武豊

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武豊
Yutaka Take IMG 0359 20121224.JPG
2012年12月24日 リボン賞表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市伏見区
出生は滋賀県栗太郡栗東町
(現・栗東市)
生年月日 1969年3月15日(45歳)
身長 170.5cm
体重 51kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 栗東トレーニングセンター
所属厩舎 武田作十郎厩舎(1987年-1991年)
→フリー(1992年-現在)
初免許年 1987年3月1日
免許区分 平地競走
重賞勝利 392勝
中央競馬287勝、
地方競馬86勝、
日本国外19勝
G1級勝利 100勝
中央競馬68勝、
地方競馬25勝、
日本国外7勝
通算勝利 18194戦3600勝
経歴
所属 1987年-1991年 栗東武田作十郎厩舎
1992年- フリー
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武 豊 (たけ ゆたか、1969年(昭和44年)3月15日- [1])は日本中央競馬会 (JRA) の騎手である。栗東所属で、現在はフリー。身長170.5cm、体重51kg。血液型O型。京都府京都市伏見区 (本人公式サイトでは滋賀県) 出身[2]滋賀県栗太郡栗東町 (現・栗東市) 育ち。また漫画原作者としての活動歴もある。

来歴[編集]

小学校は栗東町立金勝小学校卒で、調教師の池江泰寿と同級生だった。 騎手の福永祐一とは実家が隣同士である。

1987年 (昭和62年) の騎手デビュー以降、JRAにおいて数々の記録を更新し、「天才」と呼ばれることも多い。2010年 (平成22年) 4月12日日本騎手クラブの東西役員総会で柴田善臣の後任として会長に選出され[3][4]、同年9月に会長へ就任した[1]

家族など[編集]

武一族の出自は鹿児島県の武家 (薩摩藩士) であり西郷隆盛とも縁戚関係にある、日本でも有数の競馬一族の出自である。

戦績[編集]

2013年 (平成25年) 11月17日の時点で、GIおよびJpnI競走通算 中央68勝、地方交流GI25勝 (うちJpnI11勝) 、日本国外GI競走7勝。

未勝利の国内平地GIおよびJpnIは朝日杯フューチュリティステークス (JRA主催分) 、かしわ記念1988年 (昭和63年) より2010年 (平成22年) までJRA・GI競走を23年連続で制覇していたが、2011年 (平成23年) は未勝利に終わった。 ただし、2011年 (平成23年)には帝王賞JBCクラシック東京大賞典を制しており、GI連続勝利自体は25年連続勝利を継続している。

ダービージョッキーとして[編集]

日本競馬界において頂点の競走として位置付けられている東京優駿(日本ダービー)では5勝を挙げており[5]、歴代騎手の中でも最多勝記録を誇る[6]

武にとって初めてのダービー騎乗は、デビュー2年目の1988年(昭和63年)のコスモアンバー(16着)である[5]。以後、1989年にタニノジュリアス(10着)、1990年にハクタイセイ(5着)、1991年にシンホリスキー(19着)、1993年にナリタタイシン(3着)、1994年にフジノマッケンオー(4着)、1995年にオースミベスト(8着)、1996年にダンスインザダーク(2着)、1997年にランニングゲイル(5着)[5]。デビューから実に9回の挑戦を繰り返すもダービー戴冠は成らなかった[5]。勝利を逃し続けるうちに周囲では「武豊はダービーだけは勝てない」というジンクスが形成されるまでにいたった[7]。武自身は感情に流されずコントロールするのもプロフェッショナルとして必要な素養であると考えていた為[5]、表面上は何気ない風に装ってはいたが[5]、内心では「余計なお世話や」と歯噛みするような思いであったという[5]

