油井大三郎

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油井 大三郎(ゆい だいざぶろう、1945年12月2日 - )は、日本の歴史学者東京女子大学現代文化学部特任教授東京大学名誉教授、一橋大学名誉教授。専門はアメリカ現代史。

概略[編集]

神奈川県鎌倉市生まれ。1964年麻布高等学校卒業。1968年東京大学教養学部を卒業。1974年、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1987年一橋大学より社会学博士の学位を取得。

1990年、『未完の占領改革』で第2回毎日新聞社アジア・太平洋賞特別賞受賞。アメリカ学会会長を2004年から2006年まで務めた。

祖父は法学者鈴木義男[1]

人物[編集]

  • 論文で北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮人民共和国と略)」と記述して、全て朝鮮人民共和国と表記している[2]
  • 世界』(2005年1月号)の中村政則との対談で、第二次核危機以降軍事的緊張が極大化した東アジアについて、北朝鮮の核兵器開発や拉致問題中国の軍拡などは一言も批判せず、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝は東アジアの和解にマイナスになっていると思うんですよ、と小泉首相(当時)の靖国参拝を問題視した。
  • 世界』(2005年1月号)の中村政則との対談で、吉見義明氏が岩波新書から1995年に『従軍慰安婦』を刊行して従軍慰安婦に対する日本軍の強制連行があったことが立証されたのに、それに対する歴史修正主義バックラッシュ新しい歴史教科書をつくる会1996年に結成されたと批判した。
  • 韓国併合は日本軍の占領、王后の殺害、王への脅迫によって実現されたもので、力によって朝鮮民族の意志を踏みにじったもので、韓国皇帝が同意したのは神話であり、全文も本文も偽りであり、併合条約は不義不当である(00年日韓知識人共同声明より)という「『韓国併合』-00年日韓知識人共同声明-」に賛同者として署名している[3]。これについて古田博司は、「韓国で日韓併合条約無効論が盛りあがりを見せ、日本の非良心的・反進歩的知識人が5月に、それに同調する声明を出した」と評している[4]
  • 吉見義明教授の裁判闘争を支持し、『慰安婦』問題の根本的解決を求める研究者の声明」の賛同人である[5]
  • 河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明」に賛同署名しており、「近隣諸国との協調は21世紀の日本にとって不可欠の課題です。過去を率直に反省することで、近隣諸国の理解をうる姿勢を広く国民の間に広める活動が重要と思います」というコメントを寄こしている[6]
  • 第2次安倍内閣における集団的自衛権を限定的に行使することができる憲法解釈に反対しており、抑止力というのは相手が信用できないので、軍地的に威圧するという考え方であり、相手が軍事力を拡大すれば、それを上回る軍事力を作るため軍備拡張し、緊張を激化させ、緊張状態になると少しのきっかけで戦争が拡大してしまい、軍事同盟で戦争を抑止するという発想も戦争を誘発する危険があるとして、「集団的自衛権で米国との軍事的関係を強め、他国からの攻撃を抑えるというのが安倍晋三首相の発想だ。こうした『抑止力』の理論は、相互不信に基づくもので、戦争を招きやすく、非常に危険だし、いかにも古めかしい」「安倍首相は『日本を取り巻く環境は厳しくなっている』と抽象的な説明を繰り返すが、隣国との関係を改善する努力はみられない」「ナショナリズムが軍事力に結びつくと戦争が起きやすい。それを欧州は歴史から学び、欧州連合をつくった。日中韓も経済共同体的な構想をもち、和解を進めるべきだ。妥協し合えるようになれば軍事力で対抗する必要もなくなるはずだ」「『今回の安保法案が成立しても、米国の戦争に巻き込まれることはありません』と安倍首相は国会などの答弁で繰り返し述べてきました。しかし、戦後日米関係の歴史を紐解けば、この発言の空々しさがすぐに見て取れます」「米国側では、共和党系のアーミテージ元国務副長官や民主党系のナイ元国防次官補などが超党派の民間団体として2007年に発表した提言の中で、中国の軍事的台頭や北朝鮮の核保有の脅威などを根拠に、2020年ごろにはアジアにおける米国の一極支配はあり得ないので、改憲によって日本が自衛隊の海外派兵を可能にするように提案していました。今回の解釈改憲という強引な方法で『集団的自衛権』行使を可能にさせようとする安保法案は、まさにアーミテージ・ナイ提言の方向に沿うもの」と批判している[7][8][9]
  • 安倍晋三首相の靖国神社参拝について、「主権回復を果たしたサンフランシスコ講和条約の11条で、極東国際軍事裁判の判決を受け入れることが明記されている。『侵略戦争』との反省に立った戦後日本の前提を、首相の公式参拝は否定することになる」「靖国は戦前の天皇中心国家の象徴的な存在で、首相の参拝は日本が戦前回帰している印象を与えかねない」「満州事変から太平洋戦争までの一連の戦争の評価をめぐっては、戦後ずっと自民党の保守政治家らが、『自衛戦争』『アジアを解放する戦争』などと国内向けには言いながら、対外的には東京裁判を受け入れる姿勢を示してきた。いわば、『ダブルスタンダード』な歴史認識がまかり通っていた」「米国が戦略的に見逃してきたダブルスタンダードな歴史認識のつけが今、回ってきている」「米国でも、日本軍に捕虜となった元米兵が、日本に対して補償を要求している。きっかけは、戦時中、米政府によって強制収容された日系人への補償法が1988年に成立したことだ。戦勝国の米国が過ちを認め、負けた日本はなぜ何もしない、との憤りだ。従軍慰安婦の問題も広がり、戦争を反省していない日本人のイメージが根強いことを認識するべきだろう」と批判している[10]。なお油井は、朝鮮戦争について、北朝鮮による侵略戦争ではなく、北朝鮮による解放戦争だったというダブルスタンダードな歴史認識を言っている(後述)。
  • 2017年度告示の高校学習指導要領にあわせて、高校の歴史教科書に盛り込むべき基礎用語を教科書会社や入試関係者に提言する「高大連携歴史教育研究会」の会長を務めているが、その提言の精選案では、現在の教科書の基礎用語は「多すぎる」として、現在の世界史約3300語、日本史約3600語から各1600語まで削るべきだとして、「坂本龍馬」「吉田松陰」「武田信玄」等は削除すべきとする一方、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」等を採用していることから、「特定の見方を押しつけられることのないよう留意すべき」と用語の選定基準の恣意性を『読売新聞』や『産経新聞』から問題視されている[11][12][13][14][15][16][17]

