石井和義

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石井 和義(いしい かずよし、石井 教義(読み同じ)に改名、1953年6月10日 - )は、日本空手家、格闘技プロモーターK-1の企画・運営会社「ケイ・ワン」の元社長、K-1のテレビ解説者。

フルコンタクト空手正道会館館長(2018年現在、宗師)から、立ち技格闘技イベントK-1のプロデューサーとして格闘技ブームを巻き起こした。

略歴[編集]

  • 1953年6月10日[1] - 愛媛県三間町で3人兄弟の次男として生まれる[1]。父は画家・横山大観の弟子[1]。横山と一緒に中国本土へ渡り淡彩画を学んでいたが、終戦後その夢が閉ざされ、自転車屋を営むが家は貧しく、石井は新聞配達や喫茶店でアルバイトをしながら家計を助けていた[2]。中学時代に受けた知能テストではIQが140あり、野球部に所属[3]。放送されていたテレビドラマ『キイハンター』に主演していた千葉真一の大ファンとなり、その憧れから愛媛県立宇和島東高等学校に進学後、器械体操を始める[3]
  • 1969年1月13日[3] - 極真会館四国支部芦原道場宇和島支部に入門し[3]芦原英幸の弟子となる。きっかけは近所の従兄弟が空手をやっていたことから関心を抱き、偶然に芦原道場をみかけたことから[3]。同年の入門に二宮城光円心会館)、高見成昭空手道 高見空手)らがいる。野球で鍛えた足腰と器械体操で培われた柔軟性で、僅か2年で黒帯(初段)を允許[4]。大学受験に失敗したので大阪府に住む兄を頼って浪人し、アートスクールに通いながら東京芸術大学を目指すが、スクール生は画の上手い者ばかりだったため、進学を諦めて大阪の貿易会社に就職した[4]
  • 1975年 - 22歳の時に芦原の命で、大阪スタヂアム内の文化教室で極真会館芦原道場大阪支部を設立[4]
  • 1976年 - 昼はサラリーマン、夜は空手の先生と二足の草鞋を履く生活だったが、門下生の増加により芦原から空手指導に専念を頼まれて会社を辞める[5]。芦原の片腕として関西地区総責任者になり、道場拡大に手腕を奮い、神戸市京都市奈良市堺市岡山市に支部を拡大し、門下生10万人を指導する。この年、中山猛夫(極真会館主催第9回オープントーナメント全日本空手道選手準優勝、正道会館主催第1,2回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会優勝)や松本英樹英武館)らが入門[5]
  • 1980年6月 - 独立し、大阪・岸里西成産業会館内に新日本空手道連盟正道館、新日本学生空手道連盟を発足して館長となる。翌年に正道会館と改称し、大会を毎年開催。以後佐竹雅昭角田信朗柳沢聡行らが他流派の空手トーナメントに参戦し、正道会館は「常勝軍団」の異名を取る。
  • 1990年6月 - 全日本キックボクシング連盟の大会に参加したのを皮切りに興行の世界へ進出する事になる(それ以前からプリンスジムという名称でキックボクシングの試合に選手を細々ながら出場させていた。)
  • 1991年 - 前田日明総合格闘技興行「リングス」と提携し、興行のノウハウを吸収した。
  • 1992年3月 - 様々なルールを取り入れた「格闘技オリンピック」を開催し、今ではK-1の前身として評価されている。
  • 1993年4月30日 - フジテレビのイベント「LIVE UFO」の一環で「K-1 GRAND PRIX '93」を開催。
  • 1996年 - 深夜放送からゴールデンタイムに昇格。以降は視聴率を取れる人気ソフトとして、フジテレビのみならず日本テレビTBSと民放各局で放送が開始された。
  • 1997年4月12日 - 映画『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』に角田信朗、アンディ・フグと共に本人役で出演。
  • 2001年 - 秋からニッポン放送ラジオ番組「allnight nippon-r」木曜日のパーソナリティを務めた。12月、「INOKI BOM-BA-YE 2001」にK-1軍を率いる総帥的立場として参加。のちDynamite!へと発展していく流れを生む。
  • 2002年8月 - 日本格闘技史上最大規模の格闘技イベント「Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立」をTBS主催の元、PRIDE主催のDSEアントニオ猪木らと共催。INOKI BOM-BA-YE 2001同様、実質的運営はDSEによって執り行われ、K-1としては協力というスタンスであったが、石井和義個人として総合プロデューサーを務める。11月、プロレスイベント「ファンタジーファイトWRESTLE-1」を開催し、プロレスへ進出。12月27日 - 法人税法違反の容疑で在宅起訴。
  • 2003年2月3日 - 証拠隠滅教唆容疑で逮捕。5月22日保釈金4,000万円を支払い保釈される。ケイ・ワン脱税事件により表舞台から姿を消したが、正道会館専門誌『正道』では宗師として登場している。
  • 2004年1月14日 - 脱税と証拠隠滅教唆について東京地方裁判所は懲役1年10か月の実刑判決を下す。同年12月6日の控訴審でも地裁の判断を支持し石井の控訴を棄却。
  • 2006年11月21日 - 最高裁の上告棄却により懲役1年10か月の実刑が確定したが、健康状態が悪かったため収監は先送りとなる[6][7]
  • 2007年6月11日 - 収監された[6][7]
  • 2008年8月7日 - 静岡刑務所を出所(模範囚であったため、刑期が短縮された)[8]
  • 2009年6月9日 - 動画共有サイトYouTubeにて『館長チャンネル』を立ち上げ。「大会の舞台裏の映像とか、ファンの皆さんが見たい・話したいという人達の対談とか、僕にしか出来ないような企画を流していく」と明言した[9]6月10日、自叙伝『空手超バカ一代』を出版。同12日の出版記念パーティでは、「これからは現状のK-1に関して、リングに上がって挨拶をしたり、解説席に座る事やプロデューサーに携わることは基本的にありません。K-1のアマチュア組織を世界的に広げるために、FIFAIOCのような組織作りとして国際K-1連盟(FIKA=フィカ)設立に力を注ぎます」と語った[10]。7月22日、夕刊フジのWebサイトZAKZAKにて、自身が刑務所に収監されていた時に与えられた健康的な食生活と収監中に読書に励んだことで得た知識を活かしたダイエット方法について語る「【石井館長の魁!ダイエット塾】」というコラムの週間連載を開始した。12月5日K-1 WORLD GP 2009 FINALの開会式前のK-1ルール実技説明で業務停止処分中の角田信朗に代わり「特別競技統括プロデューサー」としてリングに上がった[11]。2002年以来7年ぶりの現場復帰となった[12]
  • 2010年 - コラムの内容ではダイエットに関する話題から脱線することが多く、またその脱線した内容が読者に好評であったため、「【石井館長の魁!人生塾】」と改題して様々な物事や格闘技界の裏話などについても書いている。
  • 2011年 - K-1のファイトマネー未払い問題が浮上したことを受け、2012年より新たな格闘技世界大会を立ち上げることが報道された[13]。K-1と総合格闘技イベントHERO'S商標権を所有していたが、不動産デベロッパーのバルビゾンに権利を移管している。11月3日、北京にて「国際K-1連盟(FIKA)」設立を発表した[14]