そんな状況のなかで武にダービー初戴冠をもたらした馬が1998年(平成10年)のスペシャルウィークである[7]。初戴冠のあかつきには「クールに決めよう」と武は考えていたが[5]、いざ制覇してみるとそんな思いも散り散りに吹き飛び、17万人によって埋め尽くされた東京競馬場の観衆が「ユタカ」コールを繰り返して武の初戴冠に熱狂する中で[5]何度もガッツポーズした。武自身は後でビデオを見た時に恥ずかしくなったという[5]。武はこの瞬間を「それまでの人生で、最大、最高の瞬間」と振り返る[5]

スペシャルウィークによるダービー初戴冠を皮切りに、1999年のアドマイヤベガ、2002年のタニノギムレット、2005年のディープインパクト、2013年のキズナと次々に勝利を重ね、合計5回のダービー制覇を成し遂げた[5]。なお、先に述べたダービー制覇馬たちの中で、ディープインパクトとキズナは親子関係にあり、親子関係にある馬で同じ騎手がダービー制覇を遂げた騎手は武のみである[6]

武はダービー制覇への思いについて以下のように語っている。

積み重ねてきた経験と何度も噛みしめた苦い思い、そして、何よりも、自分の手で掴み取ろうとする強固な意志があってはじめて、辿り着ける最高の場所です。

武豊、勝負師の極意 p.183より引用

成績[編集]

記録年表[編集]

