レット・イット・ブリード

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レット・イット・ブリード
ローリング・ストーンズスタジオ・アルバム
リリース 1969年11月29日(US)
1969年12月5日(UK)
録音 1968年11月16日 - 17日,
1969年2月10日 - 11月2日
ジャンル ロック
時間 4221
レーベル Decca/ABKCO (UK)
ABKCO (US)
プロデュース ジミー・ミラー
専門評論家によるレビュー
ローリング・ストーンズ 年表
スルー・ザ・パスト・ダークリー (ビッグ・ヒッツ Vol.2)
1969年
レット・イット・ブリード
1969年
ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト
1970年
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レット・イット・ブリード』(Let It Bleed)は、1969年にリリースされたローリング・ストーンズオリジナルアルバム。全英1位[1]、全米3位[2]を記録。

本作の製作中にブライアン・ジョーンズが脱退、その直後、後任のギタリストミック・テイラーが加入しており、本作はジョーンズが参加した最後のアルバムであると共に、ジョーンズとテイラーが参加した曲が同時に収められた唯一のオリジナルアルバムでもある。

概要[編集]

前作『ベガーズ・バンケット』と共に彼らの最良のアルバムと称賛され、ロック・アルバムの古典の一つと見なされる。本作に収録されている楽曲は、全曲ライヴで一度以上取り上げられている。このようなオリジナル・アルバムは、ストーンズでは他に『スティッキー・フィンガーズ』『女たち』『ブラック・アンド・ブルー』がある。イギリスではビートルズの『アビイ・ロード』蹴落としてチャート1位、アメリカでは3位とダブル・プラチナを獲得した。本作タイトル『レット・イット・ブリード』は、しばしばビートルズの『レット・イット・ビー』のパロディだとされるが、それは正確ではない(『レット・イット・ビー』のリリースは1970年5月)。

本作の製作は1968年11月、オリンピック・スタジオでの「無情の世界」の録音から始まった。この間、ジョーンズの最後のステージとなった「ロックンロール・サーカス」をはさみ、翌1969年2月から6月にかけて再びオリンピック・スタジオで録音を行った。だがこの頃になるとジョーンズはレコーディングに参加する事自体がほとんどなくなっていた。バンドはジョン・メイオールから推薦された当時21歳のミック・テイラーを招へいし、レコーディングは続行された。6月8日にジョーンズはストーンズを正式に脱退、その直後の7月3日に自宅のプールで溺死した。その後、ジョーンズの追悼ライブとなったハイドパーク・コンサートやジャガーの映画『太陽の果てに青春を』の撮影を挟んで、10月に再びハリウッドワーナー・ブラザーズ・スタジオでレコーディングを行い、27日までに完成させた。一連のセッションでは、マリアンヌ・フェイスフルに提供した「シスター・モーフィン」(『スティッキー・フィンガーズ』収録)、また「ラヴィング・カップ」、「オール・ダウン・ザ・ライン」(共に1972年のアルバム『メイン・ストリートのならず者』収録)の初期バージョン、そして「ジャイビング・シスター・ファニー」、「アイム・ゴーイング・ダウン」(共に1975年の編集盤『メタモーフォシス』収録)も録音された。

本作の収録曲でジョーンズがギターを弾いた曲は1つもなく、またテイラーが参加したのは「カントリー・ホンク」と「リヴ・ウィズ・ミー」の2曲のみで、本作で聴けるギターは大半がキース・リチャーズによるものである。また、初めてリチャーズが単独でリード・ヴォーカルを担当した曲(「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」)も収録されている。

本作に収められた楽曲は、歌詞の内容が戦争レイプ殺人麻薬中毒といった荒涼としたものとなっているが、これについてミック・ジャガーは1995年のインタビューで、当時激化していたベトナム戦争に影響を受けたんじゃないかと答えている。

本作のレコーディングの間に、ジャガー、ビル・ワイマンチャーリー・ワッツは、本作にゲスト参加したニッキー・ホプキンスライ・クーダーと共にジャム・セッションを行っており、1972年にはその時の演奏を収録したアルバム『ジャミング・ウィズ・エドワード』が発売されている。

