皇族

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皇族旗(親王旗・親王妃旗・内親王旗・旗・王妃旗・女王旗)[1]

皇族(こうぞく)は、天皇親族のうち、男系の嫡出血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后太皇太后皇太后親王親王妃内親王王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。

概要[編集]

日本国憲法第二条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
皇室典範第5条
皇后太皇太后皇太后親王親王妃内親王王妃及び女王を皇族とする。
同・第六条 
嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。

現在の法令は法律たる皇室典範によってその範囲を定められた、皇統に属する天皇の一族を皇族とする。皇族には天皇を含めず、天皇と皇族をあわせた全体を皇室という。

この内、皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃などとその独立していない子女の「内廷」に属する皇族は内廷皇族と呼ばれ、内廷から独立した宮家に属する皇族は宮家皇族と呼ばれる。

非嫡出子は皇族とされない。天皇の母方の血族や姻族に関しては特別の規定がなく、民法の規定により、天皇の外戚の内、皇后から3親等内の者が天皇の姻族となる。天皇の姻族は皇族ではないが民法上は天皇の親族である。このように皇族=天皇の親族・血族というわけではない。皇族以外の親族には下記「一般国民と皇族の差異」は当てはまらないが、近親婚の禁止等の規制等は適用される。

天皇又は親王・王の嫡出の子女として生まれた者以外が皇族となることができるのは、女子が天皇親王のいずれかと結婚する場合のみに限られる(皇室典範15条)。

皇后(こうごう)
天皇の后。皇室典範に定められた敬称は陛下(23条)内廷皇族摂政に就任しうるものとされる(第17条)。崩御後はに葬られる(27条)。立后には皇室会議の議を経ることが必要である(10条)が、すでに皇位継承者の妃である場合、夫の即位に伴って皇后となる。崩御した際には、「○○皇后」と追号されるのが慣例となっている[2]
生まれた皇子は男を親王、女を内親王とする(6条)。
太皇太后(たいこうたいごう)
先々代の天皇の皇后。摂政に就任しうるものとされる(第17条)。また敬称は陛下を用い(第23条)、太皇太后を葬るところは陵と称する(第27条)。
皇太后(こうたいごう)
先代の天皇の皇后。敬称は「陛下」(第23条)。摂政に就任しうるものとされる(第17条)。
親王(しんのう)
天皇の嫡出の男子(正妻の皇子)、及び、天皇の嫡男系の嫡出の男子(皇孫)(第6条)。摂政に就任しうるものとされる(第17条)。また王が皇位を継承したときは、その兄弟たる王を親王とする(7条)。
親王妃(しんのうひ)
親王の妃。皇太子妃(こうたいしひ)も含まれる。敬称は「殿下」(第23条)。親王妃が成婚前より皇族(内親王又は女王)であった場合は、成婚後も(皇后となるまでは)親王妃であるとともに引き続き元来の身位も併存(保持)する。現在では、皇太子妃は皇太子が天皇に即位するに伴い、自動的に皇后になる。
内親王(ないしんのう)
天皇の嫡出の皇女および天皇の嫡男系の嫡出の皇孫で女子であるもの(6条)、また、天皇の姉妹(7条)。摂政に就任しうるものとされる(第17条)。天皇・皇太子の娘である場合、さらに「○宮」の御称号が与えられる。
(おう)
天皇の嫡男系嫡出で三親等以上離れた皇族男子(傍系でなく直系尊属の天皇から数える)。敬称は殿下。摂政に就任しうるものとされる(第17条)。現行の皇室典範では、王は次のいずれかに当てはまる場合、王から親王に身位が変更される。皇位の継承によって天皇嫡出の皇子または嫡男系嫡出の皇孫となった場合。(皇室典範第6条)王の兄弟たる王が皇位を継承した場合。(皇室典範第7条)現行皇室典範以降一人も出生していない。
王妃(おうひ)
王の妃。敬称は「殿下」。王妃の夫たる王が親王に身位が変更される場合、王妃の身位も親王妃に変更される。
女王(じょおう)
天皇の嫡男系嫡出で三親等以上離れた皇族女子。敬称は殿下。摂政に就任しうるものとされる(第17条)。現行の皇室典範では、女王は次のいずれかに当てはまる場合、内親王に身位が変更される。皇位の継承により天皇嫡出の皇子もしくは嫡出系嫡男の皇孫となった場合。(皇室典範第6条)女王の兄弟(=王)が、皇位を継承した場合。(皇室典範第7条)皇族と結婚した場合は、成婚後も(皇后となるまでは)親王妃または王妃であるとともに引き続き元来の身位も併存(保持)する。

皇族の身分の離脱[編集]

