宝塚記念

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宝塚記念
Earnestly20110626(1).jpg
第52回宝塚記念
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗阪神競馬場
施行時期 6月下旬
(原則3回阪神8日目)
格付け GI
1着賞金 1億3200万円
賞金総額 2億5120万円
距離 芝2200m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1960年6月26日
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宝塚記念(たからづかきねん)とは日本中央競馬会(JRA)阪神競馬場2200mで施行する中央競馬重賞GI競走である。競走名は阪神競馬場がある宝塚市から取られている。

正賞は宝塚市長賞、日本馬主協会連合会会長賞、ブリーダーズカップチャレンジ賞。

概要[編集]

上半期の日本競馬のグランプリと位置づけられている。

関東地区中山競馬場)に創設(1956年)された有馬記念[註 1]がファン投票によって出走馬を決め、4歳(現3歳)と古馬が集まる日本一の決定戦として人気を得ていく中で、春季もクラシック競走やそのトライアルレースが続く関東地区に比べて関西地区の大競走は桜花賞天皇賞しかなく盛り上がりに欠けていた。そこで「有馬記念に匹敵する大競走を春に開催したい」との関西地区の意向もあり、有馬記念同様にファン投票によって出走馬を決めることを前提に4歳(現3歳)以上の混合の定量の重賞競走・宝塚記念として1960年に創設された。

第1回は阪神競馬場の芝1800mで施行され、翌1961年1967年に200mずつ延長され現在の芝2200mでの施行となっている。このレースの創設に伴い、宝塚杯(旧・阪神記念)は競走名を阪急杯に変更されている。なお宝塚記念は創設以来、改修や阪神大震災等の理由から京都競馬場中京競馬場で代替開催となった事が多く、JRAのGIの中では(グレード制導入以前も含めて)最も代替開催の回数が多いレースとして知られる。

上半期のGI戦線を締めくくる中長距離競走[1]でその年を締めくくる有馬記念を「グランプリ」と呼ぶことになぞらえ、宝塚記念は「春のグランプリ」または「夏のグランプリ(サマーグランプリ)」と呼ばれる[2]。近年では競馬の国際化の流れに乗りフランス凱旋門賞(G1)をはじめ海外の国際競走への遠征を見据えた試金石としてこの競走に挑む馬が増え、上半期のグランプリであると同時に海外の国際競走のステップレースとしても捉えられている。[註 2]。これまで凱旋門賞を制覇した競走馬は出ていないが、本競走からは第51回優勝のナカヤマフェスタと第53回優勝のオルフェーヴルがいずれも僅差の2着と善戦している。近年は春季の4歳以上の馬にとって天皇賞の出走馬をはじめ、天皇賞を回避して中距離競走である香港クイーンエリザベス2世カップ(G1・芝2000m)、アラブ首長国連邦ドバイシーマクラシック(G1・芝2410m)およびシンガポール航空インターナショナルカップ(G1・芝2000m)など海外GI競走を経て出走する馬も増えてきており、以前にもまして価値が高まっている。かつては勝ち抜け制度であった天皇賞の勝ち馬、天皇賞及びクラシック競走に出走権がなかった外国産馬[註 3]せん馬[註 4]にとって特に大きな目標となっていた。また、力をつけてきた馬がステップレースの目黒記念鳴尾記念2011年までは金鯱賞)を勝ちあがってきて試金石の意味で使う例もあり、本競走で初のGI制覇(ならびに唯一のGI勝利)となった馬も多い[註 5]

2011年からは本競走の勝馬に対し当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与されるブリーダーズカップ・チャレンジ指定競走になることが発表されている[3]

宝塚記念では年に一度、本競走でしか演奏されない専用のファンファーレ(JRAの一般公募によって最優秀賞に選出された早川太海の作曲)が使用されている。専用のファンファーレが用意される競走は中央競馬では他に名鉄杯特別競走)があるのみ。現在の優勝レイの配色は紺色地に金色文字となっている。

出走資格[編集]

サラ系3歳(旧4歳)以上のファン投票及びJRAに選出されたJRA所属競走馬及び本競走に出走登録した外国所属競走馬(最大8頭まで)及び出走登録しJRAに選定された地方所属競走馬のみ出走が可能である。フルゲートは18頭。

  • 出走馬の選定方法は以下のとおりである。
    • ファン投票選出方法は公式投票用紙(競馬場ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能だが1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
    • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[註 6]
    • それ以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属競走馬もこの方法で選出される)。

負担重量[編集]