ジャケットのケーキは、著名な料理家であるデリア・スミスが制作した。また、本作には「このレコードは大音量で聴くべし(THIS RECORD SHOULD BE PLAYED LOUD)」というメッセージが大きく入れられている。ストーンズのオリジナル・アルバムでモノラル盤が発売されたのは、本作が最後となった。

2002年8月に、アブコ・レコードよりリマスターされた上で、SACDとのハイブリッドCDとしてデジパック仕様で再発された。

『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)の英米編では8位、日本編では4位にランクされ、「Q」マガジンのグレーティスト・アルバム読者投票(1998年)では69位、ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム5002002年)では32位、2003年にはTVネットワークのVH1がグレーティスト・アルバムで24位に選出した。

北米ツアー[編集]

本作リリースに伴った「North American Tour」は、1969年11月7日のコロラド州フォート・コリンズ公演から開始する。今回が6度目のツアーであったが、現在まで行われているような大規模なツアーは今回が初めてであった。このツアーの模様は、映画『ギミー・シェルター』で公開された。本ツアーの最終公演、1969年12月6日のカリフォルニア州オルタモント・スピードウェイでのフリーコンサートで、会場警備を担当したヘルズ・エンジェルスの手により、黒人青年メレディス・ハンターが刺殺された。ハンターが刺殺される様子も、前述の映画に収録されている。また、11月9日のカリフォルニア州オークランド・コロシアム公演は『Liver Than You'll Ever Be』というブートレグとしてリリースされ、これが彼らの初のブートレグとなる。このブートレグが、公式ライヴ盤『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』のリリースを早めたとされる。

曲目[編集]

特筆無い限り作詞・作曲はジャガー/リチャーズ

  • A面
  1. ギミー・シェルター - Gimme Shelter 4:31
    • 当時激化していたベトナム戦争に強い影響を受けた曲。オルタモントの悲劇を収めたドキュメンタリー映画のタイトルにも使用された。日本では1971年に独自にシングル・カットされた。
  2. むなしき愛 - Love in Vain (Robert Johnson) 4:19
    • ロバート・ジョンソンのカヴァー。リリース当時は作曲クレジットが「トラディショナル」となっていたが後に修正された。
  3. カントリー・ホンク - Country Honk 3:07
    • 先行シングル「ホンキー・トンク・ウィメン」をカントリーミュージック風にアレンジした別テイク盤。タイトルの「Honk(警笛)」にかけて、曲の冒頭と終わりに自動車のクラクション音が挿入されている。
  4. リヴ・ウィズ・ミー - Live With Me 3:33
  5. レット・イット・ブリード - Let It Bleed 5:28
    • アルバムタイトル曲。これも日本では独自にシングル・カットされた。
  • B面
  1. ミッドナイト・ランブラー - Midnight Rambler 6:53
    • 映画『絞殺魔』のモデルにもなったボストン絞殺魔事件をヒントにした曲。ブライアン・ジョーンズを含めたオリジナルのメンバーのみで録音された最後の曲。コンサートでは頻繁に演奏されている。
  2. ユー・ガット・ザ・シルヴァー - You Got the Silver 2:50
    • キース・リチャーズが初めて全編リード・ヴォーカルをとった曲。ジョーンズ最後の参加作品。
  3. モンキー・マン - Monkey Man 4:11
    • タイトルはドラッグ・ジャンキーを意味している。
  4. 無情の世界 - You Can't Always Get What You Want 7:29
    • シングル「ホンキー・トンク・ウィメン」のB面として初登場。シングルでは短縮されたバージョンだったが、ここではフルレングスで収録されている。本作中一番最初に録音された曲で、「ロックンロール・サーカス」でも披露されている。

参加ミュージシャン[編集]

※レコード/CD記載のクレジットに準拠

ローリング・ストーンズ

ゲストミュージシャン

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『ローリングストーンズ/グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』 (テリー・ロウリングス/アンドリュー・ネイル/キース・バッドマン著、 筌尾正訳、シンコーミュージック刊、2000年)ISBN 978-4401616541
  • SIGHT VOL.14 特集「ロックの正義!!ストーンズ全100ページ」(株式会社ロッキング・オン、2003年)
  • アーカイヴシリーズvol.4「ザ・ローリング・ストーンズ['69-'74]」(シンコー・ミュージック刊、2002年) ISBN 4-401-61774-6