  • 満15歳以上の内親王・王・女王は、本人の意志に基づき、皇室会議の承認を経て、皇族の身分を離脱できる(皇室典範11条1項)。
  • 皇太子・皇太孫を除く親王・内親王・王・女王は、やむを得ない特別の事由があるときは、本人の意思にかかわらず、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れる(皇室典範11条2項)。
  • (1)皇族の身分を離れる親王・王の妃 (2)皇族の身分を離れる親王・王の子孫 (3)皇族の身分を離れる親王・王の子孫の妃は、その親王・王と同時に皇族の身分を離れる(他の皇族と婚姻した女子とその子孫を除く)。但し、(2)と(3)の皇族の身分を離れる親王・王の子孫とその妃については、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れないものとすることができる(皇室典範13条)。
  • 皇族女子は、天皇・皇族以外の者と結婚したときは、皇族の身分を離れる(皇室典範12条)。
  • 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となった者が、その夫を失って未亡人(寡妃)となったときは、本人の意思により、皇族の身分を離脱できる。また、この場合、やむを得ない特別の事由があるときは、本人の意思にかかわらず、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れる(皇室典範14条1, 2項)。
  • 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となった者が、離婚したときは、皇族の身分を離れる(皇室典範14条3項)。
  • 皇族の身分を離れた親王・王の子孫で他の皇族と結婚した女子が、その夫を失って未亡人となったときは、本人の意思により、皇族の身分を離脱できる。この場合、やむを得ない特別の事由があるときは、本人の意思にかかわらず、皇室会議の判断で、皇族の身分を離れる。また、この者が離婚したときは、皇族の身分を離れる(皇室典範14条4項)。

皇族一覧[編集]

現在の皇族[編集]

現在の皇族は、以下の通りである。班位は、戦前の皇族身位令に準じる。ただし、兄弟姉妹間では出生の順による。

班位 読み 身位 続柄 世数 敬称 宮号 称号 生年 年齢 皇位継 摂政 勲等勲章
[3] 承順位 任順位
1 美智子 みちこ 1皇后 親等97/皇后 陛下     (1934-10-20) 1934年10月20日 83 第4位 勲一等宝冠章 内廷皇族
2 徳仁 なるひと 4親王 親等1/皇太子 1一世 殿下   浩宮 (1960-02-23) 1960年2月23日 57 第1位 01位 大勲位菊花大綬章 内廷皇族
3 雅子 まさこ 80親王妃 親等98/皇太子妃 殿下   (1963-12-09) 1963年12月9日 53     勲一等宝冠章 内廷皇族
4 愛子 あいこ 5内親王 親等2/皇孫 2二世 殿下   敬宮 (2001-12-01) 2001年12月1日 15 未成年   内廷皇族
5 文仁 ふみひと 4親王 親等1/皇子 1一世 殿下 秋篠宮 礼宮 (1965-11-30) 1965年11月30日 51 第2位 02位 大勲位菊花大綬章 宮家皇族
6 紀子 きこ 8親王妃 親等99/文仁親王妃 殿下 (秋篠宮) (1966-09-11) 1966年9月11日 51     勲一等宝冠章 宮家皇族
7 眞子 まこ 5内親王 親等2/皇孫 2二世 殿下 (秋篠宮) (1991-10-23) 1991年10月23日 26 第5位 宝冠大綬章 宮家皇族
8 佳子 かこ 5内親王 親等2/皇孫 2二世 殿下 (秋篠宮)   (1994-12-29) 1994年12月29日 22 06位 宝冠大綬章 宮家皇族
9 悠仁 ひさひと 4親王 親等2/皇孫 2二世 殿下 (秋篠宮)   (2006-09-06) 2006年9月6日 11 第3位 (未成年)   宮家皇族
10 正仁 まさひと 4親王 親等2/皇弟 1一世 殿下 常陸宮 義宮 (1935-11-28) 1935年11月28日 81 第4位 03位 大勲位菊花大綬章 宮家皇族
11 華子 はなこ 8親王妃 親等99/正仁親王妃 殿下 (常陸宮) (1940-07-19) 1940年7月19日 77     勲一等宝冠章 宮家皇族
12 百合子 ゆりこ 8親王妃 親等99/崇仁親王 殿下 三笠宮 (1923-06-04) 1923年6月4日 94     勲一等宝冠章 宮家皇族
13 信子 のぶこ 8親王妃 親等99/寬仁親王 殿下 (三笠宮) (1955-04-09) 1955年4月9日 62     勲一等宝冠章 宮家皇族
14 彬子 あきこ 7女王 親等5/皇従姪 3三世 殿下 (三笠宮) (1981-12-20) 1981年12月20日 35   07位 勲二等宝冠章 宮家皇族
15 瑶子 ようこ 7女王 親等5/皇従姪 3三世 殿下 (三笠宮) (1983-10-25) 1983年10月25日 34   08位 勲二等宝冠章 宮家皇族
16 久子 ひさこ 8親王妃 親等99/憲仁親王 殿下 高円宮 (1953-07-10) 1953年7月10日 64     勲一等宝冠章 宮家皇族
17 承子 つぐこ 7女王 親等5/皇従姪 3三世 殿下 (高円宮) (1986-03-08) 1986年3月8日 31   09位 宝冠牡丹章 宮家皇族
18 絢子 あやこ 7女王 親等5/皇従姪 3三世 殿下 (高円宮) (1990-09-15) 1990年9月15日 27   第10位 宝冠牡丹章 宮家皇族

皇統譜には宮号と称号は登録されない(宮内庁告示の形式によって官報で公表はされる)。なお、宮号は天皇がその親王個人に下し本人のみが称するものであり、当該親王の妃や子女等が自らの宮号としてこれを称することはない(たとえば、眞子内親王は宮号を賜っていない)。ただし、上表では妃や子女等についても便宜のため括弧書きしている。

