三菱自動車工業

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三菱自動車工業株式会社
Mitsubishi Motors Corporation
Mitsubishi Motors Logo
Mitsubishi Motors Headquaters.jpg
三菱自動車工業本社
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7211
略称 三菱自動車、三菱自工、三菱自、三菱、MMC
本社所在地 日本の旗 日本
108-8410
東京都港区芝五丁目33番8号
(第一田町ビル)
設立 1970年昭和45年)4月22日
業種 自動車産業輸送用機器
事業内容 自動車製造,販売
代表者 代表取締役会長兼社長兼CEO 益子修
代表取締役副社長 山下光彦
代表取締役副社長 白地浩三
代表取締役副社長 池谷光司
資本金 1,657億124万円
(2016年3月31日現在)[1]
発行済株式総数 9億8,366万1,919株
(2016年3月31日現在)[1]
売上高 連結:2兆2,678億49百万円
単体:1兆8,060億47百万円
(2016年3月期)
営業利益 連結:1,383億77百万円
単体:614億61百万円
(2016年3月期)
純利益 連結:725億75百万円
単体:422億72百万円
(2016年3月期)
純資産 連結:6,853億37百万円
単体:4,701億84百万円
(2016年3月末現在)
総資産 連結:1兆4,337億25百万円
単体:9,387億87百万円
(2016年3月末現在)
従業員数 連結:2万9555人
単体:1万3,033人
(2016年3月末現在)
決算期 3月31日[1]
主要株主 日産自動車:34%
三菱重工業:8.34%
三菱商事:6.65%
MHIオートモーティブ・キャピタル合同会社MMC株式運用匿名組合1:2.59%
三菱東京UFJ銀行:2.58%
(2016年10月20日現在)[2]
主要子会社 ミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ・インク北米三菱自動車
ミツビシ・モーターズ(タイランド)・カンパニー・リミテッド
ミツビシ・モーターズ・ヨーロッパ・ビー・ブイ
北海道三菱自動車販売
西日本三菱自動車販売
関係する人物 佐藤勇二(初代社長)
久保富夫(二代目社長・会長・相談役)
東條輝雄(元社長・会長)
舘豊夫(元社長・会長)
河添克彦(元社長)
岩崎寿男(元常務)
岡田彬(元トラック・バス営業本部副本部長)
仲西昭徳(執行役員・デザイン本部長)
関連人物の節も参照
外部リンク MITSUBISHI MOTORS
MITSUBISHI MOTORS JAPAN
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三菱自動車工業株式会社(みつびしじどうしゃこうぎょう、英語: Mitsubishi Motors Corporation、略称: MMC)は、三菱グループに属する日本自動車メーカーである。1970年昭和45年)に三菱重工業から独立した。通称は三菱自動車(みつびしじどうしゃ)、または三菱自工(みつびしじこう)[注 1]

日本国外では MITSUBISHI MOTORS(ミツビシ モータース)という表記を用いていたが、日本国内でも「MMC 三菱自動車」から「MITSUBISHI MOTORS」というロゴを1999年1月より[注 2]使用するようになった。

グローバルブランドスローガンは「Drive@earth」(ドライブ・アット・アース)。

2016年10月、日産自動車の出資を受け、ルノー・日産アライアンスの一員に加わった。

概要[編集]

三菱は戦前より自動車の生産を行っており、日本の自動車メーカーとして最も長い歴史を持つブランドの1つである。

現在の三菱自動車工業は、三菱重工業とクライスラーとの合弁事業としてスタートし、1993年までクライスラーと資本提携していた。その後、2000年からドイツに本拠を置くダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)と資本提携関係となったが、2000年に三菱リコール隠しが発覚。この不祥事を受けて自動車売り上げが激減し、2005年に解消。クライスラーとの技術提携関係は2009年まで継続されていた[3]

2004年には大規模なリコール隠し問題を起こし、後に法人としての三菱自動車に対し有罪が確定した。

また、同年トラックやバスなど大型車事業を分社化した。

モータースポーツ事業に力を注ぎ、1970年代にはフォーミュラにも力を入れていた。世界ラリー選手権 (WRC) やダカール・ラリーに参戦し、前者は「ランサー」後者では「パジェロ」により総合優勝をはじめとした好成績を多く残して、2009年ダカールシリーズまで「レーシングランサー」で活動を続けてきたが、いずれも経営上の判断からワークス活動を終了している。

