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、たて、: shield)は、刃物による斬撃や刺突、鈍器による打撃、及び弓矢投石銃器射撃などから身を守るための防具

表彰の際に贈られる記念品については、後述の記念・賞としての楯を参照。

素材[編集]

ルネッサンス後期には製が現れたが、ほとんどは製で、製のものもよく使用された。古い時代には青銅製もあり大変重い物であった。通常は縁を補強するが、バイキングはこれをせず材質も柔らかい木材を使った。相手の剣を盾で受け、刃が食い込んで動きがとれなくなった一瞬を狙う目的があった。現在は、ジュラルミンポリカーボネート製の盾がある。

歴史と形状[編集]

古代ヨーロッパ[編集]

ホプロンを装備するギリシャ兵が描かれた壷(紀元前550年頃)
スパルタンシールド

古代ギリシアや、それを源流とするヘレニズム文化圏では、ホプロンと呼ばれる丸盾と貫徹槍を装備した重装歩兵の密集陣形が活躍した。盾と槍の隙間無い陣形は、並大抵のことでは突破できず、ペルシア帝国との戦いでは、圧倒的な数の不利を逆転したという。

古代ローマの帝国初期の歩兵は、スクトゥムと呼ばれる四角、もしくは楕円形の大型のものを使用した。これを隙間なく並べ、個人の技量よりも集団の動きを重視し様々な陣形を組んだ。城壁に接近する場合は亀甲のように上面に盾を並べ投擲物から身を守った。散開した際も個々に使用し、ホプロンと比べてやや重い分、防御力が高い。また、帝国末期には、盾の裏に数本の投げ矢を装備する事もあった。

馬に乗るノルマン人は涙滴形を使った。これは円盾の下部が伸び、足を守るものである。騎士の持つアイロン形はこの上部が水平に切られた物で、ドイツ型はさらに裏から見て右片方の上辺が切り欠かれ、視界を良くした。この切り欠き部は騎馬突撃に際して槍の保持にも使う。ポーランドなどのものは左上辺が長く上に伸び、側頭部を守る。

金属で補強された盾は、縁を武器で連打して大きな音を出し、敵を威嚇することに使われた。日本の機動隊などポリカーボネート製の盾(ライオットシールド)を装備する現代の暴動鎮圧部隊でも行われる事がある。

円盾[編集]

標準的な円盾は両手の拳を突き合わせて肘から肘までの直径であった。もっとも基本的な物で、中心軸に持ち手があるセンターグリップ式である。ドーム状に膨らませるか、中央はアンブ-と呼ばれる金属半球がはめ込まれる。盾の中心軸を手で持つ空間を確保するものである。腕で盾を動かす範囲はおよそ左右上下20cmほどで足を除く全身が防御できる。汎用性に優れる為、標準的な盾で有り続け、陸上以外にも馬上や船上でもよく使われる。

また、センターグリップタイプの盾は腕が固定されないため、初心者向きである。アイロン形は腕を通すベルトがあり、完全に固定される。腕全体で支えるのでセンターグリップタイプよりも負担は少なく、強い衝撃にも耐えるが細かい動作ができない。行軍中はベルトをつけ背中に背負うようにした。アンブーは必ず金属でできている。大きな仰角をつけて放たれ、貫通力を高めた矢を防ぐためであった。

中世ヨーロッパ[編集]

中世ヨーロッパでは騎士道の象徴であり、盾の形状や紋章は厳格に規定・区分され、紋章を見れば騎士が誰かが分かる程だった。この盾の紋章から、西欧の紋章は発展した。騎士には必ず盾持ちの従者が伴っていた。中世終期にはが全身を覆う頑丈なプレートアーマーとなり、盾は小さくなったが、必要性は変わらなかった(ハンマーやメイス等の打撃武器に鎧は弱く、投石、熱した油、剣・槍や矢、火炎放射などの攻撃を受け流すのに盾は有効だった)。

