主要国首脳会議
| 主要8ヶ国と欧州連合 |
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主要国首脳会議(しゅようこくしゅのうかいぎ)もしくは先進国首脳会議(せんしんこくしゅのうかいぎ)は、国際的な首脳会議のひとつ。
G7(ジーセブン、"Group of Seven"の略)、主要(先進)7か国首脳会議、サミット(首脳の地位を山頂に擬えたもの)ともいう。
ロシアが参加していた頃は、G8(ジーエイト)、主要8か国首脳会議などと呼ばれていた。
2014年以降、ロシアは参加資格を停止され、再びG7(先進国首脳会議[1])と称されている。
目次
概要[編集]
1998年から2013年まで、主要国首脳会議で中心となるのは、以下に示す8つの主要国であった。
上記の8か国の政府の長および欧州連合の欧州理事会議長と欧州委員会委員長が年1回集まり、国際的な経済、政治的課題について討議する会議である(その他の国の首脳や国際機関の代表も例外的に出席)。また、合わせて、数多くの下部会議や政策検討も行われる。しかし、2014年以降、ロシアは参加停止中(後述)。
経緯[編集]
発足時の名称は「先進国首脳会議」。
冷戦下の1973年のオイルショックと、それに続く世界不況に起源を持つ。これらのトラブルによってアメリカで、西側諸国(ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本)の財務大臣級(アメリカは財務長官、当時の日本は「大蔵大臣」)が集まり、経済的課題を討議する会議「ライブラリーグループ」がまず生まれた。
1975年に、フランス大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンはライブラリーグループメンバーに西ドイツを加えた、“工業化された4つの主要民主主義国”の首脳をフランスのランブイエに招待し、フランスを含めて5カ国ではじめての首脳会議を開催し、定期的に首脳会議を持つことを提案した。このときの出席者は、主催国を交代しつつ年に一回会議を持つことに合意した。こうしていわゆる「G5」が生まれた。しかし、これを不服としたイタリアの首相が第1回会議に乗り込んで来た為、イタリアを加えG6となる。
しかし、これでは欧州に偏る為、翌年のプエルトリコの首都サンフアンでのサミットでアメリカのジェラルド・フォード大統領の要請によりカナダが参加したことにより、「G7」となる。
冷戦の終結に続く1991年のG7サミット終了後、旧東側諸国の盟主で、かつてはG7諸国と対立していたソ連(現・ロシア)とサミットの枠外で会合を行うようになった。ロシアは1994年のナポリ会合以降は首脳会議のうち政治討議に参加するようになり、1997年のデンバー会議以降は「世界経済」「金融」等の一部セッションを除き基本的に全ての日程に参加することになった。1998年のバーミンガム会議以降は従来の「G7サミット」に代わり「G8サミット」という呼称が用いられるようになった。さらに2003年のエビアン・サミット以降、ロシアは「世界経済」に関するセッションを含め完全に全ての日程に参加するようになった。一方ロシアは経済力が大きくないなどの理由により、7か国財務大臣・中央銀行総裁会議には完全参加していない(このため、現在ではG7と言えばこの大臣級会議のことを指す)。
ロシアの参加には米大統領ビル・クリントンの示唆などもあった。これは当時のロシア大統領ボリス・エリツィンに経済改革を進めさせ、またNATOの東への拡大に関して中立を保つようにさせるためのクリントン大統領のジェスチャーだった。ロシアは加入当初は経済破綻で貧困状態であったために先進国とは言い難く、一人当たり名目GDPも1999年には1334ドルに過ぎない発展途上国状態であった。このころから、名称を「先進国会議」から「主要国会議」に変更された。
他方2005年2月18日、米上院議員ジョー・リーバーマンとジョン・マケインがロシア大統領ウラジーミル・プーチンによって民主的、政治的自由が確保されるまではG8への参加を見合わせるようにロシアに呼びかけるなどの動きもあった。
当初においては様々な国際的な課題への強い影響力を有していたが、近年では新興諸国の経済的、政治的影響力の上昇に伴う相対的な影響力の低下とともに、形骸化や単なるセレモニー化が指摘されている。その一方で国連総会などの外交官レベルの会議に比べ、主要各国の首脳会議であるサミットは決断力・実行力に格段の優位性があるほか拒否権など制度的問題点がなく、国連を補完する意味でも一定の役割を果たしているという指摘もある。