また、Jリーグ浦和レッドダイヤモンズの親会社でもあった。(日産自動車との資本提携に伴い、浦和レッズへの出資を引き下げることが発表された。新たに三菱重工業が大株主として共同設立する新会社が、浦和レッズの筆頭株主となる。これにより三菱自動車の実質出資比率は19.8%に下がった。)

2008年の販売台数は106万6000台で、内訳は北米11万9000台、欧州27万2000台、日本国内16万8000台、アジア・その他地域50万7000台[4]。なお、ロシアではプジョー・シトロエンとの合弁工場で販売拡大を狙っているカルーガ州に2011年操業開始[5]

三菱金曜会[注 3]及び三菱広報委員会[注 4]の会員企業である[6][7]

2016年10月20日、日産自動車が三菱自動車の株式を34%保有する筆頭株主となった。12月までを目処に、日産自動車のカルロス・ゴーンCEOが同社の会長に就任する予定である。

沿革[編集]

  • 1870年 - 海運会社九十九商会誕生。
  • 1893年2月 - 三菱合資会社を設立。
  • 1917年10月 - 三菱造船として独立。
  • 1934年4月 - 三菱造船は三菱重工業に社名変更。
  • 1948年 - この時期以降、元航空機工場であった名古屋・大江工場で、保有するプレス設備を活かし、国内他自動車メーカーの乗用車ボディ請負生産を開始。1950年代中期まで、日産自動車ダットサントヨタ自動車トヨペット等のボディ生産を請け負い、技術を蓄積した。
  • 1950年
  • 1951年 - 東日本カイザーフレーザー社がヘンリーJ販売開始。
  • 1953年
    • 1月 - ジープのCKD生産を開始。その後段階的に完全国産化。
    • 5月 - 日本国との平和条約により、三菱の商号や商標の使用も許され、東日本重工業、中日本重工業はそれぞれ三菱日本重工、新三菱重工業に社名変更。
  • 1954年 - 三菱日本重工、日本国内での生産中止にともないヘンリーJ生産を終了。
  • 1959年 - 軽3輪トラックの「レオ」を発売。
  • 1960年 - 戦後初の自社開発乗用車、三菱500を発売。
  • 1962年 - 軽自動車ミニカ発売。
  • 1964年6月 - 1950年に分割された3社が再び合併し、三菱重工業となった。
  • 1969年 - コルトギャランを発売。
  • 1970年2月 - 三菱重工業とクライスラーが合弁事業に関する契約締結。
  • 1970年6月1日 - 三菱自動車工業として独立。
  • 1971年 - 北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランが販売された。
  • 1973年2月 - ランサーの販売開始。
    • 韓国の現代自動車(ヒュンダイ)との技術援助契約を締結。
  • 1974年 - 第22回サファリラリー優勝。
  • 1975年 -エンジン・変速機などプラットホームを供給し、韓国自動車産業の基盤技術を提供した表されるほど技術供与したヒュンダイ・ポニー発売[8]
  • 1978年 - 乗用車の第二販売チャネルとしてカープラザ店を設立。従来の販売チャネルはギャラン店へ。他社と違い、ディーラーの社名はどちらも「○○三菱自動車販売株式会社」なので、社名だけで見分けることはできなかった(ただし、一部例外もあった)。
  • 1981年 - 米国三菱自動車販売を設立。
  • 1984年 - 三菱自動車販売を合併。
  • 1985年 - アメリカ合衆国ダイヤモンド・スター・モーターズ (DSM) 設立。
  • 1988年 - 松任谷由実のコンサートツアーに協賛を開始。
  • 1988年 - 東京大阪名古屋の証券取引市場第1部に株式上場。(旧大阪・名古屋の両証券取引所は2016年現在上場廃止)
  • 1989年 - 岡崎研究所内に、三菱オートギャラリーを開館。
  • 1991年 - オランダ政府、スウェーデンボルボとオランダで乗用車合弁生産契約に調印。NedCar(ネッド・カー)発足。
  • 1992年 - 初代ランサーエボリューションを発売。
  • 1993年 - パジェロがパリ・ダカールラリー総合優勝。
  • 1994年5月 - ベトナムにプロトンなどとの合弁会社ビナスター・モーターズ(Vinastar Motors)を設立。
  • 1996年 - GDIエンジンがRJCテクノロジー・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 米国三菱自動車製造 (MMMA) においてセクハラがあったとして、民事訴訟が提訴された。
  • 1997年 - GDIエンジンが、日本自動車技術会賞/技術開発賞を受賞。
    • 総会屋への利益供与事件を摘発
