天皇賞

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天皇賞(てんのうしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が春・秋に年2回施行する中央競馬重賞競走GI)である。

記事内では春に京都競馬場で施行される競走を天皇賞(春)(または「春の競走」)、秋に東京競馬場で施行される競走を天皇賞(秋)(または「秋の競走」)とそれぞれ表記する。

歴史[編集]

1905年5月6日に横浜の日本レースクラブが明治天皇から下賜された御賞典を賭けて争った「エンペラーズカップ」を前身としている[1]。その後、東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜されるなど各地の7競馬倶楽部が「帝室御賞典(ていしつごしょうてん)」を行うようになったが、日本競馬会(JRAの前身)が創設された翌年(1937年)に各競馬倶楽部が日本競馬会へ統合されたのを機に、施行場を阪神競馬場(春)と東京競馬場(秋)に集約して年2回の施行とし、同年12月3日に東京で行われた芝2600メートルの競走を「第1回帝室御賞典」とした。施行回数はここから通算している[2]

1938年春は芝2700メートルで施行した後、同年秋から春・秋とも芝3200メートルに変更。1944年[注 1]から施行場を京都競馬場に移した春の競走は現在も芝3200メートルで行われているが、秋の競走は1984年から芝2000メートルに変更され、現在は春が4歳以上の長距離王、秋は3歳以上の中距離王を決定するレースとして位置づけられている[2]

太平洋戦争の戦局悪化による中断を経て、戦後再開された1947年の春は「平和賞(へいわしょう)」の名称で施行。同年秋より名称が「天皇賞」となった[1]

JRAの設立以前より天皇賞は「古馬最高の栄誉」とされ、一度優勝した馬には出走資格を与えない「勝ち抜き制」が1980年まで存在した[2][注 2]。春・秋とも旧八大競走に含まれている。

また、長年クラシック三冠と同様に優秀な国内産種牡馬繁殖牝馬を選定する観点から国内産の牡馬牝馬しか出走できなかったが、競馬の国際化など時代の変化にあわせ徐々に出走条件の見直しが行われ、2000年から春・秋ともに2頭以内の外国産馬が出走可能になった[2]2005年から国際競走に指定され、外国産馬の出走頭数制限も廃止。2008年からは騸馬(去勢牡馬)も出走可能になった。

かつて宮内省(現:宮内庁)から優勝馬の馬主に下賜されていた御賞典(菊花御紋付銀製花盛器)は、太平洋戦争の戦局悪化に伴う貴金属資源の不足により、1941年から「競馬恩賞」と書かれた菊花御紋入りの木製(優勝馬主に対しての持ち回り賞品)に替わり、競馬関係者から「天皇楯(てんのうたて)」と呼ばれた。天皇賞の通称が「」と呼ばれるのは、これに由来している。優勝馬主は表彰式で天皇盾を受け取る際、白手袋を着用することが慣例になっている。

春の競走と秋の競走は開催地など競走条件が異なるものの同じ「天皇賞」であり、施行回数は春→秋と施行順に加算している。

天覧競馬[編集]

天覧競馬となった第146回天皇賞(秋)を優勝後、本馬場で下馬し貴賓席に最敬礼するデムーロ騎手

2005年の第132回天皇賞は「エンペラーズカップ100年記念」と副題がつけられ、今上天皇皇后の天覧競馬が実現した。天皇が天皇賞を観戦した例は史上初めてであり、天覧競馬も1899年以来106年ぶりとなった[3]。当初は前年の2004年に予定されていたが、同年10月23日に発生した新潟県中越地震の被害を考慮して取り止めとなっていた。

その後、「近代競馬150周年記念」と副題がつけられた2012年の第146回天皇賞でも天覧競馬が実施された。

2005年は競走前に天皇・皇后が場内の競馬博物館で「エンペラーズカップ100年記念 栄光の天皇賞展」を鑑賞[3]。競走後に優勝騎手の松永幹夫が貴賓席に対して馬上から最敬礼を行ったが、2012年の天覧競馬では優勝騎手のミルコ・デムーロがコース内でいったん下馬して最敬礼を行った。このような行為は騎乗馬が故障した場合を除き、競走後にコース内で騎手が下馬することを禁止する規則[4][注 3]に抵触するものであったが、これを理由とした制裁は行われなかった。

なお、今上天皇・皇后は皇太子皇太子妃だった1987年にも、天皇賞施行50周年を記念して行われた第96回天皇賞を台覧している。

負担重量[編集]

  • 定量で春季は4歳以上58kg、牝馬2kg減。秋季は3歳56kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減である。
    • 第1 - 3回は馬齢重量。第4 - 13回は4歳58kg・5歳以上60kg・牝馬1.5kg減。第15、16回は牡馬60kg・牝馬2kg減。第17 - 25回は4歳58kg・5歳以上60kg・牝馬2kg減。第26回は牡馬58kg・牝馬2kg減。春季の第27 - 135回は牡馬58kg・牝馬56kg。秋季の第28 - 94回は牡馬58kg・牝馬56kgだった[1]

以下は天皇賞(春)と天皇賞(秋)に分けて記述する。


天皇賞(春)[編集]