弥生時代の日本[編集]

  • 岡山県岡山市の南方(みなみかた)済生会遺跡(弥生時代中期中葉)から出土した木製盾は針葉樹の板材製で、長さは21.7センチ(部分出土で全長は不明)。中央部にサヌカイト製の石鏃が刺さった状態で出土した。
  • 滋賀県守山市の下之郷遺跡(弥生時代中期後葉・1世紀前後)から出土した木製盾は長方形である。4枚のスギ板と2本のサカキの補強材を組み合わせて作られ、裏側には植物繊維が巻かれた把手(とって)がついていた。長さは105センチ。装飾などは見らない。当遺跡からは焼けた弓や折られた銅剣なども出土している。
  • 一支国の国都に比定されている原の辻遺跡長崎県壱岐島)からは色に塗られた木製盾が出土しており、また、鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡(弥生時代後期)からは色に塗られた盾[1]が出土している。
  • 奈良県田原本町の清水風遺跡(弥生時代中・後期)出土の土器絵画からは、左手に盾を持ち、右手に戈を持った羽飾りの戦士が線刻されており、戈と盾が併用されていたことを示す資料となっている。これが祭祀の様子を線刻したものなのか、別の様子を線刻したかは、不明[2]

古代日本[編集]

魏志倭人伝の記述として、倭人が木製楯を用いていたことが記述されている(漢字で楯と表記した場合、木製をさす)。

兵用矛楯

三國志』魏書東夷傳倭人条

奈良県の3世紀から4世紀にかけての遺跡[3]からは多くの木製盾と木製埴輪(矢傷などがない)が出土している。5世紀頃になると、鉄製[4]が登場し、以降、革製、石製盾(実用武具ではなく、石製埴輪であり、福岡県に見られる[5])なども用いられるようになり、5世紀末から6世紀にかけて、盾持人埴輪が盛んに古墳の周囲に置かれるようになる。古墳を悪霊・邪気の類から守るための呪具として制作されたとみられている。大阪府八尾市美園遺跡の方墳から出土した家形埴輪の2階の壁には盾を表す線刻があり、悪霊の建物への侵入を防ぐ役割を担っていたと解釈されている[6]。建物の四方に盾を立てたと推測されている[7]。また、『続日本紀』において、文武天皇2年(698年)11月に行われた大嘗に榎井倭麻呂が大盾を立てる儀礼を行い、以降、大嘗に当たり、物部・石上・榎井氏によって、大嘗宮の門に盾を立てることが慣行となったとある。古代日本において盾は実用具以外の面も持ち合わせており、権力者の墓や建物、宮門を悪霊の類から守る信仰は一例とみられる。中には、石室内に盾が描かれている例もある[8]。権力者の間で仏教が普及すると、こうした盾の信仰も忘れ去られたものとみられる。奈良県四条古墳出土の5世紀の木製盾やそれと形状が類似する盾形埴輪(奈良県から静岡県にかけて見られる上部がY字状でくびれが多い盾)などから5世紀当時の盾の長さは130センチ前後であり、盾持人埴輪の表現にある様に顔は丸出しだったとみられる(四条古墳出土の木製品については、祭祀盾[9]とする見解が一般的であるが、研究者によっては疑っており、杖とする見解もある。また、5世紀の近畿圏では小型な手持ち盾の例もある)。奈良県の5世紀の遺跡から出土した鉄製盾の長さも130センチ程である。この他、隼人盾があり、朝廷が隼人を制圧した後、内国に移配した結果、平城宮跡からも出土している。この隼人盾の長さは150センチである。これは、『延喜式』の「長さ五尺、広さ一尺八寸、厚さ一寸、頭には馬髪を編みつけ、赤白の土墨でもって鈎(こう)形を画く[10]」とある記述と合致し、外国からの客を迎える際の規定であった。6世紀の東国の盾持人埴輪を見る限り、西国よりシンプルなデザインとなっている。

