トヨタ自動車

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トヨタ自動車株式会社
Toyota Motor Corporation
Toyota.svg
Headquarter of Toyota Motor Corporation 3.JPG
トヨタ自動車 本社
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7203
1949年5月16日上場
大証1部(廃止) 7203
1949年5月16日 - 2013年7月12日
名証1部 7203
1949年5月16日上場
札証 7203
福証 7203
NYSE TM
1999年9月29日上場
略称 トヨタ、TMC
本社所在地 日本の旗 日本
471-8571
本店:
愛知県豊田市トヨタ町1番地
東京本社:
東京都文京区後楽一丁目4番18号
トヨタ自動車東京本社ビル
名古屋オフィス:
名古屋市中村区名駅四丁目7番1号
設立 1937年昭和12年)8月28日
(トヨタ自動車工業株式会社)
業種 輸送用機器
法人番号 1180301018771
事業内容 自動車(車種一覧を参照)
代表者 内山田竹志代表取締役会長
豊田章男(代表取締役社長
資本金 3970億4900万円(2016年3月期)[1]
発行済株式総数 33億3799万7492株[1]
売上高 連結:28兆4031億1800万円
単独:11兆5858億2200万円
(2016年3月期)[1]
営業利益 連結:2兆8539億7100万円
単独:1兆4021億2600万円
(2016年3月期)[1]
経常利益 連結:2兆9833億8100万円
単独:2兆2840億9100万円
(2016年3月期)[1]
純利益 連結:2兆3126億9400万円
単独:1兆8103億7000万円
(2016年3月期)[1]
純資産 連結:18兆0881億8600万円
単独:10兆8594億4300万円
(2016年3月期)[1]
総資産 連結:47兆4275億9700万円
単独:16兆1002億0900万円
(2016年3月期)[1]
従業員数 連結:36万4445人
単独:7万2721人
(2017年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
会計監査人 PwCあらた有限責任監査法人
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行 10.6%
豊田自動織機 6.63%
日本マスタートラスト信託銀行 4.4%
日本生命保険相互会社 3.56%
ステート・ストリート・バンク・アンド・トラスト・カンパニー 3.4%
デンソー 2.56%
ジェーピーモルガンチェース 2.17%
ザ・バンク・オブ・ニューヨーク・メロン・アズ・デポジタリ・バンク・フォーデポジタリ・レシート・ホルダーズ 1.98%
資産管理サービス信託銀行 1.89%
三井住友海上火災保険株式会社 1.83%
(2016年3月31日現在)
主要子会社 トヨタ車体 100%
トヨタ自動車東日本 100%
トヨタ自動車北海道 100%
トヨタ自動車九州 100%
ダイハツ工業 100%
トヨタホーム 87.80%
豊田中央研究所 54.00%
日野自動車 50.11%
豊田合成 42.80%
トヨタ紡織 39.36%
デンソー 24.77%
愛知製鋼 23.71%
豊田自動織機 23.51%
ジェイテクト 22.57%
アイシン精機 22.25%
豊田通商 21.50%
SUBARU 16.77%
いすゞ自動車 5.89%
東和不動産
名古屋グランパス
トヨタグループの組織を参照
関係する人物 豊田佐吉(トヨタの始祖)
豊田利三郎(初代社長)
豊田喜一郎(第二代社長、実質的創業者)
石田退三(第三代社長、中興の祖)
豊田英二(第五代社長、元最高顧問)
豊田章一郞(第六代社長、名誉会長)
奥田碩(第八代社長、相談役)
張富士夫(第九代社長、元名誉会長)
渡辺捷昭(第十代社長、相談役)
豊田章男(現社長)
外部リンク www.toyota.co.jp
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トヨタ自動車株式会社(トヨタじどうしゃ、: Toyota Motor Corporation)は、日本の大手自動車メーカートヨタグループの中核企業で、源流は豊田自動織機である。通称「トヨタ」、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。ダイハツ工業と日野自動車の親会社である他、SUBARUの筆頭株主でもある(株式保有比率16.48%)。TOPIX Core30の構成銘柄の一つ。

単一の自動車メーカーでは世界最大であり、グループとしては2016年度においては世界第2位である。ダイハツ工業日野自動車を含めたトヨタグループの2014年 世界累計販売台数は1023万台[2]

本社がある豊田市はもともと奈良時代から約1,300年間「挙母(ころも、挙母市)」と称されて来た歴史ある土地であったが、1959年にトヨタ自動車に拠り「豊田(豊田市)」へ改称することが市議会で決議、本社所在地の表示は「挙母市大字下市場字前山8番地」から「豊田市トヨタ町1番地」に変わっている[3]。日本全国の企業城下町の中でも、市名が企業名に変更されるのは異例である。

目次

歴史[編集]

創業[編集]

実質的創業者の第2代社長 豊田喜一郎

豊田佐吉(人名は「とよ」と濁る)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)内に、1933年9月に開設された自動車部がトヨタ自動車の起源で、自動車部設置にあたり、中京デトロイト構想創案者の川越庸一(大同メタル工業創立者)が豊田喜一郎を説き伏せ、自動車部設置に至った。初代自動部部長に川越庸一氏が迎え入れられた。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎[注釈 1]であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿で喜一郎の義兄である豊田利三郎である。

織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年11月にG1型トラックを発表。翌1936年9月には同社初の量産乗用車であるAA型乗用車を、また同時にG1型の改良型であるGA型トラックを発表し、1937年には独立した新会社が設立された(設立は8月28日であるが、本社工場が竣工された11月3日を創立記念日としている)。

豊田自動織機製作所自動車部時代は、社名中の「豊田」の読みが「トヨダ」であったため、ロゴや刻印も英語では「TOYODA」でエンブレムは漢字の「豊田」を使用していた。しかし1936年夏に行われた新トヨダマークの公募で、約27000点の応募作品から選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマークだった。その理由としては、デザイン的にスマートであること、画数が8画で縁起がいいこと、個人名から離れ社会的存在へと発展することなどが挙げられている[4]1936年9月25日には「トヨタ(TOYOTA)」の使用が開始され、翌年の自動車部門独立時も「トヨタ自動車工業株式会社」が社名に採用された。

初期[編集]

1936年に発売されたAA型乗用車(復元車)

1941年、利三郎は会長に退き第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。日中戦争および太平洋戦争中は主に帝国陸軍向けのトラックと、少数ではあるがAA型乗用車および派生型であるAB型(ABR型)・AC型などを生産。大戦末期である1945年8月14日、挙母工場がアメリカ軍による爆撃の憂き目に遭い、工場の約4分の1が破壊された。そして翌15日、爆撃による被害の復旧工事を行っているさなかに、終戦を迎えた。

1945年トヨタ本田宗一郎が経営する下請け会社「東海精機」の株式を全て取得しているが、本田はこの売却益を元手に本田技研工業の母体となる本田技術研究所 (旧)を設立し、後の本田技研工業に繋がっている。

1950年ドッジ・ラインに伴うデフレと、戦前の好調を支えた割賦販売(ローン)方式が足を引っ張ってトヨタ自工は経営危機に陥った。豊田喜一郎社長は辞任に追い込まれたが、直後に朝鮮戦争が勃発して軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始した。

この経営危機時、都銀・地銀含めトヨタと取引のあった銀行24行による協調融資団が結成される中、帝国銀行三井銀行と改称、現・三井住友銀行)、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(トヨタ自販)が設立された。この時に、融資に協力した帝国銀行と東海銀行がメインバンクとなる。またこの融資条件の中には合理化も含まれており、トヨタは初のリストラを断行している。

逆に貸付金の回収をした大阪銀行(住友銀行と改称、現・三井住友銀行)は、住友が三井銀行の後身であるさくら銀行と合併するまで50年間も口座の開設・取引をされることはなかった。また、千代田銀行(三菱銀行と改称、現・三菱東京UFJ銀行)とは取引解消にはならなかったものの、再建策には消極的であった。このため、住友銀行ほどではなかったが、長らく三菱銀行(およびその後身である東京三菱銀行)は、海外での資金調達や決済など一部に限られ、三菱が東京銀行と合併するまで45年間、全面的な口座・取引をされることはなかった。

中興[編集]

カローラは33年連続で国内販売台数1位を獲得し、日本のモータリゼーション発展に貢献した。

喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはクラウン1955年)、コロナ1957年)、ダイナ1959年)、パブリカ1961年)などロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。1956年クラウンがロンドン-東京間を走破、国産自動車メーカー各社の自信となった。その後中川不器男社長時代にはスポーツ8001965年)、カローラ1966年)、ハイエース2000GT1967年)などを発売。カローラの躍進により、トヨタはシェアトップを不動のものとした。

この頃日本のOECD加盟により外国車の輸入が自由化されたため、日本の自動車メーカーは生産力に勝るGM・フォードに対抗するべく業界再編が行われていた。シェア首位のトヨタは独占禁止法の関係で他社を合併吸収することが認められなかったため[5]1966年には日野自動車[6]1967年にはダイハツ工業[7]と業務提携した。日野はトヨタの生産ノウハウを吸収してトヨタの小型車生産を請け負い、ダイハツはカローラやパブリカの事実上の上級モデルであるシャルマンコンソルテを開発・販売しながら四輪開発の経験を積んだ。こうしてトヨタは「200万台体制」に向けた準備を整えた。

豊田英二社長の時代にはセンチュリー(1967年)、スプリンターマークII1968年)、カリーナセリカライトエース1970年)、スターレット1973年)、タウンエース1976年)、ターセルコルサ1978年)、カムリ1980年)、ソアラ1981年)などを発売し、公害問題や排ガス規制などに対処した。販売面では1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店トヨペット店カローラ店オート店1998年に「(旧)ネッツ店」に改称)とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

企業統廃合[編集]

最新技術を多数投入し、トヨタのイメージリーダーとなったソアラ

1982年にトヨタ自工とトヨタ自販が合併し、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郞が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のビスタマスターエース1984年ハイラックスサーフMR21985年カリーナED1986年スープラ1989年セルシオ1991年ウィンダムなど次世代のトヨタを担う車種を発売し、国内販売高トップの座をさらに強固なものにした。

1989年にはアメリカを主要マーケットとしたトヨタの上級ブランド「レクサス」を立ち上げた。レクサス・LS (日本名、セルシオ) の成功は、日本車が高級乗用車としても通用することを証明した。

1992年に章一郞は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。時代はトヨタの得意とするセダン・クーペのような高級感・格好良さよりも、SUVやミニバンのような実用性を重視する分野へと移り変わって行き、シェアは一時40%を切った。トヨタはセダンに力を入れる一方、ミニバンのエスティマ(1990年)や、クロスオーバーSUV(CUV)の先駆けとなるRAV4(1994年)を投入して状況に対応した。不況の続く中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。

日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ[編集]

第8代社長・第7代会長の奥田碩により積極的な海外販路拡大路線が推し進められた。
LS460は日本車として初めて世界カーオブザイヤーに輝いた

奥田は創業家出身の会長の章一郞を後ろ盾に、業績が下降していたトヨタを再生させ、積極的な海外販路拡大路線を開始した。1997年に高級SUVの先駆けとなるハリアーと、世界初の量産ハイブリッドカープリウスの販売を開始し、1999年ヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。張は奥田の海外販路拡大路線をさらに推し進め、2002年 頃以降は年間50万台ものペースで海外販売台数が急拡大し始めた[8]2003年 には2代目プリウスの販売を開始したが、この成功は「ハイブリッドカーを擁する環境先進企業・トヨタ」のイメージを確立させる事に成功した。また、2000年 からは、部品の設計開発段階からの原価低減を目指したCCC21活動を開始し、ピーク時の2003年には3,000億円の原価低減を達成した[9]。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、トヨタグループ連結子会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年には、旧ネッツ店とビスタ店が統合され、新生・ネッツ店として再出発した。

傘下企業の関係強化も進み、1998年にはダイハツ工業[7]2001年には日野自動車の株式の過半数を取得した[6]

2005年には張の後任として渡辺捷昭が社長に就任した。渡辺も、奥田社長時代以降続いている拡大路線を継続しつつ、CCC21活動を発展させてシステム単位での原価低減を目指すVI活動を開始した[9]。同年、トヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が完成。8月にはレクサス店の日本導入を果たした。10月にはゼネラルモーターズが保有していた富士重工業株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表した。2007年には世界販売台数が過去最多の936万6,418台を記録し (世界2位、生産台数は世界1位)、2008年3月期の連結営業利益も過去最高となる2兆2703億円を記録した[10]。また2007年には、名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。

消滅危機からのV字回復[編集]

本格的な世界展開を狙って発売された3代目プリウス
スピンドルグリルを採用するレクサス・RC F

しかし、2008年に起こったリーマン・ショックが世界の自動車販売台数を急減させると、拡大路線をひた走ってきたトヨタは大打撃を受け、2009年3月期の連結営業利益が4,610億円の赤字となり58年ぶりに赤字に転落した[11]。ただし2008年の年間世界販売台数ではGMの販売台数の方が落ち込みが激しかったため、897万2,000台の販売台数を記録したトヨタグループが初めて販売台数世界一となった[12]。この自動車市場の冷え込みに加えて、2009年 から2010年 にかけて大規模リコールが発生したため、トヨタの経営は一転して危機的状況に陥った。この危機に対して、2009年6月に新社長に就任したばかりの創業家出身の豊田章男は、トヨタがジェームズ・C. コリンズが言うところの企業消滅手前の「企業凋落の4段階目」に瀕していると表明した[13]。さらに、2011年には、東日本大震災タイ大洪水が発生し、2010年から続く記録的な円高もあって、トヨタグループの世界販売台数はGMとフォルクスワーゲングループに抜かれて世界3位に後退した。このように苦しい経営が続いたため、2008年から、さらなる原価低減を目指す緊急VA活動を開始し、全社VA活動、VA開発部の発足まで発展させ[14][15]、2011年から、意思決定の迅速化のために大幅に取締役を削減した上で海外事業体にいくつかの権限を委譲し[16][17]、商品力の飛躍的向上と原価低減を同時に達成する新しい設計開発思想「TNGA」の導入を開始するなど[18]、様々な企業努力を行った。

