ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国

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ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ロシア連邦[1]
Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика
Российская Федерация
Rossiyskaya Sovetskaya Federativnaya Sotsialisticheskaya Respublika
Rossiyskaya Federatsiya
主権国家 (1917–1922, 1990–1993)
ソビエト連邦社会主義共和国 (1922–1991)

 

1917–1993
 

 



ソビエト時代の国旗 (1954–1991)
独立当時の国旗 (1991–1993)
国章(1978–1993)
標語
Пролетарии всех стран, соединяйтесь! (ロシア語)
万国の労働者よ、団結せよ!
国歌
"労働者のラ・マルセイエーズ" (1917–1918)
"インターナショナル" (1918–1944)
"ソビエト連邦の国歌" (1944–1990)

"愛国歌" (1990–1993)
ソビエト連邦国内におけるロシア連邦共和国の位置(1956年時点)
首都 ペトログラード (1917年–1918年)
モスクワ (1918年3月–1991年)[2]
言語 ロシア語b
政府 連邦制 マルクス・レーニン主義 一党独裁 ソビエト 社会主義共和国
国家元首
 •  1917 レフ・カーメネフc
 •  1990–1991 ボリス・エリツィンd
首相
 •  1917–1924 ウラジーミル・レーニンe
 •  1990–1991 イワン・シラーエフf
 •  1991 ボリス・エリツィンg
議会 ロシア中央執行委員会/全ロシア・ソビエト大会 (1917–38)
ロシア連邦共和国最高会議 (1938–90)
ロシア連邦共和国最高会議/ロシア連邦人民代議員大会 (1990–91)
歴史・時代 20世紀
 •  十月革命 1917年11月7日
 •  ソビエト共和国の成立 1917年11月9日
 •  ソ連邦結成条約 1922年12月30日
 •  主権宣言 1990年6月12日
 •  ベロヴェーシ合意批准 1991年12月12日
 •  ロシア連邦憲法の発効 1993年12月12日
通貨 ソビエト連邦ルーブル (руб) (SUR)
現在 ロシアの旗 ロシア
ベラルーシの旗 ベラルーシ
中華人民共和国の旗 中国
カザフスタンの旗 カザフスタン
キルギスの旗 キルギス
モンゴル国の旗 モンゴル
タジキスタンの旗 タジキスタン
トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン
ウクライナの旗 ウクライナ
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
a. 2000年まで国歌
b. 1937年時点の公用語[3]
c. ロシア中央執行委員会議長
d. ロシア連邦共和国最高会議議長(1990年5月29日から1991年7月10日まで)
e. ロシア連邦共和国人民委員会議議長
f. ロシア連邦共和国閣僚会議議長
g. 大統領
ソ連邦英雄称号を得た7英雄都市
1918年1月19日まではロシア民主連邦共和国との二重政権[4]

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ロシア・ソビエトれんぽうしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語: Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика、略称:РСФСР)は、1917年から1991年まで存在していた、世界初の社会主義国家

また、複数の自治共和国自治州自治管区[5]や、その他の地方区画から構成されていた連邦国家でもある。

1922年以降は、ソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」)の構成国のひとつとなった。

現在のロシア連邦の前身国家に当たる。

概要[編集]

1917年11月7日(旧暦10月25日)、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された左派勢力ボリシェヴィキは、十月革命を引き起こしてロシア臨時政府を打倒。11月9日ソビエト・ロシア共和国として成立した。

ロシア内戦を経て、1922年、ロシア共和国、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国ウクライナ社会主義ソビエト共和国白ロシア・ソビエト社会主義共和国の4ヵ国によってソ連が成立した。

面積、人口共にソ連構成国では最大であった。

ソ連構成共和国の中で唯一独自の国歌を持たず、ソビエト連邦の国歌を使用していた。

国名[編集]

正式名称は、Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика である。略称は РСФСР

日本語では、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国と表記する。また、ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国とも訳される。

通称はロシア共和国、あるいはロシア連邦共和国

国名にある「ソビエト」(: Совет)とは、「評議会」という意味である。

英語での表記は、Russian Soviet Federative Socialist Republic であり、略称はRussian SFSR(ロシアSFSR)、またはRSFSR

