皐月賞

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皐月賞
Orfevre20110424.jpg
第71回皐月賞
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗中山競馬場
施行時期 4月中旬
(原則3回中山8日目)
格付け GI
1着賞金 9700万円
賞金総額 1億7500万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系3歳牡・牝(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
第1回施行日 1939年4月29日
特記 上位4着までに東京優駿(日本ダービー)への優先出走権
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皐月賞(さつきしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場2000メートルで施行する中央競馬重賞GI競走である。競走名は陰暦5月である皐月から。

「皐」の字が常用漢字外であるため一般紙[1]、競馬中継以外のテレビ番組などではさつき賞と表記されることもある。通常開催が中山競馬場となるGIでは2014年度現在唯一、フルゲート18頭出走可能な競走である。

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。

概要[編集]

1939年に当時の日本競馬会がイギリスクラシック競走である2000ギニーを範として[2]4歳(現3歳)牡馬牝馬限定の定量の重賞競走横浜農林省賞典四歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)として創設、第1回は現在とは違い横浜競馬場の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走阪神優駿牝馬京都農林省賞典四歳呼馬中山四歳牝馬特別と並ぶ「五大特殊競走」(五大クラシック競走)の1競走と位置づけされて、東京優駿競走と京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本の牡馬クラシック三冠競走を確立した。

1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800メートルで施行、1944年のみ太平洋戦争(戦時中)の影響で能力検定競走として農商省賞典四歳の名称で施行、1945年1946年は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の接収により開催中止、1947年からは施行距離を現在の芝2000メートルに変更、名称を農林省賞典に変更した。

1949年から施行場を現在の中山競馬場の芝1950メートルに変更、名称を現在の「皐月賞」に変更、翌年の1950年からは再び施行距離を芝2000メートルに戻し牡馬クラシック競走の第1戦として現在に至っている。

1963年ストライキの影響で5月12日に東京競馬場の芝2000メートルで順延開催、1964年は中山競馬場の改修工事により前年同様に東京競馬場の芝2000メートルで施行、1974年1976年は再度ストライキの影響により東京競馬場の芝2000メートルで順延開催、1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされた。

1988年は中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000メートルで施行、1995年からは指定交流競走となり皐月賞トライアルで優先出走権を得た地方所属の競走馬も出走できるようになり、2005年からは阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークスの1着馬およびJRAの芝の3歳重賞優勝馬が(収得賞金順で)出走権を獲得できるようになった。さらに2002年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能となり2005年には上位4頭に、2006年からはさらに上位5頭までに拡大された。

2011年東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故による計画停電(輪番停電)の影響で中山競馬が中止されたため、当初の予定より一週間延期した上で急遽東京競馬場の芝2000メートルで代替開催された。

現在の中央競馬の八大競走の1競走で東京優駿(日本ダービー)・菊花賞とあわせて中央競馬の3歳牡馬の三冠競走を構成する。東京優駿は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と称されるのに対し、皐月賞は三冠競走のなかで一番早い時期に行われ2000メートルという三冠競走の中で最も短い距離であることから「最もはやい馬が勝つ[3]と言われる。また一部でNHKマイルカップ・東京優駿(日本ダービー)と合わせて変則三冠競走と呼ばれる場合もあるが、皐月賞馬は東京優駿に直行してNHKマイルカップに出走することはない。

東京優駿は初期には牝馬の出走が多かったが、皐月賞は初期にトキツカゼが勝った例はあるが桜花賞の1週間後の日程なので牝馬は桜花賞に回ることが通例であり、1991年(第51回)のダンスダンスダンス(結果は5着)以降は22年間牝馬での出走馬は1頭もいなかったが、2014年(第74回)にバウンスシャッセが牝馬としては23年ぶりに出走(結果は11着)した。

このレースでは人気馬がそこそこ成績を残している一方で、2000年代に入ってからは荒れた決着になることが多い。特に三連複・三連単が導入されてからは2003年を除いては万馬券決着となっている。また馬連も2003年・2005年2010年2014年以外は万馬券決着となっている。

上位4着までに入賞した競走馬には東京優駿(日本ダービー)の優先出走権、2着までに入賞した地方所属馬にはNHKマイルカップの優先出走権が与えられる。

現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

出走資格[編集]

  • サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。
  • 以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる(最大8頭)。

トライアル競走

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
弥生賞 GII 日本の旗中山競馬場 芝2000m 国際競走 3着以内
若葉ステークス OP 日本の旗阪神競馬場 芝2000m 指定競走 2着以内
スプリングステークス GII 日本の旗中山競馬場 芝1800m 牡馬牝馬限定・国際競走 3着以内

