ロシア共和国
- ロシア共和国/ロシア民主連邦共和国
- Российская Республика
Россійская Демократическая Федеративная Республика -
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(国旗) (国章) - 国歌: Рабочая Марсельеза
労働者のラ・マルセイエーズ
統制下にあった地域(10月革命以前)-
公用語 ロシア語 宗教 ロシア正教 首都 ペトログラード - 首相
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1917年3月15日 - 1917年7月21日 ゲオルギー・リヴォフ 1917年7月21日 - 1917年11月7日 アレクサンドル・ケレンスキー 1917年11月7日 - 1918年1月17日 不在 1918年1月18日 - 1918年1月18日 ヴィクトル・チェルノフ - 変遷
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2月革命 1917年3月8日-1917年3月12日 ニコライ2世の退位 1917年3月15日 臨時政府の成立 1917年3月16日 国号変更 1918年1月18日 ボリシェヴィキにより解体 1918年1月19日
通貨 ルーブル 現在 ロシア
ロシア共和国(ロシアきょうわこく、ロシア語: Российская Республика)は、二月革命後、ロシアに成立した短命国家である。
翌年1月18日にはロシア政体法令によりロシア民主連邦共和国(ロシアみんしゅれんぽうきょうわこく、ロシア語: Россійская Демократическая Федеративная Республика)に国号が変更されたが、翌日にボリシェヴィキの手によって解体された[1]。
沿革
[編集]共和国成立まで
[編集]臨時政府の成立
[編集]二月革命後、ニコライ2世が退位したことによってペトログラードには1917年3月16日、立憲民主党員グレゴリー・リヴォフ率いるロシア臨時政府が成立した。
この臨時政府は崩壊までの間、社会革命党、立憲民主党、ロシア進歩党、オクチャブリスト、トルドヴィキ、メンシェヴィキ、人民社会党、正教会による大規模な連立によって維持されていた。
リヴォフ率いる臨時政府
[編集]ロシア臨時政府設立に尽力したリヴォフは、同政府初代大臣評議会議長、及び内務大臣という重要ポストを併任した。彼は政権掌握後、ロシアの民主化改革に力を入れた。共和国では彼の手腕の下、普通選挙が整備され、報道と言論の自由が認められ、死刑が廃止され、宗教、階級、人種に関するすべての法的制限が撤廃された[2]。一方で中央同盟国との戦争継続を図ったことから、兵士や労働者らの支持は芳しくなく、ソビエトへ支持が集中することとなった。
ケレンスキーの実権掌握
[編集]結果的に臨時政府の影響力を落としてしまったリヴォフは同年7月に辞任し、(前)陸海軍大臣であった社会革命党党員のアレクサンドル・ケレンスキーが政権を掌握した。
臨時政府成立当初から混迷を極めるロシア国内と同じように、臨時政府による軍の支配は揺らいでおり、バルチック艦隊の船員は極左思想に感化され、首都ペトログラードでの過激な政治活動に公然と参加していた。また、首相のケレンスキーと軍最高総司令官のラーヴル・コルニーロフは互いに不信感を重ねており、1917年8月にはコルニーロフが反乱を起こす結果(コルニーロフ事件)に至った。しかしこの反乱は鎮圧されたことによって失敗した。
ケレンスキーは反乱鎮圧後の1917年9月1日にロシア共和国を宣言し、翌月3日にはロシア共和国臨時議会を招集した。また、将来的な憲法制定に向けて全ロシア憲法制定議会も設置し、ロシアの新たな国家体制を築こうと考えた。
しかし、依然として中央同盟国との停戦を呑むことができないケレンスキーらに、兵士、労働者を支持基盤とするボルシェヴィキは臨時政府に不満を溜め込んでいた。
結果、1917年11月7日に十月革命が発生し、ロシア臨時政府は解体された。しかしこの動きに反発する民主主義者らは同月25日に制限選挙を実施し、全ロシア憲法制定議会の議員を選定した。
解体
[編集]そして翌年の1月18日、憲法制定議会はロシア共和国の政体を民主連邦共和国とすることを盛り込んだ政体法令を宣言した。しかし、宣言の翌日にボリシェヴィキによって共和国は憲法制定議会諸共解体された[1]。
名称