なお、1917年の建国時の国名は、ソビエト・ロシア共和国 (ロシア語: Советская Российская Республика; Sovetskaya Rossiyskaya Respublika)であった。

1918年7月19日、ロシア共和国憲法の制定により、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国ロシア語: Росси́йская Социалисти́ческая Федерати́вная Сове́тская Респу́блика)へ改称。この国名は1936年まで使用された。

政治体制[編集]

間接代表制を拒否し、労働者の組織「ソビエト」(協議会、評議会)が、各職場の最下位単位から最高議決単位(最高ソビエト)まで組織されることで国家が構成されていた。

ただし、ソビエト制度が有効に機能した期間はほとんどないに等しく、ソビエトの最小単位から最高単位まで全てに浸透した私的組織(非・国家組織)であるソビエト連邦共産党(以下「ソ連共産党」)が全てのソビエトを支配した、一党独裁制国家であった。党による国家の各単位把握およびその二重権力体制はしばしば「党-国家体制」と呼ばれている。

他のソ連構成共和国と異なり、長い間共和国単位の共産党組織を持たず、ソ連共産党が直接指導にあたっていた。ソ連末期の1990年6月に、ソビエト連邦共産党のロシア支部という位置づけで、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国共産党(以下「ロシア共産党」)が設置された。

最高国家権力として成立当時は、全ロシアソビエト大会およびロシア中央執行委員会が設置されていた。その後、ソ連成立にともない、ソ連全体を統括する最高国家権力機関であるソビエト連邦ソビエト大会、およびソビエト連邦中央執行委員会へ移行。1936年制定の憲法により、ソビエト連邦最高会議へ変更された。

1937年に制定されたロシア共和国憲法により、ロシア共和国内にも最高会議が設置されたものの、ソ連最高会議の決定した内容を追認する機関であった。また、ロシア最高会議幹部会議長(ロシア共和国国家元首)は、ソビエト連邦最高会議幹部会議長(ソ連国家元首[6])が兼任するか、あえて空席にされていた。そのため、ソ連内では長らく形骸化した存在であった。

その後、ソ連末期になってからは、ボリス・エリツィンら急進改革派が台頭して、急激に影響力を持つようになり、最終的にはソ連崩壊ならびにロシア連邦の成立へ至ることになる。

連邦構成主体[編集]

1922年以降は、連邦国家であるソ連の中に連邦国家のロシア共和国が含まれ、さらにその中に共和国等があるという、奇異な国家構成を採っていた。

1991年のソ連崩壊時点で、16の共和国(自治共和国含む)、自治州、自治管区とその他の地方区画から構成されていた。

領土の遍歴[編集]

1922年ソ連成立当時のロシア共和国
1936年当時のロシア共和国

領土については、20世紀半ばまで何度か変化していた。

1936年12月5日、領内にあったカザフ自治ソビエト社会主義共和国キルギス自治ソビエト社会主義共和国が、それぞれカザフ・ソビエト社会主義共和国キルギス・ソビエト社会主義共和国として、ロシア共和国から独立。ソ連構成国となった。

1945年6月30日クリミア自治ソビエト社会主義共和国クリミア州へ変更され、1954年2月19日にウクライナ共和国へ委譲された。

1956年7月16日、ソ連構成国だったカレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国は、カレリア自治ソビエト社会主義共和国へ降格となり、ロシア共和国へ編入された。

以降はソ連崩壊まで領土自体に増減の変化はなかった。

ソ連崩壊まで[編集]

現在使われていない歴史的な旗 1991年8月22日から1991年12月25日までのロシア共和国国旗

ミハイル・ゴルバチョフは、1985年ソ連共産党書記長に就任して以降、一党独裁体制下で腐敗した政治体制を一新するべく、ペレストロイカグラスノスチなどの改革運動を進めた。その一環として、1988年にはそれまでのソ連最高会議に代わり人民代議員大会創設が決定され、1989年3月26日に第1回ソ連人民代議員大会選挙が実施され、ソ連共産党内で失脚していたボリス・エリツィンら急進改革派が多数当選した。

