ヤエノムテキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ヤエノムテキ[1]
欧字表記 Yaeno Muteki[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1985年4月11日[1]
死没 2014年3月28日(29歳没)
登録日 1987年4月17日
抹消日 1991年1月4日
ヤマニンスキー[1]
ツルミスター[1]
母の父 イエローゴッド[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産 宮村牧場[1]
馬主 (有)富士[1]
調教師 荻野光男栗東[1]
厩務員 荻野功
競走成績
タイトル JRA賞最優秀父内国産馬(1990年)[1]
生涯成績 23戦8勝[1]
獲得賞金 5億2,422万7,500[1]
 
勝ち鞍
GI 皐月賞 1988年
GI 天皇賞(秋) 1990年
GII 京都新聞杯 1988年
GII 鳴尾記念 1988年
GII 産経大阪杯 1989年
テンプレートを表示

ヤエノムテキ日本の元競走馬1990年JRA賞最優秀父内国産馬。おもな優勝レースは1988年皐月賞1990年天皇賞(秋)京都新聞杯産経大阪杯鳴尾記念東京競馬場2000メートルの元レコードホルダー。国内レーティングの最高は1989年の112。

経歴[編集]

ヤエノムテキは浦河の宮村牧場という小さな牧場で生まれた。母ツルミスターは3戦未勝利という戦績で、近親にも特に目立った活躍馬はいなかったが、ダービー馬を出したイエローゴッドソロナウェートサミドリや、桜花賞馬を出したトキノチカラなどの種牡馬が血統表に名を連ねていることから、同馬を管理していた荻野光男調教師の勧めもあって繁殖牝馬となることができた。父ヤマニンスキーは競走成績こそ22戦5勝重賞未勝利と目立たなかったものの、父ニジンスキー・母父バックパサーという血統は名馬マルゼンスキーと一緒であり、マルゼンスキーの代替種牡馬としてそれなりの人気を集めていた。

4歳[編集]

ヤエノムテキは気性面や体質面の問題により4歳の2月までデビューが遅れたが、西浦勝一騎手鞍上で新馬戦、続く沈丁花賞(共にダート戦)をそれぞれ7馬身差、12馬身差という大差で勝ちあがった。その後、皐月賞出走のための賞金を稼ぐために連闘で「東上最終便」毎日杯に挑むも、オグリキャップから離された4着に沈んだ。本賞金は得られなかったものの、その後6分の3の抽選をくぐり抜けて皐月賞に出走する事ができた(なお、この年の皐月賞は東京競馬場で行われた)。 単勝25倍の9番人気で挑んだ皐月賞では、1番枠からスタートすると第2コーナーでメイブレーブマイネルフリッセによる斜行で1番人気のモガミナインが不利を受ける中、その影響を受ける事無くサクラチヨノオーをマークしながら好位で進み、直線で鋭く脚を伸ばして2着のディクターランドに4分の3馬身差をつけて優勝した。 その後ダービーに出走するも4着に終わったヤエノムテキは、放牧に出る事無く夏場も走り続け、中日スポーツ賞4歳ステークス2着、UHB杯1着の成績を残し、秋初戦の京都新聞杯も快勝して1番人気で菊花賞に挑んだが、距離が合わなかったのか10着に敗れた。その後当時2500mで行われていた鳴尾記念を勝って1988年を終えた。

5歳[編集]

年明けの日経新春杯2着の後、産経大阪杯を快勝して1番人気で宝塚記念を迎えたが7着に敗れた。秋には調整の失敗もあってぶっつけで天皇賞(秋)に挑むも4着、有馬記念は6着と不完全燃焼に終わった。

6歳[編集]

年明けから春にかけては、日経新春杯2着、マイラーズカップ3着、産経大阪杯3着と勝ちきれない競馬が続いた。安田記念からはそれまで主戦だった西浦騎手から岡部幸雄騎手に鞍上を替えるも2着、宝塚記念は3着と勝ちきれない競馬が続いた。そして迎えた天皇賞(秋)は7番枠からスタートすると中団の内側を追走、直線では内を突いて残り400mで先頭に立つと、最後はメジロアルダンの急襲をアタマ差抑えて優勝、GI2勝目を飾った。その後ジャパンカップ6着を経て引退レースとなる有馬記念に出走したヤエノムテキは本馬場入場直後に放馬してしまう。馬体に異常無しとしてレースには出走したもののいいところ無しの7着に敗れ、現役生活を終えた。