  • 1998年 - ランサーエボリューションがWRC完全制覇。
  • 1999年 - ボルボと大型車分野における資本・業務提携を結んだ。
    • トミ・マキネンが前人未到WRC4年連続ドライバーズチャンピオンを達成[9]、記念として2000年1月、ランサーエボリューションVIトミマキネンエディションを発売。
  • 2000年 - 道路運送車両法違反(リコール隠し)が発覚、河添社長が辞任。本社等の強制捜査を受ける。詳しくは三菱リコール隠しを参照。
    • 10月18日 - ダイムラー・クライスラーと乗用車分野における資本・業務提携を結んだ。これを機に、大型車分野における提携パートナーをボルボからダイムラー・クライスラーに変更した。
  • 2001年1月1日 - ロルフ・エクロート[10]が取締役執行副社長兼乗用車部門の最高執行責任者(COO)に就任[11]
  • 2002年6月 - ロルフ・エクロートが最高経営責任者(CEO)に就任[12]
  • 6月 - サプライヤーなど加盟344社からなる取引先協力組織の「柏会」を解散[13]
    • 8月 - ミラージュディンゴとRVRが生産終了し、カープラザ店専売車種が事実上消滅。
  • 2003年 - ギャラン店とカープラザ店が統合。
  • 2004年
    • 3月9日 - プロトンの保有株式(7.93%)を全株売却し、資本提携を解消した。
    • 4月 - ダイムラー・クライスラーが経営追加支援の中止を発表。三菱グループ主導で再建へ。再建計画では、京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖、コンプライアンスの徹底などを訴えた。しかし、京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖は一時は公表されるも後に白紙になる。
    • 6月 - 2002年に発生したふそうトラックのタイヤ脱落事故捜査に端を発し、さらなるリコール隠しと「ヤミ改修」が発覚。河添元社長など多くの関係者が逮捕され、大打撃を受けた。
  • 2005年
    • 1月 - 赤字が拡大したことなどから、2004年に就任した一部の取締役陣が退任し、新取締役陣が就任。
    • 1月17日 - 日産自動車との包括的な事業提携。日産にeKワゴン・スポーツ(日産名:オッティ)を新たに年間3万6000台の予定で供給することを発表。同時に2社で軽自動車製造の新会社創設説も浮上したが、撤回となった[注 5]
    • 1月28日 - 新経営計画「三菱自動車再生計画」を発表。三菱グループの三菱重工業、三菱商事東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)に増資などの追加支援を要請。これによって三菱重工の出資比率が15%を超えるために持分法適用による連結対象会社となり、同社の傘下で再建を目指すこととなった。
    • 2月4日 - フランスPSA・プジョーシトロエン (PSA) に、日本で同年10月に発売されたアウトランダーを年間3万台規模でOEM供給すると発表。
    • 11月11日 - ダイムラー・クライスラーが全株式を売却。資本関係の解消。
    • 12月 - 市場低迷を理由に、中型・大型セダン市場から撤退。ギャラン、ディアマンテの日本国内生産・販売終了。
    • 12月12日 - 三菱重工業の持分法連結会社となった。
    • 12月14日 - 2006年度からWRCワークスチームの活動を経営再建に徹するため休止することを発表。
  • 2006年
  • 2007年
    • 1月5日 - 本社を品川グランドセントラルタワーから旧本社ビルであった第一田町ビル(東京都港区)へ再移転。
    • 4月26日 - 4年ぶりに2006年度当期利益の黒字転換を発表。
    • 6月 - 軽乗用車でもっとも長い歴史を持っていたミニカ(5ナンバー車)の生産が終了。(4ナンバーのバンは継続)
    • 7月1日 - 直系ディーラーの体系を全面的に見直し、越境合併を含む大幅な統合を行った。
    • 8月23日 - ギャランフォルティス発売。「ギャラン」の名が国内で復活。
  • 2009年
    • 6月5日 - リチウムイオン電池を搭載した量産型電気自動車i-MiEVを発表。
    • 8月10日 - エボリューションおよび商用バンを除く国内向けランサーの生産を終了。事実上、大衆向け小型セダン市場からの撤退となる。
    • 9月4日 - 電気自動車アイ・ミーブをベースにした欧州向けモデルをプジョー・シトロエンにOEM供給する基本契約締結を発表した。2010年10月から生産を開始して2010年末に発売した[15]
