カナダ

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カナダ
Canada
カナダの国旗 Coat of Arms of Canada rendition.svg
国旗 国章
国の標語:A Mari Usque Ad Mare
(ラテン語: 海から海へ)
国歌オー・カナダ
カナダの位置
公用語 英語フランス語
首都 オタワ
最大の都市 トロント
政府
女王 エリザベス2世
総督 デイヴィッド・ロイド・ジョンストン
首相 スティーヴン・ハーパー
面積
総計 9,984,670km22位
水面積率 8.9%
人口
総計(2010年 34,127,000人(36位
人口密度 3.4人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1兆6,024億[1]カナダドル ($)
GDP(MER
合計(2008年 1兆5,109億[1]ドル(9位
GDP(PPP
合計(2008年 1兆3,032億[1]ドル(13位
1人あたり 39,182[1]ドル
独立
 - BNA法
 - ウェストミンスター憲章
 - カナダ法 (Canada Act
イギリスから
1867年7月1日
1931年12月11日
1982年4月17日
通貨 カナダドル ($)(CAD
時間帯 UTC -3.5 から -8(DST:-2.5 から -7)
ISO 3166-1 CA / CAN
ccTLD .ca
国際電話番号 1

カナダ: Canada英語発音: /ˈkænədə/ キャナダ、フランス語発音: [kanada] カナダ)は、北アメリカ大陸北部に位置し、10のと3の準州を持つ、連邦立憲君主制国家。首都はオタワアメリカ合衆国と国境を接する。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の1国である。

概要[編集]

首都オタワオンタリオ州)。世界で2番目に大きい面積の国土を持つ。歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国の植民地連合体として始まった。その後イギリスからの独立プロセスが1867年から始まり、様々な手続きと立法を経て1982年、主権国家となる。

立憲君主制で、連邦政府の運営は議会制民主主義で行われている。世界の先進8ヶ国(G8)の一国。旧来よりアメリカ合衆国の影響が強く、国際政治で立場を異にすることが多い複雑な関係ながら、隣国のアメリカ合衆国との交流が盛ん。また、1992年北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟し、メキシコを含む北米3国間での交流も促進された。経済面では多様な産業構造を保有しているが、貿易と豊富な天然資源に大きく依存している。


国名[編集]

日本政府による公式名は「カナダ[2]

1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語の英語とフランス語の双方で「Canada」のみが公式名と定められている[3]。建国時には国号はカナダ王国Kingdom of Canada)とすることも検討されていた。初めて「Canada」の名が使われたのは1791年のことである[4]

また連邦制を強調するため、「カナダ連邦」、「カナダ連邦政府」などの呼称が使われることもあるが、これらは主に政治体制を説明する文脈で使われる。

日本における漢字表記は「加奈陀」であり、「」と略される。中国語における表記は「加拿大」。

国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」(kanata)に由来する[4]

歴史[編集]

19世紀まで毛皮貿易はカナダで最も重要な産業だった。

ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている[5][6]ヨーロッパ人の到来は西暦1000年バイキングランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後、1497年にイタリア人のジョヴァンニ・カボト(ジョン・カボット)がイングランドのために大西洋側を探検し[7]1534年にはフランスジャック・カルティエがこれに続いた[8]

1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現ノバスコシア州アナポリス・ロイヤル)に築き、1608年にはケベック を建てた。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となった。 ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。毛皮貿易路の支配を巡ってフランスとイロコイ族の戦争が起こっている。

イングランドは1610年ニューファンドランド島に漁業基地を設け、南部(現アメリカ合衆国領)に13植民地を築いた。1689年1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約1713年)でノバスコシア英国の支配下となり、七年戦争フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。

1763年宣言ケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島ノバスコシアに加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。1769年にセント・ジョンズ島(現在のプリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、1774年ケベック法が制定され、ケベックの領域が五大湖からオハイオ川まで拡大され、ケベックにおいてはフランス語とカトリック信仰、フランス法が許された。これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、アメリカ独立への動因となった[9]1783年のパリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている[10]。一部の王党派のために沿岸諸州のニューブランズウィックがノバスコシアから分割された。ケベックの英語話者王党派のために1791年法が制定され、フランス語圏のローワー・カナダと英語圏のアッパー・カナダに分割され、各々が独自の議会を持った。

アッパーおよびローワー・カナダは米英戦争(1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。1815年より英国とアイルランドからの大規模な移民が始まっている。19世紀の初めには材木業が毛皮貿易よりも重要になった。

『連邦の父たち』ロバート・ハリス画。シャーロットタウン会議とケベック会議の場面を混合して描いている。

責任政府を求める1837年反乱が起こり、その後のダーラム報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化が勧告された[11]。1840年憲法法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。議会においては、フランス系および英国系カナダ人はともにフランス系カナダ人の権利の復活のために努力している。1849年に英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された。[12][13]

1846年に英国と米国によるオレゴン条約が結ばれオレゴン境界紛争が終結した。これによって、カナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地1849年)、そして、ブリティッシュコロンビア植民地1858年)への道が開かれた。カナダはルパート・ランド北極圏地域への一連の西部探検を行っている。高い出生率によってカナダの人口は急増した。一方で、英国からの移入は、米国への移出によって相殺されていた。特にフランス系カナダ人がニューイングランドへ移民している。

