冬将軍

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ロシアの「冬将軍」を描いたLe Petit Journalの表紙(1916年)

冬将軍(ふゆしょうぐん、英語: General WinterGeneral Frost)とは厳しいの様子を擬人化した表現である。日本では特に、冬季に周期的に南下する北極気団(シベリア寒気団)を指す。

解説[編集]

日本では冬将軍が到来すると日本海側に強い降雪をもたらし、太平洋側では乾燥した北西風が吹き荒れる。

標高の高い関東山地を越えて雪雲が東京に流れ込むことは少ない。しかし、太平洋日本海が最も接近する名古屋敦賀の間は回廊のような地形である伊吹山地が雪雲の通り道となり、太平洋岸の名古屋周辺に雪をもたらす。

朝鮮半島中国東北部では、冬将軍は三寒四温となって現れる。冬将軍が到来すると気温は10度以上低下し、去れば元に戻る。7月のソウルの月平均気温が東京とほぼ同じであるにも拘らず1月の月平均気温が、ソウルよりも高緯度の函館とほぼ同じであるのはシベリアとの間にがなく、北極気団に直撃されるためである。

語源[編集]

ロシアに対する諸外国からの軍事的攻撃は、ロシアにおける冬の厳しい気候によって過去に幾度も失敗してきた歴史がある。

「冬将軍」の語源は、1812年ロシア戦役でのフランス軍の敗退をイギリスの風刺画家が「GENERAL FROST Shaveing Little BONEY」と表現したことであるとされる[1]。実際には、モスクワ退却は10月19日から始まっており、この年のモスクワにおける初雪は11月5日であった。

「冬将軍」と歴史[編集]

ロシアロシア帝国時代、ソビエト連邦時代)はその気候の利を生かして18世紀大北方戦争19世紀ロシア戦役ナポレオン戦争)、20世紀独ソ戦第二次世界大戦)においてそれぞれ交戦国であったカール12世スウェーデンバルト帝国)、ナポレオンフランスフランス帝国)、ヒトラードイツ第三帝国)の軍隊に甚大な損害を与えたことは有名であり、いずれの敵も撃退されている。

しかし、13世紀に侵攻してきたモンゴル帝国に対してはタイガが凍りつく真冬に侵攻されたために冬将軍が通用せず、モスクワキエフなどの主要都市が占領されている(冬季のモンゴル高原はロシア以上の厳冬になるため、モンゴル人・モンゴル馬が寒さに耐えうることも通用しなかった要因の1つである)。また、大北方戦争の冬季戦にあってもロシア軍は上述のカール12世率いるスウェーデン軍に大敗北を喫している。結局、ロシア軍は冬と春を通じての攻城戦を耐え、疲弊したスウェーデン軍に対して夏に攻勢をかけ勝利を収めたのであった。

脚注[編集]

関連項目[編集]