主張[編集]

1985年9月が底本の『講座 日本歴史 11 現代1』(東京大学出版会)に、論文「朝鮮戦争片面講和」を寄稿している。そのなかで、朝鮮戦争が北朝鮮による侵略戦争であることを否認、「解放戦争」「統一戦争」と称している。また朝鮮戦争が韓国北朝鮮を侵略した「北侵」、もしくは韓国が北朝鮮に軍事挑発を行い、それに対して北朝鮮が反撃を加えた「南侵誘導」を示唆しており、I・F・ストーン英語版『秘史朝鮮戦争』とD・W・W・コンデ『朝鮮戦争の歴史』の説を検討すべきと主張しており[注釈 1]、「独立国家韓国に対する朝鮮人民共和国側の侵略と言いうるか、が問題となる」として、韓国=「独立国家」と「侵略」に引用符を付けている[注釈 2][注釈 3]。そして、朝鮮戦争における米軍国連の介入を「干渉」「ジェノサイド」「なぜ、内戦に外国軍隊が介入し、国際化されたのか、が問われるべき」、北朝鮮を「革命的民族運動」と主張している[注釈 4][注釈 5]。また国連安全保障理事会において、中国を「侵略者」と定義する決議が可決されたことを「かえって合衆国政府による中国を『侵略者』と宣言する決議が国連総会で可決されるにいたった」と、中国が「侵略者」であることも否認している[注釈 6]サンフランシスコ講和条約が全面講和ではなく単独講和(片面講和)であったこと、米韓相互防衛条約日米安全保障条約による米軍の駐留にも否定的な見解を述べている。一方、ソ連崩壊後の1998年が底本の『世界の歴史28』(中央公論社)では、ブルース・カミングス『朝鮮戦争の起源』や和田春樹『朝鮮戦争』を参考文献に挙げて、「戦争が北朝鮮による武力統一をめざした『内戦』の性格をもっていたことが明らかになっている」と修正説を主張している[注釈 7]