西国・東国・隼人の武人に共通して多く見られる盾の模様は、三角形を単位紋とする鋸歯(きょし)紋、いわゆるギザギザ模様である。一説には悪霊に対する威嚇という呪術的な意味合いのものとされる。古墳時代の盾にはを塗っている例もある。

万葉集』の一巻と二十巻に盾に関する歌がある。一巻に記された歌は、弓を射る音が鳴ると、武官は楯を立てるという内容で、音に敏感に反応する武人の様子が描かれている。

大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母

『萬葉集』1巻 76 和銅元年戊申 元明天皇

中世日本[編集]

蒙古兵が立てる掻盾(竹崎季長蒙古襲来絵詞』)
火縄銃の一斉射撃を行う足軽部隊。身を守るために、盾を用いている。

日本では平安時代から室町時代初期にかけて掻盾を小型にしたような並べた厚板に鍋の取手の様な柄をつけた手盾があったが、主要武器の日本刀などが両手使いに発達すると、中世以降は鎧が発達し手にもつタイプの盾(手盾)がすたれた。一方[11][12]、地面に固定する型の盾(掻盾、垣盾などといわれる)が使われた。戦国時代になると矢だけでなく鉄砲銃弾からの防禦も重視されるようになり、利便性と防禦性の高さから竹束が用いられるようになった。これには大型の物と小型の物が存在し、小型の物は手に持っての銃弾防禦が可能であった。使用の際は弾丸の入射角に対し斜め鋭角に設置する(避弾経始)。また、濡らした厚地の布(場合によっては広げた甲冑など鋼板製のものも共に)を建物の門や戸口などに設置し、カーテンの原理(布地の柔軟性と避弾経始を組み合わせ、飛来物の軌道と威力を逸らす作用)により弾丸を逸らす事実上の置き盾も少数例ながらあった。同様に矢玉避けに背負う母衣も盾と見ることが出来る。手盾については後述(東洋の盾→)を参照。

戦国期に多く考案された盾として、「車盾」(下部に車輪を有した攻城用盾)があり、「掻盾牛(かいだてうし)」や「転盾(まくりたて)」、「木慢」[13]、「車竹束」、「車井楼( - せいろう)」(『軍法極秘伝書』内に記載される)などといったものがある。この他、近世の書『海国兵談』には、木慢と外観が似た吊り下げるタイプの盾の「槹木」があるが、これは城壁内に立て、城壁の上から来る投射物を防ぐための城壁を補助する盾で、車盾ではない。以上の事から、「手盾」、「置盾」、「車盾」と、それらに分類されない槹木のような「吊り下げるタイプの盾」が見られる。

古代中国[編集]

前5世紀の遺跡から出土した盾からも、この時点で高度な塗り装飾が行なわれていたことがわかる[14]。前4世紀出土のもので、反りがついており、布が貼られたもの(複合素材盾)もある(これらの盾の形状は、複雑かつ分類ができない)。鉄盾に関しては、『韓非子』の記述にある「重盾(じゅうじゅん)」が鉄盾を指すものと考えられており[15]、戦国期には用いられた。

弥生・古代日本と同様、古代中国でも実戦用だけでなく、行事用の盾があり、追儺がそれに当たる。この大陸式の行事用盾の文化は8世紀初めの日本、文武天皇の治世には伝わり(『広辞苑』一部参考)、『公事十二ヶ月絵巻』の絵画中にも、鬼を追う役が右手に五角の持盾(厳密には、右側が六角状で、一角多い為、「非対称の七角の盾」)、左手に矛を持つ姿が描かれ、祭事としても各地に伝承されている。中国では、こうした呪術的な面での使用は戦国期には見られ、『周礼』に記述される方相氏が、仮面をかぶり、戈と盾をもち、鬼霊を祓う呪術師一族としている(前述の、日本の清水風遺跡出土の土器線刻と通じ、時代的にも近い[16])。