天皇賞(春)
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第145回天皇賞(春)
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗京都競馬場
施行時期 4月下旬 - 5月上旬
(原則3回京都4日目)
格付け GI
1着賞金 1億3200万円
賞金総額 2億5120万円
距離 芝・外3200m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(58kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1938年5月15日
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2006年4月30日、第133回天皇賞(春) 優勝:ディープインパクト

天皇賞(春)(てんのうしょうはる)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場3200メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

正式名称は「天皇賞」であるが開催時期からJRAが「天皇賞(春)」と表記しており競馬ファンや競馬関係者の間では「春の天皇賞」「春天」「春の盾」と呼ばれ、また京都競馬場で行われることから「淀の盾」とも呼ばれている。

正賞は天皇賞、日本馬主協会連合会会長賞。

概要[編集]

1938年に4歳(現3歳)以上の牡馬牝馬外国産馬含む)による重賞競走「帝室御賞典(春)」として創設。春の競走としての第1回は鳴尾競馬場の土2700メートルで施行された[1]

1939年からは施行距離を芝3200メートル、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。1944年太平洋戦争(戦時中)の影響により阪神競馬場海軍に接収されたため、施行場を京都競馬場の芝3200メートルに移し能力検定競走として施行[1]。以来「京都芝3200メートル」での施行が定着しており、現存する中央競馬の平地GI競走では最長距離[注 4]

1957年より昭和天皇の誕生日である4月29日の開催で1989年まで固定され、日曜日以外にも行われていた。1990年以降はゴールデンウィーク期間中の日曜日開催に変更され、現在に至る。

1984年からはグレード制施行により、GIに格付けされた。1995年からは指定競走とされ、所定の条件を満たした地方所属馬にも出走資格が与えられるようになった[1]

1972年より活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなったが、2000年から外国産馬は総収得賞金順に上位2頭(フルゲートに満たない場合は4頭)まで出走可能になった。その後も2004年からは外国産馬の出走枠が4枠に拡大、2005年からは国際競走に指定され外国調教馬が5頭まで出走可能になったほか、外国産馬の出走枠制限も撤廃された[1]

2008年より騸馬が出走可能となった[1]ほか、メルボルンカップオーストラリアの旗 オーストラリア、GI)の前年度優勝馬[注 5]を招待するようになった[注 6]。また、本競走の優勝馬には同年のメルボルンカップへの優先出走権が与えられる。

出走資格[編集]

  • 原則サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。
  • レーティング順位の上位5頭に対しては優先出走が認められる(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)。
  • その他の競走馬は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
  • 地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な着順 備考
阪神大賞典 GII 日本の旗阪神競馬場 芝3000m 1・2着 本競走のステップ競走指定
中央・地方の所属を問わずに、1着で優先出走権を付与(2014年から)
日経賞 GII 日本の旗中山競馬場 芝2500m
大阪杯 GII 日本の旗阪神競馬場 芝2000m

コース[編集]

京都競馬場の芝外回り3200メートル。向正面の中央付近から発走し、約1周半する。

賞金[編集]

グレード制が施行された第89回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第89回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第91回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第93回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 800万円
第95回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第97回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第99回(1989年) 1億9,000万円 1億円 4,000万円 2,500万円 1,500万円 1,000万円
第101回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第103回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第105回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1300万円
第107回(1993年)
第109回(1994年)
第111回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 3,300万円 2,000万円 1,320万円
第113回(1996年)
第115回(1997年)
第117回(1998年)
第119回(1999年)
第121回(2000年)
第123回(2001年)
第125回(2002年)
第127回(2003年)
第129回(2004年)
第131回(2005年)
第133回(2006年)
第135回(2007年)
第137回(2008年)
第139回(2009年)
第141回(2010年)
第143回(2011年)
第145回(2012年)
第147回(2013年)

歴史[編集]

