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ミハエル・クルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミハエル・クルム
2010年
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1970-03-19) 1970年3月19日(54歳)
出身地 ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ロイトリンゲン
SUPER GTでの経歴
デビュー 2005
所属 KONDO Racing
車番 24
シリーズ最高順位 4位 (2006)
過去参加シリーズ
1988–1989
1990

1993
1994
19941997

1995–2004
1998

19992001
2007
2001

2005

2009
ドイツ・フォーミュラ・フォード
ドイツ・フォーミュラ・ボクスホール
ドイツF3選手権
全日本F3選手権
全日本F3000選手権 / フォーミュラ・ニッポン
全日本GT選手権 (除く 1998年)
ドイツ・スーパーツーリング選手権
フォーミュラ・ニッポン

チャンプカー・ワールド・シリーズ
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
FIA GT選手権
選手権タイトル
1989
1990

1994
1997, 2003
2011
ドイツ・フォーミュラ・フォード
ドイツ・フォーミュラ・ボクスホール
全日本F3選手権
全日本GT選手権 (GT500)
FIA GT1世界選手権

ミハエル・クルム: Michael Krumm1970年3月19日 - )は、ドイツ人のレーシングドライバー。2024年より、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。

プロフィール

[編集]
  • 身長:183cm
  • 体重:70kg
  • 血液型:RH+A型

ドイツでのレースキャリア

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1988年にドイツ国内のフォーミュラ・フォードでデビューし、2年目にはシリーズチャンピオンを獲得。翌年にはドイツ・フォーミュラオペルロータスのシリーズチャンピオンとなった。1992年にはドイツF3、1993年にはドイツF3とイタリアF3で活躍した。ドイツF3では5回の優勝を挙げ、国際F3000選手権へのステップアップの話も浮上していたが、クルムを含む多くのドイツ若手ドライバーがドイツ・キャメルからの支援を受けていた1992年のシーズンオフに、同じくドイツ出身ドライバーであるミハエル・シューマッハがF1デビューして早々に成功を収めたことを受け、ドイツ・キャメルがシューマッハの支援に集中する方針を決定。1993年ベネトン・フォーミュラのタイトルスポンサーとなることに資金を一本化したため、スポンサー資金を失ったクルムの国際F3000選手権へのステップアップの話がとん挫してしまったと1994年のオートスポーツ誌でのインタビューで述べている。自身のほかにも、当時ドイツ・キャメルの支援を受けていた一人であるハインツ=ハラルド・フレンツェンもおそらく似た状況に陥っただろうと話し、当時のドイツ国内のスポンサー事情を吐露している。1993年11月、世界各国のF3上位選手が集結するインターF3リーグ富士スピードウェイ)参戦のため初来日。この富士での走りが日本のレース関係者の目に留まり、翌年より日本のレースを走るきっかけとなる。

日本でのレースキャリア

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1994年、トムスと契約し日本に拠点を移す。同年の全日本F3選手権では10戦中6戦で優勝を挙げ、影山正美中野信治道上龍高木虎之介らを破りシリーズチャンピオンを獲得。終盤戦では童夢松本恵二監督からオファーが届き[1]、トップカテゴリーの全日本F3000選手権へとステップアップ、その初戦で4位入賞を果たした。以後、全日本F3000選手権・フォーミュラ・ニッポン全日本GT選手権SUPER GTなど、日本のトップカテゴリーで活躍。来日当初トムス契約ドライバーだったこともあり、JTCCおよびJGTCではトヨタワークスでの参戦だったが、1998年のドイツ・スーパーツーリング選手権[2]日産・プリメーラで参戦したのを機に日産ワークスへ移籍した。フォーミュラでは1995年よりステラインターナショナルで走り、チームルマン5ZIGENチームインパルとフォーミュラ・ニッポンのトップチームのドライバーを歴任。5ZIGEN所属時の2000年にフォーミュラ・ニッポン年間ランキング2位を獲得している。