カナダ連邦以降の州と準州の拡大を示した動画地図。

幾度かの憲政会議の後に、1867年7月1日1867年憲法法が採択され、オンタリオケベックノヴァスコシアそしてニューブランズウィックが統合され「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた[14] 。カナダはルパートランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされている。この地では不満を抱いたメティ(フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州がつくられている。ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地(1866年に合併)は1871年に、プリンスエドワードアイランド植民地は1873年にそれぞれ連邦に加入している。

保守党ジョン・A・マクドナルド首相 は萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した。西部を開拓するために政府は3本の大陸横断鉄道に出資し(もっとも有名なものがカナダ太平洋鉄道である)、自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、そしてこの地域の治安維持のために北西騎馬警察が設立された。1898年、ノースウェスト準州でのクロンダイク・ゴールドラッシュの後、政府はユーコン準州を設置した。自由党ウィルフリッド・ローリエ政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、アルバータサスカチュワン1905年に州に昇格している。

1917年のヴィミーリッジの戦いで勝利したカナダ兵。

1914年、英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に第一次世界大戦に参戦し、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。1917年には保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入して徴兵危機が起こっている。1919年にカナダは英国とは別個に国際連盟へ加盟した。そして、1931年ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認された。

1940年にニューウエストミンスター市内を行進するブリティッシュコロンビア連隊に近づく少年(「待ってよ、パパ」)。第二次世界大戦では110万人のカナダ人が軍務に付き、1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦では重要な役割を果たした。

1930年代の大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられ、このため社会主義政党の協同連邦党がアルバータとサスカチュワンで福祉制度を実施しており、これは「カナダの医療の父」として知られる1940年代から1950年代のトミー・ダグラス知事の先駆けとなるものであった。1939年、自由党のウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング政権は英国の宣戦から7日後の9月10日に独自に対独宣戦布告をして第二次世界大戦に参戦したが、カナダ軍が英国に到達したのは同年12月のことである。カナダ軍は大西洋の戦いディエップの戦いノルマンディーの戦いで大きな役割を果たしてナチス・ドイツ打倒に貢献している。カナダ経済は戦争需要による好景気に活気づいた。1945年の終戦後にカナダは国際連合の原加盟国となった。

この経済成長と自由党政権による一連の政策によって新たなカナダ人アイデンティティが創発された。1965年に現在のサトウカエデの葉の国旗が採用され、1969年には二カ国語公用語が実施、1971年には多文化主義が宣言されている。ユニバーサルヘルスケア制度、年金制度、学生ローンといった社会民主主義的諸制度も創設されたが、これらの政策については地方政府、とりわけケベックとアルバータが管轄権の侵害であると反対している。そして最終的には、一連の憲政会議を経て、1982年に英国カナダ法の改正によるカナダ憲法成立が決まり、「権利と自由憲章」がつくられカナダは完全な主権国家となった[15]。同じ時期にケベックでは「静かなる革命」と呼ばれる重大な社会経済の変化が起こり、同州におけるナショナリスト運動が生まれていた[16] 。更に過激なケベック解放戦線によるオクトーバー・クライシス1970年に引き起こされた。

ケベック分離派のテロリズムの10年後に当たる1980年に、ケベック州の連邦からの分離に関する住民投票が行われたが拒否され、1989年には憲法改正も試みられたが失敗している。1995年に二度目の住民投票が行われたが、50.6%対49.4%の小差で拒否された[17]1997年に最高裁から州による一方的な連邦脱退は違憲であるとの判断が下され、交渉による連邦からの脱退を規定した法律が定められた[17]

カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの国連平和維持活動に参加しており、2001年にはNATO主導のアフガニスタン紛争にも派兵している。一方で、2003年イラク戦争への参加は拒否した。国内の先住民問題ではオカ、イペルウッシュ、ガスタフセン湖で土地問題を巡り様々な法廷闘争と幾度かの暴力沙汰が起き、1999年にカナダ政府はイヌイットの自治政府であるヌナブト準州をつくり、ブリティッシュコロンビア州では土地問題でニスカ族との最終合意に達している。2008年には首相が先住民を対象とした寄宿学校問題(en)で過去の政府の行いに対する謝罪をしている。

政治[編集]

カナダ国会議事堂。
カナダ最高裁判所。

政体立憲君主制である。公式にはイギリス国王が国家元首(但しカナダではあくまでカナダ国王の扱い)となる[18]。形式的にはカナダ総督がカナダ国王の代理を務め、また実質的な首長は、総選挙により選出される連邦政府首相である。政府は、議院内閣制を採用している。カナダは、歴史的に各州の合意により連邦が設立された経緯があることから、州に大幅な自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。このためカナダにおける政治とは、州政府対連邦政府の駆け引きそのものということもできる。

現行のカナダの憲法1982年に施行されたため「1982年憲法」と呼ばれている。この憲法により、二言語多文化主義・ケベック州の特殊性・原住民居留地の特殊性などが認められている。