  • 定量で3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬は2kg減である。
    • 第1~3、9~12、27回は馬齢重量。第4~8回は別定重量。第13~22回は4歳55kg・5歳56kg・6歳以上55kg・牝馬各2kg減。第23~26回 は4歳56kg・5歳57kg・6歳以上56kg・牝馬各2kg減。第28~36回は3歳53kg・4歳56kg・5歳57kg・6歳以上56kg・牝馬各2kg減。第37回は3歳54kg・4歳以上58kg・牝馬各2kg減だった。

歴代ファン投票1位[編集]

回数 開催年 馬名 票数 着順 備考
第1回 1960年 コダマ 不出走
第2回 1961年 シーザー 優勝
第3回 1962年 コダマ 優勝
第4回 1963年 リユウフオーレル 優勝
第5回 1964年 リユウフオーレル 3着
第6回 1965年 シンザン 優勝
第7回 1966年 キーストン 不出走
第8回 1967年 ニホンピローエース 不出走
第9回 1968年 リュウファーロス 不出走
第10回 1969年 アサカオー 不出走
第11回 1970年 リキエイカン 5着
第12回 1971年 ダテテンリュウ 不出走
第13回 1972年 アカネテンリュウ 不出走
第14回 1973年 タイテエム 2着
第15回 1974年 タケホープ 不出走
第16回 1975年 キタノカチドキ 不出走
第17回 1976年 ロングホーク 2着
第18回 1977年 テンポイント 2着
第19回 1978年 グリーングラス 2着
第20回 1979年 サクラショウリ 優勝
第21回 1980年 シービークロス 不出走
第22回 1981年 カツラノハイセイコ 2着
第23回 1982年 モンテプリンス 優勝
第24回 1983年 アンバーシャダイ 不出走
第25回 1984年 ミスターシービー 不出走
第26回 1985年 シンボリルドルフ 取消 前日の調整で脚部不安を発症したため
第27回 1986年 スダホーク 5着
第28回 1987年 ミホシンザン 不出走
第29回 1988年 タマモクロス 優勝
第30回 1989年 ヤエノムテキ 119,765票 7着
第31回 1990年 オグリキャップ 152,016票 2着
第32回 1991年 メジロマックイーン 136,325票 2着
第33回 1992年 メジロマックイーン 135,300票 不出走 骨折休養のため
第34回 1993年 メジロマックイーン 139,693票 優勝
第35回 1994年 ビワハヤヒデ 148,768票 優勝
第36回 1995年 ライスシャワー 105,799票 競走中止
第37回 1996年 ナリタブライアン 140,970票 不出走 屈腱炎を発症→引退のため
第38回 1997年 マーベラスサンデー 97,617票 優勝
第39回 1998年 エアグルーヴ 133,223票 3着
第40回 1999年 スペシャルウィーク 136,079票 2着
第41回 2000年 テイエムオペラオー 87,936票 優勝
第42回 2001年 テイエムオペラオー 89,384票 2着
第43回 2002年 ジャングルポケット 72,159票 不出走 脚部不安のため
第44回 2003年 シンボリクリスエス 59,817票 5着
第45回 2004年 リンカーン 60,865票 3着
第46回 2005年 ゼンノロブロイ 67,667票 3着
第47回 2006年 ディープインパクト 89,864票 優勝
第48回 2007年 メイショウサムソン 76,932票 2着
第49回 2008年 ウオッカ 75,594票 不出走 休養のため
第50回 2009年 ウオッカ 139,507票 不出走 休養のため
第51回 2010年 ブエナビスタ 92,024票 2着
第52回 2011年 ブエナビスタ 97,429票 2着
第53回 2012年 オルフェーヴル 72,253票 優勝
第54回 2013年 オルフェーヴル 70,519票 不出走 運動誘発性肺出血発症のため[4]

賞金[編集]

グレード制が施行された第25回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第25回(1984年) 1億3,830万円 7,300万円 2,900万円 1,800万円 1,100万円 730万円
第26回(1985年) 1億4,360万円 7,600万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 760万円
第27回(1986年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第28回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第29回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第30回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第31回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第32回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第33回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1300万円
第34回(1993年)
第35回(1994年)
第36回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 3,300万円 2,000万円 1,320万円
第37回(1996年)
第38回(1997年)
第39回(1998年)
第40回(1999年)
第41回(2000年)
第42回(2001年)
第43回(2002年)
第44回(2003年)
第45回(2004年)
第46回(2005年)
第47回(2006年)
第48回(2007年)
第49回(2008年)
第50回(2009年)
第51回(2010年)
第52回(2011年)
第53回(2012年)

特徴[編集]

出走頭数[編集]