系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
現在の天皇
 
現在の皇族
 
皇籍を離脱し生存する者
 
崩御・薨去した天皇・皇族
 
皇籍離脱後、逝去した者
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇
 
貞明皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇
 
香淳皇后
 
秩父宮
雍仁親王
 
勢津子
 
高松宮
宣仁親王
 
喜久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮
崇仁親王
 
百合子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
 
久宮
祐子内親王
 
鷹司和子
(孝宮)
 
池田厚子
(順宮)
 
今上天皇
 
皇后美智子
 
常陸宮
正仁親王
 
華子
 
島津貴子
(清宮)
 
近衞甯子
 
寬仁親王
 
信子
 
桂宮
宜仁親王
 
千容子
 
高円宮
憲仁親王
 
久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子
徳仁親王
 
雅子
 
秋篠宮
文仁親王
 
紀子
 
黒田清子
(紀宮)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王
 
瑶子女王
 
 
 
 
 
承子女王
 
千家典子
 
絢子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮
愛子内親王
 
 
 
眞子内親王
 
佳子内親王
 
悠仁親王
 
 
 
 
 

皇族の呼称[編集]

皇族の称呼は、内閣告示宮内庁告示や官報の皇室事項欄では、歌会始などの特別な場合を除き、次のようになっている。宮号や称号が表記されないことに注意が必要である。

  • 皇后・太皇太后・皇太后については、「皇后陛下」と、身位+敬称の順。
  • 皇太子については、「皇太子徳仁親王殿下」と、「皇太子」+名+身位+敬称の順。
  • 皇太子妃については、「皇太子徳仁親王妃雅子殿下」と、「皇太子」+夫の名+夫の身位+「妃」+名+敬称の順。
  • 親王・内親王・王・女王については、「文仁親王殿下」や「愛子内親王殿下」と、名+身位+敬称の順。
  • 親王妃・王妃については、「文仁親王妃紀子殿下」と、夫の名+夫の身位+「妃」+名+敬称の順。
  • 皇族が「崩御」ないし「薨去」した後は、「故皇太后」や「故宣仁親王妃喜久子」と、上記に「故」が冠され敬称が省かれる。
  • 夫が「薨去」して未亡人となった場合でも、親王妃や王妃の称呼については「憲仁親王妃久子殿下」と、夫の名に「故」を冠さない。
    • 法律や叙勲においては、「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」など、敬称は省かれる。

宮内庁のウェブサイトや尊皇関係の書物においての呼称は以下様になっている。(上記と多少異なる)

  • 皇后・太皇太后・皇太后には身位+敬称で「皇后陛下」や「皇太后陛下」など
  • 皇太子や宮号を持つ男性皇族には身位か宮号+敬称(「皇太子殿下」や「秋篠宮殿下」など)
  • 御称号を持つ皇族には御称号+敬称(敬宮殿下など)
  • 未婚の女性皇族か宮号などを持たない男性皇族には名前+身位+敬称(「眞子内親王殿下」や「承子女王殿下」など)
  • 既婚の女性皇族(妃)には、夫の名前+身位(親王妃か王妃)+敬称(「寬仁親王妃殿下」など)、夫の宮号かそれに値する身位+妃+敬称(「皇太子妃殿下」や「秋篠宮妃殿下」など)
  • 崩御か薨去された皇族に追号がある場合は「故・皇太后陛下」などではなく「香淳皇后」となっている

皇族の班位は、ほぼ戦前の皇族身位令に準じるものとなっているが、兄弟姉妹間では、女よりも男を優先する場合と、男女関係なく出生順による場合とが見られる。前者の例として、昭和41年(1966年)の歌会始において寬仁親王(弟)→甯子内親王(姉)の席次順となっている。後者の例としては、昭和52、53年(1977年1978年)の歌会始において、同じく容子内親王(姉)→憲仁親王 (弟)の席次順となっている。昭和58年(1983年)の容子内親王降嫁後は、成年皇族間で順位の逆転が発生したこと自体がないため、近年の取り扱いは不明である。

皇族の人数の推移(現皇室典範以降)[編集]

上述の通り、天皇を除いた人数を記載する。

日時 概要 増減 人数
1947年10月14日 11宮家 皇籍離脱 -51 15人
1948年02月11日 宜仁親王 誕生 +1 16人
1951年05月17日 貞明皇后 崩御 -1 15人
1950年05月21日 和子内親王 皇籍離脱 -1 14人
1951年10月23日 容子内親王 誕生 +1 15人
1952年10月10日 厚子内親王 皇籍離脱 -1 14人
1953年01月04日 秩父宮雍仁親王 薨去 -1 13人
1954年12月29日 憲仁親王 誕生 +1 14人
1959年04月10日 明仁親王妃美智子 婚姻 +1 15人
1960年02月23日 徳仁親王 誕生 +1 16人
1960年03月10日 貴子内親王 皇籍離脱 -1 15人
1964年09月03日 正仁親王妃華子 婚姻 +1 16人
1965年11月30日 文仁親王 誕生 +1 17人
1966年12月18日 甯子内親王 皇籍離脱 -1 16人
1969年04月18日 清子内親王 誕生 +1 17人
1980年11月07日 寛仁親王妃信子 婚姻 +1 18人
1981年12月20日 彬子女王 誕生 +1 19人
1983年10月14日 容子内親王 皇籍離脱 -1 18人
1983年10月25日 瑶子女王 誕生 +1 19人
1984年12月06日 憲仁親王妃久子 婚姻 +1 20人
1986年03月08日 承子女王 誕生 +1 21人
1987年02月03日 高松宮宣仁親王 薨去 -1 20人
1988年07月22日 典子女王 誕生 +1 21人
1989年01月07日 明仁親王 即位 -1 20人
1990年01月12日 文仁親王妃紀子 婚姻 +1 21人
1990年09月15日 絢子女王 誕生 +1 22人
1991年10月23日 眞子内親王 誕生 +1 23人
1993年06月09日 徳仁親王妃雅子 婚姻 +1 24人
1994年12月29日 佳子内親王 誕生 +1 25人
1995年08月25日 雍仁親王妃勢津子 薨去 -1 24人
2000年06月16日 香淳皇后 崩御 -1 23人
2001年12月01日 愛子内親王 誕生 +1 24人
2002年11月21日 高円宮憲仁親王 薨去 -1 23人
2004年12月18日 宣仁親王妃喜久子 薨去 -1 22人
2005年11月15日 清子内親王 皇籍離脱 -1 21人
2006年09月06日 悠仁親王 誕生 +1 22人
2012年06月06日 寛仁親王 薨去 -1 21人
2014年06月08日 桂宮宜仁親王 薨去 -1 20人
2014年10月05日 典子女王 皇籍離脱 -1 19人
2016年10月27日 三笠宮崇仁親王 薨去 -1 18人