2012年には過去最多となる世界販売台数974万7,762台を達成し、2年ぶりに世界販売台数1位を奪還した[19]。また、2012年末からのアベノミクスの金融緩和による円安で、2013年3月期はリーマン・ショック後初で5年ぶりとなる営業利益1兆円越えを達成する。

2013年4月には、レクサス・インターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つのビジネスユニットを新設し、意思決定をさらに迅速化させた。これは1982年の工販合併後の最大の組織改編であった[20][21]。同年のグループ年間生産台数は1011万7274台を記録し、世界の自動車メーカーの中で初めての年間生産台数1000万台超えを達成し[22]、翌2014年は、年間販売台数でも初の1000万台超えを達成した[2]。2015年3月期では日本企業で初の純利益2兆円越えを達成し、2016年3月期売上高28兆4千億円は、5大商社である三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅を抑え日本1位である[23]

2015年6月には、一般投資家向けに中長期保有を前提とした元本保証の種類株式『AA型種類株式』の発行を発表[24]。即座に業績へ反映されない研究開発に投資するのが目的とされる[25]。株式名はトヨタ初の量産乗用車AA型にちなんで命名された。

2016年3月1日にヤマハ発動機に対抗するためヤンマーホールディングスヤンマー)とマリン事業分野において業務提携を[26]発表、また同年4月4日にマイクロソフトと合弁でコネクテッドカー関連の研究開発および商品開発を行う新会社「Toyota Connected」(トヨタ・コネクテッド)設立を発表[27]

2016年4月から、意思決定のさらなる迅速化と次世代リーダーの育成を目的に、専務役員がプレジデントを務める7つの部門からなるカンパニー制を導入した[28][29]

2017年2月には、スズキと業務提携に向けて基本合意した[30]。さらには8月にマツダとも株の持ち合いによる資本提携と技術提携を締結した[31]

最高幹部[編集]

Mr. Akio Toyoda.jpg
創業家出身の第11代代表取締役社長豊田章男

役員一覧[編集]

取締役
代表取締役会長 内山田竹志
取締役副会長 早川茂
代表取締役社長
(兼執行役員社長)
豊田章男
取締役
(兼執行役員副社長
ディディエ・ルロワ (Didier Leroy)
寺師茂樹
永田理
取締役
社外取締役
宇野郁夫
加藤治彦
マーク・ホーガン(Mark T. Hogan)
監査役
常勤監査役 中津川昌樹
加藤雅大
香川佳之
監査役 和気洋子
北山禎介
小津博司
執行役員の体制
社長
(兼取締役)
豊田章夫
副社長
(兼取締役)
ディディエ・ルロワ (Didier Leroy)
寺師茂樹
永田理
副社長 河合満
専務役員 17名
常務役員 29名

名誉会長[編集]

名誉会長 豊田章一郎

(2017年6月14日付[32]

歴代社長[編集]

トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の社長の変遷

トヨタ自動車工業株式会社 社長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Rizaburo Toyoda cropped Rizaburo Toyoda.jpg 豊田利三郎 1937年8月 1941年1月 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任
2 Kiichiro Toyoda.jpg 豊田喜一郎 1941年1月 1950年6月
3 Replace this image JA.svg 石田退三 1950年7月 1961年8月 石田は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任
4 Replace this image JA.svg 中川不器男 1961年8月 1967年10月 中川は在任中に死去
5 Replace this image JA.svg 豊田英二 1967年10月 1982年7月 英二は退任後、トヨタ自動車会長に就任
トヨタ自動車販売株式会社 社長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Replace this image JA.svg 神谷正太郎 1950年4月 1975年12月 神谷は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任
2 Replace this image JA.svg 加藤誠之 1975年12月 1979年6月 加藤は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任
3 Replace this image JA.svg 山本定藏 1979年6月 1981年6月
4 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg *豊田章一郎 1981年6月 1982年6月
トヨタ自動車株式会社 社長
氏名 就任日 退任日 補足 備考
1 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg *豊田章一郎 1982年7月 1992年9月 工販合併前からは通算6代目 退任後、会長に就任
2 Replace this image JA.svg 豊田達郎 1992年9月 1995年8月 工販合併前からは通算7代目 退任後、副会長に就任
3 Hiroshi Okuda.jpg 奥田碩 1995年8月 1999年6月 工販合併前からは通算8代目 退任後、会長に就任
4 Fujio Cho.jpg 張富士夫 1999年6月 2005年6月 工販合併前からは通算9代目 退任後、副会長に就任
5 Replace this image JA.svg 渡辺捷昭 2005年6月 2009年6月 工販合併前からは通算10代目 退任後、副会長に就任
6 Akio Toyoda cropped 3 Akio Toyoda 20110818 1.jpg 豊田章男 2009年6月 (現職) 工販合併前からは通算11代目

 *現名誉会長

歴代会長[編集]

トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の会長の変遷

トヨタ自動車工業株式会社 会長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Rizaburo Toyoda cropped Rizaburo Toyoda.jpg 豊田利三郎 1941年1月 1945年11月 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業監査役に就任
2 Replace this image JA.svg 石田退三 1961年8月 1971年7月 石田は退任後も、兼任するトヨタ自動車販売監査役を継続
3 Replace this image JA.svg 齋藤尚一 1972年12月 1978年9月
4 Replace this image JA.svg 花井正八 1978年9月 1982年7月 花井は退任後、トヨタ自動車相談役に就任
トヨタ自動車販売株式会社 会長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Replace this image JA.svg 神谷正太郎 1975年12月 1979年6月 神谷は退任後、トヨタ自動車販売名誉会長に就任
2 Replace this image JA.svg 加藤誠之 1979年6月 1982年6月 加藤は退任後、トヨタ自動車監査役に就任
トヨタ自動車株式会社 会長
氏名 就任日 退任日 補足 備考
1 Replace this image JA.svg 豊田英二 1982年7月 1992年9月 工販合併前からは通算5代目 退任後、名誉会長に就任
2 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg *豊田章一郎 1992年9月 1999年6月 工販合併前からは通算6代目 退任後、名誉会長に就任
第八代経済団体連合会会長
3 Hiroshi Okuda.jpg 奥田碩 1999年6月 2006年6月 工販合併前からは通算7代目 退任後、相談役に就任
初代日本経済団体連合会会長
4 Fujio Cho.jpg *張富士夫 2006年6月 2013年6月 工販合併前からは通算8代目 退任後、名誉会長に就任
5 Replace this image JA.svg 内山田竹志 2013年6月 (現職) 工販合併前からは通算9代目

 *現名誉会長

グループ会社・関連会社[編集]

トヨタ自動車は、戦後すぐに経営危機に陥った時に、日本銀行名古屋支店長の斡旋で、帝国銀行東海銀行の融資により、これらを取引銀行としてきた。三井二木会・三井業際研究所・綱町三井倶楽部に加盟し、三井二木会にはオブザーバーとして参加している。また、豊田章一郞(名誉会長)の妻は三井家の出身であった。

昔の六大企業グループとは、三菱金曜会三井二木会住友白水会一勧三金会芙蓉会三和三水会である。

豊田綱領
  1. 上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を拳ぐべし
  2. 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
  3. 華美を戒め、質実剛健たるべし
  4. 温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
  5. 神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

トヨタグループを形成した先人たちは創業以来の理念をまとめ、「豊田綱領」として制定し、その精神が長く継承されることを願った。この理念は、グループ各社の社是や基本理念に引き継がれ、それ以後グループに参画する会社も理念を共有してきた。佐吉の6回忌に当たる昭和10年10月30日、豊田紡織本社工場内の佐吉の胸像前に従業員が整列し、同社の取締役支配人・岡本藤次郎が「豊田綱領」を朗読し、その実践を誓約したのである。

トヨタグループ(主要13社であるデンソー、トヨタ車体、アイシン精機、豊田自動織機、トヨタ自動車東日本、トヨタ紡織、ジェイテクト、豊田通商の概要を含む)

ドッジラインによる不況の深刻化とそれに続く労働争議により、トヨタは危うい時期に立っていた。この苦境を救ったのが、1950年6月に勃発する朝鮮戦争による大量受注である。トヨタの生産台数は急伸し、グループの自動車関連会社も業績を好転させた。国民所得が上昇すると、耐久消費財の需要が伸び、昭和40年代に入ると3C(カラーテレビ、カー、クーラー)が「新三種の神器」としてもてはやされた。しかし東京オリンピック後の不況で紡織は経営危機に直面し、日本電装(現・デンソー)から自動車用部品の生産を受け、事業の重点を自動車へと移していく。これは、トヨタグループがいよいよ自動車事業に主軸を置くグループになったことを象徴する大きな出来事であった。グループ各社は、現地との調和を図りながらグローバル展開を一段と加速させた。北米でトヨタは、平成8年から15年にかけてインディアナ州やテキサス州そしてメキシコにおいて新たな生産会社を、アラバマ州とウェストバージニア州にエンジン製造会社を設立し、北米市場向けのミニバンやトラックの生産を始めた。ヨーロッパでは平成4年のイギリスに次いでトヨタの生産拠点としてフランスの工場が13年に稼働を始め、さらに合併会社を設立させたチェコでも17年から小型車を生産開始した。6年に生産を開始したトルコの生産規模も増強し、ヨーロッパへの輸出を強化させた。グループ各社の部品供給ワークも格段に整備させた。デンソーは、エアコンの生産会社を主要国に次々と設立したのをはじめ、燃料部品装置の生産会社を他国に設立した。豊田自動織機と共同出資の生産グループもドイツに設立した。そして17年6月に車両生産工場の建設工事を開始させた。そしてトヨタグループは、世界最大の人口を抱え、市場の将来性が大いに期待される中国での事業を重要案件の一つに位置づけ、自動車産業の発展に貢献する活動を行っている。1994年9月の完成車と自動車部品の現地生産を推進する意思を正式に伝え、以後、トヨタグループの中国での現地生産が本格的に開始させたトヨタ自動車幹部の中国訪問の実現、トヨタ自動車(グループ)の生産拠点も豊田通商や現地部との合併を含めて相次いで開始され、2005年には50拠点に至たる。各社が生産拠点をもつ東南アジアにおいても新たな拠点の新設と相互補完体制づくりが大きく進展した。また中国と並んで21世紀の巨大市場と目され将来性が大いに期待される南アジアや南米でもグループの生産拠点に支えられ、トヨタの生産体制は強化された。 2004年10月、名古屋で世界会議(ITS)が開催された。この年の世界会議ではメイン会場となった名古屋国際会議場で夢いっぱいITS未来博が開催されたのを筆頭に、2005年、愛知県常滑市沖に中部国際空港「セントレア」が開港し、翌年3月には、日本国際博覧会である「愛・地球博」を開幕させた。名古屋では、セントレアと日本国際博覧会開催に向けて公共交通機関や新しい道路が整備され名古屋駅前でも再開発事業が次々と進展した。トヨタグループの東和不動産(1953年-)は、2002年12月に名古屋駅前にセンチュリー豊田ビルを完成させたのに続き、2004年11月にはトヨタと毎日新聞社などの3社共同によるミッドランドスクエアを完成させた。

参考文献
『 絆-豊田集団からトヨタグループへ 』
『 絆-目で見るトヨタグループ史 』

現在提携をしている企業[編集]