  • 1938年 - 鳴尾競馬場の土2700メートルの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の馬齢重量の重賞競走「帝室御賞典(春)」として創設。
  • 1939年
    • 施行距離を3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上牡馬・牝馬に変更。
    • 負担重量を「馬齢重量」から「定量」に変更(負担重量は5歳(現4歳)は58キロ、6歳(現5歳)以上は60キロ、牝馬1.5キロ減に設定)[1]
  • 1944年 - 太平洋戦争の影響で能力検定競走として京都競馬場の芝3200メートルで施行[1]
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で施行中止[1]
  • 1946年 - 施行せず[1]
  • 1947年
    • 宮内庁との天皇賞の下賜調整が遅れた事により「平和賞」の名称で施行[1]
    • 負担斤量を5歳(現4歳)、6歳(現5歳)以上とも牡馬60キロ、牝馬2キロ減に変更[1]
  • 1948年
    • 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(春)」に変更[1]
    • 5歳(4歳)の負担重量を牡馬58キロ、牝馬2キロ減に変更[1]
  • 1953年
    • 6歳(現5歳)以上の負担重量を5歳(現4歳)と同じく、牡馬58キロ、牝馬2キロ減に変更[1]
    • レダが牝馬として史上唯一の春の天皇賞制覇。
  • 1957年 - この年から昭和天皇の誕生日である4月29日に開催。
  • 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1965年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200メートルで施行[1]
  • 1970年 - 阪神競馬場の芝3200メートルで施行[1]
  • 1972年
    • 前年の活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
    • 流行性の馬インフルエンザの影響で5月に順延開催。
  • 1974年 - 厩務員ストライキの影響で5月に順延開催。
  • 1979年 - 当競走で史上最多の21頭が出走。
  • 1980年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200メートルで施行[1]
  • 1981年 - 勝ち抜け制度(天皇賞優勝馬の出走制限)を廃止[1]
  • 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
  • 1987年 - 2位入線のニシノライデンが進路妨害により失格[1]
  • 1990年
    • 平成改元後、この年より開催日が変更され4月29日固定から日曜日に変更される。
    • スーパークリークが前年秋制覇と合わせて史上2頭目の天皇賞連覇[1]
  • 1991年 - メジロマックイーンが史上初の親子三代天皇賞制覇を達成。
  • 1992年
    • メジロマックイーンが史上初の春連覇。春2勝も史上初[1]
    • 武豊騎手として史上初の4連覇。
    • 池江泰郎調教師として史上初の連覇。
  • 1994年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200メートルで施行[1]
  • 1995年
  • 1996年 - 横山典弘サクラローレルとのコンビで制し、騎手としては史上初の天皇賞親子制覇達成。
  • 2000年 - 外国産馬の出走枠を2頭(条件付4頭)設ける[1]
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上牡馬・牝馬」から「4歳以上牡馬・牝馬」に変更。
    • メイショウドトウが外国産馬として出走第1号となる。
    • テイエムオペラオーが2頭目の春連覇(3頭目の春2勝)。前年の秋制覇と合わせて史上初の天皇賞3連覇[1]
    • 岩元市三が調教師として2人目の連覇。
  • 2004年 - 外国産馬の出走枠を4頭に拡大[1]
  • 2005年
    • 国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる[1]。オーストラリア調教馬のマカイビーディーヴァが出走第1号となる。
    • 安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
    • 外国産馬の出走枠制限を撤廃[1]
  • 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠を9頭に拡大[1]
  • 2008年
  • 2009年
    • 当年のみ、JRAプレミアムレースの対象競走となる[1]
    • 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(当競走施行当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第10競走に変更。
  • 2010年
    • クレイグ・ウィリアムズが外国人騎手として初めて春の天皇賞を制覇。
    • 11位入線のトーセンクラウンが進路妨害により18着に降着。
  • 2011年 - 東日本大震災の影響で、この年より第11競走として施行。
  • 2012年
    • 近代競馬150周年記念の副称を付けて施行[1]
    • JRA2連福対象競走に指定。
    • 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走。
    • 14番人気のビートブラックが優勝、春秋通じて初の単勝万馬券(15,960円)となる配当。
  • 2013年 - イギリス調教馬のレッドカドーが3着となり、外国調教馬として初めて馬券対象となる。