1987年
栗東武田作十郎厩舎所属となり念願の騎手デビューを果たす[8]。初騎乗は3月1日1回阪神2日目の第4競走のアグネスディクターであった[8](2着)。初勝利は、3月7日1回阪神3日第3競走のダイナビショップ。11月14日5回京都3日第6競走にリードトライデントで勝利し59勝目を挙げ、小屋敷昭の持っていた関西新人記録の41勝と加賀武見の持っていた新人記録の58勝を更新する。最終的に69勝で1年目を終えた (この記録は2008年三浦皇成によって21年ぶりに更新された) 。
中京記念でマチカネイシンに騎乗し、重賞初騎乗 (5着) 。京都大賞典トウカイローマンに騎乗し、重賞初勝利。
菊花賞ジャパンカップに新人として初めて騎乗。
1988年
4月16日に史上最年少 (19歳1か月) でJRA通算100勝達成。 (史上最速100勝記録は2009年2月7日に三浦皇成が更新) 。
菊花賞スーパークリークで勝利し初のGI勝利を飾る[1]。史上最年少(19歳8か月)のクラシック制覇達成であった。
田原成貴以来となるデビュー2年目での関西リーディング獲得。
1989年
3月4日に史上最速・最年少 (19歳11か月) でJRA通算200勝達成。
11月25日に史上最速・最年少 (20歳8か月) でJRA通算300勝達成。
この年は133勝を挙げ、自身初の全国リーディングジョッキーとなる。
1990年
8月5日に史上最速・最年少 (21歳5か月) でJRA通算400勝達成。
1991年
7月21日に史上最速・最年少 (22歳4か月) でJRA通算500勝達成。
アメリカサラトガ競馬場のセネカハンデキャップ (G3) でEl Senor (エルセニョール) に騎乗し、初めての海外グレード競走(およびグループ競走)制覇を達成した[1]
天皇賞・秋メジロマックイーンに騎乗し1位入線するも、進路妨害で18着に降着となる。GI競走での1位入線馬に対する降着処分は史上初めて。
1992年
武田作十郎調教師の定年による厩舎解散に伴い、フリー転向。
天皇賞 (春)メジロマックイーンに騎乗し、史上初の同競走4連覇を達成。
8月29日に史上最速・最年少 (23歳9か月) でJRA通算600勝達成。
9月7日アーリントンパーク競馬場で行われたセクレタリアトステークスで、海外GI初騎乗を果たす (4着)
12月5日6日に行われたワールドスーパージョッキーズシリーズで初優勝を飾る。
1993年
4月17日に史上最速・最年少 (24歳1か月) でJRA通算700勝達成。
桜花賞ベガ) ・皐月賞ナリタタイシン) ・優駿牝馬 (ベガ) と春のクラシックを3連覇。
1994年
1月6日に史上最速・最年少 (24歳10か月) でJRA通算800勝達成。
7月23日キングジョージ初騎乗 (ホワイトマズル、2着)
9月4日フランスロンシャン競馬場ムーラン・ド・ロンシャン賞スキーパラダイスに騎乗し、JRA所属の騎手としては初めての海外G1勝利を達成する[1]
9月11日朝日チャレンジカップ (騎乗馬ツルマルガール) を勝ち、史上最速・最年少 (25歳5か月) でJRA通算900勝達成。
10月2日凱旋門賞初騎乗 (ホワイトマズル、6着)
1995年
5月6日ケンタッキーダービー初騎乗 (スキーキャプテン、14着)
7月23日に史上最速・最年少 (26歳4か月) でJRA通算1000勝を達成[1]。騎乗馬は武邦彦管理馬のエールノコイビト。
1996年
2月10日京都競馬第8競走で勝利し、1999年9月5日に途絶えるまでの騎乗機会連続週勝利の開始。
4月13日に史上最速・最年少 (27歳1か月) でJRA通算1100勝達成。
11月9日に史上最速・最年少 (27歳7か月) でJRA通算1200勝達成。
1997年
6月28日に史上最速・最年少 (28歳3か月) でJRA通算1300勝達成。
北九州記念でダンディコマンドで優勝し、史上最速・最年少 (28歳4か月) でJRA重賞通算100勝達成。
函館3歳ステークスアグネスワールドに騎乗、史上2人目の中央競馬全10場重賞制覇達成。
この年は初めて騎手主要3タイトルを総なめにし、史上2人目の騎手大賞を受賞。
1998年
1月24日に史上最速・最年少 (28歳10か月) でJRA通算1400勝達成。
6月7日東京優駿 (日本ダービー) でスペシャルウィークに騎乗。東京優駿初制覇を果たすとともに保田隆芳以来30年ぶり史上2人目となる八大競走完全制覇達成。
8月9日フランスドーヴィル競馬場モーリス・ド・ギース賞シーキングザパールに騎乗し、日本調教馬初の海外G1制覇に導く。
8月23日に史上最速・最年少 (29歳5か月) でJRA通算1500勝達成。
1999年
3月28日に史上最速・最年少 (30歳1か月) でJRA通算1600勝達成。
6月6日東京優駿 (日本ダービー) でアドマイヤベガに騎乗、史上初となる日本ダービー連覇達成。
8月22日札幌競馬第1競走で勝利し、1996年2月10日から続く騎乗機会169週連続勝利達成。
10月30日に史上最速・最年少 (30歳7か月) でJRA通算1700勝達成。
2000年
4月23日に史上最速・最年少 (31歳1か月) でJRA通算1800勝達成。
7月13日イギリスニューマーケット競馬場ジュライカップアグネスワールドに騎乗し、近代競馬の発祥地イギリスでの初G1制覇。
2001年
1月13日に史上最速・最年少 (32歳7か月) でJRA通算1900勝達成。
3月24日ドバイワールドカップ初騎乗 (トゥザヴィクトリー、2着)
フランスを拠点とし長期海外遠征を敢行。そのため、前年まで9年連続保持し続けていたリーディングジョッキーの座を蛯名正義に譲った。
2002年
2月23日阪神競馬場の第9レースで通算1万回騎乗達成
5月26日、東京優駿 (日本ダービー) でタニノギムレットに騎乗、史上初となる東京優駿 (日本ダービー) 3勝目。
9月21日に史上最速・最年少 (33歳6か月) でのJRA通算2000勝達成。
12月7日、阪神競馬場にて1日8勝を達成した[1]。これはJRAの新記録であり、世界タイ・レコードに迫る記録でもある[1]
2003年
3月21日に史上最速・最年少 (33歳11か月) でJRA通算2100勝を達成。
9月14日に史上最速・最年少 (34歳5か月) でJRA通算2200勝を達成。
12月27日にJRA史上初となる年間200勝を達成した(最終成績は204勝)[1]
年間通じて、JRA・地方における全GIへの騎乗を達成した[1]
騎手としては初めて東京競馬記者クラブ賞関西競馬記者クラブ賞を同時受賞。
2004年