  • ヤマハ発動機 - 2016年6月30日現在3.58%の株式を保有。トヨタ自動車とは提携関係である。車両用エンジン開発、製造、モータースポーツ、マリン事業の提携。古くからトヨタ2000GT開発などで協力関係があり、現在も一部のトヨタ・レクサス車のエンジン生産委託を請け負っている。またトヨタからヤマハへはマリン用エンジンを供給している。
  • SUBARU - 旧社名・旧法人名は富士重工業。17%の株式を保有する筆頭株主。資本提携以前からG-BOOKでは提携していた。86/BRZの共同開発を行ったり、一時期稼働率の下がっていた富士重工北米工場でカムリの生産を受託した。
  • PSA・プジョーシトロエン - チェコに合弁企業TPCA(トヨタ・プジョー・シトロエン・オートモービル)を設立。小型車を共同開発している。
  • いすゞ自動車 - 株式を5.89%保有する第3位の大株主。
  • ロータス・カーズ - 古くから互いに技術提供をしあっていた。現行のロータス車の公道モデルは全てトヨタエンジンを搭載している。
  • スズキ - スズキ創業者と当時の社長が同郷で、古くから縁がある。スズキがバイク事業に参入するときにトヨタディーラーでスズキのバイクを販売したり、排ガス規制に対応できなかったときトヨタを通じてダイハツのエンジン供給を受けた。そのためスズキには「なにかあったらトヨタを頼れ」という教えがあるとされる。現社長の俊宏はトヨタ系列のデンソーで下積みをしており、社長になったときも同業他社で唯一トヨタに訪問挨拶をした[33]。2017年には包括的提携をすることで合意した。
  • マツダ - アクセラのハイブリッドシステムを供給している。またマツダのメキシコ工場でブラジル向けに生産する予定であった台数が政治的事情で見込めなくなった時、トヨタにヤリスiAとしてOEM生産することで乗り切っている[34]。2017年には資本提携をすることで合意し、EVを開発するための合弁会社「EVシー・エー・スピリット」も共同出資で設立した。
  • フォード - 旧くは1950年に技術提供を受けている。2016年にも車内IT技術で提携することに合意している。
  • BMW - ハイブリッド技術を供与し、ディーゼルとカーボン技術の提供を受けることで2011年に提携。燃料電池車、スポーツカーの共同開発も行っているとされる。
  • KDDI - 前身のケイディディ(←日本高速通信)・日本移動通信の流れで同社大株主。2008年現在京セラに次ぐ第2位。
  • 中部国際空港
  • トヨタL&F
  • トヨタテクノクラフト(TTC) - TRDブランドで有名。トヨタの特装車やレーシングカーの開発を行う。

かつて提携をしていた企業[編集]

ランキング指標による企業評価[編集]

  • 日本経済新聞が発表する日本国内のランキングで1位である。(2016年3月付)
  • 売上高ランキング[37]
  • 営業利益ランキング[38]
  • 経常利益ランキング[39]
  • 当期利益ランキング[40]
  • 時価総額ランキング[41]
  • 米国コンサルティング会社のインターブランドが発表する世界の企業ブランド価値ランキング(2013)で国内1位[42]

創業家としての豊田家の存在[編集]

「豊田家はトヨタグループの求心力であり、旗でもある」(当時の奥田会長談)とあるように、創業者一族である豊田家はトヨタグループ各社の中核を担う。創業家の長期に渡る介入は、しばしば経営に混乱をもたらすことがあるが、トヨタの場合はむしろ巨大グループを安定的にまとめ上げる役割を果たしてきた経緯があるとされる。現職者・関連企業役員は下記のとおりである。

豊田家系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田佐助
 
 
 
豊田平吉
 
 
 
 
浅子
 
(1)豊田佐吉
 
たみ
 
 
 
 
三井高棟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田稔
 
豊田芳年
 
豊田英二
 
豊田利三郎
 
愛子
 
(2)豊田喜一郎
 
三井高長
 
興子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田周平
 
豊田鐵郎
 
豊田幹司郎
 
豊田大吉郎
 
豊田達郎
 
(3)豊田章一郞
 
博子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(4)豊田章男

※丸数字は豊田本家の代数

経営[編集]

ハイラックスは6代目まで、日野自動車の羽村工場で組み立てがされていた

前述の1950年の経営危機を教訓とし、大野耐一が中心となって「改善(カイゼン)」、ジャストインタイム(JIT、カンバン方式)からなるトヨタ生産方式を確立した。

1960年代以降は関東自動車工業(現・トヨタ東日本)・豊田自動織機日野自動車ダイハツ工業といったグループ企業との資本提携を活用し、共同開発や生産・組み立ての委託でコスト削減をしつつ、グループ全体の工場の稼働率を高めている。またスポーツカーの分野でも、長きにわたりヤマハ発動機にトヨタエンジンのDOHC化を委託している。

一方で日本販売モデルに関しては、現代製造業では多く見られるような生産拠点の海外移転はほとんど行わない。近年の円高が厳しい中でも『国内生産300万台体制』に強いこだわりを持っており、北米が主力市場のカムリも堤工場での生産を継続するなど、日本の雇用創出に貢献している[49]

銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされる。しかしこれはあくまで単独会計の場合であり、連結子会社においては有利子負債が相応に存在し、また顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算においては企業規模相応の有利子負債が存在する。一方で、多大な自己資本を抱え、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算において日本企業初の連結経常利益1兆円を超え、さらに2004年3月期の通期決算では、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の1兆円超えを達成した。そして2007年3月期連結決算(米国会計基準)では営業利益が2兆2,386億円となり、日本企業として初の2兆円の大台を突破し、2008年3月期には7年連続で最高記録を更新し営業利益を2兆2,703億円まで伸ばしたことからマスコミから絶賛された[10]。2008年中頃から2012年末頃まではリーマン・ショックや大規模リコール、東日本大震災やタイ大洪水等の天災、超円高などにより、業績が悪化したが、経営改革、商品力の向上、原価低減に努め、超円高が是正されたことで2013年3月期に業績が回復、2012年の年間販売台数も、2007年の販売台数を超えて過去最高となる974万7,762台を記録した[19]。 (詳細はトヨタ自動車#歴史を参照)。2014年3月期には営業利益が2兆2921億円となり6年ぶりに過去最高を更新し、2015年3月期でも営業利益2兆7556億円として過去最高を更新、純利益は2兆1733億円を記録し日本企業初の純利益2兆円超えを達成した。

近年では社会貢献活動に力を入れており、2006年1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国での植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。

開発思想[編集]

80点+α主義[編集]

クラウンは保守的なイメージが強いが、実は先進的な技術やデザインが採用されることが多い。
ニュルブルクリンクで徹底的に走り込んだシャーシとキーンルックを併せ持つC-HRは、現代トヨタの象徴と言える。

1961年にトヨタが発売した初代パブリカは、ラジオ・ヒーター・リクライニングシートなどの快適装備を排除することで、安さにおいては100点といえる水準を実現した。しかし販売は不振で、原因を分析したところ「少々高くても良い車を買いたい」という、高度経済成長の中の消費者心理の変化があることが分かった。そこで快適装備を加えたデラックスモデルを発売した結果、販売台数を伸ばすことに成功した。

この時の教訓から『80+α点主義』という思想が生まれる。これは初代パブリカ及び初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した、次の様な考え方である。

幅広くファミリーカーとして使っていただくためには、性能、居住性、フィーリングなどで満点に近い評価であっても、価格や維持費の面でお客様の手が届かないものでは大衆車としては失格である。また、安くするために品質を落としてはならず、あらゆる面で80点以上の合格点でなければならない。その一方で、全てが80点では魅力のないクルマになってしまう。これだけはほかには負けないというものがいくつかあって、初めてお客様の心をとらえることができる。 — 長谷川龍雄、『カローラの哲学―カローラの生みの親』

初代カローラは快適性を80点にまで高めた上で「+α」をスポーツ性にすることに決まり[50]、ライバルの日産・サニーを上回る「100ccの余裕」と、当時珍しかったマクファーソン・ストラット式サスペンション、フロア式変速シフトなどが盛り込まれた[注釈 2]。結果カローラは国民車としての地位を確立し、他社にも大きな影響を与えた。

しかしこの欠点を優先して潰していく思想は、やがて「+α」を無視した「80点主義」の名で独り歩きし、車好きたちから「トヨタは退屈」「個性がない」「車を白物家電化させた」という非難を生む原因ともなった[注釈 3]。そのため、トヨタは時折退屈イメージからの脱却を図ってきた。

2009年に豊田章男が社長に就任して以降は「もっといいクルマをつくろうよ」というスローガンのもとに、基本性能の向上のみならず気持ちの良い走行フィーリングや、消費者が愛情を注げるような車作りも意識し始めている。「キーンルック」やレクサスの「スピンドルグリル」といった個性的なデザインを採用して「退屈」から脱却を目指す他[注釈 4]ニュルブルクリンクやレースでスポーツカー以外の開発車両も頻繁に走り込ませてシャーシの出来を向上させるようになった。また2015年に導入した新プラットフォーム「TNGA(Toyota New Global Architecture)」では低重心・走りの楽しさも追求しており、従来のトヨタとは反対の評価を得つつある。

トヨタのスポーツカー思想[編集]

カローラの派生であるAE86は、保守的な構造と最新のDOHCエンジンによりチューニングカー文化を刺激した。
スープラは日本初の6速トランスミッションとツインターボで90年代を風靡した。

MR2のような例外もあるが、トヨタのスポーツカーは基本的に『80点+α主義』からは大きく逸れておらず、多くの人がスポーツカーの運転を楽しめるようクセが無く乗りやすいものが多い。カローラの派生クーペであるスプリンターレビンや、それらと別のプラットフォームを採用していたセリカソアラセラMR-Sも、馬力やサーキットのタイムをスパルタンに追求するよりも、一般の乗用車としての品質も高くてスポーツカーの味も楽しめるような、いわば「スペシャリティカー」「スポーティーカー」「グランドツアラー」に分類されるマイルドなものが多かった。

中には2000GT1600GTセリカGT FourスープラRC FLFAのようなサーキットやラリーでの走行を最重視して開発した車種も存在するが、2000GTやスープラの性格自体はグランドツアラーであるとする見方が強い[51][52]

スペックやタイムの様な数字には表れない、我が意のコントロール性・官能的なフィーリングを優先する思想は現代でも息づいている。レクサス史上唯一のスーパーカーであるLFAミッドシップエンジンにする案もあったものの、特性がピーキーになることを嫌ってフロントエンジンで開発された[53]

ミドシップは確かに運動性能が高いが、スピンモードに入ると立て直すのは困難だ。限界領域でドライバーを突き放すようなクルマにすべきではないというのは、トヨタの基本理念であり、棚橋の信念でもあった。 — GAZOO.com、レクサスLFA――おもてなしのスーパーカー(2010年)

86/BRZもスバル水平対向エンジンを採用してでもフロントエンジンにするというこだわりぶりで、また四輪駆動+ターボが増えている中でも自然吸気のフィーリングを楽しんでもらうために、ターボもあえて装着しなかった[54]。その他G's・GRブランドでは、既存の乗用車を生産工程で強化したものを「スポーツカー」と呼んでいるが、限定生産のGRMNを除いてエンジンには手をかけておらず、シャーシの強化によるコントロール性や乗り味の向上に終始している。

現在のレクサス・日産ホンダフラッグシップクーペを比較すると、こうしたトヨタの思想はより顕著に見られる。日産・GT-Rホンダ・NSXはシステム合計で550馬力以上・時速300km超を叩き出すのに対して、レクサス・LC500/LC500hは最大480馬力、最高時速270km/250km程度に留まる。メカニズム面ではGT-RとNSXがどちらも四輪駆動+V6ツインターボエンジンである一方、LC500/LC500hは後輪駆動+V8/V6自然吸気エンジンで、スーパースポーツと呼べるスペックのライバルと比べると、速さよりも優雅・官能を楽しむことを追求したグランドツアラーなのが分かる。

こうした開発思想から、トヨタ車は速さのみをストイックに求めるレースは苦手なイメージが強いが、実際は素性が良いためチューニングでライバル以上の速さを見せることは多い。セリカGT Fourは市販車に近いとされるグループA規定下でランチアを破ってWRC王者になった他、カローラレビン前輪駆動カローラFXJTC(全日本ツーリングカー選手権)で総合優勝を飾るなどの活躍を見せた。またAE86やスターレットなどは土屋圭市谷口信輝織戸学服部尚貴などの名ドライバーを育てた[注釈 5]。近年もニュルブルクリンク24時間レーススーパー耐久全日本ラリー選手権など市販車に近い競技でヴィッツや86が複数回クラスチャンピオンになっている。

エンジンに関しては、かつて「ハイメカ・ツインカム」と呼ばれたDOHCエンジンが代表で、ヤマハ発動機がDOHC化したスポーツ用トヨタエンジン(2T-G3S-G)、トヨタの自社開発である4A-G2JZ-GTEなどが有名である。これらは高い耐久性とポテンシャルからチューニングのベースとしても人気を集めた。またこれらの高性能エンジンが4シーターのセダンマーク三兄弟アリストなど)やコンパクトカースターレットブレイドなど)にラインナップされ、「じゃじゃ馬」と呼ばれるほどの速さを見せることもあった。現在でもレクサスのクーペには、ヤマハと共同開発した2UR-GSEとトヨタ純製のGR系エンジンの双方がラインナップされている。またロータス・カーズは2006年以降の公道車は全てトヨタエンジン(1ZR-FAE2GR-FE)をチューニングしたものを搭載している。

現在はトヨタが得意とするエコ技術を用いたスポーツカーも研究されており、LC500hでは電気式無段変速機のハイブリッドカーでありながら、ドリフトも可能にすることを狙って開発された「マルチステージハイブリッド」を搭載している[55]。また全日本ラリー選手権ではスポーツ用CVTを研究するためのヴィッツが投入され、その成果がGRヴィッツに10段変速CVTとしてフィードバックされている。

トレンドの旗手[編集]

モノコック構造のクロスオーバーSUVの先駆けとなったRAV4

80点(+α)主義の印象から、トヨタは保守的で冒険をしないイメージが強いが、実際は埋もれたニーズを的確に掴んで、新たなトレンドや衰退しているジャンルを切り拓くことが多い。上述のカローラはその最たるもので、レクサスブランドでもISがその高性能な作りで北米における高級車の概念を変え、先攻していたホンダアキュラを抜き去った。その他にはセリカマーク三兄弟カリーナEDRAV4ハリアーヴィッツなどもジャンルの開拓者として知られる。

