宝塚記念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
宝塚記念
Takarazuka Kinen[1]
Lovely-Day IMG 3189r R 20150628.JPG
第56回宝塚記念
開催国 日本の旗 日本
主催者 日本中央競馬会
競馬場 阪神競馬場
創設 1960年6月26日
2016年の情報
距離 芝2200m
格付け GI
賞金 1着賞金1億5000万円
出走条件 サラ系3歳以上(国際)(指定)
負担重量 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
出典 [2][3]
テンプレートを表示

宝塚記念(たからづかきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

競走名の「宝塚」は宝塚市を指す。阪神競馬場の所在地で、兵庫県の南東部に位置する[4][5]

正賞は宝塚市長賞、日本馬主協会連合会会長賞、ブリーダーズカップチャレンジ賞[2][3]

概要[編集]

有馬記念と同様に、ファン投票で出走馬を決め、こちらは上半期の締めくくりを飾る競走として関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され、1960年に創設された[5]。「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられている[5]

2011年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与される[6][註 1]

以前のファンファーレは他のGI競走(関西地区)と同様のものだったが、1999年より一般公募で選ばれた[7]専用の曲に変更された[註 2][註 3]

国際的評価[編集]

世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準委員会(ICSC)によってパートIからパートIVまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている[11]

また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、宝塚記念は「Long(2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した2012年から2014年の年間レースレーティング[註 4]の平均値に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、宝塚記念は全体の22位にランキングされた。このランキングで日本の競走は宝塚記念を含め10競走がランクインしているが、日本の競走ではジャパンカップ(8位)、有馬記念(11位)に次ぐ評価で、「Long(2101m - 2700m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較では、ドバイシーマクラシック(18位)に次ぐ評価となっている[12][13]

出走資格[編集]

以下の内容は、2016年現在[2][3]のもの。

  • サラ系3歳以上(出走可能頭数:18頭)
    • JRA所属馬(ファン投票選出馬・JRA選出馬)
    • 地方所属馬
    • 外国調教馬(最大8頭まで)

出走馬の選定方法は以下のとおり。

  • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[註 5]
  • 上記以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属馬も同様)。

負担重量[編集]

  • 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)[2][3][14]
  • 負担重量の変遷[14]
    • 第1回 - 第3回、第9回 - 第12回、第27回:馬齢重量
    • 第4回 - 第8回:別定重量
    • 第13回 - 第22回:4歳55kg、5歳56kg、6歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第23回 - 第26回:4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第28回 - 第36回:3歳53kg、4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第37回:3歳54kg、4歳以上58kg(牝馬2kg減)
      • ※2000年以前は馬齢表記が異なるため、上の第13回から第37回にある「4歳」は、当時の表記で「5歳」である。

賞金[編集]

2016年の1着賞金は1億5000万円で、以下2着6000万円、3着3800万円、4着2300万円、5着1500万円[2][3]

歴史[編集]

旧阪神競馬場の隆盛[編集]

阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場阪神競馬倶楽部)は、1907(明治40)年に関西で初めての本格的な競馬場として建設された。当時、日本各地にはさまざまな競馬倶楽部が設立され、それぞれ独自に競馬を営み、レースを開催していた。この時代の鳴尾競馬場を代表する競走が帝室御賞典各内国産馬連合競走だった。これに「阪神4歳牝馬競走」(1931・昭和6年創設)、阪神記念(1934・昭和9年創設)、「阪神記念アラブ系抽選馬競走」(1935・昭和10年創設)が加わり、鳴尾競馬場の「阪神競馬」は馬券の売上高で日本1、2を争う人気を博していた(1930年から1932年まで全国2位、1933年全国3位、1934年全国1位、1935年全国2位、1936年全国1位など)[15][16][17]

