伊達公子
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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伊達公子 | ||||||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||||||
| フルネーム | Kimiko Date | |||||||||||||||
| 国籍 |
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| 出身地 | 同・京都府京都市 | |||||||||||||||
| 生年月日 | 1970年9月28日(49歳) | |||||||||||||||
| 身長 | 163cm | |||||||||||||||
| 体重 | 53kg | |||||||||||||||
| 利き手 | 右 | |||||||||||||||
| バックハンド | 両手打ち | |||||||||||||||
| ツアー経歴 | ||||||||||||||||
| デビュー年 | 1989年 | |||||||||||||||
| 引退年 |
1996年 (1回目) 2017年 (2回目) | |||||||||||||||
| ツアー通算 | 14勝 | |||||||||||||||
| シングルス | 8勝 | |||||||||||||||
| ダブルス | 6勝 | |||||||||||||||
| 生涯通算成績 | 634勝410敗 | |||||||||||||||
| シングルス | 450勝268敗 | |||||||||||||||
| ダブルス | 184勝142敗 | |||||||||||||||
| 生涯獲得賞金 | $3,988,378 | |||||||||||||||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||||||||
| 全豪 | ベスト4 (1994) | |||||||||||||||
| 全仏 | ベスト4 (1995) | |||||||||||||||
| 全英 | ベスト4 (1996) | |||||||||||||||
| 全米 | ベスト8 (1993・94) | |||||||||||||||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||||||||
| 全豪 | ベスト8 (1992) | |||||||||||||||
| 全仏 | 2回戦 (1993・2011) | |||||||||||||||
| 全英 | 3回戦 (2011) | |||||||||||||||
| 全米 | ベスト4 (2014) | |||||||||||||||
| 国別対抗戦最高成績 | ||||||||||||||||
| フェド杯 | ベスト4 (1996) | |||||||||||||||
| キャリア自己最高ランキング | ||||||||||||||||
| シングルス | 4位 (1995年11月13日) | |||||||||||||||
| ダブルス | 28位 (2015年1月19日) | |||||||||||||||
| 獲得メダル | ||||||||||||||||
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伊達公子 (だて きみこ、Kimiko Date、1970年9月28日 - )は、日本の女子プロテニス選手。京都府京都市上京区出身。WTAランキング自己最高位はシングルス4位、ダブルス28位。WTAツアー通算でシングルス8勝 (日本人歴代2位記録)、ダブルス6勝を挙げている。
アジア出身の女子テニス選手として、史上初めてシングルス世界ランクトップ10入り、日本人21年ぶりのグランドスラムシングルスベスト4、日本人女子初の全仏オープンシングルスベスト4・ウィンブルドン選手権シングルスベスト4進出者。
グランドスラムで女子シングルス準決勝に3回・ベスト8入り6回は共に日本女子選手歴代最多記録。すべての4大大会でベスト8入りした最初の日本人女性でもある。全豪オープン勝利 (オープン化以降)・ウィンブルドン3回戦進出の最年長記録、WTAツアーシングルス優勝・全仏オープン勝利の歴代2位の年長記録を保持している。2010年10月にWTA史上初の40歳以上でトップ10の選手に勝利を記録した。
人物
「ライジング・ショット」の名手として、世界的にも有名な選手である。これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、“ライジング・サン”(日の出)と呼ばれた。