中にはニーズとは関係なくこだわりを貫き、それが結果的にトレンドになることもある。1970年代の排ガス規制下において、ホンダ日産がスポーツカーのDOHCエンジンを諦めOHVSOHCへと回帰する中で、トヨタは三元触媒TGP燃焼、酸化触媒の三方式やEFI(電子制御燃料噴射装置)、可変吸気システムを開発するなどして頑強にDOHCにこだわった[56]。そして現在、DOHCエンジンは一般的な乗用車にも搭載されるようになった。また1997年のプリウスで先鞭をつけたハイブリッドも同様に、今では軽自動車からスーパーカーメーカーまで採用する動力となっている。

逆に90年代にSUVブームに抵抗して『セダン・イノベーション』と称して従来のセダンに力を入れたり[57]、最後まで5ナンバースポーツカー(MR-S)の販売を貫いたが、実らなかったこともある[注釈 6]。現在も『セダンの復権』と称してカムリを日本投入したり、スポーツカー文化再興のために86/BRZRC-FLC500など新たなクーペを続々投入しているものの、依然としてSUV・コンパクトカー・ミニバンなどの優位性に苦戦している。

技術力[編集]

世界初の量産ソーラーパネル車となったプリウスPHV
トヨタ究極のシャーシ技術を結集したレクサス・LFA

スプリット式ハイブリッド技術の『THS』、可変バルブ技術の『VVT-i』、CVT技術の『Super CVT-i』、筒内直接噴射・ポート噴射併用技術の『D-4S』、燃料電池車技術の『TFCS』などが有名である。あまり知られていないものとしては、クリーンディーゼル技術においてもマツダの低圧縮比ディーゼルに対して、トヨタは断熱技術『TSWIN』を駆使した高圧縮比ディーゼルで同水準の燃費を実現している[58]

また高品質とコストダウンを両立する技術は、自動車業界のみならずあらゆる製造業者が参考にするほど高水準で知られる。たとえば、ドアやトランクリッドなどと外板の隙間(チリ)を狭く均一に仕上げる技術や、ドアの閉まり音、遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質管理には定評がある。手堅い既存技術をブラッシュアップし、低コストで質の高い製品を作る技術に長けており(←ものづくり)、顧客満足度は高い[注釈 7]。また優れた耐久性はトヨタの代名詞になるほどで、例えばタクシー専用車のコンフォートなどは100万キロ近く走行可能であり、業界シェアの8割を占めるほどの人気を示している[59]

トヨタが日本の量産車で初めて搭載したものとしては、

などがある。

また世界初の量産車技術としては

など、実用性・汎用性に優れた機能の開発での活躍が多い[60]

高い走破性と耐久力で知られるランドクルーザー
世界初の量産燃料電池車MIRAI

1970年代の排ガス規制が厳しくなった頃は本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC)の技術供与を受けたり、エンジンのDOHC化に関してはヤマハに委託するなど同業他社の援助を受ける場合もあったが、受け入れた技術に量産に見合う改良を施すことにかけては高い実力を発揮している。1980年代に焼結中空カムシャフトや焼結鍛造コンロッドなど最新の生産技術を駆使した軽量・高機能なエンジン「LASRE(Light-weight Advanced Super Response Engine)」を推進し[61]、低回転にも強いDOHCエンジンを独自開発。それまでスポーツカーの象徴であったDOHCをいち早く全乗用車にラインナップした。また90年代には「BEAMS(Breakthrough Engine with Advanced Mechanism System)」と呼ばれる、VVT-iD-4のような最新技術を開発して大幅な燃焼効率アップを達成した。近年はハイブリッド技術をマツダBMWに提供したり、燃料電池車の特許5000点以上を無料で開放するなど、他社への技術供与も行っている。

1960年代の業界再編期を以降はグループ内各社との共同開発が多くなっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。またSUBARU86/BRZを、ヤマハ発動機2UR-GSEのようなスポーツモデル用エンジンを共同開発しているように、自社の技術のみに拘泥せず消費者のニーズに応えるのが得意と言える。

ハイブリッドカーにおいては、1997年12月に「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の動力分割式ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。初期こそマイナーな存在であったが、二代目では原油価格高騰などを背景に販売台数を伸ばし、三代目に至っては最初の1か月間の受注台数が月販目標(1万台)の18倍(1年6か月分)にあたる約18万台を受注、納車が最大で10か月以上待ちになるなど、空前のヒットを記録。トヨタ=ハイブリッドのイメージを不動のものとした。また、2014年9月には、ハイブリッド車のグローバル累計販売台数が700万台を突破している。プリウスやカムリHVは海外での販売が国内を上回っており、欧州でもオーリスHVやヤリスHVの販売が順調であり、グローバル販売台数におけるハイブリッド車の割合は12%と、世界の自動車メーカーの中で最も多いものとなっている。また、ハイブリッドシステムを構成する主電池やインバータ、モータ内蔵トランスアクスルなどはその大半を自社工場で生産している。また世界初のFRハイブリッド車を発売したり、全ラインナップにハイブリッドを設定するなど、レクサスへのハイブリッド技術の導入にも積極的である。

2014年12月15日には世界初の量産型FCV燃料電池自動車)であるMIRAI(ミライ)を発売。試作車では1台数億円と言われたが、地道な技術開発を続けた結果、1台700万円での販売となった。最初の1か月間の受注台数が年間販売目標400台を大きく上回る約1,500台を記録。約7割が個人客であり、北海道や岐阜県など遠方からの注文も相次いだ。

又、ロボット技術にも注力、将来の中核事業と位置付け、実際の事業化前提の積極的な開発が行われている。各地のイベントでも家庭内や介護医療で使われる事を想定したトヨタ・パートナーロボットをお披露目している。

2006年、トヨタの研究開発費は2位の米製薬会社ファイザーを抑え、世界一[62]。2017年も国内企業で唯一年間1兆円を超える開発費をかけている[63]

静岡県裾野市の東富士研究所と北海道士別市、田原工場内に巨大なテストコースを持っており、世界中の走行環境を再現した走行試験や、高速域や極寒冷下での試験などをはじめ、日本国外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。

ブランド[編集]

トヨタ[編集]

商用・乗用問わず実用性の高さで人気を誇るハイエース
時代と共に性格を変え、若者の心を掴んだクーペセリカ

現在単体でトヨタグループの約9割にあたる900万台を売り上げる、世界最大のブランドである[64]。もともとは創業者の名字そのままに「トヨダ」であったが、1938年に語感の良さや画数の縁起から「トヨタ」に改名した[65]

戦後しばらくの間、トヨタの車はトヨペットのブランドで発売されていたが、1961年のパブリカ以降は再びトヨタブランドで発売される様になった。乗用車市場においては日産と激しく覇権を争い、特にカローラサニーのシェア争いはCS戦争と呼ばれた。最終的にはトヨタの勝利で終わったものの、この市場競争により自動車の高級化と低価格化を推進したことで、日本の自動車業界全体に強い刺激を与えた。また1970年代にはスポーツカーの分野で、トヨタのDOHCvs日産のSOHCターボの勝負も勃発した。

1960年代以降はカローラを筆頭に手堅い設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で勢力を拡大し、トヨタブランドの国内シェアは40%を常に占める様になった。日本におけるトヨタは高級車から大衆車まで、国民車のシンボルとして存在し続けた。また「安くて丈夫」というイメージを世界に根付かせ、現在に至る日本の自動車業界発展の礎を築いた。一方で北米ではいち大衆車ブランドであったり、若者にとっては退屈の象徴であったため、のちにレクサスサイオンブランドが登場することになった。

1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の動力分割式ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。時期尚早と見られていた「エコカー」を他に先駆けて成功させ、「トヨタ=ハイブリッド」のイメージを定着させた。

2006年に日本国内にもレクサスが導入されると高級車としてのラインナップをいくつか失ったものの、クラウンランドクルーザーなどは残り続けており、トヨタのブランドイメージは維持されている。

2010年以降は、モータースポーツ好きで知られる社長の豊田章男が積極的にレースやニュルブルクリンクのイメージを市販車にリンクさせており、従来のエコ・丈夫だけではなく、より車の楽しさを感じられるようなブランド作りに努めている。

レクサス[編集]

レクサスの広告塔(東京渋谷)。
レクサス初のFセグメントクーペLC500h

1989年 (平成元年)、北米で高級車ブランド「レクサス」(LEXUS )を創設し、大型高級セダンの「LS」(日本では後に「セルシオ」として発売)と「ES」(日本ではトヨタ・カムリプロミネント」として発売)を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はクレシーダ(日本におけるマークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することには限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた北米高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMWキャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃を与え、北米における高級車の概念をも変えてしまった。

2005年8月から日本国内でもレクサスブランドを展開し、GSSCISの3系列の国内販売を開始した。ちなみにレクサスの国内展開前にもレクサスの名を露出していたことがあり、例えばウィンダムは発売当初のキャッチコピーで「レクサスES300、日本名・ウィンダム」と称していた。 2006年(平成18年)9月19日にはレクサスの旗艦車種のLSが投入され、続いてRX、HS、CTが投入された。しかし日本でのトヨタはアメリカと異なり、高級車の部分でもブランド力が高かったため、最初のうちは順調にはいかなかった。

レクサスブランドにおいては長年、日本独自のブランドデザインとして知的かつ先進的なステータスを与えたいとの考えから、華美な装飾を抑えた落ち着いた内装で、乗り心地・品質・性能に重点を置く一方で、走行性能は余り重視してこなかった。また同様に販売戦略の観点から、レクサスブランドでのレース参戦やターボ車の投入には慎重であった。しかし近年は操る楽しさや走行性能に特化した「F」モデルを登場させたり、ISNXなどにターボ車を投入したり、国内外のレースにレクサス車を参戦させるなど方針を転換してきている。

2012年には社内カンパニー『レクサス・インターナショナル』として、機能をトヨタから独立させている[66]

GR[編集]

ヴィッツGRコンセプト

2017年に登場したスポーツカーブランド。2010年に誕生したG'sを前身に持ち、黒と赤のロゴを特徴とする。GRは「GAZOO Racing」の頭文字で、モータースポーツ活動を統括する社内カンパニーの「GRカンパニー」がレースで得た知見や技術をフィードバックして開発する。その利益はGRカンパニーへと還元され、景気動向に左右されないモータースポーツ活動を可能とする[67]。キャッチフレーズは「IGNITE(イグナイト、着火の意)」。マーケティング戦略は「Face to Face」とし、各都道府県のディーラーの一部を「GRガレージ」に指定して、「GRコンサルタント」やファン同士の交流の場を設けている[68]

グレードは限定生産の「GRMN」[注釈 8]を頂点とし、本格スポーツモデルの「GR」、エントリーモデルの「GR SPORTS」、アフターパーツの「GRパーツ」の4つの階層に分けられている[69]。基本的には86ヴィッツマークXアクアノアといった既存の乗用車のチューニングカーとなるが、一般的なチューニングとは異なりスポット溶接の打ち増しやトランスミッションの多段化のような、生産工程でしかできない強化がされているのが特徴。また今後トヨタブランドのベース車両を用いない、GRで独自に開発されたスポーツカーの登場も予想されている。

なおレクサス・Fも、限定生産車(LFA)を頂点にし、F SPORTSをエントリーモデルに階層が分かれているなどGRとの類似点が存在するが、Fは公式には「Fモデル」と呼ばれており[70]、いちブランドとしては扱われていない点が異なる。

トヨペット(廃止)[編集]

トヨペット・コロナ(初代)

公募により1947年発売のSA型乗用車・SB型トラックの愛称を「トヨペット」とし、それ以降トヨタの小型車にトヨペットの名がつけられることになった。1954年に発売された1000ccのSKBトラック(トヨエース)は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時主流の三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、トヨタ自動車始まって以来の成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行した。

1955年には初代クラウンマスターが誕生。クラウンは外国メーカーと提携せずに四輪独立懸架や低床シャシーなどヨーロッパ車並の構成を採った最初の純国産乗用車となった。また1960年代にはコロナが、日産・ブルーバードと「BC戦争」と呼ばれる激しい争いを展開した。最初は劣勢であったが、パブリカ同様高級路線へ舵を切った結果ブルーバードを逆転した。

1956年には全国にトヨペット店が登場するが、既存のディーラーを納得させるために、クラウン・マスターはトヨペット店では無くトヨタ店で扱われ、トヨペットは商用車・トラックを中心に扱った。こうした矛盾からトヨペットは段階的に廃止され、1970年の5代目コロナを最後に車種にトヨペットの名をつけることはなくなった。しかし今でも販売チャネルのトヨペット店にその名を残している。

サイオン(廃止)[編集]

サイオン(SCION )はアメリカの若者向けのブランドで2003年に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の“退屈なトヨタ車”のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。マス大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA(日本名ist)、xB(初代は日本名bB、2代目はカローラルミオン)で、後に日本未発売のクーペtCが追加された。北米では86はサイオンブランドからFR-Sの名前で販売された。しかしサイオン登場時の若者が中年になり、現代の若者がトヨタの実用性・ブランド力を評価し始めたことでその役割を終え、2016年をもって廃止された[71]

販売戦略[編集]

強力な販売網[編集]

初代から現在まで世界中で売れているカローラは、現在もディーラー名にその名を残す(画像は北米仕様)。

創業当初から全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備した。現在国内ではレクサスを含め5系統のディーラー網を傘下に持つ。