1936(昭和11)年に全国各地の11の競馬倶楽部が統合されて日本競馬会になると、各地で合わせて年に10回行なわれていた帝室御賞典は、年2回に統合されて大いに格式が引き上げられることになった。これにより、新たな「帝室御賞典」は、春に鳴尾競馬場(阪神)、秋に東京競馬場で行われることになった。1937(昭和12)年秋に東京競馬場で新たな帝室御賞典(現在の天皇賞はこれを正式な「第1回天皇賞」としている。)が行なわれ、翌1938(昭和13)年春には鳴尾競馬場で帝室御賞典が行なわれた。この1938(昭和13)年の暮れには鳴尾競馬場で阪神優駿牝馬競走(後の「優駿牝馬(オークス)」に相当)が創設され、4歳馬[註 6]5大競走の一つも行われるようになり、鳴尾競馬場は名実ともに日本を代表する競馬場となった[15][18][19][20]

旧阪神競馬場の突然の休止[編集]

ところが、1943(昭和18)年に、鳴尾競馬場は日本海軍が接収するとことになった。もともと鳴尾競馬場の隣接地には、かつての阪神競馬倶楽部の母体となった別の競馬場があったのだが、そこを海軍が買収して川西航空機の工場を置き、軍用機の開発をしていた。その工場で開発・研究中の新型戦闘機紫電改の試験飛行のため、工場の隣にあった鳴尾競馬場の敷地を飛行場に転用することになったのである。1943(昭和18)年2月にはガダルカナル島が陥落するなど戦争の情勢は逼迫していて、鳴尾競馬場は代替用地が確定しないまま海軍に接収され、1943(昭和18)年の春の開催を最後に幕を閉じた。阪神で行なわれていた帝室御賞典(天皇賞)はこれ以降京都競馬場で行なわれることになったが、結局そのまま阪神競馬場には戻ってこなかった[21][22][23][24]

新しい阪神競馬場の用地はひとまず目処が立ち、1周2500メートルとなる「東洋一[24]」の新競馬場の構想が進んだ。しかし戦局は悪化の一途をたどり、競馬場建設どころではなくなってきた。そのまま終戦を迎えると、こんどは新競馬場用地として確保していた土地が米軍に接収され、進駐軍のゴルフ場になってしまった[23][21][22][24]

再開された阪神競馬場の不振[編集]

経営母体の日本競馬会では国庫納付金を滞納するほど経営が悪化していて、新たな用地を買い付ける資力もなく、結局、空襲で破壊された川西航空機の工場跡地を整備して「仮設競馬場」として再出発することになった。こうして1949(昭和24)年にようやく阪神競馬場として再開にこぎつけた。この時に阪神3歳ステークスが創設、翌年に桜花賞が移設され、その後もチャレンジカップ(1950年創設)、鳴尾記念(1951年創設)、神戸新聞杯(1953年創設)、阪神大賞典(1953年創設)と重賞競走が拡充された[25][26][23][27]

しかしながら、再開された競馬場は奮わなかった。終戦から5年経った1951(昭和26)年になっても、破壊された工場の残骸が競馬場の中央に散乱して醜かった。観戦スタンドは木造の仮設のものだった。用地確保にも問題があり、競走馬の調教用地に当て込んでいた土地が権利争いになって、競馬場には厩舎が併設できなかった。馬場そのものも地盤が弱く、雨が降ると水たまりができるような有様だった。こうした理由で客足も伸びず、馬券の売上は目標の30%にも届かなかった[25][28]

競馬場の再興と宝塚記念の創設[編集]

1954(昭和29)年に日本中央競馬会が発足した。元農林大臣の有馬頼寧が日本中央競馬会の理事となり、「有馬特例法」と通称される[註 7]法律を通し、競馬の収益を競馬場施設の改修に充当できるようにすると、各地の競馬場が復興が実現した。阪神競馬場でも競馬場の底地と施設が日本中央競馬会に買収され、新しい観戦スタンドが建設されて1959(昭和34)年10月に落成している。このほか障害専用走路、診療所、監視塔、事務所棟、子どもの遊技場などが次々と整備された。阪神競馬場のシンボルでもあるセントウル像は翌1960(昭和35)年に設置された[25][29][28]