2014年3月25日にオランダのハーグで開かれた核セキュリティーサミットとあわせ、臨時のG7サミットが開かれた。その議場において、ロシアのウクライナに対する軍事介入やクリミア半島掌握などを非難したG7の首脳陣は、2014年6月にロシア・ソチで行われる予定だったG8サミットを中止し、会場をベルギーのブリュッセルに変更する決定をした。また同会議において、「ロシアが態度を改め、G8において意味ある議論を行う環境に戻るまで、G8への参加を停止する」という内容のハーグ宣言を発表した。これにより事実上G8が停止され、冷戦当時のG7へと戻った[2]。
グループの編成と活動[編集]
G8は国連や世界銀行のような機関とは異なり、国際横断的な管理部門を持たない。またメンバー国の間で毎年順番にグループの議長国が回り、新しい議長国は1月1日から担当が始まると考えられている。議長国は一連の大臣級会議を主催し、続いて年の中頃に3日間の首脳によるサミットを行う。また、出席者の安全を確保するのも議長国の役割である。
大臣級会議は健康、法務、労働を担当する大臣が集まり、相互のまたは全地球的な問題について議論する。これらのうち最もよく知られたものはG8外務大臣会合、G8財務大臣会合などがある。1994年にはG7の後援の下で、情報社会の実現に関する特別プログラムが設立された。
2005年6月には、G8は幼児性愛者に関する国際的データベースを立ち上げることに同意され設置された。また、G8以外の国もこのデータベースに参加することができる。またG8は、各国のプライバシーと保安にかかる法律の範囲内でテロリズムに関するデータを集積することにも同意した。同時にG8構成国、およびブラジル、中国、インド(発展途上国で最大の地球温暖化ガスの排出国)の国際科学アカデミーが気候変動に関する共同声明に署名した。この声明は気候変動についての科学的理解はいまや各国が即座に対策を執るには十分に明らかになっており、IPCCの統一見解を明示的に支持するということを強調している。
G8への反発[編集]
G8への非難[編集]
G8で扱われる課題は議論のある国際的問題であるためG8は非公式な「世界政府」であり、何の関係もない第三世界にまで決定事項が強制されているという非難がアルテルモンディアリストによりしばしばなされる。ちなみにG8の「決議」「決定」「宣言」その他諸々は、国際法上の根拠を何ら持たない“仲間内での取り決め”である。
年1回のサミットは、しばしば反グローバリゼーション活動の反対活動の的になる。特に2001年にジェノバで開かれた第27回サミットでは大規模なデモが行われるなど顕著だった。
G8参加国は現在、地球規模で深刻な問題となっている地球温暖化や発展途上国での貧困の原因となっていると非難があり、また主要国として問題解決に向けて対処すべきという非難もある。このようにG8諸国が作り出していると非難されている問題について責任を取って闘うよう、G8指導者へさまざまな団体から圧力がかかっている。例えば、ボブ・ゲルドフは2005年7月2日と7日にグローバル・アウェアネス・コンサートであるLive 8を組織しG8指導者に「Make Poverty History(貧困を歴史としよう)」を奨励した。また組織関係者は、G8メンバー国に1992年のリオデジャネイロ地球サミットの「アジェンダ21」で概説されたとおり国家予算の0.7%を海外援助に回すよう提案した。このコンサートは第31回G8サミットと同時になるように計画された。
G8とテロリズム[編集]
2005年7月7日、スコットランドでのサミットの初日に50人以上が命を落とし数百人が負傷したと言われるロンドン地下鉄およびロンドン2階建てバス同時多発爆破事件が起こった。この攻撃は、直ちに「ヨーロッパ在住のアルカーイダ秘密グループによるジハード」によるものとされた。この攻撃は西側国家に対し、アフガニスタンおよびイラクでの軍事活動をした場合攻撃を行うとイスラム原理主義者によって犯行の予告が先立ってされていた中で英国が軍事行動に参加したことと関係があるものとされた。G8サミットへ集まった国際的な注目は、おそらく最大限の象徴的な効果のためにテロリストによって増幅された。この打撃は、IOCがロンドンを2012年オリンピック大会の開催地に決定した告知をした直後でもあった。
先進国・主要国首脳会議の一覧[編集]
以前は、サミット参加7か国の間でフランス、アメリカ合衆国、イギリス、(西)ドイツ、日本、イタリア、カナダの順で毎年持ち回り開催されてきた。ロシアが参加するようになってからはイギリスの次にロシアが入り、8か国持ち回りになった。ロシアを含め、前半4か国が国際連合安全保障理事会の常任理事国であり後半4か国はそうではない。
