イーゴリ・イワノフ
| イーゴリ・イワノフ Игорь Сергеевич Иванов | |
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イーゴリ・イワノフ | |
| 生年月日 | 1945年9月23日(81歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | モスクワ外国語大学 |
| 前職 |
外交官 駐スペイン大使 外務次官 第一外務次官 |
| 所属政党 |
ソビエト連邦共産党 統一ロシア |
| 配偶者 | エカテリーナ・セミオノワ |
| 在任期間 | 1998年9月11日 - 2004年3月9日 |
| 大統領 |
ボリス・エリツィン ウラジーミル・プーチン |
| 在任期間 | 2004年3月9日 - 2007年7月18日 |
| 大統領 | ウラジーミル・プーチン |
イーゴリ・セルゲーエヴィチ・イワノフ(ロシア語: И́горь Серге́евич Ивано́в、ラテン文字転写の例:Igor Sergeevich Ivanov、1945年9月23日 - )は、ソビエト連邦及びロシア連邦の政治家、外交官。ウラジーミル・プーチン政権で第3代外務大臣、第11代ロシア連邦安全保障会議書記を歴任した。
経歴
[編集]1945年9月23日にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のモスクワで誕生したのち、6歳まで外祖母ならびに母、エレナ・サギラシヴィリの生まれ故郷たるグルジア・ソビエト社会主義共和国で過ごす。
1963年にモーリス・ソレス・モスクワ国立外国語研究所(ロシア連邦として独立後はモスクワ国立言語大学)に入学し、英語とスペイン語を究めつつ学生建設旅団で働いた。
3年目にソビエト時代は対外経済企業として登録されていた航空機の輸出と修繕を本業とするアヴィアエクスポートを通じてキューバでインターンシップを経験。
1969年に研究所を修めた後、1973年までソ連科学アカデミー世界経済国際関係研究所に於いて研究員として勤務する。
1973年からソ連外務省に入省し、第1欧州課二等書記官、駐マドリードソ連通商代表部先任技官、1977年に駐スペイン大使館一等書記官、参事官、公使などを歴任し、主にスペイン関係の部署で活躍した。
1983年にソ連外務省本省に戻り、第1欧州課専門官となる。その後、外相顧問、外相補佐官、官房長、総書記局次長、第1次長、局長、参事など本省の要職を歴任した。
1991年にスペイン大使に転じ、この間ソ連崩壊を迎えるが、引き続きロシア連邦のスペイン大使となった。
1994年9月にロシア外務省の外務次官、2ヶ月後に外務第一次官兼外務大臣官房長となる。
1998年9月にエフゲニー・プリマコフ外務大臣が首相に就任したことに伴い、外務大臣代行、次いで9月11日に正式に外務大臣に昇任された。
イワノフは、外務大臣として前任のプリマコフ同様ロシアの利益を重視した外交路線を取った。プーチン政権下でも引き続き外務大臣に留任した。また、デイトンでのボスニア調停和平交渉の共同議長でもあった。
2004年3月9日に外務大臣職をセルゲイ・ラブロフと交替。ウラジーミル・ルシャイロの後任として、安全保障会議書記に就任した。
グルジアへの経済制裁とCFE条約履行停止をめぐり大統領との確執が徐々に進行し、2007年7月18日、安全保障会議書記を辞任した[1]。
パーソナル
[編集]脚注
[編集]- ↑ 「イワノフ書記が辞任 外交路線めぐり対立か」『北海道新聞』(2007年7月20日)
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 ウラジーミル・ルシャイロ |
第11代:2004年3月9日 - 2007年7月18日 |
次代 ワレンチン・ソボレフ (書記代行) |
| 先代 エフゲニー・プリマコフ |
第3代:1998年9月11日 - 2004年3月9日 |
次代 セルゲイ・ラブロフ |