2001年開幕時にはアメリカに渡りCARTデイル・コイン・レーシングから参戦したが、チームがシーズン途中でCARTから撤退してしまったため日本に復帰した。2002年にはル・マン24時間レースアウディ・R8で参戦し、総合3位を獲得。

全日本GT選手権(JGTC / 後のSUPER GT)には1995年にトヨタ・スープラでデビューし、シリーズランキングは5位、優勝1回と好成績を収めた。1996年はポルシェでスポット参戦し、1997年には後にF1ドライバーとなるペドロ・デ・ラ・ロサとのコンビでシリーズチャンピオンを獲得した。1999年より日産・スカイラインGT-Rで復帰し、以後NISMOのドライバーとして活躍した。2003年には本山哲とのコンビで2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。

2009年から2011年にかけてNISMOのドライバーとしてFIA GT選手権日産・GT-Rで参戦。2009年8月22日、23日に開催されたSUPER GT第6戦鈴鹿ブノワ・トレルイエのピンチヒッターとして参戦。スポット参戦だったが6年ぶりに本山とコンビを組んだ。FIA GT選手権を引き継いだFIA GT1世界選手権にも引き続き参戦し、2011年にはルーカス・ルーアと組んでJRモータースポーツからエントリー、参戦3年目にしてシリーズチャンピオンを獲得した[3]

2012年は、ブノワ・トレルイエがSUPER GTと多くの日程が重なるFIA 世界耐久選手権へ参戦するためにNISMOを離脱したことから、その後釜として3年ぶりにSUPER GTのNISMOに復帰し、本山と8年ぶりにコンビを組む。また同年よりル・マン24時間に次世代車枠の“ガレージ#56”でエントリーするデルタウィングのドライバーにも起用された。

2013年9月30日に、日産GT-RのNISMOモデルでニュルブルクリンク(北コース)を7分08秒679で周回し[4]、量産市販車としての世界最速の記録を更新し、同年11月19日に行われたGT-Rの2014年モデルとNISMOモデルの発表会に出席し、日産CEOカルロス・ゴーンと共にこの成果を発表した[5]

2016年4月、NISMOのアンバサダーに就任すると共にニュルブルクリンク24時間レースへ参戦することが発表された[6]

レーサー引退後

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2019年、KONDO Racingのアドバイザーに就任。ニュルブルク24時間レースではピット内で一睡もせずにドライバーに無線を送り続け、総合10位及びSP9クラス9位と日本勢として久々の好成績を残したチームに貢献した[7]

2020年からはNISMOのSUPER GT GT500クラスにおいて、本山哲と共にエグゼクティブアドバイザーを務め[8]NISMOドライビングアカデミーの校長も務めた[9]2022年からは、KONDO Racingのアドバイザーの立場で、スーパーフォーミュラに参戦するサッシャ・フェネストラズの通訳を務める[10]

2024年、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。1997年以来のTOM'S復帰となった。

人物

[編集]
  • 来日二年目の1995年には日本語がかなり上達し、1996年終盤にはレースに関する日本語での会話を流暢に操るようになっていた。
  • 食べ物の好き嫌いが激しい。プライベートでは愛犬家である。
  • テレビ朝日に放送されていたバラエティ番組、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』にセバスチャン・マルティノと出演し、100万円を獲得したことがある(そのときのチャレンジ内容は、スタントカーを使う競技だった。)。100万円の使い道を尋ねられた際に流暢な日本語で「郵便局に貯金します」と答え、その容貌も相まって飯島愛に絶賛された。
  • 2001年1月12日にプロテニスプレーヤーの伊達公子と婚約[11]。同年12月に東京カテドラル聖マリア大聖堂で挙式を執り行った[12]。2人でトークショーに出演するなどしていたが[13]、2016年9月に協議離婚したことを発表した[14]。離婚発表時には「円満離婚」と表現し、離婚後も親交を続けているという。2021年12月のテレビ番組の取材の際に、長年マネージャーを務めていた日本人女性と1年前に結婚したことを公表した[15]