現代[編集]

現代においては、手盾が戦争で使用されることはほとんど無くなったが、暴動鎮圧用として世界中の警察軍隊で装備されている。この種の盾(ライオットシールド)は、防弾性能はほぼ無いが、軽量で頑丈なジュラルミン製やポリカーボネート製のものが多く採用されている。また、セラミックや金属などで作られた小銃弾を防御可能な盾や、強靭なケブラー繊維で作られたカーペットのような盾(防弾性能では劣る)も存在しており、警察の銃器犯罪対策や軍隊の市街戦などで使用されている。ただし、重量が大きく扱いづらいという欠点がある。

車両や陣地に備え付けられる銃器には「防盾」と呼ばれる鋼鉄製の盾が付属することがある。地面に置く盾としては、より安価で効果的な土嚢などが使用される。

盾の形の分類[編集]

  • 四角盾
  • 長方盾
  • 丸盾・丸楯(牌・団牌・円楯・円盾)
  • 菱盾
  • 逆三角盾
  • 楕円盾
  • 五角盾
  • 木の葉盾
  • 槍盾
  • 剣盾
  • 環盾
  • 六角盾(ボルネオ島先住民イバン族に見られる)

盾の大きさの分類[編集]

  • 小盾・小楯(30cm以内)
  • 手楯・手盾・楯・盾(30〜60cm)
  • 大盾・大楯(0.6m〜1m)
  • 壁盾(1m以上)

種類[編集]

  • 戦闘用の盾と、儀式用の盾がある。
  • 戦闘時に手で持つ盾と、地面に固定する大型の盾がある。後者の代表的例は、弓兵が矢をつがえる間身を守るためのハピスと呼ばれるものである。日本で盾というとこのタイプを指す。
  • 鎧に盾の一部が付いている物が世界中にある。
  • 内側に短刀を仕込める盾もある。
  • 高い攻撃力を持たせる為に刃や突起物などを有する物や、ランタンや他の道具を取り付け複合化した物など。

記念・賞としての楯[編集]

比喩[編集]

  • 人間の盾』とは、施設に人質を配置するなどして空爆などを回避する戦術。人道的に非難される方法だが、反戦活動家などが自発的に参加することがある。またボディーガードなどが文字通り己の体を盾に攻撃を防ぐ様の比喩としても使われる。
  • 『後ろ盾』とは、陰から協力すること。
  • 矛盾』(むじゅん)とは、辻褄の合わないこと。中国の故事が由来。
  • 『砂漠の盾(デザートシールド)』とは、湾岸戦争の作戦名。
  • 『醜の御盾』(しこのみたて)とは、戦前の日本で武人がへりくだった自己表現で、天皇の護り手の意。
  • 『盾の半面』とは、物事を判断する上で、一面だけ見る事。
  • アメリカ合衆国の警察では、“市民の護り手”の意を込め、盾をかたどった身分証明徽章(バッジ)を使用している機関がある。

西洋の盾[編集]

バックラー(Buckler
相手に突きつけるように構える小型の盾。中型の盾とは異なった技術を要する。13世紀に書かれた西洋剣術の最も古いテキスト「Royal Armouries Ms. I.33」はバックラーとブロードソードの扱いを述べている。
レピア(レイピア)の時代に入っても好まれた息の長い防具である。中心に長いスパイクをつけたスコットランドの物はタージュと呼ばれる。レピアが使われた時代の物は太い針金をリング状にした物をつけたバックラーが見られる。これはソードブレイカーで、リング状部分で相手の剣を絡め折り取る。
ランタン・シールド(Lantern shield)
これは盾と篭手、腕鎧が一つになり、ダガー、戦闘には不要なはずのランタンまでもなぜかついていた(当該項の説明にあるように、夜間接近戦の際に光で相手の目を眩ますためだったとされている)。
原形はおそらくプレートアーマーの肘を大きく強化し盾の代用としたグリニッジ甲冑。甲冑が発達すると盾はトーナメントの際の紋章(看板がわり)と馬上鎗試合用のスポーツプロテクターとなった。左の胸に固定され、中には演出のために槍が当たるとバネで盾が飛散する仕掛けのものもあった。
デュエリング・シールド(Dueling shield)
ソードシールドやスパイクシールドとも呼ばれる大形の盾。棒術に使う棒に盾が付いたようなデザインで、両端はフックやスパイクになっている。扱うのに広い場所を要し、複数対複数の戦争には向かないため、裁判決闘に使われた。

