オースティン・チェンバレン
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| Sir Austen Chamberlain オースティン・チェンバレン | |
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オースティン・チェンバレン(1920) | |
| 外務・英連邦大臣 | |
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任期 1924年11月3日 – 1929年6月4日 | |
| 首相 | スタンリー・ボールドウィン |
| 前任者 | ラムゼイ・マクドナルド |
| 後任者 | アーサー・ヘンダーソン |
| 個人情報 | |
| 生誕 |
Joseph Austen Chamberlain 1863年10月16日 |
| 死没 |
1937年3月16日(73歳) |
| 国籍 |
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| 政党 |
自由統一党 保守党 |
| 教育 | トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学) |
| 署名 |
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サー・ジョゼフ・オースティン・チェンバレン(Sir Joseph Austen Chamberlain、1863年10月16日 - 1937年3月17日)は、イギリスの政治家。バーミンガム出身。ジョゼフ・チェンバレンの長男。ネヴィル・チェンバレンは異母弟。
経歴[編集]
ケンブリッジ大学に学んだのち、1892年に自由統一党員として下院に入り、1900年から1902年に大蔵財務次官、1902年から1903年に郵政長官、1903年から1905年に財務相、第一次世界大戦中の1915年から1917年の連立内閣にインド事務相、戦後の1919年から1921年に財務相を歴任した。1924年から1929年に第2次ボールドウィン内閣の外相となり、1925年にロカルノ条約締結に成功してガーター勲章を授けられ、ノーベル平和賞を受賞した。また国際連盟を強力に支持して軍縮に尽力した。1931年、マクドナルドの挙国一致内閣に一時海軍相として入閣したがまもなく辞職し、その後政界の長老としてドイツにおけるナチス台頭の危険を警告した(1933年 - 1934年)。
著書[編集]
著書に『現代の平和』(1928年)がある。
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