レース戦績

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  • 1988年 - ドイツ・フォーミュラフォード(レースデビュー)
  • 1989年 - ドイツ・フォーミュラフォード(シリーズチャンピオン)
  • 1990年 - ドイツ・フォーミュラオペル・ロータス(シリーズチャンピオン)
  • 1993年 - ドイツF3選手権(シリーズ4位)
  • 1994年
    • 全日本F3選手権(TOM'S #7 TOM'S 034F/トムス034F 3S-G)(シリーズチャンピオン・6勝)
    • 全日本F3000選手権<Rd.8-10>(童夢 #6 トライダンロップ童夢F104/DOME F104 MF308)(シリーズ11位)
  • 1995年
    • 全日本F3000選手権<Rd.3-10>(OASYS ステラインターナショナル #21 STELLAR LOLA MCS/ローラT93/50 MF308)( - 位)
    • 全日本GT選手権(TOM'S #36 トヨタ カストロール スープラ/スープラ JZA80)(シリーズ5位)
    • 全日本ツーリングカー選手権(TOM'S #37 エッソトーネン トヨタエクシヴ/エクシヴ ST202)(シリーズ8位)
  • 1996年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(神奈川クリニック STELLAR #21/レイナード95D MF308)(シリーズ15位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.4 スポット参戦>(TAKU MOTOR SPORT #5 シャトレーゼ・ポルシェGT2/911GT-2 993)
  • 1997年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-4>(オートテック STELLAR #35/レイナード96D MF308)
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.8>(Team Le Mans #2/レイナード97D MF308)
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.10>(TEAM CERUMO #11/ローラT96/52 MF308)(シリーズ16位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA Castrol TEAM #36 Tom's Castrol SUPRA/TOYOTA SUPRA JZA80 3S-GTE)(シリーズチャンピオン・2勝)
  • 1998年
    • ル・マン24時間レース・LMPクラス(総合5位)
    • ドイツ・スーパーツーリング選手権 (チーム・ロズベルグ #22 ニッサン・プリメーラ/日産・プリメーラ HP11 ) (シリーズ9位)
  • 1999年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.2-10>(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ5位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 ARTA ゼクセル スカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ6位)
  • 2000年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ2位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 カストロール ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ8位)
  • 2001年
    • CARTチャンプカー(シリーズ31位)
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード01L MF308)(シリーズ7位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ヒロト GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ5位・1勝)
  • 2002年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1,2>(XBOX TEAM IMPUL #2/レイナード99L MF308)(シリーズ - 位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT→VQ30DETT)(シリーズ8位)
    • ル・マン24時間レース・LMP900クラス(総合3位)
  • 2003年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #23 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン)
  • 2004年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ9位・1勝)
  • 2005年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ5位)
  • 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT→VK45DE)(シリーズ4位)
  • 2007年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #20/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ10位)
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ5位)
  • 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ7位)
  • 2009年 - SUPER GT・GT500クラス<Rd.6>(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)
  • 2010年 - FIA GT1世界選手権(SUMO POWER GT #23 NISSAN GT-R)
  • 2011年 - FIA GT1世界選手権(JR Motorsport #23 NISSAN GT-R)(シリーズチャンピオン)
  • 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)

フォーミュラ

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ドイツ・フォーミュラ3選手権

[編集]
チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 DC ポイント
1992年 GMモータースポーツ オペル A ZOL
1