朝鮮戦争
  • 「朝鮮人民共和国側も、途中から防衛戦争を民族統一戦争に転化したことは認めているのであるから、もう一つの問題として、その場合でも、トルーマン声明のように、『独立国家』韓国に対する朝鮮人民共和国側の『侵略』と言いうるか、が問題となる。また、それを中ソを含めた国際共産主義運動の計画的『侵略』のごとく主張する根拠があるのか、も問題となろう[27]
  • 「朝鮮戦争の内戦的性格[27]
  • 「開戦の朝鮮人民共和国・ソ連・中国共謀説をとる研究者は、しばしば『フルシチョフ回顧録』第1巻の中に、金日成が1949年末と50年3月に訪ソし、南進についてスターリン毛沢東の了解をとりつけたとの記述を引用するが、この回顧録の中には次の記述もある。つまり、『朝鮮戦争はスターリンの考えではなく、金日成の考えであったことを私は強調せねばならない。金が発案者だった。勿論、スターリンは思い止まらせようとはしなかった。私の意見では、真の共産主義者なら、金日成が李承晩やアメリカの反動的影響から南朝鮮を解放しようというやむにやまれぬ願いを思い止まらせたりしなかっただろう』と。つまり、『フルシチョフ回顧録』が信頼できるとしても、それが物語るのは、朝鮮戦争の民族解放戦争的側面[28]
  • 「トルーマン政権内の一部機関、とくに、マッカーサーダレスの動きについては依然不明な点が多い。とりわけ、1950年2月に東京で行われた李承晩・マッカーサー会談で韓国への軍事物資供給や将校の訓練計画が決定されたとの説や開戦直前に訪韓したダレスが李承晩に対して約束した『支援』の内容の検討が不可欠であろう。ダレスとマッカーサーが、開戦後、合衆国政府内部で米地上軍の投入のみならず、38度線以北への侵攻をいち早く主張した人物であるだけになおさらである[29]
  • 「検討すべきは、I.F. ストーン英語版(『秘史朝鮮戦争』)やD・W・W・コンデ(『朝鮮戦争の歴史』)が早くから提起していた仮説、つまり、李承晩政権が朝鮮人民共和国側の南進を挑発して、米軍の介入を誘発し、その力を借りて朝鮮の武力統一を達成する計画をたて、マッカーサーやダレスがその計画に事前の了解を与えていた可能性[29]
  • 「第一は、1950年5月末の韓国議会選挙で大敗を喫したうえ、悪性インフレ等の経済困難に直面していた李承晩政権がみずからの延命のために、朝鮮人民共和国軍の南進を挑発した可能性[30]
  • 「第二には、米ソ共同委員会の決裂、国連総会による韓国政府の正統性認知による南北分断の固定化の進行に加えて、李承晩独裁による反対派の徹底的弾圧や1950年6月に2度にわたる朝鮮人民共和国側の平和統一提案が拒否された結果、朝鮮人民共和国側が当初から民族統一戦争を決断した可能性[30]
  • 「外国からの精神的・物質的援助があったとしても、その戦争は基本的に内戦的性格を有するもの[30]
  • 「朝鮮内戦の開戦起源ばかりに集中するのではなく、なぜ、内戦に外国軍隊が介入し、国際化されたのか、が問われるべきである。ブルース・カミングスも言うように、ヴェトナム戦争の場合には、誰も開戦の起源のなぞを問わず、外国の介入の起源を問題にしている[30]
  • 「朝鮮人民共和国軍と韓国軍との間の内戦として展開[31]
米軍と国連の介入
  • 「もっとも問題となるのは、国連の動きとトルーマン政権の対応である。まず、国連安全保障理事会は、合衆国の要請でただちに開催され、ソ連の欠席の下で、韓国側にだけ駐在していた国連朝鮮委員会の報告等にもとづき、戦争の勃発が朝鮮人民共和国軍の『武力攻撃』にあると認定したうえで、朝鮮人民共和国軍の38度線以北への撤退を要求する決議を採択した。この折、ユーゴスラヴィア代表が停戦と朝鮮人民共和国代表の国連招請を提案したが否決された。つまり、国連は当初より朝鮮戦争に対して調停者的機能を失い、合衆国に追随していった点が朝鮮戦争をいたずらに拡大させた原因として重大[31]
  • 「トルーマン政権の対応は、(中略)問題を朝鮮固有の民族問題とみず、共産主義運動の『直接侵略』段階への移行と把握し、空海軍力による韓国軍支援のほか、台湾への第7艦隊の派遣、フィリピンへの軍事援助、インドシナフランス軍援助を発表した。つまり、朝鮮での内戦の勃発を利用して、東アジアにおける巻き返しの実現を図ろうとした[31]