[編集]尚、初めて国号が定められたのは1917年9月1日である[3]。そのため1917年3月15日のニコライ2世退位から同年9月1日までの間、ロシア共和国と国号が定められていた事実はないが、複数政党の連立による共和政をとっていたことから便宜上この期間においても同地に存在した国家を指して「ロシア共和国」と呼ばれることがある。
また、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国において1918年ソビエト憲法で「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」という正式名称が採用されるまで、ボリシェヴィキは自分たちの国家を「ロシア共和国」と呼ぶこともあった[4]。
関連項目、索引
[編集](特に断りが無ければ50音順)
- アレクサンドル・ケレンスキー - ロシア臨時政府第3代首相。ロシア共和国初代首相。十月革命後にフランスへ亡命。
- ウラジーミル・レーニン - ボリシェヴィキや十月革命の指導者。後にソビエト連邦初代人民委員会議議長。
- オクチャブリスト - 立憲民主党 (ロシア)よりも穏健な自由主義政党。後にボリシェヴィキと対立。
- グレゴリー・リヴォフ - ロシア臨時政府初代、第2代首相。後にシベリア共和国に合流するも、フランスで亡命生活を送る。
- 社会革命党 - 全ロシア憲法制定議会において第1党であった中道左派政党。後にボリシェヴィキと対立。
- 社会主義 - 資本主義に反対する経済・政治思想。共産主義やマルクス主義、社会民主主義もこの一種であるとされる。
- 全ロシア憲法制定議会 - ロシアにおける新たな憲法を制定するために招集された制憲議会。ボリシェヴィキによって瓦解。
- ソビエト連邦 - 正式にはソビエト社会主義共和国連邦。ソビエト・ロシアを中核としたユーラシアの社会主義連邦国家。
- ペトログラード - サンクトペテルブルクの旧称。ロシア帝国及びロシア共和国の首都が置かれた。
- ペトログラード労兵ソビエト - 首都ペトログラードに置かれ、臨時政府と対立した評議会。
- ボリシェヴィキ - ロシア社会民主労働党のレーニン派による急進左派政党。ソビエト連邦共産党の前身。
- メンシェヴィキ - ロシア社会民主労働党の穏健派による中道左派政党。後にボリシェヴィキと対立。
- 立憲民主党 (ロシア) - 二月革命後の第1次臨時政府において政権を担った中道右派政党[5]。後にボリシェヴィキと対立。
- ロシア社会民主労働党 - ソビエト連邦共産党の前身となったロシア帝国の社会主義政党。
- ロシア帝国 - ロシア最後の君主主義国家。皇帝による専政が行われたが戦争によって国内を混乱を招き、二月革命に至った。
- ロシア内戦 - 十月革命後に始まった20世紀最大規模の内戦。800万人以上の死傷者を生み[6]、ソビエト連邦が誕生した。
- ロシア臨時政府 - 二月革命後にロシア帝国に代わってロシア国内を統治した臨時政府。後にロシア共和国を成立。
- 二月革命 - ニコライ2世が退位し、立憲民主党 (ロシア)を中核としたロシア臨時政府が成立した民主革命。
- 十月革命 - ロシア共和国を打倒し、ボリシェヴィキを母体としたソビエト社会主義ロシア共和国が成立した赤色革命。
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脚注
[編集]- ^ a b “Конституция Российской демократической Федеративной республики 1917 года”. Waybackmachine. 2025年5月21日閲覧。
- ^ Figes, Orlando (2017). A People's Tragedy: A History of the Russian Revolution. Random House. p. 358. ISBN 9781448112647 2021年5月22日閲覧。
- ^ “Провозглашена Российская республика”. エリツィン大統領図書館. 2025年5月21日閲覧。
- ^ Beevor, Antony (2022/5/26). Russia: Revolution and Civil War. Weidenfeld & Nicolson. p. 46. ISBN 9780593493885
- ^ 池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波書店〈岩波新書〉、2017年、45頁。ISBN 9784004316374。
- ^ “RUSSIAN CIVIL WAR 1918-22”. SPI. 2025年6月9日閲覧。