創業者の豊田喜一郎は車を作ることばかりに熱中して販売には無頓着であったため、車が完成する段階になってから日本GM副支配人・販売広告部長であった神谷正太郎(後のトヨタ自販初代社長)の元に赴き口説いた。神谷は既に高給取りであったが、豊田の熱意を買い引き抜きに応じた。豊田は神谷に販売に関する全権を委託した。神谷はそれまでの人脈とディーラーからの信頼により、多くのGM代理店をトヨタに引き込むことに成功、トヨタは戦前の日本自動車市場をフォードと二分した。さらに戦時体制に伴うアメリカ車輸入・国内組み立て停止に乗じ、GM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網をさらに自社ディーラー網として組織化して取り込んでいった。この作戦は戦後、自動車製造・販売が再び許可されてから大きく役立つことになる。

1949年にGHQによる生産制限が解除されると、トヨタは売り上げを一気に伸ばした。このままでは既存の販売体制では追いつかないと神谷は判断し、クラウン・マスターなど乗用車を扱う既存のトヨタ店の他、商用車・小型トラックを中心に扱うトヨペット店、大衆車のパブリカを売るためのパブリカ店、大型トラックを売るためのトヨタディーゼル店を次々に誕生させた[72]。パブリカは想定より売れなかったが、1966年発売のカローラが爆発的に売れたため、パブリカ店は1969年にカローラ店へと名称を変更した。カローラのあまりの伸びに販売体制はまたしても追いつかず、急遽カローラ・スプリンターミニエースを専売とするトヨタオート店を設立している[73]

1975年には円高貿易摩擦による業績悪化に対抗するため、上級小型車クレスタダイハツ工業が生産する小型四輪駆動ブリザードなど5車種を扱うトヨタビスタ店を設立。トヨタディーゼル店はカローラに移行して、トヨタ店トヨペット店トヨタカローラ店トヨタビスタ店トヨタオート店の5チャネル制が確立された。なお1998年にトヨタオートはネッツトヨタに改称、2004年にトヨタビスタとネッツトヨタは合併してネッツ店となった。また2005年にはレクサス車を扱うレクサス店が展開されて現在に至っている。2017年現在のトヨタの国内ディーラー数は約4900で、ホンダ・日産の倍以上である。この数が国内シェア50%近くを占めるトヨタの顧客対応を円滑にしており、またトヨタというブランドへの信頼・安心感にも繋がっている[74]

全国に配置されている販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。

多彩な車種とグレード[編集]

姉妹車のノアヴォクシー
「マーク三兄弟」の一台としてハイソカーブームを牽引したマークII

トヨタは、1950年代後半から1960年代にかけて、クラウンコロナカローラパブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した[注釈 9]

さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはカローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にカリーナおよびセリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型(あるいはヒエラルキー型)商品展開を完成させた。またセリカではエンジンやインテリアを選べる「フルチョイスシステム」を導入して、バリエーションの幅を広げた。

これは日本的な年功序列終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの販売戦略を端的に表している。一方、販売店系列の整備がすすむと、系列別に同一シャシ・同一ボディでありながら若干意匠を変えた「姉妹車[注釈 10] を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。

このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売のトヨタ」と評された。

車種毎のエンブレム[編集]

1989年に「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーでトヨタの新時代・新しいトヨタマークを大々的に宣伝した。国内仕様車では車のフロントグリル等に、車種ごとに異なるエンブレムを装着[注釈 11]している。

高級車ブランド戦略[編集]

北米戦略[編集]

日本車が北米で高級車としても通用することを証明した初代LS(日本名セルシオ)。
16年連続で全米の乗用車販売台数1位となったカムリ
攻撃的なスタイルが北米人の心を掴んだタンドラ

1957年にトヨタ自販とトヨタ自工は共同でハリウッドに米国トヨタを設立。しかし当時のクラウンは高速走行をするとエンジン出力が低下し、騒音・変形による破損が起きるなど、アメリカで売れるような品質では無かった。1960年にはティアラ(コロナの輸出車名)を投入するもののやはり品質の問題が発生し、年末には累計損失が142万ドルにも達した。そのためトヨタ自販は人員と車種を削減し、すでに3代目を数えていたランドクルーザーのみの専売とした。するとこれが功を奏し、ランドクルーザーの販売は4年間で10倍以上に伸びた[75]。その後品質の問題をクリアし、オートマティックトランスミッションを搭載したコロナを投入してようやく軌道に乗り、販売店も増加してアメリカは最大の輸出相手国になった。

1968年にはカローラもアメリカに上陸。初年度は9万8000台、1971年には40万4000台と圧倒的な売れ行きを見せ[76]、これによりディーラー数もさらに倍近く増加した。また1969年には米国の輸入車ランキングでフォルクスワーゲンに次ぐ第2位にのし上がった。

しかし1971年8月のニクソン・ショック以後、円切り上げに伴う輸出車の値上げによって、米国の自動車市場は売り手市場から買い手市場へと急変した。それにともないトヨタはコロナ・ランドクルーザーに代わり、カローラセリカハイラックスの3車種を重点推販車種とすることに決めた[77]。1975年にはオイルショックで販売が落ち込んだが、この時米国トヨタの牧野社長は全米のディーラーを回って「あなた方の繁栄がなければ、われわれの繁栄もない」と信頼関係を確認し、それを自ら示すためディーラーの在庫金利を負担した。また港を中心に物流面も整備し、米国のトヨタは一週間の在庫で回ることができる様になった。こうした努力をしているうち、カローラ、セリカ、ハイラックスの販売も回復し、フォルクスワーゲンに代わり輸入車ランキングのトップを占めた。

しかしこのようにトヨタが勢いづく一方でGMとフォードは伸び悩み、そのうち「日本は失業を輸出している」といった反発が米世論に湧き起こった。1980年になるとUAW(全米自動車労働組合)は通商法の発動を提訴する行動に出て、フォードもこれに同調した。また同時期レーガン大統領が日本政府に3年間の日本製乗用車の輸出を自主制限するように要請し、最終的に日本はこれに合意した[78]

これ以降トヨタは現地生産に迫られ、小型車のノウハウを欲していたGMと合弁会社NUMMI(ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング)を1984年に立ち上げて足がかりとした。1985年にはアメリカはケンタッキー州、カナダはオンタリオ州に現地工場第一弾を設立し、北米の人々の反発心を融和していった。1989年には高級車ブランドのレクサスが立ち上げられ、LSが大成功を収めた。また2003年には若者向けブランドのサイオンを立ち上げたり、2006年にはテキサス州タンドラ生産を開始してフルサイズピックアップトラック市場へ本格参入するなど、ラインナップの拡充に努めた。

こうして現地生産、北米向けラインナップ、販売網などが強化された結果、1988年に90万台強だったのが1990年に105万台、2007年には262万台に達した。シェアも1988年の6.1%から、2001年に10%を超え、2007年には16.1%と、フォードを抜いて2位に達した。2009年にはブランド別販売(トヨタブランド)で3年連続1位、レクサスがラグジュアリーブランドで10年連続1位、カローラとカムリが乗用車セグメントで1位と2位を獲得、ノンフリート(個人向け)販売でも初めてシェア1位を獲得した。[79]

2009年には大規模なリコール問題が発生し苦境に立たされたが、NHTSA(米高速道路交通安全局)と(NASA)米国航空宇宙局の包括的調査ではトヨタの電子スロットルには欠陥がないことが認められた。この問題によりトヨタの販売は2011年までに50万台減少したが、2012年以降は反転回復傾向にある[80]

また2017年にはトヨタのメキシコ工場建設計画についてドナルド・トランプ大統領が激しく非難したが、トヨタはこれに対してケンタッキー工場に13億3千万ドルの追加投資を発表し、一転トランプはトヨタを評価するコメントを出した[81]

中国戦略[編集]

第一汽車集団と包括提携関係にある。2004年9月には広州汽車集団との間でも合弁会社を設立。

情報技術戦略[編集]

IT活用の変遷[編集]

トヨタ生産方式(TPS)の高度IT化[編集]

トヨタの文化・企業風土をベースに競争力の源泉であるトヨタ生産方式と両輪を成すように情報システム化が推進されている。TPSとITの最初の融合は「工場のライン側に対して、車のどの部品を組み付けるかなど生産指示のデータを打ち出し、作業手順をわかり易くすること」だったとされる[83][84]。トヨタのIT活用は1960年代からスタートしているが、現在はトヨタの開発調達生産物流販売金融といった自動車事業の全工程に適用され、他社に追随を許さない圧倒的な仕組みをグローバルに構築している[85]

クルマのデジタル化[編集]

クルマはモノづくりの精神・技術の結晶であり、トヨタは先進的な情報技術を車に搭載することで「もっといいクルマ」を目指している。自動車に対する最初のコンピュートは1980年代に始まったエンジンのEFI(燃料噴射装置)とされるが[86]組み込みソフトウェアによる制御系・非制御系のインテリジェント化、マルチメディア化進行し、自動車とITの融合により安全性能の向上や自動運転機能の搭載、クルマが情報通信デバイスとなるコネクテッドカーが実現するようになった(G-BOOKT-Connectw:Lexus Link)。

モビリティ社会のスマート化[編集]

トヨタは1980年頃、当時の豊田英二社長が「車は、いずれスタンドアローンの時代から、管理される時代へ変わっていく」[87]との考えを示した事から車と社会の調和を図るためのIT化に注力、スマートモビリティ社会はICT(情報通信技術)によりクルマと人とコミュニティが相互に「つながる」社会であり、トヨタが目指す環境に優しい豊かな「もっといいクルマ社会」とされる[88]。この取り組みではITS(高度道路交通システム)やテレマティクスカーシェアリングパートナーロボット等のモビリティ社会に対するIT活用を推進している。

自動車、住宅に続く、経営の3本目の柱[編集]

トヨタはコーポレートベンチャーとして自動車以外に住宅金融ITマリンバイオ緑化などの事業を展開しているが[89]、第3の事業としてIT事業(ITS、e-TOYOTA、GAZOO等)を推進している[90]。トヨタが目指すITサービスは公共性、公益性が高く、自動車や住宅、その他の事業との融合が期待できる利用者のニーズに基づいたシームレスな統合型サービスとされる[91]。車やモビリティの枠を超えて、人々の暮らしを豊かにして社会に貢献することを目指し、必要となる技術に対して積極的に取り組み、自動車以外の新しい産業を創出するとしている[92][93]

自動運転、Connected Car[編集]

自動運転車や車載OSの分野では自動車メーカーに加えてIT企業が参入し始め、自動車とITの融合が加速している。Googleのセルフドライビングカーを代表とする無人自動車が登場し、人工知能技術の実用化が現実味を帯びてきた2016年にはトヨタはIT企業やベンチャー企業と競合する時代になった。また、トヨタは自動車が「グーグルのインフラ」的な「単なるハードウエア」になってしまうのを懸念し、グーグルとの提携を断っており、トヨタ独自で開発することを明確にしている[94]。一方、IT業界以外の企業がシリコンバレーに研究開発拠点を設置する動きに同調し、トヨタもシリコンバレーでの研究開発を加速させており、人工知能(AI)、自動運転ロボット、またそのバックエンドとなるIoTビッグデータクラウドコンピューティングの領域においてメインプレイヤーと捉えられている。

しかしその一方で、日本のITにおける重要な基盤技術を担ってきたメーカーでありながら、総合的に厳しい状況にあるルネサスに対する、不当な安価での部品購入や人事介入など、「飼い殺して」いる一員であるとも報じられている[95]

モータースポーツ[編集]

ラリースポーツプロトタイプに始まり、フォーミュラカーGTなどあらゆるカテゴリのレースに手広く参加し実績を残してきた。世界選手権ではWRC(世界ラリー選手権) で1990年代にドライバーズ王者4回とマニュファクチャラーズ(製造者部門)王者3回、WEC(FIA 世界耐久選手権)でも2014年にドライバーズとマニュファクチャラーズの双方で王座を獲得したほか、北米でもNASCARインディカーなどでドライバー・マニュファクチャラー王者になっている。かつてはコンストラクター「トヨタF1」として、F1にも8年間参戦していた。また耐久性の高いことで知られる市販のトヨタ車は、ラリーレイドやオフロードレースなどでプライベーターチームからの人気が高い。

アマチュアレースの振興にも日本の自動車メーカーで最も力を入れており、ナンバープレート付き車両で参加できるネッツカップ86/BRZレース、ラリーチャレンジなどはイベントによっては参加100台の規模を誇る。

豊田章男の社長就任以降トヨタのモータースポーツ活動は、『GAZOO Racing』の名の下に人を鍛え市販車をより良くするためのものとして位置づけられ、社内での地位が高められた。2017年にカンパニー制を導入した際、持続的なモータースポーツ活動を目的としてGRカンパニーも創設された。

トヨタ系のディーラーが自主的にレーシングチームを組織することも多く、スーパーフォーミュラで3年連続でチャンピオンを輩出しているINGING(山口カローラ)が有名である。またスーパーGTでは優勝経験のあるLM corsa(INGINGとOTG MOTOR SPORTS=大阪トヨペットの連合チーム)、埼玉トヨペット Green Braveaprとジョイントするトヨタカローラ三重などがいる。またトヨタ自動車社長の豊田章男や、埼玉トヨペット取締役専務の平沼貴之、トヨタカローラ三重社長の永井宏明のように、ドライバーとしてステアリングを握る経営者も多い。