  • 「かえって合衆国政府による中国を『侵略者』と宣言する決議が国連総会で可決されるにいたった[32]
  • 「朝鮮戦争は南北朝鮮間の内戦として始まりながら、トルーマン政権によって、中国革命やソ連の原爆保有に対抗して東アジアにおける巻き返しや合衆国自体の準戦時経済化を実現する絶好の機会と位置づけられたため、南北朝鮮の武力統一をめざす干渉戦争にエスカレート[32]
  • 「朝鮮人民共和国軍や中国義勇軍による『人民戦争』型の抵抗によって合衆国の朝鮮武力統一の野望は挫折[32]
  • 「ヴェトナム戦争で米軍が強行したジェノサイドは朝鮮においてすでにその先例を見出す[33]
  • 「朝鮮内戦に対する米軍の介入[33]
  • 「朝鮮への外国の干渉に反対した全労連の解散が命令された一方、国連軍の朝鮮介入を支持した総評の結成が助長される等、労働運動の右傾化が進行[34]
  • 「朝鮮内戦への合衆国の介入[35]
  • 「合衆国が対日講和を、たんに対ソ冷戦の文脈だけでなく、朝鮮における干渉戦争遂行の渦中で推進[36]
米韓相互防衛条約
  • 「休戦協定調印の10日後には米韓相互防衛条約の仮調印が強行され、米軍の韓国駐留が恒常化されるにいたった。その結果、休戦協定の第4条に規定された朝鮮からの全外国軍隊の撤収や朝鮮統一の平和的実現をめざす政治会議は成功せず、今日にいたるまで、南北朝鮮の民族統一が達成されないどころか、『講和なき休戦』状態という不安定な状況が継続し、南北朝鮮間の敵対状態が解消されず、極東の緊張緩和を妨げる重要な要因[33]
サンフランシスコ講和条約
  • 「日本は、同じ旧枢軸国に属しながら、ヨーロッパで冷戦が激化する以前の1947年2月に全面講和を実現したイタリア1955年5月という緊張緩和期に国家条約というかたちで全面講和と永世中立の地位を実現したオーストリアとは異なり、西側連合国家のみとの片面講和(単独講和とも呼ばれる)、ソ連と中国等東側諸国との戦争状態の法的継続という不正常な道を歩むことになった[37]
  • 「外国軍基地付の『主権回復』とは明らかに主権の制限付回復を意味したのみか、片面講和の道を不可避とさせ、かえって東アジアの緊張を激化させ、日本の安全を危うくさせる危険な選択でもあった[38]
  • 「ソ連・中国・朝鮮人民共和国に敵対する講和、すなわち、片面講和を強行[39]
  • 「朝鮮人民共和国に対する当初からの無視や革命中国の不招請とともに、サンフランシスコ講和会議がもっていたアジアの革命的民族運動に対する敵対的姿勢が読み取れる[40]
  • 「極東情勢の緊張激化に便乗するかたちで講和を推進[41]
  • 「サンフランシスコ条約は、改革逆行的性格をもつとともに、日本の再軍備に対する歯止めを欠いた条約[41]
  • 「片面講和は、中国大陸と日本の伝統的紐帯を人為的に分断し、日本資本主義の対外市場構造を対米と対東南アジア向けに大きく変容[42]
  • 「片面講和は、日本と中国大陸との経済関係を人為的に分断し、日本資本主義を太平洋地域における合衆国を頂点とする重層的帝国主義構造の中間的位置に組みこむことになった[42]
  • 「サンフランシスコ体制はますます東アジアにおける革命的民族運動に対する反革命的性格をも帯びるようになる[42]
  • 「『アメリカによる平和』となり、アジア諸民族を脇役とする、さらには、アジアの革命的民族運動に敵対する『講和』となったため、講和後の多くの日本人の間に、対米戦争責任を重視しつつも、対アジア戦争責任を軽視する意識の格差をもたらした[43]
日米安全保障条約
  • 「日本は、合衆国が極東で遂行する干渉戦争の基地として引き続き使用される可能性が発生し、ソ連や東アジアの革命的民族運動に敵対する位置におかれるとともに、日本の安全をも脅かされることとなった[44]
1998年底本『世界の歴史28』
  • 「フルシチョフは、『真の共産主義者なら、金日成が李承晩やアメリカの反動的影響から南朝鮮を解放しようというやむにやまれぬ願いを思いとどまらせたりしなかった』と語っており、戦争が北朝鮮による武力統一をめざした『内戦』の性格をもっていたことが明らかになっている[45]