1990年代までは開催国の首都などの大都市での開催が多かったが、1990年代末になると反グローバリズム、アルテルモンディアリスム団体の抵抗運動によるデモが頻発。特に2001年のジェノヴァでは大規模なデモに見舞われたことから、以降、警備のしやすい地方都市、保養地での開催が多くなっている。
| 回 | 年月日 | 国 | 開催地 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1975年11月15日 - 17日 | ランブイエ | カナダ・ロシア(当時はソビエト連邦)を除く6か国で開催。 | |
| 2 | 1976年6月27日・28日 | サンフアン | カナダが参加し、7か国となる。 | |
| 3 | 1977年5月7日・8日 | ロンドン | ||
| 4 | 1978年7月16日・17日 | ボン | ||
| 5 | 1979年6月28日・29日 | 東京 | ||
| 6 | 1980年6月22日・23日 | ヴェネツィア | 日本は大平正芳首相が衆参同日選挙中に急死したため、大来佐武郎外相が代理出席。 | |
| 7 | 1981年7月20日・21日 | オタワ | ||
| 8 | 1982年6月4日 - 6日 | ヴェルサイユ | ||
| 9 | 1983年5月28日 - 30日 | ウィリアムズバーグ | ||
| 10 | 1984年6月7日 - 9日 | ロンドン | ||
| 11 | 1985年5月2日 - 4日 | ボン | ||
| 12 | 1986年5月4日 - 6日 | 東京 | ||
| 13 | 1987年6月8日 - 10日 | ヴェネツィア | ||
| 14 | 1988年6月19日 - 21日 | トロント | ||
| 15 | 1989年7月14日 - 16日 | ラ・デファンス | 「アルシュ・サミット」と呼ばれる。フランス革命200年祭(パリ祭)に合わせて開催。 | |
| 16 | 1990年7月9日 - 11日 | ヒューストン | ||
| 17 | 1991年7月15日 - 17日 | ロンドン | ソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ大統領がゲスト参加 | |
| 18 | 1992年7月6日 - 8日 | ミュンヘン | ||
| 19 | 1993年7月7日 - 9日 | 東京 | ||
| 20 | 1994年7月8日 - 10日 | ナポリ | ||
| 21 | 1995年6月15日 - 17日 | ハリファックス | ||
| - | 1996年4月19日・20日 | モスクワ | 核の安全のための特別サミット。※非公式 | |
| 22 | 1996年6月27日 - 29日 | リヨン | ||
| 23 | 1997年6月20日 - 22日 | デンバー | ||
| 24 | 1998年5月15日 - 17日 | バーミンガム | 初のG8公式サミットかつ、英国初の地方開催サミット。先進国とは言い難い状態だったロシアが加わったため「先進国首脳会議」から「主要国首脳会議」に改称 | |
| 25 | 1999年6月18日 - 20日 | ケルン | ||
| 26 | 2000年7月21日 - 23日 | 名護市 | 通称「九州・沖縄サミット」。日本初の地方開催サミット | |
| 27 | 2001年7月20日 - 22日 | ジェノヴァ | ||
| 28 | 2002年6月26日・27日 | カナナスキス | ||
| 29 | 2003年6月2日・3日 | エビアン | ||
| 30 | 2004年6月8日 - 10日 | シーアイランド | ||
| 31 | 2005年7月6日 - 8日 | グレンイーグルズ | ロンドン同時爆破事件が起こり、予定が大幅変更に。 | |
| 32 | 2006年7月15日 - 17日 | サンクトペテルブルク | ロシアで初開催。 | |
| 33 | 2007年6月6日 - 8日 | ハイリゲンダム | ||
| 34 | 2008年7月7日 - 9日 | 洞爺湖町 | 通称「北海道・洞爺湖サミット」 | |
| 35 | 2009年7月8日 - 10日 | ラクイラ | 2009年4月6日のラクイラ地震で被災したため、国際的な被災地支援を狙い、開催地をラ・マッダレーナから急遽ラクイラに変更。 | |