2月15日に史上最速・最年少 (34歳10か月) でJRA通算2300勝を達成。
8月22日に史上最速・最年少 (35歳5か月) でJRA通算2400勝を達成。
11月14日エリザベス女王杯アドマイヤグルーヴに騎乗、自身2度目の同一G1競走4連覇を達成。
12月8日、香港のハッピーバレー競馬場で行われたインターナショナルジョッキーズチャンピオンシップの第1戦を勝ち海外通算100勝を達成。 (クリストフ・スミヨンと同点優勝)
12月12日に中央競馬で年間200勝を達成、最終成績は211勝となり前年自ら樹立した記録を更新した[1]
2005年
1月23日に史上最速・最年少 (35歳10か月) でJRA通算2500勝を達成。
2月26日アーリントンカップにビッグプラネットで優勝し、中央競馬史上初の重賞競走通算200勝を達成。
3月27日中京競馬場で行われた高松宮記念アドマイヤマックスで勝利し、JRAのGI競走が行われた全ての競馬場でGI勝利。
5月29日、東京優駿 (日本ダービー) でディープインパクトで制覇する[1]。東京優駿(日本ダービー)はこれで4勝目となる。また同競走により、年間100勝最速記録を更新。
7月17日に史上最速・最年少 (36歳4か月) でJRA通算2600勝を達成。
9月4日小倉2歳ステークスアルーリングボイスで優勝。史上初の同一年小倉開催平地重賞完全制覇達成
9月24日、1日の騎乗機会6連勝のJRA新記録を達成。
10月23日第66回菊花賞ディープインパクトで制覇し中央競馬クラシック三冠を達成する[1]。これは史上2頭目の無敗三冠達成であった[1]。また同競走によりGI通算50勝達成する。
11月26日ジャパンカップダートカネヒキリに騎乗して優勝、JRAのGI年間6勝の新記録達成 (地方交流統一GIを含めると年間10勝の日本記録を達成) 。
12月18日阪神牝馬ステークスアドマイヤグルーヴに騎乗して優勝し、年間重賞勝利23勝とし、自らの記録を上回る新記録を樹立。
年間勝利数を212とし、前年の自らの最多勝記録を更新。
Sports Graphic Number (文芸春秋社) 年間MVP賞受賞 (競馬関係者として初の快挙)
2006年
1月8日京都競馬福寿草特別 (騎乗馬フサイチジャンク) にて史上最速・最年少 (36歳10か月) でJRA通算2700勝を達成。
7月23日小倉競馬第12競走にて史上最速・最年少 (37歳4か月) でJRA通算2800勝を達成。
ディープインパクトに騎乗して第85回凱旋門賞に出走。1番人気で3位入線するも、のちに馬は失格処分となる。
2007年
4月21日の京都競馬第7競走にて史上最速・最年少 (38歳1か月) でJRA通算2900勝を達成。
7月21日、JRA歴代の最多勝記録を更新する2944勝(これまでの記録は岡部幸雄の2943勝)を達成した[1]。なお、小倉ターフ賞も初受賞した。
8月11日騎手招待競走シャーガーカップ (4Rステイヤーズ) を勝ち、アスコット競馬場で日本人騎手の初勝利を挙げる。
11月3日、京都競馬第1競走で史上初となるJRA通算3000勝を達成 (38歳7か月) 。
11月24日ジャパンカップダートヴァーミリアンに騎乗して勝利し、重賞250勝達成
3年ぶり8度目となる関西競馬記者クラブ賞を受賞。
2008年
5月10日京都競馬における通算1000勝を達成。
6月15日、JRA通算3100勝を達成 (39歳3か月) 。
11月2日天皇賞 (秋) をウオッカで勝利し天皇賞通算11勝目を挙げ、それまでの最多記録保持者であった保田隆芳を抜いた。
11月3日JBCクラシックヴァーミリアンで勝利し、前日の天皇賞 (秋) の勝利とあわせ日本人騎手では初となる2日連続GI・JpnI勝利という快挙を達成。
2009年
4月12日、JRA通算3200勝を達成 (40歳1か月) 。
6月27日、阪神競馬場における通算1000勝を達成。
12月13日、JRA通算3300勝を達成 (40歳9か月) 。
近年の地方トップ騎手の中央移籍等による騎手リーディング競争激化から、長期海外遠征していた2001年を除きおよそ16年間保持し続けてきた最多勝利騎手の座を内田博幸に明け渡す。
2010年
3月27日毎日杯でザタイキに騎乗し落馬。重傷を負い、4か月間の休養。このため、18年ぶりに東京優駿に騎乗できなかった。
11月28日、降着による繰り上げにより、ローズキングダムジャパンカップを制し、デビュー2年目から続く23年連続JRA・GI制覇を達成した。
この年は怪我による長期離脱が響いて、騎手主要3タイトルのいずれも受賞できず、長期海外遠征の2001年を除きおよそ17年連続クリアしてきた中央成績100勝達成も出来ず、デビューした1987年と同じ69勝にとどまった。
2011年
6月4日、JRA通算3400勝を達成 (42歳3か月) 。
11月3日JBCクラシックスマートファルコンで勝利し、同一重賞5年連続優勝 (ヴァーミリアンで3連覇、スマートファルコンで連覇)を達成 。
前年以上に成績が低迷し、デビュー2年目から続いていた連続JRA・GI (JpnI含む) 競走制覇が23年で途切れた[9]。中央成績も2001年長期フランス遠征を行った65勝を下回る自己最低の64勝に終わり、また勝率・連対率ともに過去最低の成績に終わった。
2012年
2月12日、トレイルブレイザーにて京都記念を勝利し[1]、デビューから続いている連続重賞勝利記録を26年に更新する[1]
11月18日、デビュー以来、今まで未勝利のGI競走だったマイルチャンピオンシップサダムパテックで初制覇。なお、この勝利は、2010年ジャパンカップ以来2年ぶり、2009年安田記念以来3年半ぶりとなる最先着でのJRA・GI制覇であった。
この年は前年を更に下回る成績となり、連対率はデビュー以降初の1割台、勝率に関しても初めて1割未満に終わった。また勝数も56勝に留まり、デビュー以来初めて60勝を割った。
2013年
1月13日 カレンケカリーナにて史上初のJRA通算3500勝達成 (43歳10か月)。
2月10日トーセンラーにて京都記念を勝利し、デビューから続いている連続重賞勝利記録を27年に更新。
5月26日、東京優駿 (日本ダービー)でキズナに騎乗し勝利、史上最多の東京優駿 (日本ダービー)5勝目。
11月17日トーセンラーにてマイルチャンピオンシップを勝利し、GI競走100勝(地方交流、海外含む)を達成する。
2014年
1月26日、メイショウインロウにて史上初のJRA通算3600勝達成(44歳10か月)[10]
2月9日トーセンスターダムにてきさらぎ賞を勝利し、デビューから続いている連続重賞勝利記録を28年に更新。