2
ZOL
2

1
NÜR
1

Ret
NÜR
2

6
WUN
1

6
WUN
2

2
AVU
1

Ret
AVU
1

8
NÜR
1

6
NÜR
2

6
HOC
1

4
HOC
2

6
NOR
1

20
NOR
2

10
BRN
1

8
BRN
2

7
DIE
1

6
DIE
2

3
NÜR
1

5
NÜR
2

8
ALE
1

4
ALE
2

9
NÜR
1

6
NÜR
2

Ret
HOC
1

Ret
HOC
2

4
6位 158
1993年 G+Mエスコム・モータースポーツ A ZOL
1

1
ZOL
2

1
HOC
1

Ret
HOC
2

8
NÜR
1

3
NÜR
2

1
WUN
1

8
WUN
2

Ret
NOR
1

7
NOR
2

3
DIE
1

4
DIE
2

Ret
NÜR
1

1
NÜR
2

2
ALE
1

6
ALE
2

9
AVU
1

3
AVU
1

2
HOC
1

3
HOC
2

3
4位 198

全日本フォーミュラ3選手権

[編集]
チーム エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1994年 TOM'S トヨタ SUZ
4
FSW
3
TSU
1
SUZ
1
SEN
1
TOK
2
MIN
1
TAI
1
SUG
1
SUZ
5
1位 60

マカオグランプリ

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チーム シャーシー/エンジン 予選順位 レース1 レース2 総合順位
1992年 ドイツの旗 GMモータースポーツ ラルト・RT36オペル 20位 DNF 13 NC
1993年 ダラーラ・393 オペル 11位 7 6 6位
1994年 日本の旗 TOYOTA TEAM TOM's トムス・034Fトヨタ 7位 6 4 5位

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1994年 株式会社童夢 SUZ FSW MIN SUZ SUG FSW SUZ FSW
4
FSW
7
SUZ
15
11位 3
1995年 OASYSステラインターナショナル SUZ FSW MIN
Ret
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
Ret
TOK
7
FSW
Ret
SUZ
7
NC 0
1996年 神奈川クリニック STELLAR SUZ
4
MIN
6
FSW
11
TOK
16
SUZ
11
SUG
9
FSW
Ret
MIN
Ret
SUZ
Ret
FSW
Ret
15位 4
1997年 オートテック STELLAR SUZ
Ret
MIN
13
FSW
Ret
SUZ SUG FSW MIN 11位 7
Team Le Mans TRM
6
FSW
TEAM CERUMO SUZ
10
1999年 TEAM 5ZIGEN SUZ TRM
5
MIN
Ret
FSW
3
SUZ
11
SUG
4
FSW
9
MIN
4
TRM
Ret
SUZ
2
5位 18
2000年 SUZ
2
TRM
2
MIN
2
FSW
Ret
SUZ
3
SUG
5
TRM
2
FSW
5
MIN
Ret
SUZ
4
2位 35
2001年 SUZ
Ret
TRM
4
MIN
4
FSW
2
SUZ
Ret
SUG
6
FSW
3
MIN
Ret
TRM
7
SUZ
4
7位 20
2002年 XBOX TEAM IMPUL SUZ
7
FSW
7
MIN SUZ TRM SUG FSW MIN TRM SUZ NC 0
2007年 Arabian Oasis TEAM IMPUL FSW
6
SUZ
7
TRM
7
OKA
8
SUZ
5
FSW
Ret
SUG
Ret
TRM
15
SUZ
Ret
10位 12

ツーリングカー

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全日本ツーリングカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994年 Object T トヨタ・コロナ OAR1 OAR2 SUG1 SUG2 TOK1 TOK2 SUZ1 SUZ2 MIN1 MIN2 TAI1 TAI2 TSU1
7
TSU2
7
SEN1
Ret
SEN2
DNS
FSW1
27
FSW2
22
24位 8
1995年 TOYOTA TEAM TOM's トヨタ・コロナEXiV FSW1
Ret
FSW2
DNS
SUG1
2
SUG2
Ret
TOK1
4
TOK2
1
SUZ1
14
SUZ2
6
MIN1
17
MIN2
13
TAI1
4
TAI2
7
SEN1
Ret
SEN2
Ret
FSW1
Ret
FSW2
9
8位 52
1996年 FSW1
4
FSW2
7
SUG1
4
SUG2
1
SUZ1
3
SUZ2
3
MIN1
2
MIN2
6
SEN1
9
SEN2
3
TOK1
4
TOK2
4
FSW1
7
FSW2
10
3位 87
1997年 FSW1
C
FSW2
C
TAI1
7
TAI2
9
SUG1
1
SUG2
Ret
SUZ1
10
SUZ2
Ret
10位 35
トヨタ・チェイサー MIN1
6
MIN2
4
SEN1
Ret
SEN2
DNS
TOK1
Ret
TOK2
10
FSW1
12
FSW2
Ret