有馬頼寧は1956(昭和31)年に中山競馬場有馬記念を創設した。これは、出走馬をファン投票で決めるという全く新しいタイプの競走で、大いに人気を博していた。阪神競馬場では、新スタンドが落成した翌春(1960(昭和35)年)の開催から、「有馬記念の関西版[30]」として「人気投票」による競走を創設することになった。これが第1回宝塚記念である[27][26][31][32]

第1回宝塚記念は1800メートルで行なわれ、ファン投票による選出馬10頭と推薦委員会による選出馬10頭の合計20頭が選ばれた。しかし実際に出走したのはそのうち9頭だけだった。優勝したホマレーヒロはファン投票4位の選出馬だった[33][26]

創設後の変遷[編集]

初年度は1800メートルで行なわれたが、翌1961(昭和36)年の第2回宝塚記念からは2000メートルになった。さらに1966(昭和41)年には2200メートルに延長されている[33]

出走馬は当初は「4歳以上」(現在の馬齢表記では「3歳以上」に相当)と定められていた。「春競馬」に位置づけられているとはいえ、春競馬の一番最後に開催されるため、開催日は6月末から7月上旬になっていた。これが1968年から1ヶ月前倒しされることになり、5月末から6月初旬の開催になった。これに伴って出走条件は「5歳以上」と変更になり、古馬限定戦となった。負担重量については「別定」と称していたが、実際には5歳55kg、6歳56kg、7歳以上55kg、牝馬は2kg減量となっていて、事実上の「定量」戦であるうえに、この値は「馬齢」重量とも一致している。これは敢えてそのようにしているものである。「定量」や「馬齢」としてしまうと、宝塚記念の開催時期を移動するたびに負担重量が変動してしまうが、「別定」としておけば開催時期を春や夏に移動しても、競走での負担重量そのものは変わらず維持できるように意図されたものだった[33][17]

1987(昭和62)年からは再び「4歳馬」(現在の3歳に相当)の出走が可能になり、開催時期も繰り下げられて日本ダービーオークスなどで活躍した「4歳馬」のエントリーが容易になるように変更されている。1996(平成8)年から1999(平成11)年は7月開催だったが、2000(平成12)年からは6月下旬の開催となり、「春の中距離実力日本一」決定戦と位置づけられるようになった[33]

2017(平成29)年より大阪杯天皇賞(春)とともに同一年に行われる3競走を全て優勝した馬に褒賞金が贈られる予定[34]

沿革[編集]

  • 1960年 - 4歳以上の馬による重賞競走「宝塚記念」を創設。阪神競馬場・芝1800mで施行[5]
  • 1966年 - 京都競馬場の芝外回り2200mで施行。これ以降、施行距離が芝2200mで定着。
  • 1968年 - 出走資格を「5歳以上」に変更。
  • 1984年 - グレード制導入、GI[註 8]に格付け。
  • 1987年 - 出走資格を「4歳以上」に変更。
  • 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称を付けて施行[14]
  • 1995年
    • 「震災復興支援競走」の副称を付けて施行(1996年まで)[14]
    • 指定交流競走となり、地方所属馬も出走可能になる[14]
  • 1997年 - 国際競走に指定、外国調教馬が5頭まで出走可能になる[14]
  • 1999年 - この年から専用ファンファーレに変更。
  • 2001年
    • 馬齢表記を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「3歳以上」に変更。
    • 国際GIに指定。
  • 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行[14]
  • 2011年 - 「ブリーダーズカップ・チャレンジ」指定競走となる。
  • 2014年 - 「日本中央競馬会創立60周年記念」の副称をつけて施行[35]

歴代優勝馬[編集]