2008年の現役復帰後の所属はエステティックTBC。
本来は左利きであるが、子供の頃に日本の習慣に従って右利きに直された。そのため、テニスの試合でも相手選手がバックサイド(左側)に打ってきたボールを左打ちする場面がしばしば見られた。日常生活でも、サインの時などに左手を用いることがある。
大津市立瀬田南小学校-大津市立瀬田中学校(在校時バレーボール部)-園田学園高等学校卒業。
2001年にドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚。結婚当初は「クルム公子」としたが、家庭裁判所での姓の変更を経て「クルム伊達公子」となった(国際結婚であるため夫婦別姓が可能)[1]。2016年9月26日にミハエル・クルムとの離婚を発表[2]。
選手経歴
アマチュア選手としての活動
6歳のとき、京都市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」で、両親が健康管理のために行っていたテニスに初めてふれる。滋賀県大津市に転居後、京都市山科区にてデ杯監督竹内映二の父親である竹内穣治がオーナーを務める「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積む。中学校時代には「滋賀県テニス選手権」で優勝した。
高校時代には、兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校・園田学園高等学校にて光国彰監督の指導を受けた。1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成する。
プロ選手としての活動
高校卒業後の1989年にプロ転向。同年、「サントリー・ジャパン・オープン」でWTAツアーにデビューし、岡本久美子との準々決勝まで進出。全仏オープンで4大大会にデビュー。予選3試合を勝ち上がり、本戦2回戦に進出。ウィンブルドンと全米オープンにも本戦出場。女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップ(現フェドカップ)の日本代表選手に初選出され、西ドイツ・チームとの2回戦でダブルス戦に起用された。
1990年、全豪オープンで初の4回戦進出を果たす。3回戦で第11シードのパム・シュライバーを破って注目を集めたが、前年度準優勝者のヘレナ・スコバに 4-6, 3-6 で敗退した。
1991年、8月中旬の「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で予選から勝ち上がり準優勝。準決勝で当時世界ランキング3位のガブリエラ・サバティーニを破る大金星を挙げ、決勝では当時の女王モニカ・セレシュに挑戦した。全日本テニス選手権の女子シングルスで初優勝を果たす。
1992年、2月に東京の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で、当時世界ランキング5位のアランチャ・サンチェス・ビカリオを破る。3月末の「リプトン国際選手権」4回戦でシュテフィ・グラフと初対戦。全仏オープンで初めて4大大会のシード選手になり、4回戦に進出。全日本テニス選手権で2連覇。この年の活躍により、WTAアワードの「最も上達した選手賞」(Most Improved Player of the Year)に選出された。
1993年、全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。この4回戦で、当年度のウィンブルドン準優勝者ヤナ・ノボトナを破る。
1994年 グランドスラムベスト4
1994年、1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝。日本人の女子テニス選手として、史上初の世界トップ10に躍進する。直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たしたが、準決勝でグラフに 3-6, 3-6 で完敗。全米オープンで2年連続ベスト8入り。日本人選手として初めて女子テニスツアー年間最終戦の「バージニア・スリムズ選手権」の出場権を獲得し、準決勝まで進出した。(当時のバージニア・スリムズ選手権は、世界ランキング16位以内の選手のみに出場資格が与えられた。)
1995年 世界ランキング4位
