ボリシェヴィキ
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ボリシェヴィキ(ロシア語: большевики、bol'sheviki、「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。ボリシェビキ、ボルシェヴィキ、ボルシェビキとも呼称され、戦前の日本国内における刊行物等の資料では、ボルシエヴィキー、ボルシエヴィキなどの表記が用いられている。単数形はボリシェヴィク(большевик)。
概説[編集]
1917年の十月革命以前から活動していた者は特にオールド・ボリシェヴィキと呼ばれる。ボリシェヴィキはメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴は、そのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた。
なおドイツではボルシェヴィズムス(Bolschewismus)は第一義的にロシアの共産主義者を指し、帝政ドイツからナチス時代には、ドイツの社会民主主義よりさらに急進的な過激派という意味でも用いられた[1]。
ロシア革命時には「パン・土地・平和」をスローガンとして掲げた。平和を求める大衆の意見を尊重すべきとのトロツキーの意見が反映されている。
ボリシェヴィキはAmerican International Corporationから財政支援を受けていた。同社は1915年、Frank A. Vanderlipを会長としてニューヨークに設立された。出資者はジョン・モルガン、ロックフェラー、ジェームズ・スティルマン。1917年の役員はPierre S. du Pont、Percy Avery Rockefeller、Albert H. Wiggin、Beekman Winthrop、そしてEmpire Trust CompanyのMatthew C. Brushであった。[要出典]
思想[編集]
ボリシェヴィキの思想的、政治的立場はボリシェビズム[2]、またはボルシェビズムと呼ばれ[3][4]、広義においては共産主義やマルクス主義の潮流たるレーニン主義と同義である[3][5]。もともとはロシア社会民主労働党左派の思想で、ドイツ社会民主党のような大衆政党を目指していたメンシェビキに対し、組織原則として少数精鋭主義的な職業革命家を中心とする中央集権型前衛党の指導のもとでの革命的な闘争によってプロレタリア独裁を目指し、労農同盟を打ち出してマルクス主義をロシアに適応させようとした[3][4]。また、メンシェビキがロシアの革命はブルジョア革命であるとしたのに対して、ボルシェビキはブルジョア革命からプロレタリア革命への連続転化の理論を主張、ソビエト連邦に指導されるボルシェビズムはコミンテルンを中心にロシア型の運動論、組織論を展開する[3]。
その他の用法[編集]
なお、日本では、ロシア革命時に主導権を握ったレーニンらのボルシェヴィキを過激派と和訳した。
学生運動において、自らをボルシェヴィキと称した者がいた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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