未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できる弥生賞とスプリングステークスで2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる(この場合、収得賞金は1050万円になる)。若葉ステークスは、2着となっても収得賞金が加算できないため未勝利馬は1着となった場合のみ出走可能である。

  • 残りの枠(最低10頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる)。
  • 地方馬は上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た馬、もしくは阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークスの1着馬およびJRAの芝の3歳重賞で優勝した馬に出馬投票の権利が与えられ、JRA所属馬も含めた収得賞金順で出走することができる[4][5]

その他のステップレース[編集]

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件
きさらぎ賞 GIII 日本の旗京都競馬場 芝・外1800m 国際競走
共同通信杯 GIII 日本の旗東京競馬場 芝1800m 国際競走
アーリントンカップ GIII 日本の旗阪神競馬場 芝・外1600m 国際競走
毎日杯 GIII 日本の旗阪神競馬場 芝・外1800m 国際競走

負担重量[編集]

  • 定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。
    • 1回は牡馬55kg、牝馬53kg。2~6回は牡馬57kg、牝馬55.5kgだった。

賞金[編集]

グレード制が施行された第44回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第44回(1984年) 1億480万円 5500万円 2200万円 1400万円 830万円 550万円
第45回(1985年) 1億830万円 5700万円 2300万円 860万円 570万円
第46回(1986年) 1億1280万円 5900万円 2400万円 1500万円 890万円 590万円
第47回(1987年) 1億2330万円 6500万円 2600万円 1600万円 980万円 650万円
第48回(1988年) 1億3400万円 7000万円 2800万円 1800万円 1100万円 700万円
第49回(1989年) 1億4250万円 7500万円 3000万円 1900万円 750万円
第50回(1990年) 1億5730万円 8300万円 3300万円 2100万円 1200万円 830万円
第51回(1991年) 1億7200万円 9000万円 3600万円 2300万円 1400万円 900万円
第52回(1992年) 1億8160万円 9600万円 3800万円 2400万円 960万円
第53回(1993年)
第54回(1994年)
第55回(1995年) 1億8470万円 9700万円 3900万円 2400万円 1500万円 970万円
第56回(1996年)
第57回(1997年)
第58回(1998年)
第59回(1999年)
第60回(2000年)
第61回(2001年)
第62回(2002年)
第63回(2003年)
第64回(2004年)
第65回(2005年)
第66回(2006年)
第67回(2007年)
第68回(2008年)
第69回(2009年)
第70回(2010年)
第71回(2011年)
第72回(2012年)
第73回(2013年)

歴史[編集]

  • 1939年 - 横浜競馬場の芝1850mで「横浜農林省賞典四歳呼馬」として創設。
  • 1943年 - 施行場を東京競馬場の芝1800mに変更。
  • 1944年 - 名称を「農商省賞典四歳」に変更し、馬券発売を行わない能力検定競走として行う。
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
  • 1947年 - 名称を「農林省賞典」に変更し、距離を芝2000mに変更。
  • 1949年 - 名称を「皐月賞」に変更し、施行場を中山競馬場の芝1950mに変更。
  • 1950年 - 施行距離を芝2000mに戻す。
  • 1972年 - 流行性馬インフルエンザの影響で、5月最終週に順延して施行。
  • 1984年 - グレード制導入、GIに格付け。
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬も出走が可能に。
  • 2001年 - 馬齢表示が国際基準へ変更されたことに伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・ 牝馬」に変更。
  • 2002年 - 外国産馬が2頭まで出走可能となる。
  • 2007年 - 格付け表記をJpnIに変更。
  • 2010年
    • 国際競走に指定。外国調教馬・外国産馬を合わせて最大9頭まで出走可能となる。
    • 格付け表記をGIに戻す。
  • 2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行。