優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。

コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。

回数 施行日 競馬場 距離 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1960年6月26日 阪神 1800m ホマレーヒロ 牡4 1:49.6 近藤武夫 武輔彦 仁木清七
第2回 1961年7月2日 阪神 2000m シーザー 牡4 2:04.6 伊藤修司 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第3回 1962年7月1日 阪神 2000m コダマ 牡5 2:03.4 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第4回 1963年6月30日 阪神 2000m リユウフオーレル 牡4 2:02.1 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第5回 1964年7月5日 阪神 2000m ヒカルポーラ 牡5 2:03.3 高橋成忠 佐藤勇 坪田喜之助
第6回 1965年6月27日 阪神 2000m シンザン 牡4 2:06.3 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第7回 1966年6月26日 京都 2200m エイトクラウン 牝4 2:15.0 内藤繁春 田中康三 山口昇
第8回 1967年7月2日 阪神 2200m タイヨウ 牡4 2:19.4 内藤繁春 武田文吾 内藤博司
第9回 1968年5月26日 阪神 2200m ヒカルタカイ 牡4 2:14.7 野平祐二 藤本冨良 長山善健
第10回 1969年6月1日 京都 2200m ダテホーライ 牡4 2:16.1 宇田明彦 星川泉士 伊達牧場
第11回 1970年5月31日 阪神 2200m スピードシンボリ 牡7 2:13.3 野平祐二 野平省三 和田共弘
第12回 1971年5月30日 阪神 2200m メジロムサシ 牡4 2:17.3 横山富雄 大久保末吉 メジロ商事(株)
第13回 1972年6月4日 阪神 2200m ショウフウミドリ 牡6 2:19.9 松本善登 武田文吾 松本市三郎
第14回 1973年6月3日 阪神 2200m ハマノパレード 牡4 2:12.7 田島良保 坂口正二 (株)ホースタジマ
第15回 1974年6月2日 京都 2200m ハイセイコー 牡4 2:12.9 増沢末夫 鈴木勝太郎 ホースマンクラブ
第16回 1975年6月1日 阪神 2200m ナオキ 牡6 2:16.7 佐々木昭次 田中康三 桜山ホース(株)
第17回 1976年6月6日 京都 2200m フジノパーシア 牡5 2:17.5 大崎昭一 柴田寛 真田繁次
第18回 1977年6月5日 阪神 2200m トウショウボーイ 牡4 2:13.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第19回 1978年6月4日 阪神 2200m エリモジョージ 牡6 2:14.2 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第20回 1979年6月3日 阪神 2200m サクラショウリ 牡4 2:12.4 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第21回 1980年6月1日 中京 2400m テルテンリュウ 牡4 2:31.9 西浦勝一 土門健司 伊藤繁子
第22回 1981年6月7日 阪神 2200m カツアール 牡5 2:14.1 樋口弘 柳田次男 栗林英雄
第23回 1982年6月6日 阪神 2200m モンテプリンス 牡5 2:12.6 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八
第24回 1983年6月5日 阪神 2200m ハギノカムイオー 牡4 2:12.1 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
第25回 1984年6月3日 阪神 2200m カツラギエース 牡4 2:12.4 西浦勝一 土門一美 野出一三
第26回 1985年6月2日 阪神 2200m スズカコバン 牡5 2:15.9 村本善之 小林稔 永井永一
第27回 1986年6月1日 阪神 2200m パーシャンボーイ 牡4 2:14.4 柴田政人 高松邦男 伊達秀和
第28回 1987年6月14日 阪神 2200m スズパレード 牡6 2:12.3 蛯沢誠治 富田六郎 小紫芳夫