1990年5月に、エリツィンはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の最高会議議長に就任する。6月12日には、第一回人民代議員大会で、国家主権宣言が採択された。7月13日、エリツィンはロシア共産党を離党して最高会議議長を辞任。

1991年6月12日に行われた大統領選挙で、エリツィンは無所属で当選し、大統領に就任した。

8月19日、改革派に反発するゲンナジー・ヤナーエフら守旧派はソ連8月クーデターを起こしたが、エリツィンら改革派や市民の抵抗に遭って失敗。 8月24日、ゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任し、同時に共産党中央委員会の解散を勧告、8月28日、ソ連最高会議はソ連共産党の活動を全面的に禁止する決議を採択し、ソ連共産党は事実上の解体に追い込まれた。

ロシア共和国はソ連から一層離反した独自路線に走ることになった。まず8月22日に、ロシア共和国最高会議は「水平方向に白、瑠璃色、緋色の帯を等幅に配した布」をロシア共和国の新たな国旗とする、と決定した[7]。同年12月1日、ロシア共和国憲法にも国旗の変更が反映された (ru, ru)。

8月25日に、エリツィンはロシア共産党の活動の一時停止を定めた法令を出し、また同党の資産を没収した。さらにエリツィンは11月6日、同党の活動を全面的に禁止し、ロシア共産党は崩壊に追い込まれた。

11月14日、8月20日に予定されていた新連邦条約の交渉が改めて行われ、ロシア共和国とベラルーシ共和国、そして中央アジアの5つの共和国の元首との間で主権国家連邦を創設することで合意し、ソ連の国名を「主権国家連邦(Союз Суверенных Государств)」とすることが決まった。

しかし12月1日に、ウクライナ共和国で独立の是非を問う国民投票が実施され投票者の90.3%が独立を支持した。当初は連邦制維持に賛成していたエリツィンも、5000万の人口を擁しソ連第2位の工業国であるウクライナが加盟しない主権国家連邦に、ロシア共和国が加入することは利益にならないとして、12月3日にウクライナ独立を承認した。

12月8日のベロヴェーシ合意において、ロシア共和国、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国はソ連を離脱して、新たに独立国家共同体(CIS)を創設。残るソ連構成国もそれに倣ってCISに加入した。

12月17日、ゴルバチョフは1991年中にソ連政府が活動を停止することを宣言。12月21日、グルジアと既に独立したバルト3国を除く11のソ連構成共和国元首がCIS発足やソ連解体を決議したアルマアタ宣言を採択。

これを受けて12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任し、ソ連は崩壊した。同日、ロシア共和国は正式にソ連から独立し、ロシア共和国最高会議決議によって「ロシア連邦」へ改称。以降、ソ連の継承国となった。

脚注[編集]

  1. ^ 歴代の国名:
    • 1917: ソビエト・ロシア共和国 (ロシア語: Советская Российская Республика; Sovetskaya Rossiyskaya Respublika)
    • 1918–1936: ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 (ロシア語: Российская Социалистическая Федеративная Советская Республика; Rossiyskaya Sotsialisticheskaya Federativnaya Sovetskaya Respublika)
    • 1936–1991: ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 (ロシア語: Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика; Rossiyskaya Sotsialisticheskaya Federativnaya Sovetskaya Respublika)
    • 1991–1993: ロシア連邦 (ロシア語: Российская Федерация; Rossiyskaya Federatsiya )
  2. ^ LENINE'S MIGRATION A QUEER SCENE, Arthur Ransome for The New York Times, March 16, 1918.
  3. ^ article 114 of the 1937 Constitution, article 171 of the 1978 Constitution
  4. ^ Riasanovsky, Nicholas (2000). A History of Russia (sixth edition). Oxford University Press. p. 458. ISBN 0-19-512179-1. 
  5. ^ 1977年制定の憲法以前は「民族管区」と呼ばれていた。
  6. ^ ただし、実質的にソ連を支配していたのは、ソビエト連邦共産党書記長である。
  7. ^ Постановление Верховного Совета РСФСР от от 22 августа 1991 г. № 1627 / I—I Об официальном признании и использовании Национального флага РСФСР”. BestPravo.ru. 2016年1月30日閲覧。