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第2回 1938年5月15日 ハセパーク 牡5 2:53 1/5 金者斤奉 門倉恒雄
第4回 1939年5月14日 スゲヌマ 牡4 3:31 0/5 伊藤正四郎 小山内重蔵 千明賢治
第6回 1940年5月19日 トキノチカラ 牡4 3:25 2/5 岩下密政 田中和一郎 菊池寛
第8回 1941年4月27日 マルタケ 牡5 3:25 4/5 清水茂次 榎壽逸
第10回 1942年4月19日 ミナミモア 牡4 3:25 1/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年4月11日 グランドライト 牡4 3:28 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第14回 1944年5月28日 ヒロサクラ 牡4 3:29 0/5 渋川久作 鶴丸広太郎
第15回 1947年5月11日 オーライト 牡4 3:34 1/5 元石正雄 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第17回 1948年5月16日 シーマー 牡4 3:25 3/5 長浜彦三郎 新堂捨蔵 島田幸次郎
第19回 1949年4月29日 ミハルオー 牡4 3:26 3/5 土門健司 久保田金造 石川了吉
第21回 1950年6月04日 オーエンス 牡4 3:34 3/5 土門健司 松田由太郎 桶谷辰造
第23回 1951年5月05日 タカクラヤマ 牡4 3:24 3/5 橋田俊三 伊藤正四郎 平島五郎
第25回 1952年5月03日 ミツハタ 牡4 3:23 1/5 渡辺正人 矢野幸夫 河野信一
第27回 1953年5月05日 レダ 牝4 3:24 2/5 佐藤勇 武田文吾 熊谷新太郎
第29回 1954年5月16日 ハクリヨウ 牡4 3:24 2/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第31回 1955年4月29日 タカオー 牡4 3:22 3/5 古山良司 上村大治郎 高須銀次郎
第33回 1956年4月15日 メイヂヒカリ 牡4 3:22 3/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第35回 1957年4月29日 キタノオー 牡4 3:21 3/5 勝尾竹男 久保田金造 田中留治
第37回 1958年4月29日 オンワードゼア 牡4 3:23 4/5 野平好男 二本柳俊夫 樫山純三
第39回 1959年4月29日 トサオー 牡4 3:23 1/5 野平祐二 松山吉三郎 溝本儀三男
第41回 1960年4月29日 クリペロ 牡5 3:25.0 保田隆芳 尾形藤吉 栗林友二
第43回 1961年4月29日 ヤマニンモアー 牡4 3:22.6 浅見国一 藤本冨良 土井宏二
第45回 1962年4月29日 オンスロート 牡5 3:27.6 山岡忞 中村広 田村喜志
第47回 1963年4月29日 コレヒサ 牡4 3:22.5 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第49回 1964年4月29日 ヒカルポーラ 牡5 3:26.8 高橋成忠 佐藤勇 坪田喜之助
第51回 1965年4月29日 アサホコ 牡5 3:27.1 加賀武見 藤本冨良 手塚栄一
第53回 1966年4月29日 ハクズイコウ 牡5 3:19.4 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第55回 1967年4月29日 スピードシンボリ 牡4 3:24.2 野平祐二 野平省三 和田共弘
第57回 1968年4月29日 ヒカルタカイ 牡4 3:24.6 野平祐二 藤本冨良 長山善健
第59回 1969年4月29日 タケシバオー 牡4 3:29.1 古山良司 三井末太郎 小畑正雄
第61回 1970年4月29日 リキエイカン 牡4 3:25.8 高橋成忠 柏谷富衛 水上力夫
第63回 1971年4月29日 メジロムサシ 牡4 3:33.5 横山富雄 大久保末吉 メジロ商事(株)
第65回 1972年5月07日 ベルワイド 牡4 3:20.4 加賀武見 阿部正太郎 鈴木賢一
第67回 1973年4月29日 タイテエム 牡4 3:25.0 須貝彦三 橋田俊三 (有)名鯛興業
第69回 1974年5月05日 タケホープ 牡4 3:22.6 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第71回 1975年4月29日 イチフジイサミ 牡5 3:22.1 郷原洋行 松永光雄 保坂勇
第73回 1976年4月29日 エリモジョージ 牡4 3:27.4 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第75回 1977年4月29日 テンポイント 牡4 3:21.7 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第77回 1978年4月29日 グリーングラス 牡5 3:20.8 岡部幸雄 中野隆良 半沢吉四郎
第79回 1979年4月29日 カシュウチカラ 牡6 3:20.2 郷原洋行 矢倉玉男 吉田権三郎
第81回 1980年4月29日 ニチドウタロー 牡4 3:18.7 村本善之 坂田正行 山田敏夫
第83回 1981年4月29日 カツラノハイセイコ 牡5 3:20.6 河内洋 庄野穂積 桂土地(株)
第85回 1982年4月29日 モンテプリンス 牡5 3:19.2 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八
第87回 1983年4月29日 アンバーシャダイ 牡6 3:22.3 加藤和宏 二本柳俊夫 吉田善哉
第89回 1984年4月29日 モンテファスト 牡6 3:22.3 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八
第91回 1985年4月29日 シンボリルドルフ 牡4 3:20.4 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第93回 1986年4月29日 クシロキング 牡4 3:25.4 岡部幸雄 中野隆良 阿部昭
第95回 1987年4月29日 ミホシンザン 牡5 3:20.4 柴田政人 田中朋次郎 堤勘時
第97回 1988年4月29日 タマモクロス 牡4 3:21.8 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第99回 1989年4月29日 イナリワン 牡5 3:18.8 武豊 鈴木清 保手浜弘規
第101回 1990年4月29日 スーパークリーク 牡5 3:21.9 武豊 伊藤修司 木倉誠
第103回 1991年4月28日 メジロマックイーン 牡4 3:18.8 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株)
第105回 1992年4月26日 メジロマックイーン 牡5 3:20.0 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株)
第107回 1993年4月25日 ライスシャワー 牡4 3:17.1 的場均 飯塚好次 栗林英雄
第109回 1994年4月24日 ビワハヤヒデ 牡4 3:22.6 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ
第111回 1995年4月23日 ライスシャワー 牡6 3:19.9 的場均 飯塚好次 栗林英雄
第113回 1996年4月21日 サクラローレル 牡5 3:17.8 横山典弘 境勝太郎 (株)さくらコマース
第115回 1997年4月27日 マヤノトップガン 牡5 3:14.4 田原成貴 坂口正大 田所祐
第117回 1998年5月03日 メジロブライト 牡4 3:23.6 河内洋 浅見秀一 (有)メジロ牧場
第119回 1999年5月02日 スペシャルウィーク 牡4 3:15.3 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第121回 2000年4月30日 テイエムオペラオー 牡4 3:17.6 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第123回 2001年4月29日 テイエムオペラオー 牡5 3:16.2 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第125回 2002年4月28日 マンハッタンカフェ 牡4 3:19.5 蛯名正義 小島太 西川清
第127回 2003年5月04日 ヒシミラクル 牡4 3:17.0 角田晃一 佐山優 阿部雅一郎
第129回 2004年5月02日 イングランディーレ 牡5 3:18.4 横山典弘 清水美波 吉田千津
第131回 2005年5月01日 日本の旗 スズカマンボ 牡4 3:16.5 安藤勝己 橋田満 永井啓弐
第133回 2006年4月30日 日本の旗 ディープインパクト 牡4 3:13.4 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第135回 2007年4月29日 日本の旗 メイショウサムソン 牡4 3:14.1 石橋守 高橋成忠 松本好雄
第137回 2008年5月04日 日本の旗 アドマイヤジュピタ 牡5 3:15.1 岩田康誠 友道康夫 近藤利一
第139回 2009年5月03日 日本の旗 マイネルキッツ 牡6 3:14.4 松岡正海 国枝栄 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第141回 2010年5月02日 日本の旗 ジャガーメイル 牡6 3:15.7 C.ウィリアムズ 堀宣行 吉田和美
第143回 2011年5月01日 日本の旗 ヒルノダムール 牡4 3:20.6 藤田伸二 昆貢 蛭川正文
第145回 2012年4月29日 日本の旗 ビートブラック 牡5 3:13.8 石橋脩 中村均 前田幸治
第147回 2013年4月28日 日本の旗 フェノーメノ 牡4 3:14.2 蛯名正義 戸田博文 (有)サンデーレーシング