1995年、2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントで初優勝。その決勝戦ではリンゼイ・ダベンポートを圧倒した。リプトン国際選手権で準優勝。この大会では決勝でグラフに完敗したが、準決勝でガブリエラ・サバティーニを 1-6, 1-5 の土壇場から逆転し、1-6, 7-6, 7-6 で逆転勝利を収めた。この年は全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成するが、準決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオに 5-7, 3-6 で敗れた。敗れたものの、この準決勝はテレビ東京系の地上波でゴールデンタイムの午後9時から放映された。11月に自己最高の世界ランキング4位を記録する。年間最終ランキングもシュテフィ・グラフ、コンチタ・マルティネス、アランチャ・サンチェス・ビカリオに次ぐ4位に輝いた。 日本プロスポーツ大賞殊勲賞受賞。
1996年 引退
1996年4月27日 - 28日、東京・有明コロシアムで開かれた女子国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ」1回戦でドイツと対戦し、28日の試合で女王シュテフィ・グラフを 7-6, 3-6, 12-10 で破る大金星を挙げた。1996年7月4日 - 5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。第1セットはグラフが 6-2 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。アトランタ五輪でも女子シングルスのベスト8に進出し、アランチャ・サンチェス・ビカリオに惜敗する。しかし8月25日、アメリカ・サンディエゴで開かれた「トーシバ・クラシック」決勝戦でサンチェスを 3-6, 6-3, 6-0 で破り、WTAツアー7勝目を挙げた。
同年9月24日に現役引退を宣言。WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦で、当時16歳のマルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れた。世界ランキング8位での引退だった。
その後
2000年2月6日 - 8日にかけて、シュテフィ・グラフの「引退世界ツアー」で日本の対戦相手に指名され、東京体育館、名古屋レインボーホール、大阪城ホールの3会場でエキシビション・マッチを行った。
2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚。結婚当初は「クルム公子」としたが、家庭裁判所に姓の変更を申し出て「クルム伊達公子」となった。国際結婚であるため、夫婦別姓が可能だった。選択的夫婦別姓制度の導入について賛同し、「結婚する2人が考え、同姓にしたければする、別姓を名乗りたければ名乗る。それが理想」と述べている[1]。
2008年3月15日、東京・有明コロシアムにてシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワとともにエキシビション・マッチを行い、ここでは伊達が2試合とも勝利を収めた(当初はサバティーニが参戦予定だったが欠場。代わりにナブラチロワが参戦し、伊達と初めての対戦となった[3])。
現役復帰
2008年
2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられる。4月7日に復帰記者会見を行い、12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明する。37歳にしてプロ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語り、現本名の「クルム伊達公子」でプロ登録した。
同年4月27日、岐阜市の岐阜メモリアルセンターにある「長良川テニスプラザ」で開催された「カンガルーカップ国際女子オープン」のシングルス予選で現役復帰する。3戦全勝で予選を突破し、本戦1回戦では藤原里華、準々決勝では中村藍子を破り、決勝まで勝ち進んだが、タマリネ・タナスガーン(タイ)に敗れて準優勝に終わった。15歳のジュニア選手・奈良くるみと組んだダブルス決勝では、ニコル・タイセン(オランダ) & メラニー・サウス(イギリス)組を破って優勝した。
同年6月15日、東京有明国際女子オープンシングルス決勝で、主催者推薦で出場の18歳秋田史帆を 6-3, 6-2 で破り、シングルスでのプロ復帰後初優勝を果たした。同年7月12日、日本サッカー協会(JFA)理事に就任する。これはJFAの犬飼基昭会長(当時)の推薦によるもので、平尾誠二(神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャー)とともにサッカー以外のスポーツ界からは初のJFA理事となった(2010年7月退任)。11月には全日本テニス選手権に出場、女子シングルス決勝で瀬間友里加(ピーチ・ジョン)を破って16年ぶり3度目の優勝を飾る。38歳での優勝は、宮城黎子が1963年に41歳で優勝し、大会8連覇を達成した時に次ぐ年長記録である。また藤原里華と臨んだダブルスでも決勝で米村明子&米村知子組を破って17年ぶり2回目(藤原は6年ぶり3度目)の優勝を飾り、吉田友佳以来5年ぶりの単複2冠の達成者となった。