2006年まで(最終的な)出馬投票対象頭数が出走可能頭数(フルゲート・18頭)に達することはなかった。2007年になって初めてフルゲートと同じ18頭でレースが行われたが、このとき出馬投票の対象となった馬はフルゲートと丁度同じ18頭であった。また、2011年は初めてフルゲートを超える20頭の登録があったが、最終的に4頭の馬が回避した。よって、このレースに出馬投票しながらファン投票数や賞金額の不足により除外(優先順位下位のために出走できない)の憂き目に遭った馬はまだない。フルゲートになりにくい理由としては、以下のような理由が考えられる。

  • 施行日の近くに安田記念(GI)やサマー2000シリーズ[註 7]と出走選択肢が豊富で実力的に劣るとされている馬が無理に出走してこない。
  • 馬は暑さに弱い動物であるので高温多湿期には休養することが好ましいとする見解があり[5]、実力馬が秋のGIシリーズを見据えて疲労を残さないように本競走を回避をすることがある。
  • 開催時期が梅雨と重なっていて良馬場で行われにくいため、重馬場を不得意な馬が敬遠することがある。[要出典]重馬場を不得手とするナリタトップロードも同様の理由で出走を回避している。
  • 阪神競馬場に外回りコースが新設された後も内回り2200mという小回りコースで開催される[註 8]。国内や欧州の多くの大レースで使用される大回りで高低差も10m以上などというコースで活躍した馬にとっては、それまでとは異なったコースへの適性を求められる[註 9]
  • 競走馬の能力の広汎性を問う場合に2200mの宝塚記念で好走するよりも2000mの天皇賞(秋)か2400mのジャパンカップのどちらかで好走した方が評価が高くなる[要出典]という事情もある。
  • 日本国外で調教された競走馬の出走については、1997年に出走したオーストラリアのセトステイヤー(馬主は日本人)ただ1頭だけである。この時期はヨーロッパ北米ではイギリスロイヤルアスコットレースミーティングクラシック戦線の最中であったり国によっては宝塚記念と同様のGI競走が開催されており、一流馬の遠征・参戦が難しい時期である。海外からの参戦を促すために指定レースの優勝馬が宝塚記念を優勝した場合には褒賞金を与える制度があるが休催期にあたる香港オセアニアから有力馬を呼び込むには至っていない(これに対し、例えばドバイミーティングは欧米の休催期に開催し有力馬を呼び込むことに成功している)。

評価[編集]

  • 戦後復興期から高度成長期にかけての競走馬の水準が東高西低であったり市場規模が異なると言う事情からJRAの番組体系が関東地区の主に東京競馬場を中心に編成されてきた[要出典]こともあり[註 10]、また1980年代になってジャパンカップ設立や安田記念そしてスプリンターズステークスなど短中距離GIが増加し、関東へのGI競走の偏重を回避するため、賞金額を増額したり、時期を6月中旬から6月下旬に動かして日本ダービー馬の出走を促したりしたが、相対的に存在価値が上がることはなかった。
  • 伝統的にGIの中でも格が劣るとして扱われ[要出典]、関東地区のGIのような出走を奨励するための高額賞金や日本調教馬に対する特別報奨金は導入されていない。国内のGI開催は関東地区に偏り、関西馬に多くの長距離輸送の負担を負わせているという問題もある。ただこのハンデを克服するために栗東でいろんな試みをしたことが、いわゆる坂路効果や長距離での直前輸送などで関西馬優位の西高東低の時代を生んだことも事実である。
  • 藤沢和雄は国内に1つしかない基幹距離である2400mの古馬のGIを増やし、阪神競馬場の形態を活かすために外回り2400mでの施行を提案している。

歴史[編集]

グレード格付け前[編集]