成績表[編集]

西暦 勝利数・勝率 連対率 表彰歴
1987年 69勝 (.125) (.238) JRA賞 (最多勝利新人騎手)
1988年 113勝 (.169) (.306) 史上最年少関西リーディングジョッキー
1989年 133勝 (.183) (.340) JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1990年 116勝 (.160) (.324) JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1991年 96勝 (.150) (.291) 優秀騎手賞
1992年 130勝 (.215) (.345) JRA賞 (最多勝利騎手)
1993年 137勝 (.196) (.392) JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) ・フェアプレー賞
1994年 134勝 (.230) (.388) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手)
1995年 134勝 (.193) (.343) JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1996年 159勝 (.211) (.340) JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1997年 168勝 (.233) (.371) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) ・フェアプレー賞
1998年 169勝 (.226) (.366) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
1999年 178勝 (.220) (.396) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) ・フェアプレー賞
2000年 130勝 (.236) (.362) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2001年 65勝 (.183) (.315)
2002年 133勝 (.291) (.435) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) ・フェアプレー賞
2003年 204勝 (.236) (.384) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2004年 211勝 (.231) (.372) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2005年 212勝 (.248) (.398) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) 、Sports Graphic Number年間MVP賞
2006年 178勝 (.225) (.375) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2007年 156勝 (.219) (.372) JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手・特別賞) 、関西スポーツ賞
2008年 143勝 (.219) (.355) JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手)
2009年 140勝 (.182) (.320) JRA賞 (最多賞金獲得騎手)
2010年 69勝 (.167) (.281)
2011年 64勝 (.101) (.211)
2012年 56勝 (.095)   (.198) フェアプレー賞
2013年 97勝 (.149)   (.245) JRA賞 (特別賞) ・フェアプレー賞