2009年
2009年、4大大会にも13年ぶりの再挑戦を始め、全豪オープンで予選会を通過した。本戦1回戦では第25シードのカイア・カネピ(エストニア)に 6-4, 4-6, 6-8 で競り負け、初戦敗退。全仏オープンでは、故障で予選1回戦を途中棄権している。ウィンブルドンにおいて、主催者推薦(ワイルドカード)で13年ぶりの出場を果たしたが、第9シードの18歳、キャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)に 7-5, 3-6, 1-6 で逆転負けし、初戦突破はならなかった。復帰後WTAツアーレベルでは接戦の試合も見せながらも9戦全敗と、ツアー初勝利の壁に弾かれていたが、そんな中出場したハンソル韓国オープン1回戦において地元のYe-Ra Leeを 6-3, 6-4 のスコアで下し復帰後ツアー初勝利を挙げると、2回戦で第5シードのアリサ・クレイバノワ(ロシア)には第2セット第9ゲームでマッチポイントを握られるも 4-6, 7-6(4), 6-3 の大逆転で、準々決勝では第一シードのダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)を 7-6(3), 4-6, 6-4 で、準決勝では前年大会優勝者のマリア・キリレンコ(ロシア)を 3-6, 6-2, 6-4 でのスコアでそれぞれ下し決勝戦に進出。決勝ではアナベル・メディナ・ガリゲス(スペイン)6-3, 6-3のストレートで下し、96年のトーシバ・クラシック以来13年振り8度目のWTAツアーシングルス優勝を果たした。38歳11ヶ月30日での優勝は1983年のイギリス・バーミンガム大会で当時39歳7ヶ月23日でシングルス優勝を果たしたビリー・ジーン・キング(アメリカ)の記録に次ぐ歴代2位の年長優勝記録となった[4]。
2010年
2010年 5月25日、ローランギャロスで行われた全仏オープン本戦1回戦に出場し、2009年世界ランキング1位で同大会2年連続準優勝の第9シードディナラ・サフィナ(ロシア)に 3-6, 6-4, 7-5 で逆転勝ちした。伊達にとって4大大会での勝利は、準決勝に進んだ1996年のウィンブルドン以来14年ぶりの勝ち星であり、また全仏女子オープンにおける39歳7カ月での勝利は、1968年以降の同大会で歴代2番目の年長白星となった[5]。
主催者推薦で出場した9月の東レ パン・パシフィック・オープンでは、1回戦で前年優勝のマリア・シャラポワを 7-5, 3-6, 6-3 で破った。10月のHPオープンでは準々決勝でサマンサ・ストーサーを 5-7, 6-3, 7-6 で破り復帰後初のトップ10プレーヤーからの勝利を挙げた。40歳を超えたプレイヤーが、トップ10の選手を破ったのはWTA史上初の快挙であった。決勝ではタマリネ・タナスガーンに 5-7, 7-6, 1-6 で敗れ最年長ツアー優勝はならなかった。11月の広州アジア大会にも出場し、シングルス準決勝で彭帥に 6-7, 6-3, 2-6 で敗れ銅メダルを獲得している。
2011年
2011年ウィンブルドン選手権2回戦のビーナス・ウィリアムズとの試合では1996年準決勝のグラフとの試合以来、15年ぶりのセンターコートに立った。過去ウィンブルドンで5度の優勝を誇るビーナス相手に、2時間56分の熱戦の末 7-6(6), 3-6, 6-8 で惜敗したが、健闘に大きな拍手が送られた[6]。10月のHPオープンでは前年準優勝したシングルスでは1回戦でペトラ・チェトコフスカに 2-6, 6-7 で敗れたが、張帥と組んだダブルスで決勝に進出し、バニア・キング&ヤロスラワ・シュウェドワ組を 7-5, 3-6, [11-9] で破り、1996年4月のジャパンオープン以来のダブルスタイトルを獲得した。
2012年
2012年4月のe-Boksオープンで藤原里華と組んだダブルスで、ソフィア・アルビドソン&カイア・カネピ組を6-2, 4-6, [10-5] で破り、ダブルスではツアー通算3勝目を挙げた。 伊達自身、日本人とペアを組んでのダブルス優勝は、1996年4月杉山愛と組んで優勝したジャパン・オープン以来16年ぶりの優勝となった。 因みにパートナーの藤原里華は、これがシングル・ダブルス通じて初のツアー優勝となった(それまではダブルスで5度の決勝進出も全て準優勝だった)。一方、シングルスでは全仏オープンから10連敗を喫し、ランキングを100位以下に落としたが、2013年も現役続行することを発表した[7]。
2013年