  • 1960年
    • 阪神競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)以上の定量の重賞競走「宝塚記念」として創設。
    • 第1回優勝馬はホマレーヒロ。
  • 1961年
    • 施行距離を芝2000mに変更。
    • シーザーが優勝。ファン投票1位馬が初めて勝つ。しかし出走馬は4頭であった。
  • 1962年
    • 日本ダービー馬コダマが優勝。
    • ファン投票1位馬が2年連続で勝利。
  • 1963年
    • 負担重量を別定に変更。
    • リュウフォーレルが優勝。同馬はこの後天皇賞(秋)と有馬記念を制す。
  • 1964年 - 春の天皇賞馬ヒカルポーラが優勝。天皇賞(春)と宝塚記念を連覇した最初の馬となる。
  • 1965年
    • 三冠馬シンザンが優勝。同馬はこの後天皇賞(秋)と有馬記念を制す。
    • この宝塚記念には前年の天皇賞(春)・宝塚記念馬ヒカルポーラが出走。しかし後に五冠馬と言われたシンザンだが宝塚記念はこの冠には入っていない。
  • 1966年
    • 阪神競馬場のスタンド増設工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。以降施行距離は現在まで芝2200mで行われている。
    • エイトクラウンが牝馬として初の優勝。
  • 1967年 - タイヨウが優勝。内藤繁春騎手として史上初の連覇。
  • 1968年
    • 出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。負担重量を馬齢に変更。
    • 元地方大井所属の春の天皇賞馬ヒカルタカイが公営出身馬として、また関東馬として史上初の優勝。同馬は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。
  • 1969年
    • 阪神競馬場がスタンド火災で開催不能のため京都競馬場の芝2200mで施行。
    • ダテホーライが優勝。しかし出走馬は4頭であった。
  • 1970年 - 1967年春の天皇賞馬スピードシンボリが優勝。同馬は前年の有馬記念とこの年の有馬記念も勝つ。
  • 1971年 - 春の天皇賞馬メジロムサシが優勝。同馬は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。
  • 1972年
  • 1973年 - 春の天皇賞馬タイテエムが出走したが2着。勝ったのはハマノパレード。同馬は次走の高松宮杯で骨折し死去。
  • 1974年
    • 阪神競馬場のダートコース新設工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
    • 元地方大井所属のハイセイコーが公営出身馬として史上2頭目の優勝。同馬は皐月賞に続くGI級競走2勝目。またこの時の着差5馬身差は今も最大着差として記録されている。
  • 1975年
    • 第7回優勝馬エイトクラウンの仔ナオキが優勝し、母仔制覇を達成。
    • 当競走はGI級レースを勝った馬が出走せず、宝塚記念競走のレベルが問われることとなる。
  • 1976年
    • 全国発売を開始。
    • 京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
    • 前年秋の天皇賞馬フジノパーシアが優勝。
  • 1977年 - トウショウボーイ(皐月賞馬及び有馬記念馬)・テンポイント(春の天皇賞馬)・グリーングラス(菊花賞馬)が出走。この他にアイフル(前年秋の天皇賞馬)、クライムカイザー(日本ダービー馬)、ホクトボーイ(この年の秋に天皇賞を制す)が出走し、6頭立てながら宝塚記念史上最高のメンバーと言われている。結果はトウショウボーイが逃げ切って優勝。同馬のGI級勝利はこれが最後となった。
  • 1978年 - 1976年春の天皇賞馬エリモジョージが逃げ切って優勝。この年春の天皇賞を勝ったグリーングラスは2着。
  • 1979年 - 日本ダービー馬サクラショウリが優勝。日本ダービー馬の勝利は史上3頭目。またファン投票1位馬が勝つのはシンザン以来14年ぶり。
  • 1980年
    • 京都競馬場の改修工事に伴う振替開催により中京競馬場の芝2400mで施行。
    • テルテンリュウが優勝。
  • 1981年 - 元地方大井所属のカツアールが公営出身馬として史上3頭目の優勝。春の天皇賞馬カツラノハイセイコは2着。
  • 1982年 - 春の天皇賞馬モンテプリンスが優勝。同馬は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。
  • 1983年
    • ハギノカムイオーが逃げ切って優勝。GI級競走を唯一制す。
    • 伊藤修司が騎手・調教師両方で制覇。

GI格付け後[編集]