東洋の盾[編集]

ティンベー
海亀の甲羅で出来た盾。ローチンと呼ばれる短い鉾と合わせて使われる[17]
団牌(だんぱい)
円形の盾全般。別名、蛮牌。右手に刀を持って使われる。また、模様は太極図八卦、虎の顔や鬼の顔なども描かれている。
籐牌(とうはい)
団牌の一種で籐などのかずらで籠のように編んだもの。籐とはラタンのことである。軽くて丈夫であったが突きや矢には弱い。
陣笠(じんがさ)
元来は簡易として作られた鍛鉄を紐を持って円形手盾として使用する。戦国時代以降鎧を着込む「具足剣術(鎧剣術)」の一つに構想された手法。
竹束 (たけたば)
竹で作った盾、攻城兵器に近い。

中南米の盾[編集]

板状方形の木盾にキルティングを施したなめした毛皮で被い長く垂らし、頭部や胸部は木盾で、その布地部分でカーテンの原理で下方から攻める敵刃を逸らして防いだ。マカナと呼ばれる剣やホルカンカと呼ばれる槍と一対で装備されることが多い。

現代の盾[編集]

前進体制を取る警察特殊部隊。一番手前の隊員が前衛。盾を構え、覗き窓越しに前方を確認している。
防弾
警察軍隊特殊部隊でまま見られる装備で、盾を使用する場合は突入班の前衛がこれを使う。防弾ガラスの覗き窓がついているものも多く、製品によってはライトも装着されている。拳銃などを射撃できるようにピストルポートがついたものもあるが、銃付き盾自体は15世紀には見られる。盾はその材質や形状で防弾性に差異がある。
ライオットシールド
ジュラルミンポリカーボネート製の手盾。主に警察で暴動鎮圧用として使用されているもの。投石による受傷を防ぐことに力点が置かれており、防弾機能はないのが一般的。
籐細工の盾
東南アジア諸国の暴動鎮圧部隊で使用。デモ参加者を傷つけないためのもの。

盾の精神性[編集]

攻撃を象徴する剣に対し、盾は防御の象徴として用いられる。マケドニアに代表されるファランクスは長い槍と盾を重ね合わせて隊列を作る密集部隊であった。兵士は自分だけでなく横に並んだ戦友の右半身を盾で守ることにより、部隊全体として完全に死角をなくす必要があった。したがって個人を守る鎧兜をなくす事より、仲間を守る盾をなくす事の方がはるかに不名誉な事とされた。また、「盾に担がれて凱旋する」は名誉な戦死を遂げた者が盾に乗せられ仲間に担がれたことを意味する。

盾の利点・欠点[編集]

盾の利点[編集]

  • 構えの状態や相手に押し付けるなどで、相手の攻撃方向を制限する。
  • 敵の弓などの射撃を防ぎつつ、接近戦に持ち込む。
  • 盾をかざして、体当たりに使う。
  • 盾で殴る。小型の盾ほど、この攻撃は行いやすい。
  • 複数の盾持ち兵を並べてファランクス(方形陣)を組み、敵陣を蹂躙する(古代の戦術)。

盾の欠点[編集]