2013年全豪オープンシングルス1回戦で第12シードのナディア・ペトロワに6-2, 6-0 でストレート勝ちし、42歳の伊達は1968年オープン化以降同大会の最年長勝利記録更新した。また次戦の2回戦もシャハー・ピアーに6-2, 7-5 で勝利し、18年ぶりに3回戦に進出。さらにその記録を更新した。ダブルスでの2回戦は、ロンドン五輪銀メダリストペアで第2シードのアンドレア・フラバーチコバ&ルーシー・ハラデツカ組相手に7-5, 3-6, 6-3 で勝利する金星を挙げ、シングルスと共にダブルスでも3回戦進出を果たした(どちらも3回戦で敗退)。 全豪オープンの翌週に行われたPTTパタヤ・オープンではケーシー・デラクアと組み、アクグル・アマンムラドワ&アレクサンドラ・パノワ組に6-3, 6-2 で勝利し、ダブルスでのツアー通算4勝目を手にした。 4月のモンテレイ・オープンはティメア・バボシュと組んで、エバ・ビルネロバ&タマリネ・タナスガーン組を6-1, 6-4で破り、ツアー通算5勝目、現役復帰後では4勝目のダブルスタイトルを勝ち得た。 続く5月のストラスブール国際はシャネル・シェパーズとのペアで マリナ・エラコビッチ&カーラ・ブラック組に6-4, 3-6, [14-12]で競り勝ち、ツアー通算6勝目、2013年のダブルスツアー決勝3連勝を果たす。 一方のシングルスでは全仏オープン1回戦でサマンサ・ストーサーに敗れたが、続く2013年ウィンブルドン選手権では3回戦まで進出。42歳での3回戦進出は同大会史上最年長となった。3回戦はディフェディングチャンピオンで第1シードのセリーナ・ウィリアムズと初対戦。結果は2-6, 0-6で完敗したが、スコア以上に彼女らしさを随所に見せ、センターコートの観客を沸かせてみせた。
2014年
2014年の4大大会シングルスはすべて1回戦敗退を決したが、その全てが3セットによるものであった。 しかし4大大会最後の2014年全米オープン女子ダブルスで、パートナーのバルボラ・ザフラボバ・ストリコバとともに快進撃を見せ、3回戦では大会第2シードで2014年全仏オープンチャンピオンの謝淑薇と彭帥相手に7-6(4), 6-4で勝利し、最終的にはキャリア初の準決勝へ進出した。準決勝はロシア人ペアのエカテリーナ・マカロワとエレーナ・ベスニナ組に5-7, 3-6で敗れ、シングルスも通じての4大大会初の決勝進出とはならなかった。
2015年
2015年1月11日~16日にオーストラリアのシドニーで行われたシドニー国際で、チェコのカロリナ・プリスコバと組みダブルスに出場し、準決勝へ進出した。これにより1月12日、19日と2週続けて、1992年8月24日に記録した自己最高であったWTAのダブルスでの世界ランキング33位を23年ぶりに更新する結果となった(1月12日は31位、19日は28位)。2015年全仏オープンにてグランドスラムでは2009年全米以来の予選敗退。
2016年
2016年1月14日、全豪オープン女子シングルス予選1回戦で敗れ、シングルスで8年連続の本戦出場はならなかった[8]。2月21日、16日に左膝半月板の内視鏡手術を行ったが、復帰には再手術が必要であることを公式ブログで明らかにした[9]。
2017年
2017年8月28日、「『そう遠くない日』と言っていた日がとうとう訪れました。伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」と自身のブログに記し、現役を引退することを表明した。最後の大会となったジャパン女子オープンテニスではセルビアのアレクサンドラ・クルニッチに 0–6, 0–6 と1ゲームも奪えず完敗した[10]。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 15回 (8勝7敗)
| 大会グレード | |
|---|---|
| 2008年以前 | 2009年以後 |
| グランドスラム (0–0) | |
| WTAファイナルズ (0–0) | |
| ティア I (1–1) | プレミア・マンダトリー (0-0) |
| プレミア5 (0-0) | |
| ティア II (2–2) | プレミア (0–0) |
| ティア III (3–3) | インターナショナル (1–1) |
| ティア IV & V (1–0) | |
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 準優勝 | 1. | 1991年8月12日 | ハード | 3–6, 2–6 | ||
| 優勝 | 1. | 1992年4月6日 | ハード | 7–5, 3–6, 6–3 | ||
| 準優勝 | 2. | 1993年2月8日 | カーペット (室内) | 3–6, 2–6 | ||
| 優勝 | 2. | 1993年4月5日 | ハード | 6–1, 6–3 | ||
| 準優勝 | 3. | 1993年9月20日 | ハード | 3–6, 2–6 | ||