航空機計画[編集]

トヨタは戦前航空機を開発しており、戦後にも航空機製造の禁止解除をにらんで航空機分野への進出を企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄技師から現状のトヨタの体制では無理という旨の意見を聞き、断念。

提携関係で同社が筆頭株主富士重工業航空宇宙部門を持っている。また、2008年三菱重工業が主体となっている国産旅客機MRJに対し製造・販売会社(三菱航空機)への出資を明らかにした[96]

鉄道車両製造[編集]

1950年代 - 70年代、トヨタ自動車本社工場や元町工場から名古屋鉄道三河線土橋駅への専用線では、多くの小型ディーゼル機関車が運用されていた。これらは日本輸送機加藤製作所日本車輌の製造であったが、一部はトヨタ自動車工業で自社製造され、名古屋鉄道の車籍のものもあった。その中にはガソリンエンジンの機関車(GB10形)も存在した。

これらトヨタ製機関車は、トヨタ工場内専用線のみで使用され、台数、運用範囲も限定され、他の鉄道会社では使用されなかった(トヨタ製エンジンを用いた各地の森林鉄道鉱山鉄道などの機関車は存在したが、トヨタ自動車製造では無い)。

一般的な鉄レールの鉄道車両ではないが、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)では、トヨタグループ開発の磁気誘導式の無人バスシステム「IMTS」が長久手会場で運用され、法的に鉄道(磁気誘導式鉄道)として取り扱われた。

マリン事業[編集]

以前からヤマハ発動機のマリン関係部門と提携があったが、1997年にトヨタ自動車独自の造船部門「トヨタ・マリン」を設置した[97]。分野を小型の個人向けプレジャーボートに絞り、漁船や貨物船など業務用の船舶は扱っていない。

アルミ製船体の採用や自動車を制御技術を応用した各種安全装置、船体のデザインに自社のデザイナーを起用、生産工程の合理化やエンジンを自動車と共通化するなどのコストダウンを徹底するなど、自動車開発で培った各種ノウハウにより同クラスとしては比較的低価格を実現している[98]。また直営営業所の開設や全国規模の販売網など、販売体制も整備されている。

一方でリーマンショックの影響により2015年を目処としていた黒字化と独立が達成不可能となった他、シェアも約6%とヤマハ発動機やヤンマーの後塵を拝しており[99]、2017年までの国内での販売数は約850隻となっている。

2017年にはレクサスブランドのプレジャーボートを公開した[100]

自動車分野でライバル関係にある日産自動車は国内市場の縮小などから、1995年に造船部門を日産マリーンとして分離し2015年に新規製造と販売を終了。

本部、他の主要な事業所[編集]

トヨタ自動車の本社は豊田市と東京都に、名古屋市のミッドランドスクエアには名古屋オフィスがあり、ここに東京本社にある営業部門などが移転している。東京本社は1982年に完成。

研究開発拠点[編集]

日本国内[編集]

日本国外[編集]

アメリカ[編集]

  • トヨタテクニカルセンターU.S.A.(TEMA-TTC) - (1977年設立)
    (本部)ミシガン州アナーバー : 技術調査、研究開発、現地車両設計・評価
    (分室)ミシガン州プリマス : 試作車両工場
    カリフォルニア州トーランス、ガーデナ : 車両評価、エンジン適合
    アリゾナ州ウィットマン : 総合車両評価
    • 日本国外におけるトヨタ最大の研究開発拠点。米国現地部品・材料の開発、車両評価やエンジン適合、技術調査などの研究開発業務、および、北米向けの製品の技術開発、現地生産車両の開発を実施。
  • キャルティデザインリサーチ - (1973年設立)
    (本部)カリフォルニア州ニューポートビーチ
    (分室)ミシガン州アナーバー (TMNA-TTCの隣地)
    (分室/トヨタ イノベーション ハブ)カリフォルニア州オークランド
    • トヨタ初の日本国外でのデザイン開発拠点。米国向け車両デザインの調査・開発。
  • TRD USA, Inc. - (1979年設立)
    (本部)カリフォルニア州タスティン
    (分室)カリフォルニア州コスタメサ、ノースカロライナ州シャーロット
    • 北米におけるトヨタのモータースポーツの拠点。かつては関連会社のトヨタテクノクラフトの米国法人だったが、現在は米国トヨタ自動車販売の100%子会社。現在はNASCAR用マシンやラリーカー、レクサスのGTカーなどの開発・供給を手がける。かつてはCART/IRLエンジンの開発・供給を行っていた。

ヨーロッパ[編集]

アジア・太平洋[編集]

  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックタイ(TTCAP-TH)(タイサムットプラーカーン) - (2003年設立)
    • デザインの研究開発・評価、技術調査、現地車両開発
  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックオーストラリア(TTCAP-AU)(オーストラリアビクトリア州メルボルン) - (2003年設立)
    • デザインの研究開発、技術調査、現地車両開発

生産拠点[編集]

日本国内[編集]

直営[編集]

本社工場(愛知県豊田市) -(1938年開業)(工場コードA11)
ランドクルーザーのローリングシャーシ1951 - 2007年8月)、ピックアップトラックトラックのラダーフレームプリウスのドライブトレーン
元町工場(愛知県豊田市)[注釈 12] -(1959年開業)(工場コードA21、A22)
クラウンクラウンマジェスタマークXエスティマMIRAIトヨタ86・GRMNレクサス・LCレクサス・LS(50系より) 過去の生産車両 2000GT、スープラ・ソアラ(30系まで)、イプサムプログレブレビスレクサス・LFA、マークⅡ、チェイサー、クレスタ、マークⅡブリット、パブリカなど。
上郷工場(愛知県豊田市) -(1965年開業)
エンジン、他
高岡工場(愛知県豊田市) -(1966年開業)(工場コードA31、A32)
カローラ(香港・マカオを除く輸出仕様のみ)、オーリス(サイオン・iM → カローラiM)、ハリアープリウスαウィッシュ 過去の生産車両 カローラ(日本向けE120型系まで)スプリンターカローラルミオンiQラクティス(初代)WiLL VS、ヴィッツ、スターレット、セラなど
三好工場(愛知県みよし市) -(1968年開業)
足回り機械部品、他
堤工場(愛知県豊田市) -(1970年開業)(工場コードA41,42)
カムリハイブリッドアルティスプレミオアリオンプリウスプリウスαメビウス、足回り機械部品 過去の生産車両 ビスタビスタアルデオセリカカレンカルディナカリーナEDコロナエクシヴ、カムリプロミネント、サイオン・tC、マークⅡクオリスなど。
明知工場(愛知県みよし市) -(1973年開業)
足回り機械部品、エンジン、他
下山工場(愛知県みよし市) -(1975年開業)
エンジン(エンジン一部を除くZR・GR・AZ型式などを生産)
衣浦工場(愛知県碧南市) -(1978年開業)
足回り機械部品、他
田原工場(愛知県田原市) -(1979年開業)(工場コードA51 ? A55)
第一製造部:レクサス・GXランドクルーザープラドレクサス・LXランドクルーザー(2007年 - )

第二製造部:レクサス・LS(40系まで)、レクサス・GSレクサス・ISレクサス・IS F
PDI(Pre-Delivery Inspection)センター:アベンシス(TMUKから輸入後の検査のみ)

  • 第三製造部のみレクサスセダン専用工場となり、技能員の制服・制帽も他とは異なる。
    • 工場コード および過去 - 現在の主な生産車両について
    • 第一製造部 1A組立ライン:A51 ランドクルーザー/ランドクルーザープラド/GX470
    • 第一製造部 1B組立ライン:A52 AE86トレノ/AE86レビン/ハイラックスピックアップ等
      (現在は完成車組立ライン解体の上、1A組立ライン向けの部品順建ライン化により消滅。)
    • 第二製造部 2C組立ライン:A53 初代セルシオ/ソアラ等
      (現在は完成車組立ライン解体の上、1A/2D工場向けのエンジン順建ライン化により消滅。)
    • 第二製造部 2D組立ライン:A54 AE86トレノ/AE86レビン/セリカ/カリーナED/RAV4/ヴァンガード等
    • 第三製造部 3E組立ライン:A55 レクサスLS/GS/IS/IS-F
貞宝工場(愛知県豊田市) -(1986年開業)
工場生産設備、他
広瀬工場(愛知県豊田市) -(1989年開業)
電子装備部品、他

子会社・関連会社運営(車両生産工場のみ)[編集]

豊田自動織機長草工場(愛知県大府市)(工場コードB11)
ヴィッツ、RAV4(輸出向け)
トヨタ車体富士松工場(愛知県刈谷市)(工場コードC21・C25)
ノア、ヴォクシ、エスクァイア、エスティマ、プレビア、ランドクルーザ70(ピックアップ)
トヨタ車体いなべ工場(三重県いなべ市)(工場コードC31)
ハイエース(ロングボディ)、アルファード、ヴェルファイア
トヨタ車体吉原工場(愛知県豊田市)(工場コードD11)
ランドクルーザー200、ランドクルーザー70(バン・トゥルーパー)、コースター、日野・リエッセII(コースターのOEM車種)
トヨタ自動車東日本東富士工場(静岡県裾野市)(工場コードM21、旧:関東自動車工業東富士工場)
センチュリー、アイシス、ポルテ、スペイド

過去:クラウンコンフォート、コンフォート、レクサスSC430、コロナ(TT130系)、カローラフィールダー(140系まで)、ソアラ(30系・UZZ40)、チェイサー(60系~90系まで)、クレスタ(GX1系~100系まで)、スープラ(JZA80)、ヴェロッサ、マークX(120系前期のみ)

トヨタ自動車東日本岩手工場(岩手県胆沢郡金ケ崎町)(工場コードM31、旧:関東自動車工業岩手工場)
アクア(プリウスc)、C-HR

過去:アルテッツァ、オーリス(初代)、ブレイド、ラクティス(2代目)、スバル・トレジア、イスト(2代目)など

トヨタ自動車東日本宮城大衡工場(宮城県黒川郡大衡村)(工場コードN11、旧:セントラル自動車本社工場)
カローラアクシオシエンタ、カローラフィールダー(カローラワゴン)

相模原時代の生産車種:コロナ(170系)、ラウム、bB(初代)などkl

岐阜車体工業(岐阜県各務原市)(工場コードE11)
ハイエース(スーパーロングボディ)、トヨタ救急車
日野自動車羽村工場(東京都羽村市)(工場コードP11)
FJクルーザー、ランドクルーザープラド、トヨエース、ダイナ、クイックデリバリー
ダイハツ工業本社(池田)工場第2地区(大阪府池田市)(工場コードK11)
パッソ(3代目以降よりブーンのOEM車種)、ルーミー(トールのOEM車種)、タンク(トールのOEM車種)
ダイハツ工業京都工場(京都府乙訓郡大山崎町)(工場コードK21)
プロボックス、サクシード
SUBARU群馬製作所本工場(群馬県太田市
トヨタ・86
トヨタ自動車九州宮田工場(福岡県宮若市
レクサス・IS、レクサス・IS C、レクサス・ES、レクサス・RX、レクサス・NX、レクサス・HS、レクサス・CT、ハイランダー(日本国外仕様)、SAI

過去:マークⅡ(90系・100系)、チェイサー(100系のみ)、ハリアー(30系まで)、クルーガー、ウィンダム(20系のみ)

トヨタ自動車九州苅田工場(福岡県苅田町
エンジン
トヨタ自動車九州小倉工場(福岡県北九州市/苅田町
ハイブリッド専用部品
ダイハツ九州大分(中津)工場(大分県中津市
ピクシススペース、ピクシストラック、ピクシスバン、ピクシスエポック、ピクシスメガ

日本国外[編集]

(26ヶ国、51社[4] (PDF)

北米[編集]

中南米[編集]

ヨーロッパ[編集]

  • イギリス
    • TMUK(Toyota Motor Manufacturing "UK"Ltd.)
      • バーナストン工場 ダービー州バーナストン
        • アベンシス(日本向けは田原工場でPDI実施)、オーリス、オーリスツーリングスポーツ、RAV4
  • フランス
    • TMMF(Toyota Motor Manufacturing France S.A.S.)
      • ヤリス
  • トルコ
    • Toyota Motor Manufacturing Turkey Inc.
      • カローラ、カローラヴァーソ、C-HR
  • チェコ
    • TPCA(Toyota Peugeot Citroen Automobile Czech,s.r.o.)
      • アイゴ
  • ロシア
    • Toyota Motor Manufacturing Russia Ltd.
      • カムリ、RAV4
  • ポルトガル
    • Salvador Caetano I.M.V.T., S.A.
      • ダイナ、ハイエース、オプティモ
  • ポーランド
    • Toyota Motor Manufacturing Poland SP.zo.o.
    • Toyota Motor Industries Poland SP.zo.o.
      • エンジン、マニュアルトランスミッション

アフリカ[編集]

アジア[編集]

オセアニア[編集]

中近東[編集]

車種[編集]

トヨタ自動車の車種一覧については別項を参照[101]

ディーラー[編集]

他のメーカーが全店舗全車種扱いに移行していく中、依然としてトヨタ自動車はディーラーごとに取り扱い車種が異なる。特にネッツ店は、他のトヨタ系列との併売をしている車種が極端に少ない。 また、かつては大阪府内のみトヨタ店とトヨペット店の取り扱い車種が逆だったが、現在では一部車種を除き他の都道府県と同様の取り扱いになっている。