略歴[編集]

この間カリフォルニア大学バークレー校客員研究員を務める(1984年-1986年、1995-1996年)。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『戦後世界秩序の形成――アメリカ資本主義と東地中海地域 1944-1947』(東京大学出版会, 1985年)
  • 『未完の占領改革――アメリカ知識人と捨てられた日本民主化構想』(東京大学出版会, 1989年)
  • 『日米戦争観の相剋――摩擦の深層心理』(岩波書店, 1995年)
増補改題『なぜ戦争観は衝突するか――日本とアメリカ』(岩波現代文庫, 2007年)
  • 『好戦の共和国 アメリカ――戦争の記憶をたどる』(岩波書店[岩波新書], 2008年)

共著[編集]

編著[編集]

共編著[編集]

  • 後藤政子)『南北アメリカの500年(5)統合と自立』(青木書店, 1993年)
  • 中村政則豊下楢彦)『占領改革の国際比較――日本・アジア・ヨーロッパ』(三省堂, 1994年)
  • 遠藤泰生)『多文化主義のアメリカ――揺らぐナショナル・アイデンティティ』(東京大学出版会, 1999年)
  • Framing the Pacific in the 21st Century: Co-existence and Friction, co-edited with Yasuo Endo, (Center for Pacific and American Studies, University of Tokyo, 2001).
  • 有賀夏紀)『アメリカの歴史――テーマで読む多文化社会の夢と現実』(有斐閣, 2003年)
  • 五十嵐武士)『アメリカ研究入門[第3版]』(東京大学出版会, 2003年)
  • (遠藤泰生)『浸透するアメリカ、拒まれるアメリカ――世界史の中のアメリカニゼーション』(東京大学出版会, 2003年)
  • Crossed Memories: Perspectives on 9/11 and American Power, co-edited with Laura Hein, (University of Tokyo Press, 2003).
  • (遠藤泰生)『太平洋世界の中のアメリカ――対立から共生へ』(彩流社, 2004年)
  • 倉沢愛子杉原達成田龍一テッサ・モーリス=スズキ吉田裕)『岩波講座アジア・太平洋戦争(全8巻)』(岩波書店, 2005年-2006年)
  • 紀平英作)『シリーズ・アメリカ研究の越境(5)グローバリゼーションと帝国』(ミネルヴァ書房, 2006年)

