は90年代以降好調を続けており、農民の多くが従事する綿花栽培の好調が民主化以降のマリの政情安定を支えた[18]

農業は、国の2大農業地域であるニジェール川流域とマリ南部のサバンナ地帯によって異なった形で行われている。ニジェール川内陸デルタでは川の氾濫を利用した自然灌漑と、大規模な灌漑施設を備えた人工灌漑の双方で稲作が盛んに行われている[19]。サバンナ地帯においては綿花が主力であり、穀物としてはソルガムが主に栽培される。やや乾燥したサヘル地帯においてはソルガムに代わり、乾燥に強いトウジンビエが栽培される。西部のセネガル川流域ではソルガムや綿花のほか、ピーナツも栽培される[20]。しかし国土全域におおいて灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量は天候に大きく左右される。

北部ではトゥアレグ族遊牧を行っている。また、ニジェール川、特に内陸デルタは非常に豊かな漁場となっており、河川漁業もさかんに行われている。この漁業は古代からこの地域の主要産業のひとつであり、ボゾ人やソモノ人のように漁業を専門に行う民族も内陸デルタには存在していて、1950年代から70年代にかけてはニジェール川の魚はマリの主要輸出品のひとつとなっていた[21]

輸出入の経路は、独立以前はセネガルのダカール港からダカール・ニジェール鉄道経由が圧倒的だったが、マリ連邦崩壊時の政治的対立によりコートジボワールとの結びつきを強め、1997年には輸出入の70%がコートジボワールのアビジャン経由、30%がダカール経由となった。

国内産業では労働力が吸収しきれず、出稼ぎが盛んである。出稼ぎ先はコートジボワールやフランスが多い。しかしコートジボワールでは地元民と移民してきたブルキナファソ人・マリ人との対立が激しく、この対立を一つの原因として第1次コートジボワール内戦英語版となった[22]

国民[編集]

マリの人口推移(1961年-2003年)

民族[編集]

マリは多くの民族が居住する多民族国家である。最も大きな民族は国土南西部のサバンナ地帯に居住する農耕民族のバンバラ人 (Bambara)であり、人口の30から35%を占めている。またかつてマリ帝国を築き上げたマリンケ人 (Malinke)やソニンケ人 (Soninke)なども含むマンデ系英語版 (Mande) の人口は、マリの約50%を占めている。マンデ系の民族はいずれも国土の南西部に多く住む。次いで多いのは主にニジェール川内陸デルタに居住する半農半牧のフラニ人であり、人口の約17%を占める。ヴォルタ人 (Voltaic)は人口の約12%を占める。人口の6%を占める農耕民のソンガイ人は国土東部のガオ地方に集住しており、かつてはソンガイ帝国を築いてニジェール川中流域を支配していたことがある。ベルベル人トゥアレグ族ムーア人)は人口のおよそ10%を占め、国土の北部に多く居住する遊牧民である。 その他の小民族は人口の5%を占める。これらの小民族の中には、ニジェール内陸デルタの東側に伸びるバンディアガラの断崖に居住し独特の文化を持つドゴン人や、漁業を専業としニジェール川内陸デルタを中心に河川近辺に居住するボゾ人など特色ある民族が存在する。

言語[編集]

公用語フランス語であるが、国内の多数部族が使用している4つの言語を、国語と定め、教育その他の分野で使用している。なかでも首都バマコを中心とした南西部で使用されるバンバラ語は理解できるものが多く、共通語化の道を歩みつつある。このほか、フルフルデ語はニジェール内陸デルタで、ソンガイ語はガオを中心とする東部で話者が多い。

宗教[編集]

マリの宗教[23]
宗教 %
イスラム教
  
90%
キリスト教
  
5%
伝統宗教
  
5%

イスラム教が90%、伝統的宗教が5%、キリスト教が5%である。

教育[編集]

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は46.4%(男性:53.5% 女性:39.6%)である[24]

文化[編集]

マリのミュージシャンアマドウ・エ・マリアム英語版

音楽[編集]

マリには古くから息衝くグリオーによる演奏があるが、1960年にマリは独立後、政府主導で芸術振興政策を促進、ポピュラー音楽が盛んになり始める。各地域が提供者となり、オルケストル・レジオナル・ド・モプティやオルケストル・レジオナル・ド・セグー、レイル・バンド等の国営楽団が出現した。レイル・バンド出身のサリフ・ケイタが1970年代にデビューし、1980年代より世界に躍り出て、メジャーデビューを果たす。ケイタの他にも西洋音楽に影響されたミュージシャンが多く育つ[25]

サリフを初めとしたマンデ・ポップが流行る中で、民主化を背景とした南西部のワスル音楽も広がりつつあった。非マンデ系民族の音楽も注目されるようになり、北東部出身のトゥアレグ人のグループ、ティナリウェンによる「砂漠のブルース」がポピュラー音楽として知られるようになる[25]