| 優勝 | 3. | 1994年1月10日 | ハード | 6–4, 6–2 | ||
| 優勝 | 4. | 1994年4月4日 | ハード | 7–5, 6–0 | ||
| 優勝 | 5. | 1995年1月30日 | カーペット (室内) | 6–1, 6–2 | ||
| 準優勝 | 4. | 1995年3月25日 | ハード | 1–6, 4–6 | ||
| 準優勝 | 5. | 1995年4月10日 | ハード | 6–7(5), 5–7 | ||
| 準優勝 | 6. | 1995年5月22日 | クレー | 6–3, 1–6, 2–6 | ||
| 優勝 | 6. | 1996年4月15日 | ハード | 6–4, 7–5 | ||
| 優勝 | 7. | 1996年8月19日 | ハード | 3–6, 6–3, 6–0 | ||
| 優勝 | 8. | 2009年9月27日 | ハード | 6–3, 6–3 | ||
| 準優勝 | 7. | 2010年10月17日 | ハード | 5–7, 7–6(4), 1–6 |
ダブルス:10回 (6勝4敗)
| 大会グレード | |
|---|---|
| 2008年以前 | 2009年以後 |
| グランドスラム (0–0) | |
| WTAファイナルズ (0–0) | |
| ティア I (0–0) | プレミア・マンダトリー (0-0) |
| プレミア5 (0-0) | |
| ティア II (0–0) | プレミア (0–0) |
| ティア III (1–0) | インターナショナル (5–3) |
| ティア IV & V (0–1) | |
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 準優勝 | 1. | 1992年4月6日 | ハード | 7–5, 6–7(5), 0–6 | |||
| 優勝 | 1. | 1996年4月21日 | ハード | 7–6(6), 6–7(6), 6–3 | |||
| 準優勝 | 2. | 2009年9月14日 | ハード | 6–3, 2–6, [8–10] | |||
| 優勝 | 2. | 2011年10月16日 | ハード | 7–5, 3–6, [11–9] | |||
| 準優勝 | 3. | 2012年2月26日 | ハード | 2–6, 6–7(6) | |||
| 優勝 | 3. | 2012年4月15日 | ハード (室内) |
6–2, 4–6, [10–5] | |||
| 準優勝 | 4. | 2012年10月14日 | ハード | 1–6, 4–6 | |||
| 優勝 | 4. | 2013年2月3日 | ハード | 6–3, 6–2 | |||
| 優勝 | 5. | 2013年4月7日 | ハード | 6–1, 6–4 | |||
| 優勝 | 6. | 2013年5月26日 | クレー | 6–4, 3–6, [14–12] |
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
| W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | WG | Z# | PO | SF-B | S | G | NMS | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
| 大会 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997–2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 通算成績 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 全豪オープン | A | 4R | 2R | 2R | 2R | SF | 3R | 2R | A | 1R | 1R | 1R | 1R | 3R | 1R | 1R | LQ | 16–14 |
| 全仏オープン | 2R | A | LQ | 4R | 2R | 1R | SF | 4R | A | LQ | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | LQ | A | 14–11 |
| ウィンブルドン | 1R | 2R | 1R | 2R | A | 3R | QF | SF | A | 1R | 1R | 2R | 1R | 3R | 1R | LQ | A | 16–13 |
| 全米オープン | 1R | 2R | 2R | 2R | QF | QF | 4R | 1R | A | LQ | 1R | 1R | 1R | 1R | 1R | LQ | A | 14–13 |
