セルゲイ・ラブロフ
| セルゲイ・ラブロフ Сергей Викторович Лавров | |
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セルゲイ・ラブロフ | |
| 生年月日 | 1950年3月21日(68歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | モスクワ国際関係大学 |
| 前職 | 外交官、外務次官、ロシア国連大使 |
| 所属政党 | 統一ロシア |
| 配偶者 | マリア・ラブロワ |
| サイン |
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| 内閣 |
第1次ミハイル・フラトコフ内閣 第2次ミハイル・フラトコフ内閣 ヴィクトル・ズプコフ内閣 第2次ウラジーミル・プーチン内閣 ドミートリー・メドヴェージェフ内閣 |
| 在任期間 | 2004年3月 - |
セルゲイ・ヴィクトロヴィチ・ラブロフ(ラヴロフ、ロシア語: Сергей Викторович Лавров, ラテン文字転写: Sergey Viktorovich Lavrov, 1950年3月21日 - )は、ロシアの外交官、政治家。2004年からロシア外務大臣。他国の間では、強硬な外交姿勢を取る人物として知られている。
経歴[編集]
1950年3月21日、モスクワに生まれる。1972年モスクワ国際関係大学を卒業した後、ソ連外務省に入省する。1972年駐スリランカ大使館に勤務を命ぜられる。1976年本省に戻り、国際経済機関局に勤務。1981年ソ連国連代表部に勤務し、一等書記官となる。1988年国際経済関係局副局長。1990年国際機関・グローバル問題局長などを歴任した。
1991年ソ連8月クーデター後も外務省に籍を置き、1992年から1994年まで、ロシア連邦外務次官を務める。1994年に国連大使に転出する。
2004年3月、安全保障会議書記に転出したイーゴリ・イワノフの後任として、外務大臣に就任する。一貫して職業外交官の道を歩んできた点で前任者と共通のキャリアを持つが、そのイワノフが、エフゲニー・プリマコフの「ユーラシア構想」の後継者として、ロシアの国益の主張を強く打ち出す一方で、旧エリツィン・ファミリーとの関係も維持していた政治的な人物であったのに対して、ラブロフは政治色が弱く、ロシア外交は、当時のプーチン大統領の主導が一層強化されると観測された。
2008年発足のドミートリー・メドヴェージェフ政権、2012年発足のウラジーミル・プーチン政権でも外務大臣に留任した。
外交[編集]
日本[編集]
2007年6月2日、ロシア外務大臣として初めて北方領土を視察。北方領土問題で日本に対して敵国条項もたびたび援用し[1][2]、「渡さない」「返さないし、(平和条約締結を)お願いすることもない」[3][4]などと常々発言している。
アメリカ[編集]
2014年クリミア危機以降、アメリカを強く牽制する姿勢を見せている[5][6]。
脚注[編集]
- ^ “露外相が北方領土の「旧敵国条項」発言”. THE PAGE 2016年10月14日閲覧。
- ^ “ラブロフ外相の喫煙外交:名越健郎”. Foresight(フォーサイト) 2016年10月14日閲覧。
- ^ “ロシア:ラブロフ外相、北方領土は「渡さない」”. 毎日新聞 (2016年5月31日). 2016年9月10日閲覧。
- ^ “北方領土「返さないし、お願いすることもない」 ロシア外相が発言”. 産経新聞 (2016年5月31日). 2016年9月10日閲覧。
- ^ 「ロシア嫌悪」が冷戦中より悪化、ロシア外相 欧米に警告 -2018年1月22日閲覧
- ^ クリミアの再統合、西側諸国が認める法的問題は存在しない -2016年09月01日閲覧
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: イーゴリ・イワノフ |
第4代:2004 - |
次代: (現職) |
| 外交職 | ||
| 先代: ユーリ・ウォロンツォフ |
1994 - 2004 |
次代: アンドレイ・デニソフ |
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