訳書[編集]

  • ハワード・ジン『民衆のアメリカ史(上・中・下)』(TBSブリタニカ, 1982年)
  • ハワード・ジン『民衆のアメリカ史-1492年から現代まで (世界歴史叢書)(上・下巻)』(明石書店, 2005年)
    • 上巻:ISBN 4750320552、下巻:ISBN 4750320560(「2000年の大統領選挙と『テロリズムに対する戦い』」までを網羅した、82年TBSブリタニカ刊の原著増補版の翻訳。 )

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 金学俊(朝鮮戦争研究の権威と評価されているソウル大学教授)や重村智計によると、ストーン『秘史朝鮮戦争』とコンデ『朝鮮戦争の歴史』は、朝鮮戦争はアメリカによる陰謀である可能性が高いと主張し、「北朝鮮を支持する日本の左翼や革新勢力にとっては、『韓米北侵説』というパラダイムの根拠となった」という[18]
  2. ^ 引用符は「注意喚起・強調」する際に用い、いわゆるいわばというニュアンスで、言葉を文字通りに受け取ってはいけない、相手はそう自称しているが自分は認めない、ということを示す際に用いる(引用符#強調など)。
  3. ^ 重村智計は「『韓国不存在』と『北朝鮮礼賛』の理論」として、戦後日本の朝鮮研究は、韓国を支持するか或いは北朝鮮を支持するかというイデオロギーが主流となり研究が疎かにされ、冷戦崩壊まで日本の研究者の多くは左翼・革新だったため、当然北朝鮮を支持した。結果「韓国という国は存在しない」という北朝鮮政府の立場に立ち、「韓国という国は存在しない」 という前提で研究がおこなわれ、「朝鮮半島における唯一合法政権は、北朝鮮」「韓国は米帝国主義の傀儡政権」との立場を鮮明にし、朝鮮半島の南に存在する韓国を存在しないものとして扱う「『韓国不存在』の虚構の理論」を推進していったと主張している[19]
  4. ^ 歴史修正主義」或いは「新歴史修正主義」という評価があるガヴァン・マコーマックも、「朝鮮戦争=内戦」として、アメリカと国連が内戦に干渉したと批判している[20][21]
  5. ^ 東国大学校教授の姜禎求は「朝鮮戦争が革命的な民衆勢力と外国の勢力に依存する反革命分子とのあいだに起こった内戦」「南朝鮮を外国勢力の植民地的な支配から解放するための民族統一戦争」「アメリカの不当な介入によって残酷なる国際紛争へと飛び火した」と主張して[22]国家保安法違反で懲役2年、執行猶予3年、資格停止2年の有罪判決を受けている[23]。当然ではあるが、外国人であっても韓国内で発言をすると逮捕される。
  6. ^ 朝鮮日報』社説やナム・ジュホン(京畿大学教授)やデビッド・チュイ(オックスフォード大学)や重村智計によると、「朝鮮戦争=内戦説」は、北朝鮮と一部の左派学者が好んで用いる偏った視角であり、世界の学界では「『韓国戦争=内戦説』は北朝鮮や北朝鮮の侵略戦争を美化するために作り出されたもの」であり、朝鮮戦争は内戦や誘因の展開ではなく、金日成がスターリンと毛沢東の承認を取り付けておこなった北朝鮮と中国の侵略であることは定説だという[24][25][26][20]
  7. ^ ブルース・カミングス#評価および和田春樹#朝鮮戦争も参照。

出典[編集]

