皐月賞

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皐月賞
Orfevre20110424.jpg
第71回皐月賞
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗中山競馬場
施行時期 4月中旬
(原則3回中山8日目)
格付け GI
1着賞金 9700万円
賞金総額 1億7500万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系3歳牡・牝(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
第1回施行日 1939年4月29日
特記 上位4着までに東京優駿(日本ダービー)への優先出走権
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皐月賞(さつきしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場2000メートルで施行する中央競馬重賞GI競走である。競走名は陰暦5月である皐月から。

「皐」の字が常用漢字外であるため一般紙[1]、競馬中継以外のテレビ番組などではさつき賞と表記されることもある。 通常開催が中山競馬場となるGIでは2014年度現在唯一、フルゲート18頭出走可能な競走である。

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。

概要[編集]

1939年に当時の日本競馬会がイギリスクラシック競走である2000ギニーを範として[2]4歳(現3歳)牡馬牝馬限定の定量の重賞競走横浜農林省賞典四歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)として創設、第1回は現在とは違い横浜競馬場の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走阪神優駿牝馬京都農林省賞典四歳呼馬中山四歳牝馬特別と並ぶ「五大特殊競走」(五大クラシック競走)の1競走と位置づけされて、東京優駿競走と京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本の牡馬クラシック三冠競走を確立した。

1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800メートルで施行、1944年のみ太平洋戦争(戦時中)の影響で能力検定競走として農商省賞典四歳の名称で施行、1945年1946年は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の接収により開催中止、1947年からは施行距離を現在の芝2000メートルに変更、名称を農林省賞典に変更した。

1949年から施行場を現在の中山競馬場の芝1950メートルに変更、名称を現在の「皐月賞」に変更、翌年の1950年からは再び施行距離を芝2000メートルに戻し牡馬クラシック競走の第1戦として現在に至っている。

1963年ストライキの影響で5月12日に東京競馬場の芝2000メートルで順延開催、1964年は中山競馬場の改修工事により前年同様に東京競馬場の芝2000メートルで施行、1974年1976年は再度ストライキの影響により東京競馬場の芝2000メートルで順延開催、1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされた。

1988年は中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000メートルで施行、1995年からは指定交流競走となり皐月賞トライアルで優先出走権を得た地方所属の競走馬も出走できるようになり、2005年からは阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークスの1着馬およびJRAの芝の3歳重賞優勝馬が(収得賞金順で)出走権を獲得できるようになった。さらに2002年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能となり2005年には上位4頭に、2006年からはさらに上位5頭までに拡大された。

2011年東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故による計画停電(輪番停電)の影響で中山競馬が中止されたため、当初の予定より一週間延期した上で急遽東京競馬場の芝2000メートルで代替開催された。

現在の中央競馬の八大競走の1競走で東京優駿(日本ダービー)・菊花賞とあわせて中央競馬の3歳牡馬の三冠競走を構成する。東京優駿は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と称されるのに対し、皐月賞は三冠競走のなかで一番早い時期に行われ2000メートルという三冠競走の中で最も短い距離であることから「最もはやい馬が勝つ[3]と言われる。また一部でNHKマイルカップ・東京優駿(日本ダービー)と合わせて変則三冠競走と呼ばれる場合もあるが、皐月賞馬は東京優駿に直行してNHKマイルカップに出走することはない。

東京優駿は初期には牝馬の出走が多かったが、皐月賞は初期にトキツカゼが勝った例はあるが、桜花賞の1週間後の日程なので、牝馬は桜花賞に回ることが通例であり、第51回のダンスダンスダンス(結果は5着)以降は22年間牝馬での出走馬は1頭もいない。

このレースでは人気馬がそこそこ成績を残している一方で、2000年代に入ってからは荒れた決着になることが多い。特に三連複・三連単が導入されてからは2003年を除いては万馬券決着となっている。また馬連も2003年・2005年2010年2013年以外は万馬券決着となっている。

上位4着までに入賞した競走馬には東京優駿(日本ダービー)の優先出走権、2着までに入賞した地方所属馬にはNHKマイルカップの優先出走権が与えられる。

現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

出走資格[編集]

  • サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。
  • 以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる(最大8頭)。

トライアル競走

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
弥生賞 GII 日本の旗中山競馬場 芝2000m 国際競走 3着以内
若葉ステークス OP 日本の旗阪神競馬場 芝2000m 指定競走 2着以内
スプリングステークス GII 日本の旗中山競馬場 芝1800m 牡馬牝馬限定・国際競走 3着以内

未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できる弥生賞とスプリングステークスで2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる(この場合、収得賞金は1050万円になる)。若葉ステークスは、2着となっても収得賞金が加算できないため未勝利馬は1着となった場合のみ出走可能である。

  • 残りの枠(最低10頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる)。
  • 地方馬は、上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た馬、もしくは阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークスの1着馬およびJRAの芝の3歳重賞で優勝した馬に出馬投票の権利が与えられ、JRA所属馬も含めた収得賞金順で出走することができる。[4][5]

その他のステップレース[編集]

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件
きさらぎ賞 GIII 日本の旗京都競馬場 芝・外1800m 国際競走
共同通信杯 GIII 日本の旗東京競馬場 芝1800m 国際競走
アーリントンカップ GIII 日本の旗阪神競馬場 芝・外1600m 国際競走
毎日杯 GIII 日本の旗阪神競馬場 芝・外1800m 国際競走

負担重量[編集]

  • 定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。
    • 1回は牡馬55kg、牝馬53kg。2~6回は牡馬57kg、牝馬55.5kgだった。

賞金[編集]

グレード制が施行された第44回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第44回(1984年) 1億480万円 5500万円 2200万円 1400万円 830万円 550万円
第45回(1985年) 1億830万円 5700万円 2300万円 860万円 570万円
第46回(1986年) 1億1280万円 5900万円 2400万円 1500万円 890万円 590万円
第47回(1987年) 1億2330万円 6500万円 2600万円 1600万円 980万円 650万円
第48回(1988年) 1億3400万円 7000万円 2800万円 1800万円 1100万円 700万円
第49回(1989年) 1億4250万円 7500万円 3000万円 1900万円 750万円
第50回(1990年) 1億5730万円 8300万円 3300万円 2100万円 1200万円 830万円
第51回(1991年) 1億7200万円 9000万円 3600万円 2300万円 1400万円 900万円
第52回(1992年) 1億8160万円 9600万円 3800万円 2400万円 960万円
第53回(1993年)
第54回(1994年)
第55回(1995年) 1億8470万円 9700万円 3900万円 2400万円 1500万円 970万円
第56回(1996年)
第57回(1997年)
第58回(1998年)
第59回(1999年)
第60回(2000年)
第61回(2001年)
第62回(2002年)
第63回(2003年)
第64回(2004年)
第65回(2005年)
第66回(2006年)
第67回(2007年)
第68回(2008年)
第69回(2009年)
第70回(2010年)
第71回(2011年)
第72回(2012年)
第73回(2013年)

歴史[編集]

日本中央競馬会設立以前(1939年 - 1953年)[編集]