  • 小型盾は足元への攻撃には弱い。
  • 大型盾は至近距離での格闘戦で邪魔になる。
  • 大型になればなるほど持ち運びが困難になる。
  • 大型盾の場合は死角が広がり、自身の(直射線上の)攻撃角度も大幅に制限される(攻撃能力の低下)。
  • 片腕が塞がれて攻撃力が大幅に低下する(片手での武器使用を余儀なくされる、強力な射撃武器が扱えない)。
  • 転倒すると、大きい盾ほど起き上がる時の邪魔になる。
  • 重量増加などにより機動性が低下する。サイズや形状によっては、隠密行動にも支障をきたす。
  • 盾に異物(矢や投擲槍など)が刺さったままの状態になるとバランスが悪くなり、保持し続けるのが困難になる(通常は投棄する)。
  • 一定以上の威力を持つ攻撃(長槍、斧、大型か強力な弩や弓や投石器等で有効射程内、攻城兵器など)で破壊されてしまう(技量によっては「受け流し」等で幾らか防せぐ事も可能では有る)。また、現代のような防弾仕様でない古代の盾は、銃弾が貫通する。

神話・伝説の盾[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 鳥取県文化財保護センターの復元では、長さ約120センチ、モミの木製。
  2. ^ 『田原本町埋蔵文化財調査年報6 1996年度』
  3. ^ 一例として、奈良県田原本町の保津・宮古遺跡出土の木製楯は3世紀後半のもので、長さ98センチ、幅65センチで、材質はオニグルミ製。直径1ミリ前後の無数の穴があることから糸で通して飾りを施し、置き盾として祭祀に用いられたと考えられている。形状については、湾曲していたものとみられる。ただし、その薄さから革製との指摘もある
  4. ^ 物部氏が奉納した鉄盾が著名(一族の威力を示す儀礼用盾とも)
  5. ^ 岩戸山古墳(6世紀前半)、高さ70センチ、中心には靭のような刻みがある
  6. ^ 日本の古代5 森浩一編 『前方後円墳の世紀』 1986年 中央公論社 p.320より
  7. ^ 古事記』には、崇神天皇記の記述として、赤の盾と矛を宇陀の墨坂神に、黒の盾と矛を大阪の神に祀って疫病の流行を防いだとある。大和国の東西の入口を防御する意味があったと捉えられている。
  8. ^ 熊本県三角町小田良古墳(6世紀後半)
  9. ^ 研究者による呼称は「石見型盾」だが、盾ではないという見解も強まり、現在、「石見型木製品」と呼称される
  10. ^ 盾の鉤形模様は、敵兵の霊を引っ掛ける意味があったとする説(佐野大和説)もある
  11. ^ ただし、投石や弓矢など対飛道具の手盾(危急の際に作る盾)として、鞘など棒の先に陣羽織などをぶら下げる「野中の幕」があり(諸流派の巻物に記述がある)、母衣と同様、からめとる原理で、刺さってもバランスが崩れない手盾であり、全くなかったというわけではない。
  12. ^ 持(手)盾の記述は、『太平記』巻二にもあり、また『法然上人絵伝』の中にも真四角の木盾を左手にもった武者が館に攻め入る姿が描かれ、14世紀前後の時点では、こうした軍記物や絵画でも確認でき、中世において一般武装でないにしろ、全く手盾が用いられなかったというわけではない。
  13. ^ 参考・『歴史人 5 2013』 pp.95 - 97
  14. ^ 『漆で描かれた神秘の世界 中国古代漆器展』 東京国立博物館 1998年 p.63
  15. ^ 陳舜臣 『中国の歴史 (二)』 講談社文庫 (11刷)1997年 p.24
  16. ^ ただし、日本の場合、『日本書紀』に、彦狭知神が盾作りを命じられているように、神の神に対する奉納盾の文化があり、盾に対する役割は必ずしも大陸とは同一ではない。
  17. ^ ティンベー術琉球古武術保存振興会)
  18. ^ 『石上神宮寶物誌』 p.54。

関連項目[編集]