    • 9月10日 - クライスラーは、2005年からミシガン州ダンディで合同生産していた三菱と現代自動車との低燃費車向けエンジンの合弁生産事業を解消したと発表した。三菱・現代両社は8月末までに、合弁工場の出資分をクライスラーに売却していた[16]
    • 12月14日 - 大阪証券取引所での上場を廃止した。
  • 2010年
    • 6月5日 - 「三菱愛着力プロジェクト」を開始。具体的には日本メーカーとして初[注 6]となる「最長10年10万km特別保証延長」の設定(5年目以降の車検入庫時に保証延長点検(24か月定期点検相当)を受けることが条件、対象車種はi-MiEVRVRコルトコルトプラスデリカD:5で、今後も改良等のタイミングで対象車種は増える予定[注 7]。i-MiEVとRVRは発売開始日にさかのぼって適用する)、ライフステージやライフスタイルの変化に合わせてボディコーティングやルームクリーニングなどの各種サービスや福祉車両「ハーティラン」を提供する「リフォームサービス」、キーレスエントリーキーの電池交換や洗車・ガラス撥水といったクイックカーメニューを中心とした「愛着クーポン」を配布するサービスを実施する。
  • 2011年
    • 3月 - 2代目スズキ・ソリオのOEMにあたる小型トールワゴンのデリカD:2販売開始。
    • 5月 - 軽ボンネットバンでもっとも長い歴史を持っていたミニカバンの生産が終了(翌月末をもって販売終了)。これによりミニカの商標は名実共に8代49年の歴史に幕を下ろす結果となった。
    • 6月 - 三菱自動車・日産自動車の軽自動車事業に関わる合弁会社、株式会社NMKV設立。(資本構成は双方50%ずつ)
  • 2012年
    • 日本経済新聞に「欧州財政危機で自動車需要が急減したうえ、韓国の現代自動車の攻勢で三菱が採算性を確保できなかった」と判断されるほど1973年から技術供与していた現代車に欧州で負けてヨーロッパの生産工場閉鎖に追い込まれることになった[17]
    • 8月 - 6代目ミラージュ発売。同車名は約10年ぶりの復活となった。
    • 12月19日 - 軽自動車のエンジン不具合に関し、対応が不十分であったとして、国土交通省から口頭で厳重注意された。詳細は三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。
  • 2013年
    • 8月29日 - スズキと軽商用車のOEM供給につき基本合意。これはミニキャブ バン・ミニキャブ トラックのガソリンエンジンモデルの生産終了に伴うもの。ミニキャブMiEVバン及びミニキャブMiEVトラックについては継続[18]
    • 11月5日 - ルノー=日産アライアンスと生産・技術・生産を共用するプロジェクトに合意。NMKVとルノーの協業で電気自動車仕様も含めたグローバルエントリーカーの開発・生産をすすめていく方針。また、ルノーの傘下である韓国ルノーサムスン自動車においてはアメリカカナダ市場向けの三菱ブランドのDセグメントセダンの生産を行う予定、と発表された[19][20]
  • 2015年
    • 4月10日 - ランサーエボリューションXの生産終了を記念した限定モデル「ランサーエボリューション ファイナルエディション」(納入は8月以降)をもって自社開発による日本国内、およびごく一部の新興国を除く日本国外におけるセダン市場からの完全撤退が決定した。これにより、軽自動車(日本国内のみ)、およびSUVを中心としたラインナップ構成になる。また、ランサーエボリューションXの販売終了をもって、日本国内において三菱ブランドで販売されるMTの乗用車が皆無となった。
  • 2016年
    • 1月 - アメリカ合衆国イリノイ州ノーマルにある工場が年内後半にも閉鎖する見込み[21]
    • 2月3日 - 相川社長が記者会見を行い、ランサーなどのノッチバックセダンの自主開発・自主生産を取り止めすることとパジェロは当分の間現行型を継続生産することを明らかにした[22]
    • 4月20日 - 軽自動車の共同開発先の日産自動車の指摘により燃費試験の不正問題が発覚。対象4車種(eKワゴン/eKスペース/日産・デイズ/日産・デイズルークス)の販売停止が決まった。
    • 4月21日 - 燃費試験の不正問題を受けて品質マネジメントシステム規格(ISO9001:2008)の認証一時停止処分となる。
    • 5月12日 - 発行済み株式の34%を日産自動車が取得し事実上傘下におさめる予定が発表された[23]
    • 10月1日 - 名古屋製作所を岡崎製作所に改称。
    • 10月20日 - 日産自動車が三菱自動車の株式を34%保有する単独筆頭株主となり、ルノー・日産アライアンスの一員に加わった。