オタワにある議会は二院制で、上院105名、下院308名。詳細は「カナダ議会」を参照

主な政党には中道右派保守主義カナダ保守党中道左派リベラリズムカナダ自由党二大政党と、中道左派・社会民主主義政党の新民主党ケベック州地域政党である左派のブロック・ケベコワ、環境保護主義のカナダ緑の党がある。 カナダの政党一覧 (List of political parties in Canadaも参照

1993年の下院総選挙で、与党・カナダ進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失うという大惨敗を喫したことは、議会制民主主義が発達している先進国の政権与党が壊滅的な敗北を喫した例として、小選挙区制のモデルケースの一つとなる歴史的選挙であった。

英連邦に加盟している。また、英語圏の一員として国際諜報網「UKUSA Agreement」(アングロサクソン・ネットワーク)に加盟している。

一般的にアメリカ合衆国よりもリベラルな国民性で知られ、死刑制度を廃止している。

1989年モントリオール理工科大学虐殺事件をきっかけに銃規制が強化されており、銃の携帯については一般には認められておらず、銃を携帯できるのは警察、軍、司法関係と現金輸送を行う民間業者など非常に限られている。

環境政策では、アメリカと違って京都議定書に署名はしたものの2011年12月に脱退を表明した[19]。2009年の気候変動実績指標(温室効果ガス排出削減における国家の実績)では最下位のサウジアラビアに次ぐ59位であり、二酸化炭素排出量は10年前より25%も増えている。

軍事[編集]

地方行政区分[編集]

カナダは10の州(プロビンス、province)と3つの準州(テリトリー、territory)に区分されている[20]

Political map of Canada.png
名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考
ブリティッシュコロンビア州
British Columbia
4,400,057 ビクトリア
Victoria
アルバータ州
Alberta
3,645,257 エドモントン
Edmonton
サスカチュワン州
Saskatchewan
1,033,381 レジャイナ
Regina
マニトバ州
Manitoba
1,208,268 ウィニペグ
Winnipeg
オンタリオ州
Ontario
12,851,821 トロント
Toronto
ケベック州
Québec
7,903,001 ケベック・シティー
Ville de Québec
ニューブランズウィック州
New Brunswick / Nouveau-Brunswick
751,171 フレデリクトン
Fredericton
ノバスコシア州
Nova Scotia
921,727 ハリファックス
Halifax
ニューファンドランド・ラブラドール州
Newfoundland and Labrador
514,536 セント・ジョンズ
St. John's
プリンスエドワードアイランド州
Prince Edward Island
140,204 シャーロットタウン
Charlottetown
ユーコン準州
Yukon Territory
33,897 ホワイトホース
Whitehorse
ノースウェスト準州
Northwest Territories
41,462 イエローナイフ
Yellowknife
ヌナブト準州
Nunavut
31,906 イカルイト
Iqaluit

都市圏人口[編集]

都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 トロント オンタリオ州 5,583,064 11 ロンドン オンタリオ州 474,786
2 モントリオール ケベック州 3,824,221 12 セントキャサリンズ/ナイアガラフォールズ オンタリオ州 392,184
3 バンクーバー ブリティッシュコロンビア州 2,313,328 13 ハリファックス ノバスコシア州 390,328
4 オタワ/ガティノー オンタリオ州/ケベック州 1,236,324 14 オシャワ オンタリオ州 356,177
5 カルガリー アルバータ州 1,214,839 15 ビクトリア ブリティッシュコロンビア州 344,615
6 エドモントン アルバータ州 1,159,869 16 ウィンザー オンタリオ州 319,246
7 ケベック ケベック州 765,706 17 サスカトゥーン サスカチュワン州 260,600
8 ウィニペグ マニトバ州 730,018 18 レジャイナ サスカチュワン州 210,556
9 ハミルトン オンタリオ州 721,053 19 シェルブルック ケベック州 201,890
10 キッチナー/ケンブリッジ/ウォータールー オンタリオ州 477,160 20 セントジョンズ ニューファンドランド・ラブラドール州 196,966
2011年国勢調査


地理[編集]

カナダの地形図。
カナダの主な河川。

カナダの国土は北アメリカ大陸の北半分を占める。南および西はアメリカ合衆国と接する。東は大西洋デイビス海峡、西は太平洋、北はボーフォート海北極海に面する。国土の中央部のウィニペグ湖からロッキー山脈にかけては、広大なプレーリー地域である。また、五大湖の北にはカナダ楯状地が広がる。

ロシアに次いで世界で2番目に広大な国土を持つ国であり、北アメリカ大陸の約41%を占めている。なお、カナダの領土の54%は森林で占められている。

人口密度は3.2人/km2で、国土の多くは北極圏内にある。人の住める地域は面積に比して少ない。カナダ人の80%はアメリカ合衆国との国境から200km以内に住んでおり、人口の約40%がオンタリオ州に集中している。人口が最も多い地域は五大湖セントローレンス川周辺である。そして、大半のカナダ人は、アメリカ合衆国とカナダ国境線に沿って約500キロ幅の細長い帯状に住んでおり、それより北は人口が極端に少ない。