  1. ^ 麻布学園 図書館だより No.52, p. 24 (PDF)
  2. ^ 日本歴史 1985, p. 157
  3. ^ 「韓国併合」-00年日韓知識人共同声明- [1]
  4. ^ “【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 史実書きかえは韓国の方が困る”. 産経新聞. (2010年8月16日). http://megalodon.jp/2010-0816-0610-47/sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n1.htm 
  5. ^ “吉見義明教授の裁判闘争を支持し、「慰安婦」問題の根本的解決を求める研究者の声明”. 吉見義明教授の裁判闘争を支持し、「慰安婦」問題の根本的解決を求める研究者の声明. (2013年11月16日). オリジナル2016年8月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160818191326/http://y-support.hatenablog.com/entry/sandounin1106 
  6. ^ “河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明”. 河野談話の維持・発展を求める学者の共同声明. (2014年5月10日). オリジナル2014年11月9日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141109034540/http://kounodanwaijihatten.blog.fc2.com/blog-entry-15.html 
  7. ^ 油井大三郎 (2015年8月). “世界史に逆行する「集団的自衛権」論の陥穽”. 歴史学研究 (歴史学研究会) 
  8. ^ “「抑止力」危険な発想−−油井大三郎さん(68)”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2014年7月15日) 
  9. ^ “戦後の日米関係を、いまどのように評価できるでしょうか。”. 日本平和学会. (2015年8月15日). オリジナル2017年12月12日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171211214228/https://www.psaj.org/2015/08/15/%EF%BC%91-戦後の日米関係を-いまどのように評価できるでしょうか/ 
  10. ^ “(歴史認識の根っこ:2)ほころぶ二重基準”. 朝日新聞. (2014年1月28日). オリジナル2014年4月17日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140417115104/http://www.asahi.com/articles/ASG1Q628WG1QUCVL00Z.html 
  11. ^ “「龍馬」「松陰」削り「従軍慰安婦」…教科書案”. 読売新聞. (2017年12月7日). オリジナル2017年12月9日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/k8iHA 
  12. ^ “高校歴史用語に「従軍慰安婦」 教科書向け精選案「南京大虐殺」も”. 産経新聞. (2017年12月3日). オリジナル2017年12月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171204021057/http://www.sankei.com/life/news/171203/lif1712030008-n1.html 
  13. ^ “高校歴史用語に「従軍慰安婦」 教科書向け精選案「南京大虐殺」も”. 産経新聞. (2017年12月3日). オリジナル2017年12月9日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171203004620/http://www.sankei.com/life/news/171203/lif1712030008-n2.html 
  14. ^ “歴史用語の「精選」 人描いてこそ興味が湧く”. 産経新聞. (2017年12月5日). オリジナル2017年12月5日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171205005342/http://www.sankei.com/life/news/171205/lif1712050003-n1.html 
  15. ^ “歴史用語の「精選」 人描いてこそ興味が湧く”. 産経新聞. (2017年12月5日). オリジナル2017年12月5日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171205011439/http://www.sankei.com/life/news/171205/lif1712050003-n2.html 
  16. ^ “「坂本龍馬」が消えたナゾ 「高校歴史用語案」を読み解く 「厩戸王(聖徳太子)」も議論必至”. 産経新聞. (2017年12月11日). オリジナル2017年12月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171211022451/www.sankei.com/premium/news/171211/prm1712110003-n1.html 
  17. ^ “「坂本龍馬」が消えたナゾ 「高校歴史用語案」を読み解く 「厩戸王(聖徳太子)」も議論必至”. 産経新聞. (2017年12月11日). オリジナル2017年12月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171211041534/http://www.sankei.com/premium/news/171211/prm1712110003-n3.html 
  18. ^ 重村智計 2010, p. 192.
  19. ^ 重村智計 2010, p. 190-191.
  20. ^ a b 重村智計 2010, p. 194.
  21. ^ 木村幹 2004, p. 2.
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参考文献[編集]

外部リンク[編集]