天皇賞(秋)[編集]

天皇賞(秋)
Tosen-Jordan20111030(2).jpg
第144回天皇賞(秋)
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗東京競馬場
施行時期 10月下旬 - 11月上旬
(原則4回東京9日目)
格付け GI
1着賞金 1億3200万円
賞金総額 2億5120万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(3歳56kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1937年12月3日
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2006年10月29日、第134回天皇賞(秋)ダイワメジャー(優勝)とスウィフトカレントのゴール前の攻防

天皇賞(秋)(てんのうしょうあき)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場2000メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

正式名称は「天皇賞」であるが開催時期からJRAが「天皇賞(秋)」と表記しており競馬ファンや競馬関係者の間では「秋の天皇賞」「秋天」「秋の盾」と呼ばれ、また東京競馬場で行われることから「府中の盾」とも呼ばれている。

正賞は天皇賞、日本馬主協会連合会会長賞。

概要[編集]

1937年に4歳(現3歳)以上の牡馬・牝馬(外国産馬含む)による重賞競走「帝室御賞典(秋)」として創設。秋の競走としての第1回は東京競馬場の芝2600メートルで施行され[1]古馬の最強馬決定戦として位置付けられた。1938年からは施行距離を芝3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更[1]

1984年からグレード制施行によりGIに格付けされ、この際に施行距離を芝2000メートルに変更。これにより中距離の最強馬決定戦として位置付けられた[1]。なお、距離変更の発表時は競馬ファンや競馬関係者、一部の競馬評論家から反対の声もあった[5]

1981年からジャパンカップの新設に伴い施行時期が10月下旬 - 11月初旬に繰り上げられ、ジャパンカップへ向けたステップレースとしての意味合いも併せ持つようになった。

1995年からは指定競走となり、所定の条件を満たした地方所属馬にも出走資格が与えられるようになった[1]

春の競走と同様に1971年から外国産馬の出走ができなくなったが、2000年より外国産馬は総収得賞金順に上位2頭まで出走可能となった(2002年からはフルゲートにならなかった場合に限り4頭まで出走可能[注 7])。2004年からは外国産馬の出走枠が5頭に拡大、その後も2005年からは国際競走に指定され外国調教馬が5頭まで出走可能になったたほか、外国産馬の出走枠制限も撤廃された[1]

春の競走とは異なり、近代競馬では主流とされる芝2000メートルで施行される事から、マイラーからステイヤーまで多彩な距離適性の馬が出走する。また、3歳(旧4歳)馬も出走可能なことから菊花賞へ向かわず、本競走に出走する馬が一部みられる。なお、エリザベス女王杯の条件変更後は牝馬の出走数が減少傾向にある。

2000年よりジャパンカップ・有馬記念とともに「秋の古馬三冠競走」とされ、3競走を全て優勝した馬に褒賞金が贈られるようになった。

出走資格[編集]

  • 原則サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。
  • レーティング順位の上位5頭に対しては優先出走が認められる(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)。
  • その他の競走馬は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
  • 地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な着順 備考
オールカマー GII 日本の旗中山競馬場 芝・外2200m 1・2着 本競走のステップ競走指定
中央・地方の所属を問わずに、1着で優先出走権を付与(2014年から)
毎日王冠 GII 日本の旗東京競馬場 芝1800m
京都大賞典 GII 日本の旗京都競馬場 芝・外2400m

コース[編集]

東京競馬場の芝2000メートルで第1コーナーのポケットの奥から発走。

スタート地点から第2コーナーまでの距離が短くコーナーの曲率半径も小さいため、外枠(特に大外枠)の馬は不利とされている[6]2002年にコース改修が実施されたものの、依然として外枠不利の状況に変わりはなく、距離変更後に大外枠で優勝したのは1986年サクラユタカオー1989年スーパークリーク、2003年のシンボリクリスエスのみ。コース改修前の1991年には13番枠から発走したメジロマックイーンがスタート後に内側へ斜行し、1位で入線も審議の結果18着に降着となった。

大レースは枠順による有利不利が起こらない条件で行うべきと考えていた大川慶次郎は、生前にこのような状況を予測して距離が2000メートルに短縮された際最後まで反対意見を唱え、2000メートルで施行するなら中山競馬場にすべきと主張していた[注 8]

賞金[編集]

グレード制が施行された第90回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第90回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第92回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第94回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 800万円
第96回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第98回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第100回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第102回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第104回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第106回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1300万円
第108回(1993年)
第110回(1994年)
第112回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 3,300万円 2,000万円 1,320万円
第114回(1996年)
第116回(1997年)
第118回(1998年)
第120回(1999年)
第122回(2000年)
第124回(2001年)
第126回(2002年)
第128回(2003年)
第130回(2004年)
第132回(2005年)
第134回(2006年)
第136回(2007年)
第138回(2008年)
第140回(2009年)
第142回(2010年)
第144回(2011年)
第146回(2012年)