皇位継承[編集]

皇統に属する男系の男子(親王)は皇位継承資格を有する(日本国憲法第2条皇室典範第1条)。皇位継承順位皇室典範第2条に定められる。

皇位継承順位 (平成28年〈2016年〉10月27日- )
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/現年齢 今上天皇から見た続柄
 
1位 皇太子徳仁親王 なるひと 男性 1960年02月23日
(昭和35年)
57歳 親等1/第1皇男子
2位 秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
51歳 親等1/第2皇男子
3位 悠仁親王 ひさひと 男性 2006年09月06日
(平成18年)
11歳 親等2/皇孫 / 秋篠宮文仁親王第1男子
4位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
81歳 親等2/皇弟 / 昭和天皇第2皇男子

摂政・国事行為臨時代行[編集]

親王妃・王妃を除く成年皇族は摂政就任資格と国事行為臨時代行就任資格を有する(日本国憲法第4条第5条・皇室典範16条・国事行為の臨時代行に関する法律2条)。就任委任順序は皇室典範第17条に定められる。

現在の資格者[4][5]
順位 名・身位 生年 備考 皇位継承
順位
1 皇太子徳仁親王 1960年(昭和35年) 皇室典範17条1項1号
皇太子又は皇太孫
1
2 秋篠宮文仁親王 1965年(昭和40年) 皇室典範17条1項2号
親王及び
2
3 常陸宮正仁親王 1935年(昭和10年) 4
4 皇后美智子 1934年(昭和9年) 皇室典範17条1項3号
皇后
5 眞子内親王 1991年(平成3年) 皇室典範17条1項6号
内親王及び女王
6 佳子内親王 1994年(平成6年)
7 彬子女王 1981年(昭和56年)
8 瑶子女王 1983年(昭和58年)
9 承子女王 1986年(昭和61年)
10 絢子女王 1990年(平成2年)

この他の皇族として悠仁親王2006年平成18年〉9月6日生、現在11歳、皇位継承順位第3位)、
愛子内親王2001年平成13年〉12月1日生、現在15歳)がいるが、
2017年11月16日現在ではいずれも成年に達していないため、未だ就任資格はない[6]

皇族の特有事項[編集]