| 36 | 2010年6月25日 - 27日 | ハンツビル | G8に続き、G20(20か国・地域首脳会議)も同地で開催された。「ムスコカサミット」とも呼ばれる。 | |
| 37 | 2011年5月26日・27日 | ドーヴィル | ||
| 38 | 2012年5月18日・19日 | キャンプデービッド | ||
| 39 | 2013年6月17日・18日 | ロック・アーン | ||
| - | 2014年3月24日 | デン・ハーグ | 核セキュリティ・サミット開催と同時にクリミアのロシア編入に関しての緊急開催。 | |
| 40 | 2014年6月4日・5日 | ブリュッセル | ロシア・ソチで開催予定であった。デン・ハーグで行われた臨時サミットでロシアの参加資格停止が決定され、G8からG7となる公式サミット。 | |
| 41 | 2015年6月7日・8日 | エルマウ | ||
| 42 | 2016年5月26日・27日 | 志摩市 | 通称「伊勢志摩サミット」 | |
| 43 | 2017年5月26日・27日 | タオルミーナ | ||
| 44 | 2018年6月8日・9日 | シャルルボワ | ||
| 45 | 2019年 | ビアリッツ | ||
| 46 | 2020年 |
出席者[編集]
G8リーダー[編集]
第1回はフランス、アメリカ、イギリス、西ドイツ、日本、イタリアの6か国首脳によるG6、第2回から第23回までは6か国にカナダを加えたG7[3]、第24回から第39回までは7か国にロシアを加えたG8。西ドイツは1990年にドイツ再統一が起こったため、第17回からは統一ドイツとして出席している。
1998年から2013年まで、G8は以下の8名で構成される。
第6回はサミット直前に日本国内閣総理大臣大平正芳が急死。大平の後継総理は第36回衆議院議員総選挙、第12回参議院議員通常選挙の衆参同日選挙が終了するまで決定されなかったため総理ポストに空白ができた。サミットには代わって外務大臣の大来佐武郎が出席した。
現在の首脳[編集]
歴代出席者の一覧[編集]
太字は議長。
| 回 | 開催年 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1975年 | ジスカールデスタン | フォード | ウィルソン | シュミット | 三木 | モロ | - | - |
| 2 | 1976年 | ジスカールデスタン | フォード | キャラハン | シュミット | 三木 | モロ | P・トルドー | - |
| 3 | 1977年 | ジスカールデスタン | カーター | キャラハン | シュミット | 福田赳 | アンドレオッティ | P・トルドー | - |
| 4 | 1978年 | ジスカールデスタン | カーター | キャラハン | シュミット | 福田赳 | アンドレオッティ | P・トルドー | - |
| 5 | 1979年 | ジスカールデスタン | カーター | サッチャー | シュミット | 大平 | アンドレオッティ | クラーク | - |
| 6 | 1980年 | ジスカールデスタン | カーター | サッチャー | シュミット | 大来(外相) | コシガ | P・トルドー | - |
| 7 | 1981年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | シュミット | 鈴木 | スパドリーニ | P・トルドー | - |
| 8 | 1982年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | シュミット | 鈴木 | スパドリーニ | P・トルドー | - |
| 9 | 1983年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | コール | 中曽根 | ファンファーニ | P・トルドー | - |
| 10 | 1984年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | コール | 中曽根 | クラクシ | P・トルドー | - |
| 11 | 1985年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | コール | 中曽根 | クラクシ | マルルーニー | - |
| 12 | 1986年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | コール | 中曽根 | クラクシ | マルルーニー | - |