歴史[編集]

  • 1937年 - 東京競馬場の芝2600メートルの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の定量の重賞競走「帝室御賞典(秋)」として創設。
  • 1938年 - 施行距離を芝3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更[1]
  • 1944年 - 太平洋戦争の影響で施行中止[1]
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で施行中止[1]
  • 1946年 - 施行せず。
  • 1947年 - 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(秋)」に変更[1]
  • 1950年
    • 2位入線のエゾテツザンが進路妨害により失格[1]
    • 保田隆芳騎手として史上初の連覇。
  • 1951年 - 保田隆芳が騎手として史上初の3連覇。
  • 1954年 - オパールオーキツト外国産馬として史上初の制覇。
  • 1957年 - 保田隆芳が騎手として2度目の連覇。
  • 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1961年 - サチカゼが7着入線直後に心臓麻痺を発症して死亡。
  • 1967年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200メートルで施行[1]
  • 1971年 - 活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
  • 1973年 - 1番人気ハクホオショウがスタート直後に故障を発症して競走中止。
  • 1978年
  • 1981年 - 勝ち抜け制度(春の天皇賞の歴史の項を参照)を廃止[1]
  • 1984年
    • グレード制施行によりGIに格付け。
    • 施行距離を芝2000メートルに変更[1]
  • 1987年
    • 出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更[1]
    • 天皇賞競走施行50周年記念の副称が当年のみ付く[1]
    • 皇太子同妃夫妻の行啓により台覧競馬として開催。
  • 1988年 - タマモクロスが当年春制覇と合わせて史上初の天皇賞春秋連覇・天皇賞2勝目[1]
  • 1989年 - 天皇賞の開催回数が100回を迎える(春と秋の合算)。
  • 1991年 - 1位入線のメジロマックイーンが進路妨害により18着に降着[1]
  • 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬にも門戸が開かれる[1]
  • 1998年 - 圧倒的1番人気のサイレンススズカが第4コーナー手前で故障、競走中止。
  • 1999年 - スペシャルウィークが当年春制覇と合わせて3頭目の天皇賞連覇(同一年では2頭目)・5頭目の天皇賞2勝目[1]
  • 2000年
    • 外国産馬の出走枠を2頭(条件付4頭)設ける[1]
    • 秋の古馬GI報奨金制度の第1戦に指定。
    • テイエムオペラオーが当年春制覇と合わせて4頭目の天皇賞連覇(同一年では3頭目)・6頭目の天皇賞2勝目[1]
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上牡馬・牝馬」に変更。
    • アグネスデジタルが外国産馬出走解禁後初の制覇。
  • 2002年 - 東京競馬場の馬場改修工事の為、中山競馬場の芝2000メートルで施行[1]
  • 2003年
    • シンボリクリスエスが史上初の秋連覇。7頭目の天皇賞2勝目を挙げ、中山、東京の両方の開催地で制覇。
    • オリビエ・ペリエが外国人騎手として史上初の秋の天皇賞を制覇。
  • 2004年
    • 日本中央競馬会創立50周年記念の副称が当年のみ付く[1]
    • 外国産馬の出走枠を5頭に拡大[1]
    • 藤沢和雄調教師として史上初の3連覇。
    • オリビエ・ペリエが外国人騎手として初、日本人騎手を含めて2人目となる秋連覇。
    • 史上初の天覧競馬となる予定だったが、直前に発生した新潟県中越地震への影響を鑑み今上天皇および皇后美智子の臨席を取り止め。
  • 2005年
    • エンペラーズカップ100年記念の副称が当年のみ付く[1]
    • 国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる[1]
    • 外国産馬の出走枠制限を撤廃[1]
    • 今上天皇・皇后美智子が臨席、106年ぶりの天覧競馬。
    • この年に限り全11競走制で行われ、当競走は第10競走として施行された。
  • 2006年
    • 悠仁親王殿下御誕生慶祝の副称が当年のみ付く[1]
    • 安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
  • 2007年
    • 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠を9頭に拡大。
    • メイショウサムソンが当年春制覇と合わせて5頭目の天皇賞連覇(同一年では4頭目)・8頭目の天皇賞2勝目[1]
    • 8位入線のエイシンデピュティが進路妨害により14着に降着。
  • 2008年
    • 出走条件を「3歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上」に変更(騸馬の出走が可能になる[1])。
    • ウオッカが1:57.2のコースレコードで優勝。さらに2着にダイワスカーレットが入り、50年ぶり4度目の牝馬による1・2着。
    • 武豊が騎手として3人目の連覇。
  • 2009年
  • 2010年 - 15位入線のジャガーメイルが進路妨害により18着に降着。
  • 2011年 - トーセンジョーダンが1:56.1の芝2000メートル日本レコードで優勝[1]
  • 2012年
    • 近代競馬150周年記念の副称を付けて施行[1]
    • JRA2連福対象競走に指定[1]
    • 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走を認める。
    • 今上天皇・皇后美智子が臨席、7年ぶりの天覧競馬。
    • 当年から、本馬場入場曲が2009年までの関東GI競走の本馬場入場曲として使われた「グレード・エクウス・マーチ」に戻される。
  • 2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行予定。