  • 1939年
    • 横浜競馬場の芝1850mで「横浜農林省賞典四歳呼馬」として創設。
    • 第1回優勝馬ロツクパーク。生涯通算17戦3勝。稲葉秀男調教師。稲葉幸夫騎手。日本ダービーは出走取消。その後障害入り。引退後は不明。
    • 同馬はデビューの4月22日2着、翌23日1着、29日優勝。デビュー後1週間での栄冠。
    • 稲葉幸夫は、その後調教師として大活躍して、牝馬で桜花賞馬ナスノカオリ、オークス馬タケフブキ、オークス馬ナスノチグサ、二冠牝馬テイタニヤ、エリザベス女王杯馬ディアマンテ、エリザベス女王杯馬ビクトリアクラウン、そして牡馬で日本ダービー馬タケホープを育てる。
    • 2着エキスパークは日本ダービー4着。5着は第1回桜花賞(中山4歳牝馬特別)馬のソールレデイ。
  • 1940年
    • 優勝馬ウアルドマイン。生涯通算30戦5勝。日本ダービーは15着。秋の菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)は5着。後に日本ダービーを勝つイエリュウは出走せず。
    • 2着テツキヤク。4着テツザクラは秋の菊花賞を制す。
    • この1ヶ月後の競走で前年優勝馬ロツクパークと対戦。ウアルドマインが勝利。史上初の皐月賞馬対決であった。
  • 1941年
    • 優勝馬セントライト。生涯通算12戦9勝。後に日本ダービー・菊花賞を制して史上初の三冠馬となる。3月15日にデビュー勝ちして2戦目が皐月賞。田中和一郎調教師。小西喜蔵騎手。
    • 2着ミナミモア、日本ダービーは9着。秋の菊花賞は2着。翌年帝室御賞典(春)を制す。
  • 1942年
    • 優勝馬アルバイト。生涯通算13戦9勝。デビュー2戦目は兄セントライトと同じ。初の兄弟制覇であった。日本ダービーは2着。その後クリヒカリと改名して菊花賞3着。翌年帝室御賞典(秋)を制す。
    • 三冠競走を1着→2着→3着の結果は、その後1976年トウショウボーイのみ。
    • 2着ミナミホマレは日本ダービー1着。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは初。(着順が逆の場合も含めて)
    • 田中和一郎調教師として、小西喜蔵騎手として初の連覇。
  • 1943年
    • 優勝馬ダイヱレク。生涯通算9戦3勝。日本ダービーは未出走でクリフジと同い年。
    • クリフジはこの競走には出ず、5月にデビュー。4着ピロサクラは秋の菊花賞2着。
    • 施行場を東京競馬場の芝1800mに変更。
  • 1944年
    • 優勝馬クリヤマト。生涯通算8戦4勝。日本ダービーは4着。その日本ダービーを勝ったカイソウはこの競走には出走せず。
    • 名称を「農商省賞典四歳」に変更して馬券発売を行わない能力検定競走として行う。
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
  • 1946年 - アメリカ進駐軍の競馬場接収により中止。
  • 1947年
    • 優勝馬トキツカゼ。牝馬として史上初の制覇。デビュー後5連勝。生涯通算39戦11勝。日本ダービー2着。秋のオークス1着。繁殖入りしてオートキツ、オンワードゼアを出し、1984年に第1回顕彰馬となる。
    • 2着はマツミドリ。後の日本ダービーでトキツカゼを負かす。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは2度目。(着順が逆の場合も含めて)
    • 名称を「農林省賞典」に変更して距離を芝2000mに変更。
  • 1948年
    • 優勝馬ヒデヒカリ。生涯通算55戦11勝。牝馬として史上2頭目の制覇。蛯名武五郎初勝利。日本ダービー12着。秋のオークス2着。
    • キヨマサは2着。デビューして7連勝のミハルオーは3着。しかし日本ダービーでは大外発走から勝つ。
  • 1949年
    • 優勝馬トサミドリ。生涯通算31戦21勝。怪物と言われた馬だが、日本ダービーは無理な逃げで7着。その後菊花賞を含めて11連勝。初の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。セントライト・アルバイトとは兄弟馬。1984年第1回顕彰馬。
    • 2着はミナミホープ。後の日本ダービー4着。5着牝馬シラオキ。後の日本ダービー5着。同馬は繁殖入りして、コダマ・シンツバメの2頭の皐月賞馬の母となる。
    • 名称を「皐月賞」に変更し、施行場を中山競馬場の芝1950mに変更。
  • 1950年
    • 優勝馬クモノハナ。生涯通算28戦9勝。初勝利が8戦目で道悪の鬼と言われて、日本ダービーも不良馬場で勝ち、菊花賞は2着。皐月賞・日本ダービーの二冠馬は初。
    • 2着はハイレコード。秋の菊花賞で三冠を阻止する。
    • 第1回朝日杯3歳ステークスを勝ったアヅマホマレは4着。タカクラヤマは7着。
    • 施行距離を芝2000mに戻す。
  • 1951年
    • 優勝馬トキノミノル。生涯通算10戦10勝。朝日杯3歳ステークスを勝ち8連勝で皐月賞を勝ち、日本ダービーも勝つ。史上2頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。しかし日本ダービー後に悲劇が待っていた。
    • 田中和一郎調教師が3勝目。
    • 2着イッセイ。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは3度目。(着順が同じなのは初)。3着ミツハタ。8着トラックオーは秋の菊花賞を制す。
  • 1952年
    • 優勝馬クリノハナ。生涯通算11戦5勝。デビュー4連勝の栄冠。日本ダービーも制して史上3頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。その後菊花賞に挑戦することなく引退。尾形藤吉調教師は初勝利。
    • 朝日杯3歳ステークスを勝ったタカハタは2着。日本ダービーも同じ2着。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは4度目(着順が同じは2度目)。
    • 第1回スプリングステークスを勝ったアサトモは3着。
  • 1953年
    • 優勝馬ボストニアン。生涯通算28戦16勝。蛯名武五郎騎手は2勝目。日本ダービーも勝ち、菊花賞まで8連勝して三冠を期待されながら2着に終わる。史上4頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。
    • 2着のハクリョウは日本ダービー3着の後、秋の菊花賞でボストニアンを破って菊花賞馬となる。
    • スプリングステークスを勝ったチエリオは6着。

日本中央競馬会設立後から1960年代(1954年 - 1969年)[編集]