主な開発・生産拠点[編集]

日本国内[編集]

  • 乗用車技術センター(愛知県岡崎市)- 乗用車の研究・開発拠点、岡崎テストコース。
    • 十勝研究所(北海道河東郡音更町)- 新型車のテスト走行など
    • 東京デザインスタジオ(東京都港区)- 本社に併設されている。かつては、関東三菱自動車販売多摩ニュータウン店(東京都多摩市)の隣に拠点を置いていたが、2016年現在は移動に伴いデザインスタジオは閉鎖され、フォルクスワーゲンの店舗が建設されている。
  • 水島製作所(岡山県倉敷市) - 戦前の三菱重工業水島航空機製作所。一式陸攻紫電改を生産していた。このため、水島空襲では主要な攻撃目標とされた。
製造車種 - ランサー(輸出向け)、eKワゴン/eKカスタム/日産・デイズeKスペース/日産・デイズルークスi-MiEVミニキャブMiEV

日本国外[編集]

過去[編集]

車種一覧[編集]

不祥事・事件・問題・事故[編集]

セクハラ・パワハラ集団訴訟[編集]

1996年、米国において289人へのセクハラとパワハラがあり、米政府機関雇用平等委員会(EECO)が集団訴訟に踏み切る。これに対し自社から3時間離れたEECO支部まで、地元市長など約3000人をバスで送迎し抗議デモを行わせた。これにより全米女性機構や公民権運動の指導者なども強く反発、ボイコットや不買運動に発展し、三菱自動車工業が和解金を支払うまで続いた。

総会屋[編集]

1997年、総会屋への利益供与事件により、総会屋の2名と三菱自の3名が逮捕される。 同時に系列7社も総会屋に送金していた事が判明する。

三菱リコール隠し[編集]

2000年と2004年に発覚したリコール隠し、不適切な改修による火災事故は、三菱リコール隠しを参照。

軽自動車エンジンのリコール問題[編集]

詳しくは2005年のオイル漏れの不具合に関する三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。

燃費試験の不正事件[編集]

2016年平成28年)4月20日17時、日産自動車との合弁会社であるNMKVで開発した軽自動車の燃費試験について、燃費を実際よりも良く見せるため、国土交通省に虚偽のデータを提出していたことを明らかにした[26]。該当の車両は、三菱ブランドでは「eKワゴン」「eKスペース」、日産ブランドでは「デイズ」「デイズルークス」であった。協業先に当たる日産自動車が、前記該当車の燃費を実際に測定したところ、届出値との乖離がみられ、不正が発覚した。実際よりも5〜15%程度良い燃費を算出しており、軽自動車の業界基準であるJC08モードで30km/1L以上という水準に見せかけていた[27]。該当車種は即日販売及び出荷停止となった。 相川哲郎社長は、4月26日石井啓一国土交通大臣への報告後の記者会見で改めて謝罪し、三菱自動車工業について「会社の存続に関わる程の大きな事案」と述べた[28]低排出ガス車認定制度(エコカー減税)について、総務大臣高市早苗は「燃費が変わった場合は、その差額(自動車重量税自動車取得税)を納めて頂く」と述べている。