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1939年4月29日 ロツクパーク 牡3 1:58 4/5 稲葉幸夫 稲葉秀男 伊藤慶藏
第2回 1940年5月05日 ウアルドマイン 牡3 2:03 0/5 野平省三 野平省三 杉崎昇
第3回 1941年3月30日 セントライト 牡3 1:59 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第4回 1942年4月05日 アルバイト 牡3 1:58 0/5 小西喜蔵 田中和一郎 坂本清五郎
第5回 1943年4月11日 ダイヱレク 牡3 1:54 1/5 中村広 中村一雄 大橋達雄
第6回 1944年5月21日 クリヤマト 牡3 2:05 0/5 境勝太郎 清水茂次 栗林友二
第7回 1947年5月11日 トキツカゼ 牝3 2:11 1/5 佐藤嘉秋 大久保房松 川口鷲太郎
第8回 1948年5月16日 ヒデヒカリ 牝3 2:09 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 木村福太郎
第9回 1949年5月03日 トサミドリ 牡3 2:05 0/5 浅野武志 望月与一郎 斎藤健二郎
第10回 1950年5月05日 クモノハナ 牡3 2:11 1/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第11回 1951年5月13日 トキノミノル 牡3 2:03 0/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第12回 1952年4月27日 クリノハナ 牡3 2:06 2/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第13回 1953年4月26日 ボストニアン 牡3 2:04 4/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第14回 1954年4月18日 ダイナナホウシユウ 牡3 2:11 2/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第15回 1955年4月24日 ケゴン 牡3 2:04 0/5 野平好男 田中和一郎 吉川英治
第16回 1956年4月22日 ヘキラク 牡3 2:05 2/5 蛯名武五郎 藤本冨良 浅井礼三
第17回 1957年4月21日 カズヨシ 牡3 2:08 0/5 山本勲 柴田寛 里和カツエ
第18回 1958年4月20日 タイセイホープ 牡3 2:04 0/5 渡辺正人 星川泉士 浅野国次郎
第19回 1959年4月19日 ウイルデイール 牡3 2:03 3/5 渡辺正人 星川泉士 浅野国次郎
第20回 1960年4月17日 コダマ 牡3 2:05.9 渡辺正人 武田文吾 伊藤由五郎
第21回 1961年4月16日 シンツバメ 牡3 2:10.1 野平好男 松田由太郎 伊藤由五郎
第22回 1962年4月22日 ヤマノオー 牡3 2:04.8 古山良司 内藤潔 山口米吉
第23回 1963年5月12日 メイズイ 牡3 2:02.6 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第24回 1964年4月19日 シンザン 牡3 2:04.1 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第25回 1965年4月18日 チトセオー 牡3 2:05.1 湯浅三郎 加藤清一 野間美治
第26回 1966年4月17日 ニホンピローエース 牡3 2:07.6 田所稔 小川佐助 小林保
第27回 1967年4月30日 リユウズキ 牡3 2:06.6 郷原洋行 矢倉玉男 福井章哉
第28回 1968年5月19日 マーチス 牡3 2:06.3 保田隆芳 伊藤修司 大久保常吉
第29回 1969年4月20日 ワイルドモア 牡3 2:05.2 森安重勝 尾形藤吉 吉原貞敏
第30回 1970年4月12日 タニノムーティエ 牡3 2:07.9 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第31回 1971年5月02日 ヒカルイマイ 牡3 2:03.7 田島良保 谷八郎 岡達雄
第32回 1972年5月28日 ランドプリンス 牡3 2:03.5 川端義雄 高橋直 木村善一
第33回 1973年4月15日 ハイセイコー 牡3 2:06.7 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)ホースマンクラブ
第34回 1974年5月03日 キタノカチドキ 牡3 2:01.7 武邦彦 服部正利 初田豊
第35回 1975年4月13日 カブラヤオー 牡3 2:02.5 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第36回 1976年4月25日 トウショウボーイ 牡3 2:01.6 池上昌弘 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第37回 1977年4月17日 ハードバージ 牡3 2:05.1 福永洋一 伊藤雄二 吉嶺一徳
第38回 1978年4月16日 ファンタスト 牡3 2:04.3 柴田政人 高松三太 伊達秀和
第39回 1979年4月15日 ビンゴガルー 牡3 2:02.3 小島太 久保田彦之 (有)芦屋
第40回 1980年4月13日 ハワイアンイメージ 牡3 2:10.2 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)大関
第41回 1981年4月12日 カツトップエース 牡3 2:04.9 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第42回 1982年4月18日 アズマハンター 牡3 2:02.5 中島啓之 仲住芳雄 (株)東牧場
第43回 1983年4月17日 ミスターシービー 牡3 2:08.3 吉永正人 松山康久 (株)丸沼温泉ホテル
第44回 1984年4月15日 シンボリルドルフ 牡3 2:01.1 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第45回 1985年4月14日 ミホシンザン 牡3 2:02.1 柴田政人 田中朋次郎 堤勘時
第46回 1986年4月13日 ダイナコスモス 牡3 2:02.1 岡部幸雄 沢峰次 (有)社台レースホース
第47回 1987年4月19日 サクラスターオー 牡3 2:01.9 東信二 平井雄二 (株)さくらコマース
第48回 1988年4月17日 ヤエノムテキ 牡3 2:01.3 西浦勝一 荻野光男 (有)富士
第49回 1989年4月16日 ドクタースパート 牡3 2:05.2 的場均 柄崎孝 松岡悟
第50回 1990年4月15日 ハクタイセイ 牡3 2:02.2 南井克巳 布施正 渡辺重夫
第51回 1991年4月14日 トウカイテイオー 牡3 2:01.8 安田隆行 松元省一 内村正則
第52回 1992年4月19日 ミホノブルボン 牡3 2:01.4 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第53回 1993年4月18日 ナリタタイシン 牡3 2:00.2 武豊 大久保正陽 山路秀則
第54回 1994年4月17日 ナリタブライアン 牡3 1:59.0 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第55回 1995年4月16日 ジェニュイン 牡3 2:02.5 岡部幸雄 松山康久 (有)社台レースホース
第56回 1996年4月14日 イシノサンデー 牡3 2:00.7 四位洋文 山内研二 (株)イシジマ
第57回 1997年4月13日 サニーブライアン 牡3 2:02.0 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第58回 1998年4月19日 セイウンスカイ 牡3 2:01.3 横山典弘 保田一隆 西山正行
第59回 1999年4月18日 テイエムオペラオー 牡3 2:00.7 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第60回 2000年4月16日 エアシャカール 牡3 2:01.8 武豊 森秀行 (株)ラッキーフィールド
第61回 2001年4月15日 アグネスタキオン 牡3 2:00.3 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第62回 2002年4月14日 ノーリーズン 牡3 1:58.5 B.ドイル 池江泰郎 前田晋二
第63回 2003年4月20日 ネオユニヴァース 牡3 2:01.2 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第64回 2004年4月18日 ダイワメジャー 牡3 1:58.6 M.デムーロ 上原博之 大城敬三
第65回 2005年4月17日 ディープインパクト 牡3 1:59.2 武豊 池江泰郎 金子真人
第66回 2006年4月16日 メイショウサムソン 牡3 1:59.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第67回 2007年4月15日 ヴィクトリー 牡3 1:59.9 田中勝春 音無秀孝 近藤英子
第68回 2008年4月20日 キャプテントゥーレ 牡3 2:01.7 川田将雅 森秀行 (有)社台レースホース
第69回 2009年4月19日 アンライバルド 牡3 1:58:7 岩田康誠 友道康夫 (有)サンデーレーシング
第70回 2010年4月18日 日本の旗ヴィクトワールピサ 牡3 2:00.8 岩田康誠 角居勝彦 市川義美
第71回 2011年4月24日 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:00.6 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第72回 2012年4月15日 日本の旗ゴールドシップ 牡3 2:01.3 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第73回 2013年4月14日 日本の旗ロゴタイプ 牡3 1:58.0 M.デムーロ 田中剛 吉田照哉
第74回 2014年4月20日 日本の旗イスラボニータ 牡3 1:59.6 蛯名正義 栗田博憲 (有)社台レースホース