  • 1984年
    • グレード制施行によりGIに格付け。
    • 前年の三冠馬ミスターシービーは脚部不安で出走せず。カツラギエースが優勝。同馬は同年秋のジャパンカップを逃げ切って日本馬として初制覇する。
  • 1985年 - 五冠馬シンボリルドルフが直前に出走取消。同馬は同年秋にジャパンカップ・有馬記念を制し七冠馬となる。スズカコバンが優勝。ミスターシービーとシンボリルドルフの時代だったが両馬とも未出走でミスターシービーと同世代の関西馬が制覇する。
  • 1987年 - 出走資格を4歳(現3歳)以上に戻し、開催を6月第2週に繰り下げる。しかし日本ダービーから2週間後では4歳馬の挑戦は無かった。この時期は関西馬の不振もあって競走の格が問われることになった。
  • 1988年 - 春の天皇賞馬タマモクロスが優勝。同馬は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。この後、天皇賞(秋)も制し、オグリキャップと芦毛馬の時代を築く。またこの時期から関西馬が復権するとともに西高東低の時代が到来する。
  • 1989年
    • 元地方大井所属のイナリワンが公営出身馬として史上4頭目の優勝。同馬は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。この後、有馬記念を制す。
    • 武豊が初制覇。また武邦彦とで騎手の親子制覇。
  • 1990年 - オサイチジョージが優勝。2着は直前に安田記念を制したオグリキャップで、この後有馬記念を制す。
  • 1991年
    • 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
    • メジロライアンが優勝。2着は同じ馬主の春の天皇賞馬メジロマックイーン。
  • 1992年 - メジロパーマーが逃げ切って優勝。同馬はこの後有馬記念も逃げ切って制す。
  • 1993年
    • 前走で春の天皇賞3連覇を逃したメジロマックイーンが優勝。同馬はこれが最後のGI制覇。武豊は2度目の制覇。
    • この年のみ皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付く。
  • 1994年 - ビワハヤヒデが優勝。 同馬は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。天皇賞(秋)で故障しこれが最後のGI制覇。
  • 1995年
    • 前年の三冠馬ナリタブライアンは脚部不安で出走せず。ダンツシアトルが優勝。
    • 兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)による阪神競馬場の開催不能により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
    • 震災復興支援競走の副称が付く。
    • 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開かれる。
    • 菊花賞・春の天皇賞馬でこの年ファン投票1位のライスシャワーが3コーナー過ぎで転倒し競走中止、予後不良と診断され死去。
  • 1996年
    • 菊花賞・有馬記念馬マヤノトップガンが優勝。この翌年天皇賞(春)も制す。三冠馬ナリタブライアンが直前の高松宮記念に出走して故障し、この競走には出走せず、そのまま引退。
    • この年の競馬番組の改正により第3回阪神と第2回中京の開催が入れ替わったことに伴い宝塚記念もそれまでより4週遅い7月上旬の開催となる。
    • 震災復興支援競走の副称が本年まで付く。
  • 1997年
    • マーベラスサンデーが優勝。武豊が3度目の制覇。
    • オーストラリアのセトステイヤーが外国調教馬として史上初の出走(9着)。
    • 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。
  • 1998年 - サイレンススズカが優勝。同馬はその後天皇賞(秋)で骨折し死去。これが唯一のGI制覇となった。
  • 1999年
    • 日本ダービー・春の天皇賞馬スペシャルウィークを交わして、有馬記念馬グラスワンダーが優勝。関東馬は8年ぶり制覇。この後、有馬記念もハナ差でグラスワンダーが制し、グランプリ3連勝。これはスピードシンボリ以来史上2頭目。
    • 早川太海が作曲した出走ファンファーレがこの年の競走から使用される。
  • 2000年
    • テイエムオペラオーが優勝。同馬は前年皐月賞を勝ち、この年は天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。そして秋は天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念を勝ち、史上初めて古馬の中長距離GI競走(5レース)を完全制覇。
    • 施行時期が2週繰り上がり、6月下旬の開催となる。
  • 2001年
    • メイショウドトウがテイエムオペラオーを破って優勝。テイエムオペラオーは前走天皇賞(春)を勝ち出走GI競走を6連勝していたが7連勝はならず、その後も勝つことなく七冠で終わる。
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
    • 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定。
  • 2002年 - 外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
  • 2003年 - ヒシミラクルが優勝。この年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬(ネオユニヴァース・4着)が史上初の出走。
  • 2004年
    • 前年のジャパンカップを逃げ切ったタップダンスシチーが逃げ切って優勝。7歳馬として最高齢の勝利馬であった。佐藤哲三が初制覇。
    • この年のみ日本中央競馬会創立50周年記念の副称が付く。
  • 2005年 - スイープトウショウが優勝。牝馬としてエイトクラウン以来39年ぶり2頭目の制覇。池添謙一が初制覇。
  • 2006年
    • 前年の三冠馬ディープインパクトが優勝。天皇賞(春)と宝塚記念を連覇。この後、凱旋門賞に挑戦し、ジャパンカップと有馬記念を制して七冠馬となる。武豊は4度目の制覇。
    • 阪神競馬場の芝コース改修工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
  • 2007年
    • アドマイヤムーンが優勝。 岩田康誠が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
    • この年の日本ダービー優勝馬(ウオッカ・8着)と2着馬(アサクサキングス・15着)が揃って出走。
    • レース史上初めてフルゲート(18頭)でレースが行われる。
  • 2008年
    • エイシンデピュティが優勝。内田博幸が地方競馬出身の騎手として史上2人目の優勝。
    • 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(当競走施行当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。
  • 2009年
    • ドリームジャーニーが優勝。池添謙一が騎手として史上2人目の牡馬、牝馬の両方で制覇。
    • 池江泰寿が父・池江泰郎と調教師としての宝塚記念親子制覇。
  • 2011年
  • 2012年
  • 2013年
    • 前年の二冠馬ゴールドシップが優勝。また有馬記念に続きグランプリ2連勝。内田博幸が2度目の制覇。
    • 陸上自衛隊第3音楽隊の生演奏による「ザ・チャンピオン」で本馬場入場が行われた。
  • 2014年