競走成績[編集]

以下の内容は、netkeiba.com[2]およびJBISサーチ[3]の情報に基づく。

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1988.02.27 阪神 4歳新馬 8 4 4 02.8 (2人) 01着 西浦勝一 55 ダ1700m(稍) 1:49.6(51.8) -1.1 (メジロマーシャス)
0000.03.19 中京 沈丁花賞 400 8 3 3 01.3 (1人) 01着 西浦勝一 55 ダ1700m(稍) 1:48.1(39.4) -2.0 (アグネスターフ)
0000.03.27 阪神 毎日杯 GIII 10 7 7 06.1 (4人) 04着 西浦勝一 55 芝2000m(重) 2:05.5(51.5) -0.7 オグリキャップ
0000.04.17 東京 皐月賞 GI 18 1 1 25.2 (9人) 01着 西浦勝一 57 芝2000m(良) 2:01.3(48.1) -0.1 (ディクターランド)
0000.05.29 東京 東京優駿 GI 24 4 11 06.4 (2人) 04着 西浦勝一 57 芝2400m(良) 2:26.9(48.2) -0.6 サクラチヨノオー
0000.07.03 中京 中日スポーツ賞4歳ステークス GIII 11 8 11 01.8 (1人) 01着 西浦勝一 58 芝1800m(良) 1:49.0(34.5) -0.1 サッカーボーイ
0000.09.11 函館 UHB杯 OP 12 1 1 01.4 (1人) 01着 西浦勝一 57 芝1800m(稍) 1:49.4(36.5) -0.3 (パッシングパワー)
0000.10.16 京都 京都新聞杯 GII 16 1 1 01.4 (1人) 01着 西浦勝一 57 芝2200m(良) 2:14.5(48.3) -0.2 (コウエイスパート)
0000.11.06 京都 菊花賞 GI 18 1 1 02.1 (1人) 10着 西浦勝一 57 芝3000m(良) 3:08.8(49.1) -1.5 スーパークリーク
0000.12.04 阪神 鳴尾記念 GII 12 5 5 02.1 (1人) 01着 西浦勝一 58 芝2500m(良) 2:33.1(47.2) -0.0 (ハツシバエース)
1989.01.22 京都 日経新春杯 GII 9 5 5 01.5 (1人) 02着 西浦勝一 58 芝2200m(良) 2:14.5(47.7) -0.1 ランドヒリュウ
0000.04.02 阪神 産経大阪杯 GII 13 7 10 01.8 (1人) 01着 西浦勝一 58 芝2000m(良) 2:01.4(48.4) -0.6 (ランドヒリュウ)
0000.06.11 阪神 宝塚記念 GI 16 5 8 02.5 (1人) 07着 西浦勝一 56 芝2200m(良) 2:15.6(49.9) -1.6 イナリワン
0000.10.29 東京 天皇賞(秋) GI 14 7 11 22.8 (6人) 04着 西浦勝一 58 芝2000m(良) 1:59.5(46.5) -0.4 スーパークリーク
0000.12.24 中山 有馬記念 GI 16 8 14 34.0 (8人) 06着 西浦勝一 57 芝2500m(良) 2:33.0(36.4) -1.3 イナリワン
1990.01.21 京都 日経新春杯 GII 9 3 3 02.9 (1人) 02着 西浦勝一 60 芝2200m(良) 2:15.1(47.7) -0.1 トーワトリプル
0000.02.25 阪神 マイラーズC GII 12 7 10 02.6 (1人) 03着 西浦勝一 60 芝1600m(重) 1:36.8(48.8) -0.2 メジロワース
0000.04.01 阪神 産経大阪杯 GII 9 7 7 04.2 (4人) 03着 西浦勝一 59 芝2000m(稍) 2:03.1(49.5) -0.2 スーパークリーク
0000.05.13 東京 安田記念 GI 16 7 12 10.4 (4人) 02着 岡部幸雄 57 芝1600m(良) 1:32.7(35.0) -0.3 オグリキャップ
0000.06.10 阪神 宝塚記念 GI 10 1 1 11.7 (4人) 03着 岡部幸雄 57 芝2200m(良) 2:14.7(49.6) -0.7 オサイチジョージ
0000.10.28 東京 天皇賞(秋) GI 18 4 7 08.0 (3人) 01着 岡部幸雄 58 芝2000m(良) R1:58.2(35.7) -0.0 メジロアルダン
0000.11.25 東京 ジャパンC GI 15 3 4 13.8 (8人) 06着 岡部幸雄 57 芝2400m(良) 2:23.8(35.4) -0.6 ベタールースンアップ
0000.12.23 中山 有馬記念 GI 16 1 2 12.0 (6人) 07着 岡部幸雄 56 芝2500m(良) 2:34.7(35.6) -0.5 オグリキャップ
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
  • 枠番・馬番の太字は単枠指定を示す。内容はnetkeiba.comのほか、日本中央競馬会『中央競馬全重賞競走成績 GI編』(1996年)に基づく[4]