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1937年12月03日 ハツピーマイト 牡3 2:48 1/5 新井朋次郎 秋山辰治 竹中久蔵
第3回 1938年11月03日 ヒサトモ 牝4 3:35 2/5 中島時一 宮崎信太郎
第5回 1939年11月03日 テツモン 牡4 3:24 4/5 保田隆芳 尾形景造 松山隆郎
第7回 1940年11月17日 ロツキーモアー 牡4 3:27 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 真藤慎太郎
第9回 1941年11月02日 エステイツ 牡4 3:24 3/5 田中康三 尾形景造 川内安忠
第11回 1942年11月01日 ニパトア 牝4 3:34 4/5 新屋幸吉 清水茂次 山本文吾
第13回 1943年11月07日 クリヒカリ 牡4 3:26 3/5 小西喜蔵 田中和一郎 栗林友二
第16回 1947年10月17日 トヨウメ 牡4 3:44 2/5 小林善衛 鈴木信太郎 中村正行
第18回 1948年11月23日 カツフジ 牡5 3:30 0/5 近藤武夫 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第20回 1949年11月03日 ニユーフオード 牡4 3:25 1/5 保田隆芳 小川佐助 吉木三郎
第22回 1950年11月03日 ヤシマドオター 牝4 3:28 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 小林庄平
第24回 1951年11月11日 ハタカゼ 牡4 3:24 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 癸生川善松
第26回 1952年11月16日 トラツクオー 牡4 3:24 4/5 小林稔 久保田金造 岩本政一
第28回 1953年11月15日 クインナルビー 牝4 3:23 0/5 境勝太郎 石門虎吉 高橋虎男
第30回 1954年11月21日 オパールオーキツト 牝4 3:33 2/5 中村広 稲葉幸夫 三坂成行
第32回 1955年11月20日 ダイナナホウシユウ 牡4 3:24 4/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第34回 1956年11月25日 ミツドフアーム 牡5 3:22 3/5 保田隆芳 尾形藤吉 草柳留三
第36回 1957年11月23日 ハクチカラ 牡4 3:29 3/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第38回 1958年11月23日 セルローズ 牝4 3:24 4/5 石毛善衛 柴田恒治郎 戸谷佐治
第40回 1959年11月23日 ガーネツト 牝4 3:24.5 伊藤竹男 稗田敏男 畑江五郎
第42回 1960年11月23日 オーテモン 牡5 3:27.1 野平好男 田中和夫 永田雅一
第44回 1961年11月23日 タカマガハラ 牡4 3.25.8 加賀武見 小西喜蔵 平井太郎
第46回 1962年11月23日 クリヒデ 牝4 3:27.4 森安弘明 大久保房松 栗林友二
第48回 1963年11月23日 リユウフオーレル 牡4 3:22.7 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第50回 1964年11月23日 ヤマトキヨウダイ 牡4 3:21.7 梶与四松 稲葉幸夫 門井みち
第52回 1965年11月23日 シンザン 牡4 3:22.7 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第54回 1966年11月03日 コレヒデ 牡4 3:24.2 保田隆芳 尾形藤吉 千明康
第56回 1967年11月23日 カブトシロー 牡5 3:25.5 久保田秀次郎 久保田彦之 (有)志賀
第58回 1968年11月23日 ニットエイト 牡4 3:20.3 森安弘明 矢倉玉男 太田和芳郎
第60回 1969年11月30日 メジロタイヨウ 牡5 3:33.0 横山富雄 八木沢勝美 北野豊吉
第62回 1970年11月29日 メジロアサマ 牡4 3:24.8 池上昌弘 保田隆芳 北野豊吉
第64回 1971年11月28日 トウメイ 牝5 3:23.7 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第66回 1972年11月26日 ヤマニンウエーブ 牡5 3:23.7 福永洋一 中村覚之助 土井宏二
第68回 1973年11月25日 タニノチカラ 牡4 3:22.7 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第70回 1974年11月24日 カミノテシオ 牡4 3:22.4 加賀武見 高橋英夫 保手浜正康
第72回 1975年11月23日 フジノパーシア 牡4 3:28.8 大崎昭一 柴田寛 真田繁次、高橋金次
第74回 1976年11月28日 アイフル 牡5 3:20.6 嶋田功 仲住芳雄 藤本義昭
第76回 1977年11月27日 ホクトボーイ 牡4 3:22.5 久保敏文 久保道雄 森滋
第78回 1978年11月26日 テンメイ 牡4 3:21.4 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第80回 1979年11月25日 スリージャイアンツ 牡4 3:33.5 郷原洋行 境勝太郎 松岡正雄 他2名
第82回 1980年11月23日 プリテイキャスト 牝5 3:28.1 柴田政人 石栗龍雄 高田久成
第84回 1981年10月25日 ホウヨウボーイ 牡6 3:18.9 加藤和宏 二本柳俊夫 古川嘉治
第86回 1982年10月31日 メジロティターン 牡4 3:17.9 伊藤正徳 尾形盛次 メジロ商事(株)
第88回 1983年10月30日 キョウエイプロミス 牡6 3:22.7 柴田政人 高松邦男 松岡正雄
第90回 1984年10月28日 ミスターシービー 牡4 1:59.3 吉永正人 松山康久 (株)丸沼温泉ホテル
第92回 1985年10月27日 ギャロップダイナ 牡5 1:58.7 根本康広 矢野進 (有)社台レースホース
第94回 1986年10月26日 サクラユタカオー 牡4 1:58.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第96回 1987年11月01日 ニッポーテイオー 牡4 1:59.7 郷原洋行 久保田金造 山石祐一
第98回 1988年10月30日 タマモクロス 牡4 1:58.8 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第100回 1989年10月29日 スーパークリーク 牡4 1:59.1 武豊 伊藤修司 木倉誠
第102回 1990年10月28日 ヤエノムテキ 牡5 1:58.2 岡部幸雄 荻野光男 (有)富士
第104回 1991年10月27日 プレクラスニー[注 9] 牡4 2:03.9 江田照男 矢野照正 田島栄二郎
第106回 1992年11月01日 レッツゴーターキン 牡5 1:58.6 大崎昭一 橋口弘次郎 (株)日本ダイナースクラブ
第108回 1993年10月31日 ヤマニンゼファー 牡5 1:58.9 柴田善臣 栗田博憲 土井肇
第110回 1994年10月30日 ネーハイシーザー 牡4 1:58.6 塩村克己 布施正 (株)大丸企業
第112回 1995年10月29日 サクラチトセオー 牡5 1:58.8 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第114回 1996年10月27日 バブルガムフェロー 牡3 1:58.7 蛯名正義 藤沢和雄 (有)社台レースホース
第116回 1997年10月26日 エアグルーヴ 牝4 1:59.0 武豊 伊藤雄二 (株)ラッキーフィールド
第118回 1998年11月01日 オフサイドトラップ 牡7 1:59.3 柴田善臣 加藤修甫 渡邊隆
第120回 1999年10月31日 スペシャルウィーク 牡4 1:58.0 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第122回 2000年10月29日 テイエムオペラオー 牡4 1:59.9 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第124回 2001年10月28日 アグネスデジタル 牡4 2:02.0 四位洋文 白井寿昭 渡辺孝男
第126回 2002年10月27日 シンボリクリスエス 牡3 1:58.5 岡部幸雄 藤沢和雄 シンボリ牧場
第128回 2003年11月02日 シンボリクリスエス 牡4 1:58.0 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第130回 2004年10月31日 ゼンノロブロイ 牡4 1:58.9 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第132回 2005年10月30日 日本の旗ヘヴンリーロマンス 牝5 2:00.1 松永幹夫 山本正司 (有)ノースヒルズマネジメント
第134回 2006年10月29日 日本の旗 ダイワメジャー 牡5 1:58.8 安藤勝己 上原博之 大城敬三
第136回 2007年10月28日 日本の旗 メイショウサムソン 牡4 1:58.4 武豊 高橋成忠 松本好雄
第138回 2008年11月02日 日本の旗 ウオッカ 牝4 1:57.2 武豊 角居勝彦 谷水雄三
第140回 2009年11月01日 日本の旗 カンパニー 牡8 1:57.2 横山典弘 音無秀孝 近藤英子
第142回 2010年10月31日 日本の旗 ブエナビスタ 牝4 1:58.2 C.スミヨン 松田博資 (有)サンデーレーシング
第144回 2011年10月30日 日本の旗 トーセンジョーダン 牡5 1:56.1 N.ピンナ 池江泰寿 島川隆哉
第146回 2012年10月28日 日本の旗 エイシンフラッシュ 牡5 1:57.3 M.デムーロ 藤原英昭 平井豊光
第148回 2013年10月27日 日本の旗 ジャスタウェイ 牡4 1:57.5 福永祐一 須貝尚介 大和屋暁