  • 1954年
    • 優勝馬ダイナナホウシユウ。生涯通算29戦23勝。デビュー後無傷の11連勝で栄冠。しかし日本ダービーで出遅れて4着。秋の菊花賞を制して、トサミドリ以来史上2頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬。その後翌年天皇賞(秋)を勝ち、翌々年第1回中山グランプリに出走するが脚を痛めてメイヂヒカリの11着で引退。同馬の23勝は現在でも中央競馬の最多勝記録として残っている。
    • 朝日杯3歳ステークス・スプリングステークスを勝ったタカオーは4着。
    • 公営出身のゴールデンウエーブは7着。後に日本ダービーを制す。
  • 1955年
    • 優勝馬ケゴン。生涯通算22戦5勝。日本ダービーは3着。作家吉川英治氏の持ち馬。
    • 田中和一郎調教師が4勝目。これは史上最多記録で今も破られていない。
    • 2着カミサカエは日本ダービーも2着。10着オートキツは日本ダービーを制す。
    • 朝日杯3歳ステークスを勝ったメイヂヒカリが断然の中で故障で出走せず、皐月賞はケゴン、日本ダービーはオートキツが勝ったが、秋にメイヂヒカリが復帰してから全く歯が立たなかった。
  • 1956年
    • 優勝馬ヘキラク。生涯通算38戦7勝。蛯名武五郎騎手は3勝目。これは騎手の最多勝記録として破られていない。同馬は日本ダービー3着。菊花賞4着。キタノオーとハクチカラとの三強の争いであった。
    • 朝日杯3歳ステークス・スプリングステークスを勝ったキタノオーは2着。秋の菊花賞を制す。12着ハクチカラは日本ダービーを制す。この三強はその後も続く。
    • 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで開催。
  • 1957年
    • 優勝馬カズヨシ。生涯通算20戦7勝。日本ダービーは2着。秋の菊花賞は出走せず。有馬記念9着。
    • スプリングステークスを勝ったヒカルメイジは2着。この後NHK杯1着で日本ダービーを勝つ。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは5度目。
    • 朝日杯3歳ステークス1着のキタノヒカリは故障で休養。2着のラプソデーは日本ダービー6着の後、秋の菊花賞を制す。その前のセントライト記念で同馬を破ったのがアラブのセイユウ。
  • 1958年
    • 優勝馬タイセイホープ。生涯通算19戦7勝。日本ダービー3着。星川泉士調教師が初勝利。渡辺正人騎手も初勝利。
    • 2着は朝日杯3歳ステークスを勝ったカツラシュウホウ。日本ダービーでまたも2着。
    • スプリングステークスを勝ったダイゴホマレは3着。そしてNHK杯1着の後日本ダービーを制す。
  • 1959年
    • 優勝馬ウイルデイール。生涯通算22戦9勝。その後NHK杯を勝ったが日本ダービー15着。
    • 星川泉士調教師が2勝目で調教師として史上2人目の連覇。渡辺正人騎手も2勝目。
    • スプリングステークスを勝ったメイタイが2着。その後日本ダービー3着。
    • 朝日杯3歳ステークスを勝ったウネビヒカリは7着。その後日本ダービー24着。
    • 皐月賞の1週間前の4歳中距離特別1着がハククラマ。後に日本ダービー7着、秋の菊花賞を制す。2着がコマツヒカリで日本ダービーを制して秋の菊花賞6着。日本ダービーを境にがらりと勢力図が変わる。
  • 1960年
    • 優勝馬コダマ。生涯通算17戦12勝。母シラオキ。スプリングステークス勝利後に皐月賞を制す。デビュー6連勝。日本ダービーも無敗で制して史上5頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。武田文吾調教師は初勝利。 渡辺正人騎手として史上初の3連覇。
    • 2着はマツカゼオー。3着キタノオーザは秋の菊花賞を制す。
    • 時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1961年
    • 優勝馬シンツバメ。父ヒンドスタン。生涯通算10戦4勝。母シラオキ。コダマとは兄弟制覇で史上3組目。皐月賞後に故障し翌年引退。
    • 朝日杯3歳ステークスを勝ったハクショウは11着。後の日本ダービーを制す。
    • スプリングステークスを勝ったユキロウは12着。8着アズマテンランは秋の菊花賞を制す。
  • 1962年
    • 優勝馬ヤマノオー。生涯通算29戦8勝。その後の日本ダービーでは2着。
    • スプリングステークスを勝った1番人気カネツセーキはデビュー後破竹の8連勝したが2着。その後日本ダービーも28着に終わる。4番人気のフェアーウインは11着。しかし次の日本ダービーを制す。
    • 8着リュウフォーレルは翌年天皇賞(秋)と有馬記念を制す。
    • 9着タカライジンは、その後障害入りして28戦21勝の記録を残したが、同世代のフジノオー(この2週間前に未勝利勝ち)に中山大障害でどうしても勝てず競走生命を絶たれる。フジノオーは中山大障害4連覇の記録を達成し英国グランドナショナルにも出走して障害通算56戦24勝の記録を残した。
  • 1963年
    • 優勝馬メイズイ。父ゲイタイム。生涯通算22戦15勝。スプリングステークス勝利後に皐月賞を制す。日本ダービーも制して史上6頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。尾形藤吉調教師は2勝目。
    • グレートヨルカは皐月賞前に一度メイズイを破って1番人気で2着。その後日本ダービーも2着。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは6度目。しかし秋の菊花賞を制す。
    • 厩務員ストライキにより5月に東京競馬場の芝2000mで順延開催。
  • 1964年
    • 優勝馬シンザン。父ヒンドスタン。生涯通算19戦15勝。スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。その後日本ダービー・菊花賞を制して史上2頭目の三冠馬。後に五冠馬となる。
    • 2着はアスカ。3着は朝日杯3歳ステークスを勝ったウメノチカラ。なお京成杯と第1回弥生賞を勝ったトキノパレードは出走せず。
    • 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで施行。
    • 当競走で史上最多の24頭が出走[6]。なお出走登録は25頭で当日、出走予定馬のサッポロホマレが騎手を振り落として逸走、競馬場外に逃げ出し競走除外となるアクシデントが発生。このとき、馬は甲州街道の車返(府中市京王線武蔵野台駅周辺一帯)付近まで逃げた。
  • 1965年
    • 優勝馬チトセオー。生涯通算24戦5勝。3月に未勝利戦を勝ち、4月に2勝目をあげて2週間後に皐月賞を制す。後に体調を崩し日本ダービーは断念。
    • スプリングステークスを勝ったダイコーターは2着。弥生賞を勝ったキーストンは14着。この両馬はこの後日本ダービーと菊花賞とも対決して、日本ダービーはキーストン、菊花賞はダイコーターが制した。
    • カブトシローが12着、翌々年天皇賞(秋)と有馬記念を制す。
  • 1966年
    • 優勝馬ニホンピロエース。生涯通算24戦10勝。阪神3歳ステークスを勝ち、弥生賞2着・スプリングステークス4着から巻き返した。その後日本ダービーは20着。
    • スプリングステークスを勝った1番人気ショウグンは2着。弥生賞を勝ったタマシュウホウは4着。京成杯を勝ったスピードシンボリは21着、後に天皇賞(春)と有馬記念及び宝塚記念を制す。
  • 1967年
    • 優勝馬リュウズキ。生涯通算35戦14勝。その後日本ダービーは5着。その日本ダービーは皐月賞からわずか2週間後に行われた。
    • 弥生賞を勝ったアサデンコウは7着。しかし日本ダービーで挽回する。朝日杯3歳ステークスを勝ったモンタサンは体調を崩し8着。スプリングステークスを勝ったメジロフレームは10着。
    • 翌年までのスタンド改築工事で窮屈な日程の上にさらに厩務員ストライキが重なり、もともと皐月賞と日本ダービーの間隔は6週間だがこの年は2週間となった。
    • 厩務員ストライキにより順延開催となり、この日は桜花賞NHK杯と同日開催となる。
  • 1968年
    • 優勝馬マーチス。父ネヴァービート。生涯通算31戦14勝。阪神3歳ステークス・きさらぎ賞・スプリングステークスを勝って皐月賞も制す。後にNHK杯1着で日本ダービーは4着。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、シンザン記念6着、オープン1着、きさらぎ賞1着、弥生賞3着、日本短波賞2着、スプリングステークス1着、皐月賞1着、NHK杯1着、日本ダービー4着。皐月賞がデビュー15戦目であった。しかしこの上をいくのがタニノハローモアであった。
    • 2着は朝日杯3歳ステークス・東京4歳ステークスを勝ったタケシバオー。3着は弥生賞・日本短波賞を勝ったアサカオー。タニノハローモアは6着、後に日本ダービーを勝つ。
    • 東京競馬場の改修工事により5月に開催。
    • 保田隆芳マーチスに騎乗し優勝、騎手として中央競馬史上初の八大競走完全制覇を達成。
  • 1969年
    • 優勝馬ワイルドモア。父ヒンドスタン。生涯通算22戦7勝。弥生賞・スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。その後骨折で1勝しか出来ず引退。父ヒンドスタン産駒の最後のGI級制覇であった。尾形藤吉調教師は3勝目。
    • また弥生賞・スプリングステークス・皐月賞の3連勝は同馬が初。以降3頭しか達成していない。
    • タカツバキが4着。同馬はその後日本ダービーで落馬。ミノルが4着、日本ダービーで2着。ダイシンボルガードが14着、後に日本ダービー1着となる。

1970年代[編集]

  • 1970年
    • 優勝馬タニノムーティエ。父ムーテイエ。生涯通算18戦12勝。弥生賞・スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。この後日本ダービーも制して史上7頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、きさらぎ賞1着、弥生賞1着、スプリングステークス1着、皐月賞1着。この後NHK杯2着、日本ダービー1着。なお前年夏デビューして函館3歳ステークス以降、出走できる機会があって出走しなかった重賞はシンザン記念のみであった。
    • また弥生賞・スプリングステークス・皐月賞の3連勝は同馬が2頭目。
    • 2着は朝日杯3歳ステークスを勝ったアローエクスプレス。東西の4歳馬代表が激突した季節であった。
  • 1971年
    • 優勝馬ヒカルイマイ。父シプリアニ。生涯通算15戦7勝。きさらぎ賞を勝って皐月賞を制す。この後日本ダービーも制して史上8頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、シンザン記念4着、オープン特別2着、きさらぎ賞1着、オープン2着、皐月賞1着。この後NHK杯1着、日本ダービー1着。
    • 弥生賞・スプリングステークスを勝ったメジロゲッコウは5着。10着ニホンピロムーテーは後に菊花賞を制す。11着ベルワイドは後に天皇賞(春)を制す。
    • 東京競馬場改修工事で例年より2週間遅く5月に開催。
  • 1972年
    • 優勝馬ランドプリンス。父テスコボーイ。生涯通算21戦6勝。弥生賞2着から皐月賞を制す。その後日本ダービー2着。菊花賞4着。また父テスコボーイ産駒が初制覇。
    • イシノヒカルが2着。無敗で5連勝したロングエースは3着。タイテエム7着。
    • 最初に注目された阪神3歳ステークス勝ちのヒデハヤテが大物と期待されて故障。弥生賞でロングエース、スプリングステークスでタイテエムが勝ち、ランドプリンスとの三強の争いはこの後ロングエースが日本ダービーを勝ち、秋にはイシノヒカルが菊花賞・有馬記念を、そして翌年タイテエムが天皇賞(春)を勝ったが相次いで有力馬が故障でターフを去り、夏に最後の大物タニノチカラが現れる。
    • 流行性の馬インフルエンザの影響で5月最終週に順延開催。
  • 1973年
    • 優勝馬ハイセイコー。父チャイナロック。生涯通算23戦13勝。弥生賞・スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、弥生賞1着、スプリングステークス1着、皐月賞1着。この後NHK杯1着、日本ダービー3着。3月以降の5つの重賞を全て走り、4連勝して最終目標の日本ダービーで敗れた。もし日本ダービーを勝って5連勝していたら空前の記録達成であった。
    • また弥生賞・スプリングステークス・皐月賞の3連勝は同馬が3頭目。これ以後は出ていない。
    • 4着イチフジイサミは後に天皇賞(春)を制す。7着カミノテシオは後に天皇賞(秋)を制す。タケホープはまだ条件馬であった。
  • 1974年
    • 優勝馬キタノカチドキ。父テスコボーイ。生涯通算15戦11勝。きさらぎ賞・スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。無敗の7連勝であった。しかし日本ダービーで3着。秋の菊花賞を制し、史上3頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。
    • 2着はコーネルランサー。後に日本ダービーを勝つ。
    • 東京4歳ステークス・弥生賞を勝ったカーネルシンボリが故障で断念したため、キタノカチドキはシード制が適用されて史上初の単枠指定馬になった。
    • 武邦彦騎手初勝利。この年桜花賞を制して初の桜花賞・皐月賞連続優勝騎手。
    • 厩務員ストライキにより5月に東京競馬場の芝2000mで順延開催。NHK杯と同日開催となる。
  • 1975年
    • 優勝馬カブラヤオー。父ファラモンド。生涯通算13戦11勝。東京4歳ステークス・弥生賞を勝って皐月賞を制し、この後日本ダービーも制して史上9頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、条件特別1着、東京4歳ステークス1着、弥生賞1着、皐月賞1着。この後NHK杯1着、日本ダービー1着。1か月1走で、3月以降は4走に抑えて、日本ダービーを勝った。
    • 2着ロングホーク。3着エリモジョージは後に天皇賞(春)と宝塚記念を制す。4着ロングファストは後に日本ダービー2着となる。
    • 菅原泰夫騎手初勝利。この年桜花賞を制して桜花賞・皐月賞連続優勝騎手。テスコガビーとでその後オークスと日本ダービーも連勝してこの記録は今も破られていない。
  • 1976年
    • 優勝馬トウショウボーイ。父テスコボーイ。生涯通算15戦11勝。デビュー5連勝で初重賞の皐月賞を制す。父テスコボーイ産駒は3頭目。関西から来て東京4歳ステークスとスプリングステークスを勝った5戦無敗のテンポイントと関東の4戦無敗のトウショウボーイとの一騎打ち。結果は5馬身差の圧勝。しかし誰もがトウショウボーイの二冠を疑わなかった日本ダービーは意外な結果となった。
    • テンポイントは2着、後に天皇賞(春)と有馬記念を制す。京成杯・弥生賞を勝ったクライムカイザーは5着、後に日本ダービーを勝つ。
    • 厩務員ストライキにより東京競馬場の芝2000mで順延開催。
  • 1977年
    • 優勝馬ハードバージ。父ファバージ。生涯通算11戦3勝。毎日杯を勝って皐月賞を制す。日本ダービーは2着。毎日杯から勝ち馬が出るのは初。
    • 福永洋一騎手初勝利。この年桜花賞を制して史上3人目の桜花賞・皐月賞連続優勝騎手。
    • 弥生賞を勝ったラッキールーラが2着。後に日本ダービー1着。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは7度目。(着順が逆も含めて)
  • 1978年
    • 優勝馬ファンタスト。生涯通算10戦3勝。弥生賞を勝って皐月賞を制す。日本ダービーは10着。柴田政人騎手が初勝利。
    • きさらぎ賞勝ちのインターグシケンが2着、後に菊花賞を制す。東京4歳ステークス勝ちのサクラショウリが3着、後に日本ダービーを勝つ。
  • 1979年
    • 優勝馬ビンゴガルー。生涯通算16戦7勝。朝日杯3歳ステークス勝ちの後、皐月賞を制す。日本ダービー4着。小島太騎手が初勝利。
    • スプリングステークス2着のカツラノハイセイコが2着。同馬は勝てないままNHK杯も3着の後日本ダービー1着。東京4歳ステークス・弥生賞・スプリングステークスと続けて勝ったリキアイオーが4着。日本ダービーも8着。ハシハーミットが11着、後に菊花賞を制す。