GI・JpnI競走勝利一覧 (年度別)[編集]

(斜字は統一GI・JpnI太字は海外GI、*印はJpnIを指す。)

騎手招待競走[編集]

  • 2004年
  • 2003年、2004年、2007年、2008年、2011年、2012年
    • シャーガーカップイギリス) 世界選抜代表選出 (6度の選出は日本人最多) 。2007年は連対率4割を残し、見事世界選抜を総合優勝に導いた。2008年は2勝を挙げるも、シルバーサドル賞 (Silver Saddle Award) にあと一歩及ばなかった。2011年は、世界選抜代表3位、個人総合10位ながらも、2Rで1勝を挙げ、最高騎乗賞 (Ride of the Day) を受賞。
  • 2008年
  •  2013年
    • トルコジョッキークラブ国際騎手招待レース(トルコ)トルコでの初優勝は叶わず、第3戦目の2着が最高位[11]

エピソード[編集]

競馬に関して[編集]

  • 最も多く勝った重賞は阪神大賞典札幌記念の8勝。春秋を合わせた天皇賞11勝 (春6勝 秋5勝[7]) は単独1位。
    • GIでは天皇賞(春)とJBCクラシックの6勝が最多。天皇賞(春)では1989年から1992年までの4連覇を達成し、「平成の盾男」と呼ばれた[7]。JBCクラシックでは2007年から2011年までの5連覇を達成している[7]
  • JRAのGI競走では朝日杯フューチュリティステークス (旧朝日杯3歳ステークス) のみ勝利がなく[12]、2着3回3着2回(2013年現在)である。この競走を制覇すると、前人未到の「中央競馬の全GI制覇」となる。
  • 3月15日の誕生日には、5度の重賞騎乗機会があり、23歳の1992年の阪神大賞典、28歳の1997年のフラワーカップ、29歳の1998年の中山記念、39歳の2008年のファルコンステークスを制して、重賞を4勝している。
  • 2012年12月13日園田競馬場で行われたゴールデンジョッキーカップにイベントゲストとして来場し、競馬場の達人のロケを兼ね、馬券を購入することになったが、メインレースのチャンピオンジョッキー賞(10R)で検討に時間をかけ過ぎた為、締め切りに間に合わなかった。来賓席から観戦したレースは3頭3着同着となる珍事が起きた。
  • デビュー戦で騎乗したアグネスディクターは本来前開催で出走させるローテーションであったが[8]、師であった武田作十郎が武のデビュー戦に合わせ出走させたという[8]。コースを回ってくるだけで勝てる程に馬体は仕上がっていたが[8]、4コーナーで少しインへ切り込んだと同時に後方で南井克巳が落馬し審議ランプが点灯した[8]。武はそれに動揺して馬体をアウトへ膨らませてしまい[8]、追い出すタイミングが微妙に遅れ、勝利を逃した[8]。レース後に南井の落馬は武のコース取りとは関係無いと判明したが[8]、武は一生に一度しか存在しない「初騎乗初勝利」を逃した事が心残りであると悔やみ[8]、もしもやり直しが出来るレースがあればこのデビュー戦が間違いなくやり直したいレースの一つであると語っている[8]