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった1997年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1960年6月26日 ホマレーヒロ 牡4 1:49.6 近藤武夫 武輔彦 仁木清七
第2回 1961年7月02日 シーザー 牡4 2:04.6 伊藤修司 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第3回 1962年7月01日 コダマ 牡5 2:03.4 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第4回 1963年6月30日 リユウフオーレル 牡4 2:02.1 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第5回 1964年7月05日 ヒカルポーラ 牡5 2:03.3 高橋成忠 佐藤勇 坪田喜之助
第6回 1965年6月27日 シンザン 牡4 2:06.3 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第7回 1966年6月26日 エイトクラウン 牝4 2:15.0 内藤繁春 田中康三 山口昇
第8回 1967年7月02日 タイヨウ 牡4 2:19.4 内藤繁春 武田文吾 内藤博司
第9回 1968年5月26日 ヒカルタカイ 牡4 2:14.7 野平祐二 藤本冨良 長山善健
第10回 1969年6月01日 ダテホーライ 牡4 2:16.1 宇田明彦 星川泉士 (株)伊達牧場
第11回 1970年5月31日 スピードシンボリ 牡7 2:13.3 野平祐二 野平省三 和田共弘
第12回 1971年5月30日 メジロムサシ 牡4 2:17.3 横山富雄 大久保末吉 メジロ商事(株)
第13回 1972年6月04日 ショウフウミドリ 牡6 2:19.9 松本善登 武田文吾 松本市三郎
第14回 1973年6月03日 ハマノパレード 牡4 2:12.7 田島良保 坂口正二 (株)ホースタジマ
第15回 1974年6月02日 ハイセイコー 牡4 2:12.9 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)ホースマンクラブ
第16回 1975年6月01日 ナオキ 牡6 2:16.7 佐々木昭次 田中康三 桜山ホース(株)
第17回 1976年6月06日 フジノパーシア 牡5 2:17.5 大崎昭一 柴田寛 真田繁次
第18回 1977年6月05日 トウショウボーイ 牡4 2:13.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第19回 1978年6月04日 エリモジョージ 牡6 2:14.2 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第20回 1979年6月03日 サクラショウリ 牡4 2:12.4 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第21回 1980年6月01日 テルテンリュウ 牡4 2:31.9 西浦勝一 土門健司 伊藤繁子
第22回 1981年6月07日 カツアール 牡5 2:14.1 樋口弘 柳田次男 栗林英雄
第23回 1982年6月06日 モンテプリンス 牡5 2:12.6 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八
第24回 1983年6月05日 ハギノカムイオー 牡4 2:12.1 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
第25回 1984年6月03日 カツラギエース 牡4 2:12.4 西浦勝一 土門一美 野出一三
第26回 1985年6月02日 スズカコバン 牡5 2:15.9 村本善之 小林稔 永井永一
第27回 1986年6月01日 パーシャンボーイ 牡4 2:14.4 柴田政人 高松邦男 伊達秀和
第28回 1987年6月14日 スズパレード 牡6 2:12.3 蛯沢誠治 富田六郎 小紫芳夫
第29回 1988年6月12日 タマモクロス 牡4 2:13.2 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第30回 1989年6月11日 イナリワン 牡5 2:14.0 武豊 鈴木清 保手浜弘規
第31回 1990年6月10日 オサイチジョージ 牡4 2:14.0 丸山勝秀 土門一美 野出長一
第32回 1991年6月09日 メジロライアン 牡4 2:13.6 横山典弘 奥平真治 (有)メジロ牧場
第33回 1992年6月14日 メジロパーマー 牡5 2:18.6 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場
第34回 1993年6月13日 メジロマックイーン 牡6 2:17.7 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株)
第35回 1994年6月12日 ビワハヤヒデ 牡4 2:11.2 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ
第36回 1995年6月04日 ダンツシアトル 牡5 2:10.2 村本善之 山内研二 山元哲二
第37回 1996年7月07日 マヤノトップガン 牡4 2:12.0 田原成貴 坂口正大 田所祐
第38回 1997年7月06日 日本の旗マーベラスサンデー 牡5 2:11.9 武豊 大沢真 笹原貞生
第39回 1998年7月12日 日本の旗サイレンススズカ 牡4 2:11.9 南井克巳 橋田満 永井啓弐
第40回 1999年7月11日 日本の旗グラスワンダー 牡4 2:12.1 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第41回 2000年6月25日 日本の旗テイエムオペラオー 牡4 2:13.8 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第42回 2001年6月24日 日本の旗メイショウドトウ 牡5 2:11.7 安田康彦 安田伊佐夫 松本好雄
第43回 2002年6月23日 日本の旗ダンツフレーム 牡4 2:12.9 藤田伸二 山内研二 山元哲二
第44回 2003年6月29日 日本の旗ヒシミラクル 牡4 2:12.0 角田晃一 佐山優 阿部雅一郎
第45回 2004年6月27日 日本の旗タップダンスシチー 牡7 2:11.1 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)友駿ホースクラブ
第46回 2005年6月26日 日本の旗スイープトウショウ 牝4 2:11.5 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第47回 2006年6月25日 日本の旗ディープインパクト 牡4 2:13.0 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第48回 2007年6月24日 日本の旗アドマイヤムーン 牡4 2:12.4 岩田康誠 松田博資 近藤利一
第49回 2008年6月29日 日本の旗エイシンデピュティ 牡6 2:15.3 内田博幸 野元昭 平井豊光
第50回 2009年6月28日 日本の旗ドリームジャーニー 牡5 2:11.3 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第51回 2010年6月27日 日本の旗ナカヤマフェスタ 牡4 2:13.0 柴田善臣 二ノ宮敬宇 和泉信一
第52回 2011年6月26日 日本の旗アーネストリー 牡6 2:10.1 佐藤哲三 佐々木晶三 前田幸治
第53回 2012年6月24日 日本の旗オルフェーヴル 牡4 2:10.9 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第54回 2013年6月23日 日本の旗ゴールドシップ 牡4 2:13.2 内田博幸 須貝尚介 小林英一