1980年代[編集]

  • 1980年
    • 優勝馬ハワイアンイメージ。生涯通算39戦11勝。増沢末夫騎手は2勝目。日本ダービー14着。
    • 重賞戦線で勝ち切れなかった馬が雨の皐月賞を制した。2着も毎日杯5着のオペックホース。スプリングステークスを勝ったサーペンプリンスは5着。弥生賞を勝ったトウショウゴッドは競走中止。そしてNHK杯はモンテプリンスが、日本ダービーはオペックホースが1着。
    • トライアル競走の勝ち馬が全く本番で勝てなかった。
  • 1981年
    • 優勝馬カツトップエース。生涯通算11戦4勝。16番人気の馬が皐月賞を制し、日本ダービーも勝って史上10頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。
    • 関西の重賞勝ち馬(サニーシプレー・ヒロノワカコマ・リードワンダー)が全て故障。大井から来たステイードは骨折。スプリングステークス勝ちのサンエイソロンも感冒で出走取消。東京4歳ステークス・弥生賞を勝ったトドロキヒホウは8着。中心馬不在の競走だったが結果は二冠馬誕生だった。
  • 1982年
    • 優勝馬アズマハンター。生涯通算14戦4勝。スプリングステークス3着から皐月賞を制す。日本ダービー3着。中島啓之騎手が初勝利。
    • ワカテンザンが2着。ロングヒエンは7着。逃げたハギノカムイオーは馬群に沈んで16着。
    • 東京4歳ステークス・弥生賞勝ちのサルノキングがスプリングステークスで故障。黄金の馬ハギノカムイオーは1月デビューでスプリングステークスを勝ったが無理なローテーションから連敗して休養、後に宝塚記念を勝つ。ロングヒエンは前年秋に新馬勝ちの後、ほぼ半年休養して阪神のオープンを勝って3戦目で挑戦する特異なローテーションであった。
    • その後ロングヒエンは日本ダービーで痛恨のフライング。ワカテンザンはまた2着。バンブーアトラスがこの頃まだ関西にいて、東上を目指していた。
  • 1983年
    • 優勝馬ミスターシービー。父トウショウボーイ。生涯通算15戦8勝。弥生賞勝ちから皐月賞を制す。父トウショウボーイとで親子制覇。その後日本ダービーと菊花賞を制し史上3頭目の三冠馬となる。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、共同通信杯1着、弥生賞1着、皐月賞1着、そして日本ダービー1着。
    • 2着はメジロモンスニー。日本ダービーでも2着。皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは8度目。
    • カツラギエースは11着、後に宝塚記念とジャパンカップを勝つ。ニホンピロウイナーは20着。
    • きさらぎ賞勝ちのニホンピロウイナーはこの時点では関西の期待馬だったが最下位の惨敗。陣営は関西に戻って短距離路線へ方向転換した。そして翌年にマイルGI競走が創設され、同馬の距離適性の血が開花して、安田記念1勝、マイルチャンピオンシップ2勝などの好成績を残し2年連続最優秀短距離馬となり歴史にその名を残すこととなった。
  • 1984年
    • 優勝馬シンボリルドルフ。生涯通算16戦13勝。弥生賞勝ちから皐月賞を制す。その後日本ダービーと菊花賞を制し史上4頭目の三冠馬。
    • 同馬の4歳時のローテーションは、弥生賞1着、皐月賞1着、そして日本ダービー1着。
    • 2着のビゼンニシキのローテーションは共同通信杯1着、弥生賞2着、スプリングステークス1着、皐月賞2着、NHK杯1着そして日本ダービー14着。実は初対決の弥生賞ではビゼンニシキの方が1番人気だった。この後、トライアル競走に出る回数を減らしてレース間隔を開けることが主流となり、かつての強行スケジュールで走る馬はいなくなった。
    • これ以降、弥生賞とスプリングステークスのどちらかを選択して、両方出走させるケースは減り、また皐月賞上位馬がNHK杯を使うことも少なくなった。
    • 岡部幸雄騎手は初勝利。また2着のビゼンニシキも同騎手が共同通信杯まで騎乗していた。
    • グレード制施行によりGIに格付け。
  • 1985年
    • 優勝馬ミホシンザン。父シンザン。生涯通算16戦9勝。スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。デビュー4連勝。しかし骨折で日本ダービーを断念。その後菊花賞を勝ち史上4頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。シンザン産駒の最高傑作。父とで親子制覇。柴田政人騎手は2勝目。
    • 朝日杯3歳ステークスを勝ったスクラムダイナが2着。弥生賞を勝ったスダホークは6着、日本ダービーは2着。クシロキングが13着、後に天皇賞(春)を勝つ。シリウスシンボリは出走せず、後に日本ダービーを制す。
  • 1986年
    • 優勝馬ダイナコスモス。生涯通算10戦4勝。弥生賞2着から皐月賞を制す。日本ダービーは5着。岡部幸雄騎手は2勝目。
    • シンザン記念・毎日杯を勝ったフレッシュボイスが2着、後に安田記念を勝つ。朝日杯3歳ステークス・弥生賞を勝ち無敗だったダイシンフブキは7着で以後ターフには戻ってこなかった。8着ニッポーテイオー、後に天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップ及び安田記念を勝つ。
    • 同じ馬主で共同通信杯を勝ったダイナガリバーは10着だが、日本ダービーでは関西から来たラグビーボールを振り切り宿願を果たす。
  • 1987年
    • 優勝馬サクラスターオー。生涯通算7戦4勝。弥生賞を勝って皐月賞を制す。東信二騎手は初勝利。しかし故障で日本ダービーは断念。7ヶ月後菊花賞を休養明けで快勝、史上5頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。だが栄光はここまでだった。
    • スプリングステークスを勝ったマティリアルが3着。朝日杯3歳ステークスを勝ったメリーナイスは7着、後に日本ダービーを勝つ。阪神3歳ステークスを勝ったゴールドシチーが2着。
    • この世代で大活躍した馬はイナリワン。当時イナリワンは大井所属だったため、中央競馬に出走できなかった。
  • 1988年
    • 優勝馬ヤエノムテキ。生涯通算23戦8勝。毎日杯4着から皐月賞を制す。西浦勝一騎手は初勝利。日本ダービーは4着。
    • 阪神3歳ステークスを勝ったサッカーボーイは脚部不安で見送り、後にマイルチャンピオンシップを勝つ。朝日杯3歳ステークス・弥生賞を勝ったサクラチヨノオーは3着で次の日本ダービーを勝つ。スプリングステークスを勝ったモガミナインは6着。シンザン記念を勝ったラガーブラックは9着で、同馬が東上前のペガサスステークスで2着となり、勝った馬がオグリキャップ。オグリキャップは快進撃を始めた頃だったがクラシック登録がなかったため三冠レースには出走できず、秋は天皇賞(秋)を目指した。スーパークリークが2勝目をあげて秋まで休養に入った。
    • 関西馬が勝つのはハードバージ以来11年ぶりであった。
    • 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000mで開催。
  • 1989年
    • 優勝馬ドクタースパート。生涯通算18戦7勝。的場均騎手が初勝利。道営競馬から3歳時に中央入り。スプリングステークス3着から皐月賞を制す。しかし日本ダービーは14着。
    • 朝日杯3歳ステークスを豪快に勝ったサクラホクトオーが不良馬場の弥生賞で12着して皐月賞は1番人気で最下位の19着。そしてダート2勝で勝ちあがってきたウィナーズサークルが2着。次の日本ダービーを制す。

