ミラ (競走馬)

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ミラ
欧字表記 Mira
品種 サラブレッド系種
性別
毛色 赤毛[1]鹿毛
生誕 1895年
死没 不明
不明
不明
母の父 不明
生国 オーストラリアの旗 オーストラリア
生産者 不明
馬主 ロシヤ氏[2]
調教師 不明
競走成績
生涯成績 13戦10勝
獲得賞金 不明
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ミラ(欧字名:Mira1895年 - 不明)は日本競走馬繁殖牝馬。子孫に帝室御賞典八大競走に優勝するなど活躍した競走馬が多く、本馬を基点とする牝系ミラ系と呼ばれる。

経歴[編集]

1895年オーストラリアで誕生したとされる。1899年9月、日本レース・倶楽部によって30頭のオーストラリア産軽種馬が輸入され、そのうちの一頭にミラが含まれていた。外見上はサラブレッドと思われたものの、血統書がなかったため血統不詳によりサラブレッド系種とされた。

競走馬時代は「ミラー」(英字表記はMirror)と呼ばれ[3]、同年11月21日横浜競馬場秋季開催の「くじ引き豪州競馬」でデビューし優勝。以後、横浜ダービーやジャパン・セントレジャー優勝を含め、翌年秋季開催3日目まで7連勝を遂げる。最終日に7歳の古馬ゼカウントに敗れ初の敗戦を喫したが、翌春の横浜開催ではふたたび3連勝。2日目のブリスベーン賞盃、3日目の混合優勝景物ではそれぞれ1600メートル、2000メートルのレコードタイムで走破した。

最後のシーズンとなった横浜秋季開催では、初日にホウフィンチ、最終日にゼクラウンと、それぞれ春季の混合優勝景物で破った相手に敗戦を喫し、これを最後に競走馬を引退した。通算成績は13戦10勝・2着3回であった。

競走馬引退後は、1500円という当時としては異例の高価で新冠御料牧場に買い上げられ、繁殖牝馬として繋養された[4]。繁殖としても優れた成績を残し、同じオーストラリア産サラブレッド系種である第二スプーネーとの間に産んだ牡駒シノリが帝室御賞典に優勝。シノリの全妹にあたる牝駒第二ミラ、第三ミラを介し、子孫から優秀な競走馬が次々と生まれた。ミラの血統が不詳であったことから、その子孫もミラと同様サラブレッド系種として扱われ、それを原因としてさまざまな不遇を受けたが、子孫で総合して帝室御賞典8勝、八大競走5勝うち東京優駿2勝と、サラブレッドと互角の成績を挙げた。

日本競馬黎明期に残した優れた競走成績、および繁殖牝馬としての成績・後年への影響から、今日ミラは「日本競馬最初の名牝」とも評されている。

競走成績[編集]

※空白部分は資料散逸により不明

年月日 レース名 着順 距離 タイム 優勝馬
1899 11. 21 横浜 クジ引き濠州産馬 1着 1200m 1:24.1
11. 22 横浜 濠州馬ハンデ 1着 1600m
1900 5. 14 横浜 コスモポリタン景物 1着 1200m 1:23 1/5
5. 15 横浜 横浜ダービー 1着 2400m 2:53 3/5
5. 16 横浜 混合優勝景物 1着 2000m 2:24 3/4
11. 5 横浜 万歳景物 1着 1800m 2:11 3/4
11. 6 横浜 ジャパンセントレジャー 1着 2400m 3:21.0
11. 7 横浜 混合優勝景物 2着 2000m 2:23 1/5 ゼカウント
1901 5. 13 横浜 コスモポリタン景物 1着 1200m 1:22.9
5. 14 横浜 ブリスベーン賞盃 1着 1600m R1:50.0
5. 15 横浜 混合優勝景物 1着 2000m R2:20.0
11. 4 横浜 明治22年以来5勝以上 2着 1600m 1:50 1/5 ホウフィンチ
11. 7 横浜 本邦産濠州産馬 2着 1600m 1:58 1/2 ゼクラウン
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

ミラの主な子孫[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 英語の「Red」を直訳したものであり、新冠御料牧場に購買されたとき鹿毛と変更されている(『日本の名馬・名勝負物語』p.6)。
  2. ^ ロシア公使館員の仮定名称
  3. ^ 『日本の名馬・名勝負物語』p.8
  4. ^ 同時に購買されたほかの2頭の価格は、それぞれ550円、650円であった(『書斎の競馬』p.109)。

参考文献[編集]

  • 早坂まさお「豪州からきた毛色赤の血統不明馬」(中央競馬ピーアール・センター編『日本の名馬・名勝負物語』〈1980年ISBN 4924426024〉所収)
  • 『競馬名牝読本』宝島社〈別冊宝島〉、1996年。ISBN 4796692479 
  • 伊与田翔「名牝ミラ神話の彼方へ」(『書斎の競馬』第1号〈1999年〉所収)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]