侵略

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侵略(しんりゃく、aggression)とは、国際法上、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権領土独立を侵すことを意味する。軍事学概念としての侵攻(invasion)が目的を問わず相手方勢力・領域を攻撃する行動を指すのとは異なり、相手の主権・政治的独立を奪う目的の有無に注目した用語である。また、侵略のために武力を行使して戦争を起こすことを侵略戦争と言う。

概要[編集]

今日の意味での「侵略」aggressionが使用されたのは1919年のヴェルサイユ条約においてであり、231条の戦争責任条項[1]に明記されたことを端緒とする[2][3]。aggressionという語そのものは「攻撃性」「積極性」を指す一般名詞(形容詞は aggressive)である。侵略戦争に対する裁判を記録した最古のものとしては1268年のホーエンシュタウフェン朝コッラディーノのイタリア侵攻に対するものが残されている[4]。 反対に、二国間以上で正式に合意された条約などに基づき、他国が軍を駐留させるといった行為は侵略にあたらない。例えばアメリカによる日本各地での駐留軍は、日米安全保障条約に基づいて内外の了承を得ているもののため、日本への侵略行為には当たらない。

侵略の定義[編集]

背景[編集]

植民地支配と侵略の意味合いの違いは、明確な区別をつけることがしばしば難しいとされてきた。この問いは、システム的かそうでないかという定義付けもされたが、厳密に区分けすることは困難であった[5]。 この問題の背景には、欧米列強による植民地支配が、アフリカ大陸アジア諸国、アメリカ大陸など世界中で歴史的に行われてきたことにある。オランダは約350年にわたりインドネシアで強制的栽培制度でコーヒーなどの作物をプランテーションで栽培させた。またフランスインドシナ半島東部にて、土地没収令を敷き、農民は小作人からさらに債務奴隷へと没落した。イギリスは、インドにてムガル皇帝を廃して東インド会社を設立、綿織物で利益を上げ、その後インドにケシ栽培を強制し、大量のアヘン中国に密輸し、を取り締まったことを口実にアヘン戦争を仕掛け、香港租借に至った。 日本は太平洋戦争において中国、韓国東南アジアへの侵攻を行ったとされているが、東京裁判において侵略国家としての戦争責任を追求され、戦後70年を経ても日本の戦争謝罪日本の戦争賠償と戦後補償を続けている。

模索[編集]

現代国際法上における侵略の定義については西欧国際法における国際犯罪概念の発展段階により徐々に形成されてきたものであった。国際連盟期における国際連盟規約11条、ジュネーブ議定書ロカルノ条約不戦条約などで戦争の違法化が合意されつつあったものの、侵略の定義化は非常に困難であった。オースティン・チェンバレンは侵略を定義すれば無実のものにとっては罠となり、侵略を企図する者にとっては抜け道を探すための基準となると述べ、その定義化に反対している[6]ラムゼイ・マクドナルドが「侵略の責任の帰着を判定するの能のある者は戦後五十年を経て筆を執る歴史家であって、開戦の際における政治家にあらず」と述べている[7]。その後国際軍縮会議で一応の合意が見られたのは、国際条約上の義務を無視して開戦した場合に侵略とされるということであったが、条約違反の認定で相互に意見が異なるのは当然であり、問題が完全に決着したとは言い難い情況であった[8]

明文として侵略を定義した条約としてはソビエト連邦および周辺諸国を中心として締約された侵略の定義に関する条約英語版が最初のものである(1933年7月3日署名、1933年10月16日発効)。しかしこの条約自体は東欧圏を中心とした8カ国(のち9カ国)によるものにとどまり、国際的な承認を受けたものとは言いがたいものであった。

国際連合による侵略の定義の決議[編集]

国際連合発足後、朝鮮戦争に関する討議が行われている最中の1950年11月3日、ソビエト連邦代表は侵略の用件を列挙する形で侵略の定義の決議案を提出した。しかし列挙方式か、一般的抽象表現で行うかについて争いがあり、いずれの提案も成立しなかった[9]。その後たびたび侵略の定義に関する特別委員会が設置されて討議が行われたが、結論が出たのは24年後の1974年になってからであり、12月14日国際連合総会決議3314が成立した[9]

しかしこの総会決議による定義は各国に対する拘束力はなく、現在もある国家実行を侵略と認定するのは国際連合安全保障理事会に委ねられている。国連総会で侵略の定義についての一応の合意があったことは事実ではあるが、依然としてその解釈や有効性については争いがある。

2010年6月11日カンパラで開かれた国際刑事裁判所ローマ規程再検討会議において、国連総会決議3314を下地に規程独自の定義を盛り込んだ同規程の改正決議が採択された。同規程の改正は2012年5月現在発効していないが、ローマ規程の締約国(現在121カ国)に憲法上の手続きに則った批准を求める点で、これまでの国際条約の中で最も拘束力を持つ定義となる可能性がある。(→侵略犯罪

批判[編集]

長谷川三千子は、侵略という語はヴェルサイユ条約以来「戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪」のレッテルとして登場した経緯があり、国際社会において法の支配ではなく力の支配を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させる概念であると指摘する[10]

脚注[編集]

  1. ^ The Allied and Associated Governments affirm and Germany accepts the responsibility of Germany and her allies for causing all the loss and damage to which the Allied and Associated Governments and their nationals have been subjected as a consequence of the war imposed upon them by the aggression of Germany and her allies.(連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める)。邦訳は長谷川2015による。
  2. ^ 『歴史を見る目歪める「北岡発言」』長谷川三千子(産経新聞「正論」2015.3.17)[1]
  3. ^ Stephen C. Neff (2005). war and the Law of Nations: A General History .Cambridge UP.[2]P.289
  4. ^ Cryer (et al), Robert (2010). An introduction to international criminal law and procedure (2nd ed. ed.). Cambridge [UK]: Cambridge University Press. p. 312. ISBN 978-0-521-13581-8.
  5. ^ Patrick Wolfe, "Settler Colonialism and the Elimination of the Native", Journal of Genocide Research, 2006.
  6. ^ 日暮吉延 2011, pp. 21.
  7. ^ 日暮吉延 2011, pp. 18.
  8. ^ 日暮吉延 2011, pp. 19.
  9. ^ a b 土屋茂樹 1981, pp. 33.
  10. ^ 『歴史を見る目歪める「北岡発言」』長谷川三千子(産経新聞「正論」2015.3.17)[3]

参考文献[編集]

  • 土屋茂樹「侵略の定義 : 国際連合における発展」 、『滋賀大学教育学部紀要. 人文科学・社会科学・教育科学』第31号、滋賀大学、1981年、 pp.33-38、 NAID 110001031865
  • 日暮吉延「国際法における侵略と自衛 : 信夫淳平「交戦権拘束の諸条約」を読む」 、『法学論集』45(2)、鹿児島大学、2011年、 pp. 1-41、 NAID 40019193506


関連項目[編集]