皇族という特殊な地位にあることから、一般国民とは異なる取り扱いがなされている面がある。要約すると、日本国憲法第3章の適用外。

  • 家制度があり家父長制が存在する。
  • 養子をすることができない(皇室典範9条)。
  • 皇族男子の結婚皇室会議の承認が必要である(皇室典範10条)。離婚と皇族女子の結婚は承認不要[7]
  • 皇太子・皇太孫の成年は満18歳とされている(皇室典範22条)。それ以外の皇族は民法を準用し満20歳である。直系か傍系かという地位により区別される。
  • 皇后・太皇太后・皇太后は天皇同様「陛下」、それ以外の皇族は「殿下」の敬称を付する(皇室典範23条)。またを持たない。マスメディアでは宮号を使って「**宮さま」「**宮妃*子さま」「**宮の*仁さま(息子の場合)/(長女・次女)*子さま(娘の場合)」と表現される。これにより、動静は最高敬語を以て報じられる(1947年8月の宮内省と報道各社の取り決めに基づく)。
  • 皇后・太皇太后・皇太后の死は「崩御」と、それ以外の皇族の死は広義的には「薨去」と称され、狭義的には皇太子では「薨御(こうぎょ)」、皇太子妃や親王・内親王には「薨去(こうきょ)」、王や女王には「卒去(そつきょ)」と称される。
    • ただしマスコミにおいては、「ご逝去」などの表現も使われる。昭和天皇崩御の際、沖縄県の新聞は「逝去」と見出しをつけた。また香淳皇后崩御の際には、「崩御」「逝去」と表現がわかれたことがある。
  • 成年皇族は皇室会議の議員・予備議員(各2人・任期4年)の互選人となり、当選すれば議員・予備議員に就任することができる(皇室典範28,30,32条)。
  • 公職選挙の選挙権被選挙権を持たない[8]
  • 通常の戸籍には登録されず、身分に関する事項は皇統譜に登録される(皇室典範26条)。
  • 住民基本台帳には記録されない(住民基本台帳法39条・同法施行令33条)。
  • 通常の旅券を用いず、「皇族」という官職名で公用旅券の発給を受ける。
  • 皇后・太皇太后・皇太后を葬る所のみ「」と呼ばれる。他の皇族を葬る場は「」(皇室典範27条)。
  • 内廷費や、皇族としての品位保持の資に充てるために皇族費が国庫から支出される一方で、財産の賜与(贈与)及び譲受に関して憲法皇室経済法による強い規制がある。生計が政府の丸抱えになるので“極端な形の世襲の国家公務員”だと評する意見がある[9]
  • 内廷には侍従職東宮職がある外、各宮家には、宮務官や侍女長といった側近が付けられている[10]
  • 全ての皇族はどこに行く際にも必ず護衛がつく。皇宮護衛官都内ならば警視庁所轄署・道府県では所轄の警察官警護する。護衛は皇族の外出先をすべて把握し、24時間体制で警護にあたる。都内から出る際は護衛官がその県の護衛担当に連絡を入れる[11]
  • 皇族身位令(戦後廃止)に準じて叙勲が行われ、戦後でも、成年に達したときや結婚の際に、親王には大勲位菊花大綬章が授けられ、親王妃・内親王には勲一等宝冠章(現、宝冠大綬章)が、王には勲一等旭日桐花大綬章(現、桐花大綬章)が、王妃・女王には勲二等宝冠章(現、宝冠牡丹章)が授けられる。
  • 信教の自由がない。全員が神道の信徒であることを義務付けられる(皇后美智子の出身大学がキリスト教系ということで問題になった)。

宮家[編集]

天皇と皇族
Imperial Seal of Japan.svg

今上天皇
皇后 美智子





宮家(みやけ)とは、日本において、宮号を賜った皇族の一家のことである。親王および諸王の家を指すこともある。

宮(みや)とは、元々、天皇および皇族の邸の事を指し、転じて住んでいる皇族のことを指すに至った。さらに、親王の身位とともに「○○宮」との称号(宮号)を世襲することが認められる例が生じ、これが「宮家」と呼ばれるものであり、個別には宮号に応じて「○○宮家」と呼ばれることがある。ただし、現行法上はいずれも法的な根拠を持つものではない。「○○宮」の称号は宮家の当主たる(あるいは生前当主であった)親王個人の称号であり、その家族は用いない。

宮家のうち天皇の子女や兄弟が創設した宮家を直宮家という。

当今の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王身位を保持し続けた宮家を世襲親王家という。

宮家 読み 現当主 創設 創設者 現人数 備考
秋篠宮 あきしの 文仁親王 1990年(平成02年)06月29日 今上天皇第二皇子文仁親王 5人 直宮家
常陸宮 ひたち 正仁親王 1964年(昭和39年)09月30日 昭和天皇第二皇子正仁親王 2人 直宮家
三笠宮 みかさ 崇仁親王妃百合子 1935年(昭和10年)12月02日 大正天皇第四皇子崇仁親王 4人 直宮家
高円宮 たかまど 憲仁親王妃久子 1984年(昭和59年)12月06日 崇仁親王第三男子憲仁親王 3人

皇室会議[編集]

皇室会議は、日本皇室に関する重要な事項を合議する国の機関である。皇室典範28条以下に定められる。

婚姻関係[編集]

他の事項が皇室会議の「議による」とされるのに対して、これのみ皇室会議の「議を経る」とされる。なお、現皇室典範施行中に独身の天皇はまだいないので、「立后」が議題になった事はない。

皇籍離脱関係[編集]

議員[編集]

皇室会議は以下の議員十人でこれを組織する(皇室典範第28条第1項・第2項)。

皇室会議議員[12]
氏名 身分 生年
文仁親王 皇族 (1965-11-30) 1965年11月30日(51歳)
正仁親王妃華子 皇族 (1940-07-19) 1940年7月19日(77歳)
大島理森 衆議院議長 (1946-09-06) 1946年9月6日(71歳)
赤松広隆 衆議院副議長 (1948-05-03) 1948年5月3日(69歳)
伊達忠一 参議院議長 (1939-01-20) 1939年1月20日(78歳)
郡司彰 参議院副議長 (1949-12-11) 1949年12月11日(67歳)
安倍晋三 内閣総理大臣 (1954-09-21) 1954年9月21日(63歳) 議長
山本信一郎 宮内庁長官 (1950-08-23) 1950年8月23日(67歳) [13]
寺田逸郎 最高裁判所長官 (1948-01-09) 1948年1月9日(69歳)
岡部喜代子 最高裁判所判事 (1949-03-16) 1949年3月16日(68歳)

皇族の役職[編集]

現在[編集]

[15]
皇后美智子
皇太子徳仁親王
皇太子徳仁親王妃雅子
秋篠宮文仁親王
文仁親王妃紀子
眞子内親王
常陸宮正仁親王
正仁親王妃華子
崇仁親王妃百合子
寬仁親王妃信子
彬子女王
瑶子女王
  • 一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁
  • 社会福祉法人友愛十字会総裁
憲仁親王妃久子
承子女王

戦前[編集]