1990年代[編集]

  • 1990年
    • 優勝馬ハクタイセイ。父ハイセイコー。生涯通算11戦6勝。きさらぎ賞を勝って皐月賞を制す。次の日本ダービーは5着。南井克巳騎手は2勝目。父ハイセイコーとで親子制覇。
    • 朝日杯3歳ステークス・共同通信杯を勝ったアイネスフウジンは2着、次の日本ダービーを制す。弥生賞を勝ったメジロライアンは3着、後に宝塚記念を勝つ。ホワイトストーンは8着。メジロマックイーンはまだ1勝馬で東上も叶わず。
  • 1991年
    • 優勝馬トウカイテイオー。父シンボリルドルフ。若駒ステークス・若葉ステークスを勝ちあがって皐月賞を制す。次の日本ダービーも制覇。史上11頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。生涯通算12戦9勝。松元省一調教師と安田隆行騎手は初勝利。牡馬の坂路調教馬では初のクラシック制覇。父シンボリルドルフとで親子制覇。
    • 阪神3歳ステークス・弥生賞を勝ったイブキマイカグラが4着。シャコーグレイドが2着。共同通信杯を勝ったイイデセゾンは3着。きさらぎ賞・スプリングステークスを勝ったシンホリスキーは15着。
  • 1992年
    • 優勝馬ミホノブルボン。生涯通算8戦7勝。朝日杯3歳ステークス・スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。デビュー以来5連勝。史上12頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。戸山為夫調教師と小島貞博騎手は初勝利。坂路の申し子。
    • ナリタタイセイが2着。ライスシャワーは8着で秋に三冠を阻止する。
  • 1993年
    • 優勝馬ナリタタイシン。生涯通算15戦4勝。シンザン記念2着・弥生賞2着から皐月賞を制す。次の日本ダービーは3着。武豊騎手は初勝利。また武邦彦とで騎手として親子制覇。
    • 同馬は前年暮れの阪神競馬場でのラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝ち、以後このレースが朝日杯3歳ステークスよりも注目されるようになった。2014年からホープフルステークスとして中山競馬場に移った。
    • 朝日杯3歳ステークス1着のエルウェーウィンは外国産馬で出走できず。
    • 朝日杯3歳ステークス2着のビワハヤヒデは2着、次の日本ダービーもまた2着、後に菊花賞を勝つ。弥生賞を勝ったウイニングチケットは4着、次の日本ダービーで初の栄冠。この3頭で三冠を分け合った。
  • 1994年
    • 優勝馬ナリタブライアン。父ブライアンズタイム。生涯通算21戦12勝。皐月賞と日本ダービー、秋の菊花賞も制して史上5頭目の三冠馬となる。
    • 同馬のローテーションは朝日杯3歳ステークスを勝って最優秀3歳牡馬となり、年明けから共同通信杯1着、スプリングステークス1着、皐月賞1着、そして日本ダービー1着。この頃には3月以降は月1走のローテーションが定着していた。
    • 大久保正陽が調教師として史上3人目の連覇。南井克巳騎手は2勝目。
    • 2着はサクラスーパーオー。8着はオフサイドトラップ、後に天皇賞(秋)を勝つ。
  • 1995年
    • 優勝馬ジェニュイン。父サンデーサイレンス。生涯通算21戦5勝。若葉ステークスから勝ちあがって皐月賞を制す。次の日本ダービーは2着。岡部幸雄騎手は3勝目。父サンデーサイレンス産駒が初制覇。重賞を使わず初の重賞で勝利を収めた。
    • 朝日杯3歳ステークス・弥生賞を勝ったフジキセキは直前に故障し引退。この馬もサンデーサイレンス産駒で、しかもラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝ったタヤスツヨシもサンデーサイレンスの産駒であった。そしてタヤスツヨシは皐月賞2着の後日本ダービーを制す。
    • 皐月賞と日本ダービーの1~2着馬が同じは9度目。(順番が逆の場合も)
    • 岡部幸雄騎手は3勝目。
    • 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 1996年
    • 優勝馬イシノサンデー。生涯通算19戦5勝。弥生賞3着から皐月賞を制す。次の日本ダービーは6着。
    • ラジオたんぱ杯3歳ステークス・きさらぎ賞を勝ったロイヤルタッチが2着。京成杯・共同通信杯を勝ったサクラスピードオーは7着。
    • 弥生賞を勝ったダンスインザダークは熱発で見送り、次の日本ダービーは2着、後に菊花賞を勝つ。朝日杯3歳ステークス・スプリングステークスを勝ったバブルガムフェローも骨折で春は断念して、秋に復帰し天皇賞(秋)を制す。そして2戦2勝のまま熱発に悩まされて皐月賞を見送らざるを得ず日本ダービーに進むことになったフサイチコンコルドがやがて栄冠を手にする。
    • 四位洋文騎手は初のクラシック競走の勝利であった。
  • 1997年
    • 優勝馬サニーブライアン。生涯通算10戦4勝。11番人気から皐月賞を制す。日本ダービーも制して史上13頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。大西直宏騎手は初勝利。
    • 同馬の4歳時のローテーションは若竹賞2着、ジュニアカップ1着、弥生賞3着、若葉ステークス4着、皐月賞1着、日本ダービー1着。重賞の経験は弥生賞のみで3着。あとは条件特別でしかも勝ったのは1つだけ。しかしそれでも二冠馬になれた。
    • 2着はシルクライトニング。同馬は日本ダービーの発走寸前に思わぬ不運に遭遇する。
    • ラジオたんぱ杯3歳ステークス・共同通信杯を勝ったメジロブライトは4着。弥生賞を勝ったランニングゲイルは6着。
  • 1998年
    • 優勝馬セイウンスカイ。生涯通算13戦7勝。弥生賞2着から皐月賞を制す。日本ダービーは4着。秋の菊花賞を勝ち史上6頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。横山典弘騎手は初勝利。
    • きさらぎ賞・弥生賞を勝ったスペシャルウィークは3着。次の日本ダービーで悲願を達成する。キングヘイローが2着、後に高松宮記念を勝つ。武豊と福永祐一がそれぞれ騎乗していた。
    • 同世代のグラスワンダーエルコンドルパサーは外国産馬のため出走できず。
  • 1999年
    • 優勝馬テイエムオペラオー。生涯通算26戦14勝。毎日杯から皐月賞を制す。次の日本ダービーは3着。秋の菊花賞は2着。岩元市三調教師と和田竜二騎手は初勝利。
    • 毎日杯優勝馬からの皐月賞優勝馬はハードバージ以来22年ぶり2頭目。他に毎日杯を勝ってはいないが使って皐月賞を制した馬としてヤエノムテキがいる。
    • 朝日杯3歳ステークスを勝ったアドマイヤコジーンが骨折のため戦線離脱。きさらぎ賞・弥生賞を勝ったナリタトップロードは3着で秋の菊花賞を制す。京成杯を勝ったオースミブライトは2着。ラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝ったアドマイヤベガは6着で次の日本ダービーを制する。
    • この年は三強で三冠を分け合ったが、翌年はテイエムオペラオーの独壇場となる。

2000年代[編集]