ソロ・ミュージシャンとしてはギタリストのアリ・ファルカ・トゥーレは国際的に人気がある[26]。彼はアメリカのライ・クーダーとの共作Talking Timbuktuで1995年グラミー賞ベスト・ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞したことがある。彼の息子、ヴィユーもギタリストとして活動している。

グリオー家系のミュージシャンも多くおり、中でもコラ奏者のシディキ・ジャバテは70代以上続くコラ奏者の家系に生まれ、「コラの王」と呼ばれたほどの名手であった。彼はマリが独立した後に国立楽団に加わっていた。彼と歌手のネネ・コイタとの間に生まれたトゥマニ(トゥマニ・ジャバテ)もコラ奏者として知られている。彼は元来は伴奏楽器であったコラを独奏楽器として発展させた。またトゥマニはアリー・ファルカ・トゥーレとも共演したこともあり、2人の共作In the Heart of the Moonで、2006年グラミー賞ベスト・トラディショナル・ワールド・ミュージック賞を、同じくジャバテとの共作Ali and Toumaniで2011年グラミー賞ベスト・トラディショナル・ワールド・ミュージック賞を受賞した[27]。また、トゥマニの甥にあたるママドゥもコラ奏者として活動している。

映画[編集]

映像作家として知られるスレイマン・シセは社会的メッセージ性の強い作品で、国内外から高い評価を受けている。

世界遺産[編集]

マリ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、複合遺産が1件ある。詳細は、マリ共和国の世界遺産を参照。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
1月20日 軍隊記念日 Fête de l'armée
3月26日 殉教者の日 Journée des Martyrs ムーサ・トラオレ政権崩壊の日
5月1日 メーデー Fête du Travail
5月25日 アフリカの日 Fête de l'Afrique アフリカ統一機構発足の日
9月22日 独立記念日 Jour de l'Indépendance
12月25日 クリスマス Noël イエズス・クリストゥス生誕の日

著名な出身者[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Wikisource reference アマドゥ・サノゴ英語版. Constitution du Mali du 26 mars 2012. - ウィキソース. 
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ 「マリを知るための58章」内収録「ジェンネ」p140 伊東未来 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  4. ^ 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p200
  5. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の政治」p83 ムーサ・コネ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  6. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の政治」p85 ムーサ・コネ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  7. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の政治」p85 ムーサ・コネ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  8. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の政治」p86 ムーサ・コネ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  9. ^ 「マリを知るための58章」内収録「2013年の政変とサハラの混乱」p94 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  10. ^ “マリ北部で反政府武装勢力が独立宣言、仏国防相は「承認せず」”. ロイター. (2012年4月6日). http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE83504V20120406 2012年4月8日閲覧。 
  11. ^ アルカイダ系が聖墓破壊=世界遺産のトンブクトゥ-マリ-時事ドットコム2012年5月6日
  12. ^ “Al Qaeda-linked Islamists drive Mali's Tuaregs from last stronghold”. France 24. (2012年7月12日). http://www.france24.com/en/20120712-al-qaeda-linked-islamists-drive-malis-tuaregs-last-stronghold-ansogo-timbuktu-mnla-ansar-dine-mujao 2012年10月7日閲覧。 
  13. ^ Tiemoko Diallo; Adama Diarra (2012年6月28日). “Islamists declare full control of Mali's north”. ロイター (ロイター). http://www.reuters.com/article/2012/06/28/us-mali-crisis-idUSBRE85R15720120628 2012年10月13日閲覧。 
  14. ^ “西アフリカ・マリの戦闘で市民10人が死亡”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年1月13日). http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1614105 2013年1月14日閲覧。 
  15. ^ Constitution of the Republic of Mali リッチモンド大学 2009年11月1日閲覧(英語)。
  16. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の経済」p268 イスマエル・ファマンタ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  17. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の経済」p270 イスマエル・ファマンタ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  18. ^ 「マリを知るための58章」内収録「独立後の政治」p86 ムーサ・コネ 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  19. ^ 「マリを知るための58章」内収録「稲作」p298-299 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  20. ^ 「マリを知るための58章」内収録「農業」p286-287 嶋田義仁 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  21. ^ 「マリを知るための58章」内収録「漁業」p304 竹沢尚一郎 竹沢尚一郎編著 明石書店 2015年11月15日初版第1刷発行
  22. ^ キャロル・オフ『チョコレートの真実』第1版、p.214, 英治出版、2007年9月1日
  23. ^ International Religious Freedom Report 2008: Mali. State.gov (19 September 2008). Retrieved 4 May 2012.
  24. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ml.html 2009年4月2日閲覧
  25. ^ a b ポップ・アフリカ700 アフリカン・ミュージック・ディスク・ガイド 萩原和也著
  26. ^ African star Ali Farka Toure dies, BBC News d.d. March 7, 2006. Retrieved online from BBC Online d.d. September 22, 2009.
  27. ^ アリ・ファルカ・トゥーレ&トゥマニ・ジャバテのアルバムAli and Toumaniの日本版ライナーより

関連項目[編集]

外部リンク[編集]