前近代:狭義の皇族「皇親」と広義の皇族「王氏」[編集]

701年大宝元年)に制定された大宝令757年天平勝宝9年)に制定された養老令などの律令には、皇族は「皇親」(こうしん)として規定されている。また、2世から4世(後に5世)までの皇族は王氏(わうし、おうし)とも呼ばれた。

律令に定められた皇親には、親王(しんのう、みこ)と(おう)の別がある。特に性別を分ける記述はないが、女性はそれぞれ、内親王(ないしんのう、ひめみこ)、女王(にょおう、じょおう)と称した。親王号は、古くは天皇の子および兄弟姉妹の称であった。後には、天皇の子および兄弟姉妹のうち、親王宣下を受けた者のみに限られるようになった。親王は、天皇から品位(ほんい)を受け、品(ほん)にしたがって国家から給田を受けた。

律令の一つである「官位令」(かんいりょう)によれば、品位には一品(いっぽん)から四品(しほん)までの4段階があり、それぞれ国家から決められた給付を受けた。また、官職を受ける任官においても、八省卿八省の長官)、大宰帥(だざいのそち、大宰府の長官)、一部の大国親王任国)の国司(太守)など、四品以上の親王に留保された官職があり、高官への就任を保障された。一方、品位をもたない無品の親王は無品親王(むほんしんのう)といった。品位を持つ皇族が罪を犯した場合、罰として品位の剥奪が行われることもあった。

皇親の範囲は、「継嗣令」(けいしりょう)の規定では、天皇の四世孫(玄孫、やしゃご)までが皇親とされた。五世孫はを称したが、皇親にはあたらないとされた。後の慶雲3年(706年)2月の(きゃく)で、五世孫までが皇親とされ、五世孫の嫡子に王の称が許された。なお、近代の皇族制度とは異なり、婚姻によって皇親身分を獲得したり喪失したりすることはなかった。したがって、藤原氏の出身である光明皇后のように、皇后であっても臣下の家の出身者は皇親とは認められず、逆に藤原教通に嫁した禔子内親王のように、臣下に降嫁後に皇親として二品の叙位を受けた例も存在する(『扶桑略記』長久2年12月19日条)。

令では、皇親でない者は、天皇からを賜ってに下ると規定されていた。最初の賜姓がいつであったかはさだかでないが、初期の賜姓皇族(姓を賜って臣下となった王の氏族)として橘氏がある。奈良時代聖武天皇の治世である天平8年(736年)、敏達天皇の子孫であった葛城王(橘諸兄)と佐為王(橘佐為)が臣籍降下を申し出て、「橘宿禰」(「橘」が氏(ウヂ)、「宿禰」が姓(カバネ))の氏姓を賜ることを願った。このとき賜った氏姓である「橘宿禰」は、もとは葛城王・佐為王の母である県犬養三千代が賜った氏姓[17]である。平安時代初期以降には、皇親の数を減らして国家の支出を減らす、皇位争いに関する政争を除く、皇室の藩屏となる高級貴族を置くなどの目的で、多くの臣籍降下が行われた。

後一条天皇のとき、皇太子敦明親王が皇太子辞退(廃太子)を申し出ると、敦明親王の男子は二世孫(三条天皇の孫)であるにもかかわらず、三条天皇の猶子とされて親王宣下を受け、親王の待遇を受けた。このとき以後、「親王は天皇の子」というルールは厳格に適用されなくなり、天皇の孫より遠い血縁の皇親でも天皇の養子猶子となって親王宣下を受け、親王の待遇を受けることが可能となった。後には、親王宣下を受ける資格が世襲化され、世襲親王家となった。

江戸時代以降、世襲親王家は4家にまとまり、四親王家から構成されるようになった。四親王家とは、伏見宮有栖川宮桂宮(現在の桂宮家とは無関係)、閑院宮の4つの宮家である。この4家は、代々の当主である王が、天皇の猶子となり、親王宣下を受けて親王の待遇を受けた。

大日本帝国憲法下での皇族[編集]

大日本帝国憲法下では旧皇室典範によってその範囲を定められた、皇統に属する天皇の一族を皇族とする。天皇は皇族に含めない。天皇と皇族をあわせた全体を皇室という。皇族の構成員は、皇后太皇太后皇太后皇太子皇太子妃皇太孫・皇太孫妃・親王親王妃内親王王妃女王である(旧皇室典範30条)。また、皇室親族令により、姻族の範囲は3親等内と規定された。

律令制の元で皇親と呼ばれていた呼称に変えて、「皇族」という呼称を採用した。また、旧来は皇后といえども臣下の家に生まれた場合には「皇親」とは認められなかったが、この改正によって皇后・妃なども皇族として扱われるようになった。

現行憲法下と違い、四世孫(皇玄孫)までが親王・内親王とされ、五世孫以下が王・女王とされていた(旧皇室典範31条)。また、非嫡出子も皇族とされた。

皇族会議[編集]

旧皇室典範により、成年(皇太子・皇太孫は満18歳、その他の皇族は満20歳)に達した皇族の男子は、皇室内の事項について天皇の諮詢を受ける皇族会議の議員となった。

枢密院[編集]

明治21年(1888年)5月18日の勅命により、成年に達した親王は、枢密院の会議に班列(列席して議事に参加すること)する権利を有した。

貴族院[編集]

