ライ・クーダー

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ライ・クーダー
ライ・クーダー (2009年)
基本情報
出生名 Ryland Peter Cooder
生誕 (1947-03-15) 1947年3月15日(77歳)
米国カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロック
ブルース
ワールドミュージック
R&B
テクス・メクス
カントリー
ゴスペル
ジャズ
職業 ギタリスト
歌手
担当楽器 ギター
ヴォーカル
活動期間 1965年〜現在
レーベル リプリーズ・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
ノンサッチ・レコード
共同作業者 タジ・マハール
デヴィッド・リンドレー
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
ローリング・ストーンズ
アリ・ファルカ・トゥーレ
フラコ・ヒメネス
ニック・ロウ

ライ・クーダーRy Cooder、本名:Ryland Peter Cooder、1947年3月15日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンギタリスト歌手作曲家

概要[編集]

世界各国のルーツミュージックに対する造詣も深く、アメリカのルーツ・ミュージックを発掘し、世に広めたことは高く評価されている。また、ヴィム・ヴェンダースウォルター・ヒル監督作品の音楽にも携わった。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、8位にランクイン[1]、2011年の改訂版では第31位。

来歴[編集]

カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。父親の影響で、3歳の頃に初めて4弦ギターを手にする[2]。4歳のとき、ナイフによる事故が原因で片目を失明、以後義眼となる[3]

16歳にして、音楽活動を始める[3][2]1960年代半ばには、タジ・マハールらと組んだライジング・サンズキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド[4]ジャッキー・デシャノン等のバンドで活動。 ローリング・ストーンズのアルバム『レット・イット・ブリード』(1969年)に参加しており、また、同作のレコーディング中に行われたジャム・セッションは、後に『ジャミング・ウィズ・エドワード』(1972年)としてレコード化された。そして、1970年にアルバム『ライ・クーダー・ファースト』でソロ・デビューを果たす。

1978年春、日本のファンが長年待ち望んだ来日公演(単独ライブ)が、虎ノ門・久保講堂ほかで行われる。

1979年秋、デヴィッド・リンドレーと組み再来日公演を行う[2]。リンドレーとは1984年の映画『パリ、テキサス』のサウンドトラックでも共演[5]。以後も1990年1995年と再度来日公演を行うなど、度々共演を重ねている。

1980年代以降は映画音楽を多く手掛けるようになり、自己名義のスタジオ・アルバム製作からは1987年の『ゲット・リズム』を最後にしばらく遠ざかることとなった。同作収録の"Goin' Back To Okinawa"では沖縄民謡風の音階やフレーズにも挑戦、喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』にも参加している。

1991年、ライは、ジョン・ハイアットジム・ケルトナーニック・ロウリトル・ヴィレッジを結成。翌年同名のアルバムをリリースし、ツアーも行った。

1993年には、インドのミュージシャンV・M・バットとの共演作『ア・ミーティング・バイ・ザ・リヴァー』を発表し、同アルバムで第36回グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した[6]。翌1994年にはマリのブルースマンと称される、アリ・ファルカ・トゥーレとの共演作『トーキング・ティンバクトゥー』を発表し、第37回グラミー賞において最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した[6]

1996年、ライはキューバに赴き、エリアデス・オチョアコンパイ・セグンドといったキューバのミュージシャンたちとアルバム『Buena Vista Social Club』をレコーディングする。同作は、1997年第40回グラミー賞において最優秀トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞を受賞するなど[6]、欧米を中心に高い評価を受けた。1999年には、ヴィム・ヴェンダース監督による同名の映画も封切られている。

2003年、キューバ人ギタリストのマヌエル・ガルバンと連名のアルバム『マンボ・シヌエンド』を発表し、同作は第46回グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受章した[6]2005年、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人コミュニティーを題材としたコンセプト・アルバム『チャヴェス・ラヴィーン』を発表し、続く2007年の『マイ・ネーム・イズ・バディ』、2008年の『アイ・フラットヘッド』も同様にストーリー性を持ったアルバムで、これら3作は「カリフォルニア三部作」と呼ばれている[7]

2009年、リトル・ヴィレッジ以来17年ぶりにニック・ロウと組みツアーを行った。2009年11月には、このユニットで日本公演も行っている[8]

演奏スタイル[編集]

スライド・ギターの名手として知られており、多くのギタリストが例外なくライの名を挙げている。フィンガー・ピッキングにも定評があり、で澄み切った音調を出している。特に両方を織り交ぜたフレーズは、オリジナリティの溢れているものとして評価が高い。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

ライヴ・アルバム[編集]

  • 1977年 『ショー・タイム』 - Show Time (Warner Bros.)
  • 1982年 『ライヴ』 - Live (Warner Bros.)(ヨーロッパ販売)
  • 2013年 Live in San Francisco(Nonesuch)

コンピレーション[編集]

  • 1986年 Why Don't You Try Me Tonight ?: The Best of Ry Cooder (Warner Bros.)(アナログLP時代のボーダーラインまでのベスト盤)
  • 1994年 『ベスト・オブ・ライ・クーダー』 - River Rescue: The Very Best of Ry Cooder (Warner Bros.)
  • 1995年 Music by Ry Cooder (Reprise)
  • 2008年 『アンソロジー』 - The Ry Cooder Anthology: The UFO Has Landed (Rhino)
  • 2014年 Soundtracks (Warner Bros.)(CD 7枚組)

映画サウンドトラック[編集]

その他プロジェクト[編集]

CM[編集]

関連項目[編集]

参照文献[編集]

  1. ^ 100 Greatest Guitarists: David Fricke's Picks: Ry Cooder | Rolling Stone
  2. ^ a b c 1990年RY COODER & DAVID LINDLEY日本公演パンフレット
  3. ^ a b Edited Guide Entry: Ry Cooder (BBC)
  4. ^ Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. Omnibus Press. pp. 20-44 
  5. ^ allmusic ((Paris, Texas > Overview))
  6. ^ a b c d Ry Cooder”. GRAMMY.com. The Recording Academy. 2017年5月30日閲覧。
  7. ^ Ulin, David L (2011年12月4日). “Ry Cooder Has 'Los Angeles Stories' to Tell”. Los Angeles Times. 2020年7月6日閲覧。
  8. ^ 小池宏和 (2009年11月5日). “ライ・クーダー&ニック・ロウ@JCB HALL”. ロッキング・オン. 2017年5月30日閲覧。
  9. ^ 「CM音楽から消えた『時代の音』」『朝日新聞』1988年10月29日東京夕刊、7頁。

外部リンク[編集]