宝塚記念の記録[編集]

  • レースレコード - 2:10.1(第52回優勝馬アーネストリー(コースレコード))
  • 2着との最大着差 - 5馬身(第15回優勝馬ハイセイコー・第24回優勝馬ハギノカムイオー・第35回優勝馬ビワハヤヒデ)
  • 最高齢勝利 - 7歳(第45回優勝馬タップダンスシチー)
  • 最多勝騎手 - 4勝 武豊(第30、34、38、47回)
  • 最多勝調教師 - 4勝 武田文吾(第3、6、8、13回)
  • 阪神競馬場の1日の最高入場者数 - 92,986人(第38回)
  • 勝馬投票券最高売上げ - 348億1,272万400円(第36回)

父子制覇[編集]

父馬名 優勝回 子馬名 優勝回
1組目 グラスワンダー 第40回 アーネストリー 第52回

母子制覇[編集]

母馬名 優勝回 子馬名 優勝回
1組目 エイトクラウン 第7回 ナオキ 第16回

兄弟制覇[編集]

兄馬名 優勝回 弟馬名 優勝回
1組目 ドリームジャーニー 第50回 オルフェーヴル 第53回

補足事項[編集]

ジンクス[編集]

  • これまで2連覇以上はおろか、2回以上優勝した競走馬がいない。
  • 牝馬が優勝出来ないことでも知られ、牝馬の優勝は第7回のエイトクラウンと第46回のスイープトウショウの2頭だけである。
  • 3歳馬は一度も優勝していない。クラシックからの出走がローテーション的に難しいこともあって出走頭数が少ないことも一因ではある。最高成績は、ローエングリンの3着。3歳牝馬の出走はさらに少なく近年では2007年に東京優駿を制し、後に東京競馬場古馬芝GI完全制覇を果たした牝馬のウオッカが出走したが8着に敗れた例がある。なお3歳馬が背負う斤量は牡馬が53kg、牝馬は51kgであり古馬が背負うのは58kg(古馬牝馬は56kg)のため斤量的にはかなり恵まれてはいる。
  • 現在のところ安田記念からの連勝例がない。
  • 宝塚記念では関西テレビの実況で杉本清が実況を行う際は、レース前に杉本が「あなたのそして私の夢が走っています」の名口調をするのがお決まりとなっていた。だが彼があげる推奨馬(私の夢)は毎年凡走するというジンクスもあった。杉本の推奨馬が勝利した年も1995年のレース(ダンツシアトルを推奨)ではライスシャワーが競走中に故障発生し予後不良となり、1998年のレースでは夢に挙げたサイレンススズカが優勝を果たすも同年の秋の天皇賞で故障し安楽死処分となるなどの喜ばしくない結末となっている。

払戻金2億円[編集]

2003年(第44回)に優勝したヒシミラクルの単勝に1222万円もの大金をつぎ込んで、それを的中させたサラリーマン風の中年男性がいた。

この男性はレース前々日発売となった金曜日に安田記念で的中した馬券を現金と引き換え、万単位となる1222万円全額をヒシミラクルの単勝すべてに投資。そのせいあって、前々日前売りオッズではヒシミラクルが1.9倍の圧倒的1番人気という事態を招いた。