気候[編集]

凍り付いたリドー運河オタワ

太平洋側の西海岸沿岸部を除くと、ほぼ全域が亜寒帯寒帯に属し非常に寒冷な気候である。

バンクーバービクトリアなどが位置する西海岸の沿岸部は暖流の影響で温帯西岸海洋性気候に属し、夏は涼しく乾燥していて過ごしやすく晴れる日が多いが、冬は温暖で雨が多い。北米屈指のスキーリゾートのウィスラーなどが位置するロッキー山脈の西側の山岳地帯は世界有数の豪雪地帯となっている。

アルバータ州からサスカチュワン州マニトバ州にかけては、亜寒帯湿潤気候湿潤大陸性気候に加えてステップ気候も広がり降水量が少なく乾燥している。夏は比較的気温が上がるが、乾燥していて過ごしやすい。一方、冬は零下50度近くまで下がることもあるシベリアに匹敵する酷寒地である。特に中央部に位置するウィニペグは大陸性の気候が顕著であり、レジャイナサスカトゥーンなどと並び北アメリカで最も寒い都市(アラスカアンカレッジよりはるかに寒い。)とされる。

トロントモントリオールなどの大都市が位置し、人口が集中するセントローレンス川沿いは亜寒帯湿潤気候に属し、夏は比較的湿度が高く蒸し暑くなる。トロントなどのオンタリオ州南端部ではそれほど厳しい寒さとはならないが、オタワモントリオールなどでは最寒月の平均気温が-10度以下となり、-30度程度まで下がることもあるほど、寒さが厳しく降雪量も多い。ノバスコシア州ニューファンドランド島などの大西洋側沿岸地方はより海洋性の気候の特色を有していくことになり、冬季は低気圧の発達により豪雪地帯となる。 北極圏などの北部地域は寒帯に属しツンドラ気候が分布し永久凍土が広がっている。

カナダ国内における最高気温極値はサスカチュワン州MidaleYellow Grassで観測された45 °C、最低気温極値はユーコン準州Snagで観測された−63 °Cであり、これは、アメリカ大陸で最も低い気温である。

交通[編集]

経済[編集]

北米有数の世界都市であるトロントはカナダ随一の金融センターである。

IMFによると、2010年のカナダのGDPは1兆5636億ドル(約130兆円)であり、世界第9位である[21]。20世紀初めまで経済の主体は農業だったが、現在では世界有数の先進工業国となった。工業は自動車産業や機械産業が成長し、近年はIT産業が発展してきている。

鉱業[編集]

鉱物資源に非常に恵まれており、世界シェア10位に入る鉱物が17種ある。以下では2003年時点の統計データに基づく。有機鉱物資源では、天然ガス(6565千兆ジュール、3位)、燃料となる褐炭(3695万トン、9位)のほか、石炭(2954万トン)と原油(9111万トン)の産出量も多い。ダイヤモンドの産出量も1120万カラットに及び、世界第6位である。

金属資源では、 ウラン鉱(1万トン、1位、世界シェア29.2%)、カリ塩鉱(820万トン、1位、世界シェア30.9%)、 イオウ(903万トン、2位)、鉄鉱(1980万トン、3位)、鉱(1309トン、3位)、タングステン鉱(2750トン、3位)、ニッケル鉱(16万トン、3位)、亜鉛鉱(100万トン、4位)、コバルト鉱(4304トン、5位)、(1335万トン、5位)、鉱(15万トン、5位)、鉱(141トン、7位)、アンチモン鉱(143トン、8位)、鉱(56万トン、8位)が特筆される。このほか、マグネシウム鉱、リン鉱も採掘されている。

貿易[編集]

色と面積で示したカナダの輸出品目(2009年

最大の貿易相手国はアメリカで、輸出の5分の4以上、輸入の約3分の2を占める。鉱物、木材、穀物は現在も重要な輸出品だが、近年は工業製品が中心となっている。アメリカへの輸出品で最も多いのは、自動車と関連部品である。1989年にアメリカとのFTAが発効し、1994年にはメキシコも加わってNAFTAが結ばれた。アメリカ以外の主要輸出相手国は日本イギリス中国メキシコドイツイタリア。主要輸入相手国は中国、メキシコ、日本、イギリス、ドイツである。主要輸出品は、自動車および自動車部品、精密機器、原油、天然ガス、金属および金属製品、産業用機械、通信機器、化学製品、木材、パルプ、小麦、魚類(サケ類、イクラ、マグロ等)、メープルシロップなど。輸入品は自動車部品、自動車、機械、化学製品、コンピューター、原油、通信機器などである。

通貨[編集]

カナダでは唯一の発券銀行として中央銀行のカナダ銀行があり、通貨カナダドルを発行、管理している。1ドル=100セントである。 2012年3月29日にカナダ政府は実用性や製造コストなどの問題や理由により1セント通貨の製造を廃止することを 発表している[22]

国民[編集]

カナダの人口ピラミッド2010年

人種[編集]