第29回 1988年6月12日 阪神 2200m タマモクロス 牡4 2:13.2 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第30回 1989年6月11日 阪神 2200m イナリワン 牡5 2:14.0 武豊 鈴木清 保手浜弘規
第31回 1990年6月10日 阪神 2200m オサイチジョージ 牡4 2:14.0 丸山勝秀 土門一美 野出長一
第32回 1991年6月9日 京都 2200m メジロライアン 牡4 2:13.6 横山典弘 奥平真治 (有)メジロ牧場
第33回 1992年6月14日 阪神 2200m メジロパーマー 牡5 2:18.6 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場
第34回 1993年6月13日 阪神 2200m メジロマックイーン 牡6 2:17.7 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株)
第35回 1994年6月12日 阪神 2200m ビワハヤヒデ 牡4 2:11.2 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ
第36回 1995年6月4日 京都 2200m ダンツシアトル 牡5 2:10.2 村本善之 山内研二 山元哲二
第37回 1996年7月7日 阪神 2200m マヤノトップガン 牡4 2:12.0 田原成貴 坂口正大 田所祐
第38回 1997年7月6日 阪神 2200m マーベラスサンデー 牡5 2:11.9 武豊 大沢真 笹原貞生
第39回 1998年7月12日 阪神 2200m サイレンススズカ 牡4 2:11.9 南井克巳 橋田満 永井啓弐
第40回 1999年7月11日 阪神 2200m グラスワンダー 牡4 2:12.1 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第41回 2000年6月25日 阪神 2200m テイエムオペラオー 牡4 2:13.8 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第42回 2001年6月24日 阪神 2200m メイショウドトウ 牡5 2:11.7 安田康彦 安田伊佐夫 松本好雄
第43回 2002年6月23日 阪神 2200m ダンツフレーム 牡4 2:12.9 藤田伸二 山内研二 山元哲二
第44回 2003年6月29日 阪神 2200m ヒシミラクル 牡4 2:12.0 角田晃一 佐山優 阿部雅一郎
第45回 2004年6月27日 阪神 2200m タップダンスシチー 牡7 2:11.1 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)友駿ホースクラブ
第46回 2005年6月26日 阪神 2200m スイープトウショウ 牝4 2:11.5 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第47回 2006年6月25日 京都 2200m ディープインパクト 牡4 2:13.0 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第48回 2007年6月24日 阪神 2200m アドマイヤムーン 牡4 2:12.4 岩田康誠 松田博資 近藤利一
第49回 2008年6月29日 阪神 2200m エイシンデピュティ 牡6 2:15.3 内田博幸 野元昭 平井豊光
第50回 2009年6月28日 阪神 2200m ドリームジャーニー 牡5 2:11.3 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第51回 2010年6月27日 阪神 2200m ナカヤマフェスタ 牡4 2:13.0 柴田善臣 二ノ宮敬宇 和泉信一
第52回 2011年6月26日 阪神 2200m アーネストリー 牡6 2:10.1 佐藤哲三 佐々木晶三 前田幸治
第53回 2012年6月24日 阪神 2200m オルフェーヴル 牡4 2:10.9 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第54回 2013年6月23日 阪神 2200m ゴールドシップ 牡4 2:13.2 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第55回 2014年6月29日 阪神 2200m ゴールドシップ 牡5 2:13.9 横山典弘 須貝尚介 小林英一
第56回 2015年6月28日 阪神 2200m ラブリーデイ 牡5 2:14.4 川田将雅 池江泰寿 金子真人ホールディングス(株)
第57回 2016年6月26日 阪神 2200m マリアライト 牝5 2:12.8 蛯名正義 久保田貴士 (有)キャロットファーム