貴族院令により、成年に達した皇族の男子は自動的に貴族院における皇族議員となった。だが、皇族が政争に関与すべきではないこと、皇族は武官(軍人)であったことから、登院は極めてまれであった。

叙勲[編集]

皇族身位令皇室令。既に廃止)によって、次の区分に従って叙勲された。

任官[編集]

皇族身位令によって、次の区分に従って任官された。

  • 皇太子・皇太孫‐満10歳に達した後に陸軍及び海軍の武官
  • 親王・王‐満18歳に達した後に、原則、陸軍又は海軍の武官。
    • 明治天皇の意向で、皇族男子は原則として陸軍士官学校海軍兵学校に入学し将校となることと定められており、終戦までそれが続いた。

皇族の裁判[編集]

民事訴訟[編集]

皇族相互間の民事訴訟については、特別裁判所として皇室裁判所が臨時に必要に応じて置かれ、これが管轄することになっていた。他方、皇族と人民(臣民)の間の民事訴訟については、人民の皇族に対する民事訴訟の第一審と第二審が東京控訴院の管轄に属することとされたこと等の外は、一般の法令によるものとされた。

刑事訴訟[編集]

皇族の刑事訴訟については、軍法会議の裁判権に属するものを除く外は、大審院の管轄に属するものとされた。軍法会議の裁判権に属するものについては、高等軍法会議で審判された。

皇族の特有事項[編集]

  • 皇族男子は皇位継承資格を、親王妃王妃を除いた成年に達した皇族は摂政就任資格をもつ。
  • 皇后太皇太后皇太后陛下、それ以外の皇族は殿下敬称を称した(旧皇室典範17,18条)。またを持たない。
  • 皇族は天皇の監督を受けた(旧皇室典範35条)。
  • 皇族の後見人は、成年以上の皇族に限られた(旧皇室典範38条)。
  • 皇族の結婚は、皇族同士か特に勅許を受けた華族との間に限られ、勅許を必要とした(旧皇室典範39,40条)。また、大正7年(1918年)11月28日皇室典範増補により、皇族女子は王公族(旧韓国皇室)に嫁することができた。
  • 皇族の養子は禁止された(旧皇室典範42条)。
  • 皇族は住所を東京市内に定め、東京市外への住所移転や国外旅行には勅許を必要とした(旧皇室典範43条)。
  • 皇族を勾引し、裁判所に召喚するには勅許を必要とした(旧皇室典範51条)。
  • 皇族が品位を辱める行いをしたり、皇室に対して忠順を欠くときは勅旨を以って懲戒を受け、重い場合は皇族特権の停止、剥奪を受け、臣籍に降されることもあることになっていた(旧皇室典範52条・明治40年-1907年-2月11日皇室典範増補4条)。
  • 王は、勅旨又は情願によって華族となることができた(臣籍降下)。また、勅許によって華族の家督を相続することや、家督相続の目的で華族の養子となることができた。(明治40年-1907年-2月11日皇室典範増補1,2条)
  • 宮号を賜った皇族には、別当家令家扶家従といった職員が附属された。また、武官である皇族には、皇族附武官佐官尉官)が附属された。
  • 皇族は満6歳から満20歳まで普通教育を受けるものとされ、原則として学習院又は女子学習院で就学するものとされた(皇族就学令)。
  • 皇族は商工業を営み、または営利を目的とする社団の社員もしくは役員となることができない(ただし株主となることはできる)。また、任官による場合を除くほか、報酬を受ける職に就くことができない。さらに、公共団体の吏員または議員となることもできない(貴族院議員を除く)。営利を目的としない団体の役員となる場合は勅許を要した(皇族身位令44条,45条,46条,47条)。

皇族の班位[編集]

皇族の班位(順位)は、皇族身位令により、次の順序によるものとされた。

  1. 皇后
  2. 太皇太后
  3. 皇太后
  4. 皇太子
  5. 皇太子妃
  6. 皇太孫
  7. 皇太孫妃
  8. 親王親王妃内親王王妃女王

また、以上の順序の中でも細かな点については以下のようになっていた。

その順序は、以下のとおりである。
  1. 天皇の長子
  2. 天皇の長孫
  3. その他の天皇の長子の子孫
  4. 天皇の次子及びその子孫
  5. その他の天皇の子孫
  6. 天皇の兄弟及びその子孫
  7. 天皇の伯叔父及びその子孫
  8. それ以上の皇族
以上においては、同等内では、嫡出子及びその子孫の系統を先にして、庶出の子(非嫡出子)及びその子孫の系統を後にする。また、嫡出子・庶出の子それぞれの中でも、先に生まれた者及びその子孫の系統を優先して、後に生まれた者及びその子孫の系統を後にする。(嫡庶長幼の順)
  • 内親王・女王班位は、親王・王の班位に準じる。
  • 親王・王・内親王・女王で同順位にある者は、男を先にし、女を後にする。(男女の順)
  • 親王妃・王妃の班位は、夫の次とする。内親王・女王であって親王妃・王妃となった者も例外としない。
  • 故皇太子の妃の班位は、皇太子妃の次とし、故皇太孫の妃の班位は、皇太孫妃の次とする。
  • 親王・王の寡妃未亡人)の班位は、夫生存中と同じとする。
  • 摂政に就任している親王・内親王・王・女王の班位は、皇太孫妃の次とする。但し、故皇太孫の妃があるときは、その次とする。
  • 皇太子・皇太孫が皇位継承の順序を変えられたときは、その班位は、皇太孫妃の次とする。但し、故皇太孫の妃があるときはその次とし、摂政に就任している親王・内親王・王・女王があるときはその次とする。
  • 親王・王が皇位継承の順序を変えられたときは、その班位は、順序変更前と同じとする。
  • 本来は王であるが、旧皇室典範制定前に親王宣下を受けて親王となっている者(宣下親王)は、宣下された順序によって、王の上とする。