住民は、イングランド系21%、フランス系15.8%、スコットランド系15.2%、アイルランド系13.9%、ドイツ系10.2%、イタリア系5%、中国系4%、ウクライナ系3.6%、オランダ系3.3%、ポーランド系3.1%、インド系3%である。また、3.8%のカナダ人が先住民族の血を引くと2006年に回答している。3分の1の国民が自らの民族をカナダ人であると主張しているが、これは、移民である祖先の出身国の民族意識よりも、民族的アイデンティティそのものはもはやカナダ人であると主張する人たちであり、大多数はイギリス系とフランス系であると思われる。先住民族を除く非白人の割合は16.2%である。

国勢調査によると人種別構成は2006年調査時点では下記の通り。

カナダとアメリカの人種構成の違いは、もともと黒人奴隷がほとんど存在しなかったために黒人(2.5%)が非常に少なく、イギリス系、フランス系が人口の半数を占めていることである。アメリカと同じくアイルランド系とドイツ系とイタリア系も多いが、カナダはウクライナ系が非常に多いのが特徴で、ウクライナロシア以外では最大規模である。またアメリカで非常に多いスペイン語圏出身者が少ない。このように、白人が多かったカナダであるが、近年の移民は大きくアジア出身に偏っており、大都市を中心にアジア系の割合が急増している。2006年の統計では530万人の非白人系住民が、2031年にはカナダ総人口の約3分の1、1440万人にまで増加するとみられている。アジア系が多いといってもカナダは大英帝国の植民地だった影響で大多数は南アジア系、中国系(特に香港など広東語圏)であり、逆にアメリカに多いアジア系の日系韓国系、ベトナム系は比較的少ない。特にバンクーバーとトロントは巨大なアジア系人口を抱え、この2都市では白人は人口の半数弱を占めるに過ぎない。一方、アフリカ系は主に、トロント、モントリオールに集中している。1999年に中国系のエイドリアン・クラークソン、続いて2005年にハイチ系ミカエル・ジャンが総督に就任するなど、リベラルな国民性も合わせて人種には寛容な姿勢を示している。

言語[編集]

母語話者(カナダ)
英語
  
56.9%
フランス語
  
21.3%
その他
  
21.8%
カナダにおける英語と仏語使用地域。黄色は英語、茶色は仏語、薄茶色が両言語使用地域、白色は人口希薄地域を表す。

英語カナダ英語を参照)とフランス語Canadian Frenchを参照)が1969年に制定された公用語法によって認められている公用語である。この公用語法では、連邦政府における英語フランス語が平等な地位にあることが定められた。連邦裁判所、連邦議会カナダ国会)や連邦政府機関のすべてで英仏二カ国語が平等に扱われる。カナダ国民は、十分に需要がある場合には連邦政府の行政サービスを英語またはフランス語にて受ける権利があり、公用語の少数派側であっても、すべての・準州にて教育を受ける権利が保障されている。

2006年国勢調査[23]によると、国民の約58%が英語、約22%がフランス語を第一言語としている。約98%が英語かフランス語のどちらかを話し(57.8%が英語のみを、13.3%がフランス語のみを、17.7%が両言語を話すことができる) フランス語が主に使われている地域はケベック州オンタリオ州オタワなどの東部地域と北オンタリオ地方ニューブランズウィック州アカディア人の多い地域、およびマニトバ州の南部である。このうち、ケベック州フランス語ケベック・フランス語を参照)のみを、ニューブランズウィック州英語フランス語を州の公用語とし、他州は英語のみを州の公用語としている。

なお、ユーコン準州では英語フランス語が、ヌナブト準州では英語フランス語イヌクティトゥット語、イヌイナクトゥン語が、ノースウエスト準州では英語フランス語イヌクティトゥット語、イヌイナクトゥン語、クリー語、ドグリブ語、チペワイアン語、サウススレイビー語、ノーススレイビー語、グウィッチン語、イヌビアルクトゥン語も公用語となっている。

公用語以外の言語を使う住民も600万人ほどおり、中国語広東語が多い)の話者が103万人、イタリア語が45万人、ドイツ語が44万人、などである。また先住民の中には個々の部族の言語を使うものもいるが、多くの言語はだんだんと使われなくなっていく傾向にある。

カナダでは移民社会を構成しているので、200語以上の言語が国勢調査で母語として回答されている。中国語を母語とする人口は全体の3.3%であり、英語、フランス語に続く第三位の母語となっている。第四位はパンジャブ語であり増加中である。その他に母語として多いのはスペイン語アラビア語タガログ語ウルドゥ語である。

カナダでは二カ国語主義の国家ではあるものの、英語とフランス語の両方で会話が出来るのは人口の17.4%である。ケベック州在住の英語話者の69%はフランス語も話せ、ケベック州以外に在住のフランス語話者の83.6%が英語も話せる。

宗教[編集]

宗教構成(カナダ)
特になし
  
16.5%
カトリック
  
43.2%
プロテスタント
  
29.2%
その他のキリスト教
  
4.3%
その他の宗教
  
6.4%

2001年の国勢調査によると、キリスト教徒が多数(77%)を占める。内訳はアングロアメリカ圏でありながら、カトリックが43.2%と最も多い。次にプロテスタントが29.2%、正教会東方諸教会が1.6%となっている。