このレースでの当日のヒシミラクルの単勝は16.3倍。つまり1222万×16.3でこの男性は1億9918万6000円を的中させたことで払戻金が約2億円になることから「2億円おじさん」、または勝ち馬のヒシミラクルの名前の一部を取って「ミラクルおじさん」との名がついた。ちなみに宝塚記念の優勝賞金は1億3200万円であったので、それをも上回る金額である。

この出来事は翌日のワイドショーなどでも取り上げられるほどの話題となった。さらに的中させた男性を装う人物が現れ、「配当金を全額寄付する」とJRAに連絡があった。ただ、的中させた男性が実際に払戻金を受け取ったかどうかはJRAも公表していないため定かではない。また勝利騎手となった角田晃一も勝利騎手インタビューで「たくさん当てた方もいらっしゃるようですね。おめでとうございます」というコメントを残している。

また2011年(第52回)のWIN5では的中票がわずか3票となり、史上初の払戻金2億円が発生した。

出典・注釈[編集]

出典[編集]

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  1. ^ 主催者であるJRAは、宝塚記念の歴史紹介ページで当競走を「上半期の実力ナンバー1決定戦」と位置づけている。
  2. ^ 古くから「春のグランプリ」の表現は用いられてきたが、近年はスポーツ新聞などでも「サマーグランプリ」の表現が見られる。例として2007年の宝塚記念を取り上げたスポーツニッポン大阪版の記述をあげる。
  3. ^ 宝塚記念(GI)優勝馬に「ブリーダーズカップターフ(G1)」優先出走権等が付与 - JRA公式サイト 2011年2月21日閲覧。ただしブリーダーズカップへの種牡馬登録と産駒登録は必要
  4. ^ オルフェーヴルが宝塚記念回避決定、追い切り後に運動誘発性肺出血を発症”. 2013年6月23日閲覧。
  5. ^ 競馬ニホン 「ボーナスより開催時期」
  6. ^ 【宝塚記念】(阪神)~ブエナビスタら、20頭が登録 - ラジオNIKKEI「競馬実況Web」 2011年6月12日閲覧
  7. ^ JRAサマーシリーズ公式Twitterアカウントによるつぶやき (jra__2012) - Twitter

注釈[編集]

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  1. ^ 名称から、有馬温泉に近い阪神競馬場で行われると誤解されやすいが、「中山競馬場で東京優駿に匹敵する大競走を」と提案した有馬頼寧(日本中央競馬会第2代理事長)の業績を称えたものである。そのため、今後中山の改修による開催不可能で代替が生じない限りは、現段階で阪神競馬場を含めた競馬場への移転予定はない
  2. ^ 遠征を行ったタップダンスシチーディープインパクトメイショウサムソンの他、スペシャルウィークウオッカ等がいる。
  3. ^ 勝ち馬にダンツシアトルグラスワンダータップダンスシチーメイショウドトウ、旧表記4歳(現表記3歳)で4着となったヒシナタリー等がいる。
  4. ^ レガシーワールドホットシークレットアサカディフィート等が出走している。
  5. ^ ダンツシアトルエイシンデピュティ等。
  6. ^ なお上位第10位までで出走の意思がない場合、その分を11位以下の馬が繰り上げで出走できる権利がある。
  7. ^ 同時期にエプソムカップ(GIII)・巴賞等の別定戦があり、実力と斤量面での都合でこれらのレースを選ぶ例が少なくない。
  8. ^ これは裏返せば欧州の大レースに挑む際の試金石としては、時期以外はさほど適切ではないということにもなる。なお、コース形態上での制約を受けるアメリカ合衆国のブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップや香港競馬の香港国際競走などに目を向ければ、大レースでも小回りコースで行われている例がある。
  9. ^ 2008年にはファン投票1位のウオッカがコース適性を理由に回避している。
  10. ^ 海外ではオフシーズンにあたる冬季に中山競馬場の非基幹距離の小回りコースで施行され宝塚記念以上に馬の適性や騎手の騎乗技術が求められるとされる[要出典]有馬記念が、戦後設立で唯一八大競走として格の高い競走として知られる一方で、秋の京都に牝馬三冠の最終競走として設立されたエリザベス女王杯(1996年から秋華賞)と同じく、この宝塚記念も八大競走と同格のGIとは見なされていなかった。1961年と1969年には出走馬がわずか4頭という状態で、1976年に賞金を増額して関東の天皇賞馬の出走を促したあたりから、出走馬のレベルは上がり、1977年にはトウショウボーイ・テンポイント・グリーングラスの対決が見られるほどにはなったが、有馬記念ほどの盛り上がりにはならなかった。これは当時の阪神競馬場の平坦の小回りコースと距離が2400mに足りないことで中距離馬の競走という見方がされ、この時代にはまだ2400~3200mを重要視する考え方が主流であったことも影響したと思われる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]