武豊展[編集]

騎手デビュー20周年にあたっては、日本各地で記念展が開催された。優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。

その他、ウインズ広島にて2006年9月23日 - 10月1日にパネル展が開かれるなど、競馬場内やウインズ各地にて、さまざまなイベントが行われている。

その他[編集]

  • 佐野量子との結婚式1995年(平成7年)6月5日に京都の教会で伊集院静篠ひろ子夫妻を立会人に行われた[13]結婚披露宴は1995年11月20日に京都府の都ホテルで行われたが「1000勝祝賀会」も兼ねたものだった[14]。この結婚式のために、SING LIKE TALKINGは「Spirit Of Love」を作曲した。
  • 近所のゴルフコースへ父親のゴルフクラブを用いてこっそりとラウンドしたことがあり、公にコースへ出て腕前を披露した際、優に100を切るスコアを叩き出し周囲を驚かせた[15]
  • 競輪村上義弘とは親交が深く[16][17][18]、村上が2012年の「KEIRINグランプリ」を制覇した後に「2人でダービーとってお祝いしましょう」とお互いに約束を交わし[17]、武・村上ともに2013年の「ダービー」を制覇して約束は現実のものとなった[17]。武自身も競輪に詳しく[17]、毎年のように「KEIRINグランプリ」を競輪場の現地で観戦していると武は語る[18]
    • 2013年に起きた競輪選手の移籍騒動(SS11騒動)[19]について「同じ公営競技に関わる者として五輪種目でもある競輪は誇り。レースに人間模様がにじみ、大人が真剣に自転車をこぐ姿が好きだ。今回の騒動はいったい誰が得をしたのか。選手にペナルティーを科すのもおかしい」と一競輪ファンとして苦言を呈した[20]
  • 阪神タイガースファン[15]で、阪神の選手と親交も深い。甲子園で阪神-巨人戦の始球式を務めたり、試合のテレビ中継のゲストとして出演した経験もある。[21]
  • 2005年(平成17年)、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2005」受賞[22]
  • 2005年(平成17年)、雑誌「Number」が選ぶ2005年度のMVPを受賞した[23]
  • 愛知県知多郡にある武豊町 (たけとよちょう)から、「同姓同名」の縁ということで1989年に一日町長を要請されたことがある[24]。1999年にも武豊町から招かれトークショーが企画された[25]

連載[編集]

  • スポーツニッポン (スポニチ) を愛読しており、同紙・競馬ページにコラム「武豊のサタデー・サンデー物語」を執筆している (GI時はGIスペシャル手記) 。そのためかスポニチは彼の騎乗馬の印に甘いと言われる。ディープインパクトに「英雄」と名づけたのもスポニチが最初である。
  • 週刊現代「この馬に聞いた」
  • 週刊ヤングサンデー 漫画ダービージョッキー」 (原作・原案担当/作画: 一色登希彦)
  • ALBA「オンのターフ、オフのターフ」

テレビ出演[編集]

マスメディアへの初出演は1987年の『素敵!KEI-SHU5』であった。このときの新聞テレビ欄の見出しには「18歳の天才騎手登場!」と書かれていた。

  • 武=孝太郎 (2007年、フジテレビ)