皐月賞の記録[編集]

  • レースレコード - 1:58.0(第73回優勝馬ロゴタイプ)
  • 2着との最大着差 - 8馬身(第14回優勝馬ダイナナホウシユウ)
  • 最多優勝騎手 - 3勝:蛯名武五郎(第8回、第13回、第16回) 渡辺正人(第18 - 20回) 岡部幸雄(第44、46、55回) 武豊(第53、60、65回) ミルコ・デムーロ(第63 - 64、73回)
  • 最多連続優勝騎手 - 渡辺正人 3連覇(第18 - 20回)
  • 最多勝調教師 - 田中和一郎 4勝(第3、4、11、15回)
  • 同一クラシック最多連続騎乗 - 19回連続 加賀武見(第21 - 39回)

父仔制覇[編集]

過去に7組の父仔制覇の例がある[6]

父馬名 優勝回 仔馬名 優勝回
1組目 シンザン 第24回 ミホシンザン 第45回
2組目 ハイセイコー 第33回 ハクタイセイ 第50回
3組目 トウショウボーイ 第36回 ミスターシービー 第43回
4組目 シンボリルドルフ 第44回 トウカイテイオー 第51回
5組目 アグネスタキオン 第61回 キャプテントゥーレ 第68回
6組目 ネオユニヴァース 第63回 アンライバルド 第69回
7組目 ネオユニヴァース 第63回 ヴィクトワールピサ 第70回

兄弟制覇[編集]