取扱車種:センチュリークラウンシリーズアリオンランドクルーザーなど(センチュリー、クラウンは東京都内のみトヨペット店でも販売)
取扱車種:マークXプレミオハリアーアルファードなど(マークX、ハイエースは東京都内のみトヨタ店でも販売)
取扱車種:カローラアクシオカローラフィールダーノアパッソなど
取扱車種:ヴィッツウィッシュヴォクシーヴェルファイアなど
取扱車種:LSGSISRXなど(日本国外でのラインナップについてはレクサスの項参照。)

トヨタの4系列全店で販売されている車種[編集]

プリウスシリーズSAIアクア86シエンタ(2代目)C-HR
  • 以下の車種は実質的なトヨタ4系列全店販売車種。
ピクシスシリーズ(全国ではカローラ店、ネッツ店で販売、希望があった一部地域のトヨタ店、トヨペット店でも販売。)
ポルテ(トヨタ店とトヨペット店)&スペイド(カローラ店とネッツ店、2代目ポルテ発売時登場)
ノア(カローラ店)&ヴォクシー(ネッツ店)&エスクァイア(トヨタ店とトヨペット店、3代目ノア/ヴォクシー発売の約9か月後登場)
タンク(トヨペット店とネッツ店)&ルーミー(カローラ店&トヨタ店)
カムリ(全国ではカローラ店、トヨペット店、ネッツ店で販売、東京都ではトヨタ店でも販売。)

キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)[編集]

歴代キャッチフレーズ[編集]

  • ファミリーカーのトヨタ(1966年 - 1969年) - 「ファミリーカーのトヨタと呼んで下さい」という当時の企業広告から。テレビの提供読みの時には「世界のファミリーカー」とコールされたものがある。
  • 進歩のマーク(1967年 - 1970年)
  • 信頼のマーク(1967年 - 1970年) - この2つのキャッチコピーは広告上で併用された。
  • 愛される車をめざして(1971年 - 1980年) - ※放送では筆頭提供で放送される場合「愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることも多く、この場合番組によっては提供時間の終わりのスポンサーコールで「誰からも愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることが多かった。
  • ムダ・ムリ・ムラのない運転で ガソリンを大切に使いましょう(1973年)
  • TTCのトヨタ(1974年) - 「TTC」とは「トヨタトータルクリーンシステム」のこと。
  • ゆたかな明日を築く トヨタグループ(1975年) - 知られざる世界の提供読みで使用。
  • 安全はトヨタの願い(1978年 - 1982年、CMのみで使用)
  • 時代はTOYOTA(1981年 - 1982年)
  • 新技術-時代はTOYOTA(1982年 - 1988年)
  • Fun To Drive(1984年 - 1990年3月)
  • VISION 先進技術で、価値ある1台を(1988年)
  • シートベルトを忘れずに(1989年初頭 - 9月) - 「Fun To Drive」と兼用、コマーシャルなどで使用
  • 新しいトヨタが走りはじめます。 (1989年 - 1990年9月) - この時点から、現在のトヨタのCIが制定される。(後述)1989年まではCIを出さないCMもあったが、1990年以降は全てのCMでCIを出すようになった。また、以前のキャッチフレーズ「Fun To Drive」も兼用された。
  • 人へ。社会へ。地球へ。(1990年10月 - 1999年)
  • BIG CHALLENGE(1993年 - 1996年) - この頃、「Sedan Innovation」や「ACTION」というキャッチコピーも展開されていた。
  • クルマが未来になっていく。(1997年 - 1999年12月) - このあたりから90秒以上の提供時はこれまでの社名のみからキャッチコピー・社名に変更。
  • Drive Your Dreams.(2000年1月 - 2011年9月) - カタログなど一部では2011年秋以降もこのスローガンが使われていた。
    • 人、社会、地球の新しい未来へ。(サブキャッチコピー)
      1社提供・及び90秒以上の提供時は「Drive Your Dreams. トヨタ自動車」(2005年7月からトヨタ)になっている(素敵な宇宙船地球号についてはトヨタグループ全体の協賛であるため、これはコメントされていない)。
  • MORE THAN BEST(2004年 - 2006年3月) - なお、本キャッチコピー発表後はサザンオールスターズCMソングに起用された。
  • トビラを開けよう(2006年4月 - 2008年頃) - このキャッチコピーよりMr.Childrenの「箒星」がCMソングに起用されている。
  • FUN TO DRIVE, AGAIN.(2011年10月 - 2017年10月) - 1社提供・及び90秒以上の筆頭提供で協賛する場合は左記スローガンを3行で大きく表示し、その下にエンブレムのTマークを挿入している(TOYOTAの社名は表示されていない)。60秒以下の協賛は従来通りに「Tマーク+TOYOTA」である。2011年までカタログの巻末には以前のキャッチコピーが使用されたままだったが、翌年から本キャッチコピーが使用され、上記と同様の表示に切り替えられている。新聞広告では2011年まで本キャッチコピーは使用されず、「Tマーク+TOYOTA」のみの記載だったが、こちらも翌年から本キャッチコピーが使用された。ただし、本キャッチコピーとTマークをすべて1行にまとめて表示されているなど、提供表示やカタログとは違い、一部のCMと同じ記載方法となっている。
  • Re BORN(2011年秋 - ) - 企業CM
  • moving forward(米国における企業スローガン)
  • TOYOTA NEXT ONE(2014年 - ) - 制作陣は電通高崎卓馬がクリエイティブディレクターとして統括し、写真は瀧本幹也、デザインは博報堂出身の駒二郎らが担当した[102][103]
  • THE WORLD IS ONE(2015年 - ) - 同様に電通の高崎らが制作担当。
  • START YOUR IMPOSSIBLE(2017年11月 - ) - 1社提供・及び90秒以上の筆頭提供で協賛する場合は、スローガンの右側にエンブレムのTマークを1行だけで配置している(TOYOTAの社名は表示されていない)。それまで「FUN TO DRIVE, AGAIN.」を使用していた場面において、差し替えて使われる。一部のCMの冒頭では、画面の片隅にエンブレム無しで数秒間表示されている。メディアでは2017年11月から、東京モーターショーでは開幕日の10月27日から使用を開始。

販売店ごとのキャッチフレーズ[編集]

この他、販売店ごとに以下のような独自のキャッチフレーズもある。

  • 現在使用中のキャッチフレーズ
    • フロンティアへ 人を、地域を、もっと笑顔に(トヨタ店、2016年4月 - 現在)
    • クルマと、つぎの楽しみを。 TOYOPET(トヨペット店、2016年4月 - 現在)
    • うれしいこと 全力で。あなたの街のカローラ店(トヨタカローラ店、2006年3月 - 現在)
    • Netz Another story(ネッツ店、2016年 - 現在)
    • EXPERIENCE AMAZING(2017年よりレクサスブランドで使用されているスローガン)
  • 過去に使用していたキャッチフレーズ
    • 最上の出会いをトヨタ店で。(トヨタ店、2002年? - 2016年3月)
    • もっとクルマの話、しませんか。 Answer, for you. TOYOPET(トヨペット店、? - 2016年3月)
    • hello!(トヨタカローラ店、2001年 - 2006年2月)
    • Welcome To VISTA(ビスタ店、1981年 - 1999年)
    • ACCESS VISTA(ビスタ店、2000年 - 2004年)
    • Make the style.(ネッツ店、2004年 - 2010年)
    • the Creative.(ネッツ店、2010年 - 2016年)
    • 微笑むプレミアム。(レクサス店、2006年まで)
    • The pursuit of perfection(レクサスブランドのグローバルスローガン。2013年4月まで使用された)
    • AMAZING IN MOTION(レクサスブランドのグローバルスローガン。2016年まで使用された)

ロゴマーク[編集]

現在の「TOYOTA」ロゴマークは1978年4月(アメリカ、カナダは1986年4月)から使用されている。

1967年から1978年3月(アメリカ、カナダは1986年3月)まで、新聞広告・雑誌広告・テレビCMで使われた「TOYOTA」ロゴマークは、書体が現在の物より細いゴシック体となっていた。国内では「進歩のマーク」「信頼のマーク」「'愛される車をめざして」のキャッチコピー、丸の中に片仮名で「トヨタ」と文字の入ったマークと共に使用され、日本国外でもカタログなどに使用された。[注釈 13]

なお、旧トヨタマークは戦前に一般公募を行い制定されたもの。社章・正社員章として現在も使われている。現在のトヨタマークは1989年10月からで、縦と横に組み合わされたふたつの楕円は、トヨタのT、そしてその背後の空間は、トヨタの先進技術のグローバルな広がりと未来へ翔ける無限の可能性を表している。[104]同月にデビューした初代セルシオから採用された(商標登録日本第2392335号)。

造成開発地[編集]

トヨタ自動車は現在、子会社のトヨタすまいるライフ株式会社(旧トヨタ住宅)他と共同で住宅地をいくつか造成開発している。

  • リバーサイドヒルズさくら台 - 愛知県岡崎市細川町字桜台地内(建築条件付土地分譲)
  • 緑陽台 - 愛知県岡崎市(戸建と土地)
  • 土岐プラズマ - 岐阜県(戸建分譲)
  • 自由ヶ丘サウスステージ - 福岡県宗像市(戸建と土地)
  • 上志段味 - 名古屋市守山区(戸建と土地)
  • シーサイド田原光崎 - 愛知県その他(戸建と土地)
  • 共和西27街区 - 愛知県その他(戸建と土地)
  • 東郷町春木台 - 愛知県東郷町(戸建分譲)
  • グリーン アヴェニュー日進笠寺山 - 愛知県日進市(戸建と土地)
  • 日進市 香久山東 - 愛知県日進市(戸建分譲)
  • あざぶの丘 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
  • 黒笹120街区 - 愛知県みよし市(戸建分譲)
  • 三好町根浦37街区 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
  • パークサイドアベニュー桜坂 - フジケン開発との戸建協同プロジェクト。事業開始は2001年から
  • 豊橋レイクタウン大清水台 - 愛知県豊橋市(アイシン開発の開発地。1980年から集合宅地の分譲契約)
  • T'sコート安城桜井 - 愛知県安城市桜井町貝戸尻(一般定期借地権)

スポンサーとして[編集]

以前は以下のアトラクションのオフィシャルスポンサーとして協賛していたが、現在は全て撤退している。

不祥事・事件・問題・批判・風評被害(グループ会社を含む)[編集]

中古車架空販売[編集]

トヨタ自動車が全額出資する大阪トヨタ自動車(旧大阪トヨペット)が、2004年(平成16年)、国産中古車を社員名義で自動車登録を行ない、販売実績を引き上げる架空販売を行なっていた[注釈 14]大阪府警察2006年(平成18年)10月10日、社員ら4名を電磁的公正証書原本不実記録、および供用の疑いで逮捕した[105]10月31日には元店長と元室長を電磁的公正証書原本不実記録の疑いで再逮捕、11月9日に大阪地検に追送検した。[要出典]</ref>。

北米トヨタのセクハラ[編集]

過労・サービス残業問題[編集]

トヨタ自動車中国広告問題[編集]

リコール関連[編集]

トヨタ日本国内リコール放置問題[編集]

  • 1988年にモデルチェンジしたハイラックスについて、2004年8月に熊本県内でハイラックスのハンドル操作が利かなくなる交通事故が発生した。
  • 2005年8月に熊本県警は、車軸の欠陥が存在していたにもかかわらず、販売済の車両についてリコールを行わなかった、として同社を家宅捜索。同社には1988年12月のモデルチェンジ以降に販売店から5件のリレーロッドが折れる事故が報告され、96年頃の社内調査で強度不足が発覚していたこと、新規生産分は改良品に切り替えたが市場に出回った分は放置していた事が県警調査で明らかになった。翌2006年7月、 熊本県警は業務上過失傷害の疑いでトヨタ自動車の品質保証部門の歴代三部長を書類送検した。2007年6月には、松尾邦弘 元検事総長がトヨタ自動車株式会社社外監査役に就任した。2007年7月13日、熊本地検は(1)96年時点でロッド欠損などの不具合を報告する販売店からの報告は4件だけだった。(2)菊池市の事故まで人身事故はなかったなどの理由から、リコールしなければならない状況だったとは言えないとして3名を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。

アメリカでの大規模リコール[編集]

2010年2月22日、米ABCは南イリノイ大学のデビッド・ギルバート教授が行ったトヨタ車を急加速させる実験の映像を流し、車両に問題があることを示す報道を行ったが、その翌月トヨタ自動車側は報道されたような不具合は発生し得ないと指摘、それを受けABC側は同年3月12日に、該当の報道は映像に操作を施した捏造であったと認めた。

2010年4月14日アメリカ消費者団体専門誌「コンシューマー・リポート」で特定の運転状況下で横転する危険性を指摘され、全世界でレクサスGX460の販売を一時停止し、4月19日には全世界で約1万3000台を対象に、車両安定制御装置ソフトウェアの修正を発表、同様にプラドも約2万1000台を対象に実施した[注釈 15][106]

また、2010年6月21日、中国広州にあるデンソー系の電装(広州南沙)有限公司にて待遇改善を求めてストライキが発生し、トヨタの広州工場に対する自動車燃料噴射装置などの部品の供給が停止した[107]