ムスリムが2%、ユダヤ教徒が1.1%、仏教徒が1.0%、ヒンドゥー教徒が1.0%、シーク教徒が0.9%。無宗教は16.5%である。

プロテスタントの力が政治的にも文化的にも強い影響力を持っているアメリカ合衆国と比べるとカナダはより世俗的である。これは教会出席率にも表している。アメリカ合衆国では 毎週教会に通う人の割合が43%で、全く通わない、もしくはほとんど行かないという人の割合はわずか8%である。一方、カナダでは毎週教会に通う人の割合が20%にとどまり、全く通わない、もしくはほとんど行かないという人の割合は38%と逆転している。

文化[編集]

ビル・リードの1980年の作品「ワタリガラスと最初の人類」。ワタリガラスは先住民に共通した伝説に伝わる動物である

カナダの文化はしばしば「進歩的、多様で、多文化主義的」[24]とされる。先住民の文化から、移住してきたヨーロッパ系の文化、さらに近年の様々な国からの移民の持ち込む幅広いものが含まれ、混じり、重なり、形成されている。その中で政治的にも多文化主義が憲法で守られ、政策的にも推進されてきた[25]ケベックでは文化アイデンティティーは強く、仏語話者の評論家はケベック文化は英語圏と違った独自性を持つと強調する[26]。しかしながらカナダは全体として、「文化のモザイク」(様々な人種民族・地域文化が共存する)を形成しているとされる[27]。国の政策でもユニバーサルヘルスケア富の再分配のための高い税金死刑廃止、貧困撲滅への努力、多文化主義推進、厳しい銃規制同性結婚合法化などが挙げられ、カナダの政策や文化上の社会的価値観を反映している [28]

食文化[編集]

カナダは国土も広く、また様々な文化を持った人々が住んでいるため、カナダの料理は多様であることが特徴となっている。

文学[編集]

赤毛のアン』の作者L・M・モンゴメリはカナダの文学者である。またサイバーパンクSF作家であるウィリアム・ギブソンはアメリカ合衆国出身だが、徴兵拒否のためにカナダに移住したため、「カナダの作家」として扱われることがある。また、マーガレット・アトウッドもカナダの作家である。

音楽[編集]

カナダの音楽は先住民族ヨーロッパからの移民をはじめとし、様々な人々によって創造・継承されてきた。1600年代以降より、カナダでは国際的に著名な作曲家、演奏家などの音楽家を輩出してきた[29]。17世紀以降では教会や集会所、邸宅の大広間、学校、コンサートホールレコード会社ラジオテレビ局など様々な音楽のインフラが形成されてきた[30][31]。これらの音楽はアメリカ合衆国からの影響を大きく受け[32][33][34]ながらも、「カナディアン・ロック」と言うジャンルを生み出した[35]

ポピュラー音楽・ロックの分野ではニール・ヤングジョニ・ミッチェルザ・バンドらの優れたミュージシャンを輩出した。また、ゴードン・ライトフット、ゲス・フー、BTO、レナード・コーエン、アン・マレー、ラッシュ、ポール・アンカ、セリーヌ・ディオンらもカナダ出身である。ジャズでは、オスカー・ピーターソンが国際的に成功した。

カナダ記録芸術科学アカデミー(Canadian Academy of Recording Arts and Sciences)がカナダの音楽産業を代表し1970年よりジュノー賞の授与を行なっている。またカナダにおける音楽の放送はカナダ・ラジオテレビ通信委員会によって規制されている。

クラシック音楽の分野では、20世紀半ばに活躍したマレイ・アダスキンジョン・ワインツワイグなども著名であり、また独創的なバッハ解釈で名高いグレン・グールドなどはトロント生まれである。また、モントリオール交響楽団シャルル・デュトワが指揮者を務めている間に実力を高め、北米大陸屈指のオーケストラとして知られるようになった。作曲家のマリー・シェーファーサウンドスケープの提唱者であり「魔法の歌(マジック・ソングズ)」「ガメラン」等の作品がある。

その他、カナディアン・カントリーミュージック賞、ケベック音楽に授与されるフェリックス賞など、様々なジャンルの音楽に授与される音楽賞が設けられている。

芸術[編集]

映画[編集]

カナダは公用語として英語とフランス語の両方を採用しており、両言語の映画が制作されている。なお、カナダにおける映画制作の主な拠点となっているのは、トロントモントリオールバンクーバーである。このうち、モントリオールではモントリオール世界映画祭と言う、比較的名の知られた映画祭が開催される。

世界遺産[編集]

カナダ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が5件、自然遺産が6件存在する。さらにアメリカ合衆国にまたがって2件の自然遺産が登録されている。

主な祝祭日[編集]