世界ランキング
※年間最終シングルスランキング
| 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | - | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 322 | 119 | 79 | 32 | 21 | 13 | 9 | 4 | 8 | 198 | 82 | 46 | 100 | 146 | 54 | 116 | 141 | 804 |
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- JXTGエネルギー(2018年)[11]
著書
- 晴れのちテニス (1993年12月, 日本文化出版)ISBN 978-4890840007
- ラストゲーム (1996年11月, 日本文化出版)ISBN 978-4890840175
- キッズテニス「好き」を見つける「楽しい」を育む (2004年4月, 岩波書店)ISBN 978-4007001093
- いつも笑顔で Always Smile (2006年9月, マガジンハウス)ISBN 978-4838716821
- ストレスのないココロとカラダになる! 幸せのワークアウト (2006年9月, 講談社)ISBN 978-4062136129
- パートナーピラティス (ミハエル・クルム共著、2007年7月, 講談社)ISBN 978-4062140348
- 伊達公子のピラティスレッスン (2008年10月, 日本放送出版協会)ISBN 978-4148271676
- CHALLENGE!! (2009年7月, 講談社)ISBN 978-4062155243
- 進化する強さ (2012年3月, ポプラ社)ISBN 978-4591128817
- 負けない!: 挑戦することは楽しいこと (2012年3月, ポプラ社)ISBN 978-4591128664
脚注
- ^ a b 「伊達姓を手放し味わった喪失感 クルム伊達公子さん」、朝日新聞、2015年12月17日[リンク切れ]
- ^ クルム伊達公子が離婚発表「2人の人生に変化が」 日刊スポーツ、2016年9月28日閲覧。
- ^ nikkansports.com (2007年12月18日). “ナブラチロワさん代役でエキシビションに”. 2008年6月20日閲覧。
- ^ 時事通信 (2009年9月27日). “伊達が13年ぶりツアー優勝=史上2番目の高齢V-女子テニス”. 2009年9月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 時事通信 (2010年5月26日). “クルム伊達、14年ぶりの勝利=昨年準優勝サフィナを逆転-全仏テニス”. 2010年5月26日閲覧。
- ^ nikkansports.com (2011年6月24日). “芝に強い伊達に絶賛の嵐”. 2011年7月4日閲覧。
- ^ スポーツニッポン (2012年11月22日). “クルム伊達、来季も現役 「自分のテニスを追求する」”. 2012年11月26日閲覧。
- ^ “クルム伊達 8年連続出場ならず”. tennis365.net. (2016年1月14日)
- ^ “クルム伊達 復帰に再手術必須”. デイリースポーツ online. (2016年2月21日)
- ^ “伊達公子破ったクルニッチ涙「勝ってしまいごめん」”. 日刊スポーツ. (2017年9月12日)
- ^ JXTGエネルギー 企業情報 企業広告・スポーツ CMギャラリー 「ENEOSエネルギーソング テニス」編
外部リンク
- 伊達公子 - WTAツアーのプロフィール (英語)

- 伊達公子 - フェドカップのプロフィール (英語)

- 伊達公子 - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
- 伊達公子 - 日本テニス協会のプロフィール
- 伊達公子公式サイト
- 伊達公子 公式ブログ Powered by LINE - LINE Blog(2015年1月15日 - )
- 伊達公子オフィシャルブログ 〜Always Smile〜 - Ameba Blog(2006年5月17日 - 2015年1月15日)
- 伊達公子・公式Facebookページ - Facebook
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ウィキニュースに関連記事があります。現役復帰のクルム伊達公子、カンガルーカップ国際女子オープンテニス2008でダブルス優勝、シングルス準優勝
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