さらに、軽自動車に限らず1991年(平成3年)以降に発売した多くの車種において、違法な方法で燃費試験をしていたことも明らかになった[29]。さらに後日、1991年平成3年)から25年間に渡り、10・15モード燃費で計測した燃費データの偽装をしていたことが発覚した。詳しい車種及び台数は現時点で調査中とするものの、今後さらに増える可能性がある[30]

不正の概要[編集]

軽自動車においては、以下の違法行為が明らかになっている。

  • 道路運送車両法で認められていない「高速惰行法」と呼ばれる、違法な測定方法による走行抵抗の測定
  • 試験結果の中から「恣意的に低い値だけ」を抽出し、燃費値に有利な走行抵抗値を捏造
  • 社内会議により決めた目標に沿うように燃費測定に用いるデータの改ざん

1991年以降に三菱が製造したのすべての車両において、以下の何れか又は複数の違法行為が行われていた。なお当該車両については、開発段階において正規の走行試験を行っていなかったものの、事件発覚後に行った惰行法による燃費測定の結果、差異が3%以内に留まったことから、三菱自工は販売停止等の処置は行わないとしていた。しかしその3%の差を重くみた国交省が独自に測定を行った結果、9車種中8車種において最大9%の差が生じており、再測定においても不正が行われたことが発覚した。これを受け三菱自工は販売停止等の処置をとることとなった。

  • 軽自動車同様「高速惰行法」と呼ばれる、違法な測定方法による走行抵抗の測定
  • 試験結果の中から「恣意的に低い値だけ」を抽出し、燃費値に有利な走行抵抗値を捏造
  • 成績表に記載すべき日付や天候の捏造
  • 走行試験により求めなければならないデータの机上計算による算出
  • 異なる車両の測定結果を恣意的に組み合わせたデータの算出

軽自動車の不正では、三菱自動車は燃費目標達成業務を、子会社の三菱自動車エンジニアリング(MAE)に丸投げしていたほか、子会社が実施した試験方法が「高速惰行法」であったこと、さらに、試験結果が意図的に低い値を抽出した捏造であることを知りながら、その内容を承認していた。この件について、益子会長は力のない子会社に、レベルの高い車の開発を丸投げしたことが、事件の背景にあると述べている[31]

グループ会社[編集]

主要連結対象会社[編集]

主要持分適用会社[編集]

関連施設[編集]

これらの医療機関は企業立病院であるが、三菱自動車工業関係者以外も利用可能。

CI[編集]

いすゞ(左、1974 - 1991)
三菱(右、1976 - 1982)
のエンブレム比較図

エンブレムは当初からスリーダイヤを用いているが、1976年 - 1982年頃までは、三菱のイニシャルであるアルファベット“M”を模したエンブレムをつけていた。しかし形状からいすゞ(の当時のエンブレム)と間違えられがちだったため、1980年代前半 - 1990年代中頃には英文社名からの略「MMC」をシンボルマークとしていた[注 8]。その後1987年10月以降からはスリーダイヤが順次復活し、MMCロゴと併用されるようになったが、1993年10月以降から日本国内でも順次、スリーダイヤとMITSUBISHIのロゴを使うようになった。

インターネットでのドメイン名「mmc.co.jp」が同じ三菱グループ三菱マテリアルに先に使われたこともあって2016年現在、MMCはMMCレンタカー等一部でしか使われていない(前述のように三菱マテリアルとの混同を避けるため、「三菱自動車の」という前書きが添えられている。三菱ふそうバス製造ではMMCロゴが2003年頃まで窓ガラスに使われていた)。

キャッチフレーズ[編集]