日付 祝祭日
(英語 / 仏語)
備考
1月1日 元日
New Year's Day
jour de l'An
法令による。
復活祭の直前の金曜日 聖金曜日
Good Friday
vendredi saint
法令による。4月になることが多い(イースターを参照)。
復活祭の翌日 イースター・マンデー
Easter Monday
lundi de Pâques
4月になることが多い(イースターを参照)。
5月25日の直前の月曜日 ヴィクトリア・デー
Victoria Day
fête de la Reine
ヴィクトリア女王の誕生日と現在の国王誕生祭(Sovereign's birthday、fête de la Reine、王朝節)。[36]法令による。ケベック州では、パトリオットの祝日(fête des patriotes)として祝う。パトリオットの祝日は、愛国者の反逆(Patriotes Rebellion)の記念日。
7月1日 カナダ・デー
Canada Day
fête du Canada
カナダ建国記念日。法令による。1867年英領北アメリカ法による3つの植民地の連邦自治開始(カナダ建国)を記念する日。
9月の第1月曜日 レイバー・デー
Labour Day
fête du travail
法令による。労働者の日。
10月の第2月曜日 感謝祭
Thanksgiving
action de grâce
法令による。アメリカとは異なる月に祝う。
11月11日 リメンバランス・デー
Remembrance Day
jour du souvenir
第一次世界大戦終結の記念日。州によって祝日では無い事がある。
12月25日 クリスマス
Christmas
Noël
法令による。
12月26日 ボクシング・デー
Boxing Day
lendemain de Noël
法令による。

その他の祝日[編集]

  • 2月第3月曜日「ファミリー・デー」(Family Day)[37]:アルバータ州、オンタリオ州、サスカチュワン州で設定。ブリティッシュコロンビア州では2月第2月曜日。マニトバ州では「ルイ・リエル・デー」、プリンスエドワード州では「アイランダー・デー」として設定されている。
  • 8月第1月曜日「シビック・ホリデー」(Civic Holiday)[38]:ブリティッシュコロンビア州(ブリティッシュコロンビア・デー)、ニューブランズウィック州(ニューブランズウィック・デー)、ノースウエスト準州(シビック・ホリデー)、ヌナブト準州(シビック・ホリデー)、サスカチュワン州(サスカチュワン・デー)として設定されている。アルバータ州、マニトバ州、オンタリオ州、ノバスコシア州、プリンスエドワード州では雇用主によって休日となる。ニューファンドランド・ラブラドール州、ケベック州、ユーコン準州では休日ではない。

この他にも、いくつかの州で設定されている祝日、州ごとに設定された祝日などがある。

スポーツ[編集]

英連邦の一員であるカナダであるが、スポーツ文化においては旧宗主国イギリスの影響はあまり残っていない。隣国アメリカ合衆国とも一線を画す独自のスポーツ文化が存在する。

アイスホッケー[編集]

アイスホッケーは現在カナダで最も盛んなスポーツであり、国技にも制定されている[39]。カナダの国土はアイスホッケーに非常に適した自然環境であり、冬の間は子供から大人までが娯楽でアイスホッケーを楽しむという人も多い。約58万人のカナダ人がアイスホッケーの競技者登録をしており、カナダ国内にはホッケー選手230人に一つの割合でインドアのアイスホッケーリンクが存在している[40]

北米最大のプロリーグであるNHL1917年にカナダで設立され、その後アメリカ合衆国へと拡大した。現在カナダ7チーム、アメリカ合衆国23チームの計30チームからなる。NHL選手の半数以上がカナダ人である[40]。アメリカ合衆国ではNFLMLBNBAに次ぐ4番手に位置づけられるNHLだが、カナダでは絶大な人気を誇る。特にカナダ最大の都市トロントを本拠地とするトロント・メープルリーフスと第二の都市モントリオールを本拠地とするモントリオール・カナディアンズは宿命のライバルとして知られている。NHLの優勝決定トーナメントであるスタンレー・カップにカナダのチームが勝ち進むと大きな盛り上がりを見せる。"The Great One"と称され、NHLの4つのチームを渡り歩いたウェイン・グレツキーは、引退してもなおカナダの国民的英雄である。

男子はオリンピックでは初採用となった1920年アントワープ五輪から1952年オスロ五輪まで7大会で金メダル6度、銀メダル1度の圧倒的強さを誇っていたが、ソビエト連邦欧州諸国の台頭に伴い、長らく金メダルから遠ざかった。2002年ソルトレイクシティ五輪では50年ぶりの金メダルを獲得し、2010年の地元開催となったバンクーバー五輪では男女とも金メダルを獲得している。

カナディアンフットボール[編集]

カナディアンフットボールはカナダでは単にフットボールと呼称し、隣国アメリカ合衆国で盛んなアメリカンフットボールに非常によく似たスポーツである。カナダではアイスホッケーに次いで人気のあるスポーツであり[41]、国内8チームからなるプロリーグカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)の優勝決定戦グレイ・カップはカナダ最大のスポーツイベントである[42]。CFLはアメリカ合衆国への拡大を何度も試みているが、現時点では失敗に終わっている。ラスベガスなどのNFLチームのない都市がCFLチームを登録しているが、観客動員が振るわず財政難に陥り、現在休止中となっている。

野球[編集]