| 13 | 1987年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | コール | 中曽根 | ファンファーニ | マルルーニー | - |
| 14 | 1988年 | ミッテラン | レーガン | サッチャー | コール | 竹下 | デミータ | マルルーニー | - |
| 15 | 1989年 | ミッテラン | ブッシュ(41代) | サッチャー | コール | 宇野 | デミータ | マルルーニー | - |
| 16 | 1990年 | ミッテラン | ブッシュ(41代) | サッチャー | コール | 海部 | アンドレオッティ | マルルーニー | - |
| 17 | 1991年 | ミッテラン | ブッシュ(41代) | メージャー | コール | 海部 | アンドレオッティ | マルルーニー | ゴルバチョフ(ソビエト連邦大統領・ゲスト参加) |
| 18 | 1992年 | ミッテラン | ブッシュ(41代) | メージャー | コール | 宮澤 | アマート | マルルーニー | - |
| 19 | 1993年 | ミッテラン | クリントン | メージャー | コール | 宮澤 | チャンピ | キャンベル | - |
| 20 | 1994年 | ミッテラン | クリントン | メージャー | コール | 村山 | ベルルスコーニ | クレティエン | - |
| 21 | 1995年 | シラク | クリントン | メージャー | コール | 村山 | ディーニ | クレティエン | - |
| 22 | 1996年 | シラク | クリントン | メージャー | コール | 橋本 | プローディ | クレティエン | - |
| 23 | 1997年 | シラク | クリントン | ブレア | コール | 橋本 | プローディ | クレティエン | - |
| 24 | 1998年 | シラク | クリントン | ブレア | コール | 橋本 | プローディ | クレティエン | エリツィン |
| 25 | 1999年 | シラク | クリントン | ブレア | シュレーダー | 小渕 | ダレマ | クレティエン | エリツィン |
| 26 | 2000年 | シラク | クリントン | ブレア | シュレーダー | 森 | アマート | クレティエン | プーチン |
| 27 | 2001年 | シラク | ブッシュ(43代) | ブレア | シュレーダー | 小泉 | ベルルスコーニ | クレティエン | プーチン |
| 28 | 2002年 | シラク | ブッシュ(43代) | ブレア | シュレーダー | 小泉 | ベルルスコーニ | クレティエン | プーチン |
| 29 | 2003年 | シラク | ブッシュ(43代) | ブレア | シュレーダー | 小泉 | ベルルスコーニ | クレティエン | プーチン |
| 30 | 2004年 | シラク | ブッシュ(43代) | ブレア | シュレーダー | 小泉 | ベルルスコーニ | マーティン | プーチン |
| 31 | 2005年 | シラク | ブッシュ(43代) | ブレア | シュレーダー | 小泉 | ベルルスコーニ | マーティン | プーチン |
| 32 | 2006年 | シラク | ブッシュ(43代) | ブレア | メルケル | 小泉 | プローディ | ハーパー | プーチン |
| 33 | 2007年 | サルコジ | ブッシュ(43代) | ブレア | メルケル | 安倍(第1次政権) | プローディ | ハーパー | プーチン |
| 34 | 2008年 | サルコジ | ブッシュ(43代) | ブラウン | メルケル | 福田康 | ベルルスコーニ | ハーパー | メドヴェージェフ |
| 35 | 2009年 | サルコジ | オバマ | ブラウン | メルケル | 麻生 | ベルルスコーニ | ハーパー | メドヴェージェフ |
| 36 | 2010年 | サルコジ | オバマ | キャメロン | メルケル | 菅 | ベルルスコーニ | ハーパー | メドヴェージェフ |
| 37 | 2011年 | サルコジ | オバマ | キャメロン | メルケル | 菅 | ベルルスコーニ | ハーパー | メドヴェージェフ |
| 38 | 2012年 | オランド | オバマ | キャメロン | メルケル | 野田 | モンティ | ハーパー | メドヴェージェフ(首相) |