  • 選ぶのはあなたです(1973年頃)
  • 技術と信頼の三菱(1974年頃)
    • 安全は人と車でつくるもの(1975年 - 1978年3月)
    • 安全に走れ。それが一番早いのだ。(1978年4月 - 1980年3月)
  • 燃費の差は技術の差1980年4月 - 1981年3月)
  • 燃費は技術(1981年4月 - 1982年4月)
  • 未来をひらく技術と信頼1982年5月 - 1984年)
    この頃から「MMC三菱自動車」になる。
  • BE BEST for good days いつもベスト(1985年 - 1987年9月・ギャラン店用)
  • sparkling now(1985年 - 1987年9月・カープラザ店用)
  • いい街 いい人 いい車1986年6月 - 1987年9月)
  • 新技術を、ときめきに。 NEW Motoring Wave1987年10月 - 1991年3月)
  • あなたと創る Creating Together(1993年 - 1995年)
    この頃から「三菱自動車」になる。またふそうの車種では1997年まで起用された。
    • もっとクルマをおもしろく。元気、三菱。
  • その差が、三菱。(1996年 - 1997年)
  • いいもの ながく(1998年 - 1999年)
  • Heart-Beat-Motors(2000年 - 2005年9月27日)
    この頃から「MITSUBISHI MOTORS」になる(提供表示は現在も継続、読み上げは2009年6月末まで続いた)。
  • 答えは、クルマで出します。(2005年前期、CM以外では使われていない)
  • クルマづくりの原点へ。(2005年9月28日 - 2008年3月)
  • ミツビシミテカラ(2006年9月 - 2008年5月)
  • Drive@earth(2008年6月 - )
    2009年7月からは読み上げも「三菱自動車」に再度変更。ただし、上記の通り提供表示はそのまま。

提供番組[編集]

テレビ[編集]

日本テレビ
テレビ朝日

提供なし

TBS
フジテレビ
その他

テレビ(終了・撤退)[編集]

ラジオ(現在)[編集]

ラジオ(終了・撤退)[編集]

注記[編集]

  1. ^ 自動車検査証では「三菱」と表記されるが、一般的な通称は「三菱自動車」であるほか、「三菱自工」と称されることもある(例・水島臨海鉄道三菱自工前駅)。
  2. ^ ミラージュディンゴの登場と同時に使用開始。
  3. ^ 三菱金曜会
  4. ^ 三菱広報委員会
  5. ^ 日産スズキからも軽自動車を供給されている。
  6. ^ あくまで「日本国内向けの日本車」としてはじめてということであり、いずれかの条件を満たさなければ前例は存在する。日本に於ける輸入車には前例(ヒュンダイによるものなど)が存在する。また、アメリカでは三菱自身も10年10万マイルの長期保証を行っていた。
  7. ^ 2010年8月5日から、三菱が現在発売する全ての軽乗用車(eKワゴン・eKスポーツ・トッポ・i・パジェロミニ・タウンボックス)及びミニキャブに、同年8月18日よりギャランフォルティス・ギャランフォルティス スポーツバックに、同年9月2日よりパジェロ・アウトランダーに、同年10月7日よりミニカバンに、同年10月8日よりランサーエボリューションXにも適応。デリカD:2など他社からOEM供給される車種は対象外となる。
  8. ^ ただし、輸出車ではスリーダイヤとMITSUBISHIのロゴを使い、ふそうの中大型商業車のステアリングホイールにはスリーダイヤが刻印されていた。
  9. ^ 最終提供日は編成の関係上後継番組である「白熱ライブ ビビット」に提供。ただしPT扱い。
  10. ^ 春・秋の期首特番編成「オールスター感謝祭」を含む