ロジャース・センターでのメジャーリーグベースボールの試合。

野球は隣国アメリカ合衆国の影響を受け、カナダでもポピュラーなスポーツの1つである。カナダ最大の都市トロントを本拠地とするメジャーリーグベースボール(MLB)のトロント・ブルージェイズ1977年設立、アメリカンリーグ東地区)は米国外に本拠地を置く唯一の球団である。ブルージェイズは世界初の本格的開閉式ドーム球場ロジャース・センター(旧称スカイ・ドーム)を本拠地としており、1992年1993年にはワールドシリーズを連覇した。当時はブルージェイズがMLB屈指の強豪球団であったため、1991年にはMLB史上初めて年間観客動員が400万人を突破した(1993年まで継続)。しかし、近年のブルージェイズは成績・観客動員共に低迷状態にある。また、かつてはカナダに本拠地を置くもう1つの球団として「モントリオール・エクスポズ」(1969年設立、ナショナルリーグ東地区)が存在したが、フランス語圏であるモントリオールは英語圏に比べて野球の認知度が低く、慢性的な財政難に悩まされていた。結局、エクスポズは2005年ワシントンD.C.に移転し球団名もワシントン・ナショナルズに改めた。カナダ出身の野球選手では、ラリー・ウォーカー、1993年に日本の中日ドラゴンズでプレー経験もあるマット・ステアーズジャスティン・モルノージェイソン・ベイジョーイ・ボットエリック・ガニエラッセル・マーティンらが有名である。

バスケットボール[編集]

バスケットボールの考案者はカナダ人のジェームズ・ネイスミスであり、カナダの人気スポーツの1つとなっている。特にノバスコシア州オンタリオ州の南部で盛んである。トロントを本拠地とするNBAトロント・ラプターズ1995年設立)は現在米国外に本拠地を置く唯一のNBAチームである。ラプターズの設立と時を同じくして、バンクーバーにもバンクーバー・グリズリーズが設立されたが、こちらは観客動員の低迷による経営難に悩まされ、2001年テネシー州メンフィスへと移転した。NBAでも多くのカナダ人選手が活躍しており、2年連続でシーズンMVPを獲得したスティーブ・ナッシュはその代表格である。 

サッカー[編集]

旧宗主国イギリスの国技の1つであるサッカーの人気は一部の移民一世世代を除いては、これまで隣国アメリカ合衆国と同様あまり高くなかった。しかし、近年はFIFAワールドカップUEFA欧州選手権などのテレビ中継の人気が高まり[43]、認知度が高まりつつある。大会開催中には自身または親世代の出身国チームの応援をする人々が増えており、各民族コミュニティーでは集まってテレビ観戦するなどの機会が増えている。

2007年にはメジャーリーグサッカー(MLS)で初めて米国外を本拠地とするトロントFCが誕生し、MLSのチーム中で最高の観客動員数を誇っている。2011年にはバンクーバー・ホワイトキャップス、2012年にはモントリオール・インパクトの参戦が決定した。さらには、オタワにもMLSチーム参加が検討されている。2007年にはFIFA U-20ワールドカップが開催され、将来的なFIFAワールドカップ誘致へ動いている。

モータースポーツ[編集]

カナダではフォーミュラ1カナダグランプリが1967年から毎年開催されている(2009年のみ不開催)。1978年からはモントリオールジル・ヴィルヌーヴ・サーキットが使用されている。また、インディカー・シリーズトロントエドモントンの市街地コースで開催されている。NASCARのカナダ国内選手権「NASCAR Canadian Tire Series」も国内各地で開催されている。

オリンピック[編集]

カナダでは冬季オリンピックが2回、夏季オリンピックが1回行われている。 

夏季オリンピック

冬季オリンピック

その他[編集]

カーリングは国民的なスポーツであり、現在行われている国際ルールはカナダで確立したもので、1807年に王立カーリングクラブが設立されたカナダは、現在も強豪国の1つである。ラクロスは北米プロリーグであるメジャーリーグ・ラクロスのチームもある。

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 日本国外務省 | 北米 | カナダ”. 2008年5月23日閲覧。
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  5. ^ Cinq-Mars, J. (2001). “On the significance of modified mammoth bones from eastern Beringia” (PDF). The World of Elephants - International Congress, Rome. http://www.cq.rm.cnr.it/elephants2001/pdf/424_428.pdf 2006年5月14日閲覧。. 
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  36. ^ Victoria Day
  37. ^ Family Day - Canada [3]
  38. ^ First Monday in August Holiday [4]
  39. ^ アイスホッケーは冬季の国技。夏季の国技はラクロスである
  40. ^ a b アイスホッケー・ワールドカップ2004を終えて,メープルタウン・バンクーバー,2009年9月10日閲覧
  41. ^ The Canadian Press (2006年6月8日). “Survey: Canadian interest in pro football is on the rise”. Globe and Mail. 2006年6月8日閲覧。
  42. ^ William Houston (2006年12月20日). “Grey Cup moves to TSN in new deal”. The Globe And Mail. 2006年12月23日閲覧。
  43. ^ The Globe and Mail, Is the beautiful game finally ready to conquer North America? [5]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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観光
その他