| 39 | 2013年 | オランド | オバマ | キャメロン | メルケル | 安倍(第2次政権) | レッタ | ハーパー | プーチン |
| 40 | 2014年 | オランド | オバマ | キャメロン | メルケル | 安倍(第2次政権) | レンツィ | ハーパー | (参加資格停止) |
| 41 | 2015年 | オランド | オバマ | キャメロン | メルケル | 安倍(第3次政権) | レンツィ | ハーパー | (参加資格停止) |
| 42 | 2016年 | オランド | オバマ | キャメロン | メルケル | 安倍(第3次政権) | レンツィ | J・トルドー | (参加資格停止) |
| 43 | 2017年 | マクロン | トランプ | メイ | メルケル | 安倍(第3次政権) | ジェンティローニ | J・トルドー | (参加資格停止) |
| 44 | 2018年 | マクロン | トランプ | メイ | メルケル | 安倍(第4次政権) | コンテ | J・トルドー | (参加資格停止) |
記録[編集]
- 1983年から1998年にかけて出席。
- 最多主催回数 - 3回 シルヴィオ・ベルルスコーニ(イタリア)
- イタリアで開催された1994年、2001年、2009年サミットはいずれも議長を務めた。
- 連続年同一出席者 - 3年
その他[編集]
近年では、G8メンバー以外にも様々な政治のリーダーが会合に参加している。どの国を招待するかについては、基本的にはそのときの議長国の判断による。
まず国家首脳として、
の5名である。2005年から3年連続で参加したが、その後は参加していない。これら5カ国はO5(Outreach 5)と呼ばれることもある(特に、メキシコ以外の4か国はBRICS諸国である。ロシアはG8に参加)。
次に国際機関の長として、
このうち欧州理事会議長と欧州委員会委員長はEUを代表してG8の本会合にも参加する。これ以外に経済分野では国際通貨基金専務理事が参加する。
拡大会合参加国[編集]
2010年6月25日の拡大会合が行われた。その参加国は次の通りである。
- アフリカ - アルジェリア・エチオピア・マラウイ・ナイジェリア・セネガル・南アフリカ共和国
- 中南米 - コロンビア・ハイチ・ジャマイカ
シェルパ[編集]
側近達が集まって予備会合を持つことがあるが、こちらは「シェルパ会議」の別名で呼ばれる。サミットが首脳の地位を山頂にたとえることが発端となったことになぞらえ、同行者の意味で随員はシェルパと呼ばれる。シェルパは3名で構成されることが決まっており、日本においては首席シェルパは経済担当外務審議官、次席2名のうち1人は必ず財務官が務める。
主要国首脳会議にまつわる事柄[編集]
首脳の写真撮影の立ち位置[編集]
サミットにおいて恒例となった写真撮影では首脳の立ち位置は毎回変化しているが、この立ち位置にはルールがある。
中央に開催国(議長国)の首脳を配し、国家元首(大統領)か否(首相)かと在任期間の長い順に議長に近い順に左右に並ぶ(平成年間の日本は首相の交代が多かったため端に位置することが多い。一方で、比較的在任期間の長かった中曽根康弘や小泉純一郎、安倍晋三は中央付近に並ぶこともある)[4]。また、アメリカ合衆国で開催される場合ではこのルールはあまりこだわることはなく、議長であるアメリカ大統領との関係で立ち位置が決まることもあった。
転語[編集]
主要国首脳会議がサミットと呼ばれていることから、トップ同士の集まりのことを「サミット」と形容することがある(例:市町村サミット)。
ギャラリー[編集]
関連書籍[編集]
脚注[編集]
- ^ https://www.jimin.jp/news/prioritythemes/diplomacy/127940.html
- ^ ロイター 2014年3月25日配信版
- ^ 1991年の第17回ロンドンサミットにはソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ大統領がゲスト参加した。
- ^ “サミット集合写真、実はシンプルな立ち位置ルール”. 日本経済新聞 (2016年5月26日). 2017年11月7日閲覧。
関連項目[編集]
- 国際関係
- G7(先進国首脳会議)
- G10
- G20(主要20か国・地域)
- インター・アクション・カウンシル
- BRICs
- ヴァレリー・ジスカール・デスタン
- 高瀬淳一(サミットの研究者)
外部リンク[編集]
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