  • 2000年
    • 優勝馬エアシャカール。父サンデーサイレンス。生涯通算20戦4勝。弥生賞2着から皐月賞を制す。次の日本ダービー2着、秋の菊花賞を勝って史上7頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬。武豊騎手は2勝目。
    • 弥生賞を勝ったフサイチゼノンは直前に故障で断念。シンザン記念・スプリングステークスを勝ったダイタクリーヴァは2着。
    • アグネスフライトは若草ステークスで2勝目をあげて、この後京都新聞杯を勝って日本ダービーでエアシャカールをハナ差交わして優勝。三冠を阻止することになった。
  • 2001年
    • 優勝馬アグネスタキオン。生涯通算4戦4勝。ラジオたんぱ杯3歳ステークス・弥生賞を勝って皐月賞を制す。しかし屈腱炎を発症して引退。河内洋騎手は初勝利。そして騎手として三冠競走を全て制覇。
    • きさらぎ賞2着、アーリントンカップ1着のダンツフレームが2着。この後日本ダービーも2着。後に宝塚記念を勝つ。
    • ラジオたんぱ杯3歳ステークス2着、共同通信杯1着のジャングルポケットが3着。この後日本ダービーとジャパンカップを勝つ。
    • この年の菊花賞・有馬記念を制したマンハッタンカフェは不出走。
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・ 牝馬」に変更。
  • 2002年
    • 優勝馬ノーリーズン。生涯通算12戦3勝。15番人気から皐月賞を制す。1月の京都競馬でデビューして3ヶ月後の栄冠。池江泰郎調教師とブレット・ドイル騎手は初勝利。しかし日本ダービーで8着。菊花賞では武豊騎手が落馬。その後1勝も出来ず引退。
    • ブレット・ドイルが外国人騎手として史上初。2着はタイガーカフェ。
    • シンザン記念・アーリントンカップ・スプリングステークスを勝ったタニノギムレットは3着。後にNHKマイルカップに出走して3着の後、日本ダービーを優勝。このローテーションは異色で、この後日本ダービーへのステップとしてNHKマイルカップが注目されることになったが、皐月賞からNHKマイルカップに向かう馬は多くはなく、皐月賞馬が出走する例はこれまで無い。
    • ラジオたんぱ杯2歳ステークスを勝ったメガスターダムは5着。朝日杯フューチュリティステークスを勝ったアドマイヤドンは7着、後にダート路線で大活躍をする。弥生賞を勝ったバランスオブゲームは8着。
    • 外国産馬の出走枠が制限付きで2頭まで出走可能となる。
  • 2003年
    • 優勝馬ネオユニヴァース。生涯通算13戦7勝。きさらぎ賞・スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。瀬戸口勉調教師、ミルコ・デムーロ騎手は初勝利。次の日本ダービーを勝って史上14頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。しかし秋の菊花賞では3着に敗れる。
    • ミルコ・デムーロが外国人騎手として史上2人目。
    • 朝日杯フューチュリティステークス2着・スプリングステークス2着のサクラプレジデントは皐月賞も2着。
    • 朝日杯フューチュリティステークス・弥生賞を勝ったエイシンチャンプは3着。共同通信杯勝ちのラントゥザフリーズは4着。ラジオたんぱ杯2歳ステークス勝ちのザッツザプレンティは8着。秋の菊花賞を制す。
    • 13着のブルーコンコルドは後にダート路線で大活躍することとなる。
  • 2004年
    • 優勝馬ダイワメジャー。生涯通算28戦9勝。10番人気でスプリングステークス3着から皐月賞を制す。ミルコ・デムーロ騎手が2勝目。史上3人目の連覇。次の日本ダービーは6着。
    • ラジオたんぱ杯2歳ステークス・弥生賞を勝った道営競馬の1番人気コスモバルクは2着。朝日杯フューチュリティステークス・弥生賞とも2着のメイショウボーラーは3着。朝日杯フューチュリティステークスを勝ったコスモサンビームは4着。ハーツクライ14着。スズカマンボ17着。
    • コスモサンビームとメイショウボーラーはこの後NHKマイルカップに出て2・3着して勝ったのがキングカメハメハ。この馬が日本ダービーを制覇。一方皐月賞を勝ったダイワメジャーはやがてマイルGIを3勝する。またメイショウボーラーもやがてフェブラリーステークスを勝つ。マイル路線とダート路線が奇妙に交差する世代である。そしてその後の大物は14着ハーツクライで、やがてディープインパクトを破り、ドバイシーマクラシックで勝利を収める。さらに17着スズカマンボは天皇賞(春)を制している。
    • 同じ日に皐月賞に出れなかった馬が特別競走(ベンジャミンステークス)で3勝目をあげている。日本ダービーも出走は叶わなかったカンパニーはそれから5年後に充実の秋を迎えることになる。
    • デルタブルースは5月に2勝目をあげて秋の菊花賞を制することになる。
  • 2005年
    • 優勝馬ディープインパクト。生涯通算14戦12勝。弥生賞を勝って皐月賞を制し、その後日本ダービーと菊花賞を制して史上6頭目の三冠馬となる。無敗で三冠を制したのはシンボリルドルフ以来史上2頭目。武豊騎手は3勝目。
    • スタート時に落馬しかかったことは有名な話。
    • 2着はシックスセンス、日本ダービーは3着、その後香港ヴァーズ2着。3着は弥生賞2着アドマイヤジャパン、秋の菊花賞は2着。4着は朝日杯フューチュリティステークス1着・弥生賞3着マイネルレコルト。毎日杯を勝ったローゼンクロイツは9着、秋の菊花賞は3着。ラジオたんぱ杯2歳ステークスを勝ったヴァーミリアンは12着、後にダート路線で大活躍をする。
    • 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
  • 2006年
    • 優勝馬メイショウサムソン。生涯通算27戦9勝。スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。次の日本ダービーも勝ち史上15頭目の皐月賞・日本ダービーの二冠馬。石橋守騎手は初勝利。秋の菊花賞は4着。その後天皇賞を春秋連覇。
    • きさらぎ賞を勝ったドリームパスポートは2着。若葉ステークスを勝ったフサイチジャンクは3着。弥生賞を勝ったアドマイヤムーンは4着。朝日杯フューチュリティステークスを勝ったフサイチリシャールは5着。ラジオたんぱ杯2歳ステークスを勝ったサクラメガワンダーは6着。
    • 各トライアル競走の勝ち馬がずらりと並んだが、古馬になって大きく成長したのはアドマイヤムーンでドバイデューティーフリーを制し、宝塚記念・ジャパンカップも勝つ。
    • 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
  • 2007年
    • 優勝馬ヴィクトリー。父ブライアンズタイム。生涯通算16戦3勝。若葉ステークスを勝って皐月賞を制す。同馬はその後1勝も出来ず。そして日本ダービーは牝馬ウオッカが制覇。
    • 京成杯を勝ったサンツェッペリンが2着。共同通信杯を勝ったフサイチホウオーが3着。弥生賞を勝ったアドマイヤオーラが4着。きさらぎ賞を勝ったアサクサキングスが7着、次の日本ダービー2着の後、菊花賞を制す。
    • 6着ローレルゲレイロは翌々年の高松宮記念・スプリンターズステークスを制して香港とドバイにも遠征。8着ドリームジャーニーは翌々年の宝塚記念・有馬記念を制し皐月賞下位の馬が古馬になってから活躍した。
    • 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
    • 外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
  • 2008年
    • 優勝馬キャプテントゥーレ。父アグネスタキオン。生涯通算20戦5勝。弥生賞4着から皐月賞を制す。父アグネスタキオンとで親子制覇。川田将雅騎手は初勝利。その後1年4ヶ月後に復帰したが朝日チャレンジカップを連覇したのみで終わる。
    • 2着は弥生賞3着のタケミカヅチ。弥生賞を勝ったマイネルチャールズは3着。きさらぎ賞を勝ったレインボーペガサスは4着。弥生賞2着のブラックシェルは6着。
    • 毎日杯を勝ったディープスカイはNHKマイルカップを制して日本ダービーを勝つ。
    • オウケンブルースリはまだデビュー前で、この1週間後にデビューして6月に未勝利を勝ち、秋の菊花賞を制す。
    • クラシックに出走した馬が、古馬になって活躍馬が出てこない珍しい世代で、4歳時に有馬記念に1頭も出走馬が無かった。その間隙を牝馬ウオッカとブエナビスタが埋めることになる。
    • 皐月賞出走馬で最も勝利数をあげた馬は実は18着スマートファルコン。後にダート路線で活躍し生涯通算34戦23勝で内22勝はダートで勝ったもの。ジャパンダートダービーは2着、2年後東京大賞典を勝ち、さらに2年後ドバイワールドカップに挑戦し10着。皐月賞最下位の馬が競走馬として5年もの長い期間を全うした。また同世代の日本ダービー18着の最下位馬サクセスブロッケンもダートで活躍してジャパンダートダービーを優勝、フェブラリーステークス・東京大賞典も制している。なおこの世代最強のダート馬エスポワールシチーは同じ日に福島競馬場の未勝利戦5着で7月にやっと未勝利戦を勝っている。
    • 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
  • 2009年
    • 優勝馬アンライバルド。父ネオユニヴァース。生涯通算10戦4勝。スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。岩田康誠騎手は初勝利。父ネオユニヴァースとで親子制覇は史上6組目。但しその後1勝も出来ず引退。
    • 岩田康誠は地方競馬出身の騎手として史上初。
    • 若葉ステークス2着のトライアンフマーチが2着。朝日杯フューチュリティステークス1着・弥生賞8着のセイウンワンダーが3着。共同通信杯5着のシェーンヴァルトが4着。弥生賞を勝った1番人気ロジユニヴァースは14着。きさらぎ賞を勝った2番人気リーチザクラウンは13着。この1~2番人気馬は日本ダービーで雪辱したが、以降は尻すぼみの成績に終わった。
    • 前年の世代と同じでクラシックに出走した馬が古馬になって振るわない世代である。皐月賞出走馬では唯一ナカヤマフェスタが活躍したが、中心は牝馬ブエナビスタである。