ドイツ・スーパーツーリング選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1998年 ニッサン・プリメーラ・レーシング 日産・プリメーラ HOC1
11
HOC2
4
NÜR1
12
NÜR2
21
SAC1
6
SAC2
Ret
NOR1
Ret
NOR2
12
LAH1
7
LAH2
Ret
WUN1
6
WUN2
6
ZWE1
7
ZWE2
12
SAL1
9
SAL2
6
OSC1
2
OSC2
4
NÜR1
12
NÜR2
8
9位 312

(key)

グランドツーリングカー

[編集]

全日本GT選手権/SUPER GT

[編集]
チーム コドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1995年 TOYOTA Castrol TEAM 日本の旗 関谷正徳 トヨタ・スープラ GT1 SUZ
6
FSW
6
SEN
1
FSW
Ret
SUG
7
MIN
4
5位 46
1996年 TAKU MOTOR SPORT 日本の旗 飯田薫 ポルシェ・911 GT500 SUZ FSW SEN FSW
Ret
SUG MIN NC 0
1997年 TOYOTA Castrol TEAM スペインの旗 ペドロ・デ・ラ・ロサ トヨタ・スープラ GT500 SUZ
14
FSW
3
SEN
1
FSW
2
MIN
1
SUG
15
1位 67
1998年 TEAM IMPUL 日本の旗 黒沢琢弥 日産・スカイラインGT-R GT500 SUZ FSW
C
SEN FSW TRM MIN SUG NC 0
1999年 NISMO 日本の旗 鈴木亜久里 GT500 SUZ
5
FSW SUG
9
MIN
12
FSW
12
TAI
2
TRM
2
6位 40
2000年 日本の旗 井出有治 (Rd.1)
日本の旗 片山右京 (Rd.2-9)
GT500 TRM
6
FSW
2
SUG
11
FSW
6
TAI
11
MIN
Ret
SUZ
4
8位 37
2001年 日本の旗 田中哲也 GT500 TAI
4
FSW
3
SUG
Ret
FSW
1
TRM
10
SUZ
8
MIN
6
5位 52
2002年 日本の旗 本山哲 GT500 TAI
11
FSW
7
SUG
7
SEP
4
FSW
2
TRM
10
MIN
2
SUZ
Ret
8位 51
2003年 日本の旗 本山哲 GT500 TAI
2
FSW
4
SUG
3
FSW
5
FSW
2
TRM
11
AUT
5
SUZ
3
1位 86
2004年 日本の旗 影山正美 日産・フェアレディZ GT500 TAI
9
SUG
Ret
SEP
6
TOK
1
TRM
8
AUT
9
SUZ
Ret
9位 39
2005年 日本の旗 柳田真孝 GT500 OKA
12
FSW
2
SEP
6
SUG
7
TRM
4
FSW
9
AUT
2
SUZ
8
5位 57
2006年 日本の旗 山本左近 (Rd.1-3)
イギリスの旗 リチャード・ライアン (Rd.4-9)
ブラジルの旗 ファビオ・カルボーン (Rd.6)
GT500 SUZ
12
OKA
3
FSW
9
SEP
2
SUG
3
SUZ
2
TRM
10
AUT
6
FSW
6
4位 75
2007年 日本の旗 松田次生 GT500 SUZ
5
OKA
3
FSW
2
SEP
10
SUG
Ret
SUZ
6
TRM
2
AUT
4
FSW
9
5位 63
2008年 日本の旗 柳田真孝
ドイツの旗 ドミニク・シュワガー (Rd.6)
日産・GT-R GT500 SUZ
2
OKA
15
FSW
12
SEP
2
SUG
13
SUZ
4
TRM
7
AUT
5
FSW
11
7位 57
2009年 日本の旗 本山哲 GT500 OKA SUZ FSW SEP SUG SUZ
6
FSW AUT TRM 18位 5
2012年 日本の旗 本山哲 GT500 OKA
4
FSW
3
SEP
7
SUG
Ret
SUZ
5
FSW
11
AUT
6
TRM
6
8位 40
2013年 KONDO RACING 日本の旗 安田裕信 GT500 OKA
13
FSW
12
SEP
13
SUG
5
SUZ
Ret
FSW
10
AUT
6
TRM
9
13位 14
2014年 日本の旗 佐々木大樹 GT500 OKA
12
FSW
4
AUT
13
SUG
10
FSW
15
SUZ
9
CHA
2
TRM
4
10位 35
2015年 日本の旗 佐々木大樹 GT500 OKA FSW CHA FSW
1
SUZ
13
SUG
3
AUT
15
TRM
12
10位 31