ドラマ (いずれも本人役)[編集]

その他の番組[編集]

レギュラー[編集]

CM[編集]

PV[編集]

映画[編集]

DVD[編集]

  • ターフのヒーローシリーズ (1 - 11はVHS版も販売、EPICレーベルで発売されている。)

写真集[編集]

作詞[編集]

  • コロンブスの卵 (とんねるずアルバム「お前百まで わしゃ九十九まで」収録)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q プロフィール”. 武豊オフィシャルサイト. 2013年12月15日閲覧。
  2. ^ JRAの公式サイトおよび出版物では「京都府出身」、本人の公式サイトでは「滋賀県出身」となっている。
  3. ^ 武豊騎手、騎手会長に”. ラジオNIKKEI (2010年4月21日). 2013年12月15日閲覧。
  4. ^ 関西初! 日本騎手クラブ新会長に武豊を選出”. スポニチアネックス (2010年4月22日). 2013年12月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 勝負師の極意pp.177-183
  6. ^ a b 和田美保 (2013年5月27日). “武豊復活V!キズナ凱旋門賞へ/ダービー”. nikkansports.com. 2013年12月15日閲覧。
  7. ^ a b c d e 島田明宏「徹底検証 武豊 GI100勝の軌跡」、『優駿2014年1月 通巻841号』、日本中央競馬会、2014年1月、 46-48頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j k 勝負師の極意pp.93-97
  9. ^ ただし地方競馬のJpnI(交流GI)では勝利している。
  10. ^ 『週刊競馬ブック 2014年2月2日号』、ケイバブック、 168頁。
  11. ^ 「トルコジョッキークラブ国際騎手招待レース」の武豊騎手の騎乗成績”. JRA (2013年7月18日). 2013年12月15日閲覧。
  12. ^ 中山競馬場での開催時は未勝利。
  13. ^ 中央競馬を振り返る - 1995年6月”. 競馬ニホン. 2013年12月15日閲覧。
  14. ^ 中央競馬を振り返る - 1995年11月”. 競馬ニホン. 2013年12月15日閲覧。
  15. ^ a b 片山良三 (2009年8月28日). “武豊「今のままの顔でまた表紙を飾りたい」” (日本語). Number Web. pp. 2. 2013年12月5日閲覧。
  16. ^ 【マイルCS】池江氏 武豊の金字塔に「常識では考えられない数字」”. スポニチアネックス (2013年11月18日). 2013年11月18日閲覧。
  17. ^ a b c d 二宮清純 (2013年10月23日). “競輪・村上義弘、武豊と約束したダービー制覇”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2013年11月18日閲覧。
  18. ^ a b 武豊. “特別対談企画 武豊×村上義弘”. 武豊オフィシャルサイト. 2013年12月2日閲覧。
  19. ^ 村上は長塚智広武田豊樹と共にこの騒動を主謀したとして、日本競輪選手会より翌2014年5月1日から1年間の競走出場自粛を言い渡されている。
  20. ^ ファン無視に武豊も参戦! 競輪界の仁義なき“走路妨害
  21. ^ 武豊騎手、甲子園球場で始球式”. netkeiba.com (2006年7月14日). 2013年12月15日閲覧。
  22. ^ ベストスマイルヒストリー 1993年~2006年受賞者”. ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー運営事務局. 2013年12月15日閲覧。
  23. ^ 身に余る光栄”. 武豊オフィシャルサイト (2005年12月5日). 2013年12月15日閲覧。
  24. ^ “武豊騎手にラブコール 愛知・武豊町が“一日町長”要請”. 中日新聞社 1989年6月28日 朝刊 東海社会面: p. 25. (1989年6月28日) 
  25. ^ 山田一晶 (1999年6月16日). “「武豊」…知名度あやかりたい 町が本人招き、トークショー --来月21日 /愛知”. 毎日新聞社1999年6月16日 愛知地方版 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]