2010年8月13日、米高速道路交通安全局(NHTSA)は、電子系統には異常がなく、事故のほとんどが運転者の人為的なミスによるものであると報告、翌2011年2月8日には、米運輸省は、NHTSAと米航空宇宙局(NASA)による10ヶ月の共同調査の結果を踏まえて、電子制御装置に欠陥はなかったと発表した[108]。NASAは電子制御装置に異常は見られず、NHTSAは加速ペダルと運転席フロアマットの欠陥は問題は確認されたものの、急発進事故の殆どが運転手のミスと確認された[109]ワシントン・ポストなど各新聞は、トヨタ叩きは政治的に引き起こされたヒステリーだったと議会などを批判した[110]。一方、米消費者団体は政府の調査は不十分とした[109]

2014年3月19日、アメリカ司法省とトヨタ自動車は、リコール問題の最終的な和解案に合意。トヨタ側が12億ドルを和解金の支払いとリコールに対する約束事項の遵守を負うこととなった。巨額の賠償金もさることながら、折りしもゼネラルモーターズでも大規模なリコール問題が生じたタイミングであり、アメリカにおけるリコール問題処理の模範になるものとして注目された[111]

このアメリカにおける大規模リコール問題は、同年日本国内でも毎日のように報道され、大きな話題を呼んだ。

 中東紛争でのトヨタ車人気 [編集]

トヨタのハイラックスランドクルーザーは走行性能・耐久性に優れるとして中東の紛争で非常に愛用される。1980年代のチャドの内戦では政府軍・反政府軍ともにハイラックスの改造車で戦ったため、「トヨタ戦争」とも呼ばれるほどであった[112]。イスラム国もトヨタの車両を愛用していることから「トヨタはイスラム国のスポンサーでは」と揶揄する声が聞かれ、実際に米財務省がトヨタに釈明を求めたこともある。これに対してトヨタの米国法人はテロ活動の恐れがある購入希望者には車は売らないという厳格な規定を採用しているとし、一方で中古車の販売や盗難などの全ての経路を断つことは「どのメーカーでも不可能だ」と反論している[113]。なお実際にはアメリカ国務省がシリア自由軍への救援物資のリストにトヨタ車が含まれており、これが横流し・略奪されてISの手に渡っていたことが判明した[114]。またトルコ・ヨルダン・イラクなどからも調達できるルートが存在しているとされる。

トヨタとジャーナリズム[編集]

「トヨタはジャーナリストに圧力を掛けて、都合のいいことしか言わせていない」という都市伝説があり、そのため「トヨタを批判できるのは素晴らしいことだ」と考える車好きも多い[115]。しかしかつて徳大寺有恒が「トヨタは潰れた方が良い」などの強烈な批判を展開し続けたにも関わらずなんのお咎めも無かったことからも分かるように[116]、実際にはそのようなことは起きていないと考えるのが自然である。

その他日本国外における法的トラブル[編集]

1990年1月1日から2006年5月22日までの間に北米の関連会社Toyota Motor Credit Corporationがアフリカ系アメリカ人(黒人)とヒスパニック系アメリカ人に対し、白人に対して融資する際の年率(APR)より高い値を設定し人種差別を基に不当に利益を上げていたとしてカリフォルニア州中央行政裁判所、およびサンフランシスコ群高等裁判所に起訴された[117]

2006年9月20日にはフォード・モーターゼネラルモーターズダイムラー・クライスラーホンダ日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長ビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴された[118]

書籍『トヨタの闇』における批判[編集]

米国籍役員による「麻薬」密輸問題[編集]

2015年6月アメリカ国籍の同社初の女性役員(チーフコミュニケーションオフィサー=広報トップ)が、アメリカから麻薬成分を含む鎮痛剤オキシコドン57錠を、ネックレスと虚偽申告をした上で箱の二重底に隠して宅配便密輸した疑いで、警視庁麻薬取締法違反容疑で逮捕された[119]。同年6月30日に容疑者の役員が辞表を提出してトヨタに受理され7月1日に辞任が発表された。7月8日、本人に違法性の認識が薄かったことや既に役員を辞任したことが考慮され不起訴処分で釈放された[120]。いくつかの米メディアは背後でキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が容疑者の役員辞任を条件に釈放を働きかけたこと、また2月に起きた類似事件でも米国人釈放に関与していたことを報じている[121][122][123]

所得税の源泉徴収漏れ[編集]

世界ラリー選手権ラリー用車両の開発などに絡んで同社が2014年度から2016年度までに海外企業などに支払った20億円超について、名古屋国税局税務調査所得税源泉徴収漏れを指摘されていたことが、2017年10月に判明した[124]

注釈[編集]

  1. ^ 2014年3月22日,23日にはTBS系列にてトヨタ自動車監修のスペシャルドラマ「LEADERS リーダーズ」が放送された。トヨタ(劇中ではアイチ自動車)の自動車製造の始まり、トヨタ自動車(アイチ自動車)の設立、そして戦後における金融事情・トヨタ(アイチ)の経営危機(主に旧住友銀行(劇中では西国銀行)におけるトヨタ(アイチ)への融資拒否、日本銀行や取引銀行24行による協調融資団による再建策の一つとして1600名の人員整理を提案。その事を巡り、労働組合と経営陣の対立が激化し労働争議に発展。)を中心としたエピソードが放送された。また2017年3月26日には「LEADERS II」が放送された。こちらはトヨタの協力会社(主に小島プレス工業など)が中心の協豊会(劇中では協愛会)の発足やトヨタと販売ディーラー(主に愛知トヨタ)との協力関係、戦時中の自動車配給会社(自配)の設立、戦後におけるトヨタ自動車販売店協会の発足を中心としたエピソードである。
  2. ^ 安さを主眼とするマーケットに、高級感・高機能を持ち込み席巻するこの手法は、1999年に登場したヴィッツでも用いられている。
  3. ^ 特に過激な事例を取り上げればトップ・ギア司会者3人組の扱き下ろしがある。「カローラの横に並んでいた冷蔵庫をカローラとして紹介し、没個性的だと揶揄」「初代LS(セルシオ)登場時に"退屈なレクサス"と発言」など、トヨタ車が扱き下ろされる際のキーワードは「無(没)個性」「退屈」「無味無臭」が多い。また米国におけるサイオン導入も「トヨタ車は退屈」と言うネガティブイメージが背景にあった。コアな車好きからのトヨタの受けの悪さは、NAVI CARS Vol.29(2017年3月25日発売、ボイスパブリケーション刊)で『トヨタが好きで、悪いか!』という大見出しにも象徴される。
  4. ^ これらは格好良さよりも見た目のインパクトの強さを重視しており、一目でトヨタ/レクサス車だと分かることを目的としている
  5. ^ AE86を現在まで乗り継いでいる土屋圭市は、AE86の剛性の高さと応答性の良さがドリフトの腕を鍛えたと語っている。
  6. ^ MR-Sの2006年の生産台数は僅か1000台ほどであった。
  7. ^ JDパワー保険会社のランキングなどによる。
  8. ^ 2009年にG'sに先駆けて登場。MNとはMeister of Nurburgring=「ニュルマイスター」の略で、トヨタのテストドライバー・成瀬弘のニックネームであった
  9. ^ なおカローラは花冠、コロナは太陽冠、クラウンは王冠と、いずれも「冠」にその名を由来する。
  10. ^
    X70系 - X100系までのマークII/チェイサー/クレスタ
    L20系以降のターセル/コルサ/カローラII
    E20系 - E110系までのカローラシリーズ/スプリンターシリーズ
    T150系以降のコロナ/カリーナ(のちのプレミオ/アリオン
    V10系 - V40系までのカムリ/ビスタ
    エスティマエミーナ/エスティマルシーダ
    グランビア/グランドハイエース
    タウンエース/ライトエース/マスターエース
    カローラランクス/アレックス
    ノア/ヴォクシー
    H20系以降のアルファード/ヴェルファイア
    プロボックス/サクシードなど。
  11. ^ 例:ネッツ店専売車種(例:後期型以降のアベンシス、2代目ヴィッツ、後期型以降のウィッシュ、2代目bBオーリス、3代目RAV4ヴェルファイア、2代目ヴォクシー等)の「N」マーク、E120系(9代目)カローラシリーズ以降の「NCV」マーク、マークXおよびマークXジオの「X」マーク、プレミオの「P」、アリオンの「A」、初代ラクティスの「R」マーク等。リアは大抵の場合トヨタマークが付いている。
  12. ^ 名前の由来は町工場時代の気持ちを忘れない為に、元・町工場から元町工場と命名された
  13. ^ なお、このころのCMの最後には「愛される車をめざして(進歩のマーク・信頼のマーク)[改行]TOYOTA[改行]当時のトヨタのマーク」が表示された。(末期は単にTOYOTAの旧ロゴになった。また一時期はCMの最後に「TTCのトヨタ」というナレーションが入ったものや、旧ロゴ最末期から現行ロゴの初期には「安全はトヨタの願い[改行]TOYOTA」というものもあった。
  14. ^ 読売新聞2006年 9月24日、同年9月28日記事。2004年6月に35万円で仕入れた国産中古車を同月下旬、営業店社員に45万円で販売し、社員名義で自動車登録。同年11月、この車を80万円で買い取った形にし、数日後、一般顧客に90万円で販売していた。
  15. ^ ランドクルーザープラドのリコール対象は中東、ロシアが主体で日本などで販売された右ハンドル車はリコールの対象外である。 トヨタ・レクサスGXの販売一時中止、世界全体に拡大 MSN産経ニュース 2010年4月14日

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h 2016年3月期決算要旨 (PDF)” (2016年5月11日). 2016年5月14日閲覧。
  2. ^ a b 2015年暦年の販売、生産計画について トヨタ自動車公式サイト
  3. ^ 会社四季報昭和34年第1集』(東洋経済新報社、1958年12月)p.347、『会社四季報昭和34年第2集』(東洋経済新報社、1959年4月)p.347
  4. ^ 「トヨタ」になって70年読売新聞[リンク切れ]
  5. ^ 第2節 モータリゼーションと貿易・資本の自由化 第3項 資本の自由化と自動車業界再編
  6. ^ a b 沿革 - 日野自動車
  7. ^ a b DATABOOK2014 - ダイハツ工業
  8. ^ トヨタ自動車74年史 海外販売台数の推移 トヨタ公式サイト
  9. ^ a b アニュアルレポート 2005 トヨタ公式
  10. ^ a b 【決算】トヨタの2008年3月期決算は全項目過去最高も成長率は鈍化,2009年3月期は減収減益の見通し Tech On! 2008年5月8日
  11. ^ トヨタ09年3月期決算…4610億円の営業赤字 戦後初 Response. 2009年5月8日
  12. ^ トヨタ、販売でも初の世界一 Response. 2009年1月23日
  13. ^ 豊田トヨタ社長、トヨタは「凋落の第4段階」にある Response 2009年10月2日
  14. ^ 【池原照雄の単眼複眼】非常時体制のトヨタ、緊急VA・VEも Response. 2008年5月14日
  15. ^ トヨタ自動車75年史 原価企画・質量企画・部品標準化
  16. ^ トヨタ自動車、役員体制を変更 トヨタ公式サイト 2011年3月9日
  17. ^ トヨタ、取締役を大幅削減 意思決定を迅速化 日本経済新聞 2011年2月11日
  18. ^ トヨタ、新しいプラットフォーム戦略「TNGA」の狙いや現状を発表 Tech-On! 2013年3月27日
  19. ^ a b 世界の自動車販売台数、トヨタが2年ぶり首位 CNN 2013年1月29日
  20. ^ 【池原照雄の単眼複眼】トヨタ、機動力求めバーチャル分社 Response. 2013年3月13日
  21. ^ トヨタが自動車事業に4部門設置、大幅組織改編で意思決定を迅速化 ロイター 2013年3月6日
  22. ^ トヨタ世界生産、自動車初の1000万台超 13年 日本経済新聞 2014年1月29日
  23. ^ 日本経済新聞. “売上高ランキング”. 2016年3月閲覧。
  24. ^ トヨタ自動車、中長期保有を前提とした 「AA型種類株式」の発行に向けた手続きを開始 | TOYOTA Global Newsroom
  25. ^ 物言わぬ株主増える? 「損しない」トヨタ新株が波紋 - 朝日新聞
  26. ^ ガリバー ヤマハの牙城を崩せるか!? トヨタとヤンマーがプレジャーボートでタッグ マイナビニュース 2016年3月10日
  27. ^ コネクテッドカー関連サービスを開発:トヨタ、マイクロソフトと合弁でToyota Connectedを設立 @IT 2016年4月5日
  28. ^ “最強”トヨタ社長が「7カンパニー制」導入で狙うさらなる一手”. ダイヤモンド社 (2016年3月11日). 2016年5月16日閲覧。
  29. ^ 新体制に関するお知らせ 2016年3月2日
  30. ^ トヨタとスズキ エコカー技術などで業務提携 基本合意発表 NHK NEWS 2017年2月6日付
  31. ^ トヨタとマツダ、業務資本提携に関する合意書を締結-クルマの新しい価値創造と持続的成長を目指し具体的な協業がスタート-
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関連項目[編集]

ICT・ITS関連企業[編集]

スポーツ関連[編集]

所属スポーツ選手[編集]

直営自動車大学校[編集]

その他[編集]

外部リンク[編集]