2010年代[編集]

  • 2010年
    • 優勝馬ヴィクトワールピサ。父ネオユニヴァース。生涯通算15戦8勝。弥生賞を勝って皐月賞を制す。父ネオユニヴァースとで親子制覇は史上7組目。岩田康誠騎手は2勝目。また史上4人目の連覇。次の日本ダービーは3着。
    • ヴィクトワールピサはその後凱旋門賞7着、ジャパンカップ3着、有馬記念1着。そして4歳時にドバイワールドカップを優勝。
    • 若葉ステークス2着のヒルノダムールが2着、後に天皇賞(春)を制す。京成杯を勝ったエイシンフラッシュが3着で次の日本ダービーを制す。朝日杯フューチュリティステークスを勝ったローズキングダムが4着、後にジャパンカップを制す。
    • 後に菊花賞を制したビッグウィークは当時未勝利だった。
    • この世代は海外に行く馬が多く、ヴィクトワールピサ以外にルーラーシップ、ヒルノダムール、エイシンフラッシュで皐月賞には出走していないルーラーシップがクイーンエリザベス2世カップを制している。
    • 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIに戻す。
  • 2011年
    • 優勝馬オルフェーヴル。父ステイゴールド。生涯通算21戦12勝。スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。後に日本ダービー、菊花賞を制して史上7頭目の三冠馬となる。その後有馬記念、宝塚記念などを制して凱旋門賞を2年連続2着。
    • 弥生賞を勝ったサダムパテックが2着。後にマイルチャンピオンシップを勝つ。ラジオNIKKEI杯2歳ステークスを勝ったダノンバラードが3着。共同通信杯を勝ったナカヤマナイトが5着。きさらぎ賞を勝ったトーセンラーが7着。後にマイルチャンピオンシップを勝つ。スプリングステークス2着のベルシャザールが11着。後にジャパンカップダートを勝つ。
    • サダムパテックは翌年マイルチャンピオンシップを、トーセンラーは翌々年の同競走を勝っている。またベルシャザールは翌々年のジャパンカップダートを制している。
    • 東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故計画停電による影響で中山競馬が開催中止になったため、東京競馬場の芝2000mで施行[7]
  • 2012年
    • 優勝馬ゴールドシップ。父ステイゴールド。現役通算17戦10勝。共同通信杯を勝って皐月賞を制す。次の日本ダービーは5着だったが菊花賞を制し史上8頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。年末の有馬記念と翌年宝塚記念も制している。内田博幸騎手は初勝利。
    • 若葉ステークスを勝ったワールドエースが2着。スプリングステークス2着のディープブリランテが3着、後に日本ダービーを勝つ。弥生賞を勝ったコスモオオゾラが4着。スプリングステークスを勝ったグランデッツァが5着。
    • ディープブリランテは、その年の夏にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに挑戦したが8着に終わり、脚部を痛めて引退。
  • 2013年
    • 優勝馬ロゴタイプ。現役通算12戦5勝。スプリングステークスを勝って皐月賞を制す。ミルコ・デムーロ騎手は3勝目。その後日本ダービーは5着。
    • 弥生賞4着エピファネイアは2着、秋の菊花賞を制す。弥生賞3着コディーノは3着。弥生賞を勝ったカミノタサハラは4着。きさらぎ賞を勝ったタマモベストプレイは5着。アーリントンカップを勝ったコパノリチャードは13着。翌年に高松宮記念を制す。
    • キズナは毎日杯を勝ったが、皐月賞の出走を回避。京都新聞杯も勝って日本ダービーを制覇し、秋は凱旋門賞4着。
  • 2014年
    • 「JRA60周年記念」の副称を付ける。

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1939年4月29日 ロツクパーク 牡3 1:58 4/5 稲葉幸夫 稲葉秀男 伊藤慶藏
第2回 1940年5月05日 ウアルドマイン 牡3 2:03 0/5 野平省三 野平省三 杉崎昇
第3回 1941年3月30日 セントライト 牡3 1:59 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第4回 1942年4月05日 アルバイト 牡3 1:58 0/5 小西喜蔵 田中和一郎 坂本清五郎
第5回 1943年4月11日 ダイヱレク 牡3 1:54 1/5 中村広 中村一雄 大橋達雄
第6回 1944年5月21日 クリヤマト 牡3 2:05 0/5 境勝太郎 清水茂次 栗林友二
第7回 1947年5月11日 トキツカゼ 牝3 2:11 1/5 佐藤嘉秋 大久保房松 川口鷲太郎
第8回 1948年5月16日 ヒデヒカリ 牝3 2:09 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 木村福太郎
第9回 1949年5月03日 トサミドリ 牡3 2:05 0/5 浅野武志 望月与一郎 斎藤健二郎
第10回 1950年5月05日 クモノハナ 牡3 2:11 1/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第11回 1951年5月13日 トキノミノル 牡3 2:03 0/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第12回 1952年4月27日 クリノハナ 牡3 2:06 2/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第13回 1953年4月26日 ボストニアン 牡3 2:04 4/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第14回 1954年4月18日 ダイナナホウシユウ 牡3 2:11 2/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第15回 1955年4月24日 ケゴン 牡3 2:04 0/5 野平好男 田中和一郎 吉川英治
第16回 1956年4月22日 ヘキラク 牡3 2:05 2/5 蛯名武五郎 藤本冨良 浅井礼三
第17回 1957年4月21日 カズヨシ 牡3 2:08 0/5 山本勲 柴田寛 里和カツエ
第18回 1958年4月20日 タイセイホープ 牡3 2:04 0/5 渡辺正人 星川泉士 浅野国次郎
第19回 1959年4月19日 ウイルデイール 牡3 2:03 3/5 渡辺正人 星川泉士 浅野国次郎
第20回 1960年4月17日 コダマ 牡3 2:05.9 渡辺正人 武田文吾 伊藤由五郎
第21回 1961年4月16日 シンツバメ 牡3 2:10.1 野平好男 松田由太郎 伊藤由五郎
第22回 1962年4月22日 ヤマノオー 牡3 2:04.8 古山良司 内藤潔 山口米吉
第23回 1963年5月12日 メイズイ 牡3 2:02.6 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第24回 1964年4月19日 シンザン 牡3 2:04.1 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第25回 1965年4月18日 チトセオー 牡3 2:05.1 湯浅三郎 加藤清一 野間美治
第26回 1966年4月17日 ニホンピローエース 牡3 2:07.6 田所稔 小川佐助 小林保
第27回 1967年4月30日 リユウズキ 牡3 2:06.6 郷原洋行 矢倉玉男 福井章哉
第28回 1968年5月19日 マーチス 牡3 2:06.3 保田隆芳 伊藤修司 大久保常吉
第29回 1969年4月20日 ワイルドモア 牡3 2:05.2 森安重勝 尾形藤吉 吉原貞敏
第30回 1970年4月12日 タニノムーティエ 牡3 2:07.9 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第31回 1971年5月02日 ヒカルイマイ 牡3 2:03.7 田島良保 谷八郎 岡達雄
第32回 1972年5月28日 ランドプリンス 牡3 2:03.5 川端義雄 高橋直 木村善一
第33回 1973年4月15日 ハイセイコー 牡3 2:06.7 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)ホースマンクラブ
第34回 1974年5月03日 キタノカチドキ 牡3 2:01.7 武邦彦 服部正利 初田豊
第35回 1975年4月13日 カブラヤオー 牡3 2:02.5 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第36回 1976年4月25日 トウショウボーイ 牡3 2:01.6 池上昌弘 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第37回 1977年4月17日 ハードバージ 牡3 2:05.1 福永洋一 伊藤雄二 吉嶺一徳
第38回 1978年4月16日 ファンタスト 牡3 2:04.3 柴田政人 高松三太 伊達秀和
第39回 1979年4月15日 ビンゴガルー 牡3 2:02.3 小島太 久保田彦之 (有)芦屋
第40回 1980年4月13日 ハワイアンイメージ 牡3 2:10.2 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)大関
第41回 1981年4月12日 カツトップエース 牡3 2:04.9 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第42回 1982年4月18日 アズマハンター 牡3 2:02.5 中島啓之 仲住芳雄 (株)東牧場
第43回 1983年4月17日 ミスターシービー 牡3 2:08.3 吉永正人 松山康久 (株)丸沼温泉ホテル
第44回 1984年4月15日 シンボリルドルフ 牡3 2:01.1 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第45回 1985年4月14日 ミホシンザン 牡3 2:02.1 柴田政人 田中朋次郎 堤勘時
第46回 1986年4月13日 ダイナコスモス 牡3 2:02.1 岡部幸雄 沢峰次 (有)社台レースホース
第47回 1987年4月19日 サクラスターオー 牡3 2:01.9 東信二 平井雄二 (株)さくらコマース
第48回 1988年4月17日 ヤエノムテキ 牡3 2:01.3 西浦勝一 荻野光男 (有)富士
第49回 1989年4月16日 ドクタースパート 牡3 2:05.2 的場均 柄崎孝 松岡悟
第50回 1990年4月15日 ハクタイセイ 牡3 2:02.2 南井克巳 布施正 渡辺重夫
第51回 1991年4月14日 トウカイテイオー 牡3 2:01.8 安田隆行 松元省一 内村正則
第52回 1992年4月19日 ミホノブルボン 牡3 2:01.4 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第53回 1993年4月18日 ナリタタイシン 牡3 2:00.2 武豊 大久保正陽 山路秀則
第54回 1994年4月17日 ナリタブライアン 牡3 1:59.0 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第55回 1995年4月16日 ジェニュイン 牡3 2:02.5 岡部幸雄 松山康久 (有)社台レースホース
第56回 1996年4月14日 イシノサンデー 牡3 2:00.7 四位洋文 山内研二 (株)イシジマ
第57回 1997年4月13日 サニーブライアン 牡3 2:02.0 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第58回 1998年4月19日 セイウンスカイ 牡3 2:01.3 横山典弘 保田一隆 西山正行
第59回 1999年4月18日 テイエムオペラオー 牡3 2:00.7 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第60回 2000年4月16日 エアシャカール 牡3 2:01.8 武豊 森秀行 (株)ラッキーフィールド
第61回 2001年4月15日 アグネスタキオン 牡3 2:00.3 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第62回 2002年4月14日 ノーリーズン 牡3 1:58.5 B.ドイル 池江泰郎 前田晋二
第63回 2003年4月20日 ネオユニヴァース 牡3 2:01.2 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第64回 2004年4月18日 ダイワメジャー 牡3 1:58.6 M.デムーロ 上原博之 大城敬三
第65回 2005年4月17日 ディープインパクト 牡3 1:59.2 武豊 池江泰郎 金子真人
第66回 2006年4月16日 メイショウサムソン 牡3 1:59.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第67回 2007年4月15日 ヴィクトリー 牡3 1:59.9 田中勝春 音無秀孝 近藤英子
第68回 2008年4月20日 キャプテントゥーレ 牡3 2:01.7 川田将雅 森秀行 (有)社台レースホース
第69回 2009年4月19日 アンライバルド 牡3 1:58:7 岩田康誠 友道康夫 (有)サンデーレーシング
第70回 2010年4月18日 日本の旗ヴィクトワールピサ 牡3 2:00.8 岩田康誠 角居勝彦 市川義美
第71回 2011年4月24日 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:00.6 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第72回 2012年4月15日 日本の旗ゴールドシップ 牡3 2:01.3 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第73回 2013年4月14日 日本の旗ロゴタイプ 牡3 1:58.0 M.デムーロ 田中剛 吉田照哉