引退後[編集]

引退後、総額5億円のシンジケートが組まれ、1991年(平成3年)新冠町農協畜産センターにて種牡馬デビューした。しかし、1996年には早くもシンジケートが解散、その後安価のシンジケートが組まれたがそれも解散。先行きを案じた同馬のファン150人がヤエノムテキ会を結成し、北海道日高スタリオンステーションで種牡馬として供用されていた。ただし、2003年を最後に種付けは行われなかった。2010年を最後に種牡馬を引退し、日高スタリオンステーションで功労馬として余生を送る。2014年3月28日、腸閉塞により死亡した[5]

2006年3月時点で、通算コンパラブルインデックス0.94に対してアーニングインデックスは0.76。これまでに競走に送り出した177頭のうち116頭が勝ち馬になっており、457勝をあげている。2005年、ヤエノムテキの子は一年間で350万円ほどの賞金を稼ぎ、種牡馬順位で535位だった。年間アーニングインデックスは0.16。オグリキャップは536位、メジロアルダンは538位である。

主な産駒[編集]

このほか、ユウキツバサオー、ヤエノビューティが中央競馬準オープン馬になっている。

エピソード[編集]

  • 日本中央競馬会(JRA)からヤエノムテキの引退式が提案されたが、同馬の気性の悪さを考慮して調教師らが断っている。
  • 勝ったGIレースは2つとも東京競馬場芝2000メートル(うち一度は代替開催)であること、同コース、同距離のレコードホルダーであることから、引退の翌年作られたヤエノムテキのポスター(ヒーロー列伝)には「東京の二千に咲いたムテキの舞い」と書かれた。
  • 厩務員持ち乗り調教助手)の荻野功によると、同期の牝馬シヨノロマンが近くを通ると、じっとそちらのほうを見たまま動かなくなった。
  • 荻野功は1980年代にアメリカ合衆国のマッカナリー厩舎で研修を行ったことがあり、現地で岡部幸雄と知り合った。そのときに「日本でいい馬を育て、岡部に乗ってもらう」ことが目標となっていたが、1990年にヤエノムテキによってそのことが実現した。

血統表[編集]

ヤエノムテキ血統ニジンスキー系 / Menow 5.5×5=9.38%, Nearco 5×5=6.25% (血統表の出典)

ヤマニンスキー
1975 栗毛
父の父
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
父の母
* アンメンショナブル
Unmentionable
1970 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Petticoat Palestinian
Sabana

ツルミスター
1980 鹿毛
* イエローゴッド
Yellow God
1967 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Sally Deans Fun Fair
Cora Deans
母の母
フジコウ
1964 黒鹿
* ソロナウェー
Solonaway
Solferino
Anyway
ハマミドリ トサミドリ
フジサカエ F-No.1-o


脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ヤエノムテキ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月20日閲覧。
  2. ^ netkeiba ヤエノムテキの競走成績”. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月20日閲覧。
  3. ^ ヤエノムテキ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月20日閲覧。
  4. ^ 『中央競馬全重賞競走成績集 GI編』日本中央競馬会、1996年。 292-293・756-757頁。
  5. ^ 天皇賞馬ヤエノムテキが29歳で死去”. netkeiba.com (2014年3月28日). 2014年3月29日閲覧。

外部リンク[編集]