その他[編集]

作家の小島一志は著書で正道会館の芦原会館からの独立に関して、芦原英幸の極真会館破門に伴い、当初、極真会館への復帰を希望する門下生の為の受け皿として石井により正道館が設立されたが、その後、名前が正道会館に変わった時期に、多方面からの支援を受けることによって組織が変質し巨大化した。そしてそこには芦原英幸と対立していた大山倍達と関西の興行団体の関与があり、ふたつを仲介したのが暴力団 柳川組初代組長、柳川次郎(著書では別名の柳川魏志で記載、本名は「梁元錫」(ヤン・ウォンソク)、三代目山口組若中)であると主張している[15]。また小島は2016年5月10日、自らのフェイスブック上で正道会館のバックは闇社会、特に韓国系、資金ルートは統一協会他の宗教団体であり、もはや正道会館は暴力団またはフロント団体であると主張し、石井から自らがあった被害として1990年前後、「俺には山口組がついてる」「正道とK-1を批判したら大阪湾に埋めたる」、部下の塚本佳子には「お嬢ちゃん、どっか遠くに売り飛ばすよ。フィリピンなら明日の夜に船が出るから乗せてやってもええよ」と恫喝された事、その証拠のテープが残っていることを記載した[16]

著書[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 「難波道場」『第二章 放浪、四国へ』、327頁。
  2. ^ 「難波道場」『第二章 放浪、四国へ』、327 - 328頁。
  3. ^ a b c d e 「難波道場」『第二章 放浪、四国へ』、328頁。
  4. ^ a b c 「難波道場」『第二章 放浪、四国へ』、329頁。
  5. ^ a b 「難波道場」『第二章 放浪、四国へ』、331頁。
  6. ^ a b 石井和義元K-1社長を収監」『日刊スポーツ』2007年6月11日。 [リンク切れ]
  7. ^ a b “石井元K-1社長を収監 脱税事件、体調改善受け”. 共同通信社. 47NEWS. (2007年6月11日). http://www.47news.jp/CN/200706/CN2007061101000586.html 2015年2月22日閲覧。 
  8. ^ 「K-1 石井和義が目をつけたのは室伏広治!?」『読売ウイークリー』2008年9月7日号、読売新聞社
  9. ^ お久し振りです!石井和義です!It is after a long time! I am Kazuyoshi Ishii!」『YouTube 館長チャンネル』2009年6月9日。
  10. ^ K-1 石井和義氏が自伝出版。国際K-1連盟創設に意欲 BoutReview 2009年6月13日
  11. ^ K-1 石井和義氏、特別競技統括プロデューサーとして現場復帰 BoutReview 2009年12月6日
  12. ^ 石井館長が現場復帰!謹慎中・角田氏代役で スポニチ Sponichi Annex ニュース 2009年12月6日
  13. ^ スクープ! 石井館長「新K-1」立ち上げ 世界大会を開催 夕刊フジ 2011年7月6日 [リンク切れ]
  14. ^ 石井氏 国際K1連盟を設立 北京で会見”. 日刊スポーツ (2011年11月3日). 2011年11月4日閲覧。
  15. ^ 小島一志 『芦原英幸正伝』119~120頁
  16. ^ 「質問に答えて」”. 2016年5月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 西田健『K-1&格闘技の“真実”』(本の森出版センター、1997年)
  • 谷川貞治、石井和義『アンディ・フグの生涯』(広済堂出版、2000年)
  • 佐竹雅昭『まっすぐに蹴る』(角川書店、2003年)
  • 佐藤猛『ブレイク・スルー K-1舞台裏の物語』(JPS、2004年)
  • 森功「石井館長初告白、大晦日「格闘技戦争」の内幕、TV3局激突、曙参戦の裏事情を語り尽くす」(『文藝春秋』2004年4月号)
  • 「学会系スポーツ選手、最新版54人リスト」(『週刊文春』2005年3月31日号)
  • 松宮康生 『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』 川内長成(発行者)、日貿出版社東京都文京区本郷5-2-2(原著2017年9月30日)、初版(日本語)。C0076。ISBN 978-4-8170-6020-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]