皐月賞の記録[編集]

  • レースレコード - 1:58.0(第73回優勝馬ロゴタイプ)
  • 2着との最大着差 - 8馬身(第14回優勝馬ダイナナホウシユウ)
  • 最多優勝騎手 - 3勝:蛯名武五郎(第8回、第13回、第16回) 渡辺正人(第18 - 20回) 岡部幸雄(第44、46、55回) 武豊(第53、60、65回) ミルコ・デムーロ(第63 - 64、73回)
  • 最多連続優勝騎手 - 渡辺正人 3連覇(第18 - 20回)
  • 最多勝調教師 - 田中和一郎 4勝(第3、4、11、15回)
  • 同一クラシック最多連続騎乗 - 19回連続 加賀武見(第21 - 39回)

父仔制覇[編集]

過去に7組の父仔制覇の例がある。[8]

父馬名 優勝回 仔馬名 優勝回
1組目 シンザン 第24回 ミホシンザン 第45回
2組目 ハイセイコー 第33回 ハクタイセイ 第50回
3組目 トウショウボーイ 第36回 ミスターシービー 第43回
4組目 シンボリルドルフ 第44回 トウカイテイオー 第51回
5組目 アグネスタキオン 第61回 キャプテントゥーレ 第68回
6組目 ネオユニヴァース 第63回 アンライバルド 第69回
7組目 ネオユニヴァース 第63回 ヴィクトワールピサ 第70回

兄弟制覇[編集]

過去に3組の兄弟制覇の例があり、フリツパンシーの子、セントライト・アルバイト(のちにクリヒカリと改名)、トサミドリは3兄弟制覇を成し遂げている。以下は母馬から見た兄弟に限る。[9]

兄馬名 優勝回 弟馬名 優勝回 母馬名
1組目 セントライト 第3回 アルバイト 第4回 フリツパンシー
2組目 トサミドリ 第9回
3組目 コダマ 第20回 シンツバメ 第21回 シラオキ

本競走とのクラシック二冠[編集]

中央競馬の牡馬二冠馬を参照。

地方競馬の「皐月賞」[編集]

地方競馬でも皐月賞を範した競走がある。地区内での中央競馬の皐月賞と同等の機能を持った競走に設定されている。以下は2009年現在施行されている競走のみ。

なお2000年から2007年まで荒尾競馬場荒尾ダービー九州皐月賞の副題が付けられていたが、2008年以降は外されている。

また皐月賞の名前は冠していないが、南関東地方競馬では大井競馬場羽田盃が中央競馬の皐月賞に相当する競走として位置づけられている。

府中の皐月賞[編集]

皐月賞が中山競馬場で行われるようになった1949年以降、何らかの理由で中山競馬場が使用できない場合に東京競馬場(府中)で開催されている[10]

代替理由 解説 優勝馬名
1956年 改修工事 中山競馬場改修工事のため、東京競馬場芝2000メートルで開催。 [11] ヘキラク
1963年 ストライキ 厩務員ストライキのため通常の開催時期に施行できず、スケジュールをずらして5月に東京競馬場で開催。[12] メイズイ
1964年 改修工事 中山競馬場改修工事のため、東京競馬場芝2000メートルで開催。[13] シンザン
1974年 ストライキ 厩務員ストライキのため通常の開催時期に施行できず、3週間延期となって東京競馬場で開催。[14][15][10][16] キタノカチドキ
1976年 ストライキ 厩務員ストライキのため、1週間延期となって東京競馬場で開催。[14][10][17] トウショウボーイ
1988年 改修工事 中山競馬場改修工事のため、東京競馬場芝2000メートルで開催。[10][18] ヤエノムテキ
2011年 震災復旧 3月11日の東日本大震災により中山開催が中止。[10][19] オルフェーヴル

エピソード[編集]

ゲート内で尻もち競走中止
2000年の第60回では佐藤哲三騎乗のラガーレグルスがゲートが開いたと同時に尻もちをつき、ゲートから出られなくなるというハプニングがあった。ルール上「ゲートから出なかった(これを「膠着」と表現する)馬は競走中止として扱う」ため競走は成立し、同馬は競走中止となり馬券の返還もなかった。しかも同馬は3番人気単勝オッズ7.0倍)だったため単勝売上だけで約10パーセントがスタートと同時に紙屑となってしまった。
また前年の1999年の第59回では幸英明騎乗のワンダーファングが競走前にゲート内で立ち上がり外傷を負った結果、競走除外になっている。両馬はともに1枠1番で、2年連続1枠1番の馬がレースにならないという事態になった。

脚注[編集]

  1. ^ 『読売新聞』朝刊 1964年4月19日
  2. ^ 第70回(2010年)での全周パトロール映像の冒頭部分では「JAPANESE 2000 GUINEAS」と明記されている[1]
  3. ^ JRA公式サイト「今週の注目レース」 - JRA公式サイト。2013年12月22日閲覧。
  4. ^ JRA公式サイト「今週の注目レース」 - JRA公式サイト。2013年12月22日閲覧。
  5. ^ □地が出走できるGI競走とそのステップ競走について(平成26年度) - JRA公式サイト。
  6. ^ 中山競馬場の芝2000mにおいての最多出走では1966年の23頭。ただし出走登録は24頭で、1頭が出走を取り消した。
  7. ^ 第3回中山競馬および第1回福島競馬の開催中止について - JRAホームページ 2011年3月22日
    なお、当初は東京競馬場でも施行できない場合は京都競馬場で代替施行されるとしていた。
  8. ^ 「優駿」2003年3月号 102P
  9. ^ 「優駿」2003年3月号 104P
  10. ^ a b c d e 日刊競馬で振り返るGII2014年4月15日閲覧。
  11. ^ 日本の名馬・名勝負物語 155P
  12. ^ 日本の名馬・名勝負物語 261P
  13. ^ 日本の名馬・名勝負物語 269P
  14. ^ a b 日本中央競馬会開催従事員労働組合HP 開従労のあゆみ2014年4月15日閲覧。
  15. ^ 日刊競馬で振り返る名馬 キタノカチドキ2014年4月15日閲覧。
  16. ^ Gallop 2005年11月発行・菊花賞全史 131p
  17. ^ テンポイント物語 1973年11月発行 133P
  18. ^ 「優駿」2013年11月号・74P
  19. ^ 「優駿」2013年3月号・37P

関連項目[編集]

外部リンク[編集]