過去に3組の兄弟制覇の例があり、フリツパンシーの子、セントライト・アルバイト(のちにクリヒカリと改名)、トサミドリは3兄弟制覇を成し遂げている。以下は母馬から見た兄弟に限る[7]

兄馬名 優勝回 弟馬名 優勝回 母馬名
1組目 セントライト 第3回 アルバイト 第4回 フリツパンシー
2組目 トサミドリ 第9回
3組目 コダマ 第20回 シンツバメ 第21回 シラオキ

本競走とのクラシック二冠[編集]

中央競馬の牡馬二冠馬を参照。

ベストターンドアウト賞[編集]

地方競馬の「皐月賞」[編集]

地方競馬でも皐月賞を範した競走がある。地区内での中央競馬の皐月賞と同等の機能を持った競走に設定されている。以下は2009年現在施行されている競走のみ。

なお2000年から2007年まで荒尾競馬場荒尾ダービー九州皐月賞の副題が付けられていたが、2008年以降は外されている。

また皐月賞の名前は冠していないが、南関東地方競馬では大井競馬場羽田盃が中央競馬の皐月賞に相当する競走として位置づけられている。

府中の皐月賞[編集]

皐月賞が中山競馬場で行われるようになった1949年以降、何らかの理由で中山競馬場が使用できない場合に東京競馬場(府中)で開催されている[8]

代替理由 解説 優勝馬名
1956年 改修工事 中山競馬場改修工事のため、東京競馬場芝2000メートルで開催[9] ヘキラク
1963年 ストライキ 厩務員ストライキのため通常の開催時期に施行できず、スケジュールをずらして5月に東京競馬場で開催[10] メイズイ
1964年 改修工事 中山競馬場改修工事のため、東京競馬場芝2000メートルで開催[11] シンザン
1974年 ストライキ 厩務員ストライキのため通常の開催時期に施行できず、3週間延期となって東京競馬場で開催[12][13][8][14] キタノカチドキ
1976年 ストライキ 厩務員ストライキのため、1週間延期となって東京競馬場で開催[12][8][15] トウショウボーイ
1988年 改修工事 中山競馬場改修工事のため、東京競馬場芝2000メートルで開催[8][16] ヤエノムテキ
2011年 震災復旧 3月11日の東日本大震災により中山開催が中止[8][17] オルフェーヴル

エピソード[編集]

ゲート内で尻もち競走中止
2000年の第60回では佐藤哲三騎乗のラガーレグルスがゲートが開いたと同時に尻もちをつき、ゲートから出られなくなるというハプニングがあった。ルール上「ゲートから出なかった(これを「膠着」と表現する)馬は競走中止として扱う」ため競走は成立し、同馬は競走中止となり馬券の返還もなかった。しかも同馬は3番人気単勝オッズ7.0倍)だったため単勝売上だけで約10パーセントがスタートと同時に紙屑となってしまった。
また前年の1999年の第59回では幸英明騎乗のワンダーファングが競走前にゲート内で立ち上がり外傷を負った結果、競走除外になっている。両馬はともに1枠1番で、2年連続1枠1番の馬がレースにならないという事態になった。

脚注[編集]

  1. ^ 『読売新聞』朝刊 1964年4月19日
  2. ^ 第70回(2010年)での全周パトロール映像の冒頭部分では「JAPANESE 2000 GUINEAS」と明記されている[1]
  3. ^ JRA公式サイト「今週の注目レース」 - JRA公式サイト。2013年12月22日閲覧。
  4. ^ JRA公式サイト「今週の注目レース」 - JRA公式サイト。2013年12月22日閲覧。
  5. ^ □地が出走できるGI競走とそのステップ競走について(平成26年度) - JRA公式サイト。
  6. ^ 「優駿」2003年3月号 102P
  7. ^ 「優駿」2003年3月号 104P
  8. ^ a b c d e 日刊競馬で振り返るGII 2014年4月15日閲覧。
  9. ^ 日本の名馬・名勝負物語 155P
  10. ^ 日本の名馬・名勝負物語 261P
  11. ^ 日本の名馬・名勝負物語 269P
  12. ^ a b 日本中央競馬会開催従事員労働組合HP 開従労のあゆみ 2014年4月15日閲覧。
  13. ^ 日刊競馬で振り返る名馬 キタノカチドキ 2014年4月15日閲覧。
  14. ^ Gallop 2005年11月発行・菊花賞全史 131p
  15. ^ テンポイント物語 1973年11月発行 133P
  16. ^ 「優駿」2013年11月号・74P
  17. ^ 「優駿」2013年3月号・37P

関連項目[編集]

外部リンク[編集]