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 株式の状況”. 三菱自動車工業株式会社 (2016年3月31日). 2016年7月27日閲覧。
  2. ^ 資本業務提携に関する基本合意書の締結及び第三者割当による新株式発行に係る発行登録並びに主要株主、筆頭株主及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ”. 三菱自動車工業株式会社 (2016年5月12日). 2016年10月22日閲覧。
  3. ^ 山口暢彦 (2009年9月12日). “クライスラーとエンジン合弁解消 三菱自、PSA軸に海外戦略”. http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200909120014a.nwc 
  4. ^ 赤坂 麻実 (2009年4月27日). “【決算】三菱自動車は営業益を確保,2009年度は国内販売16%増を見込む”. http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090427/169413/ 
  5. ^ 三菱とプジョーシトロエン、ロシアで合併契約, (2008年5月19日), http://www.carview.co.jp/news/0/72384/ 
  6. ^ 三菱金曜会会員会社紹介
  7. ^ 三菱広報委員会 - 会員会社紹介
  8. ^ [1]「韓国に技術提供した三菱、現代車に劣勢で欧州生産工場閉鎖の“衝撃”2012年02月07日1」.
  9. ^ 96年~99年。このうち1998年シーズンでは三菱初のマニュファクチャラーズタイトルとグループNプロダクションカー部門年間優勝と併せた3冠を達成。後にこの記録はセバスチャン・ローブシトロエン)によって更新(9連覇)された。
  10. ^ ロルフ・エクロート略歴(PDF) - 三菱自動車工業プレスリリース(/2016年4月28日閲覧)
  11. ^ 三菱自動車の経営リ ーダーシッ プの移譲と成果
  12. ^ ロルフ・エクロートが社長・CEOに正式就任 - 三菱自動車工業プレスリリース(2002年06月25日/2016年4月28日閲覧)。
  13. ^ 三菱自動車、ミツビシモータース・グローバルサプライヤープレナムを開催~ 新しいコミュニケーションを構築する初めての試みとして ~ - 三菱自動車工業プレスリリース(2003年07月11日/2016年4月28日閲覧)
  14. ^ 2006年度グッドデザイン賞ベスト15 - 日本産業デザイン振興会
  15. ^ “三菱自、プジョーに電気自動車供給 15年、両社で5.5万台”. 日本経済新聞. (2009年9月5日). http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090906AT1D0407804092009.html 
  16. ^ “クライスラー、三菱自とのエンジン合弁生産を打ち切り”. ロイター (デトロイト). (2009年9月11日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-11451920090911 
  17. ^ [2]「韓国に技術提供した三菱、現代車に劣勢で欧州生産工場閉鎖の“衝撃”2012年02月07日1」.
  18. ^ 三菱自動車、スズキからのガソリン軽商用車のOEM供給受けについて - 三菱自動車工業プレスリリース 2013年8月29日
  19. ^ ルノー・日産アライアンスと三菱自動車 広範囲に及ぶグローバルな商品・技術における協力関係を検討三菱自動車工業 プレスリリース 2013年11月5日(2013年11月7日 閲覧)
  20. ^ ルノー・日産アライアンスと三菱自動車 広範囲に及ぶグローバルな商品・技術における協力関係を検討日産自動車 ニュースリリース 2013年11月5日(2013年11月7日 閲覧)
  21. ^ 三菱自動車、アメリカにある唯一の工場閉鎖へ 売却先見つからず - HUFF POST(2016年2月8日閲覧)
  22. ^ 三菱 ランサー 次期車開発取りやめ…相川哲郎社長 - レスポンス(2016年2月7日閲覧)
  23. ^ 日産自動車と三菱自動車、戦略的アライアンスを締結 日産、2,370億円で三菱自動車株34%を取得へ 三菱自動車プレスリリース 2016年5月13日
  24. ^ [3]
  25. ^ “自動車欧州離れ拡大”. 毎日新聞: p. 9面. (2012年2月7日) 
  26. ^ “当社製車両の燃費試験における不正行為について” (プレスリリース), 三菱自動車, (2016年4月20日), http://www.mitsubishi-motors.com/publish/pressrelease_jp/corporate/2016/news/detailg420.html 2016年8月29日閲覧。 
  27. ^ 渡辺陽一郎 (2016年4月22日). “三菱自の不正を見抜けなかった国土交通省の責任は -曖昧な「燃費審査」- (1/2)”. オートックワン. http://autoc-one.jp/mitsubishi/special-2675906/ 2016年8月29日閲覧。 
  28. ^ 具志堅浩二 (2016年4月26日). “燃費の不正測定は91年から 三菱自動車社長「会社の存続にかかわる事案」”. THE PAGE. https://thepage.jp/detail/20160426-00000015-wordleaf 2016年5月23日閲覧。 
  29. ^ “違法測定、ほぼ全車種 三菱自の燃費データ”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2016年5月11日). http://www.asahi.com/articles/ASJ5B5D79J5BUTIL02M.html?iref=comtop_6_04 2016年8月29日閲覧。 
  30. ^ “三菱自、販売終了車種でも不正 「ギャランフォルティス」など10車種以上”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年6月15日). http://www.sankei.com/economy/news/160615/ecn1606150010-n1.html 2016年8月29日閲覧。 
  31. ^ 毎日新聞経済プレミア編集部 (2016年5月20日). “「力のない子会社」に燃費向上を丸投げした三菱の罪”. 毎日新聞 (毎日新聞社). http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160519/biz/00m/010/017000c 2016年8月30日閲覧。 

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