宝塚記念の記録[編集]

  • レースレコード - 2:10.1(第52回優勝馬アーネストリー)[5]

関連項目[編集]

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ ただしブリーダーズカップへの種牡馬登録と産駒登録は必要。
  2. ^ 中央競馬で専用のファンファーレが演奏される競走は、他に名鉄杯特別競走)がある。
  3. ^ 2014年に宝塚市制60周年とJRA創立60周年が重なることから、これを記念して「宝塚市制60周年記念」「宝塚歌劇100周年花のみち特別」[8]が開催され、陸上自衛隊第3音楽隊によるファンファーレの生演奏が行われたが、2015年は宝塚記念の開催日に「花のみちステークス」、宝塚記念(本馬場入場で使用される「ザ・チャンピオン」を含む)、「リボン賞」の3競走で陸上自衛隊第3音楽隊によるファンファーレの生演奏が行われた[9][10]
  4. ^ 年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される(日本の場合+4ポンド)。
  5. ^ 第10位までで出走の意思がない馬がいた場合、11位以下の馬が繰り上げで出走できる権利がある。
  6. ^ 現在の馬齢表記方法では「3歳」
  7. ^ 正式名は「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」
  8. ^ 当時の格付表記は、JRAの独自グレード。

出典[編集]

  1. ^ IFHA Race Detail Takarazuka Kinen”. 2016年6月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e 重賞競走一覧(レース別・関西) (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 19 (2016年). 2016年6月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e 平成28年第3回阪神競馬番組 (PDF)”. 日本中央競馬会. 2016年6月27日閲覧。
  4. ^ 2016年度第3回阪神競馬特別レース名解説 (PDF)”. 日本中央競馬会. p. 3. 2016年6月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e レースについて:宝塚記念 今週の注目レース”. 日本中央競馬会. 2016年6月27日閲覧。
  6. ^ 宝塚記念(GI)優勝馬に「ブリーダーズカップターフ(G1)」優先出走権等が付与[リンク切れ] - JRA公式サイト 2011年2月21日閲覧。
  7. ^ JRAヒストリー(2003 - 1994) - 日本中央競馬会、2015年6月20日閲覧
  8. ^ “歌劇100周年で特別レース 阪神競馬場にスター登場へ”. 神戸新聞NEXT. (2014年6月1日). http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201406/0007013426.shtml 2015年6月28日閲覧。 
  9. ^ 全頭本命、春のグランプリ。【第3回阪神競馬開催日イベント】”. JRA. 2015年6月28日閲覧。
  10. ^ 中央競馬実況中継 ラジオNIKKEI第2のツイート”. 2015年6月28日閲覧。
  11. ^ INTERNATIONAL GRADING AND RACE PLANNING ADVISORY COMMITTEE "INTERNATIONAL CATALOGUING STANDARDS and INTERNATIONAL STATISTICS 2016" (PDF)”. The Jockey Club Information Systems, Inc.. p. 90. 2016年6月27日閲覧。
  12. ^ 世界のトップ100GIレースがIFHAから発表! - 日本中央競馬会、2015年3月7日閲覧
  13. ^ THE WORLD'S TOP 100 G1 RACES for 3yo's and upwards (PDF) - 日本中央競馬会、2015年3月7日閲覧
  14. ^ a b c d e f g 中央競馬全重賞成績集【GI編】
  15. ^ a b 『阪神競馬倶楽部三十年沿革史』p53-58
  16. ^ 『阪神競馬場のあゆみ』p48-81
  17. ^ a b 『阪神競馬場のあゆみ』p88-92「売上げ日本一を目指して」
  18. ^ 『阪神競馬場のあゆみ』p121-128「四歳馬五大クラシック競走の創設」
  19. ^ 『日本競馬史』巻5,p290-319
  20. ^ 『日本競馬史』巻5,p416-425
  21. ^ a b 『阪神競馬場のあゆみ』p128-149「阪神競馬場の移転」
  22. ^ a b 『阪神競馬場のあゆみ』p150-177「戦後競馬の再開と阪神競馬場の苦悩」
  23. ^ a b c 『阪神競馬場50年史』p38-42
  24. ^ a b c 『阪神競馬場50年史』p32-35
  25. ^ a b c 『阪神競馬場のあゆみ』p178-198
  26. ^ a b c 『阪神競馬場のあゆみ』p205-208「重賞競走の充実」
  27. ^ a b 『阪神競馬場50年史』p45-46「相次ぐ重賞競走の創設」
  28. ^ a b 『阪神競馬場50年史』p44-45
  29. ^ 『競馬百科』p65
  30. ^ 『競馬百科』p88
  31. ^ 『競馬百科』p81
  32. ^ 『競馬百科』p86
  33. ^ a b c d 『阪神競馬場50年史』p16「宝塚記念」
  34. ^ 2017年度競馬番組等について日本中央競馬会、2016年11月16日閲覧
  35. ^ 2014年の成績表参照。

各回競走結果の出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]