旧皇族[編集]

北朝第3代崇光天皇の男系子孫であり、1947年昭和22年)にGHQの指令により皇籍離脱をした11宮家。この内、東伏見、山階、閑院、梨本家は既に断絶し、男系として続いているのは、それ以外の家系にあたる。皇籍離脱した後も皇室の親戚という立場には変わりがなく(皇族ではないが民法上は天皇の親族である者もいる)、皇室の親族が所属する親睦団体の菊栄親睦会に所属して現在でも皇室と親しく交流を続けている。

読み 現当主 備考
伏見家 ふしみ 伏見博明 世襲親王家
閑院家 かんいん 世襲親王家。皇籍離脱時の当主、春仁王の死去により1988年昭和63年)断絶。
ただし師仁親王の子孫は現・皇室。
久邇家 くに 久邇邦昭 香淳皇后の実家
山階家 やましな 皇籍離脱時の当主:武彦王の死去により1987年(昭和62年)断絶
北白川家 きたしらかわ 北白川道久
梨本家 なしもと 皇籍離脱時の当主:守正王の死後、未亡人の伊都子が甥の徳彦を養子とした(平成19年死去)。
現・当主は徳彦の養子・隆夫であるが皇室と血縁関係はなく、実子系統では断絶。
賀陽家 かや 皇籍離脱時の当主:恒憲王の死後、長男邦寿1986年(昭和61年)に死去し断絶。
ただし三男:章憲には男子の子孫[18]がある。
東伏見家 ひがしふしみ 皇籍離脱時に周子のみ。彼女の死去により1955年(昭和30年)断絶。
なお、久邇宮邦彦王の第三王子、東伏見慈洽が同家の祭祀を継承している(平成26年に死去)。
朝香家 あさか 朝香誠彦
竹田家 たけだ 竹田恒正
東久邇家 ひがしくに 東久邇信彦
大正9年(1920年)の久邇宮一族。上段向かって左から、邦久王朝融王久邇宮邦彦王妃俔子久邇宮邦彦王信子女王。下段向かって左から、智子女王、良子女王(香淳皇后)、邦英王

脚注[編集]

  1. ^ 皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。
  2. ^ 昭憲皇太后については事情により「皇太后」と追号されている。詳細は昭憲皇太后#追号についてを参照。
  3. ^ 直系尊属天皇から数えた数
  4. ^ 2016年(平成28年)10月27日の三笠宮崇仁親王薨去以降から現在の対象者。
  5. ^ 宮内庁 摂政
  6. ^ 皇室典範17条1項柱書
  7. ^ ただし離婚者が出た実例は離脱した旧皇族のみ
  8. ^ 実務的には、公職選挙法附則2項及び地方自治法附則抄第20条により「戸籍法の適用を受けないため、選挙権・被選挙権は当分の間停止されている」という規定が根拠とする見解がある。しかし、前述の法規定は法施行時に日本国籍を有していた台湾人や朝鮮人を対象としたのであって、天皇や皇族を対象としたのではないとする見解もある。1992年4月7日の参議院内閣委員会で宮内庁次長は、天皇及び皇族の選挙権・被選挙権は、象徴的な立場にある天皇とその一家として「政治的な立場も中立でなければならない」という要請や、「天皇は国政に関する権能を有しない」(憲法4条1項)という規定の趣旨などを根拠として、有していないとされているのであり、公職選挙法の規定が根拠になるわけではない、とする旨の答弁している。なお、1946年に制定された参議院議員選挙法は附則第一条で「皇族は、当分、この法律の規定にかかわらず、選挙権を有する」と規定されており、1947年の第1回参議院議員通常選挙では戸籍法の適用を受けない皇族に選挙権が存在した(1950年の公職選挙法制定で同様の文言は無くなった)。
  9. ^ 日本の天皇はどんな場所に住んでいる? 中国網2012年4月12日
  10. ^ 侍従職・東宮職・宮務官・侍女長は特別職国家公務員である。
  11. ^ 皇族の方々、デートで完全2人になれずNG職種の交際相手も NEWSポストセブン
  12. ^ 宮内庁 皇室会議
  13. ^ 宮内庁長官に山本信一郎次長が就任へ 風岡氏の後任
  14. ^ 皇室会議議員名簿
  15. ^ 宮内庁 皇室 ご略歴
  16. ^ a b c d 皇室会議議員名簿 宮内庁 平成28年10月24日現在
  17. ^ 橘氏(橘宿禰。「橘」が氏(ウヂ)、「宿禰」が姓(カバネ)。)の氏姓は、708年(和銅元年)の元明天皇大嘗祭のとき、女官の県犬養三千代が、天武天皇の時代から仕えていることを称されて、杯に浮かぶとともに賜った。
  18. ^ 皇太子徳仁親王の学友である賀陽正憲

関連項目[編集]

外部リンク[編集]