FIA GT選手権

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チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2009年 NISMO イギリスの旗 ダレン・ターナー
イギリスの旗 アンソニー・デヴィッドソン
日産・GT-R GT1 GT1 SIL
Ret
ADR OSC
9
SPA
3
HUN ALG LEC ZOL
7
NC† 0†

(key)

  • 賞典外出走のため、ポイントは加算されない。

FIA GT1世界選手権

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チーム コ.ドライバー 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2010年 スモウ・パワー GT イギリスの旗 ピーター・ダンブレック 日産・GT-R GT1 ABU
QR

11
ABU
CR

16
SIL
QR

8
SIL
CR

Ret
BRN
QR

3
BRN
CR

3
PRI
QR

9
PRI
CR

2
SPA
QR

8
SPA
CR

Ret
NÜR
QR

Ret
NÜR
CR

15
ALG
QR

1
ALG
CR

4
NAV
QR

16
NAV
CR

Ret
INT
QR

2
INT
CR

6
SAN
QR

6
SAN
CR

Ret
9位 71
2011年 JRモータースポーツ ドイツの旗 ルーカス・ルーア ABU
QR

3
ABU
CR

14
ZOL
QR

7
ZOL
CR

9
ALG
QR

2
ALG
CR

1
SAC
QR

11
SAC
CR

9
SIL
QR

2
SIL
CR

1
NAV
QR

9
NAV
CR

6
PRI
QR

1
PRI
CR

1
ORD
QR

11
ORD
CR

9
BEI
QR

4
BEI
CR

3
SAN
QR

2
SAN
CR

Ret
1位 137

スポーツカー

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FIA 世界耐久選手権

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2013年 グリーヴス・モータースポーツ ザイテック・Z11SN LMP2 SIL SPA LMN
3
SAO COA FSW SHA BHR 12位 30
2015年 NISMO 日産・GT-R LM NISMO LMP1 SIL SPA LMN
NC
NÜR COA FSW SHA BHR NC 0

(key)