脚注[編集]

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  1. ^ 1944年の春は「能力検定競走」として、非公開で施行。
  2. ^ この制度は1950年まで中山大障害にもあった。
  3. ^ 返し馬時に重りを馬場に捨て、競走後に下馬しコース上に捨てた重りを再び装着して検量室に戻るという不正を未然防止するため。
  4. ^ 現存する最長距離の重賞競走は「ステイヤーズステークス(3600m)」。過去にはいずれも4000mで争われた「中山四千米」や、「日本最長距離ステークス」があった。
  5. ^ オーストラリアは8月から翌年7月を1シーズンとしている。
  6. ^ 2005年には2003・2004・2005年のメルボルンカップを優勝したマカイビーディーヴァ(Makybe Diva)が出走しているが、招待はされていなかった。
  7. ^ 2001年はフルゲートに満たなかったにもかかわらず、クロフネが外国産馬枠に外れて出走除外となり、波紋を呼んだため。
  8. ^ ただし、2002年のレースは東京競馬場の馬場改修工事により、中山競馬場で行われた。
  9. ^ メジロマックイーンが1位で入線したがスタート直後に斜行、最下位(18位)入線のプレジデントシチーの進路を妨害したとして審議の結果、最下位(18着)に降着処分、2位に入線したプレクラスニーが繰り上がりで1着優勝となった(参考:メジロマックイーンの走破時計 2:02.9)。

出典[編集]

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関連項目[編集]

天皇賞(春)[編集]

天皇賞(秋)[編集]

外部リンク[編集]