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー クラス 周回 総合順位 クラス順位
1998年 日本の旗 NISMO
イギリスの旗 TWR
デンマークの旗 ジョン・ニールセン
フランスの旗 フランク・ラゴルス
日産・R390 GT1 GT1 342 5位 5位
1999年 日本の旗 NISMO フランスの旗 エリック・コマス
日本の旗 本山哲
日産・R391 LMP 110 DNF DNF
2002年 ドイツの旗 アウディ・スポーツチーム・ヨースト ドイツの旗 マルコ・ヴェルナー
オーストリアの旗 フィリップ・ピーター
アウディ・R8 LMP900 372 3位 3位
2005年 イギリスの旗 ロールセンター・レーシング イギリスの旗 ボビー・バードン=ロー
スイスの旗 ハロルド・プリマ
ダラーラ・SP1-日産 LMP1 133 DNF DNF
2012年 アメリカ合衆国の旗 ハイクロフト・レーシング イギリスの旗 マリーノ・フランキッティ
日本の旗 本山哲
デルタウイング-日産 UNC 75 DNF DNF
2013年 イギリスの旗 グリーヴス・モータースポーツ イギリスの旗 ヤン・マーデンボロー
スペインの旗 ルーカス・オルドネス
ザイテック・Z11SN-日産 LMP2 327 9位 3位
2015年 日本の旗 NISMO イギリスの旗 ハリー・ティンクネル
イギリスの旗 アレックス・バンコム
日産・GT-R LM NISMO LMP1 242 NC NC

アメリカン・オープンホイール

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CART

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 順位 ポイント
2001年 デイル・コイン・レーシング ローラ・B2K/00 フォードコスワース XF MTY
23
LBH
15
TXS NZR MOT MIL DET POR CLE TOR MIS CHI MDO ROA VAN LAU ROC HOU LGA SRF FON 31位 0

(key)

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ F3チャンピオンのクルムがF3000富士に童夢から出場 Racing On NO.178 21頁 1994年11月4日発行
  2. ^ FIA・グループST車両による選手権で、現在のドイツツーリングカー選手権(DTM)とは異なる
  3. ^ クルム/ルーア組ニッサンGT-R、FIA GT1王座獲得 AUTO SPORTSweb 2011年11月6日付
  4. ^ Michael Krumm Attacks Nürburgring in a Nissan GT-R NISMO(解説付き走行動画) nissan news room 2013年11月19日
  5. ^ 日産、"量販車ニュル最速"のスーパー・スポーツカー「GT-R NISMO」を正式発表! auto blog 2013年11月20日
  6. ^ 日産/ニスモ、2台のGT3マシンでニュルブルクリンク24時間レースに出場”. NISMO (2016年4月6日). 2020年8月3日閲覧。
  7. ^ ニュルブルクリンク24時間:「今日は100点!」KONDO Racingのニュル初挑戦は望外の好結果を残す”. autosport web (2019年6月24日). 2020年8月3日閲覧。
  8. ^ 日産/ニスモ、フォーミュラEとSUPER GTを柱に活動…2020年モータースポーツ”. Response. (2020年2月17日). 2020年8月3日閲覧。
  9. ^ NISMOドライビングアカデミー”. NISMO. 2020年8月3日閲覧。
  10. ^ 「すごく助かっている」フェネストラズに強力助っ人。ミハエル・クルムがKONDO RACINGのドライバーサポートを担当 - オートスポーツ・2022年3月7日
  11. ^ 伊達公子さんが選んだ国際結婚”. All About (2001年1月12日). 2020年8月3日閲覧。
  12. ^ Krumm sets the date.”. Crash.Net (2001年11月1日). 2020年8月3日閲覧。
  13. ^ 伊達、クルム夫妻が結婚トークショー”. nikkansports.com (2008年2月24日). 2020年8月3日閲覧。
  14. ^ ミハエル・クルム、伊達公子との離婚を発表”. 2016-09-27. 2020年8月3日閲覧。
  15. ^ “ミハエル・クルムさん、1年前に再婚していた 元妻・伊達公子さんとは離婚後も“仲良し”交流”. スポーツニッポン. (2021年12月27日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/12/27/kiji/20211227s00041000347000c.html 2022年9月28日閲覧。 

外部リンク

[編集]
タイトル
先代
トム・クリステンセン
全日本F3選